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越川大介さんインタビュー「これから役者が出来ること①」

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 「劇場に足を運ぶことが生きがいである」という人は、少なくないのではないだろうか。筆者もその内の一人で、新型コロナウイルス感染症の影響で中止や延期になっていく公演を指折り数えては、生きがいを奪われたような、なんとも悲しい気持ちで日々を過ごしていた。

 しかし、嘆き悲しんでいるのは果たして演劇ファンだけなのだろうか。この状況の中で、演じる側、創る側は何を感じ、何を考えながら過ごしているのだろうか。

 そんなことを思い、今回は、1995年に設立され、国内外で独自のスタイルである「スタイリッシュ・コメディー」を軸に活躍する劇団「D.K HOLLYWOOD」の主宰・越川大介さんと、団員であり、越川大介さんの娘でもある越川詩織さんのお2人にお話を伺うことにした。

 第一弾では、まず越川大介さんのインタビューをお届けする。


――まずは25周年おめでとうございます。
越川大介(以下越川) いやいやありがとうございます。


――25周年を振り返ってみていかがですか?
越川 うーん、とにかく25周年という「周年」という言葉が、「あぁ~もうそんな経ったのかぁ、四半世紀かぁ」って、「25」っていう数字が感慨深いものはあるんだけれども、ひとつひとつの作品を創って、お客さんの前にのっけて、終わったらそれを全部壊して、また次を建てて、っていうことの繰り返しだったので……、どうだろうなぁ、次が30周年、次が40周年50周年ってなって、まぁそこまで生きてるかどうか分からないけれども、振り返った時に感じるもんで、25周年の最中は、何も考えず、とにかく創り続けてきたかなって。

 でも今ふっと思っても、今回のこのコロナが25周年にきたということが、まぁ~お芝居の神様なのか、世界の神様なのか、なかなか洒落たプレゼントしてくれたなっていうね(笑)まぁだからある意味25周年というお祭りが出来なかったというスタートなので、今年は。ってことは、25周年なんて言ってないで、「もっと先見ろ」っていうような、いい風に捉えればね。25周年が出来なかったなら、30周年がものすごく活気のある年になるように、この5年間をどうやっていくかっていう風に置き換えて、プレゼントとして受け止めなきゃいけないかなって、そんな感じですかね。


――25周年公演「シェルター25」(※1)も来年に延期となり残念だと思うのですが、元々はどんな想いを込めて用意されたお芝居だったのですか?
越川 丁度コロナの噂が入り始めた頃に劇場を押さえたんですけど、その劇場が、ギャラリーというか、絵画だとかの個展が出来るようなホールと、客席のある普通の、100人入らないぐらいのちっちゃいとこ(劇場)と、これがひとつのビルの中にあって、お客さんもその中を移動出来るんです。その個展を開けるようなギャラリーから物語をスタートして、お客さんも出演者も一緒になって劇場の方へ移動していって、その劇場でいよいよ完結編が見えるというような、ちょっと今までやったことのないようなものをやろうと。で、そこのギャラリーには、我々の25周年の思い出の品が飾ってあったりとか、そこも含めて、ちょっとお祭りのようなところで事件が起こって、コメディーが始まる、と。そんな風なことで、今年っぽくいきたいなぁっていうとこだったんですけどね。それが6月だったんで難しかったんですけど。

※1:D.K HOLLYWOODの25周年公演として上演が予定されていた作品。ニューヨーク・マンハッタンを舞台に、2020年6月10日~21日まで、新宿三丁目の「雑遊・SPACE梟門」で公演される予定であった。


――この「シェルター25」は延期として来年公演予定とのことですが、また今年とは変えた想いを込めていったり、創り変えたりはしていくのでしょうか?
越川 そこの劇場ちょっと面白かったので、来年延期になってもまた使いたいんだけど、発想として、まぁ世の中もそうなんでしょうけど、「コロナ前」「コロナ後」ってことで、世の中も変わっていって、そこで求められるコメディー、お客さんからどういう風にD.K HOLLYWOODが求められるかっていうのを静観しながら、来年は新作という発想になっていくんじゃないかなぁと思いますね。


――「シェルター25」という形ではなく、また違った作品になるかもしれないということですね。
越川 多分ね、「シェルター25」っていうのは偶然だったんだけど、来年とかやると、まさにぴったりになっちゃうんですよね。例えば、コロナウイルスへの感染を避けるためにシェルターに皆がいるとか、逆に言うと「コロナ後」のタイムリーになるかもしれない。そうすると「まだコロナを引きずるのか」と思っちゃうので、またイチから考え直すのかなぁなんてことを、ちょっとこの先のことを様子を見ながら、考えていきたいなぁと。


――なるほどですね。お話を考えるというところで、越川さんの人間模様が交差していくような脚本がとても好きなのですが、どういうときにネタを思いつきますか?
越川 正直な話をすると、締め切りが近くなって思いつくんですよ(笑)


――お尻に火がついてからという(笑)
越川 そうそう(笑)お芝居って不思議なもんで、何か月も前に小屋(劇場)を押さえてなきゃいけない。で、何か月か前にはもう題名が決まってチラシを作って宣伝をしてかなきゃいけない。だからそん時に本が書けてるかっていうと、まず今まで1回もそんなことなくて(笑)「さぁ越川さん!次は何月何日が初日ですよ!」「何日にはもう題名が欲しいです」「こっからチラシの作成をして印刷して宣伝が始まりますよ!」……、「さぁなにやる?」って考えていくのが正直なとこなんですよ。

 で、何をやろうかっていうのは、やっぱりD.K HOLLYWOODはコメディーなので、よく言われることだろうけども、俺が客で観に行って面白いと思うようなものを創りたいっていうのはひとつ変わらなくて。……そこだなぁ。「俺が面白いと思うものが、お客さんはどう?」っていうのがベースにあって考えていきますね、いつも。だから、無理して自分が面白いと思わないけど、ちょっと背伸びしようとか、そんなことはあんまり考えないですね。

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――またこれからも少しずつ活動を再開していくと思うのですが、今こんな状況だからこそ発信出来るお話とか、役者として、創る人として、どんなことを伝えていきたいとか、やりたいこととかはありますか?
越川 まぁ本当に自分の人生の中でも、今回のこのコロナっていうのは、すごく大きな事件だし、多分何かは変わるでしょうね。エンターテインメントのあり方とかが。でも、きっと、やっぱりお芝居っていうのは客席にお客さんがいて、そこでひとつの空間が出来てっていうことは変わらない、また戻ってくるだろうというような。もしもそういう世の中じゃない新しいものに移行していったとしても、そういう時代があったんだ、そういう時代を取り返したいんだっていうことが心の中にあるので、多分そういう風な活動になっていくと思います。

 で、アナログ人間なので、リモートだとか、パソコンの前に座って何かを伝えて、皆お客さんは家にいて観てるとかっていう風なことに、全くアイディアが浮かばないし、そういう世界になったら本当寂しいなって。だから、そこんとこはひとつの漠然としたテーマだけども、どっか心の中に残っていくんじゃないかと思います。創っていく上でもね。


――では最後に、端的に言うと、役者・演劇にはこの暗い世の中に対してどんな力があると思いますか?
越川 簡単には、一言で言うにはちょっと難しいんだが……。現実の世界の中で皆生活してるわけで、その生活している中のたったの2時間か3時間そこらなんだろうけども、これ(演劇)も現実なんだけども、そこでは笑えたり、感動したり、わくわくしたり……、これはものすごく宝だなぁという気がするんですね。だから、一言で言うと、現実は朝起きてから寝るまでの間に必ず皆、ドラマより映画よりお芝居よりも物凄いドラマチックなことを生活の中でやってる、それよりも何か違う3時間2時間があるっていう、これを創っていくんだって考えると、すごく貴重なものであるという風に思うんですよね。


――私も一演劇ファンとして、仕事があったり、なにかごたごたしたことがあったり、でもその中で演劇を観に行くことによって2時間の非日常を貰えるというのは、ご褒美だと思っていて。
越川 嬉しいですね。


――そのことを越川さんがおっしゃったように、役者さんからも聞けたのはとても嬉しいです。演者がいて、客が生でいて、両者が密に想いを投げ合うのが、演劇を生で観劇することの醍醐味ですね。
越川 本当そうですね。


 越川さんの言葉には、新型コロナウイルスの流行により、25周年イヤーを思うようにスタート出来なかったという悔しさが滲んでいた。

 しかし、コロナによって世の中が変わっても、不変の舞台を創り続けていくという覚悟も感じられるインタビューとなった。

 D.K HOLLYWOODはこれから進化を続けながらも、変わらぬ「スタイリッシュ・コメディー」を届け続けてくれるだろう。

 D.K HOLLYWOODの次回作を劇場で、生で観られる日が、とても楽しみである。


 さて、第二弾の越川詩織さんのインタビューでは、また違った目線でのお話を聞くことが出来た。大介さんとは異なる、若い世代の詩織さんは何を思っていたのか。こちらも必読である。

(越川詩織さんのインタビューはこちら


越川大介(こしかわ だいすけ)
 1961年 鳥取県出身。1984年に藤井一男とコントグループ「ちびっこギャング」を結成し、1980年代のテレビ業界を席巻した。
 1994年のちびっこギャング解散後、1995年に「D.K HOLLYWOOD」を設立。全作品の作・構成・演出・振り付けを担当し、自ら俳優としても舞台に立つ。
 また、2000年には「D.K H STUDIO」を設立し、後進の育成にも力を入れている。

★ D.K HOLLYWOOD公式HP:http://www.dkhollywood.com/
★ D.K.H STUDIO公式HP:http://www.dkhollywood.com/studio/


(文・写真・インタビュー:あいあいこ)

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