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繋がり

最近の休日はポケットにデジカメを入れて家を出る。前まではiPhoneのノーマルカメラで問題なかったのに、今では手放せなくなった。
友達との思い出や美味しかった食事、綺麗だと思った景色がカメラフォルダに収まっていて、iPhoneのカメラには写らない色味が私を落ち着かせる。

使っているデジカメは、亡くなった祖父のカメラだった。祖父の家は早朝から車を父が走らせて、昼過ぎに着くほどの距離(小さい頃はフェリーにも乗った記憶がある)で、多くて年に3回ほどしか会っていなかった。春休み、夏休み、年末年始の3回に会う祖父は怖いイメージが拭えなかった。記憶の中の祖父はお酒とタバコ、相撲と巨人が好きだった。祖母にあれをしてくれ、これをもってこいと言いお薬を毎日たくさん飲んでいた。笑っていた記憶もあるけど、あまり覚えていないのが今となっては惜しい。

15歳の私には人との永遠の別れに鈍かったんだと思う。きっと祖母から母にもう長くないと連絡があって最後に会った時も、入院していて話すこともできない祖父よりも近くの公園に行ったことを覚えている。祖父の最期に立ち会うことなく、次に顔を見れたのは葬式だった。亡くなったと連絡があった朝も私は何故かその週末にある部活の大会に出られないと先生に直接報告しにいっていたし、長い名前をつけてもらった祖父に会いに来た人たちのほとんどは知らないおばあさんとおじいさんだった。

祖父の話で1つだけ覚えていることがある。といっても亡くなったあとに祖母から聞いた話だが。それは、小学生の頃から英語が好きで積極的に英語を勉強したり、リトルチャロの本を読んだりしていた私のことを祖父は嬉しく思っていて、さらには応援してくれていたこと。自分がやりたくてもできなかったこと(おそらく海外に行ったり、英語を使ったりすること)を私が楽しそうにやっていて、もっと頑張ってほしいと思ってくれていたこと。直接私には話さなかったけれど、私には祖父からの言葉として十分だったし高校で留学までいくほど(もちろん今でも)英語はずっと好きだ。

ちなみに祖父のカメラとはいえ、私の手にやってきたときにはデータなど何ひとつ残っていなかった。もしくは、何も撮っていなかったのかもしれない。おそらく祖母にお願いして手にしていたカメラ。そこまで仲のいい祖父と孫ではなかったが、祖父のことを覚えていられるカメラとして大事に使っていくつもりだ。実家に置いてあった祖父お気に入りの麻雀牌を父が出してきた時も、やはり嬉しくなった。何年経っても、これからも祖父との些細な繋がりが見えるとにやけてしまう。

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