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不登校児が登校した日に考えた-待ちたくなんかない。無になりたい。

我が家の不登校児。
小学五年生、(今のところ)女子、11歳。

「保健室の先生にディズニーのおみやげ渡したいから、月曜、学校行く~」とのことで。
本日2週間ぶり?の登校となった。

ちなみに二学期になっての登校は3回目。

ずっと「終わらない夏休み」を満喫していたのだけれど、ある日私が「一緒に学校にプリントをもらいに行こうか?」とさらっと誘ったら「行こうかな~」と抵抗なく、ついてきた。そのとき担任の先生が「来週おいでよ」と言ったら「おいでって言われたから」と登校。
その後も一度、気が向いたらしく突然「学校行くわー」と登校した。

登校とは言っても保健室。
保健の先生が大好きなのだ。

給食は止めてあるので、登校の日はお弁当。
「給食再開しようか?」と聞いても「ママのお弁当がいい」とのことで給食は止めたまま。
今日は「お味噌汁を水筒に入れて持っていきたい」と言うので、スープジャー的なモノに味噌汁を入れてあげた。
「水分を補給してるふうで、しょっぱいモノが飲めて嬉しい」だそうです…。笑


私の「不登校の親歴」は、長い。
中学一年生の終わりに長男が五月雨登校になった。
あれから8年?9年?
うわー。
歴、長っ!笑

長男が不登校になった当初。
長男は生きるのに絶望し「死にたい」と言っていた。
私も「もう死にたいかもしれない」と思っていた。

毎日ビクビクして生きていた。
長男の一挙一動に喜んだり絶望したり。
学校に行くと聞いては喜び。
もう絶対に行かないと聞いては嘆き。
そんなことの繰り返しで精神は疲労していった。

長男も不安だったのだろう。
「俺はこのままどうなっちゃうんだろう」と言っていた。
「俺には生きる価値が無いから死にたい」とも言われた。

平日学校に行かないで家にいた長男は、私の休憩時間のたびに電話をかけてきた。
10時の休憩時間の10分間びっちり長男からの電話対応。
12時の昼休み後半20分間びっちり…。
15時の休憩時間10分間びっちり…。

なんでもないようなことをべらべら話す長男の相手が辛くなり、我慢できずに言ったことがある。
「用がないなら電話かけてこなくても良いんだよ?」と。
すると長男は「何言ってるの!!用があるからかけてるんでしょ!?」と言った。その声には必死さが滲んでいた。
私と繋がっているのを確認したかったのか、心細さを紛らわせたかったのか…。
ともかく、その電話は、長男を生きのびさせるために必要なのだろうと私は理解した。そしてその後は「かけなくていい」とは言わないことにした。

長男も追い詰められていた。
私も追い詰められていた。

何に??

「世間一般から外れた」ことに。
「通常のルートから外れた」ことに。

引きこもりになんてしたくなかったし、精神的な病気にもなって欲しくなかった。

だから。
少しでも長男を外に出さなければならないと思ったし、少しでも勉強をさせなければと思った。
「元のルートに戻さなければならない」と思っていた。

「しなければ」と思えば思うほど、ずぶずぶと沼にハマっていく私。
「○○させたい」という私の希望が強ければ強いほど、精神的におちていく長男。

どうにも動けない。

時間だけが過ぎた。

学校自体には問題がなかった。
息子の精神が弱っていた。
家から出る気力がなかった。

それは元夫の暴言や暴力が原因だと思った。
だから離婚した。

離婚してほどなくすると長男の顔に笑顔が戻ってきた。

苦しい思いをさせてしまった。
もっと早く離婚していれば良かった、とも思った。

でも過去には戻れない。
悔やんでも仕方ない。

「いまからできること」に目を向けた。

長男が何かしたいと言えば惜しみなくお金を出した。
お金があることで世に出られるなら安いもんだと思った。

そうこうしているうちに。
長男は職を得て結婚して家庭を作った。

結局「元のルート」には、戻らなかった。


この一連の出来事から私は学んだ。

親に出来ることは少ない。
「環境を整えること」
「何かをさせようとしないこと」
「本人の意思を優先させること」
これだけだ。

育児放棄と思う人もいるかもしれない。
だけど子どもが大人になってもずっと、親が子どもを育児をし続けるわけにはいかないのだ。

どこかで手放さなければならない。

「自分の意思で生きる」経験を、親元にいる間にさせておかねばならない。

そのための大きな壁は親自身にある。

いかに手放せるか、だ。
子どもをコントロールしたい気持ちを。


そして。
満を持して?
不登校になった次女。

「学校に行きたくない」と能面のような顔をして訴えてきた次女を見て私が思ったのは「集大成を発揮するときが来た」だ。

不登校児の親として培ってきた知識と経験を。

いま、まさに、実地で検証するべく。
私は、行動しなければ。
そう思った。

何事にも意味はある。

長男が不登校になったおかげで私は不登校児に相応しい環境を知っている。
だから次女のために環境を整えることが出来る。

それもあって(だと思いたい)。
次女は「不登校であること」を受け入れ、楽しんで生きている。


ネットニュースで見かけた記事。
「不登校児の親の9割は悩んでいる」

え?9割だけ?
と正直思ったが…。

私は貴重な1割らしい。

次女が不登校であることについて悩みはない。

それよりも。
これだけ経験しても、たまに顔を出す「子どもをコントロールしたい気持ち」を。
どうやって無にするか。
無に近づけるか。
無のふりをするか。

それにはやはり努力が必要で。
それが出来ないことがあるのが、悩みだ。

「待ちましょう」なんてよく言われるが。
何を待つというのだろう。

待つのは結局「親が」望む子どもの姿であり
「世間が」望む子どもの姿であるんじゃないだろうか。

前も書いたけれど。

待つ必要なんて無い。
待つから、親は疲労していく。
待つから、子どもは辛くなる。

もっと言えば。

待ちたくなんてない。
無になりたい。

無になって「今の子どもの姿」を、全て受け入れて守れる、勇気と強さが欲しい。