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私がパワーレンジャーをスーパー戦隊シリーズの公式として認められない理由(海外版の同人作品としてだったら見れる)

改めて思ったけど、アメリカってハリウッドもそうだしディズニーもピクサーもそうなんだけど、0→1を作り上げるのは天才的に上手いけど、1→10が致命的なまでに下手くそだよね
今回は以前に物凄い反響をいただいた『トイ・ストーリー』(1995)とは真逆に、徹底的に日本側を擁護しアメ公を貶す趣旨の記事となるので、パワーレンジャーが大好きな方は気をつけてご覧ください。
私は基本的にスーパー戦隊シリーズは『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975)〜『未来戦隊タイムレンジャー』(2000)までの24作品しか認めておらず、後の派生作品は国内外を問わず全部「スピンオフ」として見ている。
そのスタンスで述べているので、今回の記事がどうしても肌に合わないという方は今の内にそっとブラウザを閉じていただきたい、あれこそまさに「スーパー戦隊の皮を被った別の何か」でしかないから。

⑴セットは凝っているが、役者・演出・脚本のセンスが全くない

例として、今YouTubeで無料配信されている「POWER RANGERS MYSTIC FORCE」の1話を批評するが、セットや衣装はそれなりに凝っているものの、演出・脚本・役者のセンスが全くない
まずファンタジーな世界観のはずなのに正規戦士のメンバーたちがいかにもそこら辺にいそうなごく普通の若者で、まあそれ自体は構わないのだがビジュアルも存在感も全然マッチしていないのだ
オーディションの段階でどうにかならなかったのかと思ったのだが、この辺りやはり「ハリー・ポッター」はきちんと原作のテイストを壊さないようにオーディション選考にしっかりを金をかけたのがうかがえる。
それに本家「マジレンジャー」も最初は少し表情や演技が固くて心配したが、ビジュアル面も含めてファンタジックな世界観に居そうな人たちという雰囲気は全く壊していなかった。

次に脚本と演出だが、本家との比較を抜きにしてもあまりにも話の進み具合が遅すぎて、5人が変身せずにただ悪の組織に襲われているだけで話が終わってしまうというテンポの遅さである。
しかも、一番の見所であるはずの変身シーンと変身後のアクションは全くなく、最後にマジマザー(白い戦士)とウルザード(紫の戦士)が出てきてちょこっと攻撃しただけ。
これだとセックスに例えるなら前戯だけ無駄に時間のほとんどが過ぎてしまい、本番をすることなくFのみで終わってしまうぐらいあり得ない構成であり、一体作り手は何を考えてこんな構成にしたのか?
台詞回しもおかしくて、「これはおとぎ話じゃない、現実よ」というのは元の英語版のセリフに問題があったのか吹き替えの翻訳に問題があったのかは知らないが、幻想的な雰囲気が台無しである。

この辺り「ジュウレンジャー」「ギンガマン」「マジレンジャー」は世界観を壊さないための工夫がきちんと凝らされていて、戦士になる人間にこのような無粋なツッコミや掛け合いをさせていなかった。
強いていえば「カーレンジャー」「メガレンジャー」の1話ではそういう野暮ったいツッコミをさせていたが、それはあくまでファンタジーではないSFのような世界観と「等身大の若者」を重視した作りだからである。
しかし「ジュウレンジャー」「ギンガマン」「マジレンジャー」はあくまでもファンタジー戦隊、そのような無粋なツッコミを外側の人間ならともかく戦士に選ばれるものたちにさせてはならないだろう。
とにかく画面の運動としても話としてもぶつ切りであまりにもテンポが悪くて退屈なのだが、これが最初の作品ならともかく「マジレンジャー」の頃にはいくら「パワーレンジャー」でもそれなりに歴史の蓄積はある。

それで日本で使われている映像バンクを用いずに作りたいのはわかるが、集団ヒーローのノウハウをきちんと体得していないで作るとどうなるかがモロに出たパイロットではなかろうか。

⑵とにかく設定を改変しまくって原作のエッセンスがほとんど残っていない

1996年の劇場版がありがたいことに無料配信されているので是非見て欲しいのだが、もはや設定を改変しすぎて原作のエッセンスがほとんど残っていないというこの荒技が凄まじい。
まず6人のスーツがジュウレンジャーとキバレンジャーの時点で謎なのだが、そこから更に物凄いハリボテ感丸出しのクソダサいCGで作られるメガゾードなんかは完全に元の隠大将軍とは似ても似つかぬ完全な別物だ。
そもそも歴代屈指の合体バンクに拳技という当時の格ゲーブームも取り入れたあのセンスを悉く台無しにしている時点で凄いのだが、なぜか必殺武器が拳ではなく剣なのである
その火炎将軍剣も原作の鯱鉾の鍔に本物の炎を纏わせたあの演出が渋くてカッコ良かったにも関わらず、それを完全になきものにしてしまうというこの発想の転換には開いた口が塞がらない。

しかも敵組織が何やら大昔に世界を支配しようとしたという大仰な伝説が語られたのだが、復活して何をやったかと思えばただ街中を襲って人々を洗脳して奴隷にしようとしただけである。
いや、テレビシリーズでもこんなしょぼいレベルの悪事を働く奴は見たことがない、本家「ジュウレンジャー」「カクレンジャー」の奴らだって小規模ながらもやっていることはえげつなかったのに。
等身大戦もほとんどなく、敵メカにはあっけなくやられそうになっており、全然メカがメカらしく活躍せず単なる殴られれば簡単に凹んでしまう工業製品の塊でしかないのである。
どうやって解決するのかと思えば、案の定宇宙に敵を誘い出して隕石にぶつけてやっつけてしまうという完全な他力本願であり、自分たちで何とかしてやろうという気概すら感じられない。

合理的といえば合理的だし作品内の整合性自体は取れてはいるのだが、あまりにも原作と完全にかけ離れすぎていて「戦隊」である必要もロボットを使う必要も全くないのである。
流石は自由の国アメリカ、金儲けのために「ドラゴンボール」を実写版で丸ごと改悪して原作者・鳥山明を怒らせただけあって、その悪しき資本主義のもたらす歪みはこの映画でも遺憾無く発揮されていた。
まあそもそも向こうは「マジンガーINFINITY」しかり「聖闘士星矢」しかり「ゴジラ」しかり日本の素晴らしき文化遺産である特撮・漫画・アニメを完全な別物にしてジャンクフィルムに貶める能力だけは天才的である
これが悪い意味での「国力の格差」を感じさせる素晴らしい出来栄えなのだが、もはやこうなってくると金儲けのためにスーパー戦隊を安売りしているとしか言いようがない。

⑶派手にゴテゴテと飾り付けすぎた強化形態

こちらの動画で詳しく解説されているが、パワーレンジャーは強化形態も大味すぎてセンスが全くなく、とにかくゴテゴテとド派手に飾り付ければそれでいいと思っているらしい。
この中で「ギンガマン」のあのクソみたいなアーマーについては以前こっぴどく批判したが、ほかにも「メガレンジャー」「ゴーゴーファイブ」「タイムレンジャー」と本当にゴミみたいな変身形態を出す。

強化メガレッド
強化ギンガレッド
強化ゴーレッド
強化タイムレッド

わかりやすくこちらに強化形態の画像だけをスクショで抽出してみるが、見るも無残な出来栄えであり、原典に思い入れがある人は激怒すること間違いなしである。
向こうはとにかくデカい=強いというアメフトのマッチョ思考で作られているせいか、とにかく派手にゴテゴテとした鎧を着込めばカッコ良くなると勘違いしているらしい。

強化シンケンレッド

「シンケンジャー」に至ってはもはや侍を通り越してただの鎧武者にしかなっておらず、それは江戸時代ではなく戦国時代ではないかと設定がごちゃごちゃである。
なんでこんなことになってしまったのかはさっぱりわからないが、とにかくパワーレンジャーの制作陣の中には派手に着飾れば最強だという思い込みがあるようだ。
そのように考えると、日本のスーパー戦隊の強化形態は全部が全部ではないが動きやすさを考え、デザインも見栄えが悪くないよう洗練されたデザインが使われているのだなと納得する。
というか、とにかく後になればなるほどゴテゴテし過ぎていくという海外の例で、何かあったような……と思ったらこれがあった。

超サイヤ人10

そう、海外の同人誌『ドラゴンボールAF』であり、画像は超サイヤ人10なのだが、とにかくひたすらゴテゴテとした新形態を大盤振る舞いのように出すのである。
日本ではそれこそ『スーパードラゴンボールヒーローズ』がこれをやっているのだが、こういうありえない強化形態をポンポン出してしまうところがもはや金の匂いを漂わせるのだ。
確かに強化フォームがあればビジュアル的にかっこいいしファンも喜ぶであろうが、スーパー戦隊の本質がどこにあるのかを完全に忘れてしまったかのようなパワーアップなど必要ない。
「ダイナマン」の弾北斗が言っていた「俺たちの強さの秘訣はチームワーク、パワーアップに頼ったのが間違いだった」というセリフを是非アメ公のバカどもに聞かせて、爪の垢でも煎じて飲ませたい。

⑷もはやただの『トランスフォーマー』と化した2017年の映画版


2017年版パワレン映画

そして私の中で過去数年の中で最大のトラウマはなんといっても2017年にリメイクされた実写版なのだが、一体どこをどうすればこんなトチ狂ったセンスゼロの映画ができるのかがわからない
というか、この無駄に線が多くもはや原型が残っていない現象を過去に見たことがある気がしたのだが、よくよく思い出せば正に『トランスフォーマー』がそうだった。

実写版トランスフォーマー

最初はものすごくシンプルなデザインだったにも関わらず、実写版にするにあたってもはや完全な別物となったわけだが、その「トランスフォーマー化現象」とでも呼ぶべき改悪がパワーレンジャーでもあったのだ。
設定も設定で、なぜか5人が何かしらのハンデを抱えた障害者という設定にされていて、しかも選ばれた理由もこれまたとってつけたような安いアンチヒーローものの設定でしかない。

新しいデザインは必ず単純な形をしている。人間は考えることができなくなると、ものを複雑にして堕落してゆく」とかつて「ウルトラマン」のデザイナー・成田亨先生は仰っていた。
そう、これまで述べてきたパワーレンジャーのやらかしてきた暗黒の歴史は一言で集約すればこの成田亨先生の通りだが、これはデザインのみならず脚本も演出も全てにいえることであろう。
アメリカがなぜ日本のスーパー戦隊をこうまで台無しに改悪できてしまうのか、それは「シンプル」であることの意味を履き違え、変に複雑化しようとして余分なものを削ぎ落とすマイナス思考ができない
だから原典のエッセンスをきちんと大事にできずに余計なことをして手を加えてしまい、元々のスーパー戦隊シリーズが持っていたシンプルだが大胆でかっこいい魅力から乖離していくのである。

ここまで見ていただくとお分かりだろうが、冒頭でもお伝えした通り、アメリカという国は0→1のファーストペンギンは上手いのだが、そこからの1→10の発展と洗練が物凄く下手なのだ。
そこが日本とは正反対であり、日本は0→1のファーストペンギンが下手というか荒削りではあるが、その分1→10の発展と洗練が物凄く上手で繊細で奥ゆかしさがある。
特にスーパー戦隊シリーズが長いこと生き残ってきた理由は大なり小なり評価の差はあれど、中心は常に「シンプルであること」をしっかり守ってきたかではなかろうか。
そのことを忘れて金儲けのためにスーパー戦隊を金の力を使って余計なことをし腐った結果、もはや箸にも棒にもかからない無残な産廃へと堕落していたのである。

⑸悪しき資本主義が本家スーパー戦隊にも影響したのではないか?


ここまで散々パワーレンジャーをスーパー戦隊シリーズの公式として見られない理由を述べてきたが、かと言って問題は決して海外だけの問題に収まらない。
アメリカで発揮されているこうした悪しき資本主義が本家スーパー戦隊にも悪影響を与えてしまった面が多かれ少なかれあるのではないかと私は思うのである。
特にこと『百獣戦隊ガオレンジャー』(2001)以降の目に見える作品としての質の低下と金儲けへの堕落はそう思われても仕方ないだろう。
現役の『王様戦隊キングオージャー』(2019)も結局はたどり着くところ、根本の問題はデザインから脚本から演出からどんどん複雑な方に堕落して知った結果である。

確かにパワーアップや設定を改変することから生じる面白さというのはあるが、それはあくまでも二次創作物の理論というか考え方ではないだろうか?
ファンなら誰もが一度は「楽にパワーアップできたらいい」と考えるはずだし、実際それをやって子供達の欲求を満たしている側面も無きにしも非ずだ。
しかし、そのようなガキに媚びる下卑た真似を海外はともかく本家がやってしまってはならないし、何にでも許容範囲というか限度ってものがあるだろう。
以上のような理由から、どう好意的に見たとしてもパワーレンジャーを好意的に見ることなどできない、だから批評をやらないのである。

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