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『新テニスの王子様』2024年3月号感想〜決勝スペイン戦のテーマは「己のテニス」に真摯に向き合うこと、つまり「毒親からの解放」ではないか〜

とうとう公式のサブタイトルに「七人の手塚」ならぬ「七人のリョーマ」が出てきてしまった今月号の『新テニスの王子様』ですが、クロスドレッサーのマルスの件も含めてこの決勝スペイン戦のテーマが何となく見えてきました。

それは「己のテニス」にどれだけ真摯に向き合えるか?=「毒親からの解放」であり、以前からちょくちょく触れていましたがやっぱり「可能性」の戦いなんですよね。

そこが準決勝ドイツ戦とは違うところと言いますか、入江が何故この7人を「日本代表のベストメンバー」と言い切ったのかがわかる気がしました。
ドイツ戦は言うなれば「自分のテニスが既に完成している人たち」の戦いなんですよ、平等院も幸村も鬼も、ボルクも手塚もQPも、そしてダブルス組も全員自分のテニスが確立している人たちです。
世界1位でトップの国で、しかも事前にエキシビションでドイツチームの強さの格をしっかり立てていたからこそ、事実上の決勝戦として描いてきたことの意味合いもわかります。
特にS1の平等院VSボルクとS2の幸村VS手塚はそれぞれ「高校生最強」と「中学生最強」の頂上決戦であり、確かにここで「新テニ」自体も一つの頂へ登りつめたといえるでしょう。

しかし、並みのスポーツ漫画だったら決勝戦に持ってきそうな展開を敢えて準決勝に持ってきて、逆に決勝戦では見た目そんなに強そうではないドイツの格下であろうスペインを持ってきた意味が見えました。
マルスしかり越前兄弟然り、この決勝戦のテーマは「己のテニス」にどれだけ真摯に向き合えるか?=「毒親からの解放」であると思うのですよね、南次郎然りマルス父然り。
しかもS3もそうだしD2もそうなんですが過去の回想に「母親」が出てきて「母性=女性性」が顔を出して始めているのも何だか意味深です。
ドイツ戦ってメンバー的にもそうですけどゴリゴリマッチョな男たちというか、「父性=男性性」の戦いだったんですよね、純粋に腕っ節が強い方が勝つ戦い。

一方のスペイン戦はメンバーが幼い少年だったり中性的な容姿・価値観のメンバーが多く、それにも関わらず越前南次郎という「男性性」の塊みたいなテニスの天才の英才教育を受けて育っているのも意図的な仕掛けでしょう。
今回の話で立海ビッグ3は勿論のこと解説役の不二やリョーマまでもが焦燥感を出しており、更に狙撃で「父性=男性性」の象徴である大曲先輩が狙撃で倒される流れも起こるべくして起こっているのです。
そしてそれを通して描こうとしているのは「父親殺し=毒親からの解放」であり、「母性=女性性」も出した上でなお「己のテニス」と真摯に向き合った者が勝つということなのでしょう。
奇しくも現在ミュージカルの方では関東決勝の立海戦をやっているのもあり、このスペイン戦はどちらかといえば全国立海ではなく関東立海の方のセルフオマージュともいえる展開に許斐先生はしたいのかなと。

思えば跡部様とロミオの戦いって旧作でいうとちょうど関東決勝戦S3の乾貞治VS柳蓮二のオマージュであり、跡部様もロミオも心理学や洞察に優れ、しかもそれを「具現化(マテリアルサール)」する能力に長けています。
跡部次元にしても具現化にしても「HUNTER×HUNTER」でいう「具現化系」を本当にそのままオマージュした感じで、跡部様の場合は視覚で見えたものを、ロミオは潜在意識を探って見えたものを具現化できるのです。
これは正に乾と柳がやったデータテニス対決の心理学バージョンとも言えますが、とんでもなく精神を磨耗する上にそもそもその具現化した通りに体を動かせないといけないために体力を物凄く使います。
で、リョーマが跡部様に「勝つんでしょ?今日も」も何となく「あーん?俺たち氷帝に勝ったんだろ青学?易々と負けんじゃねえぞ」のオマージュなのかもしれません、跡部様も乾と同じく過去を凌駕することでロミオに勝ちました。

それを踏まえて今月号の展開を見ると、やはり関東決勝D1やD2のオマージュになっていて、マルスの狙撃って柳生が使っていたレーザービームの究極版という感じで、それに大曲先輩がやられる流れもまんまレーザービームにやられる菊丸と似ています。
そして金太郎ですが、今までずっと野生の勘と凄まじい潜在能力に天衣無縫という貯金で何とかなってはきたものの、それでもやはり「己のテニス」とは何か?と真剣に向き合うことはまだ出来ていません
思えば白石が金太郎に「まだ越前くんには勝てんやろ」と呟いたのも真田が「潜在能力だけなら金太郎は越前より上」と言ったのも、そして幸村が「このままでは決勝で負ける」と指摘したのも全部一本の筋となって話が成立します。
己のテニスと真摯に向き合えていない金太郎がそこと向き合って乗り越えないと勝てないし、その金太郎自身がリョーマとは違うおスギ婆さん=女性性の教えで育っているのもそういう意味があるのかなと思うのです。

でもなんかそうなるとセダくんって可哀想というか、彼にはゼウスと南次郎という「父性=男性性」はあってもマルスの母親や倫子さん、おスギ婆さん、竜崎先生みたいな「母性=女性性」が欠落しています。
そしてそう考えるとやはり許斐先生がここまで「リョーマが負けるかも?」という絶望・敗北フラグのようなものを立ててリョーマの存在意義を揺らしにかかっているのも、またそこに不二先輩が関わっているのも必然でしょう。
そう、この決勝戦で最も「己のテニス」と向き合い「毒親からの解放」を果たさなければならないのは他ならぬS2の越前リョーマであり、しかも彼の場合潜在意識のレベルまで南次郎の英才教育が身についてしまっています。
顕在意識のレベルならまだしも潜在意識のレベルで幼少期から培ってきたものからの解放ってそう簡単にできることではなく、許斐先生はこの辺り本当に容赦ないというかリョーマに対してもドSだなと。

ただ、だからこそリョーマは手塚だけはなくもう一人の天才である不二周助と決勝前の決定戦で戦わなければいけなかったし、許斐先生のいう「秘密の贈り物」というキーワードもこの辺りにヒントがありそうです。
リョーマが不二という手塚とも真田とも幸村とも違うもう一人の天才と戦わなければいけなかった理由は不二周助こそが「新テニ」である意味最も「己のテニス」と向き合って心の呪縛から解放された人だからではないでしょうか。
そしてそれはリョーマに欠けていたものであり、リョーマは一見天衣無縫だ光る打球だといろんな技を会得していましたが、その大前提には「南次郎の英才教育」があってのことで、本当の意味での「越前リョーマのテニス」とは言い難いものです。
もちろんその教えが決して無駄だとは言いませんが、リョーマが真の意味で父親である南次郎を超えるには天衣無縫からの更なる解放を目指し、その上で「越前リョーマのテニス」を再構築しなければなりません

だから先生は決して雨の日の再戦ということだけではなく、不二周助という「己のテニス」と向き合い心の呪縛から解放された真の天才と戦って「英才教育補正」の身包みをボロボロに剥がされる必要がありました
不二にとってはリョーマと戦うことが南次郎の英才教育の本質を見抜き更なる高みを目指すために必要なプロセスだったとすれば、リョーマにとって不二と戦うことは「己のテニス」と真に向き合い「南次郎からの解放」を目指すのに必要なのだなと。
許斐先生が旧作から一貫して「不二は特別」と言ってましたし、不二のテニスは決して天衣無縫でも阿修羅の神道でもない、どこの宗派にも全く属さない彼独自で築き上げてきたものだからでしょう。
とにかく先生の本命はS2でリョーマがリョーガという上位互換の能力剥奪で一度全てを奪われて身包みを剥がされた上でどう覚醒するのか?に向けて組まれているものだといえます。

………そう考えると、やはり関東立海がそうであるようにこのスペイン戦はダブルスではなくシングルスで勝つ流れになるのかなあ。
だって南次郎の英才教育ってダブルスではなくシングルス方式で組まれたものだし、このD2ってダブルスと言いながら各々がシングルスの戦い方をしていますから。
そこも旧作のオマージュとして組み込まれているのであれば、S2で全てを奪われるであろうリョーマに覚醒のヒントを与えるキーパーソンは不二先輩・桜乃ちゃん・倫子さん辺りになりそうな予感です。

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