【流浪の月】文と更紗のような終わりの見えない関係性に憧れて
私は今、ある1人の異性との関係に悩んでいる。
この気持ちはいったい、何なのだろうか。
それを知るべく、自分のバイブルとも言える大好きな小説『流浪の月』に登場する更紗と文の関係になぞらえたり、自分なりに考察したりして我々の関係についての解釈を進めたいと思う。
文中で更紗によって述べられていた言葉である。
どんな困難があっても、更紗は文と手を取り合って一緒に乗り越えようとする。たとえ文が更紗を遠ざけようとしても。
この2人は離れることがないのだ。別れることがない。
どうしてこんなことが起こるのかと言われたら、世間一般的には
「好きなんだね」
「それは恋だよ」
なーんて言葉で片付けられてしまいそうである。
ただ、この2人は恋をしているわけではないのだ。
なのにお互いを思い合って、心の底で繋がり合って、認め合って、必要とし合いながら生きている。
なんて尊い関係性なのだろうか。
この2人の関係の根底にあるものこそ、愛ではないだろうか。遺伝子によって作り上げられた性欲に基づく性愛を抜きにした純愛だと思う。
この2人が既存の枠にはまるなら、絶対に恋人よりも夫婦だと思う。
恋人なんて言うその場しのぎの、一時の関係で済ませてしまってはもったいなさすぎる。恋人なんかで終わらせてしまってはいけない。
これほどの愛が、自分たちにはあるだろうか。
わたしは文に恋をしていない。
わたしはあなたに恋をしているのかわからない。恋かもしれないし、ただの執着、依存かもしれない。
キスもしない。
キスはした。付き合ってもないのにキスをした。何度もキスをした。口づけるような軽いキスを十数分。これがあなたとわたしのファーストキス。ふたりそろって人生初。
そこからはあなたに導かれるままに舌を絡め合い、食み合った。あなたが流し込んできた唾液を飲み込んだ。ペットボトルのキャップ2杯くらいの量だった。
特別気持ちいいとかはない。よくわからない。どうしたらいいのかもわからない。
ただ満たされる。この時間がいつまでも続けばいいのにと思う。
互いに求めあっていることが実感できるから、あなたとのキスは好きなんだと思う。
抱き合うことも望まない。
字面通りの抱き合うこと、つまりハグは強く望む。
あなたと抱き合っているのが大好き。心地よくてたまらない。
あなたがそばに感じられるから。あなたのぬくもりが感じられるから。
その先、という意味での抱き合うことに関しては、求めないと言ったら噓になる。するなら初体験同士が良い、というのも叶えられる。が、それをしてしまうことで関係に亀裂が入ったり、気まずくなったり、はたまたセフレ関係になったりしてしまうのだけはごめんだ。
望んだり、求めたりはしているものの、これ以上関係を悪くしたくないのだ。だから、してもいい、という大義名分があれば、付き合っていたり結婚していたりしたら確実に、喜んで身体を重ねることだろう。
けれど今まで身体をつないだ誰よりも、
文と一緒にいたい。
ただ一緒にいたい。そう思っていたかっただけなのかもしれない。
一緒にいるだけで幸せか?
浮かれているだけな気もする。
気まずいときもあるじゃないか。
違和感から目を背けてはいけない。
一緒にいることでキスやハグ、その先を期待していただけなのかもしれない。
かけがえのない友愛、親愛の情だと思っていたものは、私たち人間の遺伝子にインプットされたただの性欲に基づくものだったのかもしれない。
こんなことを考えていたら、心の中であなたに対する何かがしぼんでいく音がした。
力が、抜けた。
これを、このことを、俗にいう「冷めた」と言うのではなかろうか。
我々の関係はありふれたものでしかなかったのか。
お互いにさみしかったのだろう。傷を舐め合い、孤独を感じないように埋め合っていただけなのだろう。
そんなもんか。
もっと純粋な、清純な、崇高なものだと思っていた。
我々はお互いを思い合って、心の底で繋がり合って、認め合って、必要とし合いながら生きているだろうか。否、繋がっているという幻想に酔いしれ、自分の欲を満たそうと利用していただけじゃないのか。
情けない。本当に情けない。
見直さなくてはならないね。
自分がどんなスタンスで行くのかもしっかりと決めておかなければ。
本当にこの先もずっと一緒にいたいのか?向き合え、自分。
もっといい人がいると言ってくれる人がいるうちはまだ幸せ。
その間にちゃんと自分と向き合おう。
こうやって自分で気づかなければヒトは動かないんだってことを実感した。
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