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山手の家【第49話】

連休後半の4日間は真と真珠の体調をうかがいながらの日々だった。
真も真珠も寝ている時間が長く、瑠璃は1人リビングで盗聴電波について調べたり、時々小蝿退治に奮闘したり、誰かに付きまとわれないだろうかと神経を尖らせながら食料品の買い物に出かけたりして過ごしていた。
体を休めているというのに、真と真珠の2人は回復するどころか、時々、咳をするようになった。
退院から2週間後の診察を連休明けに予約しているので、真珠の体調は受診の時に相談できる。
問題は真だった。
真は「医務室で診察してもらう」と言っておきながら、結局は診てもらっていない。
長く体調不良を引きずるなんて真にしては珍しいことなのに、病院で診てもらうつもりはないらしいのが瑠璃は心配だった。


連休が明けて、瑠璃は咳を繰り返す真珠を連れてこども医療センターへ出かけた。
風邪薬を処方してもらって診察は短時間で終わるだろうと呑気に考えていたら、医師は「体内の酸素の状態が良くない」と言って、レントゲンや血液検査が追加された。
ひと通り検査を終えて再び診察室に入ると、検査結果が表示されているらしいパソコンの画面を険しい表情で眺めていた医師が口を開いた。
「肺炎を起こしています。このまま入院で様子を見させてもらいます」
「そんな、またですか?」
ベビーカーに乗った真珠は目を閉じて、静かに寝ている。白い手が診察室の明かりに照らされて、さらに白く見えた。
医師の後ろに神妙な面持ちで控えていた女性の看護師が一歩前に出た。
「この後、入院の手続きをご案内しますね」
「はい……」
ぼんやりしている場合じゃない。
瑠璃は肩にかけていたバッグからスマホを出して、真宛てにメッセージを打ち始めた。
<真珠、入院だそうです>
真の仕事の邪魔にならないように、短く、要点だけ伝えた。



点滴と酸素のチューブにつながれた真珠は痛々しくて、瑠璃はそばを離れたくなかったが、面会の終了時刻だからと促されて病棟をあとにした。
(昼にここに来た時は真珠がいたのに)
真珠も、真珠を乗せていたベビーカーも、今はない。
前回の入院の時は真もいたし、車を運転できたので、気が紛れた。
今回は、誰も、何もない。
たった1人、夜の色に染まって静まり返る道を歩くのは心細かった。
病院の最寄りのモノレールの駅に着くと、スマホが何度か震えた。
真からのメッセージがいくつか届いている。
<電車の改札近くで待ってるよ>
瑠璃は、親指を立てたマークをタップして、スマホをバッグに入れた。



モノレールの改札口を通過して、人の流れに沿って下りのエスカレーターに乗る。
エスカレーターを半分ほど下りたところで、見覚えのある男性が下りた先の柱に寄りかかっているのが見えた。
真だ。間違いない。
真はこちらに気づいて、軽く手を上げた。
瑠璃も小さく手を振った。
真はぎこちなく柱にもたれた体を起こした。
「お疲れ様」
「瑠璃さんも、お疲れ」
真が寂しそうに微笑んだ。
「体調、大丈夫?」
瑠璃の問いに、真はゆっくりと首を横に振った。
「晩御飯は軽めのものがいいな」
「家でうどん食べる?」
「ありがたい。そうしよう」
2人は家に向かって、連れ立って歩き出した。



マンションの前に続く、緩い坂をゆっくりと上がっていく。
交差点を渡ればマンションは目の前というところで赤信号でつかまった。
マンションの前に、黒い車が停まっているのが見えた。
信号が青に切り替わる。
マンションに近づくにつれ、黒い車が国産の高級車だとわかった。
街灯の下で、艶々と存在感を放つ黒い1台の後ろに、もう1台、こちらも艶をまとった海外メーカーの黒い高級車が控えていた。
2台ともヘッドライトは消えているもののエンジンがかかっている状態で、運転席に白いワイシャツを着た男が座っている。
マンションのオートロックを解除して奥に進むと、背後に視線を感じた。
何気なく振り返ると、白いワイシャツと黒いスラックスを着た細身の男が運転席の扉を開けたまま、車の脇に立ってこちらを向いていた。
エレベーターに乗ると、瑠璃は『6』『7』『閉』のボタンを滑らかに押した。
「真さん、なんか怪しい車が停まってたから、いったん6階でエレベーター停めるよ」
「あの黒い車?」
6階に到着してエレベーターの扉が開いた。瑠璃は一拍間を置いて『閉』のボタンを押した。
エレベーターはゆっくりと上がり、7階で停まった。
静かにエレベーターを降りると、玄関扉を開ける音が響いた。音は下の階から聞こえた気がした。
通路から吹き抜けを見下ろすと、6階の一室に入っていく、黒ずくめの男が見えた。
真も吹き抜けの柵を両手で握って見下ろしていた。
真は柵から離れると、小声で「さっき、人なんていたっけ?」と、囁いた。
「いや、いなかったと思う」
瑠璃もひそひそ声で答えた。
2人は音を極力立てないように慎重に、自分の家の扉を開けて、閉めた。
いつもは家に入ると靴を脱ぐよりも先に玄関の灯りをつけたがる真が、灯りをつけようとする瑠璃を制した。
「なんか書類が入ってるけど、後にしよう」
真の視線を辿ると、暗がりの中、玄関扉の郵便受けに白い何かが入っているのがうっすら見えた。
リビングに入って、真は灯りをつけずに咳をしながら遮光カーテンを閉めた。
瑠璃は荷物を置くと、隣の寝室に入って、リビングとお揃いの遮光カーテンに手を伸ばした。
隣の駐車場に、前にも見たことのある、長いアンテナを伸ばしたワゴン車が停まっていた。
そして、駐車場のさらに奥、お隣の坂田さんの店先の明かりがついているのが見えた。
(お隣さんの店、こんな時間も営業してるの?)
瑠璃はそっと、カーテンを閉めた。

















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