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第4回 「友達のともだちは『友達』」

 私は今年で大学を卒業する。この6年間を振り返ってみると、周りの誰かに助けられる24年間だったと改めて思っている。家族はもちろん、学校・大学の先生や友達、知人が何かのタイミングがある度に手を差し伸べてくれたからここまで生きてきたし、人生を楽しんでいるのだと思う。

 生まれた瞬間は母親のお腹の中にいすぎて、誕生した時には無呼吸で肌も黒ずんでいた。お医者さんがお尻を叩いたことでやっとこの世に生を受けることができたのだと聞かされた。父親の仕事のために転勤族で、幼稚園から中学校まで2つずつ行った。人見知りが強かったが、先生と友達に恵まれて問題なく過ごせ、むしろ新しい友達に出会えることを楽しんでさえいた。しかし2つ目の中学校は1つ目の学校との風土の違い(一方は進学校、もう一方は若干荒れ?気味)に慣れず、学校に行きたくなかった時期もあったが、「帰ってきたらジグソーパズル進めようね」という母親の言葉に背中を押され毎日通えるようになった。高校のときに、父が仕事を辞めて両親でフランチャイズのコンビニ経営を始めた。なかなかうまくいかず、家計も苦しく家にほとんど帰ってこない日々が続いた。そのため私が家の手伝いをするようになり、部活に行きづらくなり、「部活最優先」とされていた部には所属できなくなった。ストレスで食に走り、過食になったが、親と先生たちの気遣いで元の食生活に戻ることができた。大学受験期は、理数科の中で文転するというハードな選択をした私を、文系の先生方が休み時間や放課後に補講したり教材をくれたりすることでサポートしてくれた。両親の知り合いが家庭教師をしたり差し入れをくれたり、塾講をするお客さんが塾を無料で開放してくれたり、いろんな人が応援してくれたおかげで希望していた今の大学に合格することができた。

 ここまでもたくさんの人にお世話になったが、大学ではそれまで以上だった。アルバイト先では、仕送り無しの生活をしながら留学に行くための資金も貯めようとする私の為に、扶養を超えた分を別の形で支給してくれた。複数のところで働いたが、どこも、資格が必要にも関わらず勉強の為にと福祉の現場に入って働かせてくれたり、ご飯に連れて行ってくれたり、食材や料理をお裾分けしてくれたりして応援してくれた。外国に長期滞在した際も、現地の人やそこに住む日本人が家に泊めさせてくれたり、ご飯を作ってくれたり、車で送ってくれたりした。卒業論文を書くために調査をした際も、インタビューをすべき人を紹介してくれたり、アンケートを代わりにやってくれたり時間を惜しんで手伝ってくれた。大学生活の中で出会った人々も、食事に誘って、応援したり指導したりしてくれる。友人は、もちろん楽しみを共有してくれもするが、面白いコトすごいコトをやって私に刺激をくれ、学び合いもする。

 私は特に何かに秀でているわけでもないし、経済的に恵まれているわけでもない。いわゆる「普通の人」だが、人に恵まれているなと心から思う。これから社会に出てからは得た恩を返していきたいと思っている。と同時に、周囲にいるすべての人々を友人として家族として、仲間として、日々当たり前に手を差し伸べる人生を歩んでいきたい。人は「得たら返したくなる」習性があると信じている。この輪を生み、広げがっていくような影響を自然に与えられる人になりたい。


2023年度(23歳)第4回 SDGs「誰一人取り残さない」小論文コンテスト
結果
:優秀賞

【募集内容】
SDGsの基本精神「誰一人取り残さない」について、思うことや心がけることなどについて、500文字から2,000文字程度での日本語での小論文を募集。
【実施団体】
野毛坂グローカル
途上国・日本の地域の学びあいによる共生コミュニティづくりを目指すNGO

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