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スーパー戦隊シリーズ第26作目『忍風戦隊ハリケンジャー』(2002)

スーパー戦隊シリーズ第26作目『忍風戦隊ハリケンジャー』は前作「ガオレンジャー」の要素を継承しつつも違う路線を行く作品となりました。
まず「カクレンジャー」以来2度目の「忍者戦隊」なのですが、「カクレンジャー」と大きく違うのは敵キャラから何からきちんと「忍者」で統一していることです。
ジャカンジャもハリケンジャーもゴウライジャーも、そしてシュリケンジャーも全員「忍者」であり、「カクレンジャー」よりは世界観に統一性があります
しかも、ゴウライジャーに関しては物語の途中まで第三勢力というか、ライバル的存在としてハリケンジャーとの戦闘シーンも多くあるのです。

また、本作では「アレ」が1年間のドラマを引っ張るマクガフィンとして用いられており、一応ドラマの求心力になる設定はできています。
そして何より「ライブマン」以来の3人戦隊であり、基本的に共闘することはあってもそれぞれがそれぞれの形で独立して動いているのです。
そんな本作はポスト「ガオレンジャー」として人気を博し、当時高校生だった私の周りの同級生も夢中になって見ていました。
主題歌も爽やかですし、ライトながらも「ガオレンジャー」ほどストーリーやキャラクターが壊滅的というわけではありません。

そんな本作ですが、リアルタイムでは見ておらず後年になってから見直しましたが、意外や意外そんなに悪くなかったのです。
確かに「ガオレンジャー」のような安っぽい熱血表現を多用するようになりましたが、それでも「ガオレンジャー」よりはまだまとまっています。
本作の魅力が果たしてどこにあるのか、改めてシリーズ全体の位置付けも踏まえながら見て行きましょうか。


(1)「熱血バカ3人組」と「シリアスバカ2人組」という奇妙な組み合わせ

本作の特徴として挙げられるのはまずハリケンジャーとゴウライジャーが完全に別の流派であることですが、面白いのは「熱血バカ3人組」「シリアスバカ2人組」と書き分けられていることです。
普通「コミカルで明るいバカ」と来たら、その逆に来るのは「クールな知性派」なのでしょうが、本作はむしろハリケンジャーもゴウライジャーも基本的に「バカ」の要素が強くあります
基本的にハリケンジャー3人組はお人好しすぎるゆえに頭を働かせて解決する老獪さはありませんし、ゴウライジャーの2人もシリアスぶってるだけで中身は根本的に脳筋です。
いずれもが「鍛錬して強くなって乗り越える」ということしか考えていないので、同時代に同じテーマでやっていた「NARUTO」の方が余程頭を使った忍術の駆け引きを描けています。

なぜこんな風になっているのかというと、スーパー戦隊シリーズの基本である「わかりやすさ」と「熱血」を一体化させた前作のバカっぽいノリを継承してしまったからです。
また「忍者」という素材でガチのものを作ろうとするとあまりにも地味というか「カムイ伝」「カムイ外伝」のようなガッチガチのものになって、戦隊のノリからは遠いのてしまいます。
カクレンジャー」で描かれた忍者像もいわゆる海外ウケする「ジャパニーズ・ニンジャ」であって時代考証を踏まえた本格的なスパイとしての忍者というわけではありません。
だからのちの「ニンニンジャー」もそうですが、そもそもスーパー戦隊シリーズにおける忍者とは「忍びなれども忍ばない」「忍ぶどころか暴れるぜ」な奴らなのです。

それは本作でも共通していて、本作のハリケンジャーとゴウライジャーは本当に忍ぶどころか暴れまくっている奴らで、何かと目の敵にして戦いを繰り広げています
しかも序盤はとにかくハリケンジャーがボコボコにされる展開ばかりだから、いくら「成長」に重きを置いていたとしても結構ストレスのかかる展開には違いありません。
だからこそ変に頭を駆使する知性派ではなく、わかりやすい脳筋なバカっぽいキャラクターという記号的表現に落とし込んだのではないでしょうか。
まあ子供を甘く身過ぎているというきらいはありますが、お隣の「仮面ライダー龍騎」が完全に大人向けの醜いライダーバトルを描いていましたからその辺との差別化もあったでしょう。
余談ですが、カブトライジャーの中の人は前作のガオブラック、お隣の仮面ライダーゾルダの人と組んで純烈のボーカルを務めています。

(2)「萌え」路線と「燃え」路線

さて、本作のキャラクターに関してさらに1つ付け加えておくと、この辺りから「萌え」路線と「燃え」路線の使い分けをするようになっていきます。
具体的にはヒロインのブルー・七海に「萌え」を担当してもらい、他のキャラクターに「燃え」を担当してもらおうという狙いがあったのです。
七海を演じている長澤奈央氏は当時「色っぽい」「エロい」という感じで男性人気を集めていたのですが、なぜこのようなことをする必要があったのでしょうか?
それはここ数年のスーパー戦隊シリーズがシングルヒロイン制で、いわゆる女性独自の「華」が不足気味だったということが挙げられます。

具体的には「ギンガマン」のサヤ、「ゴーゴーファイブ」のマツリ、「タイムレンジャー」のユウリ、そして「ガオレンジャー」の冴といたシングルヒロインの華のなさです。
サヤは確かに「花」ではあるのですがヒロインとして普通すぎますし、マツリはピンの魅力が薄く「妹と母親」という巽兄妹の中の末っ子という位置付けだからキャラが立っています。
また、ユウリに至っては女らしさをバッサリ捨てたクールビューティですし、冴に至ってはそもそも寸胴体型かつ演技力も大根なのでヒロインとしての華は全くないのです。
このように、ここ数年の戦隊ヒロインは「華やかさ」や「色気」にイマイチ欠けるキャラが多く、また親しみやすさやコミカルさという要素もありませんでした。

この点を解消しようとしたのが本作のハリケンブルー・七海乃々であり、歴代でもかなり色気とコミカルさを持ち合わせた万人受けしやすいキャラだったと思います。
まあコミカル路線で言えばおぼろさんもそうなのですが、これだとクールさが足りないので終盤では「燃え」路線として御前様というシリアスなキャラを出すのです。
この御前様のキャラクターは鶴姫のリトライにして、のちの「シンケンジャー」に出てくる薫姫の原型とも言えるキャラクターですが、彼女がいることで終盤の物語が締まります。
まだ試験的段階ではあったのですが、このあたりから制作側が狙って「キャラ萌え」の路線と「燃える展開」とを使い分けるようになっていくのです。

(3)究極大獣神以来の全合体ロボ

さて、本作も前作ほどではないにしてもそれなりに玩具売上は好調だったのですが、その理由としては究極大獣神以来の全合体ロボという要素が挙げられます。
前作「ガオレンジャー」のパワーアニマルは「玩具をひたすら売りまくれ」の精神で次から次へと大量のパワーアニマルを売り出す、まさに「THE 数の暴力」でした。
しかし、そのためにストーリーと変身前のキャラクターを犠牲にしてしまったのですから、これではスポンサーに魂を売り渡したと批判されても仕方ありません。
あまつさえ、奇跡の乱発という決してやってはならない禁じ手までをも使ってしまっていますので、同じ手は流石に2度も使うことはできないのです。

そこで本作では「ジュウレンジャー」の究極大獣神、「ダイレンジャー」の重厚気殿以来の全ロボ合体という路線を採用することになりました。
ジュウレンジャー」「ダイレンジャー」はメカの数はそんなに多くないわりに、かなり多くの売り上げを出すことに成功したのです。
それはなぜかというと全ロボ合体というシステムを使ったからであり、この路線ならば行けると制作側も踏んだのではないでしょうか。
その狙いは見事に的中し、本作に出てくるロボットはしっかり売れて、劇中でもしっかり使い切っていたと思われます。

メカを矢継ぎ早に出す必要がない分、作り手としても受け手としてもそれなりに安定して見られるのが本作の強みです。
奇跡の乱発なんてしなくてもこういった要素を全面的に押し出すだけで、ヒット作を作ることができてしまいますからね。

(4)とはいえ、縦軸のストーリーの要素が弱い

そんな本作ですが、変身前と変身後のキャラクター、そしてメカニックの魅力は押し出せたものの、ストーリーの力がやはり弱いのです。
一応「アレ」という要素で一年引っ張っていたようですが、ぶっちゃけどうでも良すぎましたし、しかもラストで出た割りにはあっさり破壊されますしね。
本作はどうにもキャラクターを前面に押し出したのはいいのですが、反面ストーリーがどうにもおざなりになってしまっている模様です。
とは言え「ガオレンジャー 」ほど酷い破綻をしているわけではなく、一応許容範囲内に収まってはいるのですけどね。

それからジャカンジャ側もシュリケンジャーもどうにも幹部の使い分けや差別化がうまくできているとは言い難い印象でした。
この辺りはやはり過去作がかなり完璧に幹部連中の使い分けをうまくやっていたのもありますが、もう1つはヒーロー同士の対決に尺を割きすぎたのです。
同年の「仮面ライダー龍騎」とほぼ同じことをしているのですが「龍騎」の場合は「敵も味方も仮面ライダー」だからあの要素が受けました。
しかし、スーパー戦隊シリーズみたいに一定のフォーマットがある作品だとそこまで無視して作ることはできないのです。

それと、これは個人的な好みになりますが、私はどうしても本作から「ゴーオンジャー」あたりまで続く熱血バカキャラが好きじゃありません
ああいうキャラクターは漫画・アニメの主人公がやるから成立するのであって、三次元の人間がああいうキャラをやっても浮くだけです。
この後「デカレンジャー」あたりになるといわゆる「バカレッド」というジャンルが形成されていきますが、本作の鷹介はその始まりと言えるでしょう。
この辺りになると多くの視聴者層がスーパー戦隊シリーズを見るようになりますから、戦隊レッド=熱血バカという「キレンジャーの錯誤」みたいな勘違いが起きてしまうのはなんとも複雑です。

その上終盤で打ち出した御前様とシュリケンジャーの死などはもっとうまく表現できたはずなのに、ちっともドラマとして盛り上がりません
まあそもそも宮下隼一氏をはじめ当時のスタッフにそのようなガチの主従関係を描く力量がなかったことも大きいのでしょうが、やはり熱血バカの空気が強すぎたのです。
本作でやり損ねたシリアスなドラマの要素はのちに小林女史によって手がけられる「シンケンジャー」で結実しますから、その前座と受け取っておきましょう。
とにかく「素材は悪くないけど、結局フルに生かし切れていない」というのが本作に対する評価になりますね。

(5)まとめ

本作は前作「ガオレンジャー」が残したものを継承しつつ、より普遍的なスーパー戦隊シリーズのフォーマットに落としこもうとしたことが伺えます。
それが上手くいった部分もあり、一定の成功は見込めたと思いますが、一方でまだ作品のもてるポテンシャを完全に生かし切れていない感じもしました。
最初に打ち出した少年漫画風の熱血バカな作風と終盤で出てくるシリアスなドラマとの掛け合わせがどうにも相性が悪すぎたのでしょう。
総合評価はD(凡作)、嫌いというわけではないけれど諸手挙げて好きとも言えない中途半端さが困りものです。

  • ストーリー:E(不作)100点満点中30点

  • キャラクター:D(凡作)100点満点中50点

  • アクション:B(良作)100点満点中75点

  • カニック:A(名作)100点満点中85点

  • 演出:E(不作)100点満点中30点

  • 音楽:D(凡作)100点満点中50点

  • 総合評価:D(凡作)100点満点中53点

評価基準=SS(殿堂入り)S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)X(判定不能)


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