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山手の家【第41話】

車に真珠を乗せ、ベイエリアにある子ども救急センターに駆け込んだ。
発熱があるからと別室で診察の順番を待つことになった。
壁の向こうから、何人もの子どもの泣き声が漏れ伝わってくる。
真珠は、真の腕の中でぐったりと目を閉じている。
(この子には泣く元気すら、ないなんて)
よほど真珠の体調が思わしくないと判断されたのか、先に病院に到着して診察を待っていた子たちよりも早く医師が真珠の元に現れた。
「設備の整った大きい病院で診てもらう必要がありますので、これから救急車で搬送します」
「そんな」
全身から血の気が引けていくような感じがした。



真珠を乗せた救急車には真が同乗し、瑠璃は救急センターまで運転してきた車のハンドルを握った。
「救急車の後ろをついてきますか?」と、搬送にあたる救急隊員に訊かれたが、首を横に振った。
一刻も早く真珠を搬送してもらった方が良いと思った。
搬送先のこども医療センターには、瑠璃の運転する車で15分もかからずに到着した。
病院の地下駐車場に車を停めると、真から届いていたスマホのメッセージに従って1階の救急外来受付に走った。
瑠璃が着いた時にはもう、真珠は真と一緒に診察室の中にいた。
真から「2番」とだけメッセージが届く。
おそるおそる2番診察室の扉をスライドさせると、扉のすぐ近くに座る真が振り返って、目が合った。
真珠は酸素マスクをつけて診察台に寝ていた。真珠の胸に男性の医師が聴診器をあてている。
医師のそばにいた女性の看護師が瑠璃に向かって軽く首を傾げた。
「真珠の母です」
瑠璃が会釈すると、看護師は「あ、お母様ですね」と、頷いた。
真が空いている丸椅子に座るよう、瑠璃にジェスチャーで促す。
瑠璃が座るとほぼ同時に、医師が聴診器を耳から外した。
「お子さん、喘息と診断されたことはないですか?」
「いえ、そんなことは1度も……」
瑠璃が答えると、真も「ない、よね?」と、確認するように視線を向けてきた。
「この1週間以内に接触した人の中で、体調崩した方はいませんか? たとえば、新型コロナとか」
「いや……」
瑠璃は口ごもった。
1週間が経っているとはいえ、自身のあのひどい体調不良を思い出すと、何も言えなくなった。
「そういう人は、いないです」
真が強い口調で答えた。
医師はパソコンの前に座ると、キーボードを叩き始めた。
「おそらく、子どもがよく感染する感染症だと思われるので、通常であればおうちで経過観察してもらいたいところなんですけど、酸素の値が低いので、このまま救急のHCUに入院してもらいます」
「入院、です、か……」
「大事をとって、2・3日、こちらで様子を見させてもらいます」
医師がキーボードから手を離して、体ごとこちらを向いた。
真が前のめりになった。
「真珠の体調不良の原因は、具体的には……」
「はっきりとしたことは、明日の朝以降、血液検査やレントゲン検査などを行ってからになります。感染症の場合、原因になっているウィルスの特定が難しい場合もありますが」
「あの、親の付き添いは必要ですか」
「救急のHCUはスタッフがお子さんに付きますので、付き添い不要です。親御さんは面会時間にお越しください」
(そんな、離れ離れだなんて)
「これから処置室で点滴を打ちます。病棟にはその後、病棟からのお迎えが来てから上がることになります」
瑠璃と真が呆然と顔を見合わせていると、医師が「西田さん、入院の案内お願い」と、そばにいた女性の看護師に指示をして立ち上がった。



真珠を病棟のスタッフに託して、駐車場に停めた車に戻る頃には日付が変わろうとしていた。
真は「運転する自信がない」と言って、助手席に座り込んだ。
こども医療センターの周辺は車通りも少なく、人の気配は全く感じられない。
真のポケットから着信を知らせる通知音が鳴った。
真はだるそうにスマホを取り出すと、画面をタップして「なんだよ、こんな時に」と、面倒臭そうに窓の方を向いた。
「どうしたの?」
「信子さんからメッセージ来た」
「そう」
真のスマホの画面が助手席の窓ガラスに反射している。
車は青信号を通過して、トンネルに入った。
真が溜め息をついて、スマホの画面に目を落とした。
「信子さんが『真珠ちゃんが大変な時にごめんなさい。さっきお話ししていた絵と掛け軸ですが、今週末の13日か14日に、そちらにお届けするのはいかがでしょうか』だってさ」
「真珠が体調崩したこと、信子さんに話したの?」
「いや。そんな、誰かに連絡するどころじゃなかったし。親父たちにも話してないよ」
確かに、入院の手続きやら説明やらで忙しかったし、そもそも病院の中は電波の状態が悪くて連絡どころではなかった。
(どうして真珠が大変だなんて知ってるのかしら)
トンネルの内部を照らす白い光が次々に後ろに飛ばされていく。



帰宅して数時間が経った。もう少しで丑三つ時と呼ばれる時間になる。
真は仕事の疲れも相まって、帰宅するなりシャワーを浴びてすぐに寝てしまった。
真珠の息遣いが聞こえない家は寂しく、なんだか自分の家じゃないような錯覚まで起きてしまう。
瑠璃は眠れなかった。
リビングの間接照明だけつけて、ネットで調べ物をしていた。
信子の言う、『真珠が大変な時』と言うのが何を指すのか。
日々の真珠のお世話のことを言っているのか。それとも、急な体調不良のことや、入院のことを言っているのか。
瑠璃は、盗聴器発見器を買おうと、ブログや動画をくまなく見ていた。
盗聴器の有無を業者に調べてもらう方法もあるが、80平米ほどあるこの家をくまなく探してもらうとなると、かなりの費用がかかる。
瑠璃は、複数のサイトで実際に使用する様子が紹介されていた機種を選ぶと、購入手続きをとった。
盗聴器発見器の機能だけでなく、盗撮用のカメラや車に取り付けるGPSに反応する機能が搭載された機種を選んだ。
(これで何もなければ、それでよし。もしも反応があったら……)
瑠璃は目を閉じて、ふうっと息を吐いた。
気づけば、夕食も取らずに過ごしていた。
目の前にある、優子からもらったドーナツを食べようかと一瞬迷ったが、時間も時間なのでやめた。
瑠璃は飲み物を出そうと冷蔵庫の前に立って、何気なく、キッチンの小窓からマンションの裏手の景色を眺めた。
隣のコインパーキングに、妙に長いアンテナを伸ばしたワンボックスカーが停まっている。
(子供の頃、お父さんが言ってたよなぁ。『あの長いアンテナは無線のアンテナだ』って)
瑠璃は冷蔵庫から出したお茶をグラスに移すと、ゆっくりと喉を潤した。
















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