均衡

私は、私の小さな核の中で生きている。
小さくて、壁が厚い核だ。
気分が良ければ、窓を開ける。

雨が降り始めたのは2、3週間くらい前だった。
最初は小雨だった雨は、「不意に」大雨に変わった。
雨は、大変に我慢強かった。
意地になって降り続けた。

雨は川を氾濫させた。
私の核の床も、少し濡れてしまった。
そして、音もなく停電した。
私の核の中は真っ暗になった。
充電器も、電話も、扇風機も、電子レンジも、何もかも使えなくなった。
ついには、土砂崩れがおきた。

ほとんど意地になって降り続ける雨は、すっかり私の核を飲み込んだ。

「均衡」が崩れる瞬間がある。
均衡が崩れるとは、どちらか一方にかたよってしまうことを指すのではない。
そもそも、「どちらかにかたよる」というのは「均衡」のなかで起こることである。
どちらかにかたよってしまったとしても、まだそこに「均衡」は存在するのだ。
シーソーに乗っていて、どちらかにかたよってしまっても、シーソー自体が壊れることはない。(もっと言えば、‘かたよる’とはシーソ―があるからこそ存在するのだ。)

では、均衡が崩れるとはどういうことか。
それは、均衡自体がなくなってしまうことである。
「こうなったら、こちらにかたよるよね。」という感覚をなくすことであり、それはつまり、シーソーがなくなることだ。
均衡がなくなってしまえば、もう何をどうすることもできない。
シーソがなければ、シーソーには乗れない。

均衡が崩れたままでは、生きていけない。
再び均衡を保つために、考えなくてはいけない。
 ①なぜ均衡は崩れたのか
 ②そもそも、崩れた原因は均衡にあるのか(外因である可能性は?)
 ③新しい均衡は、どのようにするべきか
 ④新しい均衡を保つまで、どれ程の時間がかかりそうか
 ⑤今回のことを考えたら、均衡が崩れたときの対応を考えておくべきだ
 ⑥まずもって、均衡をもつということを止めてしまうことはどうだろうか
 ⑦それは、「均衡をもつことを止める」という均衡をもつことになるだろう
 ⑧それは、それで…

「まぁ、楽しく生きましょう。」

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