ひとと違って何が悪いのか?
まず初めに、これはわたしの自慢話でもなんでも
なく、人と違うことに苦しんだことを書いた記事だと言うことを初めに記しておきます。
先日、母と電話で話していたときに、
わたしが中学高校と家庭科の成績が悪かったことを覚えていました。
夏休みの自由研究などでは、県で表彰されていたのに、どうして成績が悪かったのか?と。
答えは簡単です。
先生に嫌われていたからです。
どう表現したら良いのかわからないのですが、
家庭科の教科書に書いてあることは全て、
先生に習わなくても出来ることだとわたしは思っていました。
とくに洋服の作り方などは、もっとこうした方が
合理的なのにと、教えられた通りに仕上げたことは一度もありませんでした。
皮肉にも現在はわたしが行なっていた縫製方法が
一般的になっています。
私服も手作りのものを組み合わせて非常に個性的な服装をしていましたので、変人扱いされていました(これは今も変わりはありません)
今は義務教育でも生徒でもありませんから、
全く不都合は感じませんが、学生時代は本当に辛かったです。
教科書を読んでわかることを、先生がわざわざ黒板に書き、それをノートに書く生徒が優秀とされました。
こんな言葉は使いたくないのですが、
学校って試験のときだけ行けばいいんじゃん?と思っていました。
ですから、高校生の三年生ころの出席日数はギリギリでした。
だからと言って友達がいなかったわけでもなく、
後輩から頼まれた「女優倶楽部」というクラブ活動の責任者にもなっていました。
ですが、わたしと高校を辛くも繋ぎ止めていたのは、美術の先生との交流でした。
美術の先生は、わたしが描いた油彩画を非常に褒めてくださり、これを日展に出したいから少し手直しをした方がいい、と勧められたからでした。
わたしが描いた絵は、当時は「女子がテーマにはしにくい絵画」でしたから、美術の先生も目を留めてくれたのかもしれません。
部活動が終わる3年生になると、本当に出席日数ギリギリしか学校へ行きませんでした。
それも、クラブ活動と美術の絵の制作の為だけでした。
日展で賞こそとれませんでしたが、わたしは絵が好きになりました。
こうして書いていると飄々としているかのようにとられがちですが、わたし自身はいつも孤独でした。
どうして自分はみんなのようにできないのだろうかと、本当に悩んでいました。
所謂、「人間失格」なのではないかと思ったことも度々ありました。
そして、子育てが一段落してから再び自分で絵を描くようになりました。
それから、洋裁は相変わらずデタラメではありますが、とにかく作ることが好きなので材料さえあれば作っていたりします。
工作系も好きなので、ペットボトルやキレイな缶や瓶は、なにかに使えるかどうか吟味しながら、観葉植物の変わった飾り方などをしています。
顔がそれぞれ違うように、
個性があっても良いとわかってきたのは、かなりあとのことです。
今が一番楽しいとさえ思います。