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山手の家【第19話】

足音を立てて、真が廊下の向こうからやってきた。
「瑠璃さん、どうした?」
「真さん、これ、よく見て」
瑠璃は玄関扉を指差した。
「これのどこがおかしいの?」
「この扉、内側からロックできないし、チェーンとかドアガードもないから、家の中に誰かいる間は外から扉が開け放題」
ドアノブのそばに扉を開けられないように内側からロックをするためのツマミがあるはずなのに、それはなく、代わりに鍵穴があった。
今住んでいる家にはついている、ドアが全開にならないようにするための金属のドアガードもなく、金属のドアガードに代わるチェーンもない。
「そこの、上のツマミでロックかけるんじゃないのか?」
真はスリッパから片足だけスニーカーに突っ込んで伸びをするように扉の上の方についているツマミを回した。
「おかしいな」
ツマミはくるくると回るだけでロックがかかる気配がなかった。
「真さん、もしかして、ダミーじゃない?」
「そんなことないだろ」
真はもう片方の足もスニーカーに履き替えて、扉を開けた。
「ロックがあるのはここだから……」
扉の厚みの部分を眺めた真が「あっ」と声を上げた。
「瑠璃さん、君の言う通りだ。見てよ」
真が真剣な表情で扉を押しながら外に出た。
瑠璃も靴を履いて玄関先に出て、真の指差す部分を見上げた。
「あぁ、ロックできるなら、そこにドアノブのところみたいな金属の何かがあるはずだもんねぇ」
ドアノブと鍵穴の真横に位置する場所には金属のプレートがネジで留められて、小さな、金属素材の突起がある。突起はドアノブの動きに対応していて、ドアノブを下げると引っ込んだ。
それが、扉の上の方にはなかった。金属のプレートも金属の突起もない。ただ、扉の色と同じ色に塗られているだけだった。
扉を押さえたまま、真が試しにもう1度上に手を伸ばしてツマミを回してみた。
扉の側面に何か変化が生じることはなく、ただツマミが回るだけだった。
「なんでダミーなんて付けてるんだ?」
真が扉を閉めながら玄関の中に入ろうとしたので、瑠璃は真に押されるように中に入った。
ベビーカーに乗せられたままの真珠は汗をかいて髪の毛が地肌に張り付いている。
(このままじゃ、熱中症になっちゃいそう)
瑠璃はベビーカーの脇にあるすりガラスの窓を押し開けた。ぬるい風がゆっくりと入り込んでくる。
「お前たち、家の中は見なくていいのか?」
義人の声と、すり足の音が近づいてきた。
「父さん、さっきの鍵貸して」
「ん? 家に入る時に使った鍵か?」
義人がダウンベストのポケットから2本の鍵を差し出した。2本は黒革のタグがついたキーホルダーにつながっている。
真は義人から鍵を受け取ると、鍵の1つを鍵穴に差した。
「んー。入るけど、回らない」
瑠璃は固唾を飲んで、真の手元を見つめた。
もう1つの鍵は鍵穴に差すことすらできなかった。
「なに、中から鍵がかけられないのか」
真は「そういうことみたい」と、義人に鍵を返した。
義人は腕を組んで鋭い目つきで玄関扉を見つめていた。
瑠璃は「あれ?」と、首をひねった。
以前この家に上がった時、出迎えてくれた信子に「ロックかけておきますか?」と訊ねて「いいわ、そのままで」と言われたことを思い出した。
(私の記憶違いかしら)
瑠璃がスリッパを履いていると、義人が悔しそうにつぶやいた。
「今までに何度もここに来てたけど、玄関のドアがこんなことになってるなんて気づかなかったな」
『ここに住む』という気持ちで家を見る場合と、そうじゃない場合では、意識して見ようとするポイントも、見え方も違うのだろう。なので、見落としていても、仕方ないような気がした。
「ところで、お義父さん。他に鍵を持ってないんですか?」
瑠璃が問いかけると、義人は組んでいた腕をほどいた。
「姉さんからもらったのはこの2本と、もう1組。これと同じように2本が1組になってる」
そう言って義人は、真に返してもらった鍵を大きな手のひらに乗せて、瑠璃に見せた。鍵はどちらも同じような形をしていて、どちらが何の鍵か見分けるのは難しそうだった。
「玄関を開ける鍵とオートロックを開ける鍵ですか?」
義人が目を見開いた。
「いや。オートロックの鍵と玄関を開ける鍵は一緒」
「じゃあ、残りの1本はどこの鍵なんですか」
「そう言われると……わからないな」
義人は豪快に笑った。
「鍵は交換できるだろうし、なんとかなるよ。それより、暑いから、さっさと内覧して出ようか」
「そうだね」
瑠璃と真は顔を見合わせた。
「そうだ、真。リビングを広くして、対面キッチンにしたんだが」
「前のキッチンって入ったことないからよくわからないんだけど、対面キッチンに変えられるんだ」
真は義人と連れ立ってリビングに向かった。
瑠璃は玄関のすぐ脇にある部屋に入った。
玄関からリビングを正面に見て、左手側には小さな部屋が2つ並び、それぞれの部屋からマンション裏手の景色が見えた。
隣が平置きのコインパーキングなので開放感があるのは良いものの、夜はカーテンをしっかり閉じないと、路地から部屋の中が見える気がした。
(ここと隣の部屋は東向きだし、暑さ対策のためにも一応遮光のカーテンをつけた方が良いだろうな)
どちらの部屋を寝室として使おうか考えていると、「アブね!」と、真の叫び声が響いた。
「真、気をつけろよ」
「真さん、何かあった?」
瑠璃は部屋を飛び出した。


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