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山手の家【第44話】

リビングでは真が真珠に、信子にもらったばかりの赤い紙袋を渡していた。
「真珠、信子さんからバースデープレゼントだって。中はなんだろうねぇ」
真珠は無邪気に声をあげて喜んでいる。
目を凝らして紙袋を見ると、真が休日によく着ている、カジュアルな服を取り扱うブランドのロゴがさりげなく入っていた。
ここのブランドも、前にもらったパーカーのブランドと同じように、子供用のTシャツ1枚に背筋がひんやりするような値段が付けられている。
(このプレゼントも、お義父さんからもらったお金で用意したのかしら)
瑠璃は赤い紙袋から目をそらすと両腕を組んだ。
「信子さん、お隣の坂田さんのお店に向かったっぽいよ」
「そうなの? 荷物運んだついでに顔出しに行ったんじゃないか?」
真は真珠とじゃれ合って、寝転がった。
「信子さん、このマンションの人とけっこう交流あるのね」
「長く住んでりゃ、顔見知りも多いだろうよ」
真は仰向けになると、両手で真珠の体を支えて、自分の腹の上に乗せた。
「なんかさ、私たち監視されてるみたいじゃない?」
真は笑い混じりに「誰に?」と、即答した。
「不特定多数」
真は「なんじゃ、そりゃ」と、真珠を繰り返しくすぐる。
真珠が大きな声を出して笑う声に、真の「考えすぎだって」という言葉が混じった。



いつもの1日が始まろうとしていた。
真は指定のゴミ袋に入ったプラごみを片手に「行ってきます」と、出て行った。
瑠璃は片足だけスリッパを履いてドアロックに手を伸ばし、何気なくドアスコープを覗いた。
今、出て行ったばかりの真の姿が見えなかった。
(真さん、もうエレベーターに乗ったの?)
もう片方のスリッパも履いて玄関扉を開けると、ホールでエレベーターの到着を待つ真の姿があった。
(え、いるじゃん)
真がゆっくりと振り返る。瑠璃に気づいたらしく、片手を上げた。
瑠璃は手を振って扉を閉めた。
(どういうこと?)
瑠璃はもう一度ドアスコープを覗いてみた。
誰もいるようには見えない。
もう1度玄関を開けると、真がエレベーターに乗り込んだところだった。顔を上げた真と目が合ったが、エレベーターが動き出して、目が合ったのはほんの一瞬だった。
スリッパの足元近くに、鳩の羽根が落ちていた。玄関先に置いていたほうきで掃くと、鳩の羽根は何度も行きつ戻りつしながら扉から離れていった。
ほうきを持ち上げると、長い髪の毛の束が絡まっていた。
(この髪の毛、私じゃない人の髪の毛だ)
髪の毛は薄いグレー色をしていて、瑠璃の髪よりもだいぶ細く、柔らかそうだった。
瑠璃はシューズボックスの中に入れていた、お掃除万能シートを1枚取り出して、ほうきに絡まった髪の毛をシートで取り除いた。
ふわりと、花の香りとは少し違う、甘い匂いが漂ってきた。
(この匂い、うちの家にはない匂いだな……)
住人の誰かが朝からシャワーを浴びているのかもしれない。
このマンションではお風呂に入っているのも、匂いで他の住人にわかるのかと思うと、瑠璃は胸の奥が気持ち悪くなった。



真を見送ってから数時間後、瑠璃はベビーカーに真珠を乗せて1階のエレベーターホールに降り立った。
午後から天気が崩れるかもしれないというので、今のうちに買い出しに行こうと、いつもはお昼過ぎに出かけるところを、午前中に前倒しすることにした。
紺色のパーカーにチノパン姿の真珠は、急にお兄ちゃんっぽく見えた。
エントランスの脇にある郵便受けに、白い紙の一部が飛び出た状態で差し込まれていた。
(え? うちの分だけ、ない?)
701号室の郵便受けだけ、紙が飛び出ていない。
ダイヤルを回して郵便受けを開けると、白い紙が1枚入っていた。
『共用廊下清掃のお知らせ』と、書かれた書類の下に封筒の束が隠れていた。
封筒はきちんと角が揃えられていて、郵便受けの手前端に置かれていた。
(郵便屋さん、いつもと違う人が配達に来たのかな)
こんなに几帳面に、きちっと投函されたことは見たことがなかった。
瑠璃はお知らせの用紙と、封筒の束をトートバッグの中に入れて、郵便受けの蓋を閉めた。
(今月は4月だから、『4』に合わせておくか)
ダイヤルの矢印の真下に『4」を表示させ、瑠璃はマンションを出た。
マンションの出入り口横の柵状の扉が開いていて、中から清掃の男性がモップ片手に出てきた。
「行ってらっしゃいませ」
「行ってきます」
1歩敷地を出ると、エントランスの正面から少しずれた位置の歩道のガードパイプに、紺色のスーツのズボンに白い長袖のワイシャツを着た男が座っていた。
男は耳にイヤホンをつけ、鋭い目つきで辺りを見回していた。
(なんか、イヤだな)
瑠璃は、男が座っている方向とは反対の方向に向かって歩き出した。

















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