見出し画像

手塚(サムライ)ゾーンはどうして無我の境地でコピー出来ないのに、樺地と仁王がコピー出来てしまうのか?

今回は手塚(サムライ)ゾーンについて考察していきますが、「新テニスの王子様」まで含めても手塚(サムライ)ゾーンは代表技の1つとして描かれています。
事前にボールに回転をかけて相手がどんな返球をしても自分の元に帰ってくるように引き寄せるものですが、実は最初にこれが登場したのは原作序盤の南次郎と井上記者の打ち合いでした。
越前家は裏庭にコートがありそこで打ち合いをしていたのですが、この時はまだ技名すら出ていなくて南次郎が持つ実力の片鱗として描かれています。
それがはっきりと「技」として確立されたのは関東大会前の校内ランキング戦、手塚と乾の試合の時に初めて「手塚ゾーン」という形で出て来た時です。

劇中での使用者は現在確認できるところ越前南次郎・越前リョーマ・手塚国光・樺地崇弘・仁王雅治の5人であり、現在は手塚専用の技としてその逆の「手塚ファントム」と共に用いられています。
そんな手塚(サムライ)ゾーンですが、全国大会の越前VS跡部戦で手塚と真田から無我の境地でコピーできるものではなく膨大な経験値が必要ということが示唆されていました。
しかしここで私も含む読者は「無我の境地でコピー出来ないのに、何故樺地と仁王がコピー出来てしまうのか?」と疑問に思い、今回はこれについて技の原理と共に考察していきます。
許斐先生は割とこの辺りは感覚でお描きになっていますが、でも「無我の境地でコピー出来ない」ことと「樺地・仁王がコピーできる」ことは矛盾しないのではないかと思い始めました。

まず手塚と南次郎が使うこの「サムライゾーン」ですが、技の理屈は上に書いたように事前に球の回転を操作して相手の打球を自分の手元に手繰り寄せるものです。
後半になればなるほど「ゾーン」の「引き寄せる」が強くなって何故だか真田の風林火山の「風」「林」を引き寄せ、海堂がわざとアウトのつもりで狙った打球まで引き寄せました。
ここまで行くともはや技を通り越して魔法やチートの領域だと思うのですが、しかしよくよく考えてみるとゾーン自体はコツさえ掴めば意外と難しくないのかもしれません。
要するに球の回転さえ事前に操ってしまえばいいわけですから、打とうと思えばそれこそ球の回転を操る天才・不二周助でも打つことは可能でしょう。

個人的な見解だと、手塚ゾーンに必要なものとして「制球力」「手首のしなやかさ」「肘の強度」「対戦相手との膨大な経験値」が挙げられます。
このうち「対戦相手との膨大な経験値」以外はある程度個人の努力とテニスセンスがあればどうにかなるものですが、手塚と南次郎はまずここがしっかり出来ているのでしょう。
南次郎は目を瞑ってても相手の打球の位置や威力などが分かってしまうほどですし、手塚は跡部の破滅への輪舞曲を器用にかわして一瞬でラケットの面に当てていました。
アニメだと詳しくメカニズムが描かれていますが、手塚は単にラケットの面に当てただけではなく真ん中の「スイートスポット」と呼ばれるところに当てているようです。

新テニになると越前が光る打球を打つために真ん中の更にど真ん中の「スーパースイートスポット」を教わっていましたが、手塚ゾーンのコツもおそらくここでしょう。
相手がどんな球を打ってこようと一瞬でスイートスポットに当てて自分側に戻ってくるのに必要な球の回転量をかける制球力があれば打つことはできます。
しかしそれはあくまで理論上のことであって、実戦になると当然体力が落ちれば判断力も鈍るので、制球力がついつい甘くなってしまうものです。
手塚はその極限の状態でもなお変わらない制球力を持ち続けて手塚ゾーンを使い続けることができるからこそ天才なのではないでしょうか。

そして、何故不二がこの技を使わずに手塚と南次郎だけの技になっているのかというと、おそらく「どんな相手でも変わることのない球の回転」をかけるのが難しいからです。
実際にテニスを少しでも経験してみるとわかることですが、相手が打つ球の回転・威力・軌道は全て違っているわけであり、それを全て操って自分の元に手繰り寄せないといけません。
これははっきり言って至難の業で不二にはできないのも納得でしょう、何故なら不二のカウンターは相手合わせで強さが変化するからで自分で調節できない部分があるからです。
また不二は手塚や越前親子と違って格上の相手と戦って勝つという経験が不足しているため、そこの差も大きく影響しているのではないでしょうか。

そんな手塚(サムライ)ゾーンが何故無我の境地でコピーできないのかというと、無我の境地は文字通り「我を無くす」ことによって対戦相手の技を真似るもので、そこには「自我」がないから。
一方で手塚(サムライ)ゾーンは自我で球の回転をコントロールする必要があるから、相手との経験値や記憶だけで真似できるようなものではないということでしょう。
そして樺地や仁王がこれをコピーできてしまうのは手塚ゾーンを「我を無くす」のではなく「我が物」として内側にそっくりそのまま取り込むことで再現しているのです。
新テニで跡部と仁王が組んだ時に仁王のコピーテニスの原理が明らかにされましたが、仁王のコピーテニスはあくまでも「技術」によって錬成する、すなわち「錬金術」のやり方でコピーしています。

一方で樺地のコピーは邪念が一切ない赤ん坊のような純真無垢な感性でコピーしているわけであって、その意味では樺地も実は天衣無縫に近い純真さを持っていると言えるでしょう。
しかし皮肉なのは樺地も仁王も所詮付け焼き刃の「コピーテニス=モノマネ」の領域を出ておらず、訓練によって己の技として昇華するという経験を成していないことです。
だから樺地は雨によって水を含んだ状態のボールに滑りが悪いコートではゾーンが不完全なものとなってしまい、仁王もまた才気煥発は真似できても零式サーブまでは真似できていないのです。
これは越前が乱発していた無我の境地も同じことであり、無我の境地も所詮は付け焼き刃で身体能力を一時的にブーストかけて相手の戦法を真似しているだけなので手塚ゾーンとの相性は最悪でした。

不二が言うように「経験が勝敗を分けた」のであり、それを不二自身もわかっていたからこそ仁王が手塚のイリュージョンをしてきても惑わされずに対応できたわけです。
そしてまた越前南次郎の息子であるリョーマも不完全でありながらこのサムライゾーンを使えるのに何故使わないのかというと、越前のプレイスタイルとの相性が悪いからでしょう。
越前リョーマも確かに球の回転を操る天才ですが、手塚や不二と違うのは「守り」のテニスではなく「攻め」のテニスであるということで、守りが弱い分攻めが圧倒的に強いのです。
これは幸村も「ゾーンができてこその技」と評しているように、サムライゾーンと百錬自得の極みは攻防一体の完成した技であり越前の戦い方にはまるで合っていません

越前がゾーンを跡部戦で使ったのはそれ以外で氷の世界を打ち破る戦法がなかったからであり、もしあの時百錬自得の極みを会得していたら幸村戦のようにオーラを移動させて氷の世界を攻略していたでしょう。
そしてこうしてみると手塚のテニスが「完成している」と評されているのもわかるというか、手塚の場合は百錬自得の極み=攻めと手塚ゾーン=守りが一体となった隙と無駄のないテニスです。
不二はカウンター=守りのテニスであり、そして越前がドライブ系(A・B・C・サムライ・光る打球)=攻めという風に振り分けられていたのではないでしょうか。
樺地と仁王はその点自身のテニススタイルとして攻めも守りもなく相手の戦い方を真似る戦い方だから攻めにも守りにもなり得るから真似できると納得できます。

そう考えると樺地と仁王のコピーテニスでは相手を撹乱することはできても、それを自身のスタイルとして勝つことは極めて難しいなと。
不二が仁王に「君は手塚の足元にも及ばない」と言ったのも、単なる手塚への憧れと尊敬ではなくコピーテニスの本質とその無意味さを理解していたからでしょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?