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小説『失われたものたちの本』|感想

ジブリに触発され、小説『君たちはどう生きるか』と一緒に買ったのが『失われたものたちの本』(ジョン・コナリー著,田内志文訳/2006年)です。
ジブリに内容が似ていると風の噂で聞いていたのですが、書店にも『君たちは~』と並んで平積みされていました。しかも帯には宮崎駿さんの推薦文が載っているという。

読んでみると、話の筋が想像以上にジブリと一緒でびっくりでした。ジブリ側が「モチーフは『失われたものたちの本』だ」と言っていないのが不思議なくらいです(著作権がどうなっているのか気になる)。
とはいえ、全くの別物でもあると思いましたし、「ジブリのモチーフだ」という色眼鏡で読んでしまうのは失礼に当たる気がするので、純粋に『失われたものたちの本』に対する感想を書きます。


とても面白かったです。ザ・児童文学で、読んでいると童心に帰るような、無性に懐かしい気持ちになりました。

孤独に苛まれ、おとぎ話を愛する子供(デイヴィッド)が異世界に誘われるというのは、それ自体おとぎ話のようで、ちょっとゾクッとします。
異世界が、デイヴィッドの頭の中が反映された世界なのも面白い。デイヴィッドは亡き母との思い出である”おとぎ話”がごちゃ混ぜになった世界を旅をし、迫りくる脅威と戦って打ち勝っていくのですが、その脅威として現れるもの(怪物etc.)自体が彼の「恐れ」から生み出されていたんですね。
それに、そもそもなぜ異世界に誘われてしまったのかと言えば、子供の心の闇(孤独、嫉妬、恐怖)を食い物にして命を長らえる魔法使い”ねじくれ男”がいたからでした。

ねじくれ男はデイヴィッドを異世界に縛り付けるため、現実世界への絶望と諦めを植え付けようとします。特にpp.408-410の畳み掛け方が圧巻でした。

お前が必死に戻りたがっている世界の真実を教えてやる。あそこは、苦痛と苦悩と悲嘆の世界よ。

過去に戦争なんぞ何度でもあったし、これから先も何度でも起こるだろう。そしてその間にも人間は争い合い、傷つけ合い、痛めつけ合い、裏切り合う。それこそが人間がずっと続けていた所業だからだよ。

デイヴィッドが元々いた現実世界は第二次世界大戦中のイギリスで、空襲が続く日々でした。

だが、もし戦争や争いごとで死なずに済んだとしても、小僧、それで人生はお前のために何をしてくれる?(中略)人生はお前のお袋を奪い去っていった。健やかさも美しさも吸い尽くし、干涸びて腐った果実のかすみたいにして脇に投げ捨てていった。お前の周りにいる他の連中だってそうなる。(中略)お前はやがて体を壊し、老いぼれて病に苛まれる。(中略)手を取ってくれる者も額を撫でてくれる者もないまま、やがて死が忍び寄り、暗闇の奥へと手招きするのさ。そんな人生を振り返り、それを人生などと呼べるものかね。

戦争がなくても、お前の母親が病気で死んだように、人間の人生なんて苦しくて虚しいもんだと”ねじくれ男”は言います。
それでも現実世界に戻りたいのか?俺の言うことを聞いて異世界の王になれば、そんな苦しみを味わわずに済むぞ?と言うのです。

12歳のデイヴィッドは、それでも現実に戻るのだと決めていました。”ねじくれ男”はデイヴィッドを騙し、心の闇を食らおうとしているだけだと見抜いたんですね。

僕は要らないよ、そんなもの。欲しいとも思わない。

p.406

”ねじくれ男”の言う通り、現実世界が「苦痛と苦悩と悲嘆」に満ちたものであろうとも、それに向き合って生きていくのだという決意。
「苦痛と苦悩と悲嘆」から逃げたからといって、その先に幸せが待っているとは限らないんだよ、だから生きなきゃ、というメッセージを感じました。
ここ好きだったなぁ。

後日談が描かれた最終章も良かったです。
父の死、腹違いの弟の死、妻子の死、自身の病気。。”ねじくれ男”の予言が悲しい形で大当たりしたデイヴィッドの人生でしたが、痛みすら慈しむかのような最期の描き方が素敵でした。

デイヴィッドが木こりの瞳に映る自分の姿を見つめると、そこには老人ではなく、ひとりの少年の姿がありました。どんなに長く離ればなれでいようと、人はとこしえに変わらず父親の子供なのです。

p.431


余談ですが、最期のシーンに母親が出てこなかったのが不思議です。デイヴィッドが一番会いたかったのは母だったのでは?と思うので。。


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