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自然の恐ろしさ

みなさんお久しぶりです
かしわもち妹です。

1月に体調を崩してから、体調は完全回復いたしましたが色々忙しくなってしまい投稿ができませんでした。(ごめんなさい_(._.)_)

毎日投稿をしていたのに急に投稿が止まるということをかれこれ2回繰り返しているので流石に反省しまして、、
毎日投稿をするときは1か月などの期間を定めてからやろうと思います!
最初からそうすればよかったんですよね笑。
欲張りすぎちゃうんです笑(←悪い癖)

そんな私の話は置いといて、本題に移りたいと思います。

今日、3月11日は東日本大震災の日ですね。

大事な日だからこそ、忘れてはならないから、
東日本大震災の時の私の話
また、それ以外にも私は自然災害で被害を受けた経験があるのでそれについて書いていきます。

東日本大震災

2011年3月11日
当時私は、小学校3年生でした。

学校もあと少しで春休みを迎えるころで、私が通っていた学校は短縮授業などで早下校を行っていた期間でした。

そのため、不幸中の幸い、私と私の3つ上の姉も家にいる時間帯でした。

私が住んでいた地域も震度5強を計測し、家の家具や照明、あらゆるものが大きく揺れていたことを覚えています。

今まで経験したことのない大きな揺れでした。
母と父の「机の下に行きな!」という声、
テレビの映像が全て地震の情報に変わり地震速報が鳴り響いていました。

当時8歳だった私にもただ事ではないことは理解できました。

地震は収まっても、テレビでは東北地方の津波の状況や被害者、死者の報告で埋まっていました。

私が住んでいた地域でも計画停電が実施され、
停電生活も経験しました。

いくら時間がたった今でも、この日付を見ると忘れることはありません。
また、決して忘れてはいけないものだと思います。

被災者の方の中には、13年という年月が経った今でも仮住まいで暮らしている方もいます。

被災者としては該当しない私がすべてを把握することは不可能ですし、いくら話を聞いても同じように感じることもできません。

それでも、
今の私にだからできることも必ずあると信じています。

寄付をすることや望む人の話を聞くこと。
小さなことかもしれないけれど、それが私にできることであって誰かの何かにつながると信じると信じています。

2019年台風15号

私が被災者として経験した災害は2019年9月9日に起こった台風15号によるものです。

私の地元は千葉県君津市です。
台風の影響を強く受けていました。

かなり強い風と雨、台風というかみたいでした。
台風は夜にかけて通り過ぎて行ったので朝起きたときには台風一過でした。

母に起こされると、その時にはもう停電していました。

ここで初めて停電の恐ろしさを経験しました。

東日本大震災の時に経験した計画停電はあらかじめ決まっていた日程に停電が行われるということだったので身構える準備もできていて、停電になった時も理由がわかっていました。

しかし、本当の停電は教えてくれなどしません。(当たり前ですが)

朝起きて、電気がつかない。
停電だということはわかっても、なぜ停電になったのか。
いつ回復するのか。

今自分たちはどういう状況下にいるのか。
全てがわからないのです。

携帯電話があるじゃないかと思う方もいますよね。
もちろん、携帯電話はあります。
でも、その時同時に電波障害も起こっていました。
そのため調べることができないのです。

友達と連絡を取ることはギリギリできた気がします(ちょっと記憶があいまいですみません)。

何もわからないってかなり怖いです。
不安です。

唯一の情報源は近所の人たちが集まって行われる井戸端会議

私たちが知らない情報を人は持っているものです。それと同時に相手もその情報は知らないのです。
同じ境遇の人と話せば、不安も少し解消されます。

井戸端会議の重要性に気が付きました笑。

通信障害が治ってきたのか、LINEは使うことができました。
その時に情報収集が得意な友達に連絡をし、今現在自分たちがどのような状況に置かれているのかを教えてもらいました。

そこから、電波の鉄塔が台風の影響で倒れてしまい停電が広範囲に起こっていることがわかりました。
また、いつ頃回復めどなのかの情報も入手できました。

しかし、そこでまだ問題が残っていました。

これから、断水も始まるという情報が入りました。
断水が始まると、水道水が使えないわけですから水を飲むこともお風呂に入ることもできないです。
事態はさらに悪化していきます。

私個人の話になりますが、
当時私は高校2年生でテスト期間でした。

停電しているから電車も止まっていて受けに行くことは不可能でした。

しかし、私の通っていた高校は千葉県全域から通っている人がいて千葉の市内の人も多くいました。

私が住んでいる地域やその他被害を受けている生徒の地域や人数を考えても私たちは少数派になります。

そのため、テストは予定通り実施されることになりました。

私の母はしっかりしている人なので、テストは受けなきゃだめだの一点張り。

電車がテストの2日目以降、少し上に車を走らせた駅からなら再開することがわかり、そこまでいって千葉県の浦安の方にホテルを取り避難することになりました。

しかし、電車に乗るために車で1時間ほど移動する必要がありました。
道路は信じられないほど渋滞していて、たどり着くまでも大変でした。

そして、渋滞の原因の一つ緒もなっていたのがガソリンスタンドです。
この期間はかなりの真夏日だったので、車で生活する人も少なくなかったと思います。

車でどこか非難するにもみんなガソリンが必要でした。

私たちの車もそこまでガソリンに余裕はなく、このまま渋滞のあるドライブをするには、今並んででもガソリンを確保しないとこの先の運転が持たないと思い、私が迷っている両親に「ガソリンを入れるにも時間とガソリンを使うんだから、ガソリンを入れるのが先だ」と提案して採用されました笑。

私の意見が採用されることもあるんだと少しうれしかった記憶があります笑。

そんなガソリン問題も乗り越えて、駅まで渋滞の道を送っていただきホテルに移動してそこから学校に通ってテストを受けました。

ホテルに移動してからは勉強が全く集中できなくて、点数もとても悪くて正直受けない方が成績は良かったのではと内心思っています笑。

また、私だけ避難した形になっていて近所の方や父親、友達はまだ苦しんでいるんだなと思うとなんだか罪悪感が生まれてました。

この経験は結果として私の人生の中でいい経験になったとは思っています。
でも、死者やけが人が私の知り合いの中にいなかったから、被害がそこまで大きなものではなかったから言えるんだと思います。

この経験から、自然の恐ろしさを身をもって体感しました。
また、被害になった人の辛さはその人にしかわからず、自分が経験するまでは理解できないんだなということも学びました。

今まで普通に存在していた日常が、突然自然の力によって奪われる
この恐ろしさは今後一生消えることはないと思います。

台風はまだ、予想することと対策することもできます。
しかし、地震は予想することができません。
そして、津波や原発と言った死と直結する2次災害、3次災害も起こる可能性が高いです。

当事者になったら何がどうなっているのか情報がわかりません。
当事者ではなくても、自然災害の全貌を把握するには時間がかかるため見守ることしかできない。
この苦しさはぬぐい切れません。

自然災害が一番多い国である日本に住む限り、この恐怖とは常に隣り合わせです。

私たちにできることは、いつきてもいいように備えること。
そして、もし災害が起こった時には迅速に冷静に判断し、命を守ること。
これに尽きると思います。

自然の力はいい意味でもとても偉大です。
それと同時にこのように人間にとって脅威ともなります。

自然の力は恐ろしいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました_(._.)_





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