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おじいちゃんの作るお米はおいしかった。

いつからだろうか。実家のお米を食べなくなったのは。
小学生くらいの時までは、おじいちゃんの田で作られたお米を当たり前のように食べていた。粒が大きくて、甘くて、ピカピカしているお米。

その時は気がつかなかったけれど、おじいちゃんも歳を取り、85歳を超えた頃からは指導者として、田んぼの管理や、観察にまわり、お米を作っていたのは近くに住むおじちゃんと、収穫の時期に帰るお父さんたちのお手伝いで作られていた。

「昔はもっと広い田んぼを持っていたのだけれど、今はまだ動ける人に田んぼを貸して、取れたお米を少しもらうようにしているのだよ。」
そんなお父さんの言葉に、その時はなんとも思わなかったけれど、実はとても大変なことで、農地があるけれど、年老いてしまい、放棄してしまっている田んぼや畑は、おじいちゃん家の周りには、たくさんあった。
現に、高校に入学した時は、お弁当に入っていたお米はおじいちゃん家のものであり、冷めてもとても美味しかったが、卒業する時には市販のお米へと代わり、なんだか物足りなさもあった気がする。

代々受けつできた田んぼや畑も、今や荒地となりかけている今、私は23歳になり、大学を卒業し、福岡に就職する。ここから社会人生活をあと最低でも40年するとして、いつかは鹿児島に帰とうとは思っているが、そうにかしたいと思う気持ちがある。特に、一つのアイディアとして、これからの10年間で形にすることを目標に、郷原商店を立ち上げ、ECサイトなどの販売のシステムを作り、おじいちゃんの畑を残していくこともやりたいなと考えている。
わたしのような境遇に立つ方はたくさんいると考えるため、そんなコミュニティとも関わりを持ちながら、これからの未来に向けて動いていきたいと今思っている。

お父さんが定年退職を来年に控えるため、新しいスタートとして、一緒に動き出せるととても面白いと思うので、頑張りたい。

おじいちゃんが作るお米はおいしかった。
そんなお米を残して生きたい。

郷原飛由我


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