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山手の家【第43話】


真珠の1歳の誕生日をささやかに祝い、瑠璃たちは日が暮れる前に帰ることにした。
義人も幸代も名残惜しそうで、幸代は「泊まっていけばいいのに」と、何度も引き留めた。
今回は真が久しぶりにドライバー役を買って出て、瑠璃は助手席に座った。
車は海岸線を夕陽に向かって進み始めた。
「まぶしいな」
真がサンバイザーを下ろした。
「そういえば、あのキーホルダー、鍵が入ってるボックスに戻ってた」
「キーホルダーって、あのゴールドの?」
「そう。信子さんの」
真が信仰方向を向いたまま「あのさ」と、切り出した。
「さっき、瑠璃さんと母さんがケーキ買いに出た時に、親父が話してたことなんだけど」
真の横顔がうっすらとオレンジ色に染まっている。
「信子さんにある程度、まとまった金額を親父から渡したから、僕らや優子から信子さんには何も支援するな、だって」
瑠璃は何も言わずに、ただ頷いた。遅かれ早かれ、そういう話を聞かされる日が来るような気がしていた。
真は真っ直ぐを向いたまま、話を続けた。
「お金を渡した理由は2つあって。今回、親父の方から同居を誘ってうまくいかなかったから、っていうのと、信子さんが引越し前から使ってた冷蔵庫をそのままウチで使わせてもらって、信子さんには新しい冷蔵庫を買ってもらうことにしたから、っていうのが理由らしいけどね」
信子さんに一体、いくら渡したのかはわからない。けれど、同居を解消して再び一人暮らしに戻るための支度金として考えたなら、ある程度まとまった金額を渡したのだろうと察しがつく。
(どうせ、そのお金もあっという間に使い果たすんでしょう?)
瑠璃は正面を向いた。後部座席から、真珠がチャイルドシートを力強く蹴る音が聞こえてきた。
「信子さんは友達のところに泊まるって言ってたけど、それは優ちゃんが断ったからなんだよ」
「へぇ」
「あのさ、家じゃ話せないから、運転中に変な話して申し訳ないんだけど」
「うん?」
「こないだ優ちゃん来た時に聞いた話なんだけどね。もしかしたら信子さん、優ちゃんが家に置いてた物を盗んだんじゃないか、って」
「……そうなの?」
真の反応は、困惑しているのか、それとも「嘘だろ?」と、呆れているのか、よくわからなかった。
「年明けに信子さんを泊めた時に部屋を荒らされて、最近になってブランドのバッグがなくなってるの、気づいたんだって」
「信子さんのせいだと決めつけるのは早くないか?」
「優ちゃんだって信子さんのこと疑いたくないんじゃないかな。でも、考えられるのが信子さんしかいないから、苦しくて、私に打ち明けたんだと思うよ」
真は何も言葉を発することはなかった。



帰宅して手洗いをしていると、唐突にインターホンが鳴った。
「誰だ? え、信子さん?」
真の横からインターホンのモニターを覗き込むと、『エントランス』の表示とともに信子の顔が映し出されていた。
「はい、どうぞ」
真が呼びかけながらオートロックの解除ボタンを押す。
赤い唇の口角を上げた信子が、ゆっくりとした足取りでエレベーターホールに進んだところで映像が途切れた。
玄関扉を開けてドアストッパーを挟んでいると、信子が薄暗くなったエレベーターホールに現れた。
「信子さん、こんにちは。えっと、それですか?」
真が瑠璃の背後を小走りで走り抜けて、信子が引きずるように持っていた大きな白いバッグを両手で掴んだ。
「マコちゃん、悪いわねぇ」
「それにしても、ずいぶん重いですね。1人で大変だったでしょう?」
信子が近づいてくるたびに、癖のある香りが濃くなっていく。
「あんまり重いもんだから、ここまでタクシーに乗ってきたのよ」
「わざわざタクシーに乗ったんですか? 言ってくれれば車で引き取りに行ったのに」
真は玄関マットの上にバッグを置いて、「ふう」と、ひと息ついた。
「午前中、これを取りに義人の家に行ったんだけど、さすがに疲れたわ」
「え? 今日、取りに行ってたんですか」
「僕らもさっきまで顔見せに行ってたんですよ」
(わざわざ重い荷物を運ばなくても、部屋のどこに置いてあるのかさえ言ってくれれば、直接受け取ることもできたのに)
荷物を取りに行く以外にも何か用事があったのかもしれないが、それでも、ひと声かけてくれれば良かったのに、と思ってしまう。
「あなた方が遊びに来る少し前にね、取りに行ったの。今なら幸代さんの機嫌がいいから、って義人から連絡もらって。それで慌てて取りに行ったんだから」
信子は持っていたバッグの中から、真っ赤な小さな紙袋を出した。
「これ。真珠ちゃんに。お誕生日おめでとう」
真は驚きつつも「え、いいんですか? わざわざすみません」と、紙袋に手を伸ばした。
「ありがとう、ございます」
素直に受け取っていいものかどうかわからなくて、瑠璃はたどたどしくお礼を伝えた。
「せっかくだから中でお茶でも……」
瑠璃は信子に見えないように、真の脇腹を指先で突いて首を横に振った。
真が「なんで?」と、声に出さず、口だけ動かした。
信子はバッグの口を閉め終えると顔を上げた。
「いえいえ。この後、お友達に会う約束してるから、ここで失礼するわ」
瑠璃は心の底から安心した。安心して、ぼんやりしている横で、真が残念そうに声をあげた。
「そうでしたか。ところで、これ、いつまで預かりましょうか?」
「ひとまず、私のお引越しが落ち着くまで預かっててもらってもいいかしら?」
信子は軽く咳払いしてから「それにしても、真珠ちゃん大変だったわね」と、瑠璃の顔を覗き込んだ。
「信子さん、真珠のこと、誰かから聞いたんですか?」
瑠璃の問いに、信子は「あっ」と、口元を手で隠した。
「このマンションに住んでるお友達から聞いたのよ。2人が真珠ちゃん抱えて慌てて出て行った、って」
見上げた先にいる真は「誰かとすれ違ったっけ?」と、瑠璃に視線を落として首を傾げた。
「いや、誰にも会ってないと思うんだけど」
瑠璃は信子を正面から見つめた。
「あ、私、急がないと。お友達が待ってるから」
信子は「じゃあ」と、身を翻した。
「そこまで送りますよ」
瑠璃は真が信子を追いかけるのを見届けて、扉を押さえていたドアストッパーを外した。
他人を監視するような真似をする人がこのマンションにいる。
そして、その人物は信子とつながっている。
(本当にそういう人がいるのかしら)
エレベーターに乗り込んだ信子がこちらに向かって頭を下げた。
瑠璃も反射的に頭を下げる。
エレベーターホールで信子を見送った真が足音を立てながら戻ってきた。
「預かった荷物、ここに置いとくよ」
真がそう言いながら、玄関脇の部屋から出てきた。
入れ違いに部屋に入ると、預かったばかりの白いバッグが、よく開け閉めする引き出しの前に置かれていた。
瑠璃は窓際の壁に白いバッグを移動させ、何気なくレースカーテンの向こうの景色に目をやった。
(あれ? 信子さんだ)
裏手の路地に信子の姿が見えた。
瑠璃は思わず窓に張り付いた。
信子は隣の駐車場の入り口に立っている、黒いTシャツに黒いパンツを着た男の前を通り過ぎて、駐車場の隣のビルに入った。
(たしか、あそこってお隣の坂田さんのお店があるところよね?)
坂田さんの店に用事があるのだろうか。
この部屋からは信子がビルのどこに入ったのかまでは見えなかった。
















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