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「チート」であることを無批判・無反省に礼賛する戦隊ファンの知性の低下〜今のスーパー戦隊シリーズは資本主義に汚染されたアプリゲーム〜

この動画とコメント欄の質の低さを拝見したところ、なぜ今のスーパー戦隊シリーズがクソつまらないのかが明瞭なまでに可視化された気がする。
こないだのパワーレンジャー批判の記事と関連する話だが、結局のところ今のスーパー戦隊シリーズは資本主義に汚染されたアプリゲームと同じではないか?
課金しまくって最初から便利能力や強力なパワーアップアイテムのようなドーピングを使った者しか勝たんみたいな状況なのである。
まあ時代の流れとして、何でもかんでも今我々の現実社会自体が便利なツールやアイテムに囲まれすぎているから、このような状況になっても仕方ないのかもしれない。

動画で挙げられている「チート」の意味も、元々の英単語"cheat"の意味からは完全に外れた使用法なのだが、それにしてもこの動画製作者は本当にきちんとスーパー戦隊シリーズを見た上で動画を作っているのだろうか?
毎回毎回こういう釣り動画にキレ散らかすのもどうかとは思うが、それでもこういう知性のカケラもない批評性ゼロの動画に対して苦言を呈することもまた一戦隊ファンとしての務めではないかと思うのだ。
動画で挙げられているのは以下のメンツだ。

  • ビッグワン(『ジャッカー電撃隊』)

  • アバレブラック(『爆竜戦隊アバレンジャー』)

  • デカマスター(『特捜戦隊デカレンジャー』)

  • シンケンレッド(『侍戦隊シンケンジャー』)

  • ゴーカイジャー6人(「海賊戦隊ゴーカイジャー』)

  • シシレッドオリオン(『宇宙戦隊キュウレンジャー』)

  • リュウソウレッド(『騎士竜戦隊リュウソウジャー』)

ビッグワンを除いていずれもが00年代以降に作られた作品の戦士たちだが、何が居心地悪いといって、全員私が心底嫌いで軽蔑している戦士たちに他ならない。
まずビッグワンは完全に作品の世界観諸共全てを台無しにしてしまい単なる「番場壮吉無双」で集団ヒーローとしての体裁すら崩してしまった元凶だ。
そしてアバレブラックだが、確かに劇中では等身大で巨大戦の敵を倒してはいるが、かといって常々最強の強さだったかというとそうは言いがたい。
そもそもアスカは割とマホロ関連でメンタルに難があるレッドホークの系譜みたいなキャラであり、本当に完成された最強の戦士として描かれていたわけではないだろう。

他にもデカマスターはよく戦隊の強さ議論でチートの候補に挙がりがちだが、そうやっていう人や動画投稿主は本当にきちんと原作の「デカレンジャー」を見たのだろうか?
まず13話でデカマスターは百人斬りをやってのけたが、それだけなら「オーレンジャー」1話のオーレッドと大差はないし、むしろあれはその後の14話が大事なのである。
ボスの強さに目が眩んだバンたちはボスの強さを当てにしていたが、ボスはきちっとそれではダメだと依存しないように窘めていたし、しかもデカブレイク初登場の22話でデカブレイクの噛ませになっていた。
この時点でそもそもチートといえるほどの強さではなく単なる印象論にすぎないことが明白なわけで、本当にきちんと見ていればこんな意見は出てこないはずだ。

他にもシンケンレッドとゴーカイジャーは取り上げておくが、シンケンレッドは確かに劇中最強の強さではあるが、決して「チート」ではなく、丈瑠の強さには一定の説得力がある。
まず幼い頃から剣とモヂカラの修行に励んできたわけであり、しかもいつも絶対最強というわけではなく、割とピンチになって追い込まれるエピソードもあった。
例えば十一幕の三つ巴の殺陣がそうだったし、十臓との一騎討ちではむしろ剣の腕では十臓の方が上であったし、それこそ血祭ドウコクが現れた時はシンケンマルごと折られて大怪我を負った。
それにモヂカラも剣の腕も丈瑠の上位互換といえる実力者がいるため掛け値無しのチートではないし、むしろチートと評することは丈瑠が殿様たらんとする為に積み重ねてきた努力を愚弄する暴言に他ならない。

まあ流石にゴーカイジャー以降に関しては確かに劇中の描写を見てもその通りだが、結局これらの事実が何を示しているかというと、今のスーパー戦隊は結局アイテムやパワーアップによる新形態に依存しているということだ。
どこからそうなったかは分からないが、やはりターニングポイントは『海賊戦隊ゴーカイジャー』(2011)からであろうか、正直私はあれを未だにスーパー戦隊として認めていない。
こんなことを言うと「え?ブログではA(名作)として褒めちぎっていたじゃないか」といっていたが、勘違いしないでいただきたいのは私はあれをあくまで「戦隊の二次創作=戦隊同人」としてなら評価するという意味である。
私の中で「ゴーカイジャー」以降の作品は「公式が同人」という別物と割り切って評価軸を変えることで妥協しているわけであって、本当に素晴らしい戦隊の一次創作と見ているわけじゃない

要するに『ひみつ戦隊ゴレンジャーごっこ』『愛国戦隊大日本』『怨念戦隊ルサンチマン』『銃士戦隊フランスファイブ』『非公認戦隊アキバレンジャー』と同類の範疇にすることで整理したのである。
間違っても『未来戦隊タイムレンジャー』までのきちっとした歴史と伝統があった時代のスーパー戦隊と同列だと思うなよ、そこ勘違いするんじゃないぞと私は言いたい。
話を戻して、今のスーパー戦隊が全体的にかつてほどの画面の迫力がない一番の理由は何度も述べているが大したピンチでもないのに、すぐに弱音を吐いて便利アイテムで乗り切ってしまうからだ
「ゴーカイジャー」なんて特にそうだろう、歴代戦隊のレンジャーキーを全部持っているくせに少しピンチになったら先輩に頼って「大いなる力くれ」、んで地球を守る気はさらさらなく目的が宇宙最大のお宝?

勝手にやれよそんなこと!

私は「ゴーカイジャー」を見た時から肯定的にも否定的にも語るときに奥底にあるのは「力を持ってるけど地球のために戦うなんてめんどくさい」という臑齧りの甘ちゃんみたいな言い分が許せないという思いだ。
別に個人的な欲望で動くピカレスクロマンがダメだと言いたいのではない、ピカレスクロマンを貫くのであれば長浜ロマンの美形悪役やシャア、ベジータみたいなところまで妥協せずに突き抜けてみせろ。
それすらなくて中途半端に偽悪的な態度取って「実は話がわかるいい奴なんです」風を装って、都合のいい時だけ自分たちは先輩の意志を継いだ歴代戦隊の後輩ですという面見せてるのが気に食わなかった。
地球人代表の鎧が加わってから多少なりはマシな形に均されたものの、それでもやはり根底にあるものは私の中で変わっていないし、悪い意味で「ゴーカイジャー」が第三のターニングポイントだったのではと思う。

で、そこから益々悪化している現在までを見て、以前に黒羽翔さんと2人で言っていたのだけど、今のスーパー戦隊シリーズは今流行りの異世界転生ものや資本主義に塗れたアプリゲームの風潮ではなかろうか?
要するに正義の心も自分自身で磨き上げた力も勇気も大したものではない、「力こそが全て」という企業の闇に完全に汚染されてしまった「自分を正義の味方だと思い込んでいる何者か」の話でしかない。
いくら作り物の世界とはいってもそんなものたちを心から応援したがる人なんて思考停止状態の愚者しかいないであろうし(真っ当な感性を持っている人はまず応援しない)、だから私もとっくに諦めがついている。
まあそういった昨今の風潮に対して私が物申したいこと、今まで述べてきたことを要約するとこれだ。

そう、科学忍具を使ってチート(ズル)をして中忍試験を不合格になったうずまきボルト並びに大筒木に対するナルトの主張なのだよ。
一からきちんと時間をかけて自分の力を磨き上げていったナルトと違い、息子たち世代は便利なものに囲まれて楽をすることを覚えてしまった
テクノロジーの急速な発展は決して世の中に利便性のみをもたらすわけではない、むしろ努力して何かを獲得することや時間をかけて1つの力や考えを成熟させる機会をも奪ってしまう
今の子供たちはまさにそのようにして便利なものに囲まれてちょっとピンチになったら弱音を吐いてすぐ便利なパワーアップアイテムに頼ってしまう今のスーパー戦隊に何も感じないのだろうか?

そしてそういうことを考えもせずにただ便利アイテムで圧勝する様を能天気に「チート」だなんだと最強候補に入れたがる愚民どもを見るにつけ、スーパー戦隊ファンの民度も語るに落ちたと思う次第である。
「足が折れたって、戦うわ!」と言っていたホワイトスワン、「最後の一人になったとしても、その一人が、バルバンを倒す!」といってみせたギンガレッド、かつてのスーパー戦隊にはそういう気概が感じられた。
しかし、今のスーパー戦隊の戦士たちは全部上っ面、なんの美学も色気も魅力もないし作り手の表現力も薄っぺらい、なにせ「行間を読め」とかいうようなアホが戦士やってるくらいだからなあ。

いやあ、企業の力(闇)って素晴らしいね!(悪意)


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