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21日目 吸引力から始めよう

朝から約20キロの荷物を持って坂道を登る。9月末というのに残暑が厳しい。息子配達員の日課は汗だくである。このところ幼稚園の玄関で号泣して登園に抵抗していたが、バス亭で降りてから園の下駄箱まで抱っこした日はご機嫌で教室へ歩いていった。どうやら歩きたくないようだ。ご機嫌で登園してくれるなら抱っこもしかたない。

塩屋で空き家対策モデル事業のウェブサイトの打ち合わせ。デザイナーの細川さんも交えて小山邸や山森邸、ユブネ事務所などリノベ物件を見てまわる。リノベーションも含めて、人生一度は家を建ててみたいと思うものの奈良の田舎で生まれた私は、割と大きめの家があることの「重さ」を身にしみて知っているので、たとえ家賃を払い続けることになっても「軽く」いたいという気持ちがある。最終的に住める実家があることの贅沢な悩みなのかもしれないが、今どこか一所に根を下ろすことは考えていない。

これまで様々なタイプの家に住んできた。最初に住んだ実家は茅葺きに瓦とトタンを被せた屋根で土間があり、おくどさん(かまど)が残っていてお風呂は薪で焚いていた。冬はお風呂を沸かして残った炭を掘りごたつに入れて暖をとった。次に住んだのは一部屋が四畳半のプレハブハイツ。トイレとお風呂は共同で朝夕の食事付きの下宿屋さんだった。30部屋ほどあって電話は大家さんの部屋にしかなく、家族から電話がくると「ブブー」と部屋のブザーが鳴った。テレビはない。Jリーグの開幕式でカズが登場するシーンは共同リンビングで観たし、ドーハの悲劇はラジオで聴いていた。そのハイツで、一人暮らしをして大阪の高校に通った。

その次は建て直した木造日本建築の実家。もう家を出ていたので自分の部屋は作られていない。さらに風呂なしの倉庫(詳細省略)、ワンルームマンション。結婚してからも、ニュータウンの45㎡団地、築80年の古民家、ワンフロアー外国人向けヴィンテージマンションと続く。残すはタワマン暮らしだろうか。

今使っている家具のほとんどはワンルームマンション時代に買ったミッドセンチュリーものだし、本棚もその頃に買ったもの。つい最近まで洗濯機は15年ほど前に「中古」で買ったものを使い続けていた。妻も似たようなもので学生時代の掃除機を使い続けていて、昨年最新のハンディ掃除機を買ったところ2人で家電の進化に心底驚愕した。いきなり20年分もすっとばした「吸引力」はちょとした産業革命である。

息子が抱っこをせがまなくなった頃、私たち家族はどこでどんな家に住んでいるだろうか?それまでは、またあの坂道を登ろう。

20230926

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