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男女の友情は存在するし、夫は誕生日だ『化物語』

やあ、僕だよ。飽き性ちゃんだよ。
昨日の『めだかボックス』に引き続き、夫は『物語』シリーズを観直している(僕の泣き顔をスルーして『めだかボックス』を観始めた夫の話は以下の記事にて)。

シャフト制作のアニメを概ね履修している僕なので、『化物語』が素晴らしい出来であるのは理解している。が、そこまで好きでないのは結局のところ、普遍的な学園ものでところどころ退屈してしまうからか。
とはいえ、狭いリビングの大画面で再生されると気になってしまうし、実は今日、夫の誕生日なのだ。
彼のエンタメ人生の中で重要な作品である、『化物語』を楽しみつつ、色々考えるにはうってつけの日だろう。
それでは、本日もお楽しみくださいね。

作品あらすじと感想

『化物語』新房昭之
ユーネクストで視聴。原作は西尾維新著『化物語』。アニメ制作は安心のシャフトである。
主人公の「阿良々木暦」が怪異に侵食される女の子たちを助けたり助けられたりしつつ、モテたりモテなかったり、自分に期待したり裏切られたり、でもやっぱり期待する話だ。
このアニメを観たことがなくても、オタク寄りのゆとり世代は「君の知らない物語」をカラオケで熱唱する友だちを一人や二人見たことがあるだろうし、そうでなくともバイト中に有線で流れていたかもしれない。この曲、実は『化物語』のエンディングである。「戦場ヶ原ひたぎ」が最高に可愛い一二話でこの曲が流れるのだが、その瞬間僕は「戦場ヶ原ひたぎ」を一生愛すると誓った(結局夫と結婚してしまったが)。

なお、ハーレム物と分類しても差し支えない程度に「阿良々木暦」はモテる(事実、作中でも阿良々木ハーレムなる表現が出てくる)。彼は「友達を作ると、人間強度が下がる」と何度も口にするような、斜に構えた中二病患者なのだけれど、誰よりも「知ってしまった」ことを見逃せず、弱くて、怖がりで、誰よりも誠実な人間だ。
劣悪なハーレム物は、ヒロインが主人公に惚れている理由が分からない(あるいは弱い)という致命的な欠陥を抱えているが、『化物語』はそのシナリオの中で丁寧に理由が明示される。そのおかげで視聴しているこちら側も「阿良々木暦」を好きにならざるを得ない。
この点において、僕は『物語』シリーズを高く評価している。

であれば、この『化物語』を勧めるべきは「モテない」と悩める男性諸氏だろう。
つまるところ女性にモテたいなら、相手に注目し、問題があれば共に悩み、時には気にかけてやり、相手の素晴らしいところを認めるということ。
可愛い女の子たちのエピソードを楽しみながら、「阿良々木暦」の生き方を学ぶと良い。これらを当たり前だと思っているのなら、もうモテるので「モテない」と悩むのをやめたらいいと僕は思う。

友情、恋情、愛情

画面上では「神原駿河」と「阿良々木暦」が女子中学生のブルマ姿に盛り上がっている。

若い男女の然るべき関係とは、同世代の異性を部屋に呼んだ方も呼ばれた方も緊張してしまう関係だろう。
決して女子中学生をブルマ姿にして、共に喜びを分かち合う関係ではない。

僕はこの関係に「友情」という名前をつけたい。逆にこれを「友情」と呼ばず、何と言うのだ。友だちの少ない僕でもこれは「友情」だと思う

相手と共有できる感情があり、それを積極的にしたいと思う気持ち、また、その気持ちが進んで、その人が幸せになれるよう働きかけたくなる気持ち。これが「友情」と僕は定義する。
「恋情」はこれらの気持ちが一方的に暴走し、さまざまな欲に翻弄される気持ち。「愛情」はそれを乗り越え(あるいは最初から)、自分の全てをかけて相手の幸せを願う気持ちだ。

ゆえに男女の友情は存在する

男女の友情は存在しない派が言う主張といえば「友情に恋情が混じるから」を多く聞くが、そもそも友情に恋情が混じったところで、友情がなかったことにならないと僕は思う。

こちらの記事(アンケートを一旦信頼するとして)の意見も概ねそういった「友情に恋情が混じるから」を不成立の原因にしている。
繰り返し主張したいが、そもそも友情に恋情が混じったところで、友情がなかったことにならない
もしかしたら言外に「男女間では友情の芽生えに絶対恋情が混じり、関係が変化してしまうから」と匂わせているのかもしれない。しかもその関係は不可逆だと。

僕は断固として、その意見に真っ向から反抗する
僕が定義した「友情」や「恋情」においては男女間の「友情」が成立する

まず第一に、男女間で「友情」が成立しても「恋情」が混じらないパターンがごく稀だが存在する。
恋愛対象になるかどうかが、相手に共感したり、共に過ごすと楽しいと思う気持ちと関係ないだろう。ちなみに異性愛者の同性同士の「友情」の大半がこれと同じ種類の「友情」だ。
第二に、男女間で「友情」が成立した後「恋情」が混じったが、「友情」を上回らないパターン。
僕が主張したい男女間の「友情」はこちらのパターンである。
「友情」をスペクトラムとして僕は考えている。他人と対峙した時、「友情」を多く感じる人と少なく感じる人、同じ人でも時期によって多く感じたり少なく感じたりする。これは僕自身実感していることだ。
恋愛対象ではあるので、時に相手との齟齬を生むが、絶妙なバランスで良い関係を保つ場合も少なくない。「神原駿河」と「阿良々木暦」の関係がそれに当たる。
第三に、一度「恋情」が「友情」を上回った(と判断を誤った)後、元に戻ってしまうパターン。
これが一番悲惨だ。まだこちらは「恋情」が多くあるのに「お友達に戻りましょ」と相手に言われると、体よく別れたかっただけではと思ってしまう心理も理解出来る。
僕は経験したことないけれど、きっと存在するのだろう。僕の知人にこのエピソードを持つ人がいた。
男女の友情は存在しない派はこれを経験したくないがゆえに、そのように主張するのではと僕は勘ぐっている。

「恋情」が混じらないパターン

僕は中学生の頃、夜な夜な二人で遊んでいた男子がいた。その頃の僕は初めての恋人を略奪された直後で非常に荒れており、家庭内もぎくしゃくしていて、ホルモンバランスも乱れ、でも自分は何者かになるのだろうと漠然と大いなる期待をしていた希望の時代だった。
彼は小学校も一緒だったが、同じクラスになったこともなく、二人で遊ぶ前までは知り合いですらなかったのだけれど、ある深夜、一人でふらふらしていた時、彼と偶然出会ったのだ。
僕らは待ち合わせをするでなく、公園のベンチで真夜中を二人で共有した。あの時の会話を僕は覚えていないのだけれど、僕らはそれぞれ楽しんでいた。
しばらく経ってから、僕から告白した。とある女子が僕らが夜中、二人乗りでコンビニに向かうのを目撃したとはやし立てたからだ。
付き合うことでしか、僕は彼を繋ぎとめる方法がないと思い込んでいた。

告白した時、彼は本当に残念な顔をした。
「友だちでいるのは、難しいよね」と彼は言った。
あの時、僕はその言葉に断定を感じた。彼が僕を友だちだと思ってくれていたこと、それを難しいと断じられたことにあっけに取られて何も言えなかった
今思えば、「難しいよね?」と友だちを継続したいという意思を示してくれていたのかもしれない。だとしたら、僕は言い訳をすべきだった。

「男女間のよい人間関係に名前をつけるなら、付き合うしかないと勘違いしていたんだ」と。
僕は夜中の遊びだけでなく、彼と色んな共有をしたかったし、別に彼が他の人とセックスしようが独占しようがどうだってよかった
だって誰も、男女間で「友情」が成立するって教えてくれなかったのだもの。

「恋情」混じりの「友情」を成立させたパターン

大学生の僕は貞操観念がぶっ壊れていた。
挨拶代わりにセックスする。拒否されたらそういう種類の人間だと受け止め、謝罪し、友だちをやり直す。そういう僕を汚物扱いする人間に遭遇すると「気持ちいいを共有したいだけなのに何でそんな風に思うんだろう」なんてその考えを否定し、自己中心的な性生活を送っていた。

そんな中、僕を熱烈に好きになってくれた男性がいた。
彼はエセエリートの僕とは違い、本物のエリートで非常にいいやつだったし、お金をたくさん持っていた。
僕は恋人がいながら、彼とセックスをした。彼と出会ってから一年程度は「恋情」が混じっていたが、僕には恋人がいたので付き合わなかった(しかもそれを馬鹿正直に伝えていた、なんて残酷で愚かな女だろう)。

それでも彼は懸命に僕を口説いた
セックスをし続けたけれど、僕は彼と付き合わなかった。そのうち、彼の内面の魅力が僕の「友情」を芽生えさせた
僕に振られて泣く癖に、一ヵ月経つと僕を「デート」(彼はそれを強調していた)に誘い、せっせと僕に本をプレゼントし、セックスした。
その懸命さと自信と頭の悪さが彼の魅力であった。彼は本当にいいやつだった

彼と出会ってから五年経った後、初めて「デート」ではなく「飯に行こう」と誘われた。
いつもだと洒落た店で洒落た酒を勧められるのに、その時は安い中華料理屋だった。

「ここさ、俺のおすすめなの」
「へえ、確かにここの餃子は美味いね。これは僕も好きだな」
「…他の女を連れてきたことない」
「どうしてさ、こんなに美味いし安い。ビールのサーバーもきちんと清掃しているようで好感が持てる」
「……」
「なんだか、今日は元気がないな。ついにクビにでもなったか?見かけによらず金遣いが荒いからな、君は」
「俺はさ、絶対君と付き合いたいと思ってたんだよ」
「ああ、まあ知ってるよ。何度も言われているし」
「最初は恋人と別れてくれたら、俺と付き合ってくれると思ってた」
「そうかあ」
「君、俺に言ってないけど今フリーだろ」
「はあ、なるほど、そういうことか。いやはや、ほんと、追い詰められてしまったなあ」
「…君が想像していることとは違うよ」
「どういうことさ」
「俺は、君をここに連れてきた。それが答えなんだ」
「…君は回りくどいね、文芸志望なだけあるよ」
「ここは俺の大事な友だちしか連れてこない、とっておきの店ってこと」

正直、このセリフを言う彼は、僕が知る彼史上最高にセクシーであった。
なんという皮肉。でも二度と彼は僕をセックスに誘わなかったし、その後も僕らは「デート」でなく、共に飯を食い、つるみ、小説や映画の話をした。
現在はお互いの仕事が忙しくなって、今や全然会わなくなってしまったけれど、再会しても「デート」は二度としないだろう。
セックスが必ずしも「恋情」と繋がらない僕が引き起こした、遠回りの「友情」は確かに存在した。彼は元気にやっているだろうか。また、電話してくれ。

夫と僕の間にも「友情」は存在する

僕は夫に対して「友情」、「恋情」、「愛情」のすべてを感じている。今までの恋人も深い「愛情」や「恋情」を感じていたが、夫の場合「友情」も非常に深い。
数少ない友だちの中で最も仲の良い「親友」を挙げるとすれば、間違いなく彼が「親友」だ。僕は彼が死ぬとかなり、困る。

ハッピーバースデー、夫よ。
午前〇時に「誕生日おめでとう」と言わなかったことに拗ねている愛しい人。
寝るのが趣味な君だから、気持ちよく寝ているのを邪魔するなんて、僕出来ないよ。
これからも一緒に原神やろう、兎田ぺこらの配信観よう。
新しい面白いことがあれば、すぐ教えてくれ。僕も教えるから。
これから生まれてくる彼か彼女は、こんな僕らを気に入ってくれるだろうか。
気に入ってくれるよう、共にもてなそう。そうしていつか、彼か彼女も友だちになれたらいい。
なれなくても、「親友」の君がいてくれたら、僕はいいんだけれどさ。

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