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壇太一の越前リョーマコピーからわかるコピーテニスの危険性と新テニで樺地・仁王が辞めた理由

久々にトランスアーツ時代のアニメ「テニスの王子様」を見直しており、この時代はぶっちゃけ低予算で作画も演出もかなり安上がりに出来ています。
そのためどうしても全国大会編のOVA以降に比べると見るに耐えないレベルなのですが(特に作画崩壊が酷い宍戸復帰の回とか)、たまに「おっ」と思うエピソードもあるものです。
今回紹介したいのはコピーテニスの危険性を描いたと思われる89話「青学、ダダダ壇」の感想と考察ですが、アニメオリジナルにしてはなかなか発見があるエピソードでした。
内容は捻ったものではなく、太一が越前リョーマへの憧れからラケットに帽子まであらゆるものをコピーし、しかもツイストサーブの前の仕草まで真似しています。

原作でも太一は越前に憧れを持っている描写がありましたが、たったの数ヶ月程度で越前の得意技をコピーして堀尾を倒せるレベルになるのは凄いことです。
元々邪念がない素直な子ですし、背丈がないコンプレックスを過剰に意識しなければ伸びるだけの素質と才能は元々あったのでしょう。
実際遠山金太郎のような潜在能力お化けもいるくらいですし、テニプリはなんだかんだ才能>(超えられない壁)>努力ですから、これで別にいいのです。
しかし、それでもコピー元の越前リョーマに挑むには余りにも早く、最初にツイストサーブを取って以降はサービスもリターンも全部あっさり取られてしまいます。

この話、一見「太一くんガンバレ」エピソードっぽいですが、私から見ると安易に相手のプレイスタイルを真似することの危険性を示しているのではないでしょうか。
古来より日本には「鵜(う)の真似する烏(カラス)、水に溺れる」ということわざがありますが、これは太一だけではなく樺地・仁王・一氏にも言えることです。
越前リョーマもそれこそ無我の境地であらゆる相手の技を模倣したことがありますが、別にモノマネそのものが悪いと言っているわけではありません。
何故ならばモノマネにはそもそも才能というか技量がないと出来ませんし、それを1つの芸として高めればモノマネ芸人というジャンルで食べていけますから。

しかし、モノマネはどこまで行こうと「模倣」の範囲から抜け出るものではなく、自分独自の技としてそれを昇華しなければ簡単に打ち負かされてしまうのです。
実際越前リョーマが無我の境地で行ったコピーテニスも跡部・遠山・幸村には全く通用せず新テニでは安易な模倣を意趣返し以外では使っていません。
それこそ松平のショットをそっくり真似て遊んだりマグナムサーブを模倣したりしていましたが、あれは南次郎が自分相手にやっていたことをそのままやっているだけです。
だからお頭から学んだ「光る打球」も破壊力を拡散する「破壊(デストラクション)」ではなく「希望(ホープ)」という威力を凝縮する形へ昇華しています。

それこそ切原赤也がツイストサーブの発展形であるナックルサーブを持っているように、どんな技であってもやはりオリジナルはその人にしか打つことはできないわけです。
そして実際に氷帝戦のタカさんVS樺地ではタカさんの波動球をコピーした樺地は最終的に腕に限界が来て双方棄権の相討ちとなり勝てませんでした。
コピーテニスで明確に勝ちを得られたのは越前リョーマが草試合で切原赤也に覚醒した時と仁王が柳生に擬態してレーザービームを打っていた時しかありません。
要するに相手の不意を衝く撹乱としてだったらコピーテニスは有効な手ではありますが、それはあくまでも自分なりのテニスがきちんと完成した上での話です。

もっとも、太一が越前にぼろ負けした原因は安易に越前の技をコピーしたことに満足しただけではないのですが、折角なのでもう少し掘り下げてみましょう。
越前と勝負する前にテニス歴2年の堀尾を破ってかませ犬にして勝ちを収めたわけですが、しかしそれはあくまでも堀尾がビギナーズラックで不意を突かれたからにすぎません。
それを太一は「自分の実力で勝った」などと勘違いする、すなわち「俺は完全に理解した!」という典型的な井の中の蛙でしかなかったのです。
そんな危険な状態で中学生ながらに歴戦のトップランカーにして青学三強にまで上り詰めたエリートの越前リョーマを相手に挑んでも負けることは目に見えているでしょう。

じゃあ何故彼は挑んだのか、それはツイストサーブとドライブBを真似してやってみたら出来てしまって草試合で勝ててしまった、それもそこそこの経験者を相手に。
それまでテニスでいい思いをしてこなかった子がそんな経験をして意外にも素質や才能があるとわかれば勝つ自信が多少なり生まれても仕方ありません
89話で越前に挑んだ太一のコピーテニスとはそういう状態であり、テニスの基礎すらまともに出来ておらず実戦で一度も勝ったことのない選手がいきなり越前リョーマクラスの力を手にしたわけです。
ある意味では越前リョーマと一球勝負を繰り広げて楽しそうにテニスをしていた時の遠山金太郎もそんな状態だったのではないでしょうか。

しかしそれがきちんとした修練に裏付けされているならまだしも、相手の技をそのまま盗むというチートな手段で不正に得た力だからこそ底の浅い付け焼き刃にしかならないのです。
だから越前リョーマにあっさり実力で負けた時にそれを挽回する策がなければ土壇場の胆力もなく、結局はまたマネージャーの位置に戻ってしまうわけですが。
思えば樺地と仁王がコピーテニスを捨てて新テニのインフレについていけず決勝戦を前に置いていかれることになったのも、他人の真似ばかりしていたからでしょう。
壇太一が才能で真似したツイストサーブとドライブBも同じことであり、あれは越前リョーマが使うからこそ有用な戦術となり得るのです。

本当に壇太一が一端のテニスプレイヤーとして成長するためには自分独自のプレイスタイルを築き上げ、負ける悔しさと勝ちの喜びを両方知った上で自己肯定感を高める経験を積まないといけません
単に才能があるから勝てるのではなく、かといって努力だけでなんとかなるわけでもなく、いろんな要素が複合的に絡んで勝ち負けが決定するのが「テニスの王子様」なのです。
こうしてみると、超異次元テニヌばかりが目立つ作品ではありますが、割と勝ち負けや実力の描写ではリアリティがある作品だと思います。

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