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『超力戦隊オーレンジャー』(1995)パイロット〜「時代遅れのオンボロ遊園地」の真意〜

もともと書く予定はなかったのだが、『超力戦隊オーレンジャー』(1995)なる『ジャッカー電撃隊』(1977)と並ぶ歴代屈指の失敗作に関しては改めてパイロットだけでも見直しておこうと思った。
以前の評価でも「第一話で視聴を損切りした」と書いたのだが、そこから見る目が変わったとか再度見直しての新発見があったとかいうことは間違ってもないので、そこは誤解しないでいただきたい。
私が今回の記事を書くに至った経緯は「第一話の何がそんなにダメだったのか?」という具体化と「時代遅れのオンボロ遊園地」というのをもう少し細かく掘り下げて書こうという、極めてよろしくない旨の記事である。
したがって、「オーレンジャーこそが歴代最高傑作だ!」「星野吾郎隊長に抱かれたい!」「三浦参謀長の元でなら喜んで働きます!」というファン・信者の方々はこの段階でそっとブラウザを閉じるのが吉である。

さて、昨日本当に8年ぶりくらいに1・2話を再視聴したのだが、一言で感想を述べるなら「よくもまあここまで中身のない作品が作れたものだ」というのが正直な感想で、作り手は何を思ってこんな作りにしたのか?

まずさしたる物語的要素を挟まないシンプルな作りなのは悪くないが、全体的な映像のテンポが歴代で見ても異様な程遅すぎて欠伸が出てしまう、こんな薄い内容なら余裕で1話に圧縮できるだろう。
あらすじを一行にまとめると1話が「敵に襲われた4人のオーレンジャー生候補者を星野吾郎=オーレッドが助けた」、2話が「4人が超力を浴びて強化されたので5人揃ってバラノイアに立ち向かった」というものだ。
つまり1話は後半まで延々とバラノイアの襲撃で引っ張りオーレッドの無双のみを見せ、2話で5人揃って敵を撃退したというだけのもので、なぜレッドの単独無双と5人勢揃いの活躍を切り離したのか意味不明である。
もちろんバラノイアという敵組織の怖さ・脅威を見せつけるためにバーロ兵の「機械兵士ならではの怖さ」を見せつけてくるのはそれ自体演出としてはありだが、あんなに長々と引っ張らなくていい。

4人の関係性にしても、仲が良いのか悪いのかパイロットを見た段階では全くわからない、「国際空軍」という組織としての大枠があるから「仕事仲間」なのだろうが、それなら女2人の喧嘩っぽいやり取りはいらない。
特に「ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ煩いわね!」という樹里のところは役者がきつめの顔立ちとイラついた台詞回しなのもあって、とても国際空軍所属とは思えないほどに品がないヒステリー女のようだ。
それから明らかに怖がりな感じを出していた桃に関しても変身前は頼りなさげな感じを出していたのに変身後は急に頼れるお姉さんみたいな戦い方をするなど、人物造形に一貫性がない。
男性陣3人のうちオーレッド=星野吾郎はまあ良いとしても、残りの2人(特に四日市中尉)がビジュアルも演技もイマイチな上にセリフも少ないせいで存在感が希薄である。

次に演出面を見ていくとこれもまた古臭く、全体的に「サンバルカン」「チェンジマン」の焼き直しの域を抜け出ておらず、『鳥人戦隊ジェットマン』(1991)の変革を受けた後でストレートな80年代をやられても厳しい。
ここでの問題は国家戦争という文脈・世界観・物語が当時すでに使えなくなっただけではなく、アクション・武装・カット割なども全部が80年代の古臭いやり方から悪い意味で変わってないことが一番の問題なのだ。
まず戦隊といえば馬鹿の一つ覚えみたいに剣と銃をホルスターに入れておき、さらに個人武器を顔から出させるという「ゴレンジャー」に先祖返りした演出やアクションが既に古臭い。
せっかく「超力」という特殊な力を得たのだからもっとそれを前面に押し出したアクションにすれば良いのに、それを全く活かそうという気がないのはどういうことなのか?

それから、5人の武器を合体させたバズーカ砲というのも「チェンジマン」のパワーバズーカから何ら変わっておらず芸がないし、一々言葉で謎の超パワーの説明をくどくどやるのも勘弁してほしい
「ダイレンジャー」の気力や「カクレンジャー」の忍者パワーなどについては説明をしなかったのに、なぜわざわざ本作でそれをやろうと思ったのかも意味不明だ。
強いていえば2話の前半でパンゲア大陸云々から超力について説明するシーンは「チェンジマン」1話で伊吹長官がアースフォースについて説明するくだりのオマージュとも取れる。
しかしアースフォースの説明は今見るとわかるが、だいぶ謎だらけのブラックボックスであり、洗練された現在の話法から見ると説明としてだいぶ怪しい。

「「「「「伊吹軍曹?!」」」」」
「それは仮の姿、本当は地球守備隊電撃戦隊長官である。君たちは電撃戦隊チェンジマンとなったのだ」
「「「「「チェンジマン?!」」」」」
「大星団ゴズマの侵略から、地球を守るのだ」
「「「「「大星団ゴズマ?!」」」」」
「星王バズーの名の下に、宇宙を支配しようとしている恐ろしい宇宙人組織だ。私は宇宙からの襲来がいつか必ず来ると考え、地球守備隊の中に電撃戦隊を作ったのだ。君たちをチェンジマンにしたあの不思議な力を「アースフォース」という
「「「「「アースフォース?!」」」」」
地球が危機にさらされた時、地球自身が発するといわれている、不思議な力だ。私はその力の存在を信じ、この時を待っていたのだ!
「じゃあ、あの地獄の訓練は」
「今まさに宇宙人との戦いが始まろうとしている時、真にチェンジマンになれる戦士を選ぶ為のものだったのだ」

今こうして見るとアースフォースの定義は「星の危機に反応して地球自身が戦士として相応しいものに与える神秘の力」くらいにしかわからず、そんなあやふやなものを信じて未曾有の脅威に立ち向かえというのである。
だが、決して完璧とはいえないこの力の源で戦う世界観・物語が大人気を博して「昭和戦隊最高傑作」と称されているのは、その分内容を圧縮してテンポよく進んでいったからである
本作はそれから10年後に作られているにもかかわらず、話法や演出が進歩するどころか逆に劣化しているし、90年代に入ったのならその超パワーをもっとわかりやすい「能力」として具現化すべきであろう。
この点において「ジェットマン」のバードニックウェーブや後発の「ギンガマン」のアースが優れていたのは超パワーを視覚的に納得できるように描写されているということだ。

例えばバードニックウェーブは変身前の竜たちの身体能力を劇的に向上させて生身でも凄まじい力を発揮し、更に変身後の能力としても翼を広げて飛ぶことができ、空中戦が可能となっている。
またアースに関しても同様にギンガの森の民たちは変身前からまるでかめはめ波のように手からアースを繰り出して攻撃し、変身後も技として使えたり、彼らの持つ星獣剣にまとわせて必殺攻撃にもできるのだ。
私が90年代戦隊の中でも特筆してこの二作を傑作扱いしているのは何と言ってもまずこの「オーバーテクノロジーの具体化(視覚化)」が根底にある。
便利能力というのはその強大さと神秘性故にこそ劇中でしっかり前提条件を成立させる必要があるわけだが、本作の超力に関しては「パンゲア大陸にあった謎の超パワー」以上には描かれず、しかも後の回で定義が変わってしまう。

前作「カクレンジャー」の時点で既に青息吐息でガス欠を起こしている杉村升にその過激な演出手法がもはや陳腐化してしまった東條昭平の監督、この2人の悪いところだけが完全に浮き彫りになったパイロットだった。
「ゴレンジャー20周年」という触れ込みのもとで思い切った原点回帰という名の実質はただの「先祖返り」をなんの捻りもなくやったせいで、本作が単なる劣化コピーにしか見えないことである。
当時の子供向けに作っているようでいて、内実は80年代の軍人戦隊を熱心に見ていた古参ファンに向けての単なる出来の悪い同窓会フィルムにしかなっておらず、何の衝撃も斬新さもない。
シリアスからギャグへ路線変更したとか、当時の社会情勢がどうとかいう対外的事情は全く関係なく、そもそもの作り自体が悪い意味での懐古丸出しなのがパイロットの段階から伝わってくる。

まあそれでも強いて褒めるべきところがあるとすれば、アクションの時のSE(効果音)や挿入歌として用いられている「虹色クリスタルスカイ」はそこそこ良かったと思うが、それくらいしかない。
そんな当時のスーパー戦隊シリーズの「闇」がもろに出まくった同窓会フィルムがこの「オーレンジャー」であり、何度見ても画面に宿ったこの気色悪さだけは薄れることがないであろう。

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