W.ジェイムズ『宗教的経験の諸相』

原著序

 もし私が光栄にもエディンバラ大学における自然宗教に関するギフォード講座の講師に指名されることがなかったら、この書物はけっして書かれなかったであろう。指名を受けて私はそれぞれ十回の講義からなる二課程の講義を果たす責任を負うことになったが、その講義の主題について思案をめぐらした結果、第一の課程は「人間の宗教的欲求」に関する記述的なもの、第二の課程は「哲学による宗教的欲求の満足」に関する形而上学的なもの、とするのが適当なように私には思われた。ところが、心理学的問題について書きあげてみると、その部分が意外に大きくなってしまって、第二の主題はすっかりまたの機会に譲らなければならない結果になった。こうしてここでは、人間の宗教的素質に関する記述が二十回の講義全部を占めている。第二十講において、私は、私自身の哲学的結論を述べた、というよりも、むしろ示唆しておいた。だから、すぐにも私の結論を知りたいと思われる読者は、本書の五一一─五一九ページ(本訳書下巻第二十講「結論」最後の十一節に当たる。訳者)、および「後記」を見ていただきたい。私はいつかもっとはっきりした形で私の結論を述べることができる日のくることを期待している。
 どんなに深遠な公式であろうと、そういう抽象的な公式を手に入れるよりも、特殊な事実に広くなじんだほうが、ずっと私たちを賢くしてくれることが多いと私は信じているので、私は具体的な実例の数々をこの講義に盛りこんだ、そして、それら具体的な実例を、宗教的気質の極端に表現されたもののなかから選んできた。したがって、本書の半分も読まれないうちは、ある読者の目には、私がこの主題について一つの戯画を提供しているように映るかもしれない。そんな発作的な信仰心などは健全なものではない、とそういう読者は言われるであろう。しかしながら、もしそういう人々が辛抱して最後まで読んでくださるならば、そういう好ましくない印象も消え去るであろう、と私は信じている。なぜなら、私はそこで、宗教的衝動と、それとは別の、誇張の矯正物として役だつ常識の原理とを結びつけているし、また、読者めいめいに、思いどおりの穏健な結論を引き出されるよう、お任せしているからである。
 この講義を書くにあたって、スタンフォード大学のスターバック Edwin D. Starbuck は、蒐集された多数の手記資料を私に譲ってくださり、面識はないが真の友人、イースト・ノースフィールドのランキン Henry W.Rankin は貴重な報告を寄せられ、ジュネーヴのフルールノア TheodoreFlournoy, オクスフォードのシラー Canning Schiller, 同僚ランド Benjamin Rand は記録文書を寄せられ、同僚ミラー Dickinson S. Miller, および友人ニューヨークのウォード Thomas WrenWard と最近クラカウにいるルトスラウスキー Wincenty Lutoslawski は重要な示唆と忠言を与えられた。これらの方々の援助に対し私は感謝しなければならない。最後に、キーン谿谷に臨むグレンモアにおいて、今は故人となったデヴィドスン Thomas Davidson と取り交わした会話、および氏の蔵書を利用させてもらったことに、私は言いつくせぬ恩義を受けている。
 一九〇二年三月   ハーヴァード大学にて

第一講 宗教と神経学

 この演壇に立って、皆さんのような学識のある聴衆を前にすると、いささかこわくて、身体からだがふるえるのを覚えずにはいられない。私たちアメリカ人にとっては、ヨーロッパの学者の肉声を聞いて教えを受けるという経験は、その書物から教えを受けるという経験と同じくらい、今ではごくあたりまえのことになっている。私の母校ハーヴァード大学では、スコットランド、イングランド、フランス、ドイツなど、それぞれの国の、学問あるいは文学の代表的な方々をお招きして、講演のために大西洋を渡っていただいたり、あるいは、たまたまわが大陸を訪れられた旅行の途上、その足をとどめていただいたりするかして、大なり小なりの収穫をおさめて毎年の冬を過ごすのが慣例となっている。ヨーロッパの方々が話をされて、私たちアメリカ人がそれを傾聴するというのが、私たちには自然のことのように思われる。私たちが話をしてヨーロッパの方々が傾聴するというさかさまの習慣を、私たちはまだ身につけていない。そこで、そのような冒険をはじめてする者として、そういう厚かましい行為をすることについて、然るべき弁解をしなければならないような気がする。とりわけ、当地エディンバラのように、アメリカ人が聖なるものとして想像している土地では、当然、その感が深いのである。この大学の哲学講座がになっている数々の栄誉は、すでに少年時代の私の心象に深く印象づけられた。ちょうどそのころ出版されたフレイザー教授の『哲学論文集』は、私がはじめてのぞいた哲学書であり、その本に載っているウィリア・ハミルトン卿の教室の模様を述べた記事を読んでいたく感に打たれたことを、私ははっきりと覚えている。ハミルトンその人の講義も、私がはじめて熱心に研究した哲学論文であって、その後で、私はデューガルド・ステュアートとトマス・ブラウンとに傾倒した。少年時代のそのような尊敬の念はけっしてまだ失われてはいない。そこで、ありていに申せば、とるに足りない自分のような者が、わが未開の故国から招かれて、しばらくの間でもほんとうに当大学の講座担当者に推され、それら高名な人々の仲間に加えられたことを思うと、現実のことであるとは思いながらも、まるで夢の国にでもいるような感じがつきまとってならないのである。
 しかし、光栄にもこのような指命をお受けしたからには、それを辞退してはならない、と私は思った。学問の道に進む者には、またそれなりの雄々しい責務があるのであるから、私はこの演壇に立って、もうこれ以上は言訳がましいことはいわないことにする。ただ次のことだけは申し上げておきたい。すなわち、当地でも、アバディーンでも、今や思潮が西から東へと流れはじめたのであるから、この傾向がこれからも続くことを私が希望している、ということである。年月が経つにつれて、合衆国で講義されるスコットランドの方々といれかわって、わが国の学者の多くがスコットランドのほうぼうの大学に招かれて講義するようになることを、私は希望する。また、このような高尚なあらゆる問題について、私たち両国民があたかも一国民のようになることき、さらに、私たちの言葉である英語と歩調をそろえて、私たちに独特の政治的気質と同じように、私たちの独特な哲学的気質もだんだん世界にひろまっていって、世界に影響を与えるようになることを、私は期待している。

 この講義を温めてゆくについて私のとるべき態度であるが、私は、神学者でも、宗教史を専攻した学者でも、人類学者でもない。私が精通している学問の部門はただ心理学だけである。心理学者にとっては、人間にあるさまざまな宗教的性向というものは、少なくとも、人間の心の構造に関係のある他のいかなる事実とも同じくらいは、興味をひくものでなければならない。それゆえ、ひとりの心理学者として、そのようなさまざまな宗教的傾向の事実をひととおり述べて、それをに説明するのが、私には自然のことのように思われる。
 研究がこのように心理学的であるとすれば、その主題も、宗教制度ではなくて、むしろ宗教的感情とか宗教的衝動とかでなければならない。したがって、私は、自分の考えをはっきり表現できるだけの十分な自己意識をもった人々の書いた文書、たとえば、信仰告白書とか自叙伝などに記録されているかなり発達した主観的現象に、私の主題を限らなければならない。こういう主題については、その起源とか初期の段階を示す諸現象もつねに興味あるものではあるが、しかし、それの完全な意義をきわめようと心から望むならば、つねにそれのより十分に進化し完成した諸形態に注目しなければならない。それだから、私たちにもっともかかわりのある文書は、宗教的生活をもっともよく完成し、自分の観念や動機をもっとも分りやすく説明できる人々の文書だということになる。もちろん、そういう人々はかなり近代の著者たちであるか、それとも、古い時代の著者たちですでに宗教的古典となっている人々である。だから、私たちがもっとも多く教えられる人間記録 documents humains は、博識の棲家すみかにこれを探し求めるにはおよばない──そのような記録は、踏みならされた公道に散らばっているのである。しかも、このような事情は、私たちの問題の性質からごく自然に生ずることなのであるが、神学上の専門的な知識を欠いている講師たる私には、実に都合のよいことでもある。私は、諸君の多くがいつかすでに手にされたことのある書物から、個人的な告白の文章や語句を引用するかもしれないが、そうしたからといって、私の結論の価値がそこなわれることにはならないであろう。なるほど、将来、もっと大胆な講師もしくは研究家がここで講義をされて、私のよりもっとおもしろくて珍しい材料を図書館の書棚から探し出してきて、聴かれる諸君を楽しませるようなことがあるかもしれない。しかし、どれはど異常な材料を自在に駆使したからといって、それでその人が問題の核心にいっそう近く迫ることが必ずできるものかどうか、私は疑問だと思う。
 宗教的性向とはどんなものか? という問題と、宗教的性向の哲学的意義は何か? という問題とは、論理的な見地からすると、二つのまったく異なった種類の問題である。この事実をはっきり認めることができないと混乱が起こるおそれがあるので、私は、いま述べたような文書や材料に手をつける前に、すこしばかりこの点を力説しておきたいと思う。
 最近の論理学書では、いかなる事柄についても、質問に二つの種類が区別されている。第一は、その本性は何か? いかにしてそれは生起したのか? その構造、起源、歴史は何か? という質問である。第二は、ひとたびそれが存在するにいたったからには、その価値、意味あるいは意義は何であるか? という質問である。前者に対する解答は、存在判断あるいは存在命題の形で与えられる。後者に対する解答は、価値命題、ドイツ人のいわゆる価値判断 Werturteil である。あるいは、なんなら精神的判断と呼んでもよいものである。どちらの判断も、一方から他方を直接に演繹してくることはできない。両者はそれぞれ異なる知的活動に由来するものであり、精神は、はじめ両者を分離しておいて、その後で両者を加え合わせるという方法によってはじめて、両者を結合するのである。
 宗教の問題では、この二種類の質問を区別することは特に容易である。いかなる宗教的現象も、それぞれ歴史をもっており、それに先だつ自然的な現象から派生してきたものである。こんにち聖書の高等批評といわれているものは、初代教会においてあまりにも無視されていたこのような存在的な観点から聖書を研究しようとするものにほかならない。いったい、いかなる伝記的な条件のあとに、聖書の作者たちはそれぞれの記録を編んで、聖書の完成に寄与したのか? 彼らが聖書に記されているような言葉を述べた時に、彼らめいめいの心にいったいいかなる観念が抱かれていたのか? これらのことは明らかに歴史的事実に関する問題であって、これに対する解答が、さらにそれ以上の問題を、つまり、そのように成立の事情を明らかにされたそのような書物が人生の指針や啓示としていかに役だつか、という問題を、ただちに解決しうるとは思えないのである。このあう一つの質問に答えるためには、私たちは、啓示という目的にかなうだけの価値をその書物に与える事物のその特質は何か、ということに関して、ある一般的な原理をすでに心にもっていなければならない。そしてこの理論こそ、私がいましがた精神的判断と呼んだものにほかならないのである。そういう精神的判断を存在判断に結びつけることによって、実際、私たちは、聖書の価値についてまた別の精神的判断を演繹することもできるであろう。かくして、もしかりに私たちの啓示 = 価値の理論が、いかなる書物も啓示という価値をもつためには自動的に編まれたものでなければならず、作者の気まぐれで編まれたものであってはならぬと主張したり、あるいは、その書物は科学的にも史実的にも誤謬を含んでいてはならず、一地方や一個人の情念を表現するようなものであってはならぬ、などと主張するとしたら、おそらく聖書という書物は、私たちの手にかかって、ひどい目にあうことになろう。しかし、これとは反対に、もし私たちの理論が、書物というものは、おのれの運命の危機と闘いぬいた偉大な魂をもった人間の内的経験の真実の記録でさえあれば、たとえ多くの誤謬や激情が含まれていようとも、また、人間の故意の作意がそこにあったとしても、りっぱに一つの啓示たりうる、ということを認めるものであれば、聖書ははるかに有利な評価を受けることであろう。つまり、存在の事実だけでは価値を決定するには十分でないのである。それだから、高等批評にもっともけた達人は存在の問題と精神の問題とをけっして混同しない。提出された事実についての結論は同じであっても、価値の根拠についてはめいめいの精神的判断が異なっているのであるから、それに応じて、啓示としての聖書の価値についても、人それぞれが見解を異にすることになるわけである。

 私は二種類の判断について一般的な注意を述べたが、それというのも、宗教的な人々のなかには、ここに列席されている諸君のなかにも、多分そういう人がおられると思うが──まだこの区別を立論の基礎として活用しておられず、ために、これからの講義で宗教的経験の諸現象を考察してゆく純粋に存在の見地に立つ見方に対して、はじめちょっと驚かれる人が多いだろうと思うからである。私が、宗教的経験の諸現象をば、まるで個人の経歴のうちの奇妙な事実にすぎないかのように、生物学的にかつ心理学的に取り扱うとき、諸君のうちには、そういうやり方は崇高なこの主題の価値をおとしめるものだと考える人がおられるかもしれない。いや、そればかりか、私の意図が十分に明らかにされぬうちは、わざと人生の宗教的な側面を不信におとしいれようとしているのではあるまいかと、私を疑う人さえおられるかもしれない。
 そういう結果になったら、それこそ私の意図にまったくもとるものであることは、申し上げるまでもない。もし諸君の側にそのような偏見があれば、私がこれから述べねばならぬ事柄が当然与えるはずの効果がはなはだしく損われることになるであろうから、その点について、私はもう少し言葉を費やしておこう。
 実際、宗教的生活というものは、それだけに熱中してしまうと、人間を奇人や変人にしてしまいがちなものであることは、疑う余地がない。といって、私はなにも、世の普通の宗教信者のことを、そうだと言っているのではない。普通の信者というものは、仏教徒であれ、キリスト教徒であれ、マホメット教徒であれ、それぞれの国の因襲的儀式に従っている。彼らの宗教は、他人に作ってもらったものであり、伝統によって伝承され、模倣によって固定した型にはめこまれ、習慣によって維持されているものである。こういう二番煎じの宗教的生活を研究したところで、ほとんど益するところはないであろう。私たちはむしろ、すべてこのような他人の示唆によって生じた感情や模倣的行為の模範となった根源的な経験を研究しなくてはならない。このような経験は、宗教というものが退屈な習慣ではなくて、むしろ激しい情熱であるような人物のうちにしか見いだされえない。このような人物こそ、宗教界の「天才」なのである。他の多くの天才たちが、その伝記の数々のページに永く記念されるに足る感銘ぶかいくさぐさの果実を結んでいるように、彼ら宗教的天才たちも、しばしば神経過敏症の徴候を示している。おそらく、他のいかなる領域の天才たちより以上にさえ、宗教の指導的人物たちは異常な心理の発作に襲われやすい素質をもっていたようである。きまって彼らは感受性が強く、たかぶりやすい感情をもつ人間であった。しばしば彼らは調和を欠いた内的生活をおくり、また、生涯のある時期には、憂鬱に陥っている。適度というものを知らず、強迫観念や固定観念にとりつかれがちであった。またしばしば、恍惚状態に陥って、声なき声を聴いたり、影なき影を見たりなどして、ふつう病理的なものの部類に入れられるあらゆる異常な特徴を示している。しかも、その生涯にあらわれるそのような病理学的な特徴こそ、しばしば、彼らに宗教的権威と宗教的感化力とを与えているものなのである。
 なにか具体的な実例をあげることを求められるなら、ジョージ・フォックスという人の示している例ほど適切なものはない。彼が開基したクェーカー派の宗教は、どれほど賞讃してもしすぎることのないものである。それは、にせ物のはびこる時代にあらわれた、霊的内面性に根ざす誠実の宗教であり、それまでイギリスで知られていたいかなる宗教にもまして、本来の福音書の真理の近くに立ちかえるものであった。今日、キリスト教の諸宗派が自由な立場をとる方向に進んでいるのは、本質において、フォックスや初代のクェーカー教徒が昔すでにとっていた立場へ還ろうとしているにほかならないのである。精神の聡明さと能力の点で、フォックスの心が不健全であったなどとは、けっして誰にも言えはしない。フォックスに親しく接した人は、オリヴァー・クロムウェルから州の長官や獄吏にいたるまで、誰もが彼の卓越した力を認めたようである。しかし、その神経組織という点から見ると、フォックスは精神病患者、あるいは、もっとも悪質の狂人 detraque であった。彼の日記には、次のような種類の記事がたくさんある。──

「数人の友だちと歩いていたとき、私が頭をあげると、三つの教会の尖塔が目にとまったが、それに私は生命の核心まで打たれた。あれはどこか、と私は友だちにたずねた。リチフィールドだ、と彼らは答えた。たちまち主のみ言葉がくだって、そこへ行くことを私に命じ給うた。私たちの目的の家につくと、私は友だちにその家のなかへ入ってゆくように頼んだが、自分がこれからどこへ行こうとしているかは告げなかった。友だちが行ってしまうとすぐに私は歩き出した。そして一目散に垣根や溝を飛び越えていって、ついにリチフィールドに一マイル足らずのところに着いた。そこには広い野原があって、羊飼いたちが羊を飼っていた。そのとき私は、靴を脱げ、という主の命令を受けた。私はじっと立っていた。冬ではあったが、主のみ言葉が私の体内で火のように燃え盛っていたからであった。そこで私は靴を脱いで、それを羊飼いたちに預けた。すると、あわれな羊飼いたちはふるえ驚いた。それから、私は一マイルほど歩いて町に入ったが、するとすぐ、主のみ言葉がふたたび私にのぞみ、『禍いなるかな、血ぬられたるリチフィールドのまちよ」と叫べといわれた。そこで、私は街を行きつ戻りつして、禍いなるかな、血ぬられたるリチフィールドの市よ、と声たかく呼ばわった。いちの立つ日であったので、私は市場に入り、市場のあちらこちらを歩きまわり、たびたび立ちどまっては、また前のごとく、禍いなるかな、血ぬられたるリチフィールドのまちよ、と叫んだ。それだのに誰も私を捕えようとはしなかった。こうして叫びながら街々を走りぬけていると、私には、血の河が街のなかを流れているように思われ、市場は血の海と化したように見えた。私にくだった命令をべ終えて、心がはればれとしたとき、私は心おだやかに町を出ていった。羊飼いたちのところへ帰り、彼らに金をいくらか与えて、靴をもどしてもらった。しかし、主の炎が私の足で燃え、そして私の全身に燃えひろがったので、私は靴を履く気にならないで、履いたものかどうか決しかねていた。すると、靴を履いてもよいという主のお許しがあったのがわかったので、私は足を洗ってから、ふたたび靴を履いた。その後で、私は深い瞑想におちいった。それは、どういう理由わけで、私があの町につかわされて、あの町に向かって叫び、あの町を血ぬられたるまちと呼ばわらねばならなかったのか、ということについてであった。なぜなら、議会がある時は大臣に味方し、ある時は国王に味方して、両者のあいだに起こった幾たびかの戦争のあいだに、この町にもおびただしい血が流されていはしたか、しかし、ほかの町より以上に流血がはなはだしかったわけではなかったからである。しかし、後になって、ディオクレティアヌス帝の時代に、千人のキリスト教信者がリチフィールドで殉教したということを、私は知った。そこで私は、千年以上も前にその町に注がれて、今は路上に冷たく横たわっている殉教者たちの血を追悼するために、靴を履かずに、彼らの流した血の河を渡ったり、市場にある彼らの血の池に入ったりすることになったのであった。このようにして、あの血の意識が私を襲い、そこで私は主のみ言葉に従ったのである。」

 私たちは宗教の存在の条件を研究しようと心がけているのであるから、この主題のこのような病理学的な側面を無視するわけにはゆかないであろう。私たちは、あたかもそれが無宗教的な人間にあらわれる場合のように、そのような病理学的な側面を記述し、命名しなければならない。たしかに私たちは、私たちの感動や愛情の対象となるものが、他の対象と同じように理知によって取り扱われるのを見ることを、本能的に恐れて尻ごみするものである。理知が対象を扱う第一の方法は、その対象を他の対象といっしょにして分類することである。しかし、私たちにとって限りなく重要であって、しかも私たちに畏敬の念をよびさますような対象は、何によらず、特殊なもの sui generis 独自なものでなければならぬような感じを、私たちにも抱かせるのである。かにだって、私たちが有無をいわせず無造作に、甲殻類として分類しているのを聞くことができたら、おそらく侮辱された気がして怒り出すことであろう。「おれはそんなものじゃない」「おれはおれ自身なんだ、ただひとりのおれ自身なのだ」と蟹は言うことであろう。

 理知が対象を処理する第二の方法は、事物の生ずる原因を明らかにすることである。スピノザは言っている、「人間の行為や性向を、それがあたかも線や面や立体の問題であるかのごとく、私は分析しよう」と。また他の個所では、こう述べている、ほかの一切の自然の事物を見るのと同じ目で、私たちの情念やその属性を考察しよう、なぜなら、内角の和が二直角に等しいという結果が三角形の性質から出てくるのと同じく必然的に、私たちの感情の結果もその本性から生ずるからである、と。同じように、テーヌ氏もその英文学史の序論でこう記している。「事実が精神的であるか物質的であるかは、問題でない。事実にはつねに原因がある。消化、筋肉運動、体温に原因があるように、野心、勇気、誠実にも原因がある。悪徳も美徳も、硫酸塩や砂糖と同じような産物である。」ありとあらゆる事物の存在条件を残らず明らかにしようと執心する知性が宣言するこのような言葉を読むと、私たちは──もっとも、スピノザやテーヌのような若者たちが実際にそれをどれだけ実行できるかを考えてみると、その計画はやや滑稽な誇張で、当然、私たちには我慢がならないものであるが、それは別として──私たちのいちばん深い生命の源泉が脅かされ否定されているような気がするのである。そういう冷酷無情な比較は私たちの魂の生命の秘密を台なしにしようとするもので、あたかも、私たちの魂の秘密の起源がうまく説明できると、それで同時にその意義までも説明し終わったと思いこみ、魂の秘密をば、テーヌのいう塩や砂糖のような実用食料品のもつほどの価値しかないものに見なしてしまうようなものだ、と私たちは考える。
 起源が卑しいと主張されると、霊的価値までが台なしにされてしまう、というこの仮説をごく一般的にあらわしているのは、鈍感な人々が自分よりち敏感な知人に対してしばしばくだす批評の言葉である。アルフレッドがあんなに固く霊魂の不滅を信じるのは、彼の気質がそのように感動しやすいからだ。ファンニーが並みはずれて良心的なのは、神経が過敏だからにすぎない。ウィリアムの憂欝な宇宙観は、消化不良のせいだ──おそらく肝臓の働きが悪いのだろう。エリザが教会へ行くのを楽しむのは、彼女がヒステリー性の体質であることの徴候なのだ。もっと戸外に出て運動でもしたら、ピーターは魂の問題などにあんなに思い悩むこともなくなるだろうに、などという批評である。これと同じ論法のもっと極端化した例は、今日、ある著者たちの間ではごく普通のことになっているものであるが、宗教的感情と性生活との関係を明らかにすることによって、宗教的感情を批判するというやり方である。回心は思春期と青春期との分かれ目である。聖者の難行苦行も、宣教師の献身的行為も、親としての自己犠牲の本能が常軌を逸したものにすぎない。自然な生活に飢えているヒステリー症の修道女にとって、キリストは、いっそう地上的な愛情の対象の代理として想像に描かれたものにすぎない、などという論法で、同じような例はいくらもある。

〔…〕

 自分が反感をいだいている精神状態の価値をおとしめようとする時に用いられるこの方法は、普通、私たちみんながよく知っているものである。精神状態が緊張しすぎていると思われる人物を批評する時に、私たちはみな、少しはこの方法を用いるのである。しかし、私たち自身の魂の高掲状態を批評して、体質のあらわれ「以外のなにものでもない」などという人がいたら、私たちは侮辱を感じて憤慨するであろう。身体の特質はどうあろうとも、私たちの精神状態は生きた真理の啓示として独自な価値をもっていることを、私たちは知っているからである。だから私たちは、このような医学的唯物論の口を封じてしまいたい、と願うのである。
 医学的唯物論、実際これは、私たちがいま考察しているこのあまりにも単純な思想体系をあらわすのに実にふさわしい呼び名である。医学的唯物論は、聖パウロがダマスコへの途上でキリストの幻影を見たのは、彼が癲癇てんかん病患者であったからで、大脳皮質後頭葉の放電傷害のせいだといって、片づけてしまう。また、聖テレサはヒステリー患者であり、アシジの聖フランチェスコは遺伝性変質者であるとして片づける。ジョージ・フォックスが彼の時代のインチキの横行に我慢しきれなかったことも、彼が精神の誠実を切に求めたことも、結腸障害の徴候だと見なすのである。カーライルが世の悲惨を悲痛な調子で描くのは、胃腸カタルのせいだと説明する。すべてこのような過度に緊張した心の状態は、つきつめてみると、さまざまな腺の倒錯作用にもとづく病的特異体質の問題(多分、自家中毒の症状)にすぎず、これは、今後、生理学が明らかにしてゆくであろう、とその説は主張するのである。
 そして医学的唯物論は、それでそのような人物の精神的権威がうまくくつがえせた、と考える。

 できるだけ視野をひろげて問題を考察してみよう。現代の心理学は、精神と身体との間には確かに一定の関係があるとみなし、精神状態はすみずみまで完全に身体的条件に左右されているという考えを、便利な仮説として認めている。この仮説を認めると、むろん、医学的唯物論の主張することは、一つ一つの細かい点はとにかく、大体においては真実でなければならぬことになる。つまり、聖パウロは癲癇の発作を起こしたのではなかったとしても、かつてなにか癲癇に似た症状を示したことがあり、ジョージ・フォックスは遺伝性変質者であり、カーライルは、疑いもなく、どこかの器官が原因で自家中毒にかかったのだ、等々ということになる。しかし、ここで、私は諸君におたずねしたい。精神史上の事実をこのように存在という観念から説明することで、その事実のもつ精神的意義をいったいどうして決定できるのか、と。いま述べたような心理学の一般的要請によると、私たちの精神状態には、高いものでも低いものでも、健全なものでも病的なものでも、なにか身体の過程をその条件としていないものは一つもないことになる。科学上の諸理論も、宗教的感情とまったく同じように、身体の条件に制約されることになる。そこで、事実に精通しさえすれば、私たちは、確かに、「肝臓」が、頑強な無神論者の断定を決定するばかりでなく、同じようにまた、罪の自覚に魂を悩ませているメソジスト派信者の断定をも決定していることを理解するであろう。肝臓がそこに浸透してくる血液をある性質に変えると、メソジスト派型の精神が生じ、別の性質に変えると、無神論者型の精神が生じることになる。私たちの狂喜や冷淡も、憧憬や熱望も、疑惑や確信も、すべて同じことである。これらの精神状態は、その内容が宗教的なものであろうと非宗教的なものであろうと、ひとしく身体の条件にもとづいていることになる。
 そこで、一般に、精神的価値を一定の種類の生理的変化に結びつけて考えるような一種の精神=物理説をあらかじめ作り上げておくのでなければ、宗教的な精神状態がすぐれた精神的価値をもっていると主張するその権利を反駁するために宗教的な精神状態の身体原因説を弁ずるのは、まったく理屈に合わぬ気まぐれなことになる。さもないと、私たちの思想や感情も、私たちの科学上の学説でさえも、私たちの信仰否認すらも、真理の啓示としての価値をなんら保存しないことになろう。なぜなら、そのいずれもが、例外なしに、そういう観念をいだいた人のその時その時の身体の状態から生ずることになるからである。
 医学的唯物論が、実際は、かかる徹底した懐疑的結論を引き出すものでないことは、言うまでもない。確かに、あらゆる素朴な人間が信じているように、ある精神状態は他のそれよりも内面的に優っており、私たちにより多くの真理を啓示する。そして、この点では、医学的唯物論も、単純に、普通の精神的判断を利用するのである。医学的唯物論には、みずから好ましいと思うそのような精神状態がいかにして生じるかを説く生理学理論がない。ところが、そのような生理学理論があってこそ、医学的唯物論はその精神状態の価値を認めることもできるのである。それだから、医学的唯物論が、自分の嫌いな精神状態を、漠然と神経や肝臓に結びつけ、身体の欠陥を意味する名前をそれにつけて、それをおとしめようとするのは、まったく論理に合わないことであり、辻褄の合わないことである。

〔…〕

 ところで、これらの著者たちが、天才の業績は病気の果実であるという説を首尾よくうち樹てて悦に入られるのは結構であるが、さてそれから一歩をすすめて、その説をどこまで貫き、彼らはこの果実の価値を非難することに向かわれるであろうか? 存在条件についてのその新しい学説から、なにか新しい精神的判断を演繹されるのであろうか? 私たちが天才の作り出したものを賞賛することを、今後は、公然と禁止なさるのであろうか? そして、いかなる精神病者も新しい真理の啓示者たりえないと、きっぱり言い切られるのであろうか?
 そうではあるまい。彼らの直覚的な精神的本能は、この場合あまりにも強くて、彼らの手におえず、医学的唯物論が、論理の首尾一貫性を愛するというだけのことから、悲しいかな、喜んでくだされざるをえないような結論に抗して、自己を主張するのである。なるほど、この流派の一学徒は、医学的論法を用いて、天才の作品の価値を十把ひとからげにやっつけようと奮戦してい(槍玉にあがっているのは、実は、彼自身に鑑賞するだけの力のない当代の芸術作品なのであって、そういう作品はたくさんある。)しかし、大体において、傑作といわれる作品は問題にされないでいる。そして、医学の戦線からのこの攻撃は、誰でもが本質的に異常であると認めているような古い作品に限られているか、そうでなければ、もっぱら宗教的表白にのみ向けられている。それは、この批評家が内的あるいは精神的な理由からそういう宗教的表白を好まないので、それがかねがね善くないものと定められてしまっていたからなのである。

 自然科学とか工業技術とかの場合なら、そういう学問や技術にたずさわる人の神経病的体質をあばき出して、彼らの意見を反駁しようなどと思いつく人はありはしない。この場合には、意見はいつでも論理と実験とによって吟味されるのであって、彼らが神経学上いかなる類型に属しようと、問題ではない。宗教的意見の場合も、そうなくてはならのはずである。宗教的意見の価値は、直接にその意見そのものにくだされる精神的判断によって確定されうるばかりである。つまり、第一には、私たち自身の直接的な感情にもとづき、第二には、その宗教的存見と、私たちの道徳的要求、および、私たちが真理とみなす他の知識との間に認められる経験的関係にもとづく判断によって確定されうるばかりである。
 要するに、直接の明白性哲学的合理性、および道徳的有用性、これらだけが有効な規準である。聖テレサはきわめて柔和な牝牛のような神経組織をもっていたかもしれない。しかし、そんなことは、それとは別のかのテストによる吟味にかけてみて、彼女の神学が卑しむべきものだとわかれば、彼女の神学を救いはしないだろう。反対に、彼女の神学がそれとは別のかのテストに堪えうるものであれば、聖テレサが、私たちとともにこの下界に生存している間、いかにヒステリーや神経過敏で平衡を失っていようとも、すこしも問題にはならないであろう。

 諸君もおわかりのごとく、結局、私たちは、経験論哲学が真理の探求において私たちの導きとすべきものであるとつねに主張してきた一般的原理に連れもどされるのである。独断論の哲学は、私たちが未来に訴えることをせずにすむような真理のテストを探究してきた。ある直接の標識に注目しておれば、直接的かつ絶対的に、今後永久に、いかなる誤謬をも私たちは冒さずにすむ、──そう考えて、それを見いだすことが、哲学的独断論者たちの切なる夢であった。かかる観点から、もしさまざまな起源を識別することができさえすれば、真理の起源こそが、この種のすばらしい規準となるであろうことは、明らかである。そして、事実、独断的思想の歴史は、起源こそがお気にいりのテストであったことを示している。直覚という起源、教皇権という起源、幻視とか、幻聴とか、ふしぎな印象による超自然的啓示という起源、予言とか戒告とかとなって表現される人間以上の精霊に直接かれた状態という起源、一般に自動的、無意識的に発せられる言葉という起源──これらの起源が、宗教史上につぎつぎと登場する意見の真理性の常套的な保証であった。してみると、医学的唯物論者たちは、時代おくれの独断論者にすぎず、信頼のためにではなく、破壊のために、起源という規準を用いて、先輩たちに巧みにさかねじを食わせているにすぎないのである。
 宗教の病理学的起源を説く彼らの論説が有効なのは、超自然的起源が別の側から主張されている間だけに、しかも、起源からの論証のみが論議される間だけに限られている。しかし、起源からの論証がただそれだけ単独に用いられたためしはめったにない。そのような論証が不十分であることは、あまりにも明白だからである。モーズリー博士は、起源を根拠として超自然的宗教を反駁する人々の間で、おそらくもっとも聡明な人であるが、その博士すら次のように記さざるをえなかったのである。──
「自然は完全な人間だけを用いてその目的を達しなければならぬ、などと信じるいかなる権利を、われわれはもっているというのか? ある特殊な目的のためには、不完全な人間のほうが都合のよい道具だ、と自然は考えているかもしれないのである。成しとげられた仕事と、その仕事を成しとげた人間のその性質と、これだけが重要なのである。それに、宇宙的な立場からすれば、その人間に、他のいろいろな性質の上でいちじるしい欠陥があったとしても──彼が偽善者、姦淫を犯した者、変質者であろうと、精神病者であろうと、そんなことはどうでもよいのである。……そこで、われわれは、またしても確実性の昔からの最後の拠り所へ──すなわち、人類の共通の同意へ、あるいは、教養と鍛錬とによって人類の師表と目される人の同意へ、と立ちかえるのである。」

〔…〕

 私は付加的な説明に必要以上に長い道草を食ってきたかもしれない。また、これほど言葉を費やさなくとも、私が病理学的な前置きを述べた時に諸君のうちに抱かれた方があるかもしれぬ魅念を追い払えたかもしれない。とにかく、諸君はもう、宗教生活をその結果によってのみ判断しようという気になっておられるに違いない。そして、病的起源という化け物ももはや諸君の宗教心を侮辱するようなことはあるまい、と私は考える。
 それでもなお、諸君は私に問われるかもしれない。もしその結果が宗教的現象に関する私たちの究極の精神的評価の基礎となるべきものであるとすれば、いったいなぜ私たちは宗教的現象の条件に関する存在的な研究などをそれほど気にするのであろうか? なぜ病理学的な問題など無視してしまってはならないのか? と。
 この質問に対しては、私は二つの方面から答えたい。すなわち、第一に、抑えがたい好奇心がそうすることを命ずるからであり、第二に、およそある事物のもつ意義というものは、それが誇張されたり倒錯されたりした形のもの、その等価物や代用品や、その他それとごく近い類縁関係にあるもの、などを考察してみると、いっそうよく理解されるのが普通だからである。それによって、私たちは、同じ種類の下等な事物に私たちが加える徹底的な非難を、そのものにも浴びせかけようとするのではなく、むしろ、対照させてみることによって、そのものの長所がどこにあるかをいっそう正確に突きとめると同時に、どういう特殊な腐敗の危険にそれがさらされかねないかということを学び知ろうとするのである。
 病的状態にも長所がある。すなわち、病的状態は精神生活の特殊な要因を孤立させて、普通それをとり巻いているいろいろなものの影響を受けないそれら要因の正体を見きわめることを可能にしてくれる、という長所である。解剖刀と顕微鏡とが身体の解剖において果たす役割を、病的状態は、精神の解剖にあたって果たすのである。もし一つの事物をほんとうに知ろうと思うならば、私たちは事物を、それを取り巻くものの内部に入って見るとともに、その外部からも見なければならない。そして、その事物の変異態の全範囲を熟知しなければならない。このようにして、幻覚ハルシネーションの研究が、心理学者にとって、正常な感覚を理解する鍵となり、幻想イリュージョンの研究が知覚を正しく理解する鍵となったのである。病的衝動と強迫観念、いわゆる「固定観念」は、常態意志の心理学に豊かな光を投げたが、強迫観念や妄想は、正常な信仰能力の心理学に対しても同じような貢献をしてきたのである。
 それと同じように、天才の本性も、天才をさまざまな精神病的現象と並べて比較して見ようとする上述のような試みによって、明らかにされるにいたった。狂気すれすれのもの、たとえば、変奇性、病的気質、精神の平衡喪失、精神病的変質(精神病すれすれのものに名づけられた多くの同義語のうち、数語を挙げたにすぎないが)には、ある種の特異性と傾向性があり、これが個人の優秀な性質の知力と結合するとき、その人間は、神経症的気質が弱かった時よりも、いっそうその人間が抜きんでて名を成し、時代に影響を与えることを可能にするのである。もちろん、このような変奇性そのものと優秀な知力との間には、なんら特別の類縁関係はない。たいていの精神病者は知力が薄弱であり、知力の優秀な人間はむしろ正常な神経組織をもっているのが普通なのである。しかし精神病的気質は、いかなる知力と配合されていようとも、熱狂し興奮しやすい性格をしばしば伴なう。変異性の人は異常な感情的感受性をもっている。彼は固定観念や強迫観念に憑かれやすい。彼の観念はただちに信仰や行動に移ってゆく傾向がある。そして、なにか新しい観念が浮かぶと、それを宣言するか、なんらかの方法で「それを働かせてみる」かするまでは、彼の心は落ちつかないのである。「これはどう考えたらよいのだろう?」と、普通の人間なら面倒な問題にぶつかると自問するのであるが、変奇性の人の場合には、「これをどうすべきだろう?」というのが、その自問のとりがちな形式である。気高い心の女性、アンニー・ベザント夫人の自叙伝で、私は次のような一節を読んだ。「りっぱな主義主張の栄えることを願う人はたくさんいるが、その実現に力をかそうとしたがる人は少ないし、いかなる危険を冒しても、それを支持しようとする人となると、ますます少ない。『誰かがそれをしなくてはならない。しかし、なぜ自分がそれをしなくてはならぬのか?』というのが、優柔不断な輩のたえずくりかえす常套語である。「誰かがそれをしなくてはならない。それなら、どうして自分がそれをしてはいけないのか?」というのは、勇躍危険な義務に当たろうとする熱烈な人類の奉仕者の叫びである。この二つの言葉の間に、道徳の進化の全世紀が横たわっている。」まことにその通りである。そして、この二つの言葉の間に、普通の無精な人間と精神病的な人間との運命の違いもまた横たわっているのである。かくして、優秀な知力と精神病的な気質とが同一の個人のうちに合体する時──人間の能力の順列と組み合わせが無限におこなわれると、この二つが合体せざるをえない場合がたいへん多い──人名辞典に載るような有能な天才の生まれる最良の条件がそなわるのである。このような人間はたんに知力をふるう批評家、識者たるにとどまらない。観念が彼らにとりいて、彼らはその観念を、よかれあしかれ、自分の仲間や時代に押しつけるのである。ロンブローソ、ニズビット、その他の諸氏が、彼らの逆説を弁護しようとして統計に訴える時、その数にかぞえられているのは、このような人たちなのである。

 さてここで、宗教的な諸現象に移って、やがてわかるように、完全に進化をとげたあらゆる宗教において本質的な要素をなしている憂鬱のことを考えてみていただきたい。宗教的信仰の達成がもたらす幸福のことを考えてみていただきたい。あらゆる宗教的神秘主義者が報告している、真理を洞察しえたときの恍惚状態のことを考えてみていただきたい。これらはいずれも、はるかに広い範囲にわたって見られる種類の人間経験の特殊な場合である。宗教的憂鬱は、それが宗教的なものとして qua いかなる特質をもっていようとも、とにかく憂欝であることに変わりはない。宗教的幸福は幸福であり、宗教的恍惚は恍惚である。そして、ある事物は、他の事物と並べて比較されたりその起源が明らかにされたりするや否やその価値を失ってしまう、という謬見を私たちが捨てるならば、私たちが実験の結果と内的性質とに従って価値を判断することに同意するならば、宗教的な憂欝と幸福、あるいは、宗教的恍惚を、宗教的でない憂欝、幸福および恍惚の諸相とできるだけ良心的に比較するほうが、これらがより一般的な種類のなかで占める位置を考察することを拒否して、まるで自然の秩序の外にあるものであるかのように扱う場合よりも、おそらくはるかによく私たちはそれらの特殊な意義を見きわめうるだろう、ということを、誰が悟らないであろうか。

 この講義が進むにつれて、私たちのこの仮説がしだいに強固なものになってくれればよい、と私は思う。多くの宗教的現象の精神病的起源ということについてであるが、そういう現象がたとえ天からもっとも貴重な人間経験であると証言されたとしても、いささかも驚いたり、まごついたりすることはあるまい。ただひとりの肉体の所有者に真理の全体が授かるなどということは、ありえないことだろう。私たちにしても、どこかが弱かったり、病身でさえあったりしないような者は少ないのである。ところが、私たちのそういう弱点そのものがかえって思いもかけず私たちを助けてくれているのである。精神病的気質のうちには、道徳的知覚の必要条件 sine qua nonである感激性がある。そこには、道徳的実行力の本質たる、あることをとくに強調する熱情と傾向がある。また、形而上学と神秘主義を愛する心があり、それが、感覚的世界の表面を超えたかなたへと、人の関心を運んでゆくのである。それなら、この精神病的気質が、宗教的真理の領域や、宇宙の秘境へと私たちを導いてくれるというのも、しごく当然なことではないか。この世界は、いつも二頭筋をこれ見よがしに隆々とふくらませ、肉をたたき、自分の体内には病気の援絵など一本もないと神に感謝するような、頑健な俗人型の神経組織をもったひとりよがりの人間には、永久に閉ざされざるをえないことは確かであろう。
 天来の霊感というようなものがもしあるとすれば、おそらく神経病的気質こそそれを必受するのに必要な主要条件であろう。これだけの説明をしておけば、もう宗教と神経病との問題を打ち切ってもよかろうと思う。
 さまざまな宗教的現象をいっそうよく理解するために比較されねばならの病的、あるいは、健全な付随現象の集合は、教育学の通用語で「類化集合」と呼ばれるもので、これによって、私たちは宗教的現象を理能するのである。この講義がもっていると私に想像できる唯一の目新しさは、そのような類化集合の広さにある。私は、大学の教育課程で普通とり扱われるよりももっと広汎関連において、宗教的経験を論究することができるかもしれない。

第二講 主題の範囲

 宗教哲学に関するたいていの書物は、宗教の本質をなすものは何か、ということを正確に定義することから始めようとする。この第二講の後半において、そのような定義と称せられるものの幾つかが多分ちち出されることになるであろうから、私は今ここで、諸君の前にそういう定義を列挙してみせるというような、あまり学者ぶったことをしないでおこう。それはともあれ、宗教の定義がたくさんあって、しかも互いに異なっているという事実こそ、「宗教」という言葉がなにか一つの原理とか本質とかを表わすものではありえず、むしろ一つの集合名詞であるということを、十分に証明しているのである。理論家には、つねにその材料をあまりにも単純化しすぎる傾きがある。この傾向が、哲学と宗教とをともに悩ましてきた、あのあらゆる絶対主義や偏狭な断論の根源なのである。私たちは、私たちの主題のそういう一面的な見方にただちに陥ることのないようにし、むしろ、私たちが発見しようとするものは、おそらく、一つの本質ではなくて、宗教においてそれぞれ等しく重要でありうる多くの性質であるということを、まず初めに、率直に認めておくことにしよう。たとえば、私たちが「政府」の本質は何かとたずねたとしたら、Aは、それは権威であるといい、Bは従属関係、Cは警察、Dは軍隊、Eは議会、Fは法律組織であると答えるかもしれない。しかし、これらすべての要素がなければ、具体的な政府というものは存在できないのであって、その要素のどれか一つがある時には重要となり、またある時には他の要素が重要となる、というのがつねに真相であろう。政府のさまざまな型をもっとも完全に知っている人は、それらの政府の本質を示すといったような定義などに、もっとも頓着しない人である。そういう人は、それぞれの政府のあらゆる特質をよく知っているので、当然、それら特質を一つの事物のごとく統一してしまう抽象概念をば、ひとを啓発するよりもむしろ誤らせるものであると考えることであろう。それなら、どうして宗教も同じように複合的な概念であってはならないのであろうか。

 多くの書物において、「宗教的情緒」というものがあたかも一種独特な心的状態であるかのように言及されているが、この宗教的情緒のことをも考察してみよう。
 心理学や宗教哲学において、著者たちが宗教的情緒の本質がいかなるものであるかを規定しようと試みているのが見られる。ある人はそれを依拠の感情と同類であるとし、ある人はそれを恐怖心から派生したものとなし、ある人はそれを性生活に結びつけ、ある人はさらにそれを無限者についての感情と同一視しようとするなど、さまざまである。宗教的情緒がかくさまざまに考えられるという事実は、おのずから、宗教的情緒が果たして一つの特殊な事物たりうるかどうか、という疑問を呼び起こすにちがいない。そこで、「宗教的情緒」という言葉を、宗教的対象がこちごも呼び起こす多くの情緒を表わす集合名詞として用いるようにすれば、宗教的情緒なるものがなんら心理学的に特殊な性質をもつものでないことを、私たちはただちに理解するのである。宗教的恐怖、宗教的愛、宗教的畏怖、宗教的歓喜など、さまざまなものがある。しかし、宗教的愛とは、人間に生来の愛の感情が宗教的対象に向けられたものにすぎない。宗教的恐怖とは、人間の日常生活に起こる普通の恐怖にすぎないのであって、いわば、人のこころにおこる世のつねのおののきが神の罰という観念によって引き起こされた場合にそう呼ばれるにすぎないのである。宗教的畏怖とは、薄暗がりの森の中や山のはざまで私たちが感じるのと同じわななきなのであって、それが、この場合には、私自身の超自然的な関係つながりのことを思うとき私たちを襲うというにすぎないのである。宗教的な人物の生活のなかで働いているさまざまな情緒すべてについても、同じことがいえる。宗教的感情は、一つの感情に一つの特殊な対象が加わってできあがる具体的な精神状態なのであるから、もちろん、他のもろもろの具体的な感情とは区別されうる心的状態である。しかし、単一の抽象的な「宗教的感情」が、一つの独特な基本的な心の性情としてそれ自身で存在し、あらゆる宗教的経験の中に例外なくあらわれている、と想定すべき根拠いわれはないのである。
 このように、基本的な宗教的感情というようなものは一つも存在せず、さまざまな宗教的対象によって誘発される感情の共同倉庫が存在するにすぎないように思われるが、同じように、特殊な本来の宗教的対象というようなものも、また、特殊な本来の宗教的行為というようなもの一つも存在しない、ということも、当然考えられることであろう。
 宗教の領域はこのように広汎なのであるから、明らかに、私としてもその全領域をとりあつかうなどと自惚うぬぼれるわけにはとうていゆかない。私の講義は主題のほんの一小部分に限定されざるをえない。宗教の本質について抽象的な定義をまず掲げ、ついで、誰でも来いとばかりその定義を弁護してゆくというのは、実にばかげたことであろうが、しかしそれだからといって、この講義の目的に沿うように、宗教が何によって成り立つかについての私自身の見解をはっきり述べていけないわけもないし、宗教という言葉のもつ多くの意味のなかから、とくに諸君に興味をもっていただきたいと思う一つの意味を選びだして、私が「宗教」と言うときにはその意味を指していっているのだということを、私なりに宣言しておいていけないわけでもない。事実、それは私がぜひともしなければならぬことで、これから、私は私の選ぶ主題の範囲をあらかじめ限定しておくことにしようと思う。
 主題の範囲を限定する容易な方法の一つは、主題のどの側面を除外するか、を述べることである。まず思い浮かぶのは、宗教の領域を二分する一大区分である。その一方に、制度的宗教があり、他方に、個人的宗教がある。サバティエ氏のいうように、宗教の一方の分派は神のことを、他方の分派は人間のことを、もっとも念頭においている。礼拝と供物、神意にうったえるための手続き、神学と儀礼と教会組織、これらは、制度的宗教派における宗教の本質的要素である。もし私たちがこの派だけを宗教と見なすとすれば、私たちは、宗教を、外的な技術、すなわち、神々の好意を得るための技術である、と定義しなければならないであろう。これに反して、宗教をむしろ個人的なものとみなす一派にあっては、関心の中心をなすものは、人間そのものの内的ないろいろの性向、すなわち、人間の良心、人間の受けるべき報い、人間の無力さ、人間の不完全さである。したがって、神の好意を失ったり得たりすることが、この場合にもやはり、その所説の本質的な特徴であり、神学がそこで重大な役割を演じてはいるけれども、しかしこの種の宗教がうながす行為は個人的な行為であって、儀式的な行為ではなく、個人はただ自分ひとりでそのなすべき務めをなすのであって、教会組織は、それに属する祭司、礼典、その他の媒介者とともに、まったく第二次的な地位に落ちる。人間と神との関係は、心から心へ、魂から魂へ、直接ににいれるのである。
 さて、この講義において、私は、制度的宗教の分派をまったく無視し、教会組織のことには少しもふれず、組織神学や神々の観念そのものについてもできるだけ考察しないで、問題をできるだけ純然たる個人的宗教のみに限定したいと思う。諸君のうちには、そのように純粋な形で考察される個人的宗教は、疑いもなく、宗教という一般的名称をになうにはあまりにも不完全なものだと思う人があるかおしれない。諸君はこう言われるかもしれない。「そんなものは宗教の一部分で、まだ組織化されない宗教のきざしでしかない。もしそれにそれだけの名前をつけようと思うなら、人間の宗教というよりも、人間の良心あるいは道徳とでも呼んだほうがふさわしいであろう。『宗教』という名前は、感情と思想と制度との十分に組織された体系のために、つまり、教会のために、とっておかるべきであって、そのようないわゆる個人的宗教は、この教会の部分的な一要素にすぎないのである」と。
 しかし、諸君がそう主張されるなら、それこそ、定義の問題がいかに名称に関する論争となりがちであるかを、それだけ明らかに示すだけのことであろう。そのような論争に長いあいだかかずらっているよりも、私は、私がこれから取り扱おうとする個人的宗教をあらわすほとんどどのような名前でも、進んでこれを採用したいと思う。諸君がその方がよいと思われるのなら、宗教と呼ばないで、良心とか道徳とかと呼ばれるがよい──どちらの名前を与えられても、それは、同じように、私たちの研究に値するであろう。私自身は、個人的宗教は事実、純然たる道徳の含まない諸要素を含んでいると思っている。そして、それらの要素を、私はやがて指摘するつもりである。それだから、私としては、どこまでも、それに「宗教」という言葉を適用して行きたいと思う。そして、この講義全体の最後に、私はもろもろの神学と教会制度とを紹介し、それらのものと個人的宗教との関係について幾らか述べてみたいと思う。
 少なくとも一つの意味において、個人的宗教は神学や教会制度よりも根本的であることがわかるであろう。教会は、ひとたび設立されると、受売り式セカンド・ハンドに伝統によって存続してゆく。ところが、いかなる教会の開祖も、その力を、最初は、彼らと神との直接の個人的な交わりという事実から得たのである。キリスト、仏陀、マホメットのごとき超人間的な開祖のみならず、キリスト教のすべての宗派の教祖たちも同じことである──してみると、個人的宗教は、それを不完全なものと考えることをやめない人々にとってさえ、やはり根源的なものと思われるはずである。
 なるほど、宗教のうちには、道徳的な意味における人格的敬虔などよりも年代的にいっそう原始的なものがほかにある。呪物崇拝フェティシズムや呪術は、内面的な敬虔よりも、歴史的に先だっていたように思われる──少なくとも、内面的な敬虔に関する私たちの記録は、それほど遠い過去にさかのぼりはしない。もし呪物崇拝や呪術が宗教発展の前段階と見られるとすれば、内面的な意味における個人的宗教や、これにもとづく真に霊的な教会組織は、第二次的な、いな第三次的とさえいうべき順位しか占めない現象である、と言えよう。しかし、多くの人類学者たち──たとえば、ジェヴォンズやフレイザー──が、「宗教」と「呪術」とを互いにはっきりと対立させているという事実は別にしても、呪術、呪物崇拝、低級な迷信となるにいたるような思想の全体系は、確かに、原始宗教と呼ばれていいが、また原始科学と呼んでもさしつかえないものである。かくして、問題はふたたび言葉の上だけの問題となる。そして、思想および感情のこのようなあらゆる初期の段階についての私たちの知識は、とにかく、きわめて推測的で不完全なものであるから、これ以上論ずるのは無駄なことであろう。
 それゆえ、いま私は宗教というものを自分なりに勝手に解釈することを許していただくことにして、私たちは宗教をこういう意味に解したい。すなわち、宗教とは、個々の人間が孤独の状態にかっていかなるものであれ神的な存在と考えられるものと自分が関係していることを悟る場合だけに生ずる感情行為経験である、と。この関係は、道徳的でも、物質的でも、儀式的でもありうるのであるから、私たちの解するような意味の宗教から、いろいろな神学や哲学や教会組織が第二次的に育ってくるであろうことは、明らかである。しかし、この講義においては、すでに述べたように、直接の個人的経験を取り扱うだけで時間が一杯であるから、神学や教会組織のことを考察する暇は全くないであろう。
 私たちの研究の範囲を自分なりにこう限定しておけば、多くの論争問題は避けられることと思う。しかしそれでもなお、「神的」という言葉をあまりにも狭い意味にとって定義したりすると、それがもとで、論争が起こりかねないのである。世間で一般に宗教的だと呼ばれておりながら、積極的に神というものを仮定しない思想体系がいろいろある。仏教がその例である。一般に考えられているところによれば、もちろん、仏陀自身が神の地位に立っている。しかし、厳密な意味では仏教の作系は無神論的である。近代の超越論的観念論、たとえば、エマソンの思想にしても、神を抽象的な理想性のなかへ蒸発させてしまっているように思われる。具体的な in concreto 神でもなく、超人間的人格でもなく、事物に内在している神性、宇宙の本質的に霊的な構造が、超概論者の崇拝の対象なのである。一八三八年、ディヴィニティ・カレッシの卒業生のためになされてエマソンの名を高からしめたあの演説のなかで、このような単なる抽象的法則の崇拝が率直に述べられていることが、この演説を非難の的としたのであった。

「これらの法則は、」とエマソンは言った、「おのずからおこなわれる。それは時間の外に、空間の外にあり、環境の支配を受けない。このようにして、人間の魂のうちには正義というものがあって、その報復は即刻におこなわれ、手落ちがない。善行をなす者はただちに気高くされる。卑しきおこないをなす者はその行為そのものによって卑しめられる。不純を払いのける者は、それによってきよさを身につける。心のただしい者は、そのかぎりにおいて、神である。神の平安、神の不滅性、神の尊厳は、義とともにその人のなかに入りきたる。他人ひとをいつわり欺く者は、みずからを欺き、おのが本性との好誼よしみを失う者である。品性はつねにあらわれ出る。盗んで富むことはない。施して貧しくなることもない。人を殺せば石壁から声がもれ出よう。ほんのわずかばかり虚言うそが混じても──たとえば、虚栄の気味《におい》、よい印象を与えようとする下心、親切ぶった態度そぶり──たちまち効果は失われるであろう。しかし、真理を語れば、生あるものも生なきものもすべての事物が証人となり、地下の草の根までもが、汝のために証言しようとしてゆるぎ動くように思われる。なぜなら、あらゆる事物は同一の霊魂より生ずるからである。しかしこの霊魂は、あたかも大洋がその洗う岸を異にするに応じて異なって名づけられるように、用途を異にするに応じて異なる名で愛、正義、節制などと呼ばれるにすぎないのである。これらの目的から離れて流浪するかぎり、人間はみずから力を失い、援助の手を奪われてしまう。彼の存在は縮んでゆく。……彼はだんだん小さくなり、微塵となり、点となって、ついに絶対悪が絶対死となる。この法則を感知すると、心に一種の情緒がめざめるが、これがわれわれのいわゆる宗教的情緒であって、われわれの至高の幸福をなすものである。宗教的情緒が人を魅し支配する力は、ふしぎである。それは山の大気のようである。それは世界に薫香を満たす力である。それは空と丘とを崇高なものとする、それは星辰の沈黙の歌である。それは人間の至福である。それは人間を無際限なものにする。人間が『わたしはしなければならぬ』というとき、愛が人をさとすとき、天来の戒告いましめをうけて、人間が善にして偉大なる行為を選ぶとき、そのとき、ふかい諧調が、至高の知恵より湧きいで、人の魂にしみわたる。そのとき、彼は祈ることができ、祈りによって拡大されることができる。なぜならば、彼はもはやこの宗教的情緒の背後をさぐることが決してできないからである。この情緒の表現はことごとく、その清純さに応じて、神聖であり不朽である。〔その表現は〕他のあらゆる作品よりもわれわれを感動させる。この敬虔を、ほとばしる言葉で描いた古い時代の文章は、いまなお清新にして香りたかい。そして、その名をこの世界の歴史の中へ書きこんだというよりもむしろきこんだ、かのイエスが人類に与えた独特の印象は、かの宗教的情緒の浸透のもつ霊妙な効能ちからあかしである。

 これがエマソン流の宗教である。宇宙は整然たる秩序をもつ神の霊魂であり、この宇宙の霊魂は道徳的であり、人間の魂の中にある魂でもある。しかし、この宇宙の霊魂が、眼の輝きや皮膚の柔らかさのような一つの性質にすぎないものかどうか、それとも、眼の見るはたらきや皮膚の感触のような自己意識的な生命であるのかどうか、ということは、エマソンの文章では、はっきり決定されていない。宇宙の霊魂は、あるときは一方に、あるときは他方に傾きながら、両者の境界をゆれ動き、哲学的要求を満たすよりもむしろ文学的要求を満たしているのである。しかし、宇宙の霊魂は、いかなるものであるにせよ、活動的なものである。あたかもそれは神ででもあるかのように、私たちは信頼して、あらゆる理想的な関心を保護し、世界の均衡を保ってくれることを、宇宙の霊魂にゆだねることができる。エマソンは最後までこの種の信仰を言葉にしたが、その文章は、文学において比類を見ぬほど美しい。「あなたが人間を愛し、人間に奉仕されるとき、あなたは、どんなに身を隠そうとも、いかに策略を用いようとも、その報いを逃れるわけにはゆかない。神の正義の天秤の均衡が乱されるとき、ひそかな報復がつねにこれをもとに戻そうとする。この衡桿はかりを傾けることはできない。世界の暴君と所有者と独占者が、こぞってこの衡桿さおをもち上げようと努力しても、徒労である。重い地球の重心は絶えずその均衡を回復する、だから人間も微塵も、星も太陽も、この均衡に服従しなければならない、さもなければ、反衝によって効粋されることをまぬかれない。」

 このような信仰表白の基礎にある内的経験、エマソンをしてかかる言葉を語らしめた内的経験が、宗教的経験と呼ばれるに値しない、などと言うとしたら、それはあまりにもばかげたことであろう。一方ではエマソン流の楽観説が、他方では仏教の悲観説が、個人に訴えるその訴えと、個人がその生活においてそれらの主張に答える応答とは、キリスト教の最善の訴えおよび応答と、事実において区別されえないものであり、多くの点においてそれと同一のものである。それゆえ、私たちは、経験の見地から、無神論的あるいは準無神論的なそれらの信条をも「宗教」と呼ばざるをえない。したがって、私たちが宗教を定義して、個人と「彼が神とみなすもの」との関係というとき、私たちは「神」という言葉をきわめて広い意味に解釈して、具体的な神であるか否かにかかわらず、何であれ神のような対象を指すものと考えねばならない。

 しかし、この「神のような」という言葉は、そのように一定しない一般的な性質として取り扱われると、はなはだ曖昧なものとなってしまう。というのは、宗教史上には多くの神々があらわれていて、その属性も実にさまざまだからである。それなら、私たちの性格がそれとの関係によって宗教的人間として決定される、その本質的に神のような性質──それが具体的な神のうちに体現されていようといまいと──とは何であろうか。先へ進む前に、この問いに対するなんらかの答えを求めておけば、私たちはそれだけの報いを受けることであろう。
 第一にいえることは、神々は、存在と力において第一のものであると考えられている、ということである。神々は万物をおおい包んでいて、神々から逃れるすべはない。神々にかかわるものは、真理における最初にして最後の言葉である。そこで、もっとも根源的、包括的で、もっとも深く真実なるものは、何であろうと、このようにして、神のようなものとして扱うことがゆるされるであろうし、したがって、人間の宗教とは、人間がいかなる態度をとるにせよ、彼が根源的真理だと感じるものに対してとるその態度と同じものと見なすこともできるであろう。
 このような定義には、いくらか擁護の余地があろう。宗教とは、いかなる宗教であれ、人生に対する人間の全体的反応である。もしそうであれば、人生に対するいかなる全体的反応も宗教である、と言ってはなぜいけないのであろうか。全体的反応は偶発的反応とは異なる、また、全体的態度は習慣的な態度とも専門的な態度とも異なる。この全体的反応、全体的態度を得るためには、諸君は存在の前景の背後に立ち入り、永遠に現存する不可解な宇宙全体について、あのふしぎな感じを覚えるところまで達しなければならない。そのような感じは、親しみのもてる場合もうとましい場合もあろうし、恐ろしく感じられることも快く思われることもあろうし、また愛らしく覚えることも憎らしく覚えることもあろうが、いずれにしても、或る程度には誰でもがもっている感じなのである。世界の現存についてのこのような感じは、私たちの特殊な個人的気質に訴えて、人生一般に対する私たちの態度を、真剣にしたり投げ遣りにしたり、敬虔にしたり不敬にしたり、暗鬱にしたり高揚させたりする。それに対する私たちの反応は、それと知らずにぼんやりとなかば無意識的におこなわれるが、この反応こそ「われわれの住んでいるこの宇宙の性格は何か」という疑問に対する私たちのあらゆる答えの中でもっとも完全な答えなのである。私たちの反応は、宇宙について私たちのいだく個人的な感じをもっとも明確に表わすものである。それなら、なぜこれらの反応を、それがいかなる特殊な性格をもっていようともそれに関係なく、私たちの宗教と呼んではいけないのであろうか。「宗教的」という言葉をただ一つの特定の意味にしか解しないのなら、これらの反応のあるものは非宗教的であるかもしれない、しかしながら、それらの反応は宗教的生活の一舩的範囲には属しているのである、だから、当然、宗教的反応として一般的に分類されてよいはずである。無神論へのあっぱれな情熱を示している一学生について、私の同僚の一人が、「あの学生は神の存在しないことを信じて、それを崇拝している」と言ったことがある。また、キリスト教の教義にもっと激しく反対する人々でさえ、心理学的にみると、宗教的熱狂と異なるところのないような気分を、実にしばしば示しているのである。
 しかし、「宗教」という言葉をそこまで広げて用いるのは、よしんば論理的根拠からはどこまでも弁護できることであるにしても、都合の悪いことであろう。世間には、人生全体に対してさえ、それを茶化したり冷突したりする態度がいろいろとあるものである。そして、ある人々においては、このような態度が目的意識的であり、計画的である。不偏不党の批判的な哲学の立場からすれば、そのような態度もまったく道理のある人生観であると考えられるかもしれないが、それにしても、そのような態度までも宗教的と呼ぶのは、宗教という言葉の普通の用法をあまりにも歪曲わいきょくしすぎることであろう。たとえば、ヴォルテールは、七十三歳の時に、ある友人に次のように書き送っている。「ぼくなどは、弱い人間であるが、それでも、最後の瞬間まで戦いをつづけたい。百たび槍で突かれたら、二百たび突きかえし、そして、高らかに笑いたい。些細なことからの争いが原因で火災をおこして燃えているジュネーヴの町が窓の近くに見える。そこで、ぼくはまた笑う。世の中はとかく悲劇的なものだが、それでもぼくは、ありがたいことに、まるで茶番劇ファルスでも見物しているみたいに、世の中を傍観していることができるのだ。一日が暮れてみたら、何もかもはっきり結果がわかる、としたものだ、まして、日という日が残らず過ぎてしまうと、万事がいっそうはっきりするものだ。」
 病弱な人間における、このような逞しい、年をとった闘鶏しゃものような精神は、私たちがいくら讃嘆してもよいであろうが、それを宗教的精神と呼んでは、奇妙なことになろう。けれども、それが、さしあたって、人生全体に対するヴォルテールの反応なのである。“Je m'en fiche”というのは、英語の “Who cares?"(かまやしない)という叫びと同義のフランス語の俗語である。“Je m'enfichisme"「無関心かまやしない主義」という実にうまい言葉は、人生のいかなることをもあまり生真面目きまじめに考えまいとする故意の決意を指すために、さいきん発明されたものである。「すべて空なり」というのは、そういう考え方をあらわす言葉で、あらゆる困難な危機に立たされたとき、救いとなる言葉である。かの俊敏な文学的天才ルナンは、そのおだやかな凋落の晩年の日に、びるような漫神的表現形式にそのような考え方を盛りこむことを楽しんだが、それらの形式は、「すべて空なり」流の精神状態のすぐれた表現として私たちに残されている。たとえば、次のような一節をとってみるがいい。──たとい歴然たる事実に反しようとも、私たちは忠実に義務を果たさねばならない、とルナンは言う。──それだのに、彼はそれから言葉をつづけていうのである。──

「ひょっとしたら、世界は一場のおとぎ芝居にすぎず、神はそんなものに関心をもってはおられぬのかもしれない。それだから、どちらの仮説に立とうとも、まるきり間違っているということのないように、われわれは準備をしておかなければならない。われわれは優れたものの声に耳を傾けねばならぬが、しかし、その場合でも、第二の仮説の方が真であるとわかった場合、われわれがあまりにも完全に欺かれていたというようなことがないようでなければならない。もし実際にこの世界が厳粛なものでないとすれば、教義を固く守って生きる人々はあさはかな人ということになるだろうし、いま神学者たちに浮薄だとよばれている俗人の方が、真の賢者だということになるであろう。
「それゆえ、どちらに対しても備えよ。in utrumque paratus. いかなる事にも用意せよ──おそらく、それが知恵というものであろう。時に応じて、あるいは信頼に、あるいは懐疑論に、あるいは楽観論に、あるいは皮肉に、身をゆだねるがよい。そうすれば、少なくともある瞬間には、われわれは真理とともに在る、という確信がもてるであろう。……上機嫌というものは、一種の哲学的な精神状態である。それは、自然に向かって、自然がわれわれを真剣に取り扱わないのと同様、われわれも自然を真剣に取り扱いはしない、と告げるようにみえる。人はつねに微笑を浮かべて哲学を語らねばならない、と私は主張する。われわれが有徳であるのは、永遠者のお蔭である。しかし、われわれには、この贈り物に、一種の個人的な報復として、われわれの皮肉をつけ加える権利がある。かくして、われわれは冗談をもって冗談に応分の報いをする。つまり、われわれに仕向けられたその悪戯いたずらを、われわれも仕返してやるわけである。主よもしわれら欺かれることありともそは汝によりてなり! という聖アウグスティヌスの言葉は、いまなお、われわれの現代的感情にぴったりあてはまる名言である。ただ、われわれが永遠者にぜひ知ってもらいたいことは、われわれが欺瞞を甘受するにしても、われわれは承知の上で進んでそれを甘受しているのだ、ということである。徳行という投資をしても利潤がわれわれの懐中にはいらぬことは、われわれも覚悟の上で諦めているが、しかし、投資した徳行をあまり当てにしすぎて、お笑い草となりたくはないのである。」

 もしこのような皮肉の理路整然たる偏見 parti pris をも「宗教」という名前で呼ばねばならぬとすれば、宗教という言葉で普通に連想される観念は、ことごとくこれを捨て去らねばならぬこととなろう。普通の人間にとって、「宗教」とは、そのほかになおいかなる特殊な意味をもとうとも、つねに、厳粛な精神状態を意味している。もし一言で宗教の普遍的使命を要約できる言葉があるとすれば、それは「現象みかけはどう見えようとも、この宇宙において一切は空ではない」という言葉であろう。もし一般に理解されているような宗教が阻止しうるなにものかがあるとすれば、それはまさにルナンのそれのごときからかい半分のむだ口である。宗教は厳粛を好み、厚顔を好まない。あらゆる空しい饒舌じょうぜつや辛辣な機知に向かって宗教は「黙れ」というのである。
 しかし、宗教は軽はずみな皮肉に敵意をもつが、同じように宗教は重くるしい不平不満にも敵意をもつ。ある宗教では、世界は、実に悲劇的に見られているが、しかし、この悲劇は浄化のはたらきをするものとして実感されていて、救済の道があると考えられているのである。この宗教的憂欝については、後の講義でくわしく考察することになろう。それはとにかく、憂欝というものは、この言葉の普通の用法にしたがえば、マルクス・アウレリウスの痛快な言葉のとおり、「苦悩する者が、いけにえにされた豚みたいに、横になって足を蹴り苦しみの叫びをあげるとき」、宗教的と呼ばれる資格をまったく失ってしまうのである。ショーペンハウエルやニーチェのような人の気分──程度こそ低いが、わが同族の悲壮な人カーライルについても、ときに同じことが言えよう──は、しばしば人のこころを気高くするような悲壮さを示しはするが、しかし、たいていは、奔馬のごとく制しがたい癇癖にすぎないのである。この二人のドイツの著作家の口からほとばしり出る言葉は、ある程度まで、死にかかった二匹の鼠の呻吟を思い出させる。彼らの言葉には、宗教的な悲壮さの発散するあの贖罪的な調子が欠けているのである。
 私たちが宗教的と呼ぶ態度には、すべて、厳粛さ、真剣さ、柔和さといったものが伴なっていなければならない。喜びが、苦笑にがわらいや忍び笑いであってはならない。悲しみが、絶叫やのろいであってはならない。私が諸君に関心をもっていただきたいと思う宗教的経験は、まさしく厳粛な経験なのである。それゆえ──またしても身勝手な言い分で、お許し願いたいが───私はもう一度、私たちの定義を狭い意味に用いることを提議して、ここで用いる「神」という言葉は、単に根源的、包括的、実在的なものだけを意味するのではない、ということを断わっておく。というのも、狭い意味に制限しておかないと、神という言葉の意味が事実あまりにも広くなってしまいかねないからである。私たちは、個人が、呪詛や冗談によってではなく、厳粛で荘重な態度で、応答せずにはいられないような根源的な実在という意味においてのみ神を用いることにしたい。
 しかし、厳粛さ、荘重さ、すべてそのような感情的な属性には、さまざまな陰翳いんえいがある。そして、どのように定義をしてみたところで、私たちは結局、私たちの取り扱うものは、はっきりと一線を画せるような概念など一つも存在しないような経験領域なのだ、という歴然たる事実に直面せざるをえないのである。このような事情にありながら、なお私たちの使う用語が厳密に「科学的」であるとか、「正確」であるとかと言い張るなら、それは私たちが自分の課題をよく理解していないことを示すだけのことであろう。いかなる事物も多かれ少なかれ神的なものである、いかなる精神状態も多かれ少なかれ宗教的である、いかなる反応も多かれ少なかれ全体的である。しかし、その境界はつねに曖昧であって、いかなる場合でも、それは量と程度の問題である。それにもかかわらず、それらのものが極端に発達している場合には、いかなる経験が宗教的であるかということについて、疑問などけっして起こりえない。対象が神的であり、反応が厳粛であるという点は、きわめて明白であって、疑う余地がないのである。ある精神状態の特徴がはっきりしない場合に限って、それが「宗教的」であるか「非宗教的」であるか、「道徳的」であるか「哲学的」であるかを決しかねて、おそらく狐疑逡巡することになるのであろう。しかし、このような場合は、私たちの研究に少しも値しないのである。わずかにお世辞でやっと宗教的と呼ばれることができるような精神状態などに、私たちはかかわりあう必要はない。私たちが研究して有益なのは、誰もが宗教的としか呼びようがないと感じるようなものだけである。私は、前回の講義で、一つの事物について私たちがもっとも多くのことを学び知るのは、その事物をいわば顕微鏡にかけて観察する場合、つまり、その物の形をもっとも拡大して観察する場合である、と申しあげた。このことは、他のいかなる種類の事実についても真理であるが、宗教的現象の場合に真理である。それゆえ、私たちが注意を払えば払っただけの甲斐があると思える唯一の場合は、宗教的精神がきわめて歴然としていて、見誤りようのない場合であろう。宗教的精神をかすかにしか表わしていないものは、私たちはこれを静かに看過してよいであろう。たとえば、生活に対する全体的反応の例がフレデリック・ロッカー - ランプスンにおいて見られる。『秘話』と題する彼の自叙伝は、彼がきわめて温和な人であったことを証明している。

「わたしは、自分の運命に身をゆだねてしまっているので、楽しい生活習慣とか、こころよい世間話などといわれているものから別れなければならぬことを思っても、たいして苦痛を感じない。浪費した人生をもう一度生きて、短い寿命を伸ばしたいとは思わない。ふしぎなことに、もっと若くなりたいなどとはほとんど願わない。わたしは冷静な気持で服従する。わたしは謙虚に服従する、それが神の意志みこころであり、わたしの定められた運命だからである。わたしの恐れるのは、弱点がふえていって、それが周囲の人々や親しい人々の重荷となることである。いや、そうなってはならない。できる限り静かに快く、わたしはこっそり逃げ出したい。死とともに平和が来るものなら、死を迎えたい。
「この世界や、そこでのわれわれの仮の宿りについて、多くの語るべきことがあるとは、わたしは思わない。しかし、われわれが世界にかく置かれることを、神は喜び給うたのだ、だから、われわれもそのことを喜ばねばならぬ。人間の生活とは何か? こうわたしはあなたがたに尋ねたい。人生は片輪な幸福ではないか──心配と疲労、疲労と心配の連続であり、ただそれに根拠のない期待や、明日はもっとうららかな日となるだろうという奇妙な欺瞞が伴なっているだけのことではないのか。せいぜい、人生はわがままで片意地な子供でしかない。寝つくまで静かにさせておくために、いっしょに遊んで、あやしてやらねばならないのだ。そうすると、心配は去ってしまう。」

 これは複雑で、柔和で、従順で、奥ゆかしい精神状態である。諸君の多くにとって、この精神状態はあまりにも無頓着に過ぎて生ぬるく、宗教というりっぱな名前で呼ぶに値しないと思われるかもしれないが、私としては、ごく大まかにこれを宗教的精神状態と呼ぶのに、なんら異存はない。しかし、このような精神状態を宗教的と呼ぼうが呼ぶまいが、そんなことは、要するに、どうでもかまわない。いずれにしても、そんなことはあまりにも意味のないことで、私たちになにも教えてくれはしない。そして、この精神状態の所有者がその状態を書きおろすにあたって用いた言葉づかいは、他の人々の経験したいっそう激しい宗教的気分のことが彼の念頭にあったのでなかったら、おそらく用いなかったであろうと思われるようなもので、そのような激しい宗教的気分は、彼自身にはとうてい及びもつかないものと思われたのである。そのような激しい状態こそ、私たちが取り扱わねばならぬ唯一のものである。かくして、私たちは、調子の弱いものや、境界の不明なものは、打ち捨てておいていいのである。
 個人的宗教は、神学や儀式を伴なわなくとも、事実、純然たる道徳のもたないいくつかの要素を包含している、と私はすこし前に述べたが、そのとき私の念頭にあったのは、このようなかなり極端な場合のことである。これらの要素が何であるかを指摘しよう、とすぐその後で私が約束したことも、諸君は記憶しておられるであろう。その私の念頭にあったものを、概略ではあるが、いまやっと私は述べることができるようになった。
 「わたしは宇宙を受け容れる」という言葉を、わがニュー・イングランドの超越論者、マーガリット・フラーは好んで口にしたと伝えられている。ある人がこの言葉をそのままトマス・カーライルに伝えたとき、彼は嘲笑をふくめて、「なるほど、あのひとならそれでよかろう」と評したという。つづまるところ、道徳と宗教とが関心をかたむけるのは、私たちが宇宙を受け容れるその仕方なのである。私たちがただ部分的に、しかも不承不承、宇宙を受け容れるにすぎないか、それとも、こころから、全体的に、それを受け容れるのか? 宇宙のある事物に対する私たちの抗議は、徹底的で容赦しないものであるべきか、それとも、悪が存在しはするが、やがては善に至らざるをえないような生き方があるのだ、と私たちは考えるべきなのか? 宇宙全体を受け容れる場合でも、まるで──「なるほど、君たちなら、それでよかろう」とカーライルなら評するだろうように──へなへなと屈服するように、私たちはそれを受け容れるべきなのか、それとも、熱狂的に賛成した上でそうすべきなのか? 純然たる道徳は宇宙の法則を容認しており、しかも、それを認めてそれに服従するかぎりにおいて、その法則が支配力をもつと考えているのであるが、しかし、道徳はたいへん重くるしい冷ややかな心をもってその法則に服従しており、その法則をたえずくびきのごとく感じているようである。ところが、宗教の場合には、その表現が強烈で十分に発展したものである時には、神への奉仕、ということはけっして恥とは感じられない。いやいやながらの服従は遠くに置き去られ、それに代わって、歓び迎えるという気分が生ずる。しかも、この気分は、たのしい静謐から熱狂的な歓喜にいたる全音階のどの位置をも占めることができるのである。
 ストア派の哲学者のごとく、必然的運命に対する諦念というくすみあせた色の態度で宇宙を受け容れるか、それとも、キリスト教の聖者のごとく、情熱あふれる幸福感をもって受け容れるかによって、人間の感情の上にも実践の上にもいちじるしい差異が生まれる。その差異は、受動的態度と能動的態度、防禦的気分と攻勢的気分との差異と同じくらい大きい。個人が前の状態から後の状態へと成長してゆくその歩みは漸進的であり、さまざまな個人が代表するその中間段階もたくさんあるが、しかし、比較のために、両極をなす二つの型をたがいに並べてみられるならば、諸君は、連続しない二つの心理的宇宙に直面することを感じられるであろう、そして、前者から後者へと移りえたときには、一つの「限界点」が克服されていることを、感じられることであろう。
 ストア派の哲学者の絶叫とキリスト教信者の絶叫とを比較してみると、そこに教義の差異よりもはるかに大きな差異があることに、私たちは気づく。両者を分つものは、むしろ、感情的気分の差異なのである。マルクス・アウレリウスが事物を秩序づけている永遠の理性についての瞑想をしるした言葉には、ユダヤ教の宗教文書には稀にしか見られぬような、また、キリスト教の宗教文書にはけっして発見されぬような、霜をおいたような冷気がつきまとっている。これらユダヤ教やキリスト教の宗教文書作者たちはすべて、宇宙を「受け容れて」いる。しかし、あのローマ皇帝の精神には、なんと情熱と歓喜が欠けていることであろう! 皇帝の「神々が余と余の子供たちとを守護し給わぬにしても、それだけの理由があってのことである」というりっぱな言葉と、ヨブの「神われを殺し給うとも、われ神を信じまつらん」という絶叫とを比較してみられよ。そうすれば、諸君は私のいっているその差異をただちに理解されるであろう。ストア派の哲学者が自己自身の個人的運命を自由に支配しているものと認めた世界の魂 anima mundi は、そこでは、尊敬され、服従せらるべきものであるが、キリスト教徒の神は愛せらるべきものである。現実の条件を不平をいわずに受け容れる態度から生ずる結果は、抽象的な言葉で言えば、ほとんど同じであるように思われるかもしれないが、その感情的な雰囲気の差異は、北極地方の気候と熱帯地方との差異ほど大きいのである。
 マルクス・アウレリウスは言う。

「おのれを慰めつつ自然の死滅を待ちのぞみ、不平を鳴らすことなく、ひたすら次のごとく考えて元気をつけること、これこそ人間たるものの義務である。──第一に、宇宙の本性に一致しないようなものは、何一つ自分の身に起こりはしない、第二に、神および自分の内にある神性にそむくことは、何一つ自分はそれをするに及ばない、なぜなら、自分を強いてそのような罪を犯さしめうるような人間は一人も存在しないからであると。起こる出来事が気にいらないからといって、われわれに共通の本性である理性からのがれ離脱する者は、宇宙の膿瘍である。なぜなら、その同じ本性が、それらの出来事を生ぜしめるのであり、また、汝を生ぜしめたからである。それだから、たとい不愉快にみえようとも、起こることは何ごとによらずこれを受け容れるがいい。なぜなら、それら一切の出来事が、宇宙の健全をもたらし、ゼウスの繁栄と幸福とをもたらすからである。おもうに、ゼウスのもたらしたものが全体のために役に立つのでなかったならば、ゼウスはそれを何人にも与えはしなかったはずだからである。もし汝がどこかの部分を切り取れば、全体の統一はそこなわれる。かくして、汝が不満を感じて、邪魔物をなんとか取り除こうと試みるとき、汝は、力のかぎり、なにものかを切り取っているのである。」

 こんどは、この気分を、「ドイツ神学」の著者、昔のキリスト教徒の気分と比べてみていただきたい。

まことの光に照らされた人は、あらゆる欲望や選り好みをうちすて、みずからと一切のことを永遠なる善にゆだね託すゆえに、すべて照らされた人は、『おのが手のおのが身に対するがごとく、われも永遠なる善に対しまつらん』ということができよう。かかる人々は自由の状態にある。なんとなれば、彼らは苦痛も地獄も怖れず、報償も天国も望まず、永遠なる善に身をゆだねきって、熱き愛のまったき自由のうちに生きるからである。もし人が、おのれの誰なるか、また何たるかを真に理解して熟考し、おのれがまったく卑しくしく価値なき者であることを発見するとき、彼は、ふかき失意におちいって、天地の万物がこぞっておのれに逆らって起ち上がるのももっともだ、と思うにいたる。それゆえ、彼は、いかなる慰めり赦しも欲せず、またあえてそれを欲しもしない。むしろ彼は、慰められず赦されないことを願う。また、彼はおのれの苦悩を嘆かない。なぜならば、彼の眼には苦悩も正しきものと映り、その苦悩に対し彼は抗議すべき何ものももたないからである。これこそまことの罪の悔悟の意味である。そして、現にいまこの地獄の中へはいっている者は、何人もこれを慰めることはできない。しかし、神はこの地獄にある人間をも見捨て給いはしなかった。むしろ神はみ手を彼のうえに置き、彼をして、ただひとり永遠なる善のほかなにものも欲せず、また顧みざらしめ給う。かくて、彼が永遠なる善のほかなにものをも心にかけず、また欲しもせず、おのれをもおのれの所有物をも追い求めず、ただ神の栄誉のみを追い求めるとき、彼は、ありとあらゆる喜悦、祝福、平安、休息、慰籍にあずかる者とせられ、かくて、それ以後は、天国に住むこととなる。この地獄とこの天国とは、人間にとり二つの確実な道である、この二つの道を真に見いだす者は幸いである。」

 宇宙におけるおのれの地位を容認しようとするこのキリスト教的作者の衝動のほうが、どれほど能動的であり、積極的であることだろう! マルクス・アウレリウスは神の計画に対して同意し、──このドイツ神学者はこれ合致呼応する。彼は文字どおり呼応で満ち溢れ、みずから航け出して神慮を迎える。
 ときおり、確かに、このストア哲学者も感情が高まって、キリスト教徒のもつ温かな情緒に似たものを感ずることがある。それは、たとえば、しばしば引用されるマルクス・アウレリウスの次の言葉に見られる。──

「おお、宇宙よ、汝に調和せる物はことごとく私にも調和している。汝にとって時を得たものなら、私にとって早すぎるものも、また遅すぎるものもない。おお、自然よ、汝の四季のもたらすものはことごとく私にとって果実である。汝より万物は生じ、汝のうちに万物はあり、汝へと万物はかえってゆく。詩人はいう、親愛なるケクロップスのまちよ、と。さらば、汝は次のように言わないのか。親愛なるゼウスの都よ、と。」

 しかし、このように敬虔な一節でも、これを真のキリスト教徒の口からほとばしる言葉と比較してみると、そこにやや冷たいものが感じられるであろう。たとえば、『キリストにならいて』に眼を転じてみられたい。

「主よ、あなたは何が一番いいかを知っておられます。これなり、あれなりが、あなたのみ心のままにありますように。あなたのお望みのものを、あなたの望まれるだけ、あなたのお望みになります時に、お与えください。あなたがいちばんいいと知られますように、また、もっともあなたの栄光となりますように、私を処置なさってください。おぼしめすところに、私の居所を定め、万事においてみ心のままにご自由に私をお用いください。……あなたが近くにいてくださるのに、いつ禍いが起こりうるでしょうか。あなたを失って富むよりは、むしろ私はあなたのために貧しくあることを望むでしょう。あなたを失って天をるよりも、あなたとともに地上の旅人であるほうを私は選びます。あなたがおいでになるところ、そこは天です。そして、あなたがおいでにならないところ、なんと、そこは死と地獄なのです(*1)。」
(*1) Benham's translation, Book III., chaps. xv., lix. この一節をメアリ・ムーディ・エマソンの次の言葉と比較されたい。「そのことが神のみ力によるものであることをわたしが知っている、という但し書きさえ付けば、わたしは、この美しい世界の一つの汚点、もっとも世に知られない者、もっとも淋しい苦悩者となってもかまわない。たとえ神がわがすべての道に箱と闇とをそそぎ給うとも、わたしは神を愛するであろう。」 R, W. Emerson : Lectures and Biographical Sketches, p. 188.

 一つの器官の意味を研究する場合に、その器官の果たすもっとも独特で特徴的な種類の機能を探求して、その器官のもつさまざまな機能のうち、他の器官が果たしえないと思われるその一つの機能をその器官の役目と見なすというのは、生理学で用いられているすぐれた規則である。これと同じ原則が、確かに、私たちの当面の問題にも適用できる。宗教的経験の本質、すなわち、私たちが宗教的経験を判断する場合の究極の根拠となるものは、他のいかなる経験においても出会うことのできないような、宗教的経験のうちにあるその要素、あるいは性質でなければならない。そしてそのような性質は、もちろん、もっとも偏った、もっとち誇張された、もっとも強度の宗教的経験のうちに、もっとも顕著にあらわれていて、見つけやすいのである。
 さて、これらより強度の経験と、宗教的というよりもむしろ哲学的と呼びたいほど冷静で理性的な、より平板単調な人々の経験とを比較してみると、私たちは両者をはっきりと区別する一つの特徴をそこに見いだす。この特徴こそ、私たちの目的から見て、実際的に重要な宗教の特殊性 differentia とみなさるべきものである、と私は思う。そして、その特殊性がいかなるものであるかは、キリスト教信者の心と道徳家の心とを、ともに抽象的に考えて比較してみれば、容易に明らかにされることができる。
 生活が些末な個人的な動機に左右されることが少なければ少ないほど、また、生活が精力を要求するような客観的目的に──たとえその精力の使用が個人に損失や苦痛をもたらそうとも──左右されることが多ければ多いほど、その生活は男性的で、禁欲的ストイックで、道徳的あるいは哲学的であると私たちは言う。その意味で、「志願兵」を要求する限りにおいて、戦争にも良い一面がある。そして、道徳から見ても、人生は一つの戦争であり、道徳的な意味で最高の奉仕は一種の宇宙的愛国心であって、これがまた志願兵を要求するのである。外界の戦士たりえない病人でも、道徳上の戦闘はおこなえる。彼は、現世のことであろうと来世のことであろうと、とにかく彼自身の未来から故意に注意をそむけることができる。彼は、当面するさまざまな障害に動ずることのないよう自己をきたえ、将来なお達成することのできるなんらかの客観的な利益に没頭することもできる。さまざまな社会問題を追求し、他人の事件に関与することもできる。快活な態度を養い、自分の惨めなことには沈黙を守ることができる。自分の哲学が自分に見せてくれることのできるいかなる人生の理想面をも瞑想することができるし、また自分の倫理体系が要求する忍耐、諦念、信義のごときいかなる義務をも実行することができる。このような人は、その人としては最高にして最大の次元に生きているのである。彼は心のけだかい自由人であって、めめしい奴隷ではない。けれども、彼には、すぐれて par excellence キリスト教的人間、たとえば神秘主義者とか禁欲的聖者が豊かにもっているものが欠けている。そして、この欠如が、彼をまったく別種類の人間としているのである。
 キリスト教徒もまた重苦しい陰鬱な病室のような態度をしりぞける。そして、聖者たちの生活は身体の病的状態を意に介しない一種の無感覚さに満ちているが、この無感覚さは他の種類の人間の記録にはおそらく見られないものであろう。しかし、単に道徳の立場から、陰鬱な態度を斥けるのには、意志の努力が必要であるが、キリスト教の立場からそれを斥けるのは、より高級な感情が興奮する結果なのであって、これがあらわれるのには、意志の努力など必要としないのである。道徳家は呼吸いきを殺して、筋肉を緊張させておかねばならない。そして、こういう運動競技的な態度をとっていることができる間は、万事うまくゆく──道徳はそれでこと足りているのである。しかし、この運動競技的な態度はつねにゆるみがちで、身体が衰えはじめる時とか、病的な恐怖が心を襲う時とかには、きわめて頑健な人間でもその態度はゆるまずにはいないのである。癒やしがたい無気力の意識におおわれた人に向かって、意志と努力を奮い起こすよう促すのは、もっとも不可能なことを促すことである。彼が熱望することは、自分の無力そのものが慰められることであり、自分は弱くて欠点だらけなものであるが、それでも宇宙の精神は自分を認め守っていてくれると感じることなのである。まことに私たちはみんな、結局は、自分で自分をどうすることもできないそのような失敗者できそこないなのである。私たちのうちもっとも健康でもっとも善良な人でも、発狂者きちがいや囚人と一つ肉体つちくれでできているのであって、私たちのうちもっとも頑健な者でも、ついには死がこれを倒してしまうのである。そして、私たちがこのことを実感する時はいつでも、私たち自身の意志に基づいておこなわれる生活がいかに空しくはかないものであるかという意識が私たちを襲ってきて、ために、私たちのすべての道徳が、その決して癒やしえない傷をかくす膏薬にすぎないかのように思われ、また、私たちのあらゆる善行 well-doing が、私たちの生活がそこに基礎をおかねばならぬのに、悲しいかな! そうしていない、あの善き存在(安心立命境)well-being の空虚きわまる代用品にすぎないように思われるのである。
 ここにおいて、宗教が私たちを救いにきて、私たちの運命をその掌中に握るのである。そこには、宗教的人間には知られているが、他の人々には知られていない精神状態がある。この精神状態にあっては、自己を主張し、自己の立場を貫き通そうとする意志は押しのけられて、すすんでおのが口を閉ざし、おのれを虚無むなしくして神の洪水や竜巻たつまきのなかに没しようとする心がまえが、それにとって代わっているのである。この精神状態においては、私たちのちっとも怖れたものが私たちの安楽の住家となり、私たちの道徳の死滅する時が私たちの霊の誕生日に変わっている。私たちの魂の緊張の時は去って、幸福な弛緩くつろぎの時、静かな深呼吸の時、もはや混沌たる未来に対する不安を知らない永遠の現在いまという時が、訪れているのである。たんなる道徳の場合には、恐怖は中絶されるのであるが、宗教の場合には、それは中絶されるのではなく、積極的に拭いとられ、洗い流されるのである。
 私たちは、この講義がもっと先へ進んでから、この幸福な精神状態の実例をたくさん見ることになるであろう。宗教というものは、それがもっとも高く飛翔するとき、いかに無限に情熱的なものとなりうるものか、ということを、私たちはやがて知ることになるであろう。愛と同じく、怒りと同じく、希望、野心、嫉妬と同じく、その他のあらゆる本能的な熱望や衝動と同じように、宗教は、合理的あるいは論理的に他の何ものからも演繹できない魅力を人生にそえるものである。この魅力は、一つの賜物として私たちに与えられるのであるが──生理学者は、身体の賜物だと私たちに告げるであろうし、神学者は、神の恩寵の賜物だというであろう──、私たちの間でも、これを授かる者もいれば授からぬ者もいるのである。また、ただ愛せよと命令されただけでは、あてがわれた女と恋に陥ることができない者がいるのと同じように、この魅力に魅せられない者いるのである。宗教的感情は、このように、それをもつ人の生活範囲に加えられる絶対的な付加物なのである。それはそのような人に新しい権力範囲を与える。外部の戦いに敗れて、外面の世界が彼を否定するとき、宗教的感情は、さもなければ不毛の荒地ともなりかねない内面の世界を救い出して、これをよみがえらせてくれるのである。
 もし宗教というものが私たちにとって何か特定の意味をもつものとするならば、それは、この付加された感情の範囲、このような婚礼の熱狂的な気分を意味するものと解釈しなければならない、と私は考える。このような領域では、厳密な意味の道徳はせいぜい頭をたれて黙従するほかないのである。私たちにとって宗教とは、戦闘が終わって、宇宙の基調音が私たちの耳に響きわたり、永遠の財宝が私たちの眼の前にひろがっている、あの新しい自由の領域以外のなにものを意味してもならないのである(*1)。
(*1) 重ねて言っておくが、世間には、こういう法悦感を欠いた宗教生活をしている人、生まれつき陰時な気分をもつ人がたくさんいる。そういう人々も、広い意味では、宗教的ではあるが、しかし、ここでいうようなきわめて厳格な意味では、宗教的ではない。そして、宗教の典型的な特殊性 diferentia をつきとめるために、言葉の解釈についての論争などせずに、まず私が研究しようと思うのは、このようなもっとも厳格な意味での宗教なのである。

 絶対的なもの、永遠なるものにおいて感じられるこの種の幸福は、私たちが宗教以外のどこにも発見しないものである。この幸福は、私がこれまでいろいろと説明してきたあの厳粛さという要素によって、あらゆる単なる動物的幸福や、あらゆる単なる現在の享楽から、はっきり区別されるのである。厳粛さというものは抽象的には定義しにくいものであるが、その特徴のあるものはきわめて明白である。厳粛な精神状態は、けっして粗雑でも、単純でもない──分解してみると、そこには、厳粛な精神状態とは反対のものがいくらか含まれているように思われる。厳粛な喜びは、その甘さのなかに一種の苦味にがみをとどめており、厳粛な悲しみは私たちが衷心から同感できるような悲しみなのである。ところが、この種の最高の幸福が宗教の特権であることを実感しながら、それがこのように複雑なものであることを忘れて、幸福であればいかなる幸福でも宗教的とよんでいる著者たちがいる。たとえば、ハヴロック・エリス氏は、魂が抑圧された気分から解放される状態の全範囲を、宗教と同一視している。

「生理的生活のもっとも単純な機能でも、」と、彼は書いている。「宗教に仕える召使いであることができる。ペルシアの神秘主義者のことを少しでも知っている人なら、誰でも、ブドウ酒が宗教の道具と見なされているのを知っている。実際、あらゆる国において、またあらゆる時代において、肉体をのびのびとさせるある種の形式──歌、踊り、飲酒、性的興奮──は、礼拝と密接な関係をもっていたのである。笑いによって魂が瞬間的にふくらむことでさえも、たとえどれほどわずかな程度のものにすぎないにしても、一つの宗教的な訓練なのである。……外界からの刺激が身体に加わり、そしてその結果、不快も苦痛も感じられず、壮健な男の筋肉の収縮さえも引き起こさず、むしろ魂全体のよろこばしい膨脹ないし高揚が生ずるときにはいつでも──そこに宗教がある。われわれが渇望するものは無限者である。そして、われわれを無限者の方へ運んでゆくことを約束してくれるなら、どんな小さな波にでも、われわれは喜んで乗るのである。」

 しかしながら、そのようにいかなる形式の幸福でも、それをことごとく直ちに宗教と同一視してしまうことになると、宗教的な幸福の本質的な特質が無視されてしまう。ふつう私たちが幸福といっているものは、私たちが体験した災厄、あるいは私たちを脅かしていた災厄から、ほんの一時でも逃れえたことから生じる「安心感」なのである。しかし、宗教的幸福は、その特徴があっとも著しく現われている場合を見ると、単なる逃避の感情ではない。宗教的幸福はもはや逃避など望まない。宗教的幸福は、外面的には、犠牲の一形式として災厄を認めはするが──内面的には、災厄が永遠に克服されていることを知っているのである。どうして宗教がこのように苦難に出会い、また死に直面し、そしてまさにそれに堪えることによって空無に帰することを免れしめるのか、と諸君にたずねられても、私はその問題を説明することができない。というのは、それこそ宗教の秘密であって、それを理解するには、諸君自身がより極端な型の宗教的人間となっていなければならないからである。私たちが後で見るような例、つまり、もっとも単純でもっとも健全な心の型の宗教的意識の実例においてさえ、私たちはいっそう高い幸福がより低い不幸を抑制しているそういう複雑な犠牲的な構造を発見するのである。ルーヴル博物館に、ギード・レニの描いたもので、聖ミカエルが足で悪魔の首をおさえつけている絵がある。この絵のおもしろさは、主として、悪魔の姿がそこに描かれているという点にある。その絵の寓意のおもしろさも、悪魔がそこにいるというところにある。──すなわち、私たちが足で悪魔の首をおさえつけている限りは、この世界は、そこに悪魔がいるからこそ、かえっておもしろいのである。宗教的意識にあっても、事情はまさしくそれと同じであって、否定的あるいは悲劇的原理である悪魔がそこに見いだされるのである。そして、それだからこそ、宗教的意識は、感情という観点から見て、それだけ豊かなのである。私たちはやがて、ある男性や婦人において、宗教的意識がものすごいほどの禁欲的形式をとるにいたるのを見るであろう。世には、謙抑や窮乏、苦難や死の観念といったような否定的原理を文字どおり生命の糧として生きた聖者たちもいるのである──彼らの魂の幸福は、彼らの外部の状態が忍びがたいものとなればなるほど、ますます大きくなってゆく。人間をこのような特殊な境地にいたらせうる感情は、宗教的感情のほかにはない。私たちが人間生活に対する宗教の価値を問う場合、私たちは、おだやかな肌合いのものよりも、そういう激しい実例の間に、その解答を求めるべきだ、と私が考えるのも、そういう理由からである。

 私たちは、できる限り顕著な形式の現象を研究の対象にして出発するのであるから、後で、いくらでもぼやけた形式のものに移ってゆくことができる。そのような実例が世間普通の判断の仕方から見てどれほど嫌悪すべきものであろうとも、私たちがそれらの実例においてこそ、宗教の価値を認め、敬意をもって宗教を扱わざるをえないと感じるとすれば、事実それだけで、広く人生に対して宗教のもつ価値がいくらか証明されたことになるであろう。度を過ごしている部分を削りとって、だんだんと調子を和らげてゆけば、私たちは、宗教のほんとうの支配圏の限界を画することができるかもしれない。
 確かに、異常なものや極端なものをそれほどに取り扱わねばならぬとなると、私たちの課題は困難なものとなろう。諸君はたずねられるかもしれない、「もし宗教のさまざまな現われがそれぞれ、逐次、訂正されたり、和らげられたり、刈りこまれたりせねばならぬものなら、そもそも宗教というものがどうして人間のあらゆる機能のなかでもっとも重要なものでありうるのか」と。そういう提言は、一個の逆説で、合理的に支持できないと思われるかもしれない──けれども、私は、何かそういったものが私たちの究極の論拠とならざるをえないだろう、と信じている。個人がみずから神と認めているものに対してとらざるをえないと感じるあの人格的な態度──これが私たちの宗教の定義であったことを、諸君は記憶しておられるであろう──が、自己の無力を感じる態度となり、また、献身的な態度とかなることが、やがて明らかとなるであろう。すなわち、私たちは、私たちの魂が生命を失わないために、少なくともある程度まで絶対的な慈悲に依存していることを告白し、多かれ少なかれある程度の諦念を実行しなければならないであろう。私たちの生きているこの世界の構造がそれを要求しているのである。──

「欠乏に思えよ、欠乏に堪えよ!
これが永遠の歌なのだ、
私たちの一生涯のあいだ、時々刻々が
しわがれ声で歌って、
誰の耳にも鳴りひびく歌なのだ。」

 何はともあれ、結局、私たちは宇宙にまったく依存しているのである。ある種の犠牲と諦めは熟慮の上で決意されるものであるのに、それがあたかも私たちの唯一の永遠なる安息の状態であるかのように、私たちはそこへ引き入れられ、駆りたてられるのである。ところが、まだ宗教にまで達しないそのような精神状態にあっては、諦めは必然的運命の重荷を背負うものとして甘受され、犠牲もせいぜい不平をこぼさずに堪え忍ばれているにすぎない。これに反して、宗教的生活においては、諦めと犠牲は積極的に信奉される。幸福が増すようにと、その必要のないものまでがいろいろと諦められてゆく。かくして宗教はどのみち必要なものを容易にしよろこんで行なわせるのである。そして、もし宗教がこの結果を成就しうる唯一の原動力であるとすれば、宗教が人間の能力としてきわめて重要なものであることは、論議をまたずして証明されたことになる。宗教は私たちの生活の本質的な機関となり、私たちの本性の他の部分ではそれほどうまく果たせない一つの機能を果たしてくれるのである。いわば単なる生物学的見地からみても、現在、私が理解しうる限りでは、これが行きつかざるをえない結論であり、のみならず、第一講で私が諸君にその大要を説明した純粋に経験的な方法に従っても、行きつかざるをえない結論なのである。形而上的啓示として見れば、宗教にはさらにそれ以上の職務があるが、それについては、今は触れないことにしよう。
 しかし、自分の研究の到着点を予告することと、そこへ安全に到着することとは、おのずから別問題である。次の講義においては、今まで私たちがもっぱらたずさわってきた極端な場合の概説をやめて、直接、具体的な事実に向かい、私たちの実際的研究の旅へかどで出することにしたいと思う。

第三講 見えない者の実在

〔…〕

 イマヌエル・カントは、神、世界創造の計画、魂、魂の自由、死後の生命のような信仰の対象となるものについて、奇妙な学説をとなえた。彼の説くところによると、これらのものは本来まったく知識の対象ではない。われわれの概念は、それを用いて働くべき感覚的内容をつねに必要とする、ところが、「魂」「神」「不滅性」というような言葉は、なんら特定の感覚的内容を含むものでないから、理論的にいえば、それらはなんの意味ももたない言葉なのである。しかし、実に不思議なことに、それらの言葉も、われわれの実践に対しては、一定の意味をもっている。われわれは、あたかも神が存在するかのように行為することができ、あたかもわれわれが自由であるかのように感じることができ、あたかも特定の計画に満ちているかのように自然を考察することができ、あたかもわれわれが不滅であるかのように計画を立てることができる。そこでわれわれは、これらの言葉が、われわれの道徳生活では、まったく違った意味をもってくることを知る。だから、これら不可知な対象が現実に存在するというわれわれの信仰は、カントのいわゆる実践的観点 praktische Hinsicht から見ると、つまり、われわれの行為の見地から見ると、事実において、われわれがほんとうに認識することができたとした場合にそれらの対象がありうるその本質の知識と、まったく同じ価値をもっているのである。このようにして、私たちは、カントが説くように、人間の精神というものは、自分ではどれ一つとしてその概念を作ることのできないような一組の事物が実在しているものと固く固く信じている、という不思議な精神現象をもっているのである。
 私がこのようにカントの教説を諸君に思い起こしていただこうとするのは、カント哲学のこのとくに奇怪な部分が正確なものであるかどうかについて何か意見を表明しようという目的があってのことではなく、ただ、私たちが考察している人間性の特質を、その極端化された典型的な一例によって説明しようとするにすぎないのである。実在の情緒は、事実において、私たちの信仰の対象に強く結びつくことができるので、それがために、私たちの生活全体が、いわば、信仰の対象となる事物の存在に対する感じのもち方によって、いずれかの方向にすっかりかたよらされてしまう。けれども、信仰の対象となるその事物が、はっきりと記述できるように、ともかく私たちの心にあらわれるとは、とうてい主張できない。それは、あたかも鉄の棒が、視覚も触覚もなく、なんらの表象能力をもたないのに、それにもかかわらず、磁気を感じる強い内的能力を賦与されているのと、同じようなものである。また、たくさんの磁石が、鉄の棒の近くを去来することによって、鉄の棒の磁気がさまざまに誘発されて、鉄の棒が、それぞれちがった態度や傾向をはっきりとるようになるのと同じようなものである。このような鉄の棒は、自分をそれほど強く刺激する力をもっていた発動力について、外面的な説明を諸君に与えることは、決してできはしない。しかし、そういう発動力が存在していること、また、そういう発動力が自分の生活に対してもつ意義については、鉄の棒は、自己の存在の繊維の一つ一つを通じて、しみじみと感じていることであろう。
 私たちが明確に説明することのできないものがいろいろと現に存在していることを、私たちにいきいきと感じさせるそのような力をもっているのは、カントの名づけたような純粋理性の理念だけではない。すべて高度の抽象物は、いかなる種類のものでも、同じような、形なくして人に訴える力をもっているのである。前回の講義で私が読んでお聞かせしたエマソンの章句を思い出していただきたい。私たちの知っているこの具体的対象の全宇宙は、ひとりエマソンのような超越論者に対してばかりでなく、私たちすべてに対しても、いっそう広くいっそう高い抽象的観念の宇宙のなかを浮遊しているのであって、この観念の世界が現象界に意義を与えているのである。時間、空間、エーテルがあらゆる事物に浸透しているように、抽象的で本質的な善、美、強さ、意義、正義なども、あらゆる善いもの、強いもの、意義あるもの、正義ただしいものに浸透している(ことを私たちは感じる)。
 こういう観念や、これと同じように抽象的な他のさまざまな観念が、私たちのあらゆる事実の背景となり、私たちが可能だと考える一切のものの源泉となっている。これらの観念が、あらゆる特殊な事物に、その「本性」を与えるのである。私たちが知っている事物はいずれも、これら抽象的観念のどれか一つの本性を分有することによって、そのものとなるのである。これらの抽象観念は、身体も形も足らないから、私たちはそれらを直接に見ることはできない、しかし、私たちは、これらを手段にして、他のあらゆる事物を把握するのである。もし私たちがこのような精神的な対象、すなわち、形容詞や副詞や述語や分類および概念作用の項目となるものを見失うようなことがあれば、私たちは、実在の世界をとりあつかうに当たって、まったく途方にくれてしまうことであろう。
 私たちの精神がこのように抽象観念によって絶対的に規定されうるということは、私たち人間の本質の根本的な事実の一つである。これらの抽象観念は、私たちを突き離したり引き寄せたりするが、私たちも、それら抽象観念がそれぞれあたかも具体的な事物であるかのように、それらに面を向けたり、背を向けたり、追いかけたり、捕えたり、憎んだり、讃美したりするのである。そしてこれらの抽象観念も、それが住んでいる世界においては、実在的な存在なのであって、それは、変化する感覚的事物が空間の世界において実在的であるのと同じことである。
 プラトンは、人間に共通のこの感じを実にあざやかに印象的に弁護したので、抽象的対象の実在性を主張する教説は、それ以来プラトンのイデア論として知られるようになった。たとえば、プラトンにとって、抽象的な美は完全に限定された個的な存在であるが、知性はこれを、地上の滅びゆくあらゆる美しいものに付加される或るものだと考えているのである。しばしば引用される『饗宴』のなかの一節で、彼はこう述べている。「その正しい道順は、地上のもろもろの美しいものを踏み段に使って、あの別の最高の美に行きつくためにその階段を昇ってゆくことである、つまり、一つの美しい肉体から二つのそれへ、二つのそれからあらゆる美しい肉体へ、美しい肉体から美しい行為へ、美しい行為から美しい観念へと進み、ついには美しい観念から絶対的な美の観念に達して、結局、美の本質が何であるかを認識するのである。」前回の講義において、私たらは、エマソンのような、プラトン風な考え方をする若者が、事物の抽象的な神性や、宇宙の道徳的構造を、崇拝すべき事実として取り扱っているその仕方を、一瞥いちべつしておいた。神を信じないさまざまな教会が、今日、倫理会という名称で世界に普及しつつあるが、それらの教会においても、同じように抽象的な神性が崇拝されたり、道徳的法則が究極的対象として信じられていたりするのである。多くの人々にあっては、「科学」がまぎれもなく宗教の位置を占めつつある。そのように科学が宗教にとって代わるところでは、「自然の法則」が、科学者によって、崇拝さるべき客観的事実として取り扱われる。ギリシア神話の解釈において異彩を放っている学派は、ギリシアの神々は、起源的には、自然界が分化してゆく抽象的な法則や秩序の広大な領域──天空界、海界、地界など──をなかば比喩的に擬人化したものにすぎない、と主張した。それは、今日でお、私たちが朝の微笑とか、微風の接吻とか、刺すような寒さとかいいながら、べつにこれらの自然現象が現実に人間の顔をしているとは実際に考えていないようなものである。

〔…〕

 病的な憂欝にある時、事物の非実在というこの感じがいかに心をいらだたせ苦しめるものとなるか、そして、ついには人を自殺にまで追いやるものであるか、ということについては、後の講義で考察することにしよう。
 もはや確かな事実だと主張してもよいであろうが、はっきりと宗教的なものだといえる経験領域においては、多くの人(どれだけの人であるかは言えないが)は、その信仰の対象を、彼らの知力が真なりと認めるたんなる概念の形で、所有しているのではなく、むしろ、直接に感受される準感覚的な実在という形で、所有しているのである。そのような信仰の対象が目の前に実在しているという感覚が高まったり低くなったりするにつれて、信者の信仰も熱したり冷めたりする。抽象的に述べるよりも、実例を示したほうがずっとよく実感してもらえると思うので、私はただちに別の二、三の例を引用することにしよう。はじめの実例は消極的な場合で、問題の感覚の喪失を嘆いているものである。私の知り合いの科学者が彼の宗教生活について私にくれた一文から抜き出したものである。この実在の感じは、本来の意味の知能作用よりも感覚作用に似たものであることを、この例ははっきり示しているように思われる。

「二十歳から三十歳までの間に、わたしはだんだん不可知論的となり、無宗教的になったが、しかし、現象の背後にある絶対的実在についてのあの『ぼんやりした意識』─ハーバート・スペンサーは、巧みにこう呼んでいる──まで失った、とはいえない。わたしの場合、その実在はスペンサーの哲学でいう純然たる不可知者ではなかった。というのは、わたしは神に子供っぽい祈りを捧げることをやめていたし、儀式ばった態度でそれに祈ることもまったくなくなっていたけれども、しかし、わたしの最近の経験は、わたしがやはりそれに対して、実際的には祈りとまったく同じものであるような関係を保っていたことを示しているからである。なにか面倒なことが起こったとき、ことに、家庭の問題とか仕事の上のことで他人といさかいを起こしたとき、あるいは意気が狙喪したり心配事があったりする時には、いつでもわたしは、根本的な宇宙的なそれとわたし自身との間にあると感じられるこのふしぎな関係にたちかえって支えを求めたことを、わたしは今となって認めるのである。特別な窮地に立ったとき、それがわたしに味方してくれた、あるいは、わたしはそれに味方した──どちらでも、好きなように呼んでいただいていい──のである。それが現に存在していて根元となり支えとなっていると感じると、わたしはいつでも力づけられ、無限の活力を与えられるような気がした。事実、それは、生ける正義と真理と力の尽きることのない泉であって、意気がくじけた時わたしは本能的にそれにすがったが、それはつねにわたしを励ましてくれた。今になってみると、わたしがそれと結んでいた関係は人格的な関係であったことがわかる。なぜならば、近年になって、それと交わりを結ぶ力がわたしになくなって、それがはっきりわかる損失であることを、わたしは意識しているからである。わたしは、かつてはそれにすがって、それを発見しないということはなかった。その後、ただときどきそれを発見するような数年がつづき、それから後、わたしはそれと交通することがまったくできなくなってしまったのである。夜、寝床についても、心労のために眠れない時がたびたびあったことを、わたしは憶えている。わたしは、闇のなかで、転々と寝がえりを打った、そして、いわばいつでも手近なところにいて、通路に立って待っていて手をとって案内してくれると思われた、私の心の中にあるあの崇高な心の親しい感じを心の手でさぐり求めた、しかし、電流は生じなかった。そこにあるものは、それではなくて、空虚であった。つまり、わたしはなにも発見できなかったのである、いま、五十歳になんなんとして、それと結びつく力がわたしにはまったくなくなってしまった。そして、わたしは、大いなる助力者がわたしの生活から消えうせたことを、告白せざるをえない。奇妙にも、生活は死んだようなどうでもよいものになってしまった。そして、わたしは今になって、わたしの昔の経験がおそらく正統派の祈りとまったく同じものであり、ただわたしがそれを祈りと呼ばなかっただけであることがわかるのである。わたしが『それ』と言ってきたものは、実際、スペンサーのいう不可知者ではなく、わたし自身の本能的な、個人的な神にほかならなかったのである。そしてわたしは、この神に高い同情を求めてすがったのであるが、わたしはいつとはなしにその神を見失ってしまっていたのである。」

〔…〕

 実をいえば、形而上学や宗教の領域において、合理的な理由が私たちを納得させるのは、実在について私たちがもっているぼんやりした感じが、合理的な結論を支持するようなふうに、すでに印象されている場合に限っている。実際、その時にこそ、私たちの直観と私たちの理性とが協力して働き、仏教とかカトリック哲学の体系のごとき、世界を支配するほどの偉大な体系が成長するのである。このような場合には、つねに、私たちの衝動的な信仰が真理の体系の根源をなしているのであって、言葉によって明確に表現された私たちの哲学は、そのような信仰をはでやかに公式に翻訳したものにはかならない。不合理な直接的な確信こそ私たちの内部深くにひそむものであり、合理的な論証はうわべだけの見せものにすぎない。本能が導き、知性はただそれに従うだけである。もしある人が、上に引用したいくつかの文章に見られるようなふうに生ける神の現前を感じている場合には、諸君の批判的論証がどれほど優れていようとも、それによってその人の信仰を変えさせようとしても、徒労であろう。
 けれども、宗教の領域においては、だから潜在意識的なものや非合理的なものが優位を占めるほうがよいのだ、と私はまだ主張しているのではないことを、どうか注意していただきたい。私はただ、それらのものが事実として優位を占めている、ということを指摘しているだけなのである。
 宗教的対象の実在について私たちのいだく感じについては、これくらいにしておこう。ここでもう一言、宗教的対象が喚起する特有な態度のことを、簡単に述べておきたいと思う。
 宗教的対象の喚起する態度が厳粛なものであるということは、私たちのすでに承認したところである。また、そのような態度のうちもっともいちじるしいものは、極端な苦しみの場合に絶対的に服従する結果として生ずる種類の歓喜である、と考えねばならぬ理由をむ、私たちは理解した。この歓喜の特殊な性質を決定するのに重要なのは、服従される対象の種類についての感じである。そして、この現象ははなはだ複雑で、簡単な公式であらわすわけにはゆかない。この主題を取り扱った文献においては、悲しみと喜びとが代わる代わる強調されている。神々をはじめて造ったものは恐怖である、という昔からの言い伝えは、宗教史のあらゆる時代を通じて、豊かに確証されている。しかし、それにもかかわらず、宗教史は、歓喜がつねに重要な役割を果たしてきたことを示しているのである。歓喜が首位を占めたこともある。恐怖から解放されたという喜びという意味で、歓喜が第二位とされたこともある。この後者の事態の方がいっそう複雑であって、だからまたより完全なものである。私たちが宗教というものをそれに必要なだけの幅の広い見地から考察するかぎり、悲しみも喜びも、そのいずれを無視してもならない十分な理由があることが、この講義の進むにつれて明らかになることと思う。できるだけ適切な言い方をすれば、人間の宗教は、人間の存在が収縮するような気分と、人間の存在が拡大するような気分との両者を含んでいる。この二つの気分が混合する分量の割合や、継起する順序は、世界の時代、思想の体系、個人によってそれぞれ異なっているので、諸君は、宗教の本質として、恐怖と服従を主張してもいいし、あるいは、平安と自由を主張してもかまわない、どちらを主張しても、諸君は実質的に真理の圏内にとどまっているのである。陰気なたちの傍観者と、陽気なたちの傍観者とは、彼らの眼の前にあるもののそれぞれ相反する側面を強調せざるをえないのである。
 陰気なたちの宗教信者は、自分の宗教的な平安までも、ひどく重苦しいものにしてしまう。その平安のまわりには、まだ危険がただよっている。屈服と収縮の状態がまだ完全にはせき止められていない。解放されてからその歓喜で笑いさざめいたり躍りまわったりして、枝に止まって狙っている鷹のことをすっかり忘れてしまうのは、雀のすることか子供じみたことのように思われるのである。そういう人間ならむしろ、塵にかえれよ、ちりにかえれよ、である。なぜなら、なんじは生ける神のみ手のうちにあるからである。たとえば『ヨブ記』においては、人間の無力と神の全能とのみがヨブの心の重荷となっている。「その高きことは天のごとし、汝なにをなしえんや、──その深きことは陰府のごとし、汝なにを知りえんや。」こういう確信の真実には一種の苦い風味があり、ある人々はそれを感じとるが、その味は彼らにとって宗教的歓喜の感情にごく近いものなのである。

「『ヨブ記』において」と『マーク・ラザフォード』の著者である、あの冷静で誠実な著作家は述べている、「神は、人間が神の創造物の尺度ではないことを、われわれに想起させ給うのである。世界は広大であって、人間の知力が把握しうるような計画や理論にもとづいて構成されてはいない。世界はまったく超越的である。これが『ヨブ記』の一節一節の主旨であり、もしそこに秘密があるとすれば、これこそその詩の秘密である。このような主旨が人を満足させるものであると否とにかかわらず、そのほかに主旨はない。……神は偉大であり、神の仕ぐさはわれわれには分らない。神はわれわれの持てる一切のものを取り給う、しかし、もしわれわれが忍耐づよくおのが魂を持ちつづけるならば、われわれは影の谷を過ぎて、ふたたび日光のなかへ歩み出るかもしれない。われわれにはそれができるかもしれないし、できないかもしれぬ。……神が二五○○年以上も前に旋風のなかから語り給うたこと以上に、われわれが今日語らねばならぬ何があるというのであろうか。」

 他方、陽気な傍観者に眼を転じてみると、重荷がまったくふるい落とされ、危険がまったく忘れ去られるのでなければ、救済は不完全だと感じられていることを、私たちは発見する。この種の傍観者は、いま述べたような陰気なたちの人々の眼には、宗教的平安をたんなる動物的な喜びからはっきりと区別するあの厳粛さをことごとく無視してしまうような定義を、私たちに示すのである。ある著者たちの意見によると、犠牲とか服従とかの要素を少しももたず、腰をかがめたり頭をさげたりする気持をまったく伴なわないような態度でも、これを宗教的とよべるのである。J・R・シーリイ教授は、いかなる「習慣的な、生活の規準化した讃嘆も宗教的とよばれていい」といっている。したがって、教授の考えによれば、音楽、科学、その他「文明」と称されているものは、いまや組織化されて讃嘆の的として信仰の対象となっているのであるから、現代におけるほんとうの宗教を形づくっている、ということになる。実際、ホチキス銃などを用いて、私たちの文明を「低級な」民族に押しつけねばならぬ、などと考えている性急で理不尽な私たちのやり方には、剣をもって宗教を宣布しようとしたイスラム教の初期の精神をさえ偲ばせるものがある。

 第二講において、私は、笑いは魂の解放を証明するものであるから、いかなる種類の笑いも宗教的儀式とみなしてよい、という、ハヴロック・エリス氏のあまりにも過激な意見を引用した。私がこの意見を引用したのは、それが適切なものでないことを主張せんがためであった。しかし、私たちはいまや、この楽観的な考え方全体を、もう少し慎重に片づけなくてはならない。それは無造作に決定されるにはあまりにも複雑なものである。そこで、私は次の二回の講義において宗教的楽観主義を題目として論じたいと思う。

第四・五講 健全な心の宗教

〔…〕

 この時間には、比較的単純な種類の宗教的幸福の考察に諸君を誘うことにして、より複雑な種類のものは、他日これを取り扱うことにしたいと思う。
 多くの人々にあって、幸福は生得のものであり、どうしようもないものである。彼らにあっては、「宇宙的感動」は必然的に熱狂と自由という形をとってくる。私は肉体的に幸福な人々のことばかりを言っているのではない。不幸に襲われるか、不幸をつきつけられるかすると、それがまるで卑しく邪しまなものででもあるかのように、不幸を感じることを断乎として拒むような人々のことを、私は念頭において言っているのである。そういう人々はいつの時代にも見いだされるのであって、彼ら自身の境遇がどれほど辛苦欠乏の多いものであろうとも、また、彼らが人生の不幸を説くさまざまな神学のただなかへ生まれおちようとも、人生は善であるという感じに、彼らは熱情的に身を託しきっている。最初から、彼らの宗教は神的なものと合一した宗教である。初代キリスト教徒が、痛飲乱舞の酒宴に耽ったことのゆえにローマ人から非難されたように、宗教改革以前に現われた異端者たちは、反戒律的な行動のゆえに教会の著述家たちから激しく非難されたのである。人生を悪いものと考えることを断乎として拒否する態度が多くの人々によって理想化されて、自然なことならなんでも許さるべきであると主張するような公的ないし私的な教派を樹立するにいたらなかった世紀はまったくなかった、といっていい。聖アウグスティヌスの格言、Dilige et quod vis fac ──汝が〔神を〕愛しさえすれば、汝は汝の好むことをしてよい──は道徳的にみて、もっとも深い所見の一つであるが、しかし、それはそういう人々にとっては、因襲的道徳の境界を踏み越えるための通行券という意味を含んでいる。そういう人々のうちには、上品な人物もあれば、また粗野な人物もあったが、しかし、彼らの信仰はいつでも、首尾一貫していて、彼らに特定の宗教的態度をとらせた。神は彼らにとっては自由の贈与者であった、だから悪のとげの痛みは克服されていた。聖フランチェスコとその直弟子たちとは、むろん無数の変わりだねがありはするが、だいたいにおいて、こういう精神をもった人々であった。初期の著作にあらわれているルソー、ディドロ、B・ド・サン - ピエール、および、十八世紀の反キリスト教運動の指導者の多くは、こういう楽観主義的タイプの人たちであった。彼らのもつ影響力は、自然というものは、これを十分に信頼しさえすれば絶対的に善である、という彼らの感じに含まれているある威信に負うているのである。

〔…〕

 「一度生まれ」型の意識で、それがすなおに自然に発達して、病的な悔恨とか危機感とかいうような要素をまったく伴なわぬ実例は、ユニテリアン派のすぐれた説教家であり著述家でもある、エドワード・エヴァリット・ヘイル博士が、スターバック博士の質問状に答えた返事の一つにも、みごとに表現されている。私はその一部分を引用しておく。──

「宗教的な苦闘というものは、偉人の形成にほとんど必須なものであるかのように、多くの伝記に記されているのを見ると、私は心から残念に思う。私はむしろこう言わざるをえない。私のように、宗教というものが単純で当然なこととなっているような家庭に生まれて、そういう宗教の理論で教育され、したがって、そのような宗教的苦闘が、あるいは反宗教的苦闘が、どういうものであるかを知らないといってよい人間は、量り知れないほど恵まれている、と。私は、神が私を愛し給うことをつねに知っていたし、また、神が私をこの世に送り出し給うたことを、つねに神に感謝してきた。私は、いつも好んで神にそのように語ったし、神が私に与え給う暗示をつねによろこんで受け容れた。……私が大人になろうとしていたころ、当時のなかば哲学的な小説が、「人生の問題」に直面しようとする青年男女のことをいろいろと書きたてていたのを、私ははっきり思い出すことができる。人生問題とはどういうものなのか、私にはまるきり見当がつかなかった。全力を尽くして生活することは、私にはたやすいことに思われた。学ぶべきことがあればあるだけそれを学ぶことは、楽しいことであり、ほとんど当然のことのように思われた。機会に廻り合えば、他人ひとを助けるのも、あたりまえのことに思われた。そういう生き方をする人は、もちろん、人生を享楽しているのであるが、それは彼が人生を享楽せずにはいられないからなのであって、人生を享楽すべきだということを、自分に証明してみせるためなのではない。……自分が神の子であることを、自分が神において生き動きかつ存在することを、したがって、自分がいかなる困難をも克服するだけの、無限の力を身近に持っていることを、幼くして教えこまれた子供は、自分が怒りの子として生まれていて善をなしうる力をまったくもたない、と語り聞かされる子供よりも、人生をよりいっそう安楽に考え、おそらく、よりいっそう大事にすることであろう。」

〔…〕

 このように悪を感じることがまったくできない、現代のもっとも優れた実例は、もちろん、ウォルト・ホイットマンである。

「彼の好きな仕事は、」とホイットマンの弟子、バック博士は書いている、「ひとりで戸外をぶらぶらと当てもなく歩きまわって、草や木や花や日向ひなたの並木や、変化する空の様子を眺めたり、鳥や、こおろぎや、雨蛙や、そのほか数限りない自然の音響に耳を傾けることであったようである。これらのものが、普通の人間に与えるよりもはるかに大きな快楽を彼に与えたことは、明らかである。私が、彼を知るまでは」と、バック博士はつづけて書いている、「これらのものからあれほどの絶対的な幸福を引き出すことのできる人がいようなどとは、私は思ってみたこともなかった。彼は花がたいへん好きであった、野生のものであろうと栽培したのであろうと、どんな種類の花でも好きであった。ライラックや向日葵ひまわりをも、薔薇ばらと同じほど、賞美していた、と私は思う。実際、ウォルト・ホイットマンほど多くのものを好み、僅かなものしか嫌わなかった人間はかつて存在しなかったであろう。彼にとっては、あらゆる自然物が魅力をもっているようであった。一切の景観ながめと音響が彼を楽しませたようであった。彼は彼の出会う男、女、子供のすべてを好いている(彼が口に出して、誰かが好きだ、というのを私は聞いたことがない)ように見えた(事実、彼はそのすべてを好いていたと、私は信じている)。しかし彼と知り合った男や女は誰でも、彼が自分を好んでいること、また、彼が他の人々をも同じように好んでいることを、感じたものである。彼が議論をしたり論争したりしたのを、私は知らない。そして、彼は金銭のことをけっして口にしなかった。彼はつねに、彼自身のことや彼の著書のことを酷評する人々の言い分を、時にはふざけて、時にはきわめてまじめな態度で、是認した、それで私はしばしば、彼は敵たちが反対することをさえ楽しんでいるのではないかとさえ思ったりした。私が〔彼に〕はじめて会った頃には、彼は警戒していて、慣怒や反感や不平や抗議を口にしようとしないのだ、とよく私は思ったものである。そのような精神状態が彼にないなどということは私には思いもおよばぬことであった。けれども、長い間の観察の後に、彼にそういう精神状態が欠けていることが、あるいは、彼がそれを意識していないことが、まったく事実であることを、私は確信するにいたったのである。彼は、いかなる国籍や階級の人間をも、世界史のいかなる時代をも非難したことはなかった。またいかなる商売や職業をも悪く言わなかった──いかなる動物や昆虫、また無生物に対してさえも、また、いかなる自然の法則、病気や不具や死のような、その法則のいかなる結果に対してさえも、侮蔑的なことを口にしなかった。天候のことや、苦痛、病気、その他なにごとについても、彼はけっして不平をいったり、愚痴をこぼしたりしなかった。彼はけっしてののしることをしなかった。彼はけっして怒りにまかせて言葉を発したこともなく、また、明らかに怒ったこともなかったのであるから、彼には罵ることなどとてもできなかったのである。彼は恐怖を表にあらわしたこともなかったし、彼が恐怖を感じたことがあるなどとは、とても私には信じられない。」

 ウォルト・ホイットマンが文学上に重要な地位を占めているのは、彼がその著書から、ひとの心を偏狭にするような要素を原則的に排除しているからである。彼が思いのままに表現した唯一の情緒は、ひとの心を開放し拡大するような性質のものであった。しかも、彼はそのような情緒を一人称を用いて表現したが、それは、おそろしくうぬぼれが強いというだけの男が一人称で表現するのとは違って、万人を代表して表現しているのである。それだから、情熱的で神秘的な形而上学的感動が彼の言葉に溢れていて、読者は、男も女も、生も死も、あらゆるものが神々しい善であるという確信を与えられずにはいないのである。
 かくして、今日、多くの人々がウォルト・ホイットマンを永遠なる自然宗教の回復者であるとみなすにいたった。彼は、彼みずからの同朋愛を、彼自身と同朋とがともに生きていることに対する彼みずからの喜びを、人々に鼓吹した。彼を礼賛するいろいろな協会が実際に設立された。その宣伝のための定期機関誌ができ、そこでは、すでに正統派と異端派との間に境界線が引かれはじめているのである。ホイットマン独特の詩形を用いて、讃歌を書いている人たちもいる。そして、彼はキリスト教の開祖とあからさまに比較されてさえいる、しかも、けっして後者のほうが勝っているとはされてはいないのである。

 ホイットマンはしばしば「異教徒」と呼ばれている。この言葉は、今日では、罪の意識のない、たんに自然的な動物的人間を意味する場合もあれば、また独自な宗教的意識をもったギリシア人やローマ人を意味する場合もある。これらのいずれの意味においても、異教徒という言葉はこの詩人にぴったりあてはまらない。彼は善悪の樹を味わったことのないいわゆる単なる動物的人間より以上のものである。罪に対する彼の無関心さのうちには、心おごれる者たるの罪があることを彼は知っており、卑屈さや偏狭さから自由な彼の態度のうちには意識的な誇りがあって、これは異教徒という言葉の第一の意味における純粋な異教徒にはけっして見られないことだからである。

「私は動物たちの仲間になっていっしょに暮らすことができたらと思う。動物たちはあんなに静かで、満ち足りているのだ。
私はたたずんで、長い長い間、彼らを見まもる。
彼らは自己の境遇にうめいたりこぼしたりはしない。
彼らは、闇のなかで目ざめたまま横になっていたり、自己の罪に泣いたりはしない。
不満をもつものもなく、所有欲につかれて狂いまわるものもいない。
他の者の前にひざまずくものも、数千年前に生きた同類に向かって跪くものもいない。
全地上のどこにも、身分のよいものも、不幸なものもいはしない。」

 生まれながらの異教徒なら、このような有名な詩を書くことはできなかったであろう。しかし、見方をかえると、ホイットマンはギリシア人やローマ人より以下である。なぜなら、彼らの意識は、ホメロスの時代にあってさえ、太陽の照りかがやくこの世界が死滅するという悲哀感に満ちあふれていたが、そういう意識こそは、ウォルト・ホイットマンがこれを認めることを断乎として拒否するものだからである。たとえば、アキレウスはプリアモスの息子のリュケイオンをまさに殺そうとしたとき、命ごいの言葉をきいて、手をとどめて言う。──

「されば友よ、汝も死なねばならぬのだ。なぜ汝はそのように泣き悲しむのか。パトロクロスでさえ死んだではないか、汝よりはるかに優れていたのに。……私のうえにも死ときびしい運命が臨んでいるのだ。戦場であしたゆうべか、またひるなかか、いつかは来よう、誰かが、私の命をも、やりで打つか、つるから矢をはなつかして、戦いのまに奪う時が。」

 それから、アキレウスは、残酷にも剣でこのかわいそうな子供の頸を切り、死体の足をつかんで持ちあげて、スカマンドロス河に投げこみ、リュケイオンの白い脂肉あぶらを食らえ、と魚たちに呼びかける。ここでは、残忍さと同情心とがそれぞれ真実の響きをひびかせていて、たがいに混じり合ったり妨げ合ったりしてはいないが、それと同じように、ギリシア人やローマ人は、彼らのすべての悲しみと歓びとを、混ぜ合わすことなく、完全に区別していたのである。本能的な善を、彼らは罪とは考えなかった。彼らはまた、私たちの多くが主張しているように、直接的には悪とみえるものも「善となりつつある」ものでなければならぬとか、何かこれと同じような気のきいたことを主張して、宇宙の面目を保とうなどとは欲しもしなかった。初期のギリシア人にとっては、善は善であり、悪はまさに悪であった。彼らは、自然界に存在するもろもろの悪を否定しなかった──ウォルト・ホイットマンの詩「善とよばれるものは完全である、また、悪とよばれるものも、同じように完全である」は、彼らにとっては、まったく愚かな言葉でしかなかったであろう──彼らはまた、自然界のそれらもろもろの悪から逃避するために、悪がなくなるといっしょに無邪気な感覚的な善も存在する余地がないというような、想像の「よりよい別世界」を発明するようなこともしなかった。このように本能的に自然のままに反応すること、このようにあらゆる道徳的な詭弁や強弁から解放されていること、これが古代の異教徒的感情に一種の威厳を与えて人を感動させるのである。そして、この性質こそ、ホイットマンの吐露した言葉のもたないものなのである。彼の楽観主義はあまりにも気ままであり、反抗的である。彼の福音には、むやみに強がっているようなところがあり、どこか気どったゆがみがあって(*1)、これが、楽観主義への素質を十分もっていて、重要な点においてホイットマンが預言者の正統に属することを、大体において認めようとしている多くの読者に対してすら、その影響力を減じているのである。
(*1) 「神は私を恐れているのだ!」この極端に楽観的な友人が、格別に元気がよくて野生的になった或る朝、私の眼の前でそういったことがある。この言葉の反抗的な調子は、謙遜を説くキリスト教の教育がなお彼の胸でうずいていたことを、示していたのである。

〔…〕

 過去五十年間における、キリスト教界のいわゆる自由主義の前進は、教会内の健全な心が、地獄の業火を説く古い神学のほうがよく調和している病的な方向に対しておさめた勝利である、と呼ぶのが正しいかもしれない。今日では、全教団の説教者たちが、私たちの罪の意識を強めるどころか、むしろそれを軽蔑することを使命としているように思われる。彼らは、永遠の刑罰を無視する、そればかりか否定しさえする。そして、人間の堕落性よりもむしろ人間の尊厳を主張する。彼らは、古風なキリスト教信者が魂の救いということにのみたえず夢中になっているのを、病的な非難すべきことと見なして、賞賛すべきこととは見ない。快活な「たくましい」態度は、私たちの祖先の眼にはまったく異教徒的なものと映したであろうが、彼ら説教者たちの眼には、キリスト教的性格の理想的要素となっているのである。私は、そういう説教者たちが正しいかどうかを、たずねているのではない。私はただそういう変化の生じたことを指摘しているだけなのである。

〔…〕

 抽象的な説明はこれくらいにして、こんどは、精神治療宗教に関する経験というもっと具体的な説明に移ることにしよう。通信者からの回答がたくさん私の手もとにある──どれを選べばよいか、困るくらいである。最初に引用する二人は、私の個人的な友人である。その一人は婦人で、見られるとおり、あらゆる精神治療の門人が霊感を受けるあの無限の力との連続感をよく表現している。

「一切の病気、弱さ、苦悶のもととなる第一の原因は、私たちが、神とよんでいるあの神的活力エネルギーから人間が隔てられているという感じです。ナザレのイエスのように、『わたしと父とは一つである』という、静かな、しかも歓喜におどるような確信を感じかつ肯定できる魂には、信仰療法をおこなう人も、信仰治癒も、もはや必要ではありません。このほんの一言のうちに全真理が要約されております。神とのゆるぎない合一というこの事実のほかに、完全無欠というものの基盤を据えることは誰にもできません、この磐石の上に足を据える人、神の息吹いぶきの流れ込んでくるのを時々刻々に感ずる人は、病気ももはや襲うことはできません。全能者とともにある人なら、どうして疲労が意識に入りこむことができるでしょうか、どうして病気があの不屈の生気を襲撃することができるでしょうか。
「このように、疲労の法則を永遠に無効にすることができるということは、私自身の場合に、ありあまるほど実証されております。といいますのは、私は若いころ脊椎と下肢とが麻痺して、何年も何年も床に寝たきりの病人でした。当時の私の考えは、今日より以上に不純だったわけではありませんが、しかし私は病気が必然的なものであると、無知蒙昧にも固く信じておりました。けれども、私の肉体がよみがえってからは、私は十四年の間いちども休暇をとらずに、信仰治療家として働きつづけてきました。そして、極度の虚弱さや病気と、また、あらゆる種類の病気とたえず接触しているにもかかわらず、私は、一瞬も疲労や苦痛を覚えたことがないことを、ほんとうに断言することができます。だって、神の一部分であると意識している者が、どうして病気にかかりえましょう。──『我らとともにいまかたは、我らと戦うことのできるすべての者よりも、偉大である』からです。」

 第二の通信者も婦人で次のように書いてよこしている。──

「ひところ私には、人生がたいへん困難なものに思えました。私はいつも健康がすぐれませんでした。そして、しばしばいわゆる神経衰弱に襲われ、恐ろしい不眠症がともない、精神病すれすれの状態にありました。そのうえに、いろいろとたくさんな患い、とくに消化器官の患いがありました。私は家庭を離れて遠くへ送られ、医者の監督の下におかれ、あらゆる麻酔剤を用い、一切の仕事をやめ、食餌療法をさせられ、実際、望めるかぎりのすべての医者にみてもらいました。しかし、この新思想が私をとらえてしまうまでは、私は回復しても永続はしませんでした。
「私にもっとも強い印象を与えた一事は、万物に充満し、私たちが神とよんでいる、あの生命の本質との間に、絶対に恒常な関係、あるいは、精神的接触(この言葉は私にはきわめて意味が深いのです)を私たちが保たねばならぬという事実を知ったことだ、と思います。私たちが実際に私たち自身の生活のなかにその関係を実践しながら生きるのでなければ、すなわち、私たちが光と熱と外部からの励ましとを求めて太陽に向かうように、私たちがたえず、私たちの真の自己、つまり、私たちの内にある神といういちばん奥底にある、いちばん深い意識そのものに向かって内部からの照明を求めるのでなければ、その事実はほとんど知られえないものです。みなさんの内なる光に内面的に向かうことが、神の面前で、あるいは、みなさんの神的な自己の面前で、生きることだということを自覚しながら、みなさんがそれを意識的におこなわれるとき、やがてみなさんは、みなさんがこれまでめざしておられたもの、みなさんを夢中にさせていた外部の対象が、実在しないものであることを、みなさんは発見されるはずです。
「このような態度が、肉体の健康そのものに対してもつ意味を、私はみくびるようになりました。なぜなら、肉体の健康は、偶然的な結果としてひとりでに生まれるものであって、さきに述べたような一般的な精神態度をおいては、肉体の健康を獲ようとするいかなる特殊の精神的行為ないし意欲によっても、発見されえないものだからです。私たちが普通人生の目的とみなしているもの、すなわち、私たちすべてがむやみと探し求めている外的な事物、私たちがしばしばそのために生きそのために死にながら、結局、私たちに平和も幸福も与えてくれることのない外的な事物、そのようなものはすべて、付属物として、霊の胸ふかくに沈んでいるはるかに高い生活のたんなる産物あるいは自然的結果として、ひとりでに生まれてくるはずのものなのです。この生活は、神の国をえようと真に努力することであり、神が私たちの心のなかで主権を握り給うようにと願うことです、そうすれば、その他のことはことごとく、『汝らに加えられ』るべきものとして──恐らくは、まったく付随的に、そして、私たちの思いもかけないこととして、生まれてくるのです。しかもそれが、私たちの存在の中心そのものに完全な平衡が実在することの証明なのです。
「私たちは普通、私たちの活動の、第一義的な目標としてはならないものを、私たちの人生の目的としている、と私は申しましたが、そういうものとは、商売の成功、文筆家や芸術家としての名声、医者や法律家としての名声、慈善事業による令名のような、世間が讃めるベきこと、立派なこととみなしている多くのことです。このようなものは結果であって、目的であってはなりません。さらに私は、さしあたっては害もなく結構なことだと思われるし、多くの人がやっていることだからといって追求される多くの種類の娯楽をも、それに含めたいと思います──それは、さまざまな形式の慣例しきたりや社交や流行のことで、その大部分のものは、まったく空虚なものであり、余計な有害なものでさえあるのですが、多くの人の是認しているものなのです。」

 次にかかげるのも、やはり婦人のものであるが、いっそう具体的な実例である。私は注釈を加えずにそれを諸君に読んでお聞かせしよう──そこには、私たちが研究しつつある精神状態の諸相がたくさん示されている。

「私は、子供の時から四十歳になるまで、病人でした〔病歴が詳しく書かれているが、それは省略する〕。私は、転地療養すれば良い結果が得られるだろうと期待して、数ヵ月間ヴァーモントに滞在していましたが、身体からだはだんだん弱ってくるばかりでした。すると、十月の下旬のある日のこと、午後の休息をとっていたとき、突然私は、およそ『汝は癒やされて、夢にお考えたことのないような仕事をすることになるであろう』とでも言っているように思える言葉を耳にしました。その言葉はきわめて強い印象を私の心に与えましたので、私は即座に、そういう言葉をお告げになれるのは神様だけであろう、とひとりごとを言ったほどでした。クリスマスを迎えるまで、私というものも、私の病気も虚弱さも少しも改まりはしませんでしたが、それにもかかわらず、私はその言葉を信じました。クリスマスが過ぎてから、私はボストンに帰りました。それから二日たってから、一人の若い友人が、ある精神治療をする婦人のところへ連れて行ってあげようと言ってくれました(一八八一年一月七日のことです)。その信仰治療者はいいました。『精神のほかに存在するものはありません。私たちは唯一の精神のさまざまな表われなのです。肉体ははかない妄想にすぎません。人間は自分の考える通りのものになるのです』と。私には治療者の言ったことが全部わかったわけではありませんでしたが、その言葉全体をなりに、こう翻訳しました。「神のほかにはなにものも存在しない。私は神によって創造され、絶対に神に依存している。私が用いることができるように、精神が私に与えられている。そして、私がその精神を肉体の正しい活動の考慮に向かわせれば向かわせるだけ、それだけ私は、私の無知、恐怖、過去の経験への隷属から解き放たれるのであろう。」こうして私は、その日から、家族のために用意された食物を、どんな物でもすこしずつ食べはじめましたが、食べながら、『胃袋を創られた権威ちからは、私の食べたもののことも心配してくださるにちがいない』と、たえず自分にいいきかせました。質のうちずっと、そういう暗示的な言葉をとなえていてから、私は床につきました、そして『私は魂なのだ、霊なのだ、神様の思想みこころにある私とまったく一つのものなのだ』と言いながら、眠りにおちました。そして、一晩中、一度も目をさますことなくぐっすり眠りました。こんなことは、この数年間にはじめてのことでした〔苦痛の発作が、いつもきまって、夜中の二時ごろに、繰り返されていたのです〕。あくる日には、私は放免された囚人のような感じがして、いずれそのうちに私に完全な健康を与えてくれるであろう秘密を、私は発見したものと信じました。十日もたつと、ほかの人たちのために用意された食物を、どんなものでも食べることができるようになりました。そして二週間後には、真理に関する私自身の積極的な精神的暗示をもちはじめましたが、これらの暗示は、私にとって踏み石のようなものでした。それらの暗示をいくつか、ここに記しておきます。いずれもおよそ二週間の間をおいて、浮かんだものです。
「第一。私は魂である。ゆえに、私はもう大丈夫だ。
「第二。私は魂である。ゆえに、私は健康になっている
「第三。私自身を見る一種の内的なビジョンに、私が思っていた身体の部分すべてに瘤をもち、私と同じ顔をした四本足の動物があらわれて、それが私自身だと認めるように私に求めた。私は断乎として、私が健康であることに私の注意を集中して、そのような姿をした昔の私自身を見ることさえ拒んだ。
「第四。ふたたび、動物の姿がはるかな背景にあらわれ、微かな声をたてた。私はふたたびこれを認めることを拒んだ。
「第五。もう一度、動物の姿があらわれたが、それは、待ちのぞむような目つきで見ていた私の目の幻像にすぎなかった。そこで、私はふたたび拒んだ。それから、私は魂であり、神の完全な思想みこころ表現あらわれなのだから、完全に健康であり、またつねに健康であったのだ、という確信、内的意識が生まれた。それは、私にとって、本来の私と、外観上そう見えていた私との完全な分離がおこなわれたことであった。このことがあってから、私は私の真の存在を見失うことなく、たえずこの真理を肯定しつづけて、次第次第に(二年間の苦しい努力の末にたどりつけたのだが)私は、私の全身の健康を永続させるにいたった
「その後の十九年間の経験において、この真理を応用してみて、失敗したことは一度もありません。もっとも、ついうっかりして、ときどきこの真理の応用を怠ることもありましたが、しかし、そういう不注意を重ねているうちに、幼児おさなごのもつ単純さと信頼の心が私の身についてきたのでした。」

 しかし、このようにたくさんの実例を枚挙しては、諸君がうんざりされはしないかと思うので、私は、ふたたび哲学的な一般論に諸君を連れもどさなければならない。以上のような経験の記録によって、精神治療というものを本来の宗教的運動として分類しないわけにゆかないことを、諸君はもう理解されたはずである。私たちの生命と神の生命との一体性を説く精神治療の教義は、当ギフォード講座において、スコットランドのもっとも有能な宗教的哲学者の幾人かによってすでに弁護されてきたキリストの福音の解釈と、事実、まったく区別できないものである。

〔…〕

 結局、生活そのものがものを言うのである。精神治療は精神衛生の生きた体系を発展させたが、その体系は、魂の養生法 Diatetik der Seele に関する従来のすべての文献を顔色なからしめた、と言ってもよいほどのものである。この体系はまったくただ楽観論オプティミズムだけででき上がっている。つまり「悲観論ペシミズムは虚弱に通じる。楽観論オプティミズムは力に通じる」のである。「思想は事物である」と、精神治療のもっとも迫力をもつ著者の一人は、自著のすべてのページの脚部にゴシック字体で印刷している。もし諸君の思想が、健康や若さや元気さや成功に向けられているなら、諸君が気づかぬうちに、それらの事物が、諸君の外面を構成する部分ともなることであろう。楽観的な考え方を根気づよく追求すれば、その考え方のもつ、ひとを再生させる影響力を、誰しも受けずにはいられない。人間は誰でも、神にいたるこの入口を、脱却しえぬものとして、めいめいにもっている。これに反して、恐怖や、すべて偏狭で利己的な考え方は、破滅にいたる入口である。たいていの精神治療者は、ここで、思想は「勢力」であるという教義をもち出してくる、つまり、類は友をよぶという法則によって、ひとりの人間の思想は、世界にあまねく存在する同じ性質のすべての思想を、同盟軍として自分のほうに引きつける、と説くのである。かくして人は、考えることによって、自己の欲望を実現するための援軍をどこかから得ることができるのであって、そこで、天来の力が流れこめるように自分自身の心を開いて、その力を自分の味方とする、これが、人生の要諦となるのである。

〔…〕

 さて、ルター派の信仰による救済、メソジスト派の回心および、私が精神治療運動と呼ぶもの、これらの歴史を見ると、──少なくとも、成長の一定の段階に達すると──より善きものへ向かっての性格の変化を生じる人間がたくさん存在していることを、実証しているように思われる。しかも、そういう変化は、定評のある道徳家たちの定めた規範によって促進されるものではけっしてなく、むしろそういう規範がくつがえされる場合にこそ、よりいっそう成功をおさめるのである。世間に定評のある道徳家たちは、たゆまぬ努力を、けっして怠ることのないよう、私たちに忠告する。彼らは私たちを厳しくいましめていう。明けても暮れても、警戒を怠っていけない受動的な傾向をせきとめよ、努力をおそれてはならない、「ひきしぼった弓のように、いつまでも意志を張りつめていよ」と。ところが、ここに述べるような人間は、すべてこういう意識的な努力は、結局、みずから失敗に終わって心をいらだたせるばかりで、彼らを以前に倍する地獄の子とするだけのことである、と考える。みずから進んでしようとする緊張した態度は、彼らにあっては、我慢のならない熱病となり、苦痛となるのである。彼らの身体からだの機械は、ベアリングがあまり熱くなってベルトがきつくなると、どうにも回転しなくなるのである。
 こういうわけで、成功への道は、無数の信頼すべき人々の説明が証明しているように、一種の反道徳的な方法、すなわち、私が第二講でお話した「屈服」であるということになる。そこでこんどは、能動の態度ではなくて受動の態度が、緊張ではなくて弛緩が、規則とされなければならない。責任感を捨てよ、諸君の握っているものを棄てよ、諸君の運命の配慮をより高い力に委ねよ、ことのなりゆきにまったく無関心であれ、そうすれば、諸君は完全な内心の救いを得るばかりでなく、それに加えて、すっかり諦めたつもりでいた特別の財宝をも、しばしば手に入れることに気づくであろう。これこそ、自己絶望による救い、ルター神学の説く、死んでほんとうに生まれること、ヤコブ・ベーメが書いている無に入る通路である。そこへ達するためには、普通、一つの危機点が通過されねばならない、心のなかで一つの角が曲がられなければならない。なにかがくずれねばならない、生まれながらのかたくなな心がうち砕かれて、柔らかにされねばならない。そして、このことは(これからたっぷりとその実例をお目にかけるように)、しばしば突発的、自動的に起こるのであって、なにか外部の力によって起こったのだという印象を、当事者に残すものである。
 このような経験のもつ究極の意味が事実どうあろうとも、これは確かに人間経験の一つの根本的な形態である。この経験をすることができるかできないかが、宗教的性格をたんなる道徳家的性格から分つのだ、と言う人もある。この経験を十分に味わった人々に対しては、いかなる批判もこの経験の実在性を疑わせることはできない。彼らは知っているのだ。なぜなら、彼らは、その個人的意志の緊張を棄てたとき、より高い力を現実に感じたのだからである。
 信仰復興運動リバイバリズムの説教者たちがしばしば話す物語に、夜、自分が断崖からすべり落ちてゆく夢を見た男の話がある。結局、その男は一本の枝をつかんで、墜落を免れたが、その枝にしがみついたまま、悲惨にも数時間を過ごした。しかし、ついにその指が支えきれなくなったので、人生に絶望の訣別をつげると、彼は落ちていった。彼は六インチ落ちただけであった。もし彼がもう少し早くその奮闘をやめていたとしたら、彼の不安も少なくてすんだことであろう。母なる大地がこの男を受けとめたように、もし私たちが、永遠者の腕を絶対的に確信して、自分自身の力に頼るという伝統的な習慣をして去り、身の守りともならない自力の用心や身の救いともならない自力の保証を断念するならば、永遠者の腕が私たちを受けとめてくれるであろう、と、この説教者たちは説いてくれるのである。
 精神治療家たちは、この種の経験にきわめて広い視野を開いた。彼らは地緩や放棄によって達せられるこの形式の再生は、信仰によって義とされると説くルター派の主張とも、自由な恩寵を受け容れることを説くウェスリイ派の主張とも、心理学的には区別できないもので、罪の意識をもたず、ルクー派の神学などにまったく無関心な人たちにもなし得られるものであることを証明した。それは、諸君自身の小さい不安定な自己を休ませ、より大きい自己が存在していることを知りさえすればよいのである。突如として起ころうと徐々に起ころうと、大きかろうと小さかろうと、とにかく楽観論オプティミズムと待ち望む心とが結び合って生まれる結果は、つまり、努力の放棄の結果として生ずる再生の現象は、あくまでも人間本性の動かせない事実であって、その究極因果の説明として、有神論的見地をとろうと、汎神論的 = 唯心論的見地をとろうと、また、医学的 = 唯物論的見地をとろうと、事態にはなんのかかわりもないのである。

〔…〕

 後の講義において、私は、一方では宗教と科学との関係を、他方では宗教と原始未開人の思想との関係を、詳しく論じなければならないであろう。今日──好んで「科学者」とか「実証主義昔」とか自称する──多くの人々がいて、宗教的思想はたんなる遺物にすぎない、すなわち、人類が、前進し開化した証拠として、すでに久しい以前に脱却して後に残してきた型の意識へ退化し先祖返りをすることである、と主張しようとする。もし諸君が、もっと十分に説明してほしい、と彼らに求められるならば、おそらく彼らは、原始的思考にとってはあらゆるものが人格の形式のもとに考えられている、と答えるであろう。未開人は、事物は人格的な力によって、個人的な目的のために、作用する、と考える。未開人にとっては、外的自然でさえ、個人の要求や主張に従って動き、個人の要求や主張が、そのまま原始的な力であるかのようにみなされるのである。ところがこれに反して、かの実証主義者たちは主張する、いまや科学は、人格は自然の原始的な力であるどころか、物理学的、化学的、生理学的、心理物理学的な力など、真に原始的な力の受動的な結果にすぎず、しかもこれらの力はすべて非人格的、一般的な性格のものであることを実証した、と。個別的なものは、ある普遍的な法則に服従しそれを例証する場合を除いては、宇宙においてなにものをも成しとげることはできない。そこで、諸君が実証主義者たちに向かい、科学はいったいいかなる方法によって、そのように原始的思想にとって代わり、その人格的なものの見方を不信に陥れたのか、とたずねるならば、彼らはこの問いに対して、実験による検証という方法を厳密に用いたからである、ときっと答えることであろう。科学の諸概念、すなわち、人格をまったく無視する諸概念を徹底的に実行に移せ、そうすれば、諸君はつねに確証されるであろう。世界というものは、諸君が予想を非人格的、普遍的に推論させるような条件を守るかぎり、そしてそのかぎりにおいてのみ、諸君の予想はすべて経験的に検証されるようなふうに造られているのだ、と彼らは言うであろう。
 ところが、ここに精神治療というものが、それとは正反対な哲学をひっさげてあらわれ、しかもそれとまったく同一の要求をかかげるのである。精神治療はこう主張する、あたかも私が正しいかのように生活せよ、そうすれば、毎日毎日の生活が、諸君の正しいことを実際に証明してくれるであろう、と。自然を統御するエネルギーが人格的なものであること、諸君自身の人格的思想が力であること、宇宙の力が諸君の個人的な訴えや要求に直接に応答するであろうということ、これらの命題は、諸君の身体的および精神的な経験全体が検証してくれるであろう。そして、経験がそれらの原始的な宗教的諸観念を広く検証しているということは、精神治療運動が現在のごとく普及したという事実によって証明されている、しかもその普及は、たんに宣伝や揚言によるものではなく、具体的な経験的成果によるものである。そこで、精神治療は、科学の権威が全盛をほこっている今日、科学的哲学に対して侵略戦をいどみ、科学自身の方法と武器とを利用することによって、成功を収めているのである。もし私たちがより高い力に心から身をゆだね、その力を役だてようと同意しさえするならば、その高い力は、私たちが自分自身のことを心配する以上に、よく私たちのことを心配してくれるだろう、と信ずるとき、精神治療は、この信仰が非難さるべきでないばかりか、その経験によって確証されたものと考えているのである。
 このようにして回心がおこなわれ、そして回心者がその信仰を固められる事情は、すでに引用した物語から十分あきらかなことと思うが、問題をできるだけ具体的にするために、私はもっと短い文章を若干引用しておこう。その一つはこうである。──

「私がこの教説を実地に応用した最初の経験の一つは、私がはじめて治療家に会ってから二ヵ月後のことであった。私は倒れて、右の足首をくじいたが、その足首は、四年前にも一度くじいたことがあり、その後数ヵ月の間、松葉杖とゴム製の足首くるぶし環を用いねばならなくなって、それ以来、注意してそこを保護していたのである。起きあがるや否や、私は次のような暗示を積極的に試みた(そして、私はその暗示を私の全身に感じとった)。『神のほかなにものも存在しない、一切の生命はまったく神からくる。私がくじいたり負傷したりするはずがない。私は神に足首を看護してもらおう』と。するとどうだろう、私は、足首をくじいたという感覚を少しも覚えなかった、そしてその日に、二マイルも歩いたのであった。」

〔…〕

 偏狭な科学者たちのそういう要求は、どう見ても、早計にすぎる、と私は思う。私たちがこの時間に研究してきたさまざまな経験は(そして、他の種類の宗教的経験の大部分もそれに似ている)、宇宙というものが、他派の認める以上に、いな、科学派の容認する以上にさえ、多面的なものであることを明らかに示している。私たちの精神が構成した多かれ少なかれ孤立した観念体系(概念作系)と一致する経験をおいて、私たちのあらゆる検証とは、結局、いったい何なのであろうか。しかし、なぜ私たちは、常識の名において、そのような唯一の観念体系のみが真理でありうる、と仮定しなければならないのか。私たちの全経験が示している明白な結果は、世界が多くの観念体系にしたがって扱われうるし、また、さまざまな人によってそのように扱われているということ、世界は、これを扱う人に対して、いつでも、彼が特に求める種類の利益を与えるが、同時にまた、それ以外の種類の利益が除外ないし延期されねばならない、ということである。科学は、私たちすべての者に、電信、電燈、医学的診断法を与えてくれているし、また、かなりな量の病気の予防と治療に成功している。精神治療の形をとった宗教は、私たちの一部の者に、明朗さ、精神の安定、幸福を与えてくれるし、また、科学と同じように、ある種の病気を予防する。いや、ある種類の人々においては、科学より以上に予防の役を果たしているのである。してみると、科学と宗教とはいずれも、それぞれそれを実際に利用しうる人にとっては、明らかに、世界の宝庫を開くための真の鍵なのである。また、明らかに、科学と宗教とは、どちらも、自分だけで完全というものではなく、また、他方が同時に用いられることを排するものでもない、つまり、この世界は、きわめて複雑なもので、多くの実在領域の相互浸透から成り立っていてはなぜいけないのであろうか。ちょうど数学者が、幾何学を用いたり、解析幾何を用いたり、代数を用いたり、微積分を用いたり、あるいは四次元法を用いたりして、同一の数的、空間的な事実を取り扱い、そのどれを用いてでも正しい答えを出してくるのと同じように、私たちも、さまざまな概念を用いたり、さまざまな態度をとったりして、交互に接近することができるといったようなものであっては、なぜいけないのであろうか。このように見ると、宗教と科学とは、それぞれ、時々刻々、世代から世代へと、それぞれの仕方で検証されつつ、永久に共存するものとなろう。個別化された人格的力を信じる原始的な思想は、とにかく、今日の科学によっては、これまでと同じように、とうてい駆逐されるものでないように思われる。教育のある多くの人々が、いまなお、その原始的な思想を、実在との交わりを遂行するためのもっとも直接的な実験的通路だと見なしているのである(*1)。
(*1) 多くの哲学者たちが仮定しているように、さまざまな領域や体系が、果たしていつか一つの絶対的概念に完全に融合されうるものかどうか、また、もしそれができるとすれば、その絶対的な概念は、いかにしてもっともよく到達されることができるか、これらの問題は将来のみが答えうる問題である。今日確実なことは、乖離かいり概念のさまざまな系列があって、そのそれぞれが世界の真理のある部分に対応し、それぞれがある程度まで検証されており、それぞれが真の経験のある部分を排除している、という事実である。

 この最後に述べた真理に諸君の切実な注意をうながすために、引用したい誘惑を抑えかねるような、精神治療の実例がたくさん私の手もとに用意されているが、しかし、今日のところは、この程度のごく簡単な指摘をしておくだけで、満足しなければならない。後の講義において、宗教と科学、宗教と原始的思想との関係について、私たちはもっとはっきりと注意をはらわねばならなくなるであろう。


付録

 例の一 「私自身の経験は次のとおりである。私は長らく病気であった、そして、私の病気の最初の結果の一つは、十二年前のことになるが、複視症で、これが読書や執筆のために眼を使うことをほとんどまったくできなくしてしまった、そして後には、ちょっとでも眼を使うと、てきめんに極度の疲労が起こって、まったく眼が使えなくなってしまった。私はヨーロッパとアメリカと両国の最高の名医たちの診療を受け、それらの名医の力で助かるものと大きい信頼をよせていたが、空しかった。むしろ結果は悪かった。そこでがっかりして足も地につかないような思いをしていたとき、私は精神治療のことを聞いて心をひかれ、それを試みてみようという気になった。私は効果を大して期待したわけではなかった──偶然に試みたまでであった、というのは、一つには、精神治療が新しい可能性を開きそうに思われて、これに私の思想が興味をもったからであり、一つには、それがそのとき私の出会うことのできた唯一の機会だったからである。私はボストンのX氏のところへ行った、その人から、私の友だちは幾人か大いに助けられていた、あるいは、助けられたと思っていたからであった。治療は無言のままおこなわれた、ほとんど口はきかれなかった、治療は私を心服させるだけの力をほとんどもってはいなかった。受けた影響といえば、私たちがいっしょに黙って座っていたとき、相手の人の思想か感情かが、私の無意識的な心に、いわば私の神経系の中へ、無言のうちに投入されたということくらいのものであった。そういう作用の可能性は、私はこれを最初から信じていたのである、というのは、心には、身体の神経活動をおこしたり、助長したり、妨げたりする力があることを知っていたし、精神感応テレパシーというものは、たとい証明できないにしても、ありうるものだと私は考えていたからであった。しかし私はそれを可能性より以上のものとして信じていたわけではなかったし、精神感応に対する私の思想と結びついた、想像力をたくましく飛翔させてくれるほどの強い確信も、また、神秘的あるいは宗教的な信仰といったようなものも、もってはいなかったのである。
 「私は、毎日、半時間のあいだ、静かに治療者といっしょに坐っていた、はじめのうちは効果がなかった。それから、十日かそこいらしてから、まったく突然に、そして速かに、新しい精力の潮が私の内部でたち上ってくるのを、私は意識した、これまでの休息の場を越えて行く力の感じを、長いあいだ私のまわりをとりまき、これまでいくど試みても高すぎてどうしてもよじのぼることのできない壁となっていた境界をつき破る力の感じを、私は意識した。数年のあいだできなかった読書と散歩ができるようになった。この変化は、突然で、顕著で、まぎれもないものであった。この潮は、数週間、多分、三週か四週のあいだ、寄せてきたようであった。それから、夏になったので、二、三ヵ月後にまた治療を受けることにして、私は家に帰った。私の得た精神の高揚状態は永くつづいた、そして私は徐々に、足が地につかない思いを去って、大地を足下に感じてきた。しかし、この高揚状態を得ただけで、或る意味で、治療の影響は尽きたように思われた。そして、かの力の実在に対する私の信頼の念は、この最初の経験から、非常に力を増していたし、もし私がその力を信じていることが有力な要因となるものであったら、私の健康と体力を強くするのに役だったにちがいないであろうに、しかし私は、それ以後は、半信半疑ではじめて試みたときに得たほど目ざましい顕著な結果を少しも得ることがなかった。このような事柄において、すべての証拠を言葉に言い表わしたり、結論の根底に置かれているものすべてを、はっきりした文章にまとめあげるということは困難なことである。しかし、私は、あのとき達した結論を(少なくとも、私自身に)正当化するに足るだけの十分な証拠をもっているものと、つねに感じている。そして、あのとき以来、私は固くこう信じている。あのとき起こった肉体上の変化は、第一に、精神状態の変化によって私の内部に生じた変化の結果であった。第二に、あの精神状態の変化は、副次的にはともかく、想像力の興奮の影響によって惹き起こされたものでも、意識的に受けた一種の催眠術的な暗示の影響によって招かれたものでもなかった。最後に、この変化は、精神感応的に、そして、直接的な意識の平面のはるか下にある精神的深層の上で、いっそう健康でいっそう精力的な態度を、この態度の観念を私に印象づけようという意図をもって思想を私に向けている他の人間から、私が受けとった結果であった、と私は信じている。私の場合、病気は、明らかに、器質的なものでなく、神経的として分類されうるようなものであった。しかし、そういう機会をいくども観察した結果、さまざまな神経が内面的な活動も身体の栄養も残らず統御しているのであるから、器質的な病気と神経の病気との間に一線を画したのは、気まぐれなことだ、という結論に私は到達した。そして中枢神経系は、局部局部の中枢のはたらきを起こしたり止めたりするもので、それが一点に集中されると、あらゆる種類の病気に大きい影響を及ぼすことができるのだ、と私は信じている。私の判断では、中枢神経をいかに集中するか、ということだけが問題なのである、そして、精神治療によって得られる結果が確かでなかったり、結果にいちじるしい違いができたりするということは、私たちが、そこに働いている力について、またその力を有効に働かせるためにとるべき手段について、まだ無知であることを示すものにほかならない、と私は思う。それらの結果が偶然の一致に負うものでないことは、私自身と他の人々について私のおこなった観察によって確かである。多くの場合、意識的な精神、つまり想像がそれらの結果のなかへ一要因として入りこむことは、疑いもなく真実である、しかしまた、他の多くの場合には、ときにはきわめて異常な多くの場合には、そういう想像はほとんどまったく入りこまないように思われる。全体的に見て、治癒作用が、発病作用と同じく、正常な意識的精神の平面から発するように、もっとも強く、もっとも効果的な印象は、その無意識的精神が、いまだ知られていないふしぎな或る仕方で、より健全な精神から直接に受けとる印象であり、このより健全な精神の状態を、無意識的精神は、共感という神秘な法則を通じて再生産するのだ、と私は考えたいと思っている。」

 例の二 「友人たちがしきりに勧めるので、私は信用もしていなかったし、ほとんど希望もつないでいなかったが(おそらく、以前にクリスチャン・サイエンスの治療をうけて失敗した経験があるからであろう)、小さい娘を精神治療者の診療にゆだねた、ところが、医者がひどく悲観的な診断をくだしていた病患が癒ってしまったのであった。それが私の関心をひいたので、私はこの治癒術の方法と哲学とを熱心に研究しはじめた。だんだんと私の心は平和と安静を得てきて、ついには、私の挙動に大きい変化が見られるまでになった。私の子供たちや友人たちはこの変化を指摘し、とやかくと批評を加えた。いらいらする気持がまったく消えてしまった。私の顔の表情さえ、目に見えて変わった。
 「私は、公の席でも私的な場合でも、議論をすると、頑固で、攻撃的で、不寛容であった。その私が、他人の意見に対して明らかに寛大になり、受容的になった。私は、消化不良とカタルのためだったと思うが、神経質でおこりっぽく、一週のうちに二、三度は、ひどい頭痛を起こして、帰宅したものであった。私は落ち着いた気持になり、温和になった、そして、肉体の病気は完全に消えてしまった。私はいつも、ほとんど病的な恐怖をいだいて、すべての事務的な面会をしたものであったが、今では、誰とでも自信をもって、平静な心で、面会している。
 「このような成長はすべて、自己本位の心を排除する方向をとっていた、と私は言ってよいかもしれない。ここに自己本位の心というのは、単に野卑な、肉欲的な形式のものばかりでなく、悲しみや、嘆きや、悔いや、嫉みなどとなって現われるような、微妙な、一般にはそうと認められていない種類のものをも含んでいる。この成長は、神の内在と、人間の真の、内的な自己の神性とを、実践的、活動的に実現してゆくという方向をとっていたのである。」

第六・七講 病める魂

 前回の集まりで、健全な心の気質を考察したが、この気質は、苦悩を長びかせることが体質的にできないような気質で、ものごとを楽観的に見ようとする傾向が、個人の性格を固める結晶水のようなはたらきをする、といった気質である。私たちは、この気質がどうしてある特殊な型の宗教の基礎となりうるかを見た。それは、善が、たといそれが現世の生活の善であろうとも、善こそが、理性的存在たる者の心すべき根本的事柄である、と考えるような宗教であった。この宗教は、宇宙の悪い面をかえりみることのないよう人間に命じて、その悪い面を心にとめたり重んじたりするのを組織的に禁じ、思慮ぶかい打算によって悪い面を無視させ、それどころか、時には、悪い面の存在を頭っから否定させるのである。つまり、悪は病気なのである。だから、病気のことでくよくよ気をもむのは、そのこと自体、また一つの病気であって、もとの病気をただ重くするだけのことである。後悔や自責の念などの感情でさえ、善に奉仕するしもべの役をなすものであるのに、病的な、心を弛緩させる衝動でしかない。最善の悔いとは、正義のためにって行動することであり、諸君がかつて罪とかかわりをもっていたということを忘れることである、と考えられるのである。
 スピノザの哲学は、この種の健全な心をその核心に織りこんでいるのであって、それが彼の哲学の魅力の一つの秘密ともなっている。スピノザによれば、理性によって導かれる者は、その精神をまったく善の影響によって導かれる者である。悪の知識は、奴隷的な人間にのみふさわしい「不完全な」知識である。だからスピノザは、悔いというものを無条件的に非難する。彼はこう言っている、──あやまちをおかすと、
「良心の苛費や悔いの念がおこって、人々を正道につれもどしてくれるものだと、あるいは期待されるかもしれない、そして、それだから、これらの感情は善いものである、と結論したくなるかもしれない(事実、誰もがそう結論しているのである)。けれども、よく見てみると、良心の苛責や悔いは、善いものでないばかりか、かえって有害な悪い情念であることを、われわれは発見するのである。なぜなら、良心の悩みや自責の念に頼るよりも、理性と真理への愛とに頼るほうが、いつでも、うまく暮らしてゆけることは、明白だからである。自責や悔いは、特殊な種類の悲しみにすぎないのであるから、有害な悪いものである。そして、悲しみの不都合なことは」、と彼はつづけて、「私がすでに証明したところで、われわれは悲しみを人生から遠ざけるように努力しなければならぬということも、私はすでに明らかにしておいた。良心の不安や自責の念も、この種の感情なのであるから、同様にまたわれわれはそのような精神状態を避けるように努めねばならない。」

 キリスト教団では、罪を悔いるということが、初めから決定的な宗教的行為となっているが、そこでも、健全な心が、つねに、かなり寛大な罪の解釈を与えている。そういう健全な心のキリスト教徒によれば、悔いとは、罪から逃れることであって、犯した罪にうめいたりもだえたりすることではない。告白とか赦免というようなカトリック教会の行事は、一面、健全な心をいつも優勢にしておくための組織的な方法にすぎないとも見られる。告白や赦免によって、人間が負っている悪の借金が、定期的に決済されたり監査されたりして、古い借金が一つも記入されていない、きれいなページでスタートできるようにしようというのである。カトリック教徒なら誰でも、そういう浄罪の行事を終えた後で、どんなに清浄な、新鮮な、自由な気持がするかを告げるにちがいない。マルチン・ルターは、私たちが述べたような徹底的な意味では、健全な心の型に属する人ではけっしてなかった、そして彼は僧侶がおこなう赦免行為を、罪であるとして排斥した。けれども、この悔いについては、主として彼のいだく神の観念の広大さにもとづいて、健全な心の方向をとった観念をもっていた。

「僧侶であった頃には、」と彼は述べている。「肉の快楽を感じるたびごとに、すなわち、誰か同朋きょうだいに対して、肉欲、憤怒、憎悪、嫉妬などのような悪い心の動きを感じるたびごとに、私はまったく永劫の罰を受けたもののように思ったものである。私はいろいろと手だてを用いて良心を静めようと試みたが、どうしてもうまく行かなかった。というのは、私の肉の現世欲や煩悩ぼんのうがいつも戻ってきて、私は心を休めることができず、たえず次のような思いに悩まされつづけたからである。お前はあの罪、この罪を犯している。お前は、嫉妬とか、短気とか、その他それと同じような罪で汚れている、だから、お前がこの聖職に身を置いても、無駄である、お前の善きわざもすべて無益である。しかし、もし私がその当時、『肉の望むところは御霊みたまにさからい、御霊の望むところは肉にさからいて、互いに相もとればなり。これ汝らの欲するところをなし得ざらしめんためなり』というパウロの言葉を正しく理解していたならば、私はあのように惨めに自分を苦しめることなく、むしろ現在そうするのを常としているように、『マルチンよ。お前は、肉をもっているのだから、全く罪なしにあるわけにはゆかない。それだから、お前は肉に対する戦いを感じねばならないのだ』と考え、そしてそのように自分に言い聞かせたことであろう。シュタウピッツがよくこう言っていたのを、私は覚えている。『もっと善い人間になります、と私は千度以上も神に誓った。しかし、私は誓ったことを果たさなかった。これからは、私はそういう誓いをしないつもりである。なぜなら、誓っても実行できないことを、私はいまは経験によって知ったからである。それゆえ、神が、キリストに免じて、私に好意を示し恵みを垂れさせ給うのでなければ、私がたといどんな誓約をなし、どんなに善行を積もうとも、私は神のみ前に立つことはできないだろう』と。これ(シュタウピッツの)は、真の絶望であるばかりでなく、敬虔にして神聖な絶望でもあった。そして、救われたいと願う人間はすべて、口と心とをもって、このことを告白しなければならない。なぜなら、敬虔な人々はおのれ自身のただしいことを信頼しないからである。彼らは、彼らの罪のためその生命を棄て給うた彼らの仲保者なかだちキリストを、頼みとしているのである。さらに彼らは、彼らの肉に宿る罪の残りは、彼らの責任に帰せられるものではなく、むしろ自由に赦されるものであることを、知っている。それにもかかわらず、一方では、彼らは、肉の快楽を満足させることのないように、肉に対して霊の戦いを挑むのである。そして、たとえ肉が暴れ狂い反抗するのを彼らが感ずるにしても、また時として、弱さのゆえに、みずから罪に陥ることがあろうとも、彼らは落胆することはない、だからまた、彼らの生活の状態や種類、彼らの職業に応じてなしとげられる事業が神を喜ばせないのだ、と考えることもなく、むしろ彼らはその信仰によって奮起するのである。」

 イエズス会士たちは、静寂主義の創始者であるあの霊的天才モリノスを、数々の異端説のゆえに、口を極めて非難したが、その異端説といわれるものの一つが、健全な心の立場に立つ悔いについての意見であった。──

「汝は、過誤あやまりに陥るとき、それがどのような事柄であろうとも、そのために心配したり悩んだりしてはならない。なぜなら、われわれが過誤に陥るのは、原罪によって汚されたわれわれのか弱い本性の結果だからである。卑しい敵は、汝がなにか過誤に陥るや否や、汝が踏み迷っていることを、したがって、神とその恩恵とから離れていることを、汝に信じさせようとするであろう、そしてそれとともに、汝の悲惨なありさまを告げ、その悲惨を誇示し、汝の魂はそういう過誤をそうして幾度も幾度も繰り返しながら、しだいに善くなるどころか日ごとにだんだん悪くなってゆくのだと思いこませて、汝が神の恩寵に疑惑をもつようにしむけるであろう。おお、祝福された魂よ、汝の眼を開け。汝の悲惨を認め、そして、神の慈愛を信じて、そのような悪魔の指嗾そそのかしに対して門を閉じよ。かけっこをして全速力で駆けっている最中に倒れた男が、地上に倒れたまま泣いているとしたら、そして、自分の倒れたことをいろいろと論じて悩んでいるとしたら、その男はまったく愚か者ではないだろうか。おい、君(人々は、そういう男に言ってきかせるだろう)、ぐずぐずせずに、起き上がって、ふたたび競走に加わりたまえ、と。なぜなら、速やかに立ち上がって競技をつづける者は、倒れなかったのと同然だからである。たとえ一回であろうと千回であろうと、もし汝が倒れるようなことがあったら、汝は私が汝に与えた療法を、すなわち、神の慈愛を衷心から信ずるという療法を、用うべきである。この武器を用いて、汝は戦い、臆病や空しい思想を征服しなくてはならない。ぐずぐずするな、思い煩って収穫を失うことなかれ──こういう手段を汝は用うべきである。」

 さて、このように意識的に悪を最小限度に少なくしてゆく方法と考えられる健全な心の見解とは対照的に、悪を最大限度に拡大させてゆく方法と呼んでもよいような、根本的にそれと対立する見解がある。この見解は、私たちの人生では悪い面のほうがその真の本質をなしているのであって、世界の意味は、私たちが人生の悪い面をもっとも真剣に考えるとき、もっとも切実に感じられる、という確信に基づいている。そこでこれから、事態をむしろ病的に見るこの見方に向かわなければならない。しかし、前回の講義の終わりに、健全な心の人生観について一般的な哲学的考察をしておいたので、ここでも、その人生観について前回とはまた別の哲学的考察をしておきたいと思う。本題に入るのが少しばかり遅れるが、赦してもらえることと思う。
 もし私たちが、悪は私たちの存在の本質的部分であって、人生の意味を解きあかす鍵となる、と認めるとすれば、私たちは、あらゆる宗教哲学を苦しめてきた難問を背負いこむことになる。有神論は、体系的な宇宙哲学に組み立てられるたびに、神が完全なものより劣った存在とされることを嫌ってきた。言いかえると、哲学的有神論はつねに汎神論的、一元論的になろうとする傾向を示し、世界を絶対的事実の統一とみなそうとする傾向をとってきた。そしてこの点において、このような有神論は、通俗的あるいは実際的有神論と異なっていた、すなわち後者は、多かれ少なかれ明らかに多元論的で、多神論的とも言えるほどのものであって、神の原理がどこまでも最高のもので、他の諸原理の上に立つものと信じることが許されさえすれば、宇宙が多くの根本原理から組み立てられていると考えても十分満足していられるのである。このような有神論の場合には、神は悪の存在に対してかならずしも責任を負いはしない。悪が最後まで克服されない場合にのみ、神は責任を負うばかりであろう。しかし、一元論的あるいは汎神論的な見解によれば、悪は、他の一切のものと同じように、その根拠を神のうちにもたなければならない。そこで、もし神が絶対的に善であるとすれば、どうして悪が神のうちに根拠をもちうるのか、という難問が生じる。この難問は、世界を事実の割れ目のない統一体とみなすあらゆる形式の哲学において、私たちの直面するものである。そういう統一体は個体であって、この個体においては、最悪の部分も最善の部分と同じように本質的なものでなければならず、個体を個体たらしめるのに必要なものでなければならない。なぜなら、その個体のどの部分でも、消滅するか変化するかするとすれば、その個体はもはやその個体ではまったくなくなるだろうからである。今日、スコットランドとアメリカとであのように活後に主張されている絶対的観念論の哲学は、スコラ哲学の有神論が当時たたかったとまったく同じくらい、この難問と戦わねばならないのである。そして、この難問から思弁によって抜け出す道はまったくないと断言するのは早計にすぎるであろうが、安全なあるいは容易な抜け道などありはしない、この矛盾から逃れ出られる唯一の分りやすい道は、一元論的仮定とすっかり縁を切って、世界はその起源から、絶対的な統一ある事実として存在したのではなく、むしろ高級な事物や原理と低級な事物や原理との総合ないし集合として、多元的な形で存在したのだと認めることである、と主張するのは、まったく正しいことである。なぜなら、その場合には、悪は本質的なものと考えられる必要がなくなるからである。悪は、残りの部分と共存すべき合理的あるいは絶対的な権利をもたず、したがって、ついには除去されるものと私たちが期待できると考えられるような、独立した一部分であるかもしれず、また、つねにそうであったかもしれないのである。
 ところで、すでに述べたように、健全な心の福音は、この多元論の見解にはっきりと賛意を表している。一元論の哲学者は、ヘーゲルが言ったように、現実的なものはすべて合理的であり、悪も、弁証法的に必要な一要素として、插入され、保存され、聖別されねばならぬもので、真理の究極的体系において果たすべき職分を割り当てられている、と多かれ少なかれ主張しなければならぬ立場にあるのに反して、健全な心はそういう種類のことを言うことをまったく拒否するのである(*1)。悪はまったく非合理的なものであって、どんな真理の究極的体系のうちにも挿入され、保存され、聖別されてはならない、と健全な心は主張する。悪は、主なる神にとってまったく嫌悪すべきもの、無縁の非実在、むだな要素であって、脱ぎ棄てられ、否定さるべきものであり、悪の記憶そのものでさえ、できるなら、拭い去られ、忘れられるべきものなのである。理想というちのは、けっして現実全体と同じ広がりをもつものではなく、現実からの抽出物エキスにすぎないのであって、悪というこの病的で劣等で排泄物みたいなものとの、あらゆる接触を免れていることを特徴としているのである。
(*1) 精神治療の著者たちの多くは一元論的な物の言い方をするけれども、私はあえてこう言いたいのである。なぜなら、そういう言い方は、病気に対する彼らの態度と実際には一致しないし、また、彼らが自分を結びつける至高の存在との合一という経験のうちに論理的に含まれていないことは、たやすく証明されうることだからである。すなわち、至高の存在者は事物の絶対的全体でなくともよいのである。宗教的経験の生活にとっては、至高の存在者は、もっとも理想的な部分でありさえすれば、部分と見られてもいっこうさしつかえないのである。

 ここにおいて、私たちには、次のようなおもしろい考えがはっきりと浮かんでくる。すなわち、この宇宙には、他の諸要素と結合して合理的な全体を作ることのできないような諸要素が存在するという考えであり、そして、それらの要素は、他の諸要素が作り上げている体系の観点から見ると、はなはだ筋違いな偶然的なもの──いわば「屑」であり、場ちがいなものであるとしか考えられない、という考えである。いま私は、諸君がこの考えをお忘れにならぬようお願いしておく。なぜなら、たいていの哲学者たちはこの考えを忘れているか、採りあげる価値すらないと軽蔑するかしているように見えるけれども、私たちは結局、真理の一要素を含むものとして、それを認めねばならなくなる、と私は信ずるからである。そういうわけで、精神治療の福音は、権威あり意義あるものとして、ふたたび私たちの前に登場するのである。私たちがすでに見てきたとおり、精神治療はまぎれもなく一つの宗教であって、病気を治療するために想像力に訴えるにすぎぬばかげた行為ではない。実験によるその検証の方法があらゆる科学の方法と違っていないということも、すでに私たちが見てきたとおりである。そして、私たちはいまここで、精神治療が世界の形而上学的構造に関する一定の見方の代表者であると考えるのである。このような事情を考慮されて、私がこのようにながながと諸君の注意をこの問題にひきとめてきたことを、遺憾とされないでいただきたい。

〔…〕

 ゲーテのような無敵の楽天家が次のように自分を表現するとき、彼ほどの成功に恵まれぬ者はどう自己を表現すべきであろうか?

「私は自分のたどってきた人生行路に、」と一八二四年、ゲーテは書いている。「いささかも不服をとなえようとは思わない。しかし、結局、私の生活は苦痛と重荷にすぎなかったし、七十五年の全生涯において、真に幸福であったのは四週間とはなかった、とさえ断言できる。私の生涯は、たえず転がり落ちるので永遠にゃち上げてやらねばならぬ岩のようなものでしかなかった。」

 一般的に見て、ルターほど独力で成功をおさめた者はかつてなかったであろうが、しかも、その彼が、老境に達してから、生涯をかえりみて、それがまったくの失敗であったかのごとく見なしているのである。

「私はすっかり人生に疲れはてた。主がただちに来たり給うて、私をこの世から連れ去ってくださるよう、私は祈っている。わけても、主が来たり給うて、最後の審判をくだし給わんことを。そうすれば、私は頸をさし出そう。雷鳴が俄かに起こるであろう、そして私は休息できるだろう。」──そのときルターは白瑪瑙めのうの首飾りを手にもっていたので、こう言葉をついだ。「おお、神よ、願わくは、審判さばきがすみやかに来ますように。明日、最後の審判を行ない給うなら、私は今日よろこんでこの首飾りを飲み込みましょう。」──ドワゲル選挙侯夫人は、ある日、ルターと食事をしていたとき、彼にこういった。「先生、もう四十年は生きて下さいませ。」彼は答えた。「奥様、これからなお四十年も生きるくらいなら、いっそ私は、天国へ行く幸運をあきらめますよ。」

 失敗、また失敗! 世界は、機会あるごとに、そういう印象を私たちに与えるのである。私たちは、私たちのしでかしたさまざまな大失策、私たちの犯した数々の悪事、私たちが機会を逸して履行しなかったことども、私たちが自分の職業に適していなかったことを証明するあらゆる記念物、こういうものを、世界中にばらいているのである。だから、世界は、はげしい呪いの言葉をあびせて、私たちを打ちのめそうとするのだ! 軽い罰金を納めたのでは、ただ謝罪をするばかりでは、形ばかりの償いをしたくらいでは、世界の要求を満足させることはできはしない、世界によって取り立てられた人肉の一片一片には、人間の血がしみついている。人間の知っているもっとも微妙な形式の苦悩は、そういう結果にともなう不快きわまる卑屈さにつながっているのである。
 しかも、そういうものが人間経験の枢軸をなしているのである。いたるところでいつでも見られる現象であれば、それが人生の本質的な部分であることは明白である。ロバート・ルイス・スティーヴンスンはこう書いている、「事実、人間の運命には、どんな無鉄砲者でも否定できない、一つの要素があるものだ。その他のことなら何でも成功するのに、それだけには成功できない運命にわれわれはある。失敗こそがわれわれに定められた運命なのだ。」私たちの本性がこのように失敗に根づいているものであるなら、神学者たちが、失敗をば本質的なことと考え、失敗から生じる謙虚さという個人的体験によってのみ、人生の意義についてのより深い感覚が養われると考えたとしても、なんの不思議があろう。

〔…〕

 ストア派の不動心とエピクロス派の諦念とが、この方角に向かってギリシア精神が歩んだ最前練であった。エピクロス学派はいった、「幸福になろうとつとめず、むしろ不幸を避けようとつとめよ。大きい幸福はつねに苦痛とつながっている。それゆえ、安全な岸辺に沿って航行し、もっと深いところにある歓喜を味わおうとするな。僅かを期待し、低きを目ざして、失望を避けよ。そして、とりわけ、くよくよと思い悩むな。」ストア派はいった、「人生が人間に与えることのできる唯一の真の善は、自己自身の魂を自由に支配することである。それ以外の善はすべて虚偽である。」これらの哲学はいずれも、それぞれの度合いにおいて、自然の恩恵に絶望した哲学である。自由に提供される喜びに無邪気に身をまかせきるという態度は、エピクロス派からもストア派からも、まったく消え失せている。この両派がとなえるのは、いずれは塵と灰に帰るべき身の慰めなき精神状態から脱出する方法なのである。エピクロス派のほうにはまだ、放縦を抑え、欲望を鈍らせることから生じるいろいろな結果を期待するところがある。ストアではそのような結果をまったく期待せず、自然的な善をまったく諦めている。どちらの諦念の形式にも威厳がある。これら二つの学派は、それぞれ、感覚的幸福に対する人間の原始的な陶酔感が通らずにはすまない酔い覚めの過程の段階をはっきりとあらわしている。一方の場合は、熱い血がさめたところであるが、他方の場合は、血がすっかり冷え切ってしまっている。私はこの二つの学派のことを、まるで歴史的遺物にすぎないかのように、過去形で述べてきたが、しかし、ストア主義もエピクロス主義も、おそらく、あらゆる時代を通じて、世界を病めるものと考える魂の進化の過程において到達されるある特定の段階を示す二つの典型的な態度をあらわすものであろう(*1)。これら二つのものは、私たちが一度生まれの時代と呼んでいる時代の結論を示すものであり、また、二度生まれの宗教なら純然たる自然人と呼ぶにちがいない人間の最高度の高揚状態をあらわすものである──すなわち、エピクロス主義は、大目に見ればどうにか宗教と呼べるくらいのもので、自然人の洗練された感情を示しており、ストア主義は自然人の道徳的意志を示している。両者とも、世界を和解されない矛盾の姿のままにしておき、いっそう高い統一を求めることがない。超自然の力によって生まれ変わったキリスト教徒が味わったり、東洋の汎神論者が没入したりするあの複雑な恍惚境に比べると、彼らが心の平静を得るために教える処方は、単純で、ほとんど粗野と思えるほどの方便でしかない。
(*1) 例えば、私が今日ちょうどこのくだりを書いているところへ、ハイデルベルヒにいる世故にたけた一日友から、郵便で、いくつかの名言を伝えてきたが、それはエピクロス主義のすぐれた現代的な表現として役だつかもしれない。「『幸福』という言葉は、人間めいめいで、それぞれ違ったふうに理解されている。幸福とは弱い人間たちだけが追い求める幻である。賢い人間はもっとつつましい、しかしもっとはっきりした足ることを知るという言葉で満足する。教育が主に目的としなければならぬのは、足ることを知らぬ生活から私たちを救うということである。健康は足ることを知るための一つの好ましい条件であるが、けっして不可欠な条件ではない。女の情と愛とは自然の狡知であり、平凡な男を強いて働かせるために自然が仕掛けた罠である。しかし、賢い人間はつねに自分自身で選んだ仕事を好んでするだろう。」

〔…〕

 この手紙は二つのことを明らかにしている。第一に、このあわれな人間の全意識は、悪の感情ですっかり息の根を止められてしまって、ために、この世界になにか善いものがあるという感じがまったく失われてしまっていることに気づかれるであろう。善の存在は、彼の注意力から締め出されて、認めてもらえないのである。太陽は彼の天から姿を消しているのである。第二に、自分の惨めさに不平をならす気持のために、彼の心が宗教の方向へ向かうことができなくなっている、ということに気づかれることであろう。実際、ぐちっぽい心というものは、どちらかといえば、無宗教に向かいやすい。ぐちっぽい心は、私の知る限りでは、宗教体系の樹立に、いかなる役割をも果たしたためしがない。

 宗教的憂鬱はもっと和らいだ気分に浸されなければならない。トルストイは、『わが懺悔』という書物で、憂欝に襲われた時のことをみごとに書き残しているが、彼は、その愛情によって、彼自身の宗教的結論に達したのである。その結論には、いくつかの点で、特殊なところがあるが、しかし、その憂欝そのものには、二つの特徴があらわれていて、そのために同書は私たちの当面の目的のための模範的な文書となっている。第一に、その憂鬱は、アンヘドニアの、つまり、人生のあらゆる価値に対する欲望が受動的に失われてゆく状態の特徴をよく示している。第二に、その結果として、世界の様相が変わってよそよそしいものとなり、このことがトルストイの知性を刺激して、食いいるような、心休まることのない問いへと駆り立て、哲学に救いを求めて努力させるにいたった事情を示している。私はトルストイの文章をかなり長く引用するつもりであるが、しかし、その前に、この二点のおのおのについて一般的な説明を加えておこうと思う。
 まず、私たちの精神的判断および価値の感じ一般について考察しよう。
 同じ事実でも、人が違えばまったく違った感情を呼びさますし、また、同じ人にも、時が違えば違った感情を呼びさますのであるから、同じ事実が相反するような感情的説明を受けることは、明らかである。また、外界の事実と、その事実によってたまたま呼び起こされる情緒との間には、合理的に推論できる関係などありはしない。そういう情緒というものは、まったく別の存在領域に、つまり、その主体の生物的、精神的な存在領域に、その源泉をもっている。もしできるなら、いま諸君の世界が諸君に吹きこんでいる一切の感情をいきなり剝ぎ取られた自分の姿を考えてみていただきたい、それから、諸君に都合のよい説明も都合の悪い説明も加えず、また希望的な説明も悲観的な説明も加えずに、純然たる、あるがままの世界を想像してみていただきたい。そういう否定と死の状態を実感することは、諸君にはほとんど不可能なことであろう。そういうことになったら、宇宙のどの部分が他の部分よりも重要であるということはなくなってしまうだろう。そして、宇宙のあらゆる事物と出来事が、ことごとく、意味も、特質も、表現も、遠近法も失ってしまうだろう。だから、どんな価値、利害、意味が私たちのそれぞれの世界に賦与されていようとも、それらは世界を眺める人間の心の賜物にほかならない。この事実を示す実例で私たちがもっともよく知っている極端なものは、愛の情念である。愛の情念は、起こるものなら、かならず起こる。もし起こらないものなら、どんな論法を用いてる、むりに起こさせるわけにはゆかない。けれども、日の出がモン・ブランの意を、死骸のような灰色から魅惑的な薔薇色へ一変させてしまうように、愛の情念は愛される者の価値をまったく一変させてしまう。また、愛の情念は、愛する者にとって全世界に新しい調べをかなでさせ、彼に新しい人生の第一歩を踏み出させる。恐怖でも、憤怒や嫉妬や野心や尊敬でも、同じことである、そういう感情が起こると、人生は変わってくる。そして、それらの感情が起こるか起こらないかは、いつでもたいてい非論理的な条件に、しばしば肉体的な条件に、依存している。それらの情念によって惹き起こされる世界に対する興味が、世界に対する私たちの贈り物であるのとまったく同じように、それらの情念そのものが、また賜物なのである──ある時は高い起源ところから、ある時は低い起源ところから、私たちに贈られる賜物なのである。しかし、それらの情念は、いつでもたいてい非論理的で、私たちの力を越えている。死にのぞんだ老人が、過去をふりかえって、若くて健康であった頃にこの古い大地が彼の血を沸かせ肉を躍らせたロマンスや神秘や切迫した大事件のことを、自分に納得できるよう説明することがどうしてできるであろうか? 賜物は、肉の賜物であるか、霊の賜物であるかである。そして、霊はおのが好むところに吹く。天井桟敷の照明装置からこもごもそそがれる光線を、どんな色の光線であろうと無差別に、舞台装置が受け容れるように、世界の素材たちも、あらゆる贈り物に対して同じように、その表面おもて受動的いいなりに貸し与えるのである。
 いずれにしても、私たち一人一人にとって実際に実在している世界、すなわち、個人の現実的な世界は、物質的事実と感情的価値とが区別できないように結合している複合的な世界である。この複合的な合成体からどちらかの要素を取り去ったり、ゆがめたりすると、私たちが病理的と呼ぶような種類の経験が生じてくる。

 トルストイの場合には、人生になんらかの意味があるという感じが、しばらくの間まったく失われたのであった。その結果、実在というものがまったく形を変えて映ったのである。のちに回心あるいは宗教的再生という現象を研究するとき、私たちは、人間の主観に起こった変化がしばしば彼の目に映る自然の顔をも変貌させる結果になるのを、見るであろう。そのとき、新しい天が新しい大地の上に輝いているように見える。憂欝症患者の場合にも、よくこれと同じような変化が起こるが、ただその方角が逆である。つまり、世界が縁遠く、よそよそしく、不吉に、気味悪く見えるのである。世界の色は消え、呼吸いきは冷たくなる、世界のいからした目のなかには思索の余地などありはしない。保養所の一患者は、「私はまるで違った世紀に生きているような気がする」といっている──また別の患者は、「私はあらゆるものを雲を通して見る、事物が以前とは違って見える。私自身が変わってしまったのだ」といっている。──また別の患者はいう、「私は見る、私は触れる、しかし事物は私に近づいて来ない。厚い幕が、あらゆるものの色合いや樣子を変えているのだ。」──「人間が影のように動き、もの音は遠くの世界から響いてくるようだ。」──「私にはもうどんな過去もない。人々がとてもよそよそしく見える。私は現実の世界を見ることができなくなったような気がする、まるで芝居のなかにいるような気がする。人々は役者で、あらゆるものが道具立てのようだ。私にはもはや自分がわからない。私は歩く、しかし、なぜだろう? あらゆるものが、私の目の前を浮動するが、なんの印象も残さない。」──「泣いても、流れるのは空涙である。私の手はあっても無いような感じだ。私の見る事物はほんとうの事物ではない。」──こういう言葉が、憂鬱症にかかった人間が自分の変化した状態を述べようとする時に、自然にその唇にのぼる言葉である。

 ところが、このようなことに、心からの深い驚きを受ける人間がある。ものごとがよそよそしく見えるのは間違っているのだ。実在しないものなどあるはずがない。なにか神秘が隠されているのだ、形而上学的な解決があるにちがいない。もし自然界がそのように二つの顔をもったもので異邦のようなものであるなら、一体、どんな世界、どんな事実が実在するのであろうか? そういう切実な驚異の念と疑問が起こり、それが理論的活動への没入となり、ことの真相を明らかに挑もうとする必死の努力となって、ついに、その苦悩する人間は、しばしば、宗教による解決にはじめて満足を見いだすにいたるのである。
 五十歳の頃にトルストイは、彼の惑いの時期が始まった、と述べ、その時期を彼は、「いかに生くべきか」あるいは、何をなすべきか、がわからない停止の時期と呼んでいる。そのような時期が、私たちの社会生活が自然に呼び起こす刺激や興味がなくなってしまった時期であったことは、明らかである。人生はそれまで魅力あるものであったが、いまや味気ない、しらじらしいもの、しらじらしい以上に、死んだものとなった。それまでいつも疑う余地のない意味をもっていた事物が、意味のないものになった。「なぜか?」「それから、何か?」という疑問が、だんだん頻繁に彼を襲うようになった。初めのうちは、そういう疑問は解決されるにちがいないし、また、時間をかけさえすれば、たやすく解答も発見できるように思われた。しかし、その疑問がたえず緊急さをましてくるにつれて、彼は、自分の状態が病人がはじめに感じる不快感に似ていることに気づいた。つまり、病人ははじめの不快感にほとんど注意を払わないが、そのうちにその不快感が持続的な苦しみに変じる、そこで、病人は、一時的な変調だと思ったものが、実は自分にとって世界中でいちばんゆゆしいことであることを、すなわち、死を意味することを悟るのである。 「なぜ」「どうして」「何のために」という疑問には、なんの応答も与えられなかった。

「私は」とトルストイは述べている、「私の生活がこれまでいつも寄りかかっていたあるものが、私の内部で崩れ落ちたのを感じた。私にはしっかり摑まえておれるものが何一つ残されていないことを感じた。そして、精神的には私の生活は停止してしまったことを感じた。抗いがたい力に駆り立てられて、私は、なんとかして、この世の生活からのがれ出ようとした。私が自殺をしようと欲していた、などとは確かに言えない。なぜなら、私を生命から引き離そうとしたその力は、単なる欲求などよりも大きい、はるかに力強い、はるかに一般的なものであったからである。その力は、これまで私が生きようとしてきたその熱望と同じような力であった。ただそれが私を反対の方向へ駆り立てたまでであった。それは、人生から逃れ出たいという、私の全存在の熱望であった。
「幸福で壮健だった私が、毎晩ひとりで眠りに行く部屋の垂木たるきで首をくくらぬようにと、繩を隠しておかねばならなかった。手っとりばやく銃で自殺しようという誘惑に負けないようにと、私はもはや猟にも出かけなくなった。
「自分が何を欲しているのか、私はそれがわからなかった。私は生きるのがこわかった。私は人生に別れたいという気持に駆り立てられた。そして、それにもかかわらず、私はなお人生に何かを期待していたのであった。
「しかも、そういうことが、外部の事情からはどう見ても私が申し分なく幸福であるはずの時期に起こったのであった。私には愛し愛される良い妻がいた。良い子供たちと、私のほうで骨を折らなくともひとりでにふえてゆく莫大な財産があった。私は、以前にもまして、親戚や知人たちから尊敬されていた。未知の人たちからも賞賛を受けていた。誇張なしに、私は私の名がすでに有名になっていることを信じることができた。そのうえ私は、精神にも肉体にも病気がなかった。それどころか、私と同じ年輩の人々にはめったに見られないような体力と精神力とをもっていた。百姓たちと同じように草を刈ることもできたし、ぶっつづけで八時間も頭脳を使う仕事もでき、そうしても別に悪い影響を感じなかった。
「それだのに、私は、私の生活上のいかなる行為にも、納得のゆくような意味を与えることができなかった。そして私は、私がそのことをそもそもの最初から理解していなかったことに驚いた。私の精神状態は、意地の悪いばかげた冗談をいって誰かにからかわれているようなものであった。人は、生に酔い痴れている間だけ、生きることができるのである。しかし、酔いがさめると、人生がまったくばかげたいつわりであることを悟らざるをえない。人生についてもっとも真実なことは、人生にはおもしろおかしいことなど何もないということである。人生とはただもう残酷でばかばかしいだけのものである。
「東洋には、旅人が荒野で猛獣におびやかされる、というたいへん古い寓話がある。
「旅人は、猛獣から逃れようとあせって、水のない井戸に飛びこんでしまう。しかし、彼は、その井戸の底に、一匹の竜が口を開いて自分をむさぼり食おうと待ちかまえているのを見る。そこで、その不幸な男は、猛獣の餌食にならないようにあえて井戸から出ることもならず、竜に食べられないようにあえて底へ飛び降りることもならず、井戸の割れ目の一つから生え出ている野生の灌木の枝にすがりついた。手が疲れてきた、彼はやがてある運命に屈しなければならぬことを感じた。しかし、それでもなお彼はすがりついていた、すると、白い鼠と黒い鼠との二匹の鼠が、彼のぶら下がっている灌木のまわりをむらなくまわりながら、その根を噛み切っているのを見た。
「旅人はそれを見て、自分がどうしても死なねばならぬことを知った。しかし、そうやってぶら下がっている間に、彼は自分のまわりを見まわして、灌木の葉の上に、数滴の蜜のあるのを発見する。彼は舌を伸ばして、それをなめてうっとりとするのである。
「この旅人と同じように、私も、逃れようのない死の竜が私を八つ裂きにしようと身構えているのを知りながら、生命の枝にすがりついているのである、そしてなぜ私がそのように苦しめられるのか理解できないのである。私はさっき私を慰めてくれた蜜をすすってみる。しかし、その蜜ももはや私を喜ばせてくれない。そして、夜となく昼となく、白い鼠と黒い鼠とが、私のすがりついている枝をかじっている。私に見えるのはたった一つ、避けようのない竜と、鼠だけである──私は彼らから眼をそらすことができないのである。
「これはお話ではなく、誰もが理解できるまったく議論の余地のない真理なのである。私が今日やっていることの結果はどうなるのだろうか? 明日することはどういう結果を生むのであろうか? 私の全生涯からいかなる結果が生ずるのだろうか? なぜ私は生きなければならないのか? なぜ私は何かをしなければならないのか? 私を待っている避けがたい死が取り消したり破壊したりしないような目的が、何か人生にあるのであろうか?
「こういう疑問は、世にも単純きわまる疑問である。愚かな子供からもっとも賢い老人にいたるまで、あらゆる人間の魂のなかにそれらの疑問があるのである。それらの疑問に答えなければ、私が体験したように、人生を続けてゆくことは不可能である。
「しかし、ひょっとすると、こう私はよく自分に言った。『自分の気づかなかったこと、悟らなかったことがあるのかもしれない。このような絶望の状態が人類にとって当たり前のことでありうるはずがない。』そして、私は、人々の獲得したあらゆる知識の分野に、その説明を求めた。勤勉に、辛抱づよく、無益な好奇心からでなく、私は問いつづけた。道楽にではなく、苦心して、昼も夜も執拗に、私は探し求めた。地獄に堕ちて助かろうとあがいている人のように、私は探し求めた。──しかし、私は何も見いだすことができなかった。その上、私より先に学問に答えを求めたすべての人々もやはり何一つ見いだしえなかったことを、確信するようになった。何ものも見いださなかったばかりでなく、彼らは私を絶望へ導いていったそのもの──人生の無意味さ愚かさ──こそ、人間の究めうる唯一の確実な知識である、ということを認めているのだ、と私は信ずるにいたったのである。」

 この点を証明するため、トルストイは、仏陀、ソロモン、ショーペンハウエルを引用している。そして、彼は、彼の属する階級および社会の人々がこのような事態に対処するのに普通よく用いている方法を、四つだけ挙げている。第一は、竜や鼠を見ないで蜜をすすっている単なる動物的盲目である。──「こういうやり方からは」とトルストイはいっている。──「私が現に知っているところにかんがみて、私は何も学ぶことができない。」第二は、生きているあいだに、できるだけ享楽をむさぼろうとする反省的な快楽主義。──これは、第一の方法の、よりいっそう意識的な種類の麻酔にすぎない。第三は、男らしく自殺することである。第四は、鼠や竜を見ていながら、なおめめしく泣き言を並べて、生命の灌木にすがりついている態度である。
 自殺が、もちろん、論理的な知性の命じる当然な成り行きであった。

「けれども」とトルストイはいっている、「私の知性が働いていたあいだ、同時に私の内にある他の何ものかもまた働いていて、私に自殺を決行させなかった──それは、生命の意識と呼んでもよいようなもので、私の心を他の方面へ向かわざるをえなくして、私を絶望の状態から引きずり出す力のように働いた。……その年の間じゅう縄で首をくくろうか、それとも銃で一発やろうか、どうけりをつけたものかと、私はほとんど休みなしに自分にたずねつづけたが、その間でも、私の考えや観察がそのように動揺するのと平行して、たえず私の心は、あるものを慕うもう一つの感情に苦しみつづけていた。それは、神に飢え渇く感情と呼ぶほかに名づけようのないものである。神を熱望するこの感情は、私の思想の動きとはまったく関係のないものであって──事実、それは思想の働きとは正反対のものであった──私の心情から発したものであった。それは、一種の不安の感情に似ていて、自分があらゆるよそよそしい見知らぬ事物の真っただ中に、一人で置きざりにされた孤児であるように感じさせるものであった。そして、この恐怖感は、誰か私を助けてくれる者を発見できるのではないか、という希望によって和らげられていたのである。」

 こういう神の観念から出発して、トルストイが蘇生するにいたる知的ならびに感情的な過程については、私は今回の講義ではお話しないことにして、次回の講義に譲ることにしたい。ここで私たちが注意しなければならないことは、ただ、彼にとって日常生活が魅力をまったく失ってしまった、という現象であり、また、トルストイほどの有力な、才能にあふれた人間にも、それまでいつも価値多いものと思われていた一切のものが、ぞっとするような嘲笑のように見えるにいたった、という事実である。
 幻滅がこれほどまでひどくなると、完全な原状への回復 restitutio ad integrum はほとんど望みがない。知恵の樹の実を味わった以上、エデンの園の幸福はもはやけっして帰ってはこないのである。なにか幸福が訪れる場合でも──そして、その場合の幸福は時としてたいへん烈しい形式のものであることが多いけれども、それがその烈しい形のままで帰ってくることはめったにない──その幸福は、単純にただ不幸を知らないというのではなく、もっとずっと複雑なものである。すなわち、その幸福は、自然的な悪を幸福の一要素として含んではいるが、その悪が超自然的な善の中へ吸いこまれてしまうことを知っているので、その悪をつまずきの石とも恐ろしいものとも考えることのないような幸福なのである。この過程は悪から救い出される過程であって、単に生まれながらの健全さに復帰する過程ではない。そして、その苦悩者は、救われるとき、彼には第二の誕生と思われるものによって、彼がかつて知ることのできたものよりもいっそう深い種類の意識的生命と思われるものによって、救われるのである。

 これとやや異なった型の宗教的憂鬱が、文学では、ジョン・バニヤンの自叙伝に秘録されている。トルストイの関心事は、大体において客観的なものであった。というのは、人生の目的と意味一般が、彼をあれほど悩ませた問題であったからである。ところが、あわれなバニヤンの悩みは、彼自身の自己の状態に関するものであった。彼は精神病的気質の典型的な例であって、病的なまでに良心が感じやすく、懐疑と恐怖、固定観念に悩まされ、言語の自発的ならびに受動的自動現象の犠牲者であった。普通そういう苦悶の種になったのは聖書の言葉であって、その言葉が、時には呪いの言葉として、時には好意の言葉として、まるで人間の声のように、なかば幻覚の形で聞こえてきて、彼の心にしがみつき、彼の心を羽子はごのように翻弄したのであった。その上に、おそろしく憂鬱な自己侮蔑と絶望が加わっていたのである。

「ほんとうに、私はだんだん悪くなってゆくばかりだ、今の私は、これまでの私よりもずっと回心から遠いところにいる、と私は考えた。たとい私がいま火刑に処せられねばならぬとしても、私は、キリストが私を愛し給うことを、信じることはできないだろう。悲しいかな、私は、彼の声を聞くことも、彼を見ることも、彼を感じることも、彼の所有し給うものを味わうこともできなかった。時々、私は、神を信じる人々に私の状態を語ったが、それを聞くと、彼らは私を憐れみ、神の約束のことを言い出すのが例であった。しかし、神の約束を受けよ、それに頼れ、と彼らが私に命じたとしても、それは、私の指を太陽に届くまでさし伸べよ、とお説教するのと同じことであった。〔けれども〕、いままで、罪の行為をなすことのないようにと、私はいまほど恐れ気づかったことはなかったのである。わらほどの太さしかない針や棒切れでさえも、私は拾おうとはしなかった。私の良心はただれ痛んで、なにかに触れるたびに、ずきずきとうずいたからである。言葉を言いちがえるのを恐れて、私はどう話せばよいのか、口をきくこともできなかった。ああ、その頃、すること、言うことすべてに、私はどんなに気を使ったことであろう! ちょっと身動きしても、ゆらゆら揺れる泥沼の上にいるようであった、そして、神とキリストからも、聖霊やあらゆる善からも見放されてそこにいるようであった。
「しかし、自分の心が生まれつき汚れていること、それが私の不幸であり、私の悩みであった。そのために、私の眼には、自分がひき蛙よりもいまわしいものに映った。神の眼にもそう映るだろう、と私は思った。罪と汚れが、水が泉から湧き出るように自然に、私の心から湧き出てくる、と私は言ったりした。できることなら、私はどんな人間とでも自分の心を交換したことであろう。心の邪悪とよごれという点で私に匹敵できるものは悪魔のほかにない、と私は思った。確かに、自分は神に見放されている、と私は思った。こんな状態を私は、永い間、数年間も、続けた。
「そのとき私は、神が私を人間に造り給うたことを、悲しんだ。獣や鳥や魚など、彼らの境遇を私は讃美した。彼らの本性は罪あるものではなかったし、また、彼らが神の怒りを免れていて、死後も、地獄の業火に投げこまれることもなかったからである。だから、もし私の境遇が彼らのうちのどれかと同じであったら、私はさぞ喜んだことであろう。また、私は犬やひき蛙の境遇をも讃美した。それどころか、できることなら、私はよろこんで犬や馬の境遇になったことであろう。なぜなら、彼らには、私の魂がそうなりやすいように、地獄や罪の永遠の重荷に押しつぶされて滅びてしまうような魂がないことを、私は知っていたからである。いや、そればかりか、私はそのことを知り、感じ、そして、それがために粉々こなごなに打ち砕かれはしたけれども、私がいっそう悲しく思ったことは、私が救われることを願ったという事実が、どんなに力を尽くしても、私に発見できなかったということだった。私の心は時おり大へんかたくなになった。一滴の涙を流したら一○○○ポンドくれると言われたとしても私は涙を流すことはできなかっただろう。いや、時には、涙を流したいというかすかな願いすら、私はいだくことができなかった。
「私には、自分が重荷であり、恐怖であった。あの頃ほど、私が生きることに倦み疲れるということがどういうことなのかを知らなかったことはない、それだのに、私は死ぬことを恐れたのである。私自身のほかなら、何になっても、どんなに私は喜んだことだろう! 人間以外のものなら何になっても! 私自身の境遇以外の境遇ならどんな境遇になっても!」

 あわれな、忍耐づよいバニヤンは、トルストイと同じように、ふたたび光に接したが、バニヤンの話のその部分も別の講義の時間にゆずらなければならない。また後の講義で、百年以前にノヴァ・スコシアで活動した敬虔な福音伝道者ヘンリ・アリーンの経験の結末についても述べるつもりであるが、彼は、その経験の発端となった宗教的憂欝が高潮した時のことを次のように生々と描いている。その型はバニヤンと異なっていない。

「私の見る一切のものが、私には重荷のように見えた。大地は、私には呪われているように思えた。すべての樹木、草木、岩、岡、谷は、呪いの重みに押しひしがれて、悲しみと呻きとをまとっているように見えたし、また、私のまわりの一切のものが、私を破滅させようと共課しているように思われた。私の罪が暴露されたように思えた。そのため、私は、会う人がみな私の罪を知っているにちがいないと思った、そして時々、人々が知っているものと私の思ったいろいろなことを、私は進んで認めようとすることさえあった。そればかりか、時には、まるで誰も彼もが私をさして、地上でいちばん罪深い卑劣漢だと言っているように思えた。そのとき私は、全世界が、いや、全宇宙でさえが、おそらく私を幸福にすることはできないだろうと私が思ったほど、この地上のあらゆるものが空しくうつろであることを深く感じたのであった。朝、目がさめたとき、私がまず考えることは、おお、私の不幸な魂よ、私は何をすればよいだろう、私はどこへ行けばいいのだろう、ということだった。そして、床につくと、朝にならぬうちに、おそらく私は地獄へ行っているだろう、というのが常であった。私は、幾度となく、羨望の眼で獣たちを眺め、獣になって、失う魂をもたない身になりたいものだ、と心から願ったものだった。そして、頭の上を鳥が飛んでいるのを見たりすると、ああ、この危険と災厄から飛び去れたらいいのに! もし自分が鳥であったなら、ああ、どんなに自分は幸福だろうに! と心の内でしばしば考えたものであった。」

 屈託のない歌を羨むのは、この型の悲哀感にきわめて一般的な感情であるように思われる。

 もっとも悪質の憂鬱は、圧倒的な恐怖という形をとるものである。次にかかげるのはその優れた実例で、それをここに載せるのを許して下さったことを、私はその憂鬱病者に感謝しなければならない。原文はフランス文である。それを書いたときの筆者は神経過敏な悪い状態にあったことは明らかであるけれども、この文章はそのほかに、極端に単純だという長所をもっている。

「こうして、哲学的な厭世主義の状態におちいり、将来の見通しについてすっかり気持が陰幣になっていた頃のある夕方のこと、私はある品物を取るために、薄暗がりの衣裳部屋へはいっていった。そのとき突然、なんの予告もなしに、まるでその暗闇から現われたかのように、私自身の存在に対する身の毛もよだつような恐怖心が私を襲った。それと同時に、かつて保養所で見たことのある癲癇病患者の姿が、私の心に浮かんできた。それは、緑がかった皮膚の色をした、髪の黒い青年で、まったくの白痴だった。彼はよく、膝を立てて顎をのせ、彼の一枚きりの着物である粗末な灰色のシャツを全身をくるむようにして膝の上にかぶせて、一日中、ベンチか、あるいはむしろ、壁にもたせかけた棚板かの一つに坐っていたものだった。彼は、彫刻のエジプト猫か、ペルー人のミイラのようにそこに坐っていて、黒い眼だけしか動かさず、まったく人間とは見えなかった。その姿イメージと私の恐怖とが、一種独特なふうにお互いに結びついた。もしかすると、あの姿が私なのだ、と私は感じた。あの青年と同じように、私にもああいう姿になり果てる時がきたら、私のもっているどんな物も、その運命から私を守ることはできないのだ。まるでそれまで私の胸のなかでがっしり基礎を固めていたものがまったく崩れてしまって、私自身が恐怖におののく塊になったように思われたほど、私は彼を恐れ、また彼と私との相違はほんのつかの間のことでしかないことを感じた。それ以来、宇宙は私にはまったく一変してしまった。毎朝毎朝、私は、みぞおちにぞっとするような恐ろしさを感じながら、そして、私がその前にも知らなかったしその後でも感じたことがなかったような、人生についての不安感を覚えながら、目をさました(*1)。それは啓示のようであった。そして、そういうじかの感情は消え去ったけれども、その経験によって、それ以来、私は他人の病的な感情に共感できるようになった。その経験は次第に色あせていったが、数ヵ月というもの、私は一人で暗闇のなかへ出かけることができなかった。
「とにかく、私は一人で置きざりにされるのを恐れた。人生の表面の下に隠されているあの不安定の奈落に気づかずに、どうして他の人々が生きていられるのか、どうして私自身がこれまで生きてきたのか、と不思議に思ったことを、私は覚えている。ことに私の母が、たいへん陽気な人で、危険を意識しないのは、私にはまったくの謎のように思われた。しかし、私自身の精神状態の秘密をちらして母の気持を乱さないようにと、私がたいへん用心したことは、あなたにも十分信じていただけるだろう。私のこの憂欝症メランコリアの経験には宗教的意味がある、と私はいつも思っている。」
(*1) バニヤンの次の言葉と比較されたい。「そこで私はおそろしく大きな戦慄に陥ってしまって、その結果、数日の間、赦されることのないもっとも恐ろしい罪を犯した人々にくだるべき神の恐ろしい審判のことを思って、私の身体も私の心も、しばしば慄えよろめくのを感じたのであった。この恐怖のために、私はまた、特にある時などは、まるで自分の胸骨がばらばらになったのではないかと思われるほど胃のあたりが重くなって燃えるのを感じたのであった。……こうして私は、自分の上に置かれた重荷の下に敷かれて、曲がったり、よじれたり、縮んだりしていた。そして、その重荷が私をぐいぐい抑えつけるので、私は、立っていることも、歩くことも、横になって休息したり、じっと静かにしていることもできなかった。

 この最後の言葉はどういうことを言おうとしたものなのか、もっと詳しく説明してほしいと、この手紙の筆者にたのんだところ、次のような答えを書いてよこしてくれた。──

「もし私が、『永久とこしえにいます神は、わが避所かくれどころなり……』『すべて労する者、重荷を負う者、われにきたれ……』『われは復活よみがえりなり、生命いのちなり……』などという聖書の言葉にすがらなかったならば、私はほんとうに気が狂ったにちがいない、と思われるほど、それほど強くその恐怖が私を襲ったことを言おうとしたものです。」

 これ以上実例を示す必要はない。私たちが考察した例で十分である。その実例の一つは、死滅する事物の空しさを、もう一つは、罪の感じを語っている、そして残る一つは宇宙の恐怖を述べている。──そして、それら三つの道のどれをとっても、人間の生まれながらの楽観主義と自己満足とが塵にも等しいものになってしまうのである。
 これらの例のいずれの場合でも、事実問題に関する知的な精神異常とか妄想とかは見られなかった。しかし、もし私たちが、幻覚や妄想をともなう本当の精神病の憂欝症のことを記した章を開いてみる気になったとしたら、そこにははるかにひどい話が記されていることであろう。──すなわち、そこに見られるのは、絶対的なまったき絶望であって、全宇宙は病者のまわりで凝固して圧倒的な恐怖の塊と化し、初めも終わりもなく彼をとり巻いてしまうのである。悪についての概念とか知的知覚などではなく、血を凍らせ心臓をしびれさせる、ぞっとするような、身に迫る悪の感覚であり、それが出現すると、その他の概念や感覚は一瞬たりとも起こることができないのである。このように救助を必要とする場合に臨んでは、すべて私たちのふだんの上品な楽観主義や知的な、また道徳的慰めが、なんと見当ちがいの縁遠いものに見えることであろう。ここに、助け給え、助け給え、という宗教的問題の真の核心がある。どんな預言者でも、そういう犠牲者たちの耳に真実のひびきをもつことを語るのでなければ、究極の福音を伝えたと主張することはできないのである。しかし、救いが効果を示しうるためには、その救いは、彼らの苦しみの訴えと同じような強い形で、訪れねばならない。そして、血と奇蹟と超自然的作用のつきまとう、信仰復興運動風の、熱狂的な宗教がけっして姿を消すことがないだろうと考えられる理由は、そこにあるように思われる。ある性質の人々はあまりにもそういう宗教を必要とするのである。

 ここまで述べてくると、健全な心の人生の見方と、悪についてのこのような経験をすべて本質的なものと見る人生観との間に、いかに大きな対立が自然に生じてくるかを、私たちは理解することができる。この後者の見方、すなわち、病的な心の見方と呼んでよいような見方にとっては、純然たる健全な心は言いようもなく盲目で浅薄に見える。それに反して、健全な心の見方にとっては、病める魂の見方はめめしく病的に見えるのである。健全な心の人から見ると、光の中で生きることをしないで、鼠の穴を掘り返したり、恐怖を捏造ねつぞうして、あらゆる不健全な種類の悲惨事にのみ心をわずらわしているそれら怒りの子たち、第二の誕生を熱望する者たちは、鼻もちのならないものといってよいようなものなのである。もしかりに宗教上の不寛容、絞首、焚刑がふたたび行なわれることになったとするならば、過去はどうあったにせよ、今日では、健全な心のほうが、二者のうちより非寛容な側に立つであろうことは、疑いない。
 公平な傍観者の態度をまだ捨ててはいない私たちは、この争いをどう批評すべきであろうか? 私たちは、病的な心のほうがいっそう広い領域の経験に及んでおり、その映界のほうが広いと言わねばならぬように思われる。注意を悪からそらせて、ただ善の光のなかにだけ生きようとする方法は、それが効果を発揮する間は、すぐれたものである。その方法は、多くの人々にあって効果を示すだろうし、私たちの大部分の者がふつう想像するより以上に広い範囲にわたって効果を示すであろう。そして、それが効験をあらわす範囲内においては、それが宗教的解決であることに反対すべきいわれはない。しかし、憂欝があらわれるや否や、それは脆くも崩れてしまうのである。そして、たとえ私たち自身が憂欝をまったく免れているとしても、健全な心が哲学的教説として不適切であることは疑いない。なぜなら、健全な心が認めることを断乎として拒否している悪の事実こそ、実在の真の部分だからである。結局、悪の事実こそ、人生の意義を解く最善の鍵であり、おそらく、もっとも深い真理に向かって私たちの眼を開いてくれる唯一の開眼者であるかもしれないのである。
 正常な人生行路にも、病的な憂欝を満たしている瞬間と同じように恐ろしい瞬間、根本悪が支配権を握って、がっちり有利な情勢を作ってしまうような瞬間があるものである。精神病者の見る恐怖の幻影はすべて日常の事実を材料にして作られている。私たちの文明は流血の修羅場の上に築かれており、個人個人の生存は孤独な断末魔の苦悶のなかへ消えてゆく。もしこれに諸君が抗議したいなら、諸君は、諸君自身がそこへ行きつかれるまで、待たれるがいい! 太古の時代に肉食性の爬行動物が生きていたのを信ずることは、私たちの想像力にとって困難である。──そういう爬虫類はとかくただ博物館の標本でしかないように思われるからである。しかし、博物館に陳列してあるそれら爬虫類の頭蓋骨ずがいこつのどの一つを採ってみても、その昔、永い年月にわたって毎日毎日、なにか運のつきた餌食が絶望的にもがき苦しむ身体からだにしっかり突き刺さったことのない歯は一つもないのである。爬虫類の餌食となった動物たちが恐れたのとまったく同じ形式の恐怖が、その規模は小さいながらも、今日、私たちのまわりの世界を満たしている。私たちの身近な、この炉の上で、この庭のなかで、悪魔のような猫が息もたえだえの鼠をもてあそび、激しく羽ばたく鳥をその口に咬えている。わにもがらがら蛇も錦蛇も、現にいま、私たちと同じように真実に生命の器なのである。いまわしい彼らといえども、その長い身体をひきずっている一日一日の一刻一刻を満たして生存しているのである。そして、彼らやその他の獣たちが生きた餌食を摑むたびごとに、その事態に反応して、興奮した憂欝症患者の感じるあの死のような恐怖と同じような、文字どおり当然の反応が示されるのである(*1)。
(*1) 例 「夜の十一時頃であった。……しかし、私は人々といっしょにぶらぶら歩き続けていた。……突然、道の左側で、叢のなかでがさがさという物音が聞こえた。私たちはみなびっくりした。と、その瞬間、一匹の虎が、密林から飛び出してきて、先頭にいた仲間の一人に襲いかかると、眼にもとまらぬ早さで彼をさらっていった。虎の突撃、あわれな犠牲者の骨が虎のロで砕ける音、彼の断末魔の「あ、あーっ」という叫び声、私たちが思わず反響のように繰り返した同じ叫び、すべては三秒間で過ぎてしまった。それから、どんなことが起こったか、私は知らなかった。正気にもどったとき、私は、自分と仲間の者たちが、森の王者たる私たちの敵にむさばり食われるのを待ってでもいるかのような恰好で、地上に倒れているのに気がついた。私は、あの恐ろしい瞬間の恐怖を筆にのせることができない。私たちの四肢は硬直し、口をきく力もなくなり、心臓は烈しく鼓動して、誰の口からも、ただ、「あ、あ!」というきが聞かれるだけだった。こういう状態で、私たちは四つん這いで少しばかりあとずさりし、それから三十分間はど、アラビア馬のような速力で必死に走りつづけて、運よくある小さな村にたどりついた。……その後で、私たちはみんな悪寒おかんを伴なう発熱におそわれ、そして朝までそんな悲惨な状態がつづいたのであった。」──Autobiography of Lutfullah, a Mohammedan Gentleman, Leipzig,1857, p. 112.

 事実、事物の絶対的全体と宗教的に和解するということは不可能であるかもしれない。なるほど、ある悪はより高い形態の善に役だつものではある。しかし、いかなる善の体系にもとりいれられえないほど極端な悪の形態があるかもしれないし、そういう悪の場合にとるべき実際的な態度は、あきらめるか、無視してしまうしかない。後日、私たちはこの問題と対決しなければならない。しかし、さしあたって、ただ計画と方法という見地から、悪なる事実は、善なる事実と同じく、自然の真なる部分なのであるから、哲学の立場としては、悪い事実も合理的な意義をもっているし、悲しみや苦しみや死に対して、なんら積極的、能動的な注意を払わない健全な心の体系は、少なくともそれらの要素をもその領域内にとりいれようと努める体系よりも、形式的にはずっと不完全である、という仮定に立つべきものであることを述べておこう。
 したがって、もっとも完全な宗教は、厭世的要素がもっともよく発達した宗教であるように思われる。もちろん、そういう宗教のなかで私たちにもっともよく知られているのは、仏教とキリスト教である。この二つの宗教は、本質的に、救いの宗教である。いずれも、真実なる生命に生まれうるには、人はまず真実でない生命を忘れ去らなければならぬ、と説く。次回の講義で、私は、この第二の誕生の心理学的条件を少しばかり論じてみるつもりである。幸いなことに、これから取り扱われねばならぬ主題は、今まで考察してきた主題よりも楽しいものとなろう。

第八講 分裂した自己とその統合の過程

 前回の講義は私たちの生きているこの世界にしみわたっている一要素としての悪というものを取り扱ったもので、実に苦しい講義であった。その終わりのところで、私たちは二つの人生観の対照を完全に看取するにいたった。一つは私たちが「健全な心」の人生観と呼ぶものであって、それは幸福になるためにただ一回の生誕だけで足りる人間に特有なものであり、もう一つは「病める魂」の人生観であって、幸福になるためには二回の生誕を必要とする人間に特有なものである。その結果として、私たちの経験の世界について二つの違った考え方が生じてくる。一度生まれの人の宗教では、世界は一種の直線的なもの、あるいは一階建てのものであって、その勘定は一つの単位でおこなわれ、その部分部分はきっかりそれらが自然にもっているように見えるだけの価値をもっており、単に代数的にプラスとマイナスとを合計するだけで価値の総和が出てくるといったようなものである。幸福と宗教的平安とは、その差引勘定のプラスの側で生活するところにある。これに反して、二度生まれの者の宗教にあっては、世界は二階建ての神秘である。平安は、ただプラスのものを加え、マイナスのものを生活から消去するだけでは達せられない。自然的な善は、ただ量的に不十分でうつろいやすいというばかりではなく、その存在自体のなかに、ある虚偽がひそんでいるのである。自然的な善はすべて、たとい死の前にあらわれるいろいろな敵によって抹殺されることがなくても、結局は死によって抹殺されてしまうのであるから、最後の差引で残高ができることなどないし、私たちの永久的な崇拝をうけるべきものでは決してありえない。むしろ、それは私たちを私たちの真の善から遠ざけるもので、そのような自然的な善を放棄し、それに絶望することこそ、私たちが真理の方向へ向かって踏み出すべき第一歩なのである。要するに、自然的な生命と霊的な生命との二つの生命があるのであって、私たちはその一つにあずかりうるためには、まず他方を失わなければならない。
 これら二つの型は、それらの極端な形、すなわち、純粋な自然主義と純粋な救世主義という二つの形において、いちじるしい対照をなしている。もちろん、この場合にも、一般におこなわれているたいていの分類においてそうであるように、このような過度に極端な形式のものはいわば理想的な抽象物であって、私たちがもっともしばしば出会う具体的な人間は、たいていは、中間的な雑種であり混合種である。けれども、実際的には諸君はみな両者の差を認めておられる。すなわち、諸君は、たとえば、ただ明朗で健全な心の道徳家に対するメソジスト派の回心者の軽蔑を理解されるし、また同じように、諸君は、生きるために死ぬのだと称し、逆説と自然現象の逆転とを神の真理の本質であるとするメソジスト信者の病的な主観主義と見えるものに対して健全な心の者のいだく嫌悪の念をも理解されるのである(*1)。
(*1) 例えば、「わが国の若い人たちは、原罪とか、悪の起源とか、予定説とかいった神学上の諸問題で悩まされている。これらの問題は、わき道に外れてわざわざそうした問題を探したりなどしなかった人間なら、どんな人に対しても実際上の困難を惹き起こしたことはない──その人の歩む道の邪魔をしたためしはない。これらの問題は魂のおたふくかぜであり、はしかであり、百日咳である」等々。Emerson:Spiritual Laws.

 二度生まれの人の性格の心理学的な基盤は、その人の生まれつきの気質のなかに或る種の不協和あるいは異質混交があること、すなわち、道徳的な素質と知的な素質との統一が不完全であることにあるように思われる。

「二重人、二軍人! homo duplex, homo duplex!」とアルフォンス・ドーデは書いている、「最初に私が二重人であることを悟ったのは、私の兄弟アンリが死んだときに、私の父が実に劇的に『あれは死んだ、あれは死んだ!』と叫んだときのことであった。私の第一の自己は泣いたが、私の第二の自己は『あの叫びはなんて真に迫っているんだろう。舞台の上だったらどんなに素晴らしいことだろう』と考えた。そのとき私は十四歳であった。
「この恐ろしい二重性は、しばしば私の反省の題材になった。おお、この恐ろしい第二の私、それは、もう一つの私が立って活動したり生活したり苦しんだり努力したりしている間、いつも坐り込んでいた。この第二の私を、私は陶酔させ、涙を流させ、眠り込ませることが決してできなかった。しかも、この第二の私のなんとまあ物事を見抜き、なんとまあ愚弄することであろう!」

 性格心理学に関する最近の著書は、この点についておおいに論じている(*1)。ある人々は最初から調和的で良く均衡のとれた内的素質をもって生まれている。この種の人々のもろもろの衝動はお互いに調和を保っており、彼らの意志はなんの苦もなく彼らの知性の指図に従い、彼らの情熱は過度に陥らず、彼らの生活が後悔の念につきまとわれて苦しめられることはほとんどない。ところが他の人々は、それとは反対の素質をもっていて、しかもその程度の差によって、あるいは単に風がわりで、あるいは気まぐれで一貫性がないというだけの軽度なものから、極端に不都合な結果を招きかねないような不調和にいたるまで、さまざまである。そういう異質混交の比較的無邪気な種類の一つの適例を、私はアンニー・ベザント夫人の自叙伝のなかに見いだす。
(*1) 例えば F. Paulhan : Les Caracteres, 1894 を参照。彼はそわそわして落き着ちのない人 les In-quiets, 意地のわるい人 les Contrariants, 筋道のたたない人 les Incoherents, 散漫な人les Emiettesなどを、それぞれちがった精神の型として、均勢のとれた人 les Equilibres や統一ある人 les Unifiesと対比している。

「私はいつか実に奇妙な、弱さと強さとの混交でした、そして弱さのために私は随分と苦しい思いをしました。子供の頃、私はいつも内気はにかみの苦しみをいろいろとなめました。たとえば、私の靴ひもが結んでなかったりすると、みんなの目がこの不幸なひもに注がれているように感じて、はずかしく思ったものでした。娘の頃には、私は見知らぬ人たちを避け、自分など用もないし好かれもしないのだと考えるのがつねでした。そのために、私はだれでも私に親切にしてくれた人にはあつい感謝の心で一杯になりました。若い主婦になったとき、私は召使いたちを恐れました、そして召使いたちがぞんざいな仕事をしても、それをやった召使いの不注意を叱るという苦しみを忍ぶよりは、むしろ黙って大目に見のがしてしまうのでした。私は、教壇に立ったときには、なかなか元気よく講義をしたり討論したりしましたが、ホテルでは、なにか欲しいものを持ってこさせるために呼鈴をならして給仕を呼ぶよりは、むしろ欲しいものがなくてもすませるのでした。教壇の上では、なにか私の興味をもつ問題を弁護するために闘志をもやしましたが、家庭では、口論したり叱ったりすることを避けました。そして公衆の前では勇敢な闘士でしたが、個人的には臆病者でした。私の義務としてやむを得ずにだれか目下の者を叱らなければならなくなったとき、小言を言うだけの勇気を奮い起こすのに十五分間ゆみじめな時間を過ごさなければならないことが何度あったことでしょう。また、だれか少年か少女かがへまなことをしたのをとがめるのを私がためらったりするとき、壇上では勇猛な闘士である私自身を、私は詐欺師だとしていかにしばしばあざけったことでしょう。壇上でなら、反対に会うと最善をつくして抗論するのに、冷酷な一督か一言をあびると、ゆう私は、カタツムリが殻のなかに閉じこもるように、自分のなかに閉じこもってしまうのでした。

 この程度の矛盾なら、人間として無理からぬ弱さにすぎないと思われるであろう。しかし異質混交の度がもっと強くなると、人間の生活を台なしにしてしまうこともありうるのである。世のなかには、いま一つの傾向が優勢であるかと思うと、つぎには他の傾向が優勢になるというふうに、まるでジグザグ行進のような生き方をする人々がいる。彼らの霊は彼らの肉と闘い、彼らは両立しえないものを両方とも手に入れようとする。気まぐれな衝動が彼らの慎重きわまる計画をも中断してしまう。そして彼らの生活は、後悔と不品行や過失を償おうとする努力との一篇の長いドラマである。
 異質混交的な人格は遺伝の結果である、と説明されている──矛盾拮抗きっこうした先祖代々の性格のもろもろの特徴が、それぞれ並行して保存されているのだ、と想定されている。この説明は、ともかくそのままに受け取っていいかもしれない──しかし、確かに確証を必要とする説明である。しかし異質混交的な人格の生まれる原因がなんであるにもせよ、その極端な実例は、私が第一講で述べた精神病的な気質のうちに見いだされる。この気質について書いているすべての著者は、その叙述において、内的な異質混交を強調している。事実、しばしば、ある人間がこのような精神病的な気質をもっているものと私たちに認めさせるものは、もっぱらこの内的な特徴にほかならないのである。「高度の変質者」degenere superieur というのは、単に多方面に敏感な感受性をもっている人間にすぎないのであって、このような人は、その感情や衝動があまりにも敏感にすぎ、また互いにあまりにも矛盾し合っているので、自己の精神的な住居を整然と保って自己の意道をまっすぐ走るのに、普通人以上に困難を感じるのである。きわめていちじるしい精神病的気質に付きまとう固定観念や強迫観念、不合理な衝動、病的な良心の呵責、恐怖、抑圧感、これらのものこそ、異質混交的な人格の顕著な実例なのである。バニヤンは、「これでキリストを売ってしまえ! あれでキリストを売ってしまえ! かれを売ってしまえ! かれを売ってしまえ!」という言葉に取りつかれて悩まされていた。これらの言葉がいっしょになって百回も彼の心を走るのがつねであったが、ついにある日のこと、息もたえだえに、「わたしはいやだ、わたしはいやだ」と応酬しているうちに、彼は衝動的に「かれがその気なら行かせてやれ」と言った。そしてこの敗北のために、彼は一年以上も絶望状態にあったのであった。聖者たちの生涯は、きまってサタンの直接の影響しわざに帰せられるそのような冒潰的な強迫観念にみちみちている。この現象はいわゆる潜在意識的な自己の生命と結びついているのであって、これについては、私たちはやがてもっと詳しく語らなければならない。

 ところで、私たちの素質がどうあろうとも、私たちすべてにおける性格の正常な発達は、主として私たちの内的自己をまっすぐに伸張させ統一するところにあるのであって、私たちが激しやすく敏感で、さまざまな誘惑に陥りやすければ陥りやすいだけ、それだけそうであり、私たちがはっきりと精神病的な素質をもっている場合には、最大限度にそうである。高尚な感情と低級な感情と、有益な衝動と身を誤るような衝動とが、はじめは、私たちの内部で、かなり混沌としているが──そのような感情や衝動は、ついには、もろもろの機能が正しい従属関係を保っているような一つの安定した体系を、形成しなければならない。そういう秩序を形成しようとしてそのために苦闘している時期は、とかく不幸なものとして特徴づけられがちである。もし個人が感じやすい良心の持主であり、発剌とした宗教心をもっているならば、その不幸は道徳的な悔いや宗教的な痛恨の形をとり、彼は、自分が内面的に下劣であり不正であると感じ、自分という存在の造り主であり自分の霊的運命の指定者であるものに対して間違った関係に立っているという感じをいだくであろう。これが、プロテスタント・キリスト教の歴史においてあれほど大きな役割を演してきた宗教的憂鬱であり、「罪の自覚」なのである。人間の内心は、現実的自己と理想的自己という、不倶戴天の敵として対立しているものと人間が感じる二つの自己の戦場なのである。ヴィクトル・ユゴーが彼のマホメットに言わせているように、──

「我は崇高な戦闘のおこなわれる卑しき戦場なり。
 あるときは高き人、あるときは低き人。
 わが口に悪と善とこもごも来たる。
 砂漠のなかの砂と井戸との如く。」

 間違った生活、実行力の伴なわない熱望。聖パウロの言うように、「わが欲するところはこれを為さず、かえってわが憎むところはこれを為すなり。」自己嫌悪、自己絶望。ふしぎにも人間が受けついでゆく理解しがたく忍びがたい重荷。
 自己呪詛と罪の意識という形をとってあらわれる憂欝をもつ不調和な人格の典型的な例をいくつか引用してみよう。聖アウグスティヌスの場合などは、その代表的な一例である。諸君はみな、彼がカルタゴで半ば異教徒的な、半ばキリスト教徒的な教育をうけて成長したことを、彼がローマとミラノに移住したことを、マニ教を受け容れ、したがって懐疑論に傾いたことを、真理と純潔な生活とを休みなく追求したことを、記憶しておられる。そして最後に、彼が直接また間接に識っている多くの人々が官能の絆をたち切って、純潔とより高い生活とに献身しているのに、みずからは自己の胸中に住む二つの魂の闘争に心をとり乱し、自己自身の意志の弱さに恥ずかしい思いをしていた彼が、庭で「取りて読め」Sume, lege という声を聞いたことを、そして手あたりしだいに聖書を開いて「淫楽・好色に歩むべきにあらず」云々の聖句を見、それが直接かれに向かって語られた言葉であるように思われて、かれの内心の嵐を永久に鎮めてしまったことを、諸君は記憶しておられるであろう(*1)。さすが人間心理に通ずる天才だけに、アウグスティヌスが分裂せる自己をもつ苦しみを叙した描写は、いまだこれをしのぐものを見ない。
(*1) Louis Gourdon (Essai sur la Conversion de Saint Augustine, Paris, Fischbacher, 1900)は、アウグスティヌスの回心(紀元三八六年)直後の著作を分析して、告白のなかに記されていることは、実際よりも、少し以前のものと設定されていることを示している。庭で経験された危機は、それより以前の彼の生活からの、決定的な方向転換をあらわしているが、しかしそれは、新プラトン学派の唯心論への転向であって、キリスト教にいたる中途の段階にすぎなかったのである。彼が、キリスト教を完全に、そして徹底的に信奉するにいたったのは、それから四年たってからのことであったらしい。

「私がもち始めた新しい意志は、まだ、永年のあいだ甘やかしておいたために増長していたもう一つの意志を克服するに足りるほど、強くはなかった。こうして二つの意志、すなわち、旧い意志と新しい意志、肉的な意志と霊的な意志は、たがいに争い、私の魂をかき乱した。私は私がかつて読んだことのある『肉の望むところは御霊みたまさからい、御霊の望むところは肉に逆らう』ということを、私自身の経験によって悟ったのである。たしかに、私自身はこの両方の意志のなかにあったが、しかし、私が私自身において非難するもののなかによりも、私自身において是認するもののなかに、より多く私自身があった。それにしても、習慣があれほどまでに強く私を支配するにいたったのは、私自身の所為せいであった。なぜなら、私は私の欲しなかったところへみずから進んで行ったのであるから。なおも私は、地につながれて、おお神よ、あなたの側に立って闘うことを拒んだ。そして、あらゆる地の絆に束縛されることをこそ恐れるべきなのに、かえってこれから解放されるのを恐れていたのであった。
「こうして、あなたについて黙想する私の思いは、目を覚ましたいと思いながら睡魔に負けて、やがて再び眠りにおちいる人の努力にも似ていた。睡魔が重く肢体を圧するとき、人はしばしばその睡魔を払いのけるのを延ばす。そしてそれをいいことだと思うわけではないが、それに負けてしまうのである。それと同じように、私も私自身の欲望に従うよりも、あなたの愛に身をまかせるほうが善いことは確信してはいたが、それだのに、あなたの愛に身を捧げるという道のほうが私を納得させたのに、欲望に従うという道のほうが私を楽しませ、私をしばりつけて放さなかったのである。私の心のなかには、『眠れる者よ、起きよ』というあなたの呼び声に答えるものがなにもなく、ただ、『ただ今すぐに、はい、ただ今すぐに。すこし待って下さい』というものうげな眠けを誘うような言葉があるばかりであった。しかしこの『ただ今すぐに』の『ただ今』はいつまでも来なかったし、また、『すこし』はどんどん伸びて長くなった。……というのは、私はあなたが私の願いをあまり早く聴きとどけて、私の欲望の病いを一気に治してしまわれるのを恐れたからで、むしろ私は欲望を絶滅されるよりは飽満させられるほうを願っていたのであった。どれほど激しい言葉で私は自分の魂を鞭打ったことであろう。しかし、私の魂はしりごみした、返す言葉もないのに、肯んじなかった。……私は心のなかで『さあ、やってしまおう』と言った。そして私がそう言ったとき、私はまさに決心しようとしていたのである。私は決心するばかりになっていた、しかし結局、決心しなかった。そして私は別の努力をして、成功するばかりであった、しかし結局、私は目的には達しなかったし、目的を掴むにいたらなかった。そして、死を死ぬことも、生を生きることもためらっていた。そして、すっかり慣れっこになっていた悪のほうが、私がまだやったことのないより善い生活よりもいっそう強く私をとらえたのであった。」

 高尚な願望をそれを阻んでいる被殻を破裂させて効果的に生活に侵入させ、それによってもろもろの低い性向を永久にしずめることのできる、(心理学者の俗語を用いると)運動発生的な性質のもつあの最後の鋭さ、あの爆発的な強烈さが、高尚な願望に欠けている場合の、分裂した意志の叙述として、これ以上に完全なものは見いだせないであろう。こういう高尚な感激性については、後の講義で詳しく述べることにしよう。
 分裂した意志のすぐれた叙述のもう一つの例は、ノヴァ・スコシアの福音伝道者ヘンリ・アリーンの自叙伝のうちに見いだされる。この人の憂欝については、私は前講で簡単に述べておいた。諸君も見られるであろうが、この人の青年期の罪というものは、まったく無邪気なといえるような性質のものであるが、それが彼の真の使命と考えられたものを妨害し、ために彼をたいへん悩ましたのであった。

「私はそのころ非常に道徳的な生活を送っていたが、しかし、良心の安らぎをどうしても得ることができなかった。そのころ、そういう私の心をまるきり知らない若い人たちのあいだで、私は尊敬され始めた。そして彼らの尊敬は私の魂にとってわなになり始めた。なぜなら、私はやがて肉の歓楽にふけり始めたからである。しかもなお私はうぬぼれていて、酔っぱらったり、不敬な言を吐いたり、神を冒潰するようなことをしたりさえしなければ、陽気に浮かれさわいだり、肉の歓楽にふけったりしたとしても、罪ではあるまいと思っていたのである。そして、神は若人たちを、なにか(私のいわゆる単純な、あるいは、まじめな)レクリエーションで楽しませ給うのであろう、と私は考えた。私はまだ一連の義務は果たしていて、公然たる悪徳に走ろうとはしなかった。こうして私は、健康なときや順調なときには、実にうまく暮らしたが、悩みのあるときとか、病気や死や重大な暴風に脅かされるとかしたときには、私の宗教は役に立たなかった。そして私は自分になにかが欠けていることを感じ、そのように歓楽に走る自分に悔いをおぼえようとした。しかし苦悩がすぎ去ってしまうと、悪魔と私自身の邪悪な心とは、私の仲間の誘いもあり、若い人たちに対する私の愛好心も手つだって、非常に強い誘惑の力となり、そのために私はまたもや誘惑に負け、こうして私は、一方ではひそかな祈りと聖書の読書とを続けながら、同時に、非常にすさみ、粗暴になっていった。しかし神は、私が自滅することを欲し給わなかったので、たえず私に呼びかけ給い、非常な力で私の良心を動かし給うたので、私は気晴らしをして満足することはできなかった。そして歓楽のさなかにさえ、ときには、自分の状態が絶望であり破滅であると感じ、そのため私は仲間から離れ去ろうと願ったほどであった。そして、歓楽の時が過ぎて家に帰ると、もう二度とこのような歓楽には加わるまいと、何度も何度も自分に断言し、何時間も何時間も、神に赦しを乞い求めた。しかし、誘惑がまたもやって来ると、私は負けてしまうのであった。つまり、音楽を聴き一杯のブドウ酒を飲むやいなや、私は心の高揚をおぼえ、やがてどんな陽気なさわぎや娯楽にも進んで加わり、それを放蕩とも公然たる悪徳とも思わなかった。しかし肉の歓楽から帰ってきたとき、私はいつものように罪を感じた。そしてときには、寝に就いてから何時間も、私は目を閉じることができなかった。私はこの世でいちばん不幸な人間の一人であった。
「ときには私は(疲れはてでもしたかのように、ヴァイオリン弾きに演奏をやめてくれと言いながら)、仲間を残して外に出てゆき、歩き廻りながら、まるで私の心臓が破れんばかりに叫んだり祈ったりし、そして、私に永劫の罰をくだしたまわぬように、そして私を頑迷な心にしてしまわれることのないようにと、神に乞い求めた。おお、どんなに不幸な時を、夜を、私はこうして過ごしたことか! ときどき、愉快な仲間に出会って、私の心が沈もうとしたときには、怪しまれないように、私はいつでもできるだけ楽しそうな顔付きをしようと努力した。そしてときには、若い男女たちと故意になにか議論を始めたり、なにか楽しい歌を歌おうと言い出して、私の魂の苦悩を見付けられないようにした、また、彼らといっしょにいるよりは、あるいは、彼らの快楽や享楽に加わるよりは、むしろ追放されて荒野をさまようほうがよいと心に思っていることを、感づかれないようにした。こうして仲間といっしょにいる何ヵ月もの間、私は猫をかぶり愉快な気持を装ったが、それと同時に、私にできるかぎり、彼らの仲間を避けようと努めたのであった。ああ、私はなんと哀れな、なんと不幸な人間だったことか! 何をなし、どこへ行っても、私はつねに暴風あらしのなかにいた。それなのに、私はそれから何ヵ月もの間、歓楽の考案者、首謀者の親玉であった。もちろん、彼らと歓楽をともにすることは苦労であり苦痛であったが、しかし悪魔と私の邪悪な心とは、まるで私を奴隷のようにこづきまわし、こうせよ、ああせよ、これに耐えよ、あれに耐えよ、こつちへ向け、あっちへ向け、と命令し、こうして私の信用を、私の仲間からの尊敬を保ちつづけさせようとした。そうこうする間も、私は私の義務をできるだけ厳格に守りつづけ、私の良心をなだめるためにあらゆる手段をつくし、私の思想をさえも監視し、どこへ行っても絶えず祈りつづけた。なぜなら、私は地上の快楽を追う仲間たちに交わっていても、私はそこで価足していたわけではなく、ただ十分な理由があって彼らに従っているまでなのだと思っていたから、私の行動になんの罪があろうとも考えなかったからである。
「しかし、私が何をなし何をなしえようとも、つねに私の良心は、昼となく夜となく、時びつづけるのであった。」

 聖アウグスティヌスもアリーンもともに、困難にうちかって内心の統一と平安とに到達した。そこで次に、私は、このような統一がおこなわれる過程の若干の特徴について、もう少し詳しく考察してみていただきたいと思う。この統一は徐々に生ずることもあり、突然に起こることもある。感情の変化によって生ずることもあり、行動力の変化によって生ずることもある。あるいはまた、新しい知的洞察によって起こることもあり、私たちが後に「神秘的」と呼ぶような経験によって起こることもある。どんなふうにして起ころうとも、その統一は一種独特な救いをもたらすが、しかしそれが宗教的な形をとる場合ほど大きい救いをもたらすことは決してない。幸福! 幸福! 宗教は人々がこの賜物を手に入れるための方途の一つでしかない。容易に、永久的に、そして有効に、宗教はしばしば、もっとも耐えがたい悲惨をも、もっとも深くもっとも永続的な幸福に変形するのである。
 しかし、宗教を見いだすことは、統一に達するための多くの道のうちの一つでしかない。そして、内心の不完全さを治療し、内心の不調和をあらためる過程は、一般心理学的な過程であって、それはいかなる種類の心的生活にも行なわれうるものであり、必ずしも宗教的な形式をとる必要はない。私たちがこれから研究しようとする再生の宗教的なさまざまな型を批評するに当たって、それらの型が、一つの「類」のなかの一つの「種」に過ぎず、その類のなかには他のいろいろの型も含まれていることを認めることが重要である。たとえば、新生は、宗教から不信仰への新生でもありうるし、道徳的な慎重さから自由と放野とへの新生でもありうるし、あるいはまた、愛とか野心とか貪欲とか復讐とか愛国心とかいったなにか新しい刺激ないし情念が個人の生活に突入することによって生ずることもありうる。これらすべての場合において、私たちは心理学的にまったく同一の形式の出来事を見る。──暴風と抑圧と矛盾の時期のあとに、確信と安定と平衡があらわれるのである。これらの宗教的でない場合にも、新しい人間は徐々に生まれることもあり、また突然に生まれることもある。

〔…〕

 少し古い医学では、普通、肉体の疾患が回復する仕方に lysis と crisis という二つがあると言われた、すなわち、前者は漸次的な回復の場合、後者は突発的な回復の場合である。精神の分野において、内的統一のおこなわれ方に、漸次的なものと突発的なものとの二つの仕方がある。トルストイとバニヤンとは、ここでも例として、折よく漸次的なほうの例として、用いることができよう。しかし、他人の心のなかのこうした曲折を辿ることが困難であることは、最初から認めておかなければならないし、また、彼らの言葉が彼らの秘密の全部をあらわしているものではないことも、感じ取れることである。
 それはとにかく、トルストイは、その際限のない疑問を追究しながら、洞察から洞察へと進ん行ったようである。最初に彼は、人生は無意味であるという彼の確信はただこの有限な生命だいしか考慮していないことを、悟った。彼は一つの有限項の価値を、もう一つの有限項のなかに探していたのでいる。だから、その結果は、0=0 で終わる数学上の不定方程式の一つでしかありえなかった。けれども、非合理的な感情あるいは信仰が無限なものを持ちこまないかぎり、それが理論的知性の違しうる極限なのである。一般の人々と同じように無限なるものを信じるがよい、そうすれば、ふたたび生きることが可能となるであろう。

「人類が存在して以来、人生のあるところにはどこにでも、生きる可能性を与える信仰の存在した。信仰とは生命の意味である、人間を自滅させることなく生きつづけさせることのできる意味である。われわれが生きて行くための力である。もし人間が自分はなにものかのために生きなければならないのだと信じないなら、人間は少しも生きてはいないのであろう。無限なる神という観念、魂は神性をもつという観念、人間の行為が神と一致するという観念──これらの観念は、人間の思想の無限に深い秘密な奥底で作り出されたものである。それらの観念は、それなしには生命が存在しなくなってしまうような観念であり、それなしには私自身が存在しなくなってしまうような観念である、」とトルストイは言った。「私には私の個人的な推論に頼る権利もなければ、信仰によって与えられるこれらの答えを無視する権利もないことを、私は悟り始めた。なぜなら、これらの答えこそ人生の意味に関する疑問に対する唯一の答えだからである。」

 けれども、実にばかばかしい迷信に夢中になっている一般人と同じように信ずることがどうしてできよう? それは不可能である──がしかし、一般人の生活は! 彼らの生活は! それは正常ないのだ。それは幸福なのだ! それはこの疑問に対する一つの答えなのだ!
 徐々にトルストイは次のような信念を固めるにいたった──そこまで達するのに二年かかった、と彼は言っている──自分が心を悩ましてきたのは、生活一般でも普通人の普通の生活でもなく、ー派の知的、芸術的階級の生活であり、彼自身がいつも営んできた生活であり、頭脳的な生活であり、因襲と技巧と個人的野心の生活であったという信念を。彼は間違った生き方をしていたのであった、だから、それを変えなければならなかった。動物的要求のために働くこと、虚偽と虚栄とを放棄すること、公衆の困窮を救うこと、簡素であること、神を信ずること、そこに幸福はふたたび見いだされるであろう。

「私は記憶しているが、と彼は言う、「早春のある日、私は森のなかにただ独りでいて、そのふしぎな物音に耳を傾けていた。私は耳をすました、すると、私の思いはこの三年の間つねに私が没頭していたことに──神の問題に、戻って行った。だが、神の観念、と私は言った、この観念に、私はいったいどうして達したのか? と。
「そしてこの思いとともに、私の心のなかに、またもや生きようとの嬉しい熟望が起こってきた。私のなかのすべてのものが目を覚まし、それぞれなんらかの意味をもってきた。……私の内のある声が、なぜ私は遠くばかり眺めるのか? と尋ねた。あのお方は、その方なしには人間が生きられないあのお方は、ここにおられるのだ。神を認めることと生きることとは、同一のことなのだ。神は生命なのだ。そうなら、さあ! 生きよ、神を求めよ、神なしには生命はないであろう。……
「このことがあってから、私の内部でも私の周囲でも、いままでになかったほど万事がうまくはかどった。そしてその光明がまったく消え去るようなことはなくなった。私は自殺から救われた。この変化がどんなふうに、いつ起こったか、私は語ることができない。しかし、気づかないうちに、徐々に、私の生きる力がなくなって行って、私が精神的な死の床についてしまったのと同じように、だんだんと、気のつかないうちに、生命のエネルギーが戻ってきた。そして奇妙なことに、戻ってきたこのエネルギーは、なんら新しいものではなかった。それは私が昔、子供のころにもっていた信仰の力であり、私の生活の唯一の目的はもっと善くなることだという信仰であった。因襲的な世間などというものはけっして生活ではなくて、生活の真似事パロディであり、それに付随する余計なものがわれわれに真似事が真似事であることを知らせないようにしているまでのことだということを確認して、私は因襲的な世間の生活を棄ててしまった。」──そしてトルストイは、それ以来、農夫の生活を始めた、そして正しく幸福であると感じた、それ以来ずっと、少なくともある程度まで、そう感じていた(*1)。
(*1) 私はこの訳文でトルストイの言葉をかなり要約した。

 私の解釈するところでは、彼の憂欝は、もちろんそれもあったには相違ないが、単に彼の気質の偶然的な盛りに過ぎぬものではなかった。それは彼の内的な性格と外的な活動や目的との間の衝突によって必然的に誘発されたものである。文芸作家ではあったが、トルストイは、現代の洗練された文明のむなしさと不まじめさ、貪欲さと錯雑さと残酷さとに対して深刻な不満をいだき、永遠の真実はもっと自然でもっと動物的なもののうちにあると信じた原始的な剛直な人々の一人であった。トルストイがあのようにして、彼の魂を正常な状態にもどし、魂のほんとうの故郷と使命とを発見し、虚偽から脱出して彼にとって真理の道であったところに逃れたのは、まさに彼の危機であった。それは、異質混交的な人格が人格の統一と平衡とをゆっくりゆっくりと見つけて行く場合の一例であった。もちろん、私たちの多くは、トルストイの例にならうことはできない、それはおそらく、私たちが骨のなかに本来の人間的な髄を十分にもってはいないからであろう、けれども、私たちのほとんどの者が、少なくとも、もしそうできたらどんなに善いことだろう、と感じていることであろう。
 バニヤンの回復はトルストイの場合よりもさらにのろいものであったらしい。何年も何年も、彼は聖書の文句につきまとわれて、浮きつ沈みつしたが、ついに、キリストの血によって救われることを信じて、次第に慰安を得ることができたのであった。

「私の平安は、一日のうちに二十回も訪れたり出て行ったりした。いま安楽でいるかと思うと、すぐ次にはもう思い煩っていた。いま平安であったのに、二、三百メートルも行かないうちに、もう私の心は、かつて感じたことのないような罪悪感と恐怖とで一杯になるのであった。」なにか善い聖句が彼の心に訴えてくるときには、「それが、二時間か三時間の間、私に元気を与えてくれた。」あるいは、「今日は私にとっては良い日であった。私はこの日を忘れないだろうと思う。」あるいは、「それらの聖句の輝きはそのとき私の上に重くのしかかったので、私は坐っていても、いまにも気絶せんばかりであった。しかし、それは悲しみや思い煩いのためではなく、純粋な喜びと平安とのためであった。」あるいは、「それは私の霊をふしぎな仕方で襲った。それは光を伴なっていた。そしてそれは、以前には私の内部でまるで飼い主のない地獄の番犬のように吠えたりうなったりして恐ろしい騒音を立てていたあのあらゆる騒々しい考えに、私の心のなかで沈黙するよう命じた。それはイエス・キリストが私の魂をすっかり見放されたのでも見捨ててしまわれたのでもなかったことを私に示した」と、彼は記している。
 そういう時期が度重なって、ついに彼は次のように書けるまでになった。「いまはもう暴風雨の余波が残っているばかりであった。つまり、雷鳴は過ぎ去ってしまって、いまはただ数滴の雨が残っていて、それがときどき私の上に落ちてくるに過ぎなかった。」そして最後に、「さあ、いよいよ私の脚から鎖が落ちた。私は私の苦悩と鉄鎖とから解放された。いろいろの誘惑も逃げて行ってしまった。だから、あのときから、あの恐ろしい聖書の言葉は私を苦しめなくなった。いまや私は家へ喜びにあふれて帰った。神の恩恵と愛のおかげで。……いまや私は私自身が天と地とに同時にいるのを見ることができた。私の肉体あるいは身体によって地上にありながら、私のキリストによって、私の主によって、私の義と生命によって、天にいるのを。……あの夜、キリストは私の魂にとって貴いキリストであった。キリストによる喜びと平安と勝利のゆえに、私は私のベッドに横になっていることもできないほどであった。

 パニヤンは福音の使者になった。そして彼が神経病的な素質の持ち主であったにもかかわらず、また、彼が国教を信じないという理由から十二年間も獄中で過ごさねばならなかったにもかかわらず、彼はきわめて活動的な生涯を送った。彼は平和ならしむる人であり、善を行なう人であった。そして彼の書いた不朽の寓意物語はイギリス人の心に宗教的忍耐の精神をしみじみ浸透させたのであった。
 しかし、バニヤンもトルストイも、私たちが「健全な心」と呼んだようなものには成れなかった。彼らはにがい酒杯をあまりにもしたたか飲んでしまったので、その味を忘れ去ることができなかった。そして彼らのあがないは二階建ての宇宙へはいって行くことであった。二人はそれぞれその悲しみの鋭い刃をなまらせるような善を実現した。けれどもその悲しみは、それを克服した信仰の心のなかに一つの小さな要素として保存されていた。私たちにとって重要なことは、事実において、彼らが、彼らをしてそういう極度の悲しみを克服させることのできたようななにものかが彼らの意識の内部に湧きでているのを見つけることができたし、また見つけた、ということである。トルストイがそれを人々がそれによって生きるところのものと言っているのは正しい。なぜなら、それはまさしくそのとおりだからである。それは一つの刺激であり、興奮であり、信仰であり、以前には人生を耐えがたいものと思わしめたような悪が眼前に充満していることが認められるにもかかわらず、生きようとする積極的な意欲をふたたび注入する力なのである。トルストイが悪を認める態度は、その範囲内では、変わることなく残っていたように思われる。彼の晩年の著作は、彼が公定の全価値体系とあくまでも和解しなかったことを示している。つまり、上流社会の生活の下劣さ、統治者の破廉恥な行為、教会の偽善、役人の空威張り、大成功につきものの卑劣で残酷な行動、そのほか、この世間のはなやかな犯罪と偽りの制度、これらのものと彼は和解しなかった。すべてこのようなことを許容することは、彼の体験によれば、みずからを永久に死の手にゆだねることであった。
 バニヤンもまた、この世を敵の手に渡している。

「まず私は、」と彼は言う、「この世の生活に属するものと呼ばれる一切のものに対して死の宣告を下さなければならない。そして、私自身、私の妻、私の子ら、私の健康、私の楽しみ、その他あらゆるものを、私にとっては死んだものであると見なし、私自身をそれらにとって死んだものであると見なさなければならない。来たるべき世に関しては、キリストをとおして神に身を委ね、この世に関しては、墓をわが家とし、闇のなかに私のベッドを設け、腐敗に向かっては、なんじは我が父なりと言い、蛆に向かっては、なんじはわが母、わが姉妹なり、と言わなければならない。……妻やかわいい子らと別れることは、しばしば、私にとって、まるで私の骨から私の肉を引きむしるような思いであった。ことに他の誰よりも私の心にかかっていた盲の子と別れるのがつらかった。私は思った。かわいそうな子よ、お前はこの世でなんという悲しみを背負わされているのであろう! お前は打たれるにちがいない、物乞わなければならない、飢えと寒さと裸と、そしてそのほか無数の不幸なことに、苦しまなければならないであろう。いまの私は風がお前に吹きつけるのさえ忍べないのに。しかし、お前たちを見捨てるのは身を切られる思いではあるが、私はお前たちみんなを神のみ手にまかせなければならない(*1)。」
(*1) バニヤンの文章を引用するに当たって、私はここに関係のない部分をところどころ省いた。

 「決意の叫び」はある、しかし、忘我的な解放の満潮は一度もあわれなジョン・バニヤンの魂の上には注がれたことがなかったように思われる。
 これらの例は、専門語で「回心」と呼ばれている現象のあらましを私たちに知らせてくれるに足りるであろう。次の講義で、私はその特徴とそれに付随した事柄のやや詳細な研究に諸君を案内しようと思う。

第九講 回心

〔…〕

 例えば、けっして回心することのない人があり、また、おそらくどのような事情があっても回心することのありえない人もあろう。宗教的な観念はそのような人の精神的エネルギーの中心となりえないのである。そういう人々は優秀な人物でもありえようし、実践的な面では神のしもべでありえよう。しかし、彼らは神の国の子らではない。彼らは、目に見えないものを想像する能力がないか、でなければ、信仰上の用語で言えば、一生涯「不毛」と「乾燥」の人である。彼らがそのように宗教的な信仰をもつことができない原因は、ある場合には、知的なものであることもあろう。彼らの宗教的な能力は、例えば、悲観論的な信仰や唯物論的な信仰のような抑制的な働きをする世界についての信仰によって、自然に伸びようとする傾向を阻まれるのである。もっと早い時代に生きていたら自由に宗教的性向を思いのままに発展させたであろう多くの善良な魂が、今日では、そういう抑制的な信仰のために、いわば凍結してしまっているのである。あるいは、不可知論の立場から、信仰というものをなにか弱くて恥ずかしいものとして拒否し、それがために、今日、私たちの多くの人々が、私たちの本能を行使することを恐れて、おびえちぢこまっているのである。多くの人々はそういう抑制物をけっして克服しないでしまう。彼らは生涯の終わりまで、信ずることを拒み、彼らの人格的エネルギーはけっしてその宗教的中心に届かず、したがってこの中心が永久に活動せずに終わってしまうのである。
 ほかの人々の場合には、禍いはもっと深いところにある。世のなかには、宗教的な方面に対して無感覚であり、この種の感受性を欠いている人々がある。冷血の人間が、どんなに望んでも、多血質の人がもっているような「奔放な動物精気」を得ることがけっしてできないのと同じように、霊的に不毛な性質の人は他人の信仰を感嘆したり羨望したりすることはできようが、信仰に対する気質を生まれつき具備している人々がもっている感激や平安を理解することがけっしてできない。けれども、このようなことも、結局は、一時的な抑制のことであったということになるかもしれない。晩年になってからでも、なんらかの雪解け、なんらかの解放が起こるかもしれないし、もっとめ不毛の人々の胸のなかへも、雷光がふたたび射し込むかもしれない。そしてその人の固い心がやわらぎ、たちまち宗教的な感情をもつに至るかもしれない。このような場合こそ、ほかのいかなる場合にもまして、突然の回心が奇蹟によって起こるものであるという観念を暗示する。このような場合の存在するかぎり、私たちは回復できないまでに凝り固まってしまった種類の人を取り扱っていると考えてはならない。
 さて、人間存在における精神的事象には二つの型があって、それが回心という過程にもいちじるしい差異となってあらわれる。この差異についてスターパック教授が注意を喚起している。諸君は忘れた名前を想い出そうとするときどうするかを知っておられる。普通、諸君はその言葉と関連のあった場所や人間や事物などを心のなかで考えてみることによって、その名を想い出そうとする。しかし、時にはこの努力が失敗に終わる。すなわち、そういうとき諸君は、想い出そうと骨を折れば折るほど、まるでその名前が押し込められてしまって、その方向に圧せば圧すだけますます浮かび出られなくするばかりであるかのように、その名前を想い出せる望みがいよいよ少なくなることを感じるであろう。そういう場合、それと反対の手段をとると、成功することがしばしばある。まず、想い出そうとする努力をまったくやめるのである。なにかまったく別のことを考えてみる。そうすると、半時間もすると、忘れていた名前が、エマソンの言葉をかりると、招かれざる客のようにぶらりぶらりと、そ知らぬ顔をして、諸君の心にあらわれてくる。諸君の努力によってある隠れた作用が諸君の心のなかで生じており、努力がやんだのちにもその作用がつづいていて、その作用が、まるでひとりでに出てきたかのようにそういう結果を招来したのである。スターバック博士の言うところによると、ある音楽教師は、弟子たちに、やり方を明白に指示してやらせてみても、それがどうしてもうまくやれないときには、「練習を中止やめてごらんなさい。そうすれば自然にできるようになります」と言うとのことである。

 このように、精神的な結果が生まれるのには、意識的で随意的な方法と、無意識的で不随意的な方法とがある。そして回心の歴史においても、この二つの方法が実際に見いだされ、回心の二つの型を私たちは与えられている。それをスターバックはそれぞれ意志的な型および自己放棄による型と呼んでいる。
 意志的な型においては、再生的な変化は、普通、漸次的であって、道徳的および精神的習性の新しい組織が少しずつ組み立てられてくるのである。しかしこの場合にも、前進運動がかなり急連におこなわれるように思われる危機点が必ずいくつかある。この心理学的事実は、スターバック博士によって、たくさんの実例をあげて証明されている。いかなる実際的な教養の育成も、私たちの肉体の成長と同じように、明らかに間歇的、断続的におこなわれるのである。

『競技者というものは、……あるとき突然に競技の妙味を理解して、その競技をほんとうに楽しめるようになることがある。ちょうど、回心者が宗教の真価を突然に感得するにいたるのと同じである。競技者がスポーツをつづけてやっていれば──なにか大きな勝負に夢中になっているとき──突然ゲームが彼を通してひとりでにおこなわれるようになる日がいつかは来るであろう。それと同じように、音楽家も、音楽の技術を楽しむ心がまったくなくなる瞬間に突然に達し、そして霊感のある瞬間に、自分が楽器になりきり、その彼を通して音楽が自然に流れ出るようになることがあろう。著者は、たまたま、結婚の最初から美しい生活を送ってきた二人のちがった既婚者から、結婚後一年あるいはそれ以上を経過するまで、彼らが自分の結婚生活が祝福に満ちたものであることに気がつかなかった、と語るのを聞いたことがある。私たちがいま研究しつつあるこれらの人々の宗教的体験も、それと同じことである。」

 私たちはまもなく、潜在意識的に成熟していった過程がある結果に達したとき、突然に私たちがそれを意識するにいたるという場合のいっそう注目すべき実例をいろいろあげて説明することになるであろう。ウィリアム・ハミルトン卿とエディンバラのレイコック教授はこの種類の事実に注意を喚起した最初の人々である。しかし、「無意識的な脳作用」という用語を最初に採用したのは、私の記憶に間違いなければ、カーペンター博士で、これがそれ以来、説明の慣用語となっている。その事実は、今では、カーペンター博士が知り得たよりもはるか広範囲に、私たちに知られている。そして「無意識的」という形容詞はそれらの事実の多くをあらわす呼び名としては思ったものであることは確かなので、むしろ「潜在意識的」あるいは「識閾下」という比較的漠然とした用語に換えたほうがよい。
 意志的な型の回心の例なら、そのいくつかを容易にあげることができよう。しかしこの型の例は一般に、潜在意識的な影響がいっそう豊富で突発してしばしばひとを驚かせる自己放棄型の例はど興味あるものではない。それだから私は自己放棄型の例のほうへ急ぐことにしよう。二つの型の差異が結局は根本的なものではないだけに、いっそうそうしたいと思う。もっとも随意的におこなわれる種類の再生のなかにさえ、部分的な自己放棄の何節かがさしはまれている。そして大多数の場合において、意志が切望される完全な統一の実現に最大限度の力を尽くした場合でも、最後の一歩そのものは、意志以外の力にゆだねられねばならず、意志活動の助けなしに成しとげられざるを得ないように思われる。言いかえれば、その場合には、どうしても自己放棄が必要になってくるのである。スターバック博士は言う、「個人的意志は放棄されなければならない。多くの場合において、人間が反抗することをやめるまでは、すなわち、人間が行こうと望んでいる方向に向かって努力することをやめるまでは、救いは頑として来ることを拒むのである。」

〔…〕

 最後の瞬間になって自己放棄がなぜそれほど不可欠なのであろうか、その理由についてスターハック博士は一つの面白い、そして私には真実であると思われる──このように図式的な考え方が真実であると言いうるかぎりにおいてであるが──説明をしている。まず、回心しかかっている人の心のなかには二つのものがある。第一は、現在の状態が不完全であり、間違っているという考え、逃れようと熱望される「罪」の意識であり、そして第二は、到達したいとあこがれられる積極的な理想である。ところで、私たちたいていの人間にあって、私たちの現在の状態が間違っているという感じは、私たちが目ざすことのできるいかなる積極的な理想の観念よりも、はるかにはっきりした意識である。事実、大多数の場合において、「罪」がほとんど独占的に注意を奪ってしまい、したがって、回心とは「義に向かって努力する過程というよりはむしろ罪から脱け出ようと苦闘する過程」である。人間の意識的な知力と意志とは、理想に向かって努力しているかぎり、ただぼんやりと不正確にしか想像されないなにものかを目ざしているのである。けれども、そうして努力している間に、人間の内部でまったく有機的に成熟してゆく力が、意識的な知力と意志とによってあらかじめ描かれた結果へ向かって進みつつあるのであって、人間の意識的な努力は、潜在意識的な盟友たちを背後に置き去りにするが、置き去りにされた盟友たちは、彼らなりに再編成に向かってはたらいているのである。そしてこれらいっそう深いすべての力が指向している再編成は、かなりはっきりした確かなもので、意識的に考えられたり決められたりするものとははっきり異なっている。それだからその再編成は、真の方向からそれてゆく有意的な努力によって、(ちょうど、忘れた単語を一所懸命に想い出そうと努めすぎると、かえってそれが押し込まれてしまうように)、事実上、阻止されてしまうのである。

 スターバックが、個人の意志を働かせることができるというのは、不完全な自己がもっとも強調されるような領域内にまだ生きているということである、と言っているのは、問題の核心に触れたもののように思われる。それとは反対に、潜在意識的な力が主導権を握っている場合には、行動を指導するのはむしろ潜勢的な in posse より善き自己であろう。その場合には、潜勢的なより善き自己は、外部から漠然と狙いをつけて不器用にさぐり当てられるものではなくて、むしろ、それ自身が組織化の中心となるのである。そのとき、人間はなにをしなければならないか? スターバック博士は言う、「人間は緊張をゆるめなくてはならない。すなわち、彼自身の存在のなかに湧き出てきつつある、義を助成してくれるより大いなる力に頼らなければならない。そしてその力が始めたわざをその力に独特の方法で完遂させなければならない。……この見地から見ると、身をゆだねるという行為は、人間の自己を新しい生命に引き渡すことであり、新しい生命を新しく生まれる人格の中心にすることであり、それまで客観的に眺められていた新しい生命の真理を内面から生きることである。」

 「人間が窮地に陥るときこそ、神の働き給う機会ときである」といわれるのは、自己放棄が必要であるというこの事実を神学的に言いあらわしたものである。生理学なら、この同じ事実を「人間をしてその力のかぎりを為さしめよ、そうすれば、あとは人間の神経組織がやってくれるであろう」というふうに説明するであろう。どちらの説明も同一の事実を認めているのである。

 この事実を私たち自身の用語で述べると、こうなる。すなわち、人格的エネルギーの新しい核心が、まさに開花せんとするばかりになるまで潜在意識的に潜伏していた場合には、「手出しをするな」ということこそ、私たちにとって唯一の言葉である。その核心はだれの助けもかりずにほころび出なければならない!
 私たちは漠然とした抽象的な心理学の言葉を用いた。しかし、どんな用語を用いるにせよ、いま述べられたような危機は、私たちの意識的な自己を、どんな力であろうと現実の私たちよりもいっそう理想的であって私たちの贖罪しょくざいを助成してくれるような力にゆだねることである、してみれば、宗教的生活が霊的なものであって、外面的な事業や儀式や典礼のかかわることではないとするかぎり、なぜ自己放棄が宗教的生活の重大な転機と見なされたか、そしてつねにそう見なされなければならないかも、わかってもらえることと思う。私たちは、キリスト教の全発展は、内面的に見ると、この自己放棄の危機が次第次第に強調されてきた過程にほかならないと言うことができる。カトリシズムからルター派へ、それからカルヴィン派へ、さらにそれからウェスリイ派へ、そしてウェスリイ派から、伝統的なキリスト教のまったく外にある純然たる「自由主義」あるいは(精神療法的な型であろうとなかろうと、中世の神秘主義や静寂主義や敬虔主義やクェーカー派なども含めて)、超絶論的観念論へ、私たちは、絶望の状態にありながら教義体系も贖罪機関も本質的に必要としない個人によって経験される、直接の霊的救助という観念に向かって進む発展の諸階段を辿ることができる。
 このようにして心理学と宗教とはこの点までは完全に調和している。両方とも、意識的個人の外にあるように見えながら個人の生命に贖罪をもたらす力の存在していることを認めているからである。それにもかかわらず、心理学は、そのような力を「潜在意識的」なものと定義し、そのような力の働きを「潜伏」あるいは「脳作用」によるものであると説き、したがって、そのような力は個人の人格を超越したものではないと主張する。そしてこの点で、心理学は、そのような力が神性の直接の超自然的なはたらきである、と主張するキリスト教神学と違っている。私たちはこの相違をまだ究極的なものとは考えることなく、この問題をしばらく未決定のままに残しておくことにしたいと思う──研究を続けてゆくにつれて、私たちは、一見不一致と見えるものをいくつか除去することができるであろう。
 そこで、いましばらく、自己放棄の心理学にかえって考察してみよう。
 もし諸君が、自分の罪と欠乏と不完全の意識に閉じこめられてこの意識の危うい瀬戸際に生きており、したがって慰めようのない人間を見つけて、その男に向かって、君は万事がうまくいっているのだ、くよくよするのをやめたまえ、不平不満と絶縁したまえ、そして不安を乗てるべきだ、と言ったとすれば、その男にとって諸君はまったくばかげたことを言い出す男だと思われることであろう。彼が実際に意識している唯一のことは、万事がうまくいっていないということなのである。だから、諸君が彼にすすめるより善い道などは、まるで諸君が冷酷無情な虚偽を認めよとすすめているとしか彼の耳には響かないのである。「信ずる意志」をそこまで伸ばすことはできない。私たちに信仰のきざしがあれば、私たちはその信仰をいっそう強めることはできる。しかし私たちの理性がその反対を積極的に保証する場合には、まったく根も葉もないところに新しく信仰を創り出すことはできない。私たちにすすめられたより善い心なるものは、その場合には、私たちのもっている唯一の心をまったく否定するという形をとってくる。そして、私たちはそのようなまったくの否定というものを積極的に意志することはできないのである。
 怒りや悩みや恐れや絶望や、そのほかの願わしくないいろいろの感情を免れることのできる方法は、二つしかない。一つは、それらと正反対の感情が私たちをおそって圧倒してしまう方法であり、もう一つは、私たちがその戦いに疲れ切ってしまって、戦うことをやめなければならなくなり、──力つきて私たちが倒れ、戦いを放棄し、もはや頓着しなくなってしまう方法である。私たちの感情的な脳中枢が働くことをやめ、私たちは一時的な無感動に陥ってしまうのである。ところが、こうした一時的な虚脱の状態が、回心の危機に一役ひとやく買っていることがけっして珍しくはないという文献的な証拠資料がある。病める魂の利己的な心配が戸口の番をしている間は、信ずる魂の開放的な安心感は入ることを許されない。しかし、たとい一瞬間にせよ、利己的な心配を無力にしてしまうがいい、そうすれば、安心感のほうはその機を利用して勢いを得ることができる、そして一度、占拠してしまえば、それをいつまでも持ちつづけることができるのである。カーライルのトイフェルスドレックは「無関心という中心」を通過して、永遠の否定から永遠の肯定に移ってゆくのである。
 私は回心の過程におけるこの特色を示す一つの優れた実例をお目にかけよう。あの真の聖者デヴィド・ブレイナードは彼自身の危機を次のような言葉で叙述している。──

「ある朝、私がいつものようにある寂しい場所を歩いていたとき、急に私は、私自身の解放と救いとを成就ないし獲得しようとする私の工夫も計画も、ことごとく、まったくむなしかったことを悟った。私ははたと行き詰まってしまった、私はまったくだめになってしまったような気がした。私は私自身の救助と解放のためになにをすることも、私には永久に不可能であることを知った。私は、永遠に対して自分にできるだけの訴願はしつくしてしまったことを、そしてその私のすべての訴願がむなしかったことを知った。なぜなら、私を祈らせたものは利己心であって、神の栄光のために祈ったことなど私には一度もなかったことを、私は悟ったからであった。私は、私の祈りと神の慈悲の賜物との間になんの必然的なつながりもないことを、私の祈りは神に対して私に恩恵を与える義務をいささかも負わせるものではなかったことを、私の祈りのなかには、水のなかに手を入れてぽちゃぽちゃ掻きまわすほどの徳も善もないことを、悟った。断食したり祈騰したりなどして、私の信心を神の前に積み重ね、それで自分は神の栄光を目指しているのだとうぬぼれたり、ときにはほんとうにそう考えたりしていたことを私は知った。けれども、私は一度だって真に神の栄光を目指したことなどはなく、ただ自分自身の幸福を目指していたにすぎなかったのである。私は神のためになにも為したことはないのであるから、私の偽善と欺瞞とのゆえに、滅び以外のなにものをも神から要求できないことを、私は知った。自己の利益以外のなにものをもかえりみない私であったことが明らかになったとき、私が試みてきたもろもろの礼拝の勤めは卑しい欺瞞であり嘘の連続であるように思われた。すべてが自己礼拝以外のなにものでもなく、恐るべき神の冒演にほかならなかったからである。
「私の記憶では、このような精神状態が金曜日の朝から明くる安息日(一七三九年七月十二日)の夕方まで続いた。その夕方、私はまたもや同じ寂しい場所を歩いていた。ここで、ものさびしい憂鬱の状態において、私は祈ろうと試みたしかし祈る気になれずまたそのほかのどんな勤めをする気にもなれなかった私のこれまでの関心事も修業も宗教的な感情も──もう失われてしまっていた私は神の御霊がまったく私を見すててしまったのだと考えたしかしまだ悲嘆にくれはしかったけれども天にも地にも私を幸福にし得るものはなんにもないかのようにやるせない気がしたこのようにして──実に愚かしいばかげたことであったと私は思うが──祈ろうと努めながら、およそ半時間に及んだ、──それから、木の繁った森のなかを歩いていたとき、いいしれぬ栄光が私の魂に対して開かれるように思われた。それは外の明るさなどではない、なにか発光体の空想などでもなく、私が今までに一度もあったこともなければ、少しでもそれに似たものをさえもったこともないような、神についてのある新しい内的な理解ないし見方であった。三位一体のどの位格についても、父についても子についても聖霊についても、私は特別の理解をもってはいなかった。しかし、それは神の栄光であると思われた。そのような神を見、そのような栄光の神的存在を見て、私の魂は言いがたい喜びに満たされた。そして、それが永遠に万物の上にいます神なのであろうと思って、私の心は楽しみ満足した。私の魂は神の尊さに酔い恍惚としてしまって、私はまったく神のなかに呑み込まれてしまった。少なくとも私自身の救いのことなどなにも考えず、私自身という生物がそこにいることさえほとんど反省しなかったほどであった。こうした内心の喜びと平安と驚きとの状態が、中断するのを少しも感じることなく、ほとんど暗くなるまで続いた。それから私は私の見たものが何であるかを考え、調べ始めた。そしてその晩中、心がこころよく落ち着いているのを私は感じた。私は自分が新しい世界にいるように感じた。そして私の周りのすべてのものが今までとは違った様相をおびて映った。このとき、無限の知恵と価値と尊さとをもつ救いの道が私に開かれたのであった、そのために私は、これ以外の救いの道などをどうして考えることができたのかと怪しんだ。そして、どうして私自身のさまざまな工夫をやめてしまわなかったのか、どうしてこのすばらしい祝福された優れた道を今まで歩まなかったのか、とふしぎに思った。もしも私が、私自身こころみたさまざまな勤めや、そのほか私がこれまでに工夫してきた方法によって救われることができたのであったら、私の全霊がいまこの救いの道を拒んだことであろう。全世界の人々が、ただキリストの義のみによるこの救いの道をどうして見ないのか、どうして歩もうとしないのか、私はふしぎに思った。」

 これまで習慣的になっていた不安な感情が疲れ果てるさまを記録している個所に、私は傍点を付しておいた。報告を見ると、かなり多くのものが、おそらく大部分のものが、低い感情の疲労と高い感情の出現とが同時であるかのように語っている(*1)が、しかしまた、高い感情が低い感情を積極的に追い出すかのように語っているものもしばしば見いだされる。多くの場合、これが確かに真実なのであって、それについては私たちはやがて見ることになるであろう。しかし、しばしば、結果を生むために両方の条件──一方の感情の潜在意識的な成熟と他方の感情の疲労と──が同時的に協力したに相違ないことは、ほとんど疑いないことのように思われる。
(*1) この現象全体を均衡の変化として叙述する場合、私たちはこう言うこともできよう。すなわち、新しい心のエネルギーが人格の中心に向かって運動すること、および古い心のエネルギーが周辺に向かって後退すること(あるいは、ある対象が意識の闘の上に昇ること、および、他の対象が意識の闘の下に沈むこと)は、一つの不可分な現象の二つの叙述方法でしかない、と。確かに、これはしばしばまったく真理であって、スターパックが次のように言っているのは正しい。「自己放棄」と「新しい決意」とは、一見いかにも別々の体験であるかのように見えるが、「実は同一物なのである。自己放棄のほうはこの変化を古い自己の見地から見ているのであり、決意のほうは同じ変化を新しい自己の見地から見ているのである。」Op. cit., p. 160.

第十講 回心──結び

 今回で、私は回心の問題の講義を終わりにしなければならないが、まず、聖パウロにもっともすぐれた例が見られるあのいちじるしい瞬間的な回心の例を考えてみよう。このような場合には、しばしば、意識の恐ろしい感情的な興奮ないし混乱のただなかに、古い生活と新しい生活とが解く間に完全に分離されてしまうのである。この型の回心は、プロテスタント神学において演じた役割のゆえに、宗教的経験の一つの重要な様相となっている。だから私たちはこの型の回心を良心的に研究しなければならない。
 一般的な説明にはいる前に、このような場合の例を二つか三つ、引用するほうがよかろうと私は思う。まず具体的な例を知らなくてはならないのである。なぜなら、アガシ教授がいつも言ったように、前もって知っている特殊例が一般化を許す程度にしか、私たちは一般論をおこなうことができないからである。それで私は、私たちの友人ヘンリ・アリーンの場合に戻って、彼の隣れな分裂した心が永久に統一されるにいたった日、すなわち一七七五年三月二十六日の彼の報告を引用することにしよう。

「夕日の沈むころ、野原をさまよいながら、自分のみじめな堕落し破滅した状態を嘆き悲しみ、ほとんど私の心の重荷にたえかねて倒れるばかりであったとき、私は、かつてこの私ほどみじめであった人はあるまい、と思った。私は家に帰った、そして戸口まで来てまさに敷居をまたごうとしたとき、力づよい、しかし小さく静かな声が、私の心に次のようにささやくような気がした。お前は求めた、祈った、改めた、働いた、読んだ、聴いた、黙想した。しかしそれによってお前はどれだけお前の救いの目的をとげたか? 最初の頃よりも一歩でも回心に近づいているか? 前よりも少しでも天国を受け容れる用意がよくできているか? あるいはお前が最初に求め始めたころよりも、神の公明正大な審判の前に出頭するにいっそうふさわしくなっているか?
「この声に対して、私は、最初よりも一歩も回心に近づいていると思わないどころか、前と少しも変わらず断罪されており、ほろびの危険にさらされており、みじめである、と言わざるをえないことを悟った。私は心のなかで叫んだ。おお、主なる神よ、私は失われた人間です。主よ、もしもあなたがどこか私のまったく知らない新しい道を見つけて下さらないなら、私はけっして救われないでしょう。なぜなら、私が自分のために定めた道も方法もことごとく失敗に終わったからです。そして私はそんなものは失敗してもよいと思っております。おお主よ、お憐れみ下さい! おお主よ、お憐れみ下さい!
「私が家のなかに入って腰を下ろすまで、このような思いはつづいた。すっかり混乱して、今はもうあきらめて沈むにまかせようとしている溺れかかった人間のような気持で、ほとんど断末魔のような苦悶のうちに、腰を下ろしてから、私はまったく突然に椅子に坐ってくるっと向きを変えた、すると、一つの椅子の上に古い聖書の一部が置かれてあるのが見えたので、大急ぎで私はそれを手にとった。そして、なんの考えもなしにそれを開いて『詩篇』第三十八篇の上に目を投げた。このときはじめて私は神の言葉を知ったのであった。それは私の魂全体に浸透するように思われたほど、私の心をとらえた。まるで神が私の心のなかで、私といっしょに、私のために、祈り給いつつあるかのように思われるほどであった。ちょうどこのとき私の父が、祈りに加わるように家族のものを呼び集めた。私も祈鷹に出席したが、父の祈りの言葉には耳を傾けず、『詩篇』の言葉で祈りつづけた。私は叫んだ。おお、私をお助けください! 私をお助けください! もろもろの魂のあがない主よ! 私をお救いください!でなければ、私は永久に滅びてしまったも同然です。あなたは、もし御意みこころならば、今宵にもあなたの血の一滴をもって私のもろもろの罪をあがなうことがおできになります、そして怒れる神の怒りをなだめることがおできになります、と。この身を御旨みむねのままにとすべてを神に委ねたその瞬間、そして御旨のままに神が私を支配し給うことを喜んで願ったその瞬間、贖いの愛が、私の魂全体が愛によって融けてしまうかと思われたほどの力をもって、聖句を繰り返し繰り返し唱えている私の魂のなかに流れ込んだのであった。罪と断罪の重荷は去り、闇は消え去り、私の心は謙虚になり、感謝の念で満たされた。そして、数分前まで死の重荷の下に呻き、知られざる神に救助を叫び求めていた私の魂全体が、いまや不滅の愛で満たされ、信仰の翼にのって高く舞い上がり、死と闇の鉄鎖から解かれ、そして、わが主よ、わが神よ! あなたはわたしの岩、わたしの要塞とりで、わたしの盾、わたしの櫓、わたしの生命、わたしの喜び、わたしの現在の運命であり、わたしの永遠の運命であり給います、と叫んでいるのであった。空を見上げながら、違って見えはしたけれども、私はあの同じ光を見たと思った〔彼はこれまでに一度ならず、ある明るい光の閃きを主観的には見ていたのである〕。そして私がその光を見るやいなや、約束どおり神の計画が私にもらされた。そして私は「もう十分です! 十分です! おお、めぐみの神よ!』と叫ばざるをえなかった。回心の働き、変化、そしてそのさまざまな顕現は、もはや、私の見ているあの光と同じように、あるいは、私がかつて見たどんなものにも劣らないほどに、確実なものである。
「私が喜びにみちている真最中に、私の魂が解放されてから三十分も経たないうちに、主は私に伝道の仕事を示され、福音を説く使命を賜うた。私は、アーメン、主よ、私はまいります、私をお遣わし下さい、私をお遣わし下さい、と叫んだ。私はほとんど一晩中、恍惚たる喜悦のなかで過ごした。そして自由で無限な恩恵に対して『日の老いたる者』を讃美し崇敬した。長い間こういう有頂天の喜びのうちに天国にいるような気分でいたために、私は自然に眠くなったので、しばらく目を閉じようと考えた。すると悪魔が入ってきて、もしも私が眠ってしまえば私はすべてを失ってしまうであろう、そして翌朝目がさめたときには、そんなものは空想や妄想以外のなにものでもないことに気がつくであろう、と、私に告げた。すぐに私は叫んだ、おお、主なる神よ、もしも私がだまされているのでしたら、迷いを解いて下さい、「それから私は数分間、目を閉じた。そして眠りによって爽やかな気分を取り戻したような気がした。そして目がさめたとき、私が最初にたずねたことは、私の神はどこにいるのか? ということであった。するとたちまち、私の魂は神のうちに、神とともに、目ざめているような気がした、そして永遠の愛の腕によって取り囲まれているような気がした。朝日の昇るころ、私は喜びにあふれつつ起き出で、神が私の魂に対して何をなし給うたかを両親に語り、神の限りない恩恵の奇蹟を両親に告げた。私は前の晩に神によって私の魂に刻み込まれた聖句を両親に示そうとして聖書を手に取った。しかし私が聖書を開けたとき、聖書が私にとってまったく新しいもののように見えた。
「私は福音を説いてキリストのお役に立ちたいと熱望したので、もうじっとしてはいられないように思われ、出かけて行って、罪を贖う愛の奇蹟を語らなければならないような気がした。私は肉の快楽と肉の仲間に対する愛好をまったく失ってしまった。そしてそれらを棄て去る力を与えられた。」

 年若いアリーン氏は、即座に、そして聖書のほかには本というものをまったく読まずに、そして自分自身の経験以外のものに教えられることなく、キリスト教の伝道者になった。そしてそれ以後の彼の生涯は、その厳格さと誠実さによって、もっとも敬虔な聖者たちの生活と肩をならべるにふさわしいものであった。しかし、そのたゆまぬ努力の生活によって幸福であったので、彼はおよそもっとも無邪気な肉の快楽に対してさえももはや再び嗜好を覚えることはなかった。私たちは彼を、バニヤンやトルストイと同じように、鉄のような憂鬱がその魂の上に永久の痕跡を残した人々の一人に数えなければならない。彼はこの単なる自然世界とは別の宇宙へ救い入れられたのであった。そして、人生は彼にとってどこまでも悲しい、辛抱づよく耐え忍ばねばならぬ試練であった。数年後、彼がその日記に次のように記しているのを私たちは読むことができる。「十二日、水曜日、私はある結婚式で説教した、そしてそれによって肉の楽しみを排除する手段たるのをいった」と。
 ついに挙げようと思う例は、リューパ教授の通信者の場合で、『アメリカ心理学雑誌』 Americansorial of Psychology の第六巻所賊の、すでに引用した教授の論文のなかに印刷されている。その通信書いオクスフォード大学の出身で、聖職者の子である。その物語は多くの点において、だれでも知っていることと思うが、ガーディナー大佐の模範的な場合に似ている。ついに少し抄録しよう。──

「オクスフォードを卒業してから私の回心までの間、私は八年間も父といっしょに生活をしていたのに、父の教会の敷居を一度もまたいだことがなかった。必要な金銭は新聞や雑誌の執筆で手に入れて、その金銭を、いっしょに飲もうという相手がいたら誰とでもいっしょに大酒盛りをやって消費してしまった。こうして私はときには一週間もぶっつづけて酔って暮らすことがあったが、そのあとで恐ろしい後悔におそわれ、まる一ヵ月間も一滴の酒も飲めうとは思わなかった。
「この期間中、すなわち三十三歳になるまで、私は一度も宗教的な理由で改心しようという願いなどいだかなかった。しかし私の心のすべての苦しみは、私が大酒盛りをやったあとでいつも感じた恐ろしい悔恨のせいであった。その悔恨は、私が──すぐれた才能をもち教育のある人間なのに──そういうふうに自分の生活を浪費する愚かさを悔いるという形をとったのである。この恐るべき悔恨は一夜のうちに私を白髪しらがまじりにしてしまった。そして悔恨に襲われるたびごとに、翌朝は、目に見えて白髪しらががましていた。こうして私がしのんだ苦しみは、言葉にあらわしがたい。それは地獄の業火に責めさいなまれる恐ろしい拷問であった。『この時』に打ち勝てたら改心しよう、と私はいくたび誓った。悲しいことに! 三日くらいたつと、私はすっかり元に戻り、以前と同じように幸福であった。こうして何年か過ぎたが、さいのような岩乗がんじょうな体格なので、いつも私は元どおりになった。そして独りで飲んでいる間は、私はどんな人間よりも生を楽しむことができた。
「私は七月のある暑い日(一八八六年七月十三日)の午後三時きっかりに、私の父の牧師館の私の寝室で回心した。私はおよそ一ヶ月近くも酒を絶っていて、完全に健康であった。私は自分の魂のことなど少しも思いわずらってはいなかった。事実、あの日、私の思いのなかには神はなかった。ある若い夫人がドラモンド教授の『精神界における自然法則』を一部送ってよこし、その本をただ文学作品としてどう見るか私の意見が聞きたいと言ってきた。私は自分の批評の才を誇りにしていたし、この新しい友人の私に対する評価を高めようと思ったので、その本を徹底的に研究して、それから、その本についての自分の考えを彼女に書き送ろうと考えて、落ち着いて読むために私は寝室に持ち込んだ。ここで、神が私に面と向かって出会い給うたのであった。この出会いを私はけっして忘れないであろう。「御子みこをもつ者は永遠の生命いのちをもち、御子をもたぬ者は生命いのちをもたず。」私はこの聖句を今までに何度も何度も読んでいたが、こんどはまるで違っていた。私はいまや神の御前にいた。そして私の注意は絶対的にこの聖句に「結びつけられ」てしまった。そして私は、この聖句がほんとうに意味しているところを十分に熟考してしまうまで、あの本を読みつづけることができなかった。この聖句の意味を熟考してから初めて、私は読みつづけることができたが、読んでいる間も、私の目に見えはしなかったけれども、私の寝室に別の存在だれかがいるのを私は感じつづけていた。静けさは驚くばかりであった。そして私は幸福のきわみにあるのを感じた。私には一瞬のうちに、私がいままで一度も永遠者に触れたことがなかったことが、きわめて明白に知られた。そしてもし私がそのときに死んだら、私は滅びずにはすまないということが、私には疑いの余地もなく明らかであった。私は滅びていた。それを私は、いま私が救われていることを知っているのと同じように、知っていた。神の御霊が、言いがたく聖なる愛によって、それを私に示し給うたのである。そこには恐怖はなかった。私は神の愛が私の上に力づよく臨むのを感じた。そのために、私は自分の愚かさによって滅びてしまっているという大きい悲しみだけが、私にからみ着いていた。私はどうすればよかったか? 私は何をなすことができたか? 私は悔いることさえしなかった。神はけっして私に悔い改めを求め給わなかった。私が感じたのはただ『自分は滅んでいる』ということ、そして神はたとえ私を愛していてもその私を助けることはできない、ということであった。全能者の側にはなんの過誤もない。そうこうする間も、私はこの上なく幸福であった。私は、自分の父親の前にいる子供のように感じた。私は間違ったことをやっていたが、私の父なる神は私を叱らないで、驚くばかり深く私を愛し給うた。依然、私の運命は定まったままであった。私は明らかに失われていた。そして生まれつき勇敢なたちであったので、私はそれにひるまなかった。しかし、過去に対する深い悲しみは、私の失ってしまったものに対する悔恨と混じて、私をとらえた。そして私の魂は、一切がもうおしまいだと考えて、心のなかで震えおののいた。そのとき、一条の活路が、いかにももの静かに、いかにも親しげに、まぎれようもなく明白に、私の心に忍びこんできた。結局、それは何であったか? あの古い古い話がまたしても繰り返して、きわめて単純に物語られたのであった。『汝らの頼りて救わるべき名は、主イエス・キリストのほかあめしたになし。』私に対して一語も話されなかった。私の魂は霊において私の救い主を見るように思った。そして、その時から今日にいたるまでおよそ九年の間、私は主イエス・キリストと父なる神とが、あの七月の午後、両者それぞれ異なった仕方で、しかし両者とも考えられるかぎりもっとも完全な愛をもって、私に働きかけ給うたことを一度も疑ったことがない。私はそのときそこで、全村の人々が二十四時間とたたないうちに聞き知ったほど、人をびっくりさせるような回心に恵まれたのであった。
「しかし苦悩の時がまだ来なければならなかった。回心した翌日、私は収穫とりいれの手伝いをするために草刈り場へ行った。そして神に対して禁酒も節酒も約束してはいなかったので、私はうんと酒を飲んで酔っ払って家に帰ってきた。私の妹はかわいそうに悲しみ嘆いた。私は恥ずかしくなって、すぐに自分の寝室へ行ったが、妹はひどく泣きながら私のあとからついてきた。あなたは回心したのにもう堕落してしまった、と妹は言った。しかしまったく酔っ払ってはいたけれども(正気を失ってはいなかったので)、私は私のなかで始められた神のみわざがけっして空しくならないことを知っていた。お昼ごろ、私はひざまずいて、この二十年来はじめて神の前でお祈りをした。私は赦しを願いはしなかった。そうするのは良くないと感じた。またも堕落するのは確かなように思えたからであった。さて、私はどうしたか? 私という一個の人間が破壊され、神はすべてを私から取り給うであろう、と固く固く信じて、私は神に身をゆだねた。そして私は喜んでそうしたのであった。このような服従のなかにこそ、きよい生活の秘訣がある。この時から飲酒は私にとって恐怖の種ではなくなった。私はあう二度と酒に手を触れなかった、二度ともう飲みたいと思わなかった。私の喫煙に関しても同じことが起こった。すなわち、私は十二歳のときから常習の喫煙家であったが、それが急に喫煙の欲望がなくなり、二度ともう喫煙しなくなった。その他どのような普通の罪も同じようで、どの場合にも、解放は永続的であり完全であった。回心以来、私は誘惑を感じたことがなかった。神が悪魔サタンを私の人生行路から閉め出してしまったように思われた。悪魔は他の方面ではまだ自由にふるまうことができたが、肉の罪に関してはもうできなかった。私自身の生活におけるすべての所有権を神にゆだねてしまって以来、神は私をあらゆる仕方で導き給うた。そして、真に神に身をゆだねた生活のもつ祝福を知らない人々にはほとんど信じられないような仕方で、私の道を拓いて下さったのであった。」

 オクスフォードの卒業生についてはこれだけにしておくが、諸君の見られたとおり、彼の場合、回心の結実の一つとして、古い欲望が完全に廃棄されたのであった。

〔…〕

 ところが、プロテスタンティズムのもっと普通の諸派は、瞬間的な回心を重要視しない。これらの諸派にとっては、カトリック教会の場合と同じように、自己絶望と自己放棄との激しい危機につづいて救いが経験されるということがなくとも、キリストの血と典礼と個々人の普通の宗教上の義務行為とだけで実際には救いを得るに十分であると考えられている。それに反して、メソジスト派にとっては、この種の危機がない場合には、救いは提供されているだけで、効果的に受け容れられてはいないのであり、その意味ではキリストの犠牲は不完全なのである。メソジスト派が、この場合、たとえ健全な心に従ってはいないにしても、しかし、全体としては、深い霊的本能に従っていることは、確かである。メソジスト派が典型的で倣う価値のあるものとして掲げている個々のモデルは、劇的で面白いばかりでなく、心理学的に見ても、いっそう完全なものである。
 大英国およびアメリカにおける十分に発展した信仰復興リバイバル運動においては、このような考え方が、いわば法典化され形式化された手続きとなっている。一度生まれの型の聖者たちが存在しているという疑いえない事実にもかかわらず、そして聖化の過程には、激変を伴なわない漸次的な成長がありうるという確かな事実にもかかわらず、そしてまた、救済の計画のなかへは明らかに純自然的な善が多分に漏れ入っている(と言ってもよかろう)にもかかわらず、信仰復興リバイバル運動はいつも、自分自身の宗教的経験の型だけしか完全ではありえないと考えている。諸君はまず自然的な絶望と苦悶の十字架に釘づけにされなければならない、そうしてそれから一瞬のうちに奇蹟的に救われるのだ、というのである。
 このような経験を自分でした人々が、その経験は自然的な過程であるよりはむしろ一つの奇蹟であるという感じをいだくのは当然である。しばしば声が聞こえたり、光が見えたり、幻を見た見り、自動的な運動現象が起こったりする。そして、個人的な意志が放棄されたあとでは、つねに、ある高い力が外から流れ込んできてそれにとり憑かれてしまったような感じがする。その上、刷新され、安心を得、潔められ、義を得たという感じが、自分の本性が根本的に新しく生まれかわったと信じさせるに足るほどふしぎな歓びを与えるのである。

「回心とは、」とニュー・イングランドの清教徒ジョセフ・アレインは記している、「霊を清めるつぎはぎ細工ではない。真の回心者にあっては、聖潔きよめは彼のすべての能力、原則、実践のなかに織り込まれている。真面目なキリスト者は土台から屋根石にいたるまでまったく新しい建物である。彼は新しい人間、新しい被造物なのである。」
 またジョナサン・エドワーズも同じような調子でこう言っている。「神の御霊のはたらきによって生み出されるこのような恵みあふれる影響は、まったく超自然的なものである──再生しない人間の経験するいかなることともまったく異なっている。そのような影響は、自然的な資質や原則を改良したり組み変えたりなどして造り出せるものではない。なぜなら、それらは、自然的なもの、また自然的な人間が経験する一切のものと、程度や事情において異なっているばかりではなく、種類においても異なっており、はるかにすぐれた性質のものだからである。それだから、神の恵みにみちた感動のなかには、〔また〕その性質においても、種類においても、〔同一の〕聖者がきよめられる以前に経験したものとはまったく違った、新しい観念と感情とが存在していることになる。……聖者たちが神の愛についてもっている観念や、彼らが神の愛において経験する種類の歓びは、まったく独特のものであって、自然的な人間の所有しうるもの、あるいは自然的な人間がいだきうるいかなる特殊な観念ともまったく異なるものである。」

 そしてこのような輝かしい変化には必然的に絶望が先だたねばならないことは、エドワーズによって、別の個所に示されている。

「神が私たちを罪の状態から救い、」と彼は言っている、「そして永遠の悩みを免れがたい状態から救い出して下さる前に、神は私たちをそこから救い出そうとされるその悪についてはっきりした意識を私たちに与え給うて、私たちに救済の意味を知らせ、感ぜしめ、そして神が私たちのためになそうとおぼしめすことの価値を私たちに認識できるようにさせ給うということは、確かに理由のないことではありえない。救われたものは二つの極端に異なった状態──まず罪に定められているという状態、次いで義とせられ祝福された状態──を相ついで経験するのであるから、そしてまた神は人間を救い給うにあたって人間を理性的で聡明な被造物として扱い給うのであるから、救われた者が、あの二つの異なった状態において、自分たちの存在を感ずるようにされるということも、この知恵に一致するように思われる。まず第一に、彼らは自分たちが永劫の罰に定められた状態にあることを感得し、そのあとで、自分たちが救われて幸福な状態にあることを感得すべきなのである。」

 以上の引用だけで、この変化の教義的な解釈の表現としては、私たちの目的には十分であろう。興奮した集会に列席している男女の心のなかにそういう変化を生ずるにあたって、暗示や模倣がどのような役割を演じていようとも、そのような変化は、個々の無数の実例において、とにかくある根源的な、借りものでない経験であった。私たちが、いかなる宗教的な関心をももたずに、純粋に自然史的な観点からして、心の歴史を書いたとしても、それでも私たちは、人間が突然にしかも完全に回心しがちな傾向をもっていることを、人間のもっとも奇妙な特性の一つとして書き留めざるをえないであろう。

〔…〕

 自動現象オートマティズムのもっとも単純な例は、いわゆる催眠術後の暗示現象である。諸君が、ある催眠術をかけられた(適当にかかりやすい)人に、催眠から目がさめたあとで、なにかある指定された行為──この行為は普通のものでも、異常なものでも、どちらでもかまわない──をするように命令を与えるとする。すると、合図を与えるか、あるいは、その行為をなすべき時として諸君が告げておいたその時刻が来ると、きっかりその時間に、その人はその行為をおこなうのである。しかし、それをしながら、彼は諸君の与えた暗示のことなど記憶してはいないのであって、もしその行為が奇妙な種類のものであるならば、彼はつねに自分のふるまいに関して即興的な口実をでっち上げる。催眠からさめてから一定の時間を置いたあとででも、幻を見るとか声を聞くとかいう暗示をその人に与えることさえできるのである。そして、その時刻が来ると、幻が見えたり声が聞こえたりするが、その人自身は、それが暗示から生じていることに少しも気づかないのである。ビネ、ジャネ、ブロイアー、フロイト、メーソン、プリンス、その他の人々が、ヒステリー患者たちの識閾下の意識についておこなった驚嘆すべき研究において、潜在的な生命の全組織が私たちに明らかにされた。それは、痛ましい種類の記憶という形で寄生虫的な生活をいとなんでおり、第一次的な意識の場の外部に埋もれていて、それが突然、幻覚や苦痛や痙攣や、感情および運動の麻痺や、肉体的あるいは精神的ヒステリーの全症状を伴なって、意識の場のなかへ侵入してくるのである。これら潜在意識的な記憶が暗示によって変化するか消え去るかすると、患者はたちまち快くなる。マイヤーズ氏の用語を使って言えば、その患者の症状は自動現象であったのである。これらの臨床的な記録は、初めて読む人には、まるでお噺話のように聞こえるが、それが正確であることを疑うことはできない。そして、これら最初の観察者たちによってひとたび道が開拓されて以来、類似の観察がほかの場所でもなされるにいたった。これらの記録は、私が言ったように、私たちの自然的な素質の上にまったく新しい光を投げかけているのである。
 そこから、私には、必然的にさらに一歩を前進させることができるように思われる。既知のものから類推して未知のものを解釈するに当たって、これから先、私たちが自動現象的な現象に出会うごとに、それが運動衝動であろうと、強迫観念であろうと、わけの分らない気まぐれであろうと、妄想であろうと、幻覚であろうと、私たちはなによりもまず、それらの自動現象が、意識の場の外部の心の識闘下の領域で作り出された観念が普通の意識の場のなかへ突入したものではないかどうかを探るべきである、と私は思う。それゆえに、私たちはその現象の根源を人間の潜在意識的な生活のなかに求めなくてはならない。催眠術の場合は、私たち自身が私たちの暗示によって原因を創り出すのである、だから、私たちは原因を直接に知っている。ヒステリー症の場合には、原因をなす失われた記憶は、いくつかの巧妙な方法によって(この方法の説明については、諸君は専門の書物を参考にしなければならない)、患者の識閾下から引き出されなければならない。そのほかの病理的な場合、例えば、病的妄想あるいは精神病的な強迫観念などの場合においては、原因はまだ分っていないが、類推してみてその原因はこの場合も識悶下の領域にあるはずであり、この領域は私たちの方法の進歩によって、今後、開発されるものと考えられるのである。そこには論理的に推定できる機構がある──しかしこの推定は、形大な研究作業によって検証されねばならないものであって、この検証に当たっては、人間のさまざまな宗教的経験がその役目を果たさねばならないのである。

〔…〕

 こうして私は、瞬間的な回心という私たち自身の特殊問題にもどってくる。諸君はアリーンや、ブラドリーや、ブレイナードや、それから午後三時に回心したオクスフォード大学の卒業生の場合を記憶しておられるであろう。同じようなことは実にしばしば起こることであって、その場合、光の幻視を伴なうものと伴なわないものとがあるが、いつでも、突如として幸福感を覚え、なにか高くにあるものの支配によって働きかけられているという感じを伴なっている。そういう出来事が、個人の将来の霊的生活に対してどういう価値をもっているかという問題をまったく除外して、そういう出来事の心理学的な面だけをとって見るならば、そこに見られる多くの特徴が回心以外のものに見いだされる事柄を私たちに思い出させ、そのために、私たちはそういう出来事を他の自動現象と同じ部類に入れたくなり、そして突然の回心と漸次的な回心との間の差異をなすものは、必ずしも、一方の場合には神的奇蹟が現前し、他方の場合にはそういう奇蹟の現前することが比較的に少ないという点にあるのではなくて、むしろ、単純な心理学的特性、すなわち次のような事実にある、と考えたくなる。すなわち、瞬間的に恩寵を受けやすい人というのは、ある広い領域を所有していて、その領域で心的な働きが識閾下に行なわれることができ、その領域から、第一次的意識の均衡状態を突然くつがえしてしまうような侵略的な経験が生じてくるような人に属している、という事実である。
 メソジスト教徒たちがこのような見方になぜ異論を唱えるのか、私にはわからない。どうかふりかえって、私が第一講で諸君を導いてゆこうと努めた結論の一つを想い出していただきたい。第一講で、ある事物の価値はその起源によって決定できるという観念に対して、私がどう反論したかを、諸君は記憶しておられるであろう。私は言っておいた、私たちの精神的判断、つまり、人間的な出来事あるいは状態の意義および価値に関する私たちの意見というものは、もっぱら、経験的な根拠に基づいて決定されなければならない。回心の状態の生活に対する果実が善いものであれば、たといその回心が一片の自然的心理であろうとも、私たちはそれを理想化し尊重すべきである。また、もしそれが善き果実を結ばぬものならば、よしそれが超自然的な存在によって与えられたものであろうとも、そんなものは躊躇なく片付けてしまうべきである。

〔…〕

 人間が一つの深淵によって二つの部類に客観的に分たれている、ということをあくまでも否定するにしても、だからといって、回心という事実が回心する個人自身に対してもっているきわめて重大な意義に私たちが盲目であってはならない。個人個人の生命に与えられている可能性の限界には、高い低いの差がある。押し寄せてくる波浪が人の頭を超えるくらいというだけなら、その波が事実上どれだけ高いかということは、たいして重大な問題にはならない。しかし、私たちが私たち自身の上のほうの限界に達して、私たち自身のエネルギーの最高の中心に生きるとき、私たちは、自分は救われている、と言うことができるのであって、だれか他の人間の中心が私たちの中心よりどれほど高かろうと、そんなことは問題ではない。つまらぬ人間が救われるということはつねに大きな救いであり、その人間にとってはあらゆる事実のなかで最大の事実であろう。だから私たちは、私たちの普通の福音伝道の仕事が、がっかりさせるような果実しか結ばぬように思われるときには、このことに想いをいたすべきであろう。そういう人が受け取ったような乏しい恩恵でも、もしそれがまったく彼らに与えられなかったとしたら、そのような霊の上で虫けらやみみずのような人間の生活、そういうクランプやスティギンスらの生活は、どれだけ低劣なものとなったかしれはしない(*1)。
(*1) エマソンはこう書いている。「その行動が堂々として立派で、品位があって、薔薇ばらの花のように心地よい人を見るとき、私たちはそのようなものが存在しうることを、そして現に存在していることを、神に感謝せずにはいられない。そして気むずかしい顔をして天使に向かって、クランプの方がもっと善良な人間だ、彼は生まれつき自分のなかにいるすべての悪鬼どもに対して不平をならして抵抗しているからである、などと言ってはならない。」なるほどその通りである。しかし、クランプは彼の内部の不和と第二の出生とのゆえに、ほんとうに前者よりもより良いクランプになるかもしれないのである。そしていわゆる一度生まれの「堂々として立派な」人物は、事実あわれなクランプよりもつねにすぐれた人間ではあるが、もしその彼に彼自身に特有の魔性──それが品位があり心地よいものであり常に変わりなく紳士的であろうとも──を悔恨するだけの、クランプに似た度量がありさえしたらなりえたはずの人間には、とうていなれないかもしれないのである。

〔…〕

 さて今度は目を転じて、回心の経験の時を直接に満たしている感情を見てみよう。まず第一に注目さるべきことは、はかならぬこの高い力の支配という感じである。それは必ずしもつねに現前するとは限らないが、非常にしばしば現前しているのである。そのような例を私たちはすでにアリーンや、ブラドリーや、ブレイナードや、その他の場合において見た。そのような高い支配的な力が必要であることは、フランスのプロテスタントのアドルフ・モノが、彼自身の回心の危機に言及している短い報告のなかに、よく表現されている。それは、彼が大人になったばかりの一八二七年の夏、ナポリでのことであった。

「私の悲しみは、」と彼は言う、「限りがなかった。それは私を完全に占領してしまって、私のごく些細な外的行為から私のもっとも内密の思想にいたるまで、私の生活を満たした。そして私の感情と私の判断と私の幸福をその源泉から腐敗させたのであった。そのとき私は、このような乱調をそれ自身が病んでいる私の理性と私の意志とによって食い止めようと期待するのは、まるで盲人が自分の一方の目を同じように盲の他方の目で直そうと望むようなものだということを知った。そこで私はなにか外部からの影響による以外にはもう救われる見込みをもたなかった。私は聖霊の約束を想い出した。そして福音書のはっきりした言明でさえけっして私を納得させることができなかったことを、私はとうとう必要に迫られて学び知った。そして私は生まれてはじめて、私の魂の要求に応ずるような唯一の意味において、この約束を信じた。すなわち、ある真の、外にある超自然的な働きが、思想を私に与えることも、私から奪うこともできるし、真に私の心の主であるとともに他の自然界の主でもある神によって、私の上に及ぼされるという約束を私は信じた。そこで自分の取り得や力を頼むことをすっかり断念し、私自身で遣り繰り算段することを一切あきらめ、そして私自身がまったく惨めであるということ以外、なに一つ神の慈悲にあずかる資格のないことを認めながら、私は家に帰ってひざまずき、私の生涯においてかつてなかったほど熱心に祈った。この日から、私にとってある新しい内的生命が始まった。すなわち、私の憂欝が消え去ったというわけではなかったが、憂欝はそのとげを失っていた。希望が私の心のなかへ入ってきた。そしてひとたびその道に踏み入ってからは、それ以来、私が身をまかせたイエス・キリストの神が、残りの部分を徐々に果たして下さったのであった。」

 プロテスタント神学がこういうもろもろの経験にあらわれている精神構造といかにみごとに一致しているかということに、もう一度あらためて諸君の注意を喚起する必要はない。極度の憂欝においては、意識的に存在する自己は絶対になに一つなすことができない。そのような自己は完全に破産していて、救助の手だてをもたず、何をやっても、役に立たないのである。このような主観的状態から救われるということは、自由なる賜物であるほかはない。そしてキリストの成就された犠牲による恩寵は、そのような賜物なのである。

「神は、」とルターは言う、「謙虚なものの神であり、悲惨なものの神であり、圧迫されたものの神であり、絶望したものの神であり、無に等しくされたものの神である。そして、神の本性は、盲人に視力を与えることであり、心のいためるものを慰めることであり、罪人を義とすることであり、まったく絶望し罪に定められているものを救うことである。ところが、人間自身を表なるものと見る有害で危険な意見は、自分を罪人と思わず、汚れた、悲惨な、罪ぶかいものとも思わず、かえってただしく聖なるものであると考えるもので、神が神ご自身の本来の自然な仕事をおこなわれることを許さない。それゆえに、神はこの槌(つまり律法)を手に取って、この獣とそのむなしい自信とを打ちくだいて無きものにしてしまい、こうして、ついに自分自身のみじめさによって、自分がまったく見捨てられ永劫の罰に定められていることを獣に悟らせずにはいられないのである。しかしここには次のような困難がある、つまり、人間というものは、驚愕させられ打ちのめされてしまうと、自分の力でふたたび起き上がって、『もう、わたしはいやというほどたれ、苦しめられた。さあ、こんどは恩寵の時だ。さあ、キリストに聴くべき時だ』と言うだけの力がほとんど無くなってしまうということである。人間の心の愚かさというものはあまりにも大きいので、そうなると人間は自分の良心を満足させるために、もっともっといろいろな律法を求めるようになる。人間は言う、『あしわたしが生きていられるなら、わたしはわたしの生活を改善しようと思う。わたしはこうしようと思う、ああしようと思う」と。しかしこの場合には、お前はそれと正反対のことをするのでなければ、つまり、モーセとその律法とを追い払って、このような恐怖と不安のうちに、お前の罪のゆえに死に給うたキリストにすがりつくのでなければ、救いを期待してはならない。お前の僧服、お前の剃った頭、お前の純潔、お前の従順、お前の清貧、お前の仕事、お前の功績、そんなものがいったい何になるというのか? モーセの律法がなんの役に立つというのか? 隣れむべき、永劫の罰を受けるべき罪人であるわたしが、仕事や功績によって神の子を愛することができて、それによって神の子の許に行けるのであったら、神の子がわたしのために身を捨てる必要などどうしてあったであろうか? 隣れむべき、永劫の罰を受けている罪人であるわたしが、何か他の代償によって救われることができるのであったら、どうして神の子が引き渡される必要があったのであろう? ところが、他に引き渡すべき代償がなかったから、それだからこそ、神の子は、羊でも牛でも金でも銀でもなくて、ほかならぬ神ご自身を、まったくただ『わたしのために、』ほかならぬ、このみじめで哀れな罪人である『わたしのために、』献げ給うたのである。それだから、わたしはその神の愛の御業みわざわたし自身にあてはめ、そこに慰安を見いだすのである。そして、わたしがこのように神の愛を自分に当てはめることこそ、信仰のほんとうの力であり権威なのである。なぜなら、かれは美しいものを義とするために死に給うたのではなくてただからざるものをただしとし、かれらを神の子らとするためにこそ、死に給うたのだからである。」

 これを言いかえれば、諸君が文字どおりに失われた人間であればあるほど、ますます文字どおりに諸君はキリストの犠牲によってすでに救われている人間なのである。ルターの個人的経験から出たこの福音ほど直截に、病める魂に語りかけた福音は、カトリック神学のなかにはまったくない、と私は考える。プロテスタントの全部が病める魂であるわけではないから、もちろん、ルターが好んで自分の功績という汚物とか、自己自身をただしとするという不潔な水溜まりとか呼んでいるものへの信頼が、ふたたび彼らの宗教の前面に出てきている。しかし、ルターのキリスト教観がわれわれ人間の精神構造の深部に適応するものであるということは、その見方がまだ新しくて活にはたらいていたころ、鬼火のように伝播したという事実がこれを示している。
 キリストは真にその御業みわざをなし給うたのであるという信仰は、ルターが信仰と呼んだものの一部分であった。その意味では、ルターのいう信仰とは、知的に考えられたある事実に対する信仰である。しかしこれはルターの信仰の一部分にしかすぎないのであって、他の部分のほうがはるかに重要である。この他の部分というのは、知的なものではなくて、直接的で直観的なもの、すなわち、このあるがままの私、この個人としての私が、弁解など一言もしなくとも、いま、そして永遠に、救われている、という確信である(*1)。
(*1) 回心のうちには、この両方の要素がはっきりあらわれているものがある。例えば、次のものはその一例である。──
 「福音的な論文を読んでいたときに、私は突然、『キリストのなし遂げ給うた業』という表現に心を打たれた。私は、自分自身にこう尋ねた。『著者はなぜこのような言葉を使うのだろう? なぜ著者は「贖罪のわざ」とは言わないのだろう?』と。そのとき『それは成就している』という文句が私の心に浮かんだ。『成就したというのは何なのか?』と私は尋ねた、そして即座に私の心は答えて言った。『罪に対する完全な償い、全的な償いがなされたのだ。負債は身代わりによって支払われたのだ。キリストはわれらの罪のゆえに死に給うた。ただわれらの罪のためだけではない、すべての人の罪のゆえに死に給うたのである。そこで、もしその御業みわざ全体がなし遂げられているのなら、そしてすべての負債が支払われているのなら、私に残されているなすべきことは何であろうか?』と。次の瞬間に、私の心に聖霊によって光が注がれた。そして、私になすべく残されているのは、ひざまずいてこの救い主とその愛とを受け容れ、神を永遠とわに賛美することだけである、との嬉しい確信が私に与えられたのである。」『ハドソン・テイラーの自叙伝』Autobiography of Hudson Taylor, 原本を入手することができないので、私はシャランのフランス語訳(Challand, Geneva, no date)から再び英語に訳しなおした。

 キリストの御業みわざに関する観念的な信仰は、しばしば効験を示し、かつ先行するものではあるが、実際にはそのような信仰は付帯的で非本質的なものでしかなく、「嬉しい確信」はこのような観念とははるかに異なった径路を通しても得られる、このようにリューバ教授が主張しているのは、確かに正しい。この嬉しい確信そのもの、自分には万事が申し分ないという確信を、教授はほんとうの par excellence 信仰と呼びならわしていたのである。

「人間を狭い自我という限界内に閉じこめる疎隔の感じが、」と彼は書いている、「破壊されると、個人は自分が「全被造物と一体』であることを感じる。彼は宇宙的生命のなかで生きる。彼と人間、彼と自然、彼と神とは、一つである。精神の統一を達成したあとに生まれる自信、信頼、万物との合一、というあの状態こそ、信仰状態である。この信仰状態が出現すると、さまざまな教義上の信条がたちまち確実性を獲得し、新しい現実となり、信仰の対象となる。この場合の確信の根拠は、合理的なものではないから、論証するなどは筋違いなことである。しかし、このような自信は信仰状態の単なる偶発的な分枝にすぎないのであるから、この信仰状態の実際上の主要価値は、それがある種の特殊な神学的諸概念に実在性という刻印を押すだけの力をもっているところにある、と考えるのは、とんでもない間違いである(*1)。むしろその反対に、その信仰状態の価値は、もっぱら、成長するというのは、相争うもろもろの願望を一つの方向に導いてゆくことだとする生物学の見方に相応する精神上の一つの成長過程である、という事実にあるばかりである。この成長が、新しい感情状態や新しい生活活動となって現われるのであり、それまでよりもいっそう広い、いっそう高尚な、いっそうキリスト者らしいさまざまな活動となって現われるのである。したがって、宗教的な教義に対する固い確信の根拠は、一種の感情的な経験なのである。信仰の対象となるものは、途方もなくばかばかしいものであることさえあるかもしれない。感情の流れはそのような対象を波にのせて運んでゆき、それに揺らぐことのない確実さをまとわせるであろう。そのような感情的経験がいちじるしいものであればあるほど、それが説明しがたいものであると思われれば思われるほど、それだけ容易にその感情的経験を、実体化されていない観念の担い手たらしめることができるのである。」
(*1) トルストイの場合はこれらの言葉にふさわしい注解であった。彼の回心には、神学はほとんど存在していない。彼の信仰状態は、生命のもつ道徳的意義は無限であるという意識の復帰であった。

 このような感情的経験は、あいまいさを避けるために、信仰状態というよりはむしろ確信の状態と呼ばれるべきだと私は考えるが、そういう感情的経験の特徴を列挙することは容易であろう。もっとも、自分自身で経験したことがなければ、そうした経験の強さを実感することは困難であるかもしれない。
 そのような感情的経験の特徴の中心をなすのは、たとい外的状態は今までと同じであろうとも、すべての苦悩がなくなったということ、結局は自分には万事が申し分なくいっているのだという感じ、平安、調和、生きようとする意志である。神の「恩寵」と「義認」と「救い」との確かさは、普通キリスト者たちの心の変化にともなう客観的な信仰であるが、こういう客観的な信仰はまったく欠けていることもありうるし、しかもそれにもかかわらず、感情的な平安は同じであることができるのである──諸君は、オクスフォード大学の卒業生の場合を想い出されるであろう。そのほかにも、個人的な救いの確信はずっとあとになってはじめて生じたという例は、いくらも挙げることができよう。喜びと黙従と感嘆の情熱がこのような心の状態の白熱的な中心なのである。
 第二の特徴は、いままで知らなかった真理を悟ったという感じである。リューバ教授の言うように、人生の秘義が明白になる。そしてしばしば、いな、普通には、その解決は多かれ少なかれ言葉でいいあらわすことはできない。しかしこれらのむしろ知的な現象は、神秘主義を扱うときまで繰りのべておくことにしよう。
 この確信の状態の第三の特徴は、世界がしばしば客観的な変化を受けるように見えることである。「あらゆるものが新しく見え美化される。」それは、憂欝病患者の経験する、世界がおそろしく非現実的な異様なものに見えてくるという、あの、まったくちがった新しさの正反対であって、これについては、さきに述べた若干の例を、諸君は想い起こされるであろう。このように内面も外面もともに新しく清く美しいものになったという感じは、回心の記録において、きわめて普通に記されていることがらの一つである。ジョナサン・エドワーズは、彼自身の場合を次のように述べている。──

「このあとで、神的な事物に対する私の感じが徐々に増して行って、だんだんと活気を加え、そして内心の甘美さも増してきた。万物がその容相を一変した。ほとんどあらゆるもののなかに、いわば神の栄光の静かな、甘い色合い、あるいは相が見られるようであった。神の崇高さ、神の知恵、神の純潔さと愛が、万物のなかに現われているように思われた。日にも、月にも、星にも、雲のなかにも、青空にも。草にも、花にも、樹にも。水のなかにも、すべての自然のなかにも。それによって私の心はたいへん落ち着きを得るのが常であった。そして、自然のすべての働きのうち、雷鳴と電光ほど私にとって楽しいものはなかった。以前は、雷鳴や電光ほど私にとって恐ろしいものはなかったのである。以前には、私は雷鳴をきけば、異常に恐れ、雷雨が起こるのを見ると、恐怖に打たれるのが常であった。しかし、では反対に、それが私には楽しみなのである。」

 あまり学のない人ではあるが、たいへん優れたイギリスの福音伝道者ビリー・ブレイは、彼の新生の感じをこう記している。──

「私は主にこう言った。『あなたは、求めよ、さらば与えられん、尋ねよ、さらば見いださん、門を叩け、さらば開かれん、と言われました。そして私はそれを信じました』と。すると、たちまち主は、私には自分の感じを表現することができないほど、私を幸福にしてくださった。私は喜びの声をはりあげた。私は全心をこめて神を讃美した。……これは一八二三年十一月のことであったと思うが、その月の何日であったか、私は知らない。私が覚えているのは、人々も、野や原も、家畜も、樹々も、すべてが私には新しいように見えた、ということだけである。私は新しい世界のなかの新しい人間のようであった。私は私の時間の大部分を神を讃美することに費やした。」

〔…〕

 感覚的な自動現象で、それが頻繁にあらわれるがゆえにおそらく特別に注意する価値があると思われる一形式がある。それは幻覚的あるいは似而非えせ幻覚的な光明現象のことで、心理学者の専門語で幻視 photism と呼ばれるものである。聖パウロが天から目をくらますような光明の降るのを見たのは、この種の現象の一つであったように思われる。コンスタンティン大帝が天空に十字架を見たのも同様にこの種の現象である。私が引用した例の最後から二番目のものは、光輝と栄光との洪水を述べている。ヘンリ・アリーンは光のことを述べてはいるが、それが実際に外に存在するものであったかどうかについては、彼にも確かでないように思われる。ガーディナー大佐は燃えるような光を見ている。フィニー大統領は次のように書いている。──

「にわかに、神の栄光が、ほとんど信じられないほどふしぎに、私の上に、そして、私のまわりに輝いた。……まったく言いようもない光が、私の魂のなかに輝いた、その光は、私を地面にひれ伏させるばかりであった。……この光は、八方に光を発する太陽の輝きにも似ていた。光があまりにも強くて、目で見ることができなかった。….私はこのときの自分自身の経験で、ダマスコへの途上でパウロをひれ伏させたあの光がどんなものであったかを、いくらか知ることができたように思う。それは確かに、私にはながくは耐えられない光であった。」

〔…〕

 本講を終える前に、一言ひとこと、このような突然の回心の一時性あるいは恒久性の問題に触れておきだい。諸君のうちには、再び堕落したり逆もどりしたりした例をたくさん知っておられるので、それらの例をこの問題全体を解釈するための類化集合にして、そんな「ヒステリー患者が」と言って胸突さあびせるだけで片づけてしまう人がきっとおられることと私は思う。けれども、心理学的に見ても宗教的に見ても、そういう見方は浅薄である。それは問題の要点を見失っているのであって、要点は性格がこのように高い水準へ高まってゆくその持続期間にあるよりは、むしろその高まりの本性と仕方にあるのである。人間はどの高さからでも堕落する──それを示す統計など私たちは必要としない。たとえば、愛は、よく知られているように、変わらぬものではないが、変わらぬものにせよ変わるものにせよ、愛はそれが続いている間は、飛躍し到達すべき新しい理想を啓示する。このような啓示が男にとっても女にとっても愛の意義をなしているのであって、その愛がどれだけ持続するかは問題でない。回心の経験も同じことである。すなわち、たとえ短時日間の経験であっても、回心の経験は、人間にその精神的能力の高水位がどれだけであるかを示すものであって、これが回心の経験の重要性をなすのである。──この重要な意義は、その経験の長期の持続によって増大されはするが、後戻りして堕落したからといって減少するものではない。事実として、すべてかなり顕著な回心の例は、たとえば私が引用した例は、みな永続的なものであった。癲癇の発作のようなものを強く暗示していて、もっとも疑わしいと思われるのは、ラティスボンヌ氏の場合である。けれども、ラティスボンヌ氏の全将来があの数分間によって形成されてしまったことを、私は知っている。彼は結婚の計画をすて、司祭になり、居住するつもりでエルサレムに行き、そこにユダヤ人を回心させるための修道女伝道団を創立し、彼の回心の特殊事情によって彼に与えられた評判を利己的な目的のために使う傾向を少しも見せなかった。──この回心のことを、後日、彼は涙なくして語ることはまれであった──要するに、彼は私の記憶に誤りなければ、八十歳代のあとまで生きたが、その死にいたるまで、教会の模範的な子として終始したのであった。
 回心の持続期間の問題について私の知っている唯一の統計は、ジョンストン嬢がスターバック教授のために収集した統計である。その統計はわずかに百名の人についてとられたもので、彼らは福音教会の会員で、その半数以上がメソジスト派である。本人たち自身の証言によれば、ほとんどすべての場合に、すなわち、女子の九三パーセント、男子の七七パーセントの場合に、ある種の堕落があったことになる。しかし、この堕落への逆戻りをいっそう綿密に論じているスターパック教授は、回心によって固められた宗教的信仰から堕落したのはわずかに六パーセントにすぎず、堕落への逆戻りを訴えているものも、そのほとんどが、ただ激しい感情の動揺でしかないことを、見いだしている。百例中わずかに六例が、信仰の変化を報告しているにすぎないのである。スターパックの結論はこうである。すなわち、回心の効果は、それによって「生活に対する態度が変わり、たとえ感情は動揺するにしても、その態度は明らかに不変で永続的なものとなる点にある。……言いかえれば、回心を経験して、ひとたび宗教生活に対する一定の立場をとった人は、その宗教的感激がどれほど衰えることがあろうとも、あくまでも宗教生活を自己の生活と感ずる傾向がある。」

第十一・十二・十三講 聖徳

〔…〕

 より高い親愛な力の現前の意識が霊的生活の基本的特徴であるように思われるので、私はまずこれから始めたいと思う。
 私たちは、回心について物語ったとき、回心者にとって世界がいかに輝かしく姿を変えて見えるかを見た。とくに宗教的な信念をもたずとも、私たちは誰でも普遍的な生命が私たちを親しくおおい包むように見える瞬間をもつものである。年若く健康な日に、夏に、森や山のなかにいるとき、天候が平和の囁きにみちみちているように見える日があるし、人生の善と美が、乾いた髪かい風土のように私たちを包んだり、あたかもこの世の安寧を告げる妙なる鐘の音を心の耳で聞いているかのように、私たちの心のなかに鳴り響く瞬間がある。ソローはこう書いている。──

「わたしが森に来てから数週後のある日のこと、わたしは一時間のあいだ、平静で健全な生活には人間が近くに住んでいる必要はないのではあるまいかと疑った。ひとりでいるということは、やや気持の悪いものだ。しかし、静かな雨のただなかで、わたしがこのような思いにひたっていたとき、雨滴あまだれのおちる音をきいているうちに、そして、私の家の周囲の風景を見たり物音をきいたりしているうちに、わたしは突然、自然そのものがそのような楽しく快い社会であることに気がついた。限りない、いいようのない親しみが、突如として、大気のようにわたしを支えるように思われ、いわゆる人間同士のつきあいの有難さなど実につまらぬもののように思われた。そしてその後わたしは人間同士のつきあいの有難さなど一度も考えたことがない。小さな松葉の一つ一つが共感で大きくなり膨れあがって、わたしに友愛の手をさし伸べてくれた。わたしは何かわたしに縁のある者の現前をはっきりと感じ、今後はもはやいずこもわたしに無縁と思えることはあるまいと考えた。」

 キリスト教徒の意識においては、このような一切をおおい包む親しみの感じがきわめて人格的な明確なものとなる。あるドイツの著作家は次のように書いている。「ひとが決して放棄したがらぬあの人格的自主性の感じが失われた代償として、人生における一切の恐怖心が消滅し、なんとも名状しがたい内心の安心感が生じる。これはみずから経験するしかないものであるが、ひとたび経験すれば、けっして忘れることのできないものである。」

 このような心の状態の見事な叙述が、ヴォイジイ氏の説教のうちに見いだされる。

「このように常住坐臥、夜となく昼となく、神がつねに自分とともにいますという意識が絶対的な平安と自信にみちた落ち着きの源泉となっていることは、無数の信者が経験するところである。それは、自分にふりかかってくるかもしれぬ事態に対するあらゆる恐怖心を一掃する。神が近きにいますというこの意識こそ、恐怖と不安に対するたえざる防衛である。それは、彼らがともかくも物理的な意味での安全を保証されているとか、あるいは、彼らが他人には与えられていない愛情で保護されていると考えているとかという意味ではなく、安全であろうと危害をうけようと、一向に動じない心の状態に彼らがあることを意味する。たとえ危害を加えられようとも、彼らは平然としてそれに耐えるであろう。なんとなれば、神が彼らの守護者であり、神の意志なくしては何事も彼らの身に起こりえないからである。もしそれが神の意志であるなら、危害といえども彼らにとっては祝福であり、けっして災禍ではない。かかる意味において、そしてかかる意味においてのみ、信仰者は危害からかばい守られているのである。たとえばわたしは──けっして皮膚の厚い、あるいは神経の強い男ではないのだが──このような摂理に完全に満足していて、それ以外の方法で危険や災厄から免れることを望まない。わたしはもっとも神経質な人々と同じくらい、苦痛に対して非常に感なのだが、それにもかかわらず、わたしは、神がわれわれを愛情をもって夜も眠らずに守ってくれる監視者であり、神の意志なくしては何物もわれわれを傷つけることができない、という考えによって、最悪の苦痛でさえもが征服され、その針が完全に抜きとられたことを感ずるのである。」

〔…〕

 慈愛がどう説明されるにせよ、慈愛は普通、人間と人間とを分けへだてるすべての障壁をとりのぞいてしまうであろう(*1)。
(*1) 慈愛はまた、人間と動物との間の障壁をもとりのぞく。有名なポーランドの愛国者であり神秘家であったトヴィアニスキーについて次のように書かれている。「ある日、彼の友人の一人が雨の中で、彼にとびついて彼を泥まみれにしている大きな犬を愛撫している彼に出会った。どうして犬が衣服を泥まみれにするのを放っておくのかと聞かれて、トヴィアニスキーは答えて言った。『この犬は、ぼくもいま初めて出会ったのだが、ぼくに対して強い同胞感を示したし、またぼくが彼の挨拶を認め受け容れたことに大きな喜びを示したのだ。もしぼくがこの犬を払いのけたら、ぼくは彼の感情を傷つけ、彼に道徳的な侮辱を加えたことになるだろう。それは彼に対する侮辱であるばかりでなく、彼と同じ水準にある別世界のすべての霊に対する侮辱でもあろう。ぼくの衣服が汚れたくらいのことは、ぼくが彼の友情の表現に関心を示さないでしまった場合にぼくが彼に加えることになる不当な仕うちにくらべれば、なんでもありはしない。ぼくらは』と彼は付け加えて言った、『できるかぎり動物たちの条件を良くしてやるベきであり、それと同時に、キリストの犠牲によって可能となったあらゆる霊の世界の結合をぼくたちの内部で容易にするようにすべきなのだ』」。Andre Towianski, Traduction de 'Italien, Turin, 1897(私家版)。私がこの書物とトヴィアニスキーのことを知ったのは、私の友人であり、『プラトンの論理学』の著者であるW・ルトスラフスキー教授のおかげである。

 たとえば、キリスト教徒の無抵抗を示す一例として、リチャード・ウィーヴァーの自叙伝の一節を引用しよう。ウィーヴァーは炭坑夫で、青年時代には半職業的な拳闘家であったが、のちに多くの人々に愛される福音伝道者となった。酒を飲んで喧嘩するのが彼の悪習で、この悪習を、彼は初め自分の肉体の手におえない性向だと感じていたようであった。彼は最初の回心のあとで、逆戻りをした、というのは、ある娘を侮辱した男を彼はぶんなぐったのであった。こうして一度罪を犯した以上、毒をくらわば皿までという気持になって、彼はよっぱらって、また別な男のあごを割ってしまった。この男は少し前に彼に挑戦したが、彼がキリスト教徒だからといって挑戦に応じなかったため、彼を臆病者とののしったからであった。──わたしがこのような事件に触れるのは、彼のその後の行動にいかに完全な心の変化が示されているかを明らかにしたいからである、彼はそれを次のように述べている。

「わたしは坑道をおりて行った、そして少年が泣き叫んでいるのを発見した。仲間の労働者のひとりが暴力で少年から車を奪おうとしていたのである。わたしはその男に向かって言った。──
「『トム、君はその貨車をとってはいけない。』
「彼はわたしをののしり、わたしのことをメソジストの悪魔とよんだ。わたしは彼に向かい、神様はお前がわたしから奪いとってもよいとはおっしゃらなかった、と告げた、彼はもう一度わたしをののしり、車の下敷きにしてやるぞ、と言った。
「『よろしい、』とわたしは答えた、『悪魔とお前の方が神様とわたしより強いかどうか、やってみようじゃないか』と。
「神とわたしの方が悪魔と彼よりも強かった、彼は道をあけねばならなかった。さもないと、車が彼をふみつぶしたかもしれなかったのだ。そこでわたしは車を少年にかえしてやった。するとトムはいった。──
「『お前の顔をぶんなぐってやりたいよ。』
「『よろしい、』とわたしはいった、『もしそれでお前の気がすむなら、わたしの顔をなぐるがいい。』彼はわたしの顔をなぐった。
「わたしはもう一方の頬を彼に向けていった。『もう一度なぐるがいい。』
「彼は何度も繰り返して、ついに五回もなぐった。わたしはさあなぐれと、六回目に頬を彼の前に差し出した、しかし、彼はわたしをののしりながら立ち去って行った。わたしは彼のあとから叫んだ、『神様はお前をお宥しなさるだろう、わたしもお前を宥したのだから。そして神様はお前をお救いなさるだろう。』
「以上は土曜日の出来事であった。わたしが炭坑から帰宅したとき、妻はわたしの顔が膨れ上がっているのを見て、いったいどうしたのですかと訊ねた。わたしは答えた、『喧嘩をして、ある男をうんとうちのめしてやったのさ。』
「彼女はわっと泣き出した、そして言った、『おお、リチャード、どうして喧嘩などしたのです。』そこでわたしは一部始終を話してきかせた。彼女はわたしがなぐり返さなかったことを神に感謝した。
「しかし神が打ちたもうたのであった。そして神の打撃は人間のそれよりもっと効験ききめがある。月曜日になった。悪魔はわたしを誘惑しはじめて、次のようにささやいた。『トムが土曜日にお前をあんな目にあわせたのに、お前はトムのなすがままにまかせたが、他の人々はそのお前を嘲うにちがいない。』わたしは叫んだ、『悪魔よ、消えうせろ』と、──そして、いつものとおり炭坑へ出かけて行った。
「わたしが最初に会ったのはトムであった。わたしは彼に『お早う』と呼びかけたが、彼は返事もしなかった。
「彼はさきに坑道をおりて行った。わたしが下におりたとき、驚いたことに、彼は車道に腰をおろしてわたしを待っていた。わたしが彼のそばに近づいたとき、彼はいきなり泣き出して言った、『リチャード、君をなぐったことを宥してくれるか。』
「「ぼくはもうお前を宥しているよ、」とわたしは答えた。『神様に宥して下さるようお願いするがいい。神様はお前に祝福をお与えになるだろう。』わたしは彼に手を差し出して握手し、われわれ二人はそれぞれ自分の仕事にとりかかった。」

 「なんじの敵を愛せよ!」ここで注意しなければならぬのは、単にたまたま諸君の友でなくなる人々を愛するばかりでなく、諸君の、諸君の積極的な能動的な敵をも愛せよということである。この言葉は単なる東洋的な誇張法、つまり、ちょっと乱暴な言い方で、単に私たちはできるだけ私たちの敵意を緩和すべきだといっているだけなのか、それとも、真心をこめて言われた言葉で、文字どおりの意味にとるべきものか、どちらかである。個人間のある種の親密な関係を除けば、この言葉が文字どおりに受け容れられたことはまれである。しかし、この言葉は私たちに次のような問題を提起させる。個人と個人との差異をまったく忘れさせて人々を固く結びつけ、その結果、敵意ですら些細なこととなって、そこに喚起される友好的な感情を抑制することができなくなるといったような、高度の感情が一般に存在しうるであろうか? もし他人に寄せる積極的な好意がそれほど強烈な興奮にまで達しうるとしたら、そのような興奮に支配された人間は、おそらく超人的な存在のように見えるに相違ない。彼らの人生は、道徳的に見て、他の人々の人生とはまったく違ったものとなるであろう。そういう人生がどんな結果を生み出すかは、信頼できる積極的な経験が欠けているために──というのは、私たちの文書にはこの種の積極的な実例がほとんどないし、また仏教の実例も伝説的なものにすぎないから(*1)──なんとも断定できない。しかし、おそらくそのような人々は世界の姿を変えてしまうことであろう。
(*1) たとえば、野兎に化身した未来の仏陀が、乞食の食物に供するために、みずから火の中にとびこんで自分を料理したという話がある──しかもその場合、彼はあらかじめ身体を三回ゆすぶって、自分の毛皮の中にいる昆虫がいっしょに焼け死なないように用心したという。

 心理学的に見て、また原則的にいって、「なんじの敵を愛せよ」という戒律はけっして自己矛盾ではない。それは、私たちの抑圧者に対する同情的寛容という形で私たちのすでによく知っているあの一種の寛大さを極端化したものにすぎない。しかしながら、もしこの戒律を徹底的に実行したとしたら、それは私たちの行動の本能的な全動機およびこの現在の世界の体制との断絶を招来することになり、事実上、臨界点が突破されて、私たちは別の世界へ生まれおちることになるであろう。そして宗教的感情は、その別の王国が私たちの行きつくことのできる身近いところにあることを、感じさせるのである。
 本能的な嫌悪感の抑制は、敵に対して愛情を示す場合に証明されるばかりでなく、個人としていやらしい人間に対して愛情を示す場合にも証明される。私たちは聖徒の年代記のなかに、このような方向へ人を押しやるもろもろの動機の奇妙な混合を見いだすのである。そこには禁欲主義が一つの役割を演じている、また純真な慈愛もある、またそれとならんで、謙虚な気持、つまり、名声を求めず、普通人として神の前に平伏したいという願望もある。アシジのフランチェスコやイグナティウス・ロヨラがきたない乞食と衣服を交換したとき、これら三つの動機が働いていたことは確かである。また、宗教心に富む人々が癩病やその他の特別に気持の悪い病気の世話にその生涯を捧げる場合にも、これら三つの動機のすべてが働いている。病人の看病は、それが教会の伝統である点を別にしても、宗教心のあつい人々がつよく心を引かれる仕事の一つである。しかし、この種の慈善の年代記のなかには、途方もなく行き過ぎた献身の記録も見いだされるのであって、そうした実例は、慈悲心と同時に喚起された狂熱的な自己犠牲によってしか、説明できない。アシジのフランチェスコは癩者に接吻したし、マルグリット・マリ・アラコック、フランチェスコ・ザヴィエル、神の聖ヨハネ、およびその他の人々はそれぞれ彼らの舌で患者の傷や腫れ物を洗い清めてやったといわれている。また、ハンガリーのエリーザベトやマダム・ド・シャンタルなどのような聖者の生涯は、いわば病院の膿汁のなかを喜んではい廻っているような情景に満ちている。それは読んでも不愉快なもので、私たちは讃嘆すると同時に身震いを感ぜずにはおられないのである。

〔…〕

 この文章には何か痛ましい宿命的なものを感じさせるものがあるが、しかし、このような心の状態が外部からの衝撃に対して力強い防塞ぼうさいとなることは明らかである。パスカルもまた厭世的な気質に生まれついたフランス人の一人である。彼は自己放棄的な忍従の気質をいっそうはっきりと表現している。

「主よ、」と彼はその祈りのなかで書いている、「自愛が私にあたえる、私自身の苦悩に対する悲しみから私を解放して、あなたご自身のそれと同じような悲しみを私にあたえて下さい。私の苦しみをしてあなたの勘気を和らげさせて下さい。私の苦しみが私の回心と救いの機会となるようにして下さい。私はあなたに健康や病気も、生命も死も求めません。しかし私は、あなたの栄光のために、私の救いのために、そして教会とあなたの聖者たち──あなたの恩寵によって私もその一人となりたい──のために、あなたが私の健康と私の病気を、私の生命と私の死を、意のままに取り払っていただきたく思います。私にとって都合のいいことが何であるかは、あなたおひとりがご存じです。あなたは至高の主であります、あなたの意志みこころのままに私を処分して下さい。私にあたえて下さろうと、私からお奪いになろうと構いません。ただ私の意志があなたの意志に一致するようにして下さい。主よ、私は、あなたに従うことは善であり、あなたの意に反することは悪であるというただ一つのことを知っているばかりです。それ以外には、何が善であり、何が悪であるかを私は知りません。私は、健康と病気、富裕と貧困のいずれが私にとっていっそう有利であるかを知らないし、またその他この世のいかなるものが私に有利であるかも知りません。そのような識別は人間や天使の力を超えたことで、あなたの摂理の秘密のなかに隠されているのです。私はあなたの摂理を讃美しますが、それを測ろうなどとはいたしません。」

〔…〕

 緊張、自責、心労が、平静、忍従、平安へ移行するということは、私がこれまでしばしば分析してきた心の均衡のあらゆる転移、人格的エネルギーの中心の変化のなかで、最もふしぎなものである。しかもそのふしぎさは、主として、この移行が積極的な活動によって生ずるのではなく、単に心をくつろがせて重荷を投げ出しただけで生ずる場合が多いという点である。この自己の責任の放棄ということは、道徳的行為とは違った、とくに宗教的行為の基本的な営みであるように思われる。それはあらゆる神学に先行し、またあらゆる哲学と無関係である。精神治療、神智学、ストア主義、普通の神経衛生などは、キリスト教と同じ程度にこの点をとくに強調しているし、それはあらゆる思弁的信条とも密接に結びつく可能性がある。このような傾向の強いキリスト教徒は、いわゆる「精神集中」のなかに生き、将来について思い煩うこともなければ、その日その日の成り行きに気をもむこともない。ジェノヴァの聖カタリナについて次のような話が伝えられている。「彼女は万物を、それが次々と彼女の目に映るままに、瞬間から瞬間へと認めたばかりであった」と。彼女の聖なる魂にとっては、「現在の瞬間が神的な瞬間であった、……現在の瞬間がそれ自体として、またその諸関係において評価されたとき、そして現在の瞬間が課する義務が送行されたとき、現在の瞬間は、あたかも全く存在しなかったもののように過ぎ去ることが許され、そのあとに来る次の瞬間の事実と義務に道を譲るのであった。」ヒンズー教や精神療法や神智学などはすべて、このような目前の瞬間に対する意識の集中を非常に重視しているのである。

〔…〕

 これら初期のクェーカー教徒は実際また清教徒であった。彼らのある者は、信仰と行動との間にほんのわずかな矛盾が見えても、活發な抗議をおこなった。ジョン・ウールマンはその日記のなかで次のように書いている。──

「この旅行の途中、私は染色業のさかんな土地に立ち寄って、しばしば、染料が流れ出してよごれた地面の上を歩いたことがある。それを見て私は、人々はもっと心の清潔さ、容姿の清潔さ、家や衣服の清潔さ、に心がけて欲しいものだという願望にとらわれた。染料というものは一つには眼を娯しますために、また一つには汚れを隠すために発明されたものであるから、私は不潔な場所を急ぎ足で歩きながら、健康に有害な臭いに当てられて弱っていたとき、汚れを隠すために生地を染めるという習慣の適否をもっと根本的に検討し直す必要があるのではないか、と痛感したのである。
「われわれの着物を洗濯してきれいにしておくことはたしかに清潔であるが、着物の汚れを隠そうとすることは真の清潔とは正反対である。われわれの着物の汚れを隠すことに譲歩すると、不愉快な事柄を隠そうとする精神が強められることになる。真の清潔は聖なる人々にふさわしいのであるが、われわれの着物を染色することによって清潔でないものを隠そうとすることは、真の清潔さに反することのように思われる。ある種の染料を用いると、生地がいたんであまり役に立たなくなることさえある。もし染料の価格と染色に要する費用と生地の受ける損傷、これら全部を合計して、その総額が、あらゆるものをきれいに清潔に保つことに使用されたとすれば、真の清潔さがどれだけ普及することであろう。
「このようなことをしばしば考えていると、有害な染料によって染色された帽子や衣服を着用したり、夏に必要以上の衣料をつけたりすることが、私にはだんだんといやになり、こうした習慣は真の知恵にもとづいて生じたものでないと信ずるようになってきた。私の親愛な友人たちから変わり者だと思われはしないかという気づかいが、私をさまたげた。それで、私は依然として、私の判断に反して、そういう衣類を使用しつづけた。それがおよそ九ヵ月ぐらい続いたが、それから、私は自然な毛皮色をした帽子を買おうと思いついた、しかし、わざと奇矯をてらっているように思われはしまいか、と私は心配になった。一七六二年の春の総会の頃、私はこの問題についてひどく心を悩まし、正しい導きを受けたいと強く望んだ。そのとき、心を謙虚にして神の前に立っていたとき、私は神が私に要求し給うたと考えたことに喜んで従おうという気になった。それで、私は家へ帰ってから、自然な毛皮色をした帽子を買った。
「さまざまな集会に出席するたびに、こうして風がわりな帽子をかぶっていることが、私にとって一つの試練となった。とくにその頃は、移り変わる流行の服装を追うことの好きな一部の人々が白い帽子をかぶっていただけに、なおさらであった。それにまた、私がどんな動機からそんな帽子をかぶっているのかを知らない私の友だちのなかには私を邪推する者まで出てきたので、一時は私も牧師の職を遂行するのに困難を感じたほどであった。いく人かの友だちは、私がそんな帽子をかぶるのはわざと奇矯をてらっているような感じを与えるとして心配してくれた、その心配を私に率直に語ってくれた友人に対して、私はいつも、自分がこの帽子をかぶっているのは自分の意志からではないことを、簡単に説明したのであった。」

 言行一致と純潔に対する欲求がこの程度まで高まってくると、その人間は外部世界を、あまりにも憤慨の種になるようなことにみちみちていて住みにくい世界だと感じ、そういう世界から身をひかなければ、矛盾のない生活をいとなみ心を純潔に保つことはできないと考えるようになる。芸術家は神経をいらだたせたり不協和を感じさせるような一切のものを省き落とすことによって作品の調和を達成しようとするが、そこにはたらくのと同じ法則が、霊的生活においても支配しているのである。スティーヴンスンは、省略することは文学の一つの技法である、と言っている。「省略の仕方さえ知ることができたら、私はその他の知識など求めないだろう。」混乱と沈滞とあいまいな余分なものにみちているような人生は、同様な状態にある文学と同じく、いわゆる性格をもつことができない。ここからして、修道院や共感し合った帰依者たちのいろんな団体が門戸をひらいて人々を迎え入れるということも起こるのであって、積極的な行動を本質として成立しているとともに、消極的な省略を特徴としているそのような社会のつねに変わりのない秩序のなかに、ことごとに世俗的生活の矛盾と残忍さによって心の静けさ、清さをかき乱されて苦しんでいた聖なる心の人は、心の平穏と純潔を見いだすのである。

〔…〕

 過去百年間に、私たちの西欧の世界では、一つの奇妙な道徳的変貌がおこなわれた。私たちはもはや、肉体的苦痛に平然と堪えることを要求されているとは考えない。人間というものは肉体的苦痛を自分でも我慢すべきだとか、また他人に大いに加えてもかまわないとかとはもはや考えられておらず、そういう実例の話を耳にするだけで、私たちは精神的にも肉体的にもふるえ上がるようになった。私たちの先祖が、苦痛をもって世界秩序の永遠にかわらぬ一構成要素とみなし、日常生活の当然な一部分としてそれに耐えたことに対して、今日の私たちは驚きの念を禁じえないのである。私たちは、人間がそれほど無感覚でありえたことを、ふしぎに思う。このような歴史的な変化の結果として、かつては禁欲的鍛練が一種の長所と考えられて、あれほど確固とした伝統的な威信を保っていた教会の内部においてさえ、禁欲的訓練は、悪評を蒙らないまでも、大部分すたれてしまっている。いまでは自分自身を鞭うったり「断食」してやせおとろえたりする信者は、それに倣おうという気を起こさせるよりもむしろ疑念と恐怖をよび起こすだけである。この点で時代が変わったことを認める多くのカトリックの著作者たちは、それをやむをえぬこととして認めており、なかには、昔の英雄的な肉体的訓練を復活するなどは行き過ぎなのだから、この問題について無駄な嘆きなどしない方がいい、と付言する者さえいる。
 容易なことや快いことを求めるのは本能的なことであるように思われる。──そしてそれは、事実、明らかに人間の本能でもある以上、困難なことや苦痛にみちたことをそれ自体のために意識的に追求しようという傾向は、まったく異常なものとしか思われないであろう。もちろんある程度までは、骨の折れるものを手に入れようとすることも自然であり、人間の本性にかなったことでさえある。ただ、そうした傾向があまりにも極端な形をとってあらわれることになると、もはや奇矯としか見なされえないのである。

〔…〕

 アルスの教区僧ヴィアネはフランスの田舎牧師であるが、彼の清浄さは模範的であった。彼の伝記には、彼の心がいかに犠牲を必要としていたかについて、次のような記述が見いだされる。

「『この道においては、』と、ヴィアネは言った、『苦しいのは最初の一歩だけである。ひとたび人が苦行になじむと、それなくしてはもはや生きられないような芳香と風味がそこにはある。神に対して自分の自己を捧げる方法は一つしかない。──つまり、自分の自己を完全に捧げ、自分の自己のために何物も残さないことである。少しばかり残してみたところで、それはひとを悩まし苦しめるだけのことである。』そこで彼は、決して花の臭いをかがず、どんなに喉がかわいても水を飲まず、蠅ですらけっして逐わず、不愉快なものを見てもけっして嫌な顔をせず、自分の個人的快適さを妨げるようなものについてもけっして苦情をいわず、けっして腰をかけず、また跪いているときでもけっして肘をつくまいと決心した。このアルスの教区僧はきわめて寒さに敏感であったが、それでも寒さを防ぐ手段を講じようとはけっしてしなかった。ある極寒の冬のこと、彼の代行司祭の一人が彼の告解場の床に補助床を張ることを考案し、床下に熱湯を入れた金属製の箱を置いた。このたくらみは効を奏し、聖者を欺くことができた。『神様は非常におなさけぶかい、』と彼は感動をこめていった、『今年は寒い冬中、足がいつも温かかった。』」

〔…〕

 まず第一に、服従についてである。二十世紀の私たちの世俗生活においては、この徳目はあまり尊重されていない。むしろ逆に、自分自身の行動を決定し、その結果として利益をおさめたり損失をまねいたりするという個人の義務こそ、現代プロテスタントのもっとも根づよい社会的理想の一つであると思われる。このような考え方が根をはっているために、いやしくも自己自身の内的生活をもつ人間がその意志を他の有限な被造物のそれに従属させていいなどとどうして考えることができるのか、それを理解することは、想像もできないほど困難なのである。正直なところ、私自身にもそんなことは理解しがたい神秘のように思える。けれども、それは明らかに多くの人間の心の深くに根ざす欲求から生ずるものである。だから、私たちもそれを理解するために最善を尽くさねばならない。
 まずごく卑近なところで、服従という方便が、確固たる教会組織のなかで称讃さるべき徳とみなされることにならざるをえなかった事情は理解できる。次に、誰の生涯のうちにも、自分自身で決定するよりも、他人の忠告をきいた方が良いような時がいくどもあることは、経験の教えるところである。自分で決定できないということは、神経の疲労を示すもっとも普通の徴候の一つである。友人というものは、私たちの心配事を私たち自身よりもいっそう広い視点から眺めるのが普通であるから、問題の本質を私たち自身よりもよりよく見抜く場合が多い。したがって、医者や仲間や妻に相談してその意見に従うことが、しばしば美徳となるのである。しかしながら、こういう卑近な領域の思慮分別を別にしても、私たちがこれまで研究してきたいくつかの霊的興奮の性質のなかには、服従を理想化するような立派な理由が認められる。たとえば無私の心境になり自己を放棄して高次の力に頼りきるという、一般に見られる宗教的現象から、服従心が生まれることもあろう。このような態度は、救いの力をもっていると感じられるので、それがもたらす効用とは別に、それ自体として理想とされ神聖視されるにいたる。そして、過ちを犯し易い人間であることを十分に承知しておりながらも、その人間に服従することに、私たちは自分の意志を無限の知恵をもった意志に服従させる場合と同じような気持を覚えるのである。このような気持に自暴自棄と自虐心とが加わると、服従は一種の禁欲主義的な犠牲と化し、この犠牲行為が、どういう効用をもつかにはまったく無頓着に、喜んでおこなわれるにいたるのである。

第十四・十五講 聖徳の価値


〔…〕

 宗教的現象の価値を批判的に判断するにあたっては、個人的な人格的活動としての宗教と、制度的、団体的、あるいは種族的な産物としての宗教との区別を強調することが非常に大切である。私が第二講でこの区別を立てたことは、諸君も記憶しておられることであろう。「宗教」という言葉は、普通、多義的に用いられている。歴史を見渡してみると、宗教的天才たちは弟子たちをひきつけ、共鳴者の群をつくり出すのが、普通であることがわかる。そのような団体が強力になって「組織化」されると、それはそれ自身の団体的野心をもつ教会制度となる。そうなると、どうしても政治的な傾向と教義的な戒律を好む気持とが入ってきて、本来は無邪気であったものを堕落させてしまいがちである。その結果、今日私たちは、「宗教」という言葉を耳にすると、なにか「教会」といったようなものを考えずにはいられない。また、ある人々にとっては、この「教会」という言葉はあまりにも偽善や専横や下劣さや頑固な迷信などを連想させるので、十把一からげに、頭っから宗教を「やっつける」ことに彼らは誇りを感ずるほどである。教会に所属している私たちでさえ、自分たち自身の教会だけを別にして、ほかの教会を一般的に弾劾することを辞さないのである。
 しかしこの講義では、教会制度はまったく私たちの問題とはならない。私たちの研究しつつある宗教的経験は、個人の胸のなかで生きのびてゆくそれである。この種の直接的な個人的経験は、その誕生を目撃した人々の目には、いつでも一種の異端的な革新として映った。それは裸のままで、ひとり寂しく、この世にあらわれる。そしてこの世は、少なくともしばらくの間は、その経験をした者を荒野へ追いやるのが常であったし、しばしば文字どおりの荒野へ追いやった。仏陀、イエス、マホメット、聖フランチェスコ、ジョージ・フォックス、その他の多くの人々が追われねばならなかった。この孤独状態のことをジョージ・フォックスがみごとに表現している。だから、私はここで諸君に彼の日記の一ページを読んでお聞かせするに越したことはあるまいと思う。それは彼の青年時代のもので、宗教が彼の内部で真剣に醱酵しはじめた頃のものである。

「私はしばしば断食をし、」とフォックスは言っている、「さびしい場所を、幾日も幾日も出歩き、ときどき私の聖書を手に取り、夜がやってくるまで樹のほら穴のなかや、人里はなれた場所に坐った。そして夜中に、悲しみにうち沈みながらひとりで歩き廻ることもしばしばであった。主が私のなかで働きをあらわしはじめ給うた頃は、私は悲哀かなしみの人であったからである。
「この時期の間、私は宗教の信仰告白のことで、だれとも仲間にはならず、悪友たちをことごとく見捨て、父母やその他すべての親類の者にも別れを告げて、私自身をすっかり主にゆだね、主のみちびき給うままに、地上の異邦人としてあちこちとさまよい歩いた。町に来ると、一室を借りてしばらく滞在することもあったが、一つ所にながらく滞在することはしなかった。というのは、私は気の弱い青年だったので、聖職者や世俗の人との交際を深めて心を傷つけられることのないように、そのどちらをも恐れて、一ヵ所に長く逗留する気になれなかったからである。そういう理由わけで、私は天の知恵を求め、主から知識を授かりながら、できるだけ異邦人として暮らした。そして私は外的なことを放棄し、ただ主のみに頼った。牧師たちを見捨てたように、私はまた分離主義の説教家たちをも、また、最も宗教的経験を重ねたと称されている人たちをも遠ざけた。なぜなら、そういう人々のうちにはだれ一人、いまの私の相談にのれる人のいないことを私は知ったからである。こうして、そういう人々にかける期待も、すべての人間にかける期待も失せてしまって、外部に援助を求めるすべもなく、どうすればよいか全く分らなくなったとき、そのとき、そうだ、正にそのとき、私は、『お前の相談にのれる人が一人ある。つまりイエス・キリストだ』という声を聞いたのであった。この声を聞いたとき、私の心は喜びに躍った。それから主は私に、なぜこの地上には私の相談相手になれるような人が一人もいないのかを分らせて下さった。私はどんな人々とお、牧師たちとも、修道士たちとも、そのほか教会に属さないどんな信仰者たちとも、交際をしなかった。私はすべて肉に属する話を恐れ、そういう話をする人たちを恐れた。そこに私は腐敗堕落しか認めることができなかったからであった。私が淵に沈んで、水中に閉じ込められてしまっていたとき、私はいつか打ち勝てる日が来ようとは信じえなかった。私の心配、私の悲しみ、私の誘惑は実に大きかったので、しばしば私は絶望してしまうのではあるまいかと思った。それほど私は試みられていたのであった。しかしキリストが私の目を開き給うて、キリストも同じ悪魔に試みられ、その悪魔に打ち勝ち、その頭を打ち砕き給うたことを告げたまい、そして、キリストによって、そしてその権威と生命と恩恵と霊とによって、私もまた打ち勝つべきであることを教え給うたとき、私はキリストを信頼した。もし私に王様のような食事や宮殿や侍従たちがあったとしても、そのようなものはすべて無に等しかったであろう。なぜなら、主がその御力をもって与え給うもの以外には、なにものも私に慰めを与えることはできなかったからであった。修道士も牧師も一般の人々も、私には悲惨としか思えなかったあの状態にありながら、すこしも苦にしないで安心していることを、そして彼らは私がいつも追い払いたいと思っていたものを愛していることを、私は知った。しかし主は私の熱望を主御自身の上にひき止め給うた。そして私の配慮はひとり主の上にだけ注がれたのであった。」

 このような真正の直接的な宗教的経験というものは、それをのあたりに見る人々の目には異端として映らずにはいない、そしてその預言者自身は単なる孤独の狂人と見えるにちがいない。彼の説く教義が伝染性をもっていて他の人々に伝播すると、その教義は、れっきとした異端としてレッテルをはられてしまう。それでもなお、伝染する力をもっていて迫害に打ち勝つことができると、その教義そのものが正統派的教説になる。しかし、一つの宗教が正統派的教説になってしまうと、それが内面的であった時代は過ぎ去ったのである。つまり、源泉は涸れ、その信者はもっぱら受け売りをして生活し、こんどは彼らが預言者たちに石を投げる番になる。こうして生まれた新しい教会は、それがどんなに人間の長所よさを助長しようとも、それ以後は、自然発生的な宗教的精神を窒息させようと、そして、かつて汚れを知らなかった時には自分みずからも霊感を汲み出した泉なのに、その泉から湧き出る水をせきとめてしまおうと、あらゆる手だてを試みてくれる頼もしい盟友として、頼りにされうるにいたるのである。もっとも、時には新しい教会が新しく起こってくる霊的な運動を認めてこれを利用し、自分の団体の利己的な計画のために使うような場合もある。こういう政治的な保護政策は、即座におこなわれることもあるし、おくればせにおこなわれることもあるが、かつてローマ教会が多くの聖徒や預言者に対してとった措置が、それを説明するよい実例である。
 明らかに、人間の心は、しばしば言われているように、それぞれお互いにまったく隔絶し孤立したいくつかの部分から組み立てられている。まず宗教的といえるような人でも、その心には宗教のほかに、なお多くのものが含まれていて、それがために、きよさを曇らせるような心のもつれや組み合わせができてくる。普通よく卑劣なことが宗教の責任にされているが、そういう卑劣なおこないのほとんど全部が、けっして本来の宗教の責任に帰せらるべきものではなく、むしろ宗教の邪悪な実際上の相棒パートナー、すなわち団体的支配の精神に帰せらるべきものである。そして偏狭な信仰心は、これまた、宗教の邪悪な知的な相棒、すなわち教義的支配の精神、絶対に完結した理論体系という形でおきてを定めようとする情熱に、帰せらるべきである。一般に教会精神と言われるものは、この二つの支配精神の総和である。だから私は切にお願いしておくが、この教会的精神のあらわす単に種族心理あるいは団体心理にすぎない現象を、私たちの研究の唯一の対象である純粋に内的な生命の現われと、けっして混同しないでいただきたい。ユダヤ人をいじめたり、アルビ派やヴァルド派を迫害したり、クェーカー教徒に石を投じたり、メソジスト教徒を水中に突っこんだり、モルモン教徒を殺したり、アルメニア人を虐殺したりしたことは、それらさまざまな加害者たちの積極的な信仰心を表現しているよりは、むしろはるかに多く、あの原始的な、人間の新規恐怖症ネオフォビアを、私たちみんながその痕跡を分ちあっているあの喧嘩好きを、性質を異にするものを憎み、常軌を逸していて和合しない人々を異邦人として憎むあの生来の憎悪心を、表現しているのである。この場合、敬虔な言行は仮面にすぎず、内部の力は実は種族本能なのである。中国に向かって出征する軍隊に告示したドイツ皇帝の訓示が感激的なキリスト教的語調であったにもかかわらず、皇帝が示唆した行動、そして他のキリスト教国の軍隊がとったドイツの軍隊の上手うわてに出るような行動が、それを実行した人々の内的な宗教生活となんらかの関わりがあったなどとは、私は信じないが、諸君も信じられないであろう。
 たしかに、私たちはこの暴虐の責任も、過去における幾多の暴虐の責任も、敬虔な心に負わすベきではないであろう。せいぜい私たちは、敬虔な心が私たちの自然のままの情熱を抑制するのに役だたなかったことを咎め、そしてときには、そうした情熱に偽善的な口実を供したことを咎めうるくらいのものであろう。しかし偽善やまたいろいろと義務を負わせるのであって、口実には普通なにか拘束が伴なうのである。そして情熱の発作が過ぎ去ると、その反動として、敬虔な心は、非宗教的な自然のままの人間なら示さないような後悔の念を起こすことができるのである。
 してみると、歴史上の多くの脱線が宗教の責任として咎められているのは当たらない、宗教そのものはなんら咎めらるべきではないのである。けれども、私たちは、熱心の度を越すということ、あるいは狂信ということが、宗教の陥りやすい傾向の一つであるという非難から宗教を完全に放免するというわけにもゆかない、だから私はつぎにこの点に関して一言しておきたい。しかしその前に準備として、あとに続く多くの問題と関係のある注意を述べておくことにしよう。

〔…〕

 このような心の状態の直接的結果は、ただ一筋に神の栄誉を願うことである。熱狂的な帰依者は、この点において敏感である以上によりよく自分の忠誠を示すすべを知らない。自分の神がどれほど僅かに侮辱を加えられても、無視されることがあっても、憤慨せずにはいられないし、自分の神に敵するあのには恥をかかしてやらずにはいられないのである。極度に偏狭な心の人々に活動的な意志が伴なっている場合には、もっぱらそのような願いに心を奪われてしまいかねないのである。こうして、いくたびも十字軍遠征が説かれ、大虐殺がおこなわれたのであって、その理由は、自分たちの神が軽んじられたものと想像して、その侮辱を一掃するというにほかならなかったのである。神々は自分たちの栄光を心にとめておられると考える神学と、帝国主義的な政策をとる教会とは、協力して、こういう気分をあおり立てて熱狂にまで駆り立てたので、その結果、ある人々には、不寛容と迫害とが聖なる心と不可分的に結びついた悪習であると思われるにいたった。不寛容と迫害は、確かに、聖なる心がえて陥りやすい罪悪である。聖なる気分は一種の道徳的気分であるが、道徳的気分はときとして残酷になりかねない。それは党派的気分であり、党派的気分というものは残酷なものである。ダビデのごとき人は、自分の敵とエホバの敵との間に、なんら差異を認めなかった。シエナのカタリナなどは、その時代の恥辱であったキリスト信者間の闘争を停止したいと願ったが、信者たちを合同させる方法として、十字軍を起こしてトルコ人を大虐殺するより以上にすぐれた方法を考えることができなかった。ルターは、再洗礼派の指導者たちが残虐きわまる拷問で死刑にされるのを見ながら、一言の抗議もしなければ遺憾の意を表明しもしなかった。そしてクロムウェルのごときは、主が彼の敵どもを「処刑」できるように彼の手に渡し給うたことに対して、主を讃美した。これらすべての場合、政治が介入しているのであるが、信仰心はこの政治の協力をけっして不自然なものとは思わないのである。それゆえ、「自由思想家」たちが私たちに、宗教と狂信とは双生児であると言っても、この非難を私たちは無造作に否定するわけにはゆかない。

〔…〕

 献身に次ぐ聖徳で、しばしば過度に陥る傾向の見られるものは、純潔である。私たちがいま考察してきたような神がかり的な性格の人々においては、神の愛に、ほかのどんな愛が混入することも許されない。父母、兄弟姉妹、友人、それらがみな邪魔物と感ぜられる。なぜなら、感情の繊細さと狭量さとはしばしば相伴なってあらわれるものであるが、その場合、なによりも第一に、自分の住むべき世界が単純なものであることを要求するからである。雑多と混乱とは、そういう感情の順応力には複雑に過ぎるのである。しかし、世のいわゆる攻勢的な信者が、客観的に、つまり、混乱と分裂とを力ずくで鎮圧して、自己の統一を達成するのに対して、いわゆる隠退的な信者の方は、主観的に、つまり、この世の混乱はそのままに放っておいて、自分自身だけの住む小さな世界を作って混乱を残らず排除してしまい、そこに自己の統一を達成する。このようにして、監獄と武力迫害と宗教裁判とをもつ戦闘的教会とならんで、隠遁所と修道院と宗派組織とをもつ、遁走的教会とでも呼べるような教会があって、両方の教会とも同一の目的を──生活を統一化し、魂に映る光景を単純化することを、追求しているのである。内心の不調和に対して極端に敏感な人は、霊的な事柄に意識を集中するのに邪魔になるとして、外的関係を次から次へと絶ってゆくであろう。まず娯楽が放棄され、それから因襲的な「社交」が、それから実務が、それから家庭の義務が放棄され、その結果、かろうじて、独居に堪えることができるにいたり、一日の幾時間かを定まった宗教的儀式のために割くという隠遁生活に達しうるのである。聖徒たちの生涯というものは、内面生活の純潔を保つために外的生活との接触の形式を一つまた一つと絶ってゆく歴史であり、この世の生活の複雑さから一歩また一歩と脱却してゆく歴史なのである。ある若い修道女が修院長にこう尋ねた。「休憩の時間にも全然話をしない方がよろしくはないでしょうか。そうすれば、話すことによって、自分でも気のつかない罪に陥る危険を冒さないですみますから」と。生活というものが、結局、あくまでも社会的なものである以上、その生活に参加する人々は同一の規則に従わざるをえない。こういう単調な生活に取りかこまれると、純潔を熱望する人は、もう一度あらためて清潔になり自由になったように感ずるのである。修道院であろうとなかろうと、ある種の宗派団体において遵守されている些細にわたる画一性というものは、この世の人にはほとんど理解できないほどのものである。着衣も用語も時間も慣習も、どうにもできないように型にはまっている、疑いもなく、ある人々はこのような安定した生活のうちに比猫のない精神の休息を見いだすようにできているのである。

〔…〕

 私の知る限り、聖徒的な衝動に対してもっとも敵意ある批評を加えた者は、ニーチェである。彼はこの聖徒的衝動を、軍人のもつ肉食獣的な性格において具体化されている現世的情熱と対比し、無条件的に後者に優位を与えている。いわゆる生まれながらの聖徒なる者が、しばしば世俗の人間の胸をむかつかせるようなものを何か帯びていることは、認めざるをえない。だから、この対照はもう少し立ち入って考察さるべきであろう。
 聖徒的な人間に対する嫌悪は、指導統率を歓迎し、部族の首長を祭り上げるという、生物学的に有用な本能の消極的な成果の一つであるように思われる。酋長という者は、よし事実は暴君ではなくとも、有力者であり、専横な、圧制的な略奪者である。私たちは私たちが力の劣っていることを認め、彼の前に平伏する。私たちは彼の一督におじけ、同時に、それほど危険な首長をもっていることを誇りとする。このような本能的な、そして服従的な英雄崇拝は、原始的な部族生活においては、欠くことができないものであったに相違ない。はてしなく戦争のおこなわれていた原始時代においては、部族が生き延びるために指導者が絶対に必要であったのである。もし指導者をもたない部族があったら、彼らの運命を物語るべき子孫を遺さなかったかもしれない。指導者たちはつねにやましくない良心をあっていた。彼らの良心は意志と合体していたからである。そして彼らの顔を観察した者は、彼らの果たした外的な事業のエネルギーに畏怖の念を催さざるをえないのと同様に、彼らが内心の拘束というものを少しももっていないのを知って、驚嘆の念を覚えずにはいられなかったのである。
 肉食鳥のような嘴や爪をもったこのような現世の支配者たちと比べると、聖徒たちは草食動物であり、飼い馴らされた、害のない、農家の内庭で遊んでいる家禽である。聖徒たちのなかには、諸君が顎髯あごひげを引っ張っても罰を加えることをしないような人がいる。そのような人は恐怖に包まれた驚嘆のわななきを呼び起こしはしない。彼の良心はとがめと感謝で一杯なのである。彼はその内面の自由によっても、また外的な力によっても、私たちを驚かせはしない。もし彼が私たちの心のなかに普通の感嘆とはまったく違った感嘆の念を呼びさましそれに訴えるのでないなら、私たちは軽蔑の目を投じながら彼のかたわらを素通りしてよいであろう。
 事実、そのような聖徒は普通とは違ったある力に訴える。風と太陽と旅人との寓話が、人間性のなかでも演じられるのである。男と女との性別がその相違を具体的にあらわしている。女性は、男性のふるまいが狂暴であればあるほど、それだけ熱烈に男性を愛するし、世間はその支配者が専制的で気むずかしければそれだけますますその支配者を神聖視する。ところが女性のほうは、そのしとやかな美しさの秘訣によって男性を征服するし、聖徒はつねに何かそれに似たものによって世を魅了してきたのである。人類は相反する方向において感動させられ暗示を受けるものであって、相反する方向の影響力の抗争は休息することがない。聖徒的な理想と現世的な理想とは、文学のなかでも実生活のなかでも、反目し合っているのである。
 ニーチェにとっては、聖徒は卑屈と奴隷根性の代表者でしかない。彼にとっては、聖徒はいじけた病人であり、堕落者の見本であり、十分な生活力をもたない人間である。こんな人間が支配力をもつことは、人類を破滅の危険に陥れるものだ、とニーチェはいうのである。

「病人は健康人にとって最大の危険である。強者の破滅は、より強い者からくるのではなく、より弱い者からくる。われわれは同胞に対する恐怖心の減少するのを見たいと願うべきではない。なぜなら、恐怖心は強い人々を奮起させて、自分自身のほうがかえって恐るべきものとなるにいたらしめるからである。そしてまた、苦心して作りあげた出来のいい型の人間性をいつまでも持ちつづけるからである。われわれがほかのいかなる運命よりも恐るべきものは、人間に対する恐怖心ではなくて、むしろ大きな嫌悪である。人間に対する恐怖心ではなくて、むしろ大きな同情である──われわれの同胞に対する嫌悪と同情なのである。……われわれの最大の危険は、病的な人間なのだ──『悪い』人間どもではない、略奪者どもではない。あの、生まれつきの出来そこない、打ちのめされた者、敗残者、──この最も弱い者、彼らこそ民族の生活力を浸蝕し、生活に対するわれわれの信頼を毒し、人間性を疑わせる者なのだ。どう見ても彼らの目付は嘆息だ。──『何か別のものになりたいものだ! おれは病んでいる、そしておれであることに飽きてしまった』と告げているのだ。この自己侮蔑という沼地にこそ、あらゆる毒草が生い茂るのだ。しかも、どれもこれも実にちっぽけで、実に陰険で、実に不正直で、そして甘い腐臭を放っている。そこには恨みとねたみの蛆虫どもがうようよしている。そこでは陰謀で、認容すべからざることどもで、空気が悪臭を放っている。そこにはおよそもっとも卑劣な陰謀の網が、成功した者、勝ち誇っている者どもに対する病める者の陰謀の網が、はてしなく張りめぐらされている。そこでは勝利者の容姿そのものさえが憎まれるのだ──まるで健康や成功や強さや誇りや権力感が、それら自体、悪徳ででもあって、それらのためにいつか厳しい罪の償いをしなければならないかのように。おお、なんとこういう連中の、罪の償いを他人ひとに科したがることか! なんと彼らは絞首刑執行人になりたがっていることか!しかもそれでいながら、彼らは不誠実にも、彼らの憎しみを憎しみとして認めようとはしないのである。」

 あわれなニーチェの反感はそれ自体がいかにも病的である、しかし、私たちはみな彼の言わんとするところを知っている。彼は二つの理想の間の衝突をみごとに表現しているのである。食肉獣的な心の「強者」、男らしい食人種のような人間は、聖徒の優しさと厳しい自制を、堕落であり病的であるとしか認めることができず、ただ嫌悪の念で聖徒を眺めるばかりである。反目はすべて本質的には二つの枢軸のまわりを廻っているのである。すなわち、私たちが順応すべき世界は、見える世界なのか、それとも見えない世界なのか? そして、この見える世界に順応するにあたって私たちがとるべき手段は、攻撃的でなければならないか、それとも無抵抗でなければならないか? ということなのである。 この問題はきわめて重大である。ある意味では、そしてある程度まで、両方の世界が認容されねばならないし、考慮されなければならない。また見える世界においては、攻撃と無抵抗の両方が必要なのである。問題はただどちらを強調するかである。多いか少ないかだけの違いである。聖徒の型のほうがより理想的なのか、それとも強者の型のほうがより理想的であるのか?
 人間の性格の理想型は本質的にただ一つしかありえない、としばしば主張されてきたし、今日でも、大多数の人々はそう考えていると私は思う。一定の種類の人間が、絶対的な意味で、つまり、そのはたらきの有用さとか経済的な考慮とかを離れて、最善の人間でなければならないと思われている。聖徒型と騎士型あるいは紳士型とは、ともに、かかる絶対的理想性を自分に要求して、つねに争ってきた。そして、騎士修道団の理想においては、この両型はある意味で融合していたのである。けれども、経験哲学によれば、すべての理想は相対的なものである。例えば、荷馬車を引くとか、競馬で競走するとか、子供を乗せるとか、商人の荷物を背負って歩くとか、こういうことがすべて馬の機能はたらきとして欠くことのできない特性であるとされている限り、「理想的な馬」の定義を求めることは馬鹿げたことであろう。諸君は、それらすべての目的に役だつ万能の動物とも呼べるような、どっちつかずのものを採り上げてみられるがいい。しかし、そのような動物は、ある一つの特殊な方向にとくに発達している型の馬のいずれにも劣っているであろう。聖徳を論ずるにあたって、それが人間の理想型であるかどうかを尋ねる場合、この点を私たちは忘れてはならないのである。私たちはその理想型を社会的な諸関係に照らして吟味しなくてはならない。

第十六・十七講 神秘主義

〔…〕

 次に、私たちがしなければならないことは、二、三の典型的な例を識ることである。専門的な神秘家はその発展の高潮に達したときに、しばしば、苦心して自己の経験を組織だて、その経験に基づく哲学をうち樹てた。しかし、諸君は私が最初の講義で言ったことを記憶しておられるであろうが、もろもろの現象は、それを同類の現象のなかに置き、その萌芽とその熟し過ぎて衰えてゆくところとを研究し、その病的なまでに極端化したものと退化したものとを比較してみると、もっともよく理解されるものである。神秘的経験の範囲はきわめて広く、私に与えられた時間内に述べつくすにはあまりにも広すぎる。けれども、同類のものを並べて研究するという方法は、解釈上はなはだ重要なものであって、もし私たちが結論に達しようとほんとうに願うのであれば、どうしてもこの方法を使わざるをえない。それだから私は、特別に宗教的意義を要求しない現象から始めて、極端に宗教的であると見られる現象で終わるようにしようと思う。
 神秘的経験のもっとも単純な階梯は、ある格言とか文章とかのもっている深い意味が、何かのはずみにいっそう深い意味を帯びて突然にパッとひらめく、という場合であるのが普通である。「そのことを私は年がら年中、耳にしてきたのに」と私たちは叫んで言う、「今の今までその十分な意味を実感したことがなかった」と。「仲間の一修道士が、」とルターは言った、「ある日のこと、使徒信条のなかの『われは罪の赦しを信ず』という言葉を復誦しているのを聞いたとき、私は聖書がまったく新しい光に照らされるのを見た、そしてたちまち私は自分が新しく生まれたように感じた。まるで楽園の戸がひろびろと開かれるのを見たようであった。」このようにふだんよりもいっそう深い意義が感じられるのは、筋道だった文章に限らない。たった一語でも、語句でも、海や陸の光の作用でも、芳香でも、楽の音でも、心の調子が正しく合っていさえすれば、すべてそれを感じさせるのである。私たちはたいてい、若いときに読んだ詩のなかのある句の異常な迫力を記憶しているであろう。そのような詩句は説明しようのないふしぎな戸口であって、この戸口を通って、この世の神秘、人生の荒野と苦しさが私たちの心に忍び込んできて、私たちの心を戦慄させたのである。言葉はもはや、私たちにとって、磨かれた表面にすぎなくなっている。叙情詩にしても音楽にしても、私たち自身の生命と連続していて、私たちをさし招き誘いよせておりながら、しかも私たちの追跡をどこまでも逃れて行く生命の茫漠たる展望を与える程度に応じてのみ、生きており意味をもっているにすぎないのである。私たちは、この神秘的な感受性を保持しているか喪失しているかに応じて、芸術の永遠の内的啓示に対して生きているともいえるし、死んでいるともいえるのである。

〔…〕

 パック博士は自分自身で宇宙的意識の典型的な出現を経験したので、そこから他人の場合のそういう経験を研究するにいたったのである。彼はその結論を非常に興味深い著書のなかに記している。その書物から、彼自身の経験に関する次のような報告を引用しておこう。

「その晩、私はある大都市で、二人の友人と一緒に詩を読んだり、哲学を論じたりして過ごしていた。夜半に、私たちは別れた。私は長い道程を辻馬車に乗って私の下宿まで帰った。読んだり語り合ったりしたために生じた観念や心像や感情に深く影響されていた私の心は、平静で穏やかであった。私は平静で、ほとんど受動的な享受の状態にあり、積極的に考えることなく、観念や心像や感情がいわばひとりでに私の心のなかを通過するにまかせていた。そのとき突然、なんの前触れもなしに、私は火炎のような色をした雲に包まれてしまった。一瞬間、私は火事だと思った、あの大都市の近くのどこかが大火事なのだと考えた。次の瞬間、私は火事は私の心のなかにあったことを知った。そのすぐ後に、狂喜の感じ、無限の歓びの感じが私を襲い、それと同時に、あるいはその直後に、筆紙に尽くしがたい知的光明が襲ってきた。とりわけ、私が単に信ずるにいたったというのではなく、私が知ったことは、宇宙は死んだ物質で出来あがっているものではなく、その反対に、活ける生命であるということであった。私は自分のなかに永遠の生命を意識した。それは私がいつかは永遠の生命を所有するようになるであろうという確信ではなくて、私がそのときすでに永遠の生命を所有しているという意識であった。私はすべての人間が不滅であることを知った。宇宙的秩序は、万物が各自みなの幸福のために協力するようにできている、ということを、世界の根本原理、あらゆる世界の根本原理は、私たちが愛と呼ぶところのものであり、各自みなの幸福は結局は絶対に確実である、ということを知った。この幻影は、数秒つづいただけで消え去った。しかしその記憶と、それが教えたことが現実のことであるという感じとは、それ以後の四半世紀の間、消えないでいる。私はあの幻影が示したことが真理であったことを知った。私はある観点に達していて、この観点から私は、それが真理でなければならないことを知ったのである。この見方、この確信、私はこの意識と言っていいであろうが、それはそれ以後けっして、どんなに深く意気が沈んだ時期にあっても、失われたことがない。」

〔…〕

 神秘主義の文学においては、「まぶしいばかりの闇」とか、「囁く沈黙」とか、「肥沃な荒野」などという自己矛盾的な文句に、しょっちゅう出会う。これらの文句は、神秘的真理が私たちに話しかける最善の要素が、概念的な言説ではなくて、むしろ音楽であることを証している。事実、多くの神秘的な著書は楽曲も同然なのである。

「音 Nada すなわち『音なき音』の声を聞いて、それを理解したいと思うひとは、集中 Dharana の性質を学び知らなければならない。……夢のなかで見た姿がすべて、目が醒めてみると現実ではないように、自分の姿が自分自身にとって現実ではないように思われるとき、多なるものを聞くことを止めたとき、そのとき彼は一者を識別することができる──外部の音を殺す内なる音を識別することができる。……なぜなら、そのとき魂は開くであろうし、記憶するであろうからである。そしてそのとき、沈黙の声は内なる耳に出るであろう。……かくして、なんじの自己は自己のうちに没し、なんじ自身なんじ自身と化し、最初なんじがそこから放出されたその自己にふたたび没入するのである。……見よ! なんじは光になったのだ。なんじは音になったのだ。なんじはなんじの師であり、なんじの神なのだ。なんじ自身がなんじの探求の対象なのだ。変化を免れ、罪を免れて、永遠にわたって響き渡る途切れることのない声なのだ、七つの響きが一つとなったのだ、沈黙の声なのだ。オーム、ター、サット。」

〔…〕

 こうした形で、私たちはこの主題をあとにしなければならない、と思う。神秘的状態は、ただ神秘的状態であるというだけの理由で、権威を振うものではない。しかし、神秘的状態のうち比較的高級なものは、非神秘的な人々の宗教的感情でさえが向かっている方向を指し示している。高級な神秘的状態は至上の理想を、広大さを、合一を、安全を、そして至上の休息を教えている。その状態は私たちに仮説を与えてくれる。その仮説を私たちが無視するのは自由であるが、思考者としての私たちにはそれを覆すことはできない。それが私たちに信じさせようとする超自然主義と楽観論とは、どう解釈されるにせよ、結局、この人生の意味をもっとも真実に洞察したものであろう。
 「ああ、ほんのすこし加えるだけで、なんと多くなることであろう! ほんのすこし減らすだけで、なんと多くの世界が失われることであろう!」この種の可能性と許容とが、宗教的意識が生きてゆくために必要なすべてであるかもしれない。そのとおりであることを、最後の講義で私は諸君に納得のゆくように努めなければならないであろう。けれども、それはそれとして、私の読者の多くの方々にとっては、確かに、私の提供した食物は貧弱にすぎるだろう。もし超自然主義や、神との内的合一ということが真であるなら、それなら、そう信ずることを許容するというよりも、それを信ずるよう強制すべきである、と諸君は考えられることであろう。哲学はつねに強制的な論証によって宗教的真理を立証すると公言してきた。そして、この種の哲学を構築することがつねに宗教的生活(この言葉の広い歴史的な意味で)の気に入りの仕事であった。しかし、宗教哲学というものは実に厖大な題目である。だから私は次講においても、私に許されている制限を越えない範囲で、この問題に簡単な一督を与えるしかない。

第十八講 哲学

 聖徳という題目は、神の現前の意識は客観的に真なる何ものかの意識であるか? という問題に、私たちを直面させた。そこで私たちはまず神秘主義に向かって答えを求め、神秘主義はまったく宗教を確証する気ではいるけれども、普遍的権威を要求しうるにはその言説があまりにも個人的であり(そしてまた、あまりにもまちまちである)ことを見いだした。ところが哲学は、その発表する結論がいやしくも妥当なものであるならば、普遍的に妥当すべきことを要求する。それゆえに私たちは今度は哲学に向かって私たちの質問を発することにしよう。哲学は果たして、宗教的な人間がもっている神的なものの意識が真実であるという保証の刻印を押すことができるであろうか?
 こう言うとすぐにも多くの諸君は、私が目指して進もうとする目標をあれこれと臆測し始められることだろう、と私は想像する。諸君は言われることであろう。君は神秘主義の権威の土台を掘り壊した。そこで次の君の仕事はおそらく哲学の権威に対して疑惑を起こさせようというのだろう、と。諸君は私がそう結論するのを待ち受けていられるに違いない、宗教は漠然たる感情に基づくか、それとも、私が第二講および神秘主義に関する講義で多くの実例を挙げておいた、目に見えないものの実在のいきいきとした感じに基づくか、そのいずれかの上に立つ信仰の事柄以外の何ものでもない。本質的に言って、宗教は、私的なもの、個人主義的なものである。宗教はつねに、それを明確に説述しようとする私たちの力を越えている。宗教の内容を哲学という鋳型の中へ流し込むうとする試みは、人間が人間であるかぎり、おそらくつねに行なわれ続けることではあろうが、しかしそのような試みは、いつでも第二次的な措置であって、人間自身の刺激の源であり人間自身に確信をもつことの喜びを貸し与える貸し主でもあるあの感情の権威を、けっして高めるものでもなければ、またその感情の真実性の保証を強めるものでもない。簡単に言えば、諸君は私が理性を犠牲にして感情を弁護しようと計っているのではないか、原始的な無反省的なものの復権を企てているのではあるまいか、神学の名に値するどんな神学をも諸君に断念させようとたくらんでいるのではあるまいか、と疑っていられることであろう。
 或る程度まで諸君の推測は正しいことを私は承認しなければならない。事実、私は、感情というものが宗教の深い深い源泉であり、哲学的な方式や神学的な方式は第二次的な産物であって、原文を外国語に訳したようなものである、と信じている。しかしこういう言い方は、簡単すぎて、とかく誤解をまねきがちである。だから私はこの時間全部を使って、私の言おうとするところを諸君に正確に説明することにしよう。
 私が神学的方式を第二次的な産物であると言うのは、宗教的感情というものがかつて一度も存在したことのないような世界には、そもそも哲学的な神学など形成されえたものかどうか疑わしい、という意味である。一方では、内心の不幸と救いの要求がなく、他方では、神秘的感情というものがなくして、宇宙についての冷静で知識的な観想が、はたして私たちのいま所有しているような宗教哲学を産むことができたものかどうか、私は疑問に思う。人間は、まず自然界の事実を物活論的に説明することから始めて、その後から、実際にやってきたように、その説明を批判のにかけて科学的説明に変えていったのであろう。その科学にも或る程度の「心霊研究」の余地が残されたことであろう、それは今日においてもおそらく或る程度まで認めざるをえないところであろう。しかし、そういう神性との交わりの要求をすこしも感じないとしたら、教義神学かあるいは観念論的神学のような遠大な思弁を敢えてしようとする動機は、生まれなかったことであろう。このような思弁は余剰信仰の部類に、最初に感情の暗示した方角へ知性が建て増した出っ張りの部類に入れなければならないもののように、私には思われる。
 しかし、たとえ宗教哲学が最初の暗示を感情から供せられねばならなかったとしても、宗教哲学は、感情の暗示した事柄をいっそう優れた方法で処理したのではないであろうか? 感情というものは私的なもので無口であり、自分自身の釈明をすることができない。感情はその結果が秘密であり謎であることを許すし、その秘密や謎を合理的に証明することを拒み、ときには、それらが逆説的であり不条理であると認められることを望みさえする。ところが哲学はそれとは正反対な態度をとる。哲学は自分の力の及ぶかぎりの領域を秘密と逆説とから取り返すことを抱負としているのである。曖昧で気まぐれな個人的信念から脱却して、すべての思考する人間に妥当するような客観的真理に達することが、いつも知性のもっとも大切な理想であった。宗教を不健康な私事から解放して、それに公的な地位を与え、その救いに与かる権利を万人に与えようというのが、理性の仕事であったのである。
 哲学はいつでもこの仕事に努力すべきものであろう、と私は信ずる。私たちは考える存在者である、だから私たちは私たちのどんな活動にでも知性が参与することを拒むことはできない。私たちは自分自身と独語するときでさえ、私たちの感情を知的に翻訳しているのである。私たちの個人的理想も、私たちの宗教的経験や神秘的経験も、私たちの思考する心の住んでいる舞台面に摘合するように解釈されなければならない。現代の哲学的風潮が私たちをその色に染めるのを避けるわけにはゆかない。その上、私たちは私たちの感情をお互いに交換しなければならず、そしでそのためには、私たちは一般的、抽象的な言語形式を使って話さなければならない。それゆえに、概念と構成とは私たちの宗教の欠くことのできない部分なのである。そしてさまざまな仮説の衝突の調停者として、また、教説の体系と体系との相互批判の間に立つ仲介者として、哲学はつねに重要な課題をもつものであろう。これに反対するとしたら、奇妙なことになろう。なぜかというに、私がいまなしつつあるこの講義そのものが、(もっと先に行けば諸君はますます明瞭に認められるであろうが)、宗教的経験という私的な事柄から、誰でも同意できるような方式に定義でみる何か一般的な事実を抽出しようという骨の折れる試みなのだからである。

〔…〕

 思想活動の動機として考えられる唯一のものは、信念の達成、あるいは思想の休息である。或る題目に関する私たちの思想が信念に達して休息するにいたった場合にのみ、その題目に対する私たちの行動は、確実かつ安全に始まることができるのである。簡単に言えば、信念とは行動のための規則である。そして思考の全機能は、行動的な習慣を作り出すための一歩に過ぎない。或る思想のなかに、その思想の実際上の帰結になんら差異を作らないような部分があるとしたら、そのような部分はその思想の意義をなす本質的な要素ではあるまい。したがって、或る思想の意味を明らかにするためには、私たちは、それがどんな行動を生み出すのに適しているかを決定しさえすればよい。この行動こそ私たちにとってはその思想の唯一の意義である。そして私たちのあらゆる思想の差異の根底にある明白な事実は、どんな思想の差異も、実際上の差異以外の差異において成り立つほど微妙なものではありえないということである。或る対象に関する私たちの思想を完全に明晰にするには、だから私たちは、その対象からして、直後においてであれずっと後においてであれ、どんな知覚を期待できると考えられるか、また、その対象が真であった場合、私たちはどんな行動を用意しなければならないか、を考慮しさえすればよいのである。これらの実際上の帰結について私たちがもつ概念こそ、それがいやしくも積極的な意義をもつ限り、私たちにとっては、その対象について私たちがもつ概念のすべてなのである。
 これがパースの原理であり、プラグマティズムの原理である。このような原理は、今の場合、神の完全性についてスコラ哲学の目録のなかに記されてあるさまざまな属性のなかで、或る属性は他の属性に比べてはるかに重要性が少ないのではないかどうかを決定するのに、役だってくれるであろう。
 すなわち、もし私たちがプラグマティズムの原理を、神の道徳的属性とは区別されて厳密な意味で形而上学的属性と呼ばれているものに適用するならば、たとえ私たちが論理によってそれらの属性を信ぜざるをえないように強いられたとしても、それでも私たちはそれらの属性がこれと知れるほどの意義をまったく欠いていると認めざるをえないであろう、と私は考える。例えば、神の自存性、あるいは神の必然性、神の非物質性、神の「単一性」、あるいは私たちが有限な存在のなかに見いだすような種類の内的な多様性や継起に対する神の優越性、神の不可分性、および、存在と活動性、実体と偶有性、可能性と現実性などのような内的区別の欠如、一つの類への包含に対する神の拒絶、神の現実化された無限性、それが伴なうもろもろのふさわしい道徳的な性質とは別の神の「人格性」、許されてはいるが積極的ではない悪に対する神の関係、神の自己充足、自己愛、自己自身における絶対的幸福、──率直に言って、これらもろもろの性質がどうして私たちの生活と何か一定の関係をもちうるのであろうか? もしこれらの性質がそれぞれ私たちの行動にはっきりと適用されることを要求しないのならば、それらの性質が真であろうと偽であろうと、人間の宗教にとってそれがどれほど重大な差異を作りうるであろうか?
 私自身としては、なつかしい連想を傷つけるかもしれぬようなことを言いたくはないが、よしこれらの属性が誤りなく演繹されたものであっても、これらの属性のどれかが真であるとして、それが私たちにとって宗教的にほんの僅かな意義でももっていようなどとは私には考えられない、と私は率直に告白せざるをえない。いったい、神の単一性により善く適応するために、私はどんな特別の行為をすることができるというのであろうか? あるいは、神の幸福がとにかく絶対に完璧であるということを知ったところで、それが私の態度を決定するのにどう役だつのか? 前世紀の中頃、メイン・リードは野外の異常な経験に関する多くの著書を書いた大作家であった。彼は狩猟者や生きた動物の習性の野外観察者をつねに激賞し、骸骨や獣皮を収集して分類する者やそういうものをいじりまわしてばかりいる者のことを「机上の博物学者」と呼んで非難の毒舌をあびせ続けていた。子供の頃、私は机上の博物学者などという人間は、この世でいちばん下劣な型の哀れな人間に相違ない、といつも考えていた。ところが確かに、組織神学者たちは、まさにメイン・リード船長の言う意味で、神に関する机上の博物学者なのである。彼らが神の形而上学的属性を演繹するやり方は、道徳などおかまいなしに、人間的な要求に超然として、いかにも学者然と辞書に載っているたくさんの形容詞をいろいろと混ぜ合わせたり組み合わせたりしているだけのことではないか、最近の創意が発明した、木と真鍮とでできた論理機械の一つによって、まるで血肉を備えた人間によってなされるのと同じように巧みに、「神」という単なる言葉から作り出されてくるものに過ぎないではないか? そうして考え出された属性には、人間の知恵の働いた痕跡が残ってはいる。しかし、そういう神の属性なるものは、神学者たちの手にかかって、類語を機械的に巧みに操作して得られたお題目の寄せ集めでしかないような気がする。語句のせんさくが直感にとって代わり、専門家気取りが生命にとって代わっているのである。パンの代わりに石を、魚の代わりに蛇を、私たちは与えられる。もしそのような抽象的な術語の寄せ集めがほんとうに神に関する私たちの認識の中心思想をあらわしているのなら、なるほど神学の諸学派は繁栄を続けることができようが、しかし宗教は、生きた宗教は、この世から逃げ出してしまうことだろう。宗教を支えているものは、抽象的な定義や、つなぎ合わされた形容詞の体系などとは違ったものであり、神学の諸分科や、その教授たちとは違ったものである。これらのものはすべて、たくさんの実例をお目にかけたように、心まずしい世捨て人たちの生涯において永遠に insecula seculorum 繰り返されている、目に見えない神との活きた対話というあの現象の余波であり、第二次的な添加物に過ぎないのである。
 神の形而上学的な属性については、これだけにしよう! 実践的宗教の観点からすれば、そういう属性が礼拝させようとして私たちの前にもち出してくる形而上学的怪物などは、学者ぶった人間の考え出した、絶対に無価値な、発明品にほかならない。
 さてつぎに、道徳的と呼ばれる属性はどうであろうか? プラグマティズム的に考えると、道徳的な属性はまったく違った意義をもってくる。それは恐怖と希望と期待を積極的に規定し、聖なる生活の土台である。その意義がどれほど大きいかを示すには、一瞥するだけで足りる。
 例えば、神の聖ということである。聖であるから、神は善以外の何ものをも欲することができない。全能であるから、神は善の勝利を保証することができる。全知であるから、神は闇のなかでも私たちを見ることができる。義であるから、神はその見るところに従って私たちを罰することができる。愛であるから、神は罪を赦すこともできる。不変であるから、私たちは安心して神に頼ることができる。これらの性質は私たちの生活と結びつく。これらの性質についてよく知ることが、私たちには非常に重要となる。天地創造における神の目的が神の栄光を顕わすためであったということもまた、私たちの実際生活に一定の関係をもつ属性の一つである。なかんずくこの属性は、すべてのキリスト教国において、礼拝に一定の性格を与えてきた。もし教義神学がほんとうに、このようなもろもろの性格をもつ神が存在することを、疑問の余地を残さないまでに証明するならば、教義神学は宗教的感情に堅固な土台を与えるものであるとりっぱに主張することができょう。しかし実のところ、教義神学の論証はどうであろうか?
 この証明も神の存在についての証明と同じように不幸な状態にある。カント以後の観念論者たちがこの証明を徹底的に拒否しているばかりではなく、自己の経験によって知られたこの世の道徳的様相こそ、かかる世界を善なる神が組み立てたということを疑わしめるに足る理由だと考えている人間を、その証明がかつて回心させたためしがないというのは、明白な歴史的事実である。このような証人には、神の本質のなかには非存在はないというスコラ哲学の証明によって神の善を立証するなどということは、まったく馬鹿げたことと聞こえるであろう。
 そのとおりである! ヨブ記はそのような証明を断然きっぱりと乗り越えてしまっている。推論などというものは神にいたる比較的皮相な非現実的な道なのである。「われただ手をわが口に当てんのみ。われ汝の事を耳にて聞きいたりしが、今は目をもて汝を見たてまつる。」途方にくれ挫折した知性、けれども神の現前を信ずる心──これが、自己自身に対しても現実に対しても真剣な、そしてどこまでも宗教的な人の状況なのである(*1)。
(*1) プラグマティズムの立場から見ると、神のもっとも重要な属性は、神の懲罰的な正義である。しかし、この点に関する神学的見解の現状から見て、地獄の業火あるいはそれに相当する形の何かが単なる論理によって確証されるなどと、誰が敢えて主張するであろうか? 神学自身はこの教義を主として啓示の上に築いている。そしてその問題を論じている間に、だんだんと、理性の先験的原理の代わりに、一般に行なわれている刑法の観念を置き換える方向に傾いていった。しかし星が輝き、風がそよぎ、空や海が笑っているこの輝かしい宇宙が、犯罪に関する専門語で表現されたり、犯罪専門用語をはりたるきにしてできあがっているなどという考え自体が、私たち現代人の想像には信じられないものである。宇宙がそのような基盤の上に立っていると証明されるのを聞けば、宗教は力を弱めるばかりである。

 それゆえに、私たちは教義神学にきっぱりと別れを告げなければならないと私は考える。ほんとうに、私たちの信仰は教義神学の保証などなしですまさなければならない。くり返して言うが、現代の観念論はこの神学に永久に訣別を告げたのである。では、現代の観念論は信仰に、より以上にりっばな保証を与えることができるか? それとも信仰は依然として、貧しい自己自身の証言に頼るほかないのか?

 現代観念論の基礎は、統覚の先験的自我というカントの教説である。カントがこの恐るべき術語で言おうとしたのは、「私はそれらを考える」という意識が(可能的あるいは現実的に)私たちのすべての対象に伴なわなければならないという事実にすぎない。カント以前の懐疑論者たちも同じようなことを言っていたのであるが、その「私」が彼らにとってはどこまでも個人と同一視されていた。カントはこれを抽象し、非人格化した、そして、これを彼のすべての範疇のうち、もっとも普遍的なものとした。しかしもちろんカント自身にとって、先験的自我はなんら神学的含意をもたなかった。
 カントの意識一般 Bewusstsein uberhaupt あるいは抽象的意識という概念を、世界の魂をなし私たちのさまざまな人格的自己意識を存在せしめている無限の具体的な自己意識に変えるという仕事は、彼の後継者たちの手に委ねられた。この変化が実際にどんなふうに行なわれたか、それをごく簡単にでも諸君に示すのは、あまりに専門的な問題に立ち入ることになるであろう。今日イギリスおよびアメリカの両国の思想に実に深い影響を与えているヘーゲル学派において、二つの原理が作戦の矢面に立っていると言えば、十分であろう。
 これらの原理の第一のものは、昔からの同一性の論理は私たちに死後の遺骸 disjecta membra 解剖より以上のものを与えないということ、そして、生命の充溢は、私たちの思考が自身に提供しうるあらゆる対象は、最初はその対象を否定するように見える何か別の対象の概念を内包している、ということを認めることによってのみ、思想として構成されることができるということである。
 第二の原理は、否定を意識しているということはすでに否定を越えているも同然だということである。単に何か疑問を発するとか、何か不満足の意を表するとかするというだけで、答えあるいは満足がすでに面前に迫っていることを証している。有限なものが有限なものとして実感されると、その有限なものは、すでに可能的に in posse 無限なものである。
 これらの原理を適用することによって、あらゆる事物がまったく自己同一であるとする普通の論理ではけっして得ることのできない推進力が、私たちの論理に与えられるように思われる。そこで私たちの思考の対象が私たちの思考の内部ではたらくことになる、経験のうちに与えられた対象がはたらくのと同じようにはたらくのである。対象は変化し発展する。対象は自己自身とは違った何ものかを自己といっしょに包含する。そしてこの「違った何ものか」は、最初はただ観念的あるいは可能的にあるに過ぎないが、やがてそれ自身もまた現実的にあるものとなってくる。それは最初にあると想定されていたものに取って代わり、それを検証して是正し、かくしてそれのもつ意味を完全に発展させるのである。

〔…〕

 諸君も記憶しておられるに相違ないが、宗教が伝えるものは、つねに経験の事実だということである。すなわち、宗教は言う、神的なものは現実的に現前している、そしてその神的なものと私たちとの間では、与えそして受け取るギヴ・アンド・テイクという関係が現実に行なわれるのである、と。もしこのような事実の明確な知覚が、それ自身で自己を確証することができないならば、抽象的な推理がその知覚にその必要としている支持を与えうるものでないことは確かである。概念的な手続きは事実を分類し、限定し、解釈しはするが、事実を生み出すことはできないし、また事実の個性を再現することもできない。そこにはつねに或るプラス plus があり、個性 thisness があり、これには感情だけが答えることができるのである。こうしてこの領域では哲学は第二次的な機能しかもたず、信仰の真実性を保証するだけの能力をもたない。かくして私は今回の講義の初めに告げた提題に帰ることになる。
 真に遺憾にたえないが、直接の宗教的経験の述べることの真理性を純粋に知的な手続きで論証しようとする試みは絶対に望みがないと結論せざるをえない、と私は正直に考えるものである。

 けれども、このような否定的な宣告を下して哲学を置き去りにするのは、哲学に対して不公平なことであろう。そこで私は、哲学が宗教のために何をなしうるかを簡単に列挙して、本講を閉じることにしたい。もし哲学が形而上学と演繹とを棄てて、批判と帰納につき、そして進んで神学から宗教の科学に変身するならば、哲学は非常に役だつことができる。
 人間の知性というものは、おのずと、それが感ずる神的なものを、いつでもその時その時の知的偏好と調和するような仕方で定義するものである。哲学は比較することによって、そのようにして作られるさまざまな定義から局部的なものや偶然的なものを除去することができる。教義からも、礼拝からも、哲学は歴史的な外殻を取り除くことができる。自然発生的な宗教的構成物を自然科学の成果と対決させることによって、哲学はまた、今では科学的に背理であり科学に調和しないと知られているような教義を除去することもできるのである。
 このようにして、つまらない形成物をふるい分けることによって、哲学は、少なくとも可能だと考えられる概念だけをあとに残すことができる。これらの概念を哲学は仮説として扱うことができ、仮説というものがつねにテストされるのと同じように、これらの概念を、消極的あるいは積極的なあらゆる方法でテストすることができる。反論の余地があるとわかるものがあれば、それだけ概念の数を減らしてゆける。哲学は、もっとも厳密に検証されたもの、あるいは検証されうるものとして選び出した概念のために戦う闘士になることができよう。哲学は、仮説の表現のうちにある無邪気な余剰信仰であり象徴であるものと、文字どおりにとるべきものとを区別することによって、この仮説の定義を洗練することができる。その結果として、哲学はさまざまな信者の間の調停の労をとることができるし、意見の一致を作り出す力になることができる。いろいろの宗教信仰を比較してみて、共通の本質的な要素を個人的で局所的な要素から識別することに成功すればするほど、哲学はますます調停者の役に成功をおさめることができるのである。
 この種の批判的な宗教科学ができて、できることなら、自然科学が命令をくだすようなふうに、それが司令官となって公けの同意を命じようとどうしてしないのか、私にはその理由がわからない。そういう宗教科学のくだす結論なら、個人的には非宗教的な人でも、ちょうど盲目の人々でも今では光学の事実を認めるように、信用してそれを認めるであろう──それを拒否するのは愚かと見えるであろう。けれども光学の科学が目の見える人々の経験した事実によってまず育成され、その後も絶えず検証されなければならないように、宗教科学もその最初の資料として個人的経験の事実に頼るであろう、そしてどれほど批判的な改造を加えようとも、あくまでも個人的経験に即応しなければならないであろう。宗教科学は具体的生命から離れ去ったり、概念的な真空のなかで働くことを許されないであろう。あらゆる科学が認めているように、宗教科学も、自然の霊妙さは宗教科学を超えたかなたを飛んでいるものであり、宗教科学の公式化するものは近似的なものにすぎないことを、永久に認めざるをえないであろう。哲学は言葉のなかで生きているが、真理と事実とは言葉による公式化を超えるような仕方で私たちの生活のなかに湧き出てくるのである。知覚という生きた活動のなかには、つねに、光り瞬いて明滅するものがある。それは捕えられることを欲せず、反省では遅すぎて捕えられないものである。このことを哲学者ほどよく知っている者はいない。哲学者はその概念的な猟銃から新しい言葉を一斉に打ち出さなければならない。哲学者の職業が彼にこの仕事を強いるからである。しかし彼は心ひそかにその空虚さ、的はずれであることを知っているのである。彼の公式は、双眼写真機ステレオスコープか映写機かで撮った写真を、その機械からとり出して眺めるようなものである。それには深みも、動きも、生気も欠けている。ことに宗教の領域では、公式を真であるとする信仰が個人的経験に完全にとって代わることは、けっしてできないのである。
 次回の講義で、私は宗教的経験に関する私の大ざっぱな叙述を完結するようにしたいと思う。そしてそのあとの講義、すなわち最終回の講義では、私自身が証言者である真理を概念的に公式化してみたいと思う。

第十九講 その他の特徴

 私たちは神秘主義と哲学とを一巡して、元の道に戻ってきた。宗教の効用、宗教をもっている個人に対する宗教の効用、そしてこのような個人自身が世界に対して与える効用、これらこそ宗教のなかに真理があるということの最善の論拠である。私たちは経験哲学に戻ってゆく。すなわち、たとえ「全体的に見て」という制限はつねに加えなくてはならないにしても、真なるものとは、善く働くもののことである。本講では私たちはふたたび叙述の仕事に立ち帰って、宗教的意識のもっている他の特徴的な要素の幾つかについて一言して、宗教的意識に関する私たちの描写を終わることにしたい。そして最後の講義において、私たちは自由な立場から一般的な批評を加え、私たち独自の結論を引き出すことにしよう。
 第一に私が話そうと思う点は、人が或る宗教を選ぶ場合、その決定にあたって美的生活が演ずる役割である。すこし前に言ったことであるが、人間というものは自分の宗教的経験を知らず識らずのうちに知性化するものである。礼拝において同行を必要とするように、人間は信条というものを必要とする。したがって、神の属性に関するスコラ哲学の有名な目録が実用的に無益である、と私が侮蔑的に語ったのは、傲慢に過ぎたようである。というのは、そういう属性には、私が考慮することを怠った一つの効用があるからである。そういう属性を列挙しているニューマンの雄弁な文章が、私たちに手がかりを与えてくれる。聖堂の礼拝でつねに抑揚をつけて話すのと同じように、彼はそれらの属性に抑揚をつけながら、その美的価値がどんなに高いかを示している。オルガンや古い真鍮しんちゅう記念碑きねんはいや大理石やフレスコ壁画や色ガラス窓が教会堂を華麗にするのとまったく同じように、そういう崇高な神秘的な言葉を添えて用いられると、私たちの赤裸な信仰心は華麗さを添えられるのである。神の属性をあらわす形容辞は私たちの信仰心に一種の雰囲気とさまざまな倍音を与える。それらは讃美歌や栄光詣のようなものであり、言葉の意味がわからなければわからないほど崇高に聞こえるであろう。ニューマンのような心をもった人々は(*1)、あたかも異教の祭司たちが彼らの偶像の上に光っている宝石や装飾を後生大事と大切にするように、そういう形容辞の力を信じて一途にそれに心を配るのである。
(*1) ニューマンの想像力は生まれつき教会制度を要求したのであって、彼はこう記している。「十五歳の年から、教義は私の宗教の根本原理であった。つまり、私はそれ以外に宗教というものを知らないのである。私はそのほかのいかなる種類の宗教の観念にも共鳴することができない。」そしてまた、三十歳の頃の彼自身について語り、こう記している、「私は司教に見られているのがまるで神に見られているかのように感じながら行動するのが好きであった」と。Apologia, 1897, pp, 48, 50.

 人間の心がごく自然に作って楽しむ宗教の付属建築物のうちで、美的モチーフはけっして忘れられてはならないものである。私は本講においては教会制度のことは一切、口にしないと約束した。けれども、私はここで一言、教会制度が或る種の美的要求を満足させることによって人間性に訴えるのに貢献している点に、触れることを許してもらえると思う。或る人々は何よりも第一に知的な純粋さと簡潔さとを目指すけれども、他の人々にとっては豊かさということが最高の想像的要求である(*1)。人間の心が強度にこの型に属している場合は、個人的宗教がその要求を満足させるということはまずあるまい。この種の人々の内的要求は、むしろ制度的なもの、複雑なものであって、荘重な整然たる聖職位階制度、下位に対する上位の権威、結局はこの位階制度の源泉であり極致である神に由来する、どの位階にもそなわっている神秘と壮大さの形容詞を具体化した事物なのである。そういうものに面すると、人はまるで何か宝石をちりばめた広大な作品か建築の前に立ったように感ずる、広大無辺な典礼の哀願の声が聞こえ、四方八方から畏敬のおののきが迫ってくるのを感ずるのである。このような高貴な複雑さにおいては、上昇運動も下降運動もけっして安定を妨げるとは思えず、どんなにささやかな品目でも、それぞれ尊厳な制度のなかに位置づけられているのであるから、無意味なものは一つもない。このような複雑さに比べると、福音的プロテスタンティズムなど、なんと味気なく見えることであろう! 「人間はやぶのなかでも神に会うことができる」と称して誇りにする人々の孤独な宗教的生活の雰囲気の、なんと殺風景なことであろう! 壮麗に築き上げられた建造物を粉砕し覆すものでなくて何であろう! 威厳と栄光の光景に慣れた想像力にとっては、飾り物のない福音書の機構は、まるで宮殿の代わりに養老院を提供するもののように思われるのである。
(*1) 知性的な差異は、実際上の重要性という点では、それと類比的な性格上の差異とまったく同等である。私たちは、聖徳の題目のところで、ある種の性格がいかに混乱に不快を感じ、純粋と節操と簡素のなかで生活せざるをえないかを見た(前出二九O〔本訳書、下巻五七〕ページ以下)。これとは反対に、他の性格にとっては、過剰と過重と刺激と皮相な諸関係が不可欠である。世のなかには、自分の借金が残らず支払われてしまい、かわした契約が果たされてしまい、出した手紙にみな返事が来、いろいろ困っている問題がみな解決されてしまい、自分の義務という義務が、なんの妨げもなくすぐ実行できるのにほったらかしにしていた義務までが、果たされてしまったりすると、卒倒しかねないような人間がいるものである。こんなふうに徹底的にすっぱだかにされる日のくることは、彼らにとっては、思ってもぞっとすることなのである。安易さとか、優雅さとか、愛情のしるしとか、社会の表彰とかの場合も同じことである──私たちのうちには、このようなものをたくさん要求する人もいるが、他の人々には、そんなものは虚偽と偽物の塊としか見えないのである。

 それは古代の帝政国で育てられた人々の愛国的感情に実によく似ている。顕職の肩書き、深紅色の燈火とりゅうりょうたるラッパの響き、金の装飾品、羽毛で飾った軍隊、恐れと戦き、これらのものを捨ててしまって、居間一つしかなく、その中央の机には一冊のバイブルが載っているだけといった、おそらく南アフリカの草原かミシシッピー河流域の大草地かにある「ホーム」の出身で、誰とでも親しげに握手してくれる、黒い服を着た長官でがまんするということになると、どんなに多くの感激がその対象を失ってしまうことであろう。それでは君主国的な想像力は貧弱化してしまう!
 このような美的感情が強いために、プロテスタンティズムが、霊的な深さの点ではどれほどカトリシズムに優越していようとも、今日のところ、神々しい形式を固執するカトリックの教会主義から多くの改宗者を作り出しうるなどということは、断じてありえないように私には思われる。カトリシズムは空想に対してはるかに豊かな牧草と樹陰とを提供し、種々さまざまな種類の蜜のたまった巣穴をもち、そのさまざまな訴えにおいてはなはだ人間性に寛大であって、ために、プロテスタンティズムはカトリック信者の目にはつねに養老院の相貌を呈して見えるであろう。プロテスタンティズムの厳しい否定的態度はカトリック信者の心には理解できないのである。知性のすぐれたカトリック信者にとっては、教会が奨励する古臭い信条や儀式の多くは、文字どおりにとっては、プロテスタントたちにとってと同じく、子供っぽいものである。しかしそれらの信条や儀式は「子供らしい」という好ましい意味で子供っぽいのであって──無邪気で、愛らしく、愛すべき民衆の知性がまだ十分に発達していない状態であることを考慮すれば、むしろ微笑ましいものである。ところがプロテスタントにとっては、反対に、そういう信条や儀式はばかばかしい嘘いつわりであるという意味で子供っぽいのである。プロテスタントはカトリック信者のそういう信条や儀式という優雅で愛らしい飾り物を撲滅し、自分たちの融通のきかない厳しさにカトリック信者を震え上がらせずにはおかない。だからカトリック信者には、プロテスタントはまるで残忍な目付きをし、無感覚で、一本調子な、爬行動物みたいな意地悪でもあるかのように、気むずかし屋に見える。両者が相互に理解し合うことは、けっしてないであろう──彼らの感情的エネルギーの中心が違い過ぎるのである。厳格な真理と複雑な人間性とにはつねに相互の通訳者が必要なのである(*1)。宗教的意識における美的な相違点については、これだけにしておこう。
(*1) プロテスタンティズムは形式を重んじない、そこでは「柔和な、善を愛する者」が、ただ神とともにひとりで、病人などを、彼ら自身のために慰問する。これに比べると、カトリック信者の信心の務めとしておこなわれるものは、手の込んだ「事務」であって、すべての比較的複雑な事務が呼び起こすと同じような社会的な騒ぎを伴なっている。本質的に世俗的な心をもっているカトリック信者の婦人なら、純然たる媚態的な動機から病人の慰問者になることがありうるが、その場合、彼女は自分の聴罪師や指導者を伴ない、自分の「功徳」の貯えや、自分のひいきの聖徒や、全能者との自分の特権的な関係などを鼻にかけ、専門くろうとの信者として、自分のおこなう一定の「修行」と、組織のなかではっきり認められている自分の社会的位置に、全能者の注意を惹こうとしているのである。

 たいがいの宗教書には、宗教のもっとも本質的な要素として、三つのものが挙げられている。それは犠牲と告解と祈りとである。私は簡単ながらも、これらの要素の一つ一つについて、順次、一言しなければならない。まず犠牲について。
 神々への犠牲は原始的な礼拝のどこにも見られるものである。しかし、礼拝の儀式が洗練されてゆくにつれて、痛祭や雄山羊の血の代わりに、いっそう霊的な性質の犠牲がおこなわれるようになった。ユダヤ教、回教および仏教は典礼的な犠牲などおこなわない。キリスト教も、キリストの贖罪の秘儀のうちに犠牲の観念が変貌した形で保存されているという点を除けば、やはり犠性を行なってはいない。これらの宗教は、すべてそういう無駄な捧げ物をする代わりに、内的自己の成果という心の捧げ物をするのである。回教や仏教や古代のキリスト教が勧めている禁欲的な行において、私たちは、或る種の犠性は宗教的修行なのだという観念がどんなに抜きがたいものであるかを知るのである。禁欲主義について講義をした際に、私は、生活というものを努力奮闘的なものと解する場合にはいつでも生活は犠性を必要とするが、この犠牲を象徴するものとして禁欲主義がもつ意義について語った。しかし、これらの事柄については私は言いたいことを言ってしまったので、それに、この講義では古い昔の宗教的慣習や起源の問題などは故意に避けることにしているので、私は犠牲の問題をまったく素通りして、告解の問題に移ろうと思う。

 告解に関しても、ごく簡単にして、歴史的にではなく、心理学的に一言述べるにとどめたい。告解は、犠牲ほど一般に広く行なわれてはいないもので、いっそう内面的で道徳的な情操の段階に相応するものである。告解は、人間が自分の神と正しい関係にありうるために自分自身で必要と感ずる罪障消滅や浄化の一般的体系の一部分である。告解する人間にとっては、仮象は去り、実相界が始まっているのである。告解者は自己の堕落を外面化してしまったのである。現実には堕落を脱却してしまってはいないとしても、彼は少なくとももはやその上に偽善的な見せかけの徳を上塗りするようなことはしない。──少なくとも真実という基盤の上に生きているのである。アングロ・サクソン人種の教団において告解の習慣が完全に廃れてしまったのは、少し理解しがたいことである。教皇制度に対する反動というのが、もちろんその歴史的説明である。というのは、教皇制度では、告解は悔俊の秘蹟と免罪、およびその他の許しがたい慣行といっしょに行なわれていたからである。しかし罪人自身の側としては、告解しようという内心の要求はあまりにり大きいのであるから、その要求の満足をそうあっさりと拒絶されて平気でいられるわけはないように思われる。たとえ告解を聴く耳が聴くだけの価値のない耳であっても、もっと多くの人々が自分の秘密の殻を開いて、膿のたまった腫瘍を切開して楽になるようにすべきではなかったか、と人々は考えるに違いない。カトリック教会は、明らかに功利的な理由から、一人の司祭への耳語的な告解に代えて、いっそう徹底した公けの告解を採用した。私たち英語を話すプロテスタントは、私たちの性質が一般に自力本願的であり、非社交的であるところから、私たちの秘密を神だけに打ち明ければ十分だと思っているようである。

 次に私の論評しなければならない題目は、祈りである。──しかし今度はあまり簡単ではすまない。私たちは近頃、祈りに反対する議論、ことに天候の回復や病人の回復のための祈りに反対する議論を、ずいぶん聞かされている。病人のための祈りに関しては、祈りの医学上の事実が確証を与えていると考えられるのであるから、環境によっては、祈りは病気の快癒に貢献しうることであり、したがって治療手段として奨励さるべきであろう。祈りが人間の道徳的健康の正常な因子をなしているのであれば、祈りを怠るのは有害であろう。天候の場合には事情がちがう。天候回復の祈願など信じられなくなったのは最近のことであるが(*1)、旱魃や豪雨が物理的前提条件から来るものであって、どう精神的な訴えをしたところでその現象をそらせるものでないことは、今日では誰でも知っている。しかし祈願的な祈りは祈りの一部分でしかない。そしてもし私たちが祈りという言葉を広義に解して、神的なものと認められた力との内面的な交わりないし対話のあらゆる種類を意味するものと解するならば、私たちは科学的批判が祈りというものに触れないでいる理由を容易に悟ることができるのである。
(*1) 例。「サドバリーの牧師は、ボストンで木曜日の講義をしていたとき、司会した牧師が雨乞いの祈りをするのを耳にした。礼拝が終わるやいなや、彼は祈願している牧師のところへ行って、こう言った。『ボストンの牧師諸君。諸君の窓の下のチューリップがしおれたら、すぐ会堂へ行って、雨乞いをしなさい。そしたら、コンコルドとサドバリーが水をかぶってしまうことでしょう』と。」R. W. Emerson:Lectures and Biographical Sketches, p. 363.

 この広義における祈りこそ、宗教の魂であり本質である。フランスの或る自由主義的な神学者はこう言っている。「宗教は、苦悩のうちにある魂が、自分が依存していると感じ、自分の運命を左右すると思われる神秘的な力との交わりに、意識的、自発的な関係に、入ることである。神とのこの交わりは祈りによって実現される。祈りは宗教の行為である。すなわち、祈りこそ真の宗教である。宗教的現象を、それと似た、あるいは隣接した、純然たる道徳的あるいは美的な情操のような現象と区別するものが、祈りである。宗教というものが、自己の生命の拠ってきたる原理にすがっておのれを救おうとする全心全霊の死活にかかわる行為でないなら、宗教は無きに等しい。この行為が祈りであって、私が祈りというのは、無益な言葉を唱えることではない、何か神聖な信仰箇条をただ復誦することではない、そうではなくて、魂がその現前を感ずる神秘的な力──それを呼ぶべき名前を魂がまだもっていなくとも──との個人的な接触関係に入るという、魂の運動そのものなのである。この内面的な祈りが欠けている場合には、宗教は存在しない。反対に、この祈りが生じて魂を感動させる場合には、形式や教義がなくとも、私たちは生きた宗教をもつのである。このことからして、いわゆる『自然宗教』なるものがなぜほんとうの宗教ではないかが知られる。自然宗教は人間を祈りから切り離してしまう。それは人間と神とをどこまでも相互に遠く離しておき、親密な交通も、内面的な対話も、やり取りも、神が人間のなかで働くことも、人間が神に復帰することも、許さない。要するに、この自称宗教は一つの哲学でしかない。合理主義の時代に、批判的研究の時代に生まれたこの自称宗教は、抽象物以外の何物でもなかったのである。人工的に作られた死物なのであるから、それはそれを検討する者に宗教に固有の特徴の一つをさえほとんど示さないのである。」

 私のこの講義全体がサバティエ氏の主張の真理であることを証明するもののように思われる。教会に関する、あるいは神学上の複雑な事情を別にして、一つの内的な事実として研究してみると、すでに見たように、宗教現象は、どこであろうと、どの段階においてであろうと、明らかに、個人個人が自分自身と自分自身が関係していると感ずるより高い力との間の交わりについてもつ意識にある。この交わりは、能動的であると同時に相互的である時に、実現されるのである。もしこの交わりが効果をあらわさないなら、もしそれが授受の関係でないなら、もしそれが続いている間に実際に何ごとも成就されないなら、もしその交わりが生じたのに世界が少し違ったものにならないなら、そのとき祈りは、何ごとかが成就されつつあるという感じのこの意味を広義に解すると、もちろん何か錯覚的なものの感情であって、宗教は、全体として、単に妄想的要素を含んでいるばかりでなく──このような要素は、もちろんいたるところに存在している──、唯物論者や無神論者がつねに言っているように、まったく妄想に根差しているものの部類に入れなければならない。祈りという直接経験が偽りの証人であるとして除外されてしまえば、あとに残るものは、せいぜい、存在の全秩序には何か神的な原因がなければならないという推論的な信念ぐらいのものであろう。しかし、自然をこのような仕方で観想するのは、敬虔な趣味をもった人々にはさだめし気に入ることであろうが、彼らに芝居の見物人の役割しか与えないであろう。それにひきかえ、宗教的経験と祈りのうちに生きるとき、私たちは私たち自身が役者であるように思われる、それも芝居の役者ではなくて、厳粛な現実世界の役者なのである。
 宗教の真実性は、このようにして、祈りの意識が偽りのものであるか偽りではないかという問題と切り離しがたく結びついている。この意識における、ほんとうに何かが成就されているという確信こそ、生きた宗教の核心なのである。何が成就されているかという点に関しては、実にさまざまな意見が行なわれている。目に見えない力が、今日の啓蒙された人間の信じえないような事柄をなしうると想定されたし、また今でも想定されている。実のところ、祈りの影響範囲はただ主観的なものにすぎず、そして、直接に変化を受けるものは祈っている人間の心だけなのかもしれない。しかし、祈りの効果に関する私たちの見解が批評によってどう制限されることになろうとも、この講義が研究しているような生命の源泉という意味の宗教は、何か或る種類の効果がほんとうに起こっているという確信の有無と運命を共にする。祈りによって、ほかのどんな方法によっても実現されえない事柄が実現するのだ、と宗教は主張する。すなわち、祈ることがなければ閉ざされているエネルギーが、祈りによって解放されて、客観的にせよ主観的にせよ、現実世界のどこかの部分で働くのである。
 この要請は、故フレデリック・W・H・マイヤーズがその友人に書き送った手紙のなかに、みごとに表現されている。この友人はその手紙から引用することを私に許してくれたが、ここには、祈りの本能が普通の複雑な教義などといかに無関係なものであるかが示されている。マイヤーズ氏はこう記している。──

「ぼくは君が祈りについてぼくに質問してくれたことを嬉しく思う。それはぼくが、この問題についてかなりはっきりした考えをもっているからだ。まず事実がどうあるかを考えてみよう。ぼくらの周囲には霊的な宇宙がある。そしてこの霊的宇宙は物質界と現実的な関係を保っている。この霊的宇宙から物質界を維持するエネルギーが出て来るのだ、個々の霊の生命を作るエネルギーが。ぼくらの霊はこのエネルギーを間断なく吸入することによって支えられている。そしてこの吸入の力は絶えず変化しつつある。それはちょうど、物質的栄養をぼくらが吸収する力が時々刻々変化するのと同じである。
「ぼくはこの霊を『事実』と呼ぶ。ぼくには、何かこの種の事態こそ、ぼくらの現実の証言と一致する唯一のものだと思えるからだ。それはいまここで約説するには複雑すぎる。ではぼくらはこの事実に対してどう行動すべきであろうか? もちろん、ぼくらは霊的生命をできるだけたくさん吸入しなければならない。そして経験上明らかにそのような吸入に好都合な心境にぼくらの心を置かなくてはならない。祈りとは、真剣に心の扉を開いて受け容れようと身がまえた態度をあらわす一般的な名称なのだ。そこで、もしぼくらが誰に祈るのかと尋ねられるなら、その答えは(いかにも奇妙だが)、そんなことは大した問題じゃない、というほかはない。たしかに、祈りは全く主観的な事柄ではない。──祈りは霊的な力あるいは恩恵を吸収する強さが実際に増大することを意味する。──しかし、ぼくらは祈りがどんな働きをするかを──つまり、誰が祈りをかなえてくれるのか、また、どんな経路を経て恩恵が与えられるのかを──知ることができるほど、霊界で行なわれることをよく知ってはいない。子供たちにはキリストに祈らせるがいいのだ、キリストはとにかくぼくらが知るかぎり最高の個人的な霊なのだ。しかしキリスト自身がぼくらの祈りを聴くと言っては、早計だろう。ところが、がぼくらの祈りを聴くと言えば、それは最初の原理──恩恵が無限の霊界から流れ込んでくるという原理──を言い直しただけのことだ。」

 力が吸収されるという信仰がはたして真であるか偽であるかの問題は、次講でなんとか私自身の結論を出せるものなら出さざるをえなくなるときまで保留し、今回の講義では、まだ現象の叙述だけで甘んずることにしよう。極端な種類の例ではあるが、今日でもまだ祈りに明け暮れる生活がどういう力をもっているかを示す具体的な実例として、おおかたの諸君がご存じの場合を、つまり、一八九八年に死んだブリストルのジョージ・ミュラーの場合を、取り上げてみよう。ミュラーの祈りはもっとも極端に祈願的な種類のものであった。すでに若い頃、彼は聖書の或る約束を文字どおり本気にとることを決心して、彼自身の世俗的な工夫によってではなく、主のみ手によって、食ってゆこうと決心した。彼は非常に活動的で成功した経歴の持ち主であった。その成果のうちには、さまざまな国語の聖書を二〇〇万部以上も配布したこと、数百名の宣教師を養成したこと、聖書関係の書物や小冊子や小論文を一億一一○○万冊以上も普及させたこと、五つの大きな孤児院を建てて、何千人もの孤児を養育し教育したこと、そして最後に、いくつもの学校を設立して一二万一○○○人以上の青少年の生徒に学業を受けさせたこと、などがある。この事業の過程においてミュラー氏はおよそ一五○万ポンドの英貨を受け取って管理し、海陸二○万マイル以上もの旅行をした(*1)。その六十八年間の伝道のあいだ、彼は自分の衣類と家具と小遣いとのほかには、何の財産も所有しなかった。そして八十六歳で死んだとき、わずか一六○ポンドの価値の不動産をあとに遺しただけであった。
(*1) これらの統計の根拠は Frederic G. Warne のミュラーに関する小著(New York, 1898)である。

 彼の方法は、一般的な必要品はこれを公けに知らせるが、随時の必需品の詳細は他人に知らせない、というのであった。随時の必要を凌ぐためには、彼は、信頼しきっていさえすれぱ祈りは遅かれ早かれつねに聞きとどけられると信じて、直接、主に祈った。彼はこう記している、「私が例えば鍵のようなものを紛失したときは、私は主に私をその方向に向けてくださるように願い、私の祈りに答えられるのを待つ。私と約束していた人が、約束の時間に来ないで、そのために私が不愉快な思いをし始めると、私は主に彼を早く私のところへ来させてくださるように願い、答えられるのを待つ。私が神の言葉のどこか一節を理解できないときには、主が聖霊によって私に教えてくださるように私は心を主の方に向けて、いつ、どんなふうに教えられるかも自分で決めずに、ただ教えられるのを待つ。私が御言葉の伝道に出るときには、私は主の助けを求める。そして……私は意気を沮喪させられることがない、むしろ、主の御助けを待ち望むゆえに、心たのしいのである。」
 ミュラーは決して借金つけをしない習慣であった。わずか一週間の借金さえしなかった。「主は私たちにその日その日の割り当てを下さるのであるから……週末の支払い日がきても、私たちにそれを支払う金がないことになる。それでは、私たちと取り引きする人々は迷惑することになろうし、また、私たちは『何をも人に負うな』という主の誡めに背くことになろう。今日から以後は、主が私たちの日ごとに必要なものを与え給うかぎり、私たちは、なんでも買ったものはすぐその場で支払い、即座に支払えないものは、たとえどんなにそれが必要のように思えても、また私たちの取り引きの相手がどんなに週末の支払いで結構だと言っても、決して買わないことにしよう。」
 ミュラーが必需品と言っているのは、彼の孤児院のための食糧や燃料などであった。どうかして、孤児院でもうあと一食分の食物もなくなりかけることがしばしばあったが、そんなときでも、孤児院では実際にそんな様子はほとんど見えない。「朝食のあとで、百人あまりの者の昼食の用意ができないときとか、あるいは昼食のあとでお茶の用意ができないときとかに、主が昼食やお茶を用意して下さったときほど、主の現前を大きくそしてはっきりと身近に感じたことはない。しかもこれらすべては、私たちの困窮について誰一人にも知らせないのに起こったことなのである。……恩恵により、私の心は主の信義を衷心から確信しているので、どんなに大きい困窮のまっただ中にあっても、私は平安のうちに私の他の仕事に従事することができた。ほんとうに、この平安は主に対する私の信頼の結果なのであるが、もしこれを主が私に与え給わなかったならば、私はほとんど全く仕事ができなかったであろう。なぜなら、私の事業のどの部分かで私が困窮に陥らない日は、今ではほとんど稀だと言ってよかったからである。

 ミュラーはただ祈りと信仰とだけによって幾つもの孤児院を設立したのであるが、彼はこう断言している。彼の第一の動機は「私たちの神であり父であるお方が、昔と同じ誠実な神であって、そのお方に信頼するすべての者に対して、昔と同じように今日でも、つねに進んで活ける神であることの実を示そうとしておられるということの目に見える証拠として指示できる何ものかをもつということであった。」この理由から彼は彼のどんな企業のためにも、金銭を借りることを拒んだのであった。「私たちが勝手に自分の道を歩んで神を出し抜いたら、どういうことになるだろうか? 私たちは信仰を強める代わりに弱めるにきまっている。そして、私たちがそうして自分自身で切り抜けようと苦労するたびに、私たちはますます神に信頼することができにくくなり、ついには全く私たちの堕落した自然的な理性に負けて、不信が勝ってしまうことになる。神ご自身がよしとされる時の来るのを待つことができ、そして助けと救いをただ神のみに期待することができたら、事情はどんなに違ってくることであろう! どれほど永い間の祈りの後にせよ、ついに救助がきたら、どんなに楽しいことであろう、なんという酬いの訪れであろう! 愛するキリスト信者の読者よ、もし諸君がこれまでにまだ一度もこの従順の道を歩んだことがないなら、いまからその道を歩かれるがよい。そうすれば、諸君はそこから生ずる喜びがどんなに甘美であるかを、経験によって知られるであろう。

 支給されるものが来るのがあまりに遅いときには、ミュラーはいつも、これは自分の信仰と忍耐との試練のためなのだ、と考えた。自分の信仰と忍耐とが十分に試されたら、主はいっそう多くの資材を送って下さるであろう。「そしてそのとおりであることが証明された、」──私は彼の日記から引用する──「と言うのは、今日、私に二〇五○ポンドの金額が与えられたが、そのうちの二〇〇〇ポンドは「或る家屋の〕建設資金のためであり、五〇ポンドは差し迫った必要のためであった。この寄付を受け取ったとき、私が神に恵まれた幸せをどんなに喜んだかは筆紙に尽くしがたい。私は興奮してもいなかったし、驚いてもいなかった。なぜなら私はいつでも私の祈りに対する答えを待つのだからである。私は神が私の祈りを聴きとどけ給うことを信じている。けれども、私の心は喜びに満たされていたので、サムエル後書第七章のダビデのように、神の前に坐って、神をたたえるばかりであった。ついに私は顔を伏せて平伏し、神の聖なる奉仕に対し、神への感謝にあふれ、新たに私の心を神に捧げたのであった。」

 ジョージ・ミュラーの場合はどう見ても極端な例で、何よりもこの人の知的視野の異常な狭さがことに著しい。彼の神は、彼がときどき言っているように、彼の事業の仲間であった。神はミュラーにとっては、信者であるブリストルの商人たちの集会や孤児院やその他の企業に関心をもつ、一種の神通力をそなえた牧師のようなものであり、人間の想像力がいつでも神にまとわせているあのより広漠とした、より理想的な属性を一つも所有していないように見える。要するに、ミュラーは絶対に非哲学的であった。神との関係について彼のいだいているひどく私的で実際的な観念は、もっとも原始的な人間の思惟の伝承を継ぐものであった(*1)。彼のような心を、例えばエマソンやフィリップ・ブルックスなどの心と比較するとき、宗教的意識というものがどんなに広い範囲にわたるものであるかが知られるのである。
(*1) 私は Arber: English Garland, vol. vii. p. 440. の中で見つけた、よりいっそう原始的であるともいえる型の宗教思想の一表現を、ここに引用したいという誘惑に抗することができない。ロバート・ライドという英国の一船員は、一六八九年、英国の一少年とともにフランスの船に拿捕されたが、七人のフランス人の船員を襲い、その二名を殺し、他の五名を捕虜にして、船を故国に持ち帰った。ライドは、この手柄を立てるにあたって、神に急場を救われた顛末を、次のように述べている。──
 「彼ら三名ともう一人とが私を投げ倒そうと一所懸命だったとき、神の助力によって私はふんばって倒れなかった。私の腰に組みついているフランス人が非常に重く感じられたので、私は少年に『羅針儀箱を廻って、おれの背中に組みついている奴を殴り倒せ』と言った。それで少年はその男の頭に一撃を加えて男を倒した。……それから私は彼らにもう一撃を加えるために綱通し針か何かないかと周りを見まわした。しかし何も見あたらないので、私は『主よ、私はどう致しましょうか?』と言った。それから左手の方へ目を投げると、一本の綱通し針がかかっているのが見えたので、私は右腕をぐいと動かしてそれを握り、私の左腕を押えている男の頭蓋骨のなかへ一インチの四分の一ぐらいの深さで、四回、打ち込んだ。〔するとフランス人の一人が綱通し針を彼から引き抜いた。〕しかし神の驚くべき摂理によって! 針は彼の手から落ちた、でなかったら、彼はそれを投げ捨てるかした。ちょうどそのとき、全能の神は私に、一人の男を片方の手に捕えて、針をもひとりの男の頭に投げつけるだけの力を与え給うた。そして彼らにもう一撃を加えるものが何かないかと再び見まわしたが、何も見えないので、私は『主よ、今度はどう致しましょうか?』と言った。すると神は私に自分のポケットのなかにナイフを持っていたことを想い出させ給うた。そして、二人の男が私の右腕を押えていたのに、全能の神は私に力をつけてくださって、私は右手を私の右のポケットに入れ、鞘にはいったままナイフを引き出し……それを私の両脚の間に置いておいてナイフを引き出し、私の胸に背中を押しつけていた男の咽喉を切った。男はたちまちころげ落ちて、それっきりもう動かなかった。」──私はライドの物語を少し縮めて引用した。

〔…〕

 このような考え方は、次第に変化していって、次のような信仰になる。すなわち、個々の出来事が、私たちの信頼に対する報酬として、私たちの都合のよいように摂理の導きによって調節されているというのではなくて、私たちが万物を創造した力と繋がっているという感じを絶えず培うことによって、だんだんと私たちのほうが個々の出来事の受け容れに都合のよいように調節されてくるという信仰である。自然の外貌が変わる必要はない、自然のなかにある意味の表現が変わるのである。死んでいた自然が、生き返ったのである。それはちょうど、ある人間を見るのに、愛しないで見るか、それともその同じ人を愛をもって見るか、の違いのようなものである。愛をもって見る場合には、交わりは新しい活気を帯びてくる。同じように、人間の感情が世界の創造者である神と接触する場合には、恐怖と我欲は消え去る。そしてその結果として生ずる平静な心で眺められるとき、あとからあとからと続く一時間一時間が、一連の祝福ゆたかな機会となる。それはあたかも、すべての扉が開かれているかのようであり、すべての障害が取り除かれたかのようである。このような種類の祈りに浸透された精神で古い世界に対するとき、私たちは新しい世界に対しているのである。
 マルクス・アウレリウスとエピクテトスとの精神はこのような精神であった(*1)。またそれは精神治療家の精神であり、超越論者のそれであり、いわゆる「自由主義的」キリスト信者のそれである。この精神の一表現として、私はマーティノーの説教の一つから一ページを引用しようと思う。

「今日、われわれの目に見えている宇宙は、千年前の人々の目に映って見えたのと同じである。すなわち、ミルトンがうたった朝の讃歌は、われわれ自身の親しい太陽が世界の原初の野や園を飾ったのと同じ美しさを歌っているにすぎない。われわれはわれわれの父祖が見たものを見ているのである。そして、諸君の家で、あるいは私の家で、道端で、あるいは海の岸辺で、発芽する種子のなかに、あるいは開いた草花のうちに、昼間の勤めのなかで、あるいは夜の黙想のなかで、大勢の人々の笑いのなかで、あるいはひそかな悲しみのなかで、絶えず新しく加わりおごそかに通り過ぎて消え去って行く生命の行列のなかで、もしわれわれが神を見いだすことができないならば、われわれはエデンの園の芝生の上でも、ゲッセマネの月光の下でも、神を見分けえようとは私には考えられない。確かに、すべての神聖なものをわれわれの手の届かない遠方へ押しやらせてしまうものは、大きな奇蹟が起こらないからではなくて、今日なおわれわれに許されている奇蹟を知覚することがわれわれの魂にできないからなのである。信心深い者は神の御手のあるところにはどこにでも、そこに奇蹟があることを感ずる。すなわち、奇蹟があるところにのみ神のほんとうの御手がありうると考えるのは、信仰心がないからのことにほかならない。天国の慣行のほうが、その異例よりも、私たちの目には確かにいっそう神聖であるべきはずである。すなわち、至高者が決して倦むことなく辿り給う昔ながらの親しい道のほうが、至高者が繰り返すことを好み給わぬ異常な事物よりも、いっそう神聖であるべきはずである。そして、朝な朝なに立ち昇る太陽の下に、万物を操る全能者のみわざをのみ認めようとする人は、楽園においてアダムが最初の夜明けを眺めて感じたあの甘美で畏敬にみちた驚きをふたたび感ずることであろう。それは決して外面的な変化ではない、時間と空間の移動ではない、そうではなくて、清らかな心の愛にあふれた瞑想にほかならず、それがわれわれの魂のなかで永遠者を眠りからふたたび呼び醒ますことができるのである、それが永遠者にふたたび実在性を与え、永遠者のためにもう一度『活ける神』という昔からの名を主張することができるのである。」

(*1) エピクテトスは言う。「おや! 謙虚で感謝に満ちている心にとっては、宇宙の万物みな摂理を証するに十分である。草から牛乳ができ、牛乳からチーズができ、皮膚から羊毛ができるという可能性だけでも、いったい誰がそれを形成し計画したのであろう? 掘ろうと、耕そうと、食べようと、私たちは神のためにこの讚美歌をうたうべきではないか? 地を耕すこれらの道具を私たちにあてがわれた神は偉大である。私たちに手を与え、消化器官を与えられた神は偉大である。眠りにおいて私たちを無感覚にしながら、しかも呼吸させておくようにされた神は偉大である。これらのことを私たちは永久にほめたたえるべきである。……しかし諸君のほとんどすべてが盲目であり、鈍感であるゆえに、誰かその埋め合わせをして、すべての人々のために神の讃美歌をうたう者がなければならない。いったい、びっこで老人の私に、神への賛美をうたうほかに何ができよう? 私が夜鶯だったら、私は夜鶯の役割を演じたであろう。私が白鳥だったら、白鳥の役割を演じたであろう。しかし私は理性をもった動物なので、神を讃美するのが私の義務である。……そして同じ歌を合唱されるよう私は諸君に訴える。」

〔…〕

 他の啓示は「開示」として述べられている──例えば、フォックスの場合などは、明らかに、今日の心霊主義団体で「印象」として知られている種類のものであった。すべて変化の有力な創始者は、或る程度までは、新しい真理を突如として知覚あるいは確信するとか、満たさずにはすまないほど憑かれたような行動への衝動を感じるとかするあの精神病的な水準で生活する必要があるのであるから、私はもうこれ以上、このごくありふれた現象について言葉を費やさないことにしよう。
 私たちがこれら霊感の現象に加えて、宗教的神秘主義を考慮に入れるならば、また回心のところで見られた、分裂した自己が突如として驚くばかり統一されるという現象を想い起こすならば、そしてまた、聖徳にまじり込んでいる常軌を逸した激しい愛情や純潔さや自制などを考えてみるならば、宗教というものは意識を超えた領域あるいは潜在意識の領域と異常に緊密な関係をもっている人間性の一分野である、という結論を避けることはできないと私は考える。「潜在意識」という言葉は余りにも心霊研究あるいは他の精神異常の臭いがするとして不快に思われるなら、白日下の意識水準から区別できる名ならどんな名でも、好むままに名づけられて差し支えない。なんなら、この後者を人格のA圏と呼び、前者をB圏と呼んでもいい。そうすると、B圏のほうが私たち各自において大きい部分であることは明白である。なぜなら、これは潜在的なものすべての住家であり、記録や観察もされずに過ぎ去ってゆくすべてのものの貯蔵所だからである。それは例えば、すべて私たちの差しあたって活動していない一切の記憶のようなものを含んでいる。そしてそれはすべて動機のはっきりわからない情熱や衝動や好みや嫌悪や偏見などの源泉をかくまっている。私たちの直観も、仮説ち、空想も、迷信も、確信も、信念も、そして一般的に、私たちのすべての非理性的な働きも、そこから出て来る。それは私たちの夢の源であり、そして夢はまたそこへ帰って行くもののようである。私たちがもつことのできるどんな神秘的経験も、能動的あるいは受動的な自動現象も、私たちがその状態に陥りやすいなら、催眠状態あるいは「催眠に類した」状態にある私たちの生活も、私たちの妄想も固定観念も、そしてもし私たちがヒステリー性なら、ヒステリーの発作も、もしそんなものがあるなら、非常の認識も、そしてもし私たちが精神感応的素質であるなら、精神感応も、これらすべてはそこから生ずるのである。それはまた私たちの宗教を養っている多くのものの源泉でもある。私たちが今までに数多く見てきた、深い宗教的生活をいとなんだ人々にあっては──これが私の結論なのであるが──この領域にいたる扉はなみはずれて広く開かれているように思われる。いずれにせよ、この扉を通って入り込む経験は、宗教の歴史を形成する上に著しい影響を与えてきたのである。
 この結論をもって、私は元に戻り、私の第一講で開始した円環を閉じることになる、つまり、冒頭で私が宣言しておいた、発達してはっきりした個人のうちに見いだされる内面的な宗教現象の検討を終わったことになる。時間が許すなら、記録文書の数をふやすこともこまかい差異の識別を多くすることも、私には容易であろう。しかし、おおまかな取り扱い方をしたほうがいいのだと私は信じている。そして、問題のもっとも重要な特徴はすでに述べつくされている、と私は考える。次講で、つまり最後の講義で、私たちはこれまでお目にかけた多くの資料から察せられる批判的結論を引き出すことを試みなければならない。

第二十講 結論

 人間性に関する私たちの研究の資料は、こうしていま私たちの前に広げられている。そしてこのお別れの時間に、叙述の仕事から解放されて、私たちは私たちの理論上および実際上の結論を引き出すことができる。第一講において、経験的方法を弁護しつつ、私は、私たちがどのような結論に達しようとも、それは精神的な判断によってのみ、すなわち、「全体から見て」宗教が人生に対してもつ意義を評価することによってのみ、達せられるのであることを予め述べておいた。だから私たちの結論は独断的な結論のように鋭くはありえないが、しかし私は、時が来れば、できるかぎり鋭く、私の結論を方式化するつもりである。
 私たちの見いだした宗教的生活の特徴を、できるだけ大ざっぱに総括してみると、それは次のような信念を含んでいる。──
 一、目に見える世界は、より霊的な宇宙の部分であって、この宇宙から世界はその主要な意義を得る。
 二、このより高い宇宙との合一あるいは調和的関係が、私たちの真の目的である。
 三、祈り、あるいは、より高い宇宙の霊──それが「神」であろうと「法則」であろうと──との内的な交わりは、現実的にわざの行なわれる方法であり、それによって霊的エネルギーが現象の世界のなかへ流れ込み、現象世界に心理的あるいは物質的な効果が生み出される。
 宗教はまた次のような心理学的な特徴をも含んでいる。──
 四、或る新しい刺激が、何か贈り物のように、生活に付加され、それが叙情的な感激か、それとも真剣さおよび英雄主義への訴えかのいずれかの形をとる。
 五、安全だという確信、平安の気持が生じ、他者との関係において、愛情が優れて力強くなってくる。
 これらの特徴を文献をあげて説明していた間、私は文字どおり感情に酔っていた。私は手稿を読み返してみて、そこにあまりにも大きい感動が見えるので、驚いたほどである。それだけに、私は、これから片づけねばならない残りの仕事においては、もっと冷静で、もっと非同情的でありうると思う。
 私のあげた文献の多くに見られる感傷性は、私がそれを故意に常軌を逸した実例のうちに求めたという事実の結果なのである。もし諸君のうちに、私たちの先祖がつねに狂信という極印を押してきたものに嫌悪をいだいておられる方があり、そしてそれにもかかわらず、辛抱していま私の講義を聴いておられるなら、その方はおそらく私の選択がときにはほとんどこじつけだと感じられて、もっと穏健な例に訴えてほしかったと望まれたことであろう。それに対して私は、私がそのような極端な例を挙げたのは、そのほうがいっそう深い知識を与えてくれると信じたからである、と答えたい。どんな科学でも、その奥義を学ぼうとすれば、私たちはたとえ少し変人ではあっても、その科学の特殊専門家のところへ行って、平凡な若僧のところへは行かない。私たちはそういう専門家たちが語ってくれることを、私たちの知恵と結び合わせて、私たちの最後的な判断を独立にくだすのである。宗教の場合も同様である。宗教のそのような根本的な表現を追究した私たちは、いまや、宗教の奥義というものを、他人から学べる限りにおいて真正に、知っていると確信してよいであろう。そこで次に私たちは、めいめいが自分で、次のような実際問題に答えなければならない。すなわち、生活のこの要素における危険は何であるか? そして、正しい均衡を与えるためには、この要素はどの程度に他の諸要素によって抑制される必要があるだろうか? という問題である。

 しかしこの質問は、もう一つ別の問題を暗示している。しかもその問題は、すでに再三、私たちを悩ましたものであるから、私はいますぐこれに答えて、これを片づけることにしようと思う。宗教とそのほかの諸要素との混合はすべての人において同一であると考えるべきであるか? はたして、すべての人間の生活が同一の宗教的要素を示すべきであると考えるべきであるか? 言いかえれば、これほど多くの宗教の型や派や教義が存在しているということは慨嘆すべきことであるか?

 これらの質問に対し私は力をこめて「否」と答える。そしてその理由は、人間個人個人のように、それぞれ異なった境遇にあり、さまざまな才能をもっている被造物が、まったく同一の職分や同一の義務をもつなどということがどうして可能なのか、私にはわからないからである。私たちの二人が、同じ仕事をしても同一の困難をもつということはないし、私たちが同一の解決に達すると期待されるはずもなかろう。めいめいが自分独特の視角から、或る範囲の事実と問題を見つめ、これをめいめいが自分独自の仕方で処理しなければならないのである。私たちのうちには自分の態度を和らげなければならない人もあれば、また自分の態度を頑固にしなければならない人もある。或る人は或る点を譲歩しなければならないし、また他の人は断乎として自分の立場を守らなければならない、──それでこそ、自分に定められた立場をよりよく守れるのである。エマソンのような人がウェスリイのような人であることを強いられたとしたら、あるいは、ムーディのような人がホイットマンのような人であることを強いられたとしたら、神的なものについての人間の意識全体が損失をこうむったことであろう。神的なものは単一の性質を意味することはありえない。それは一群の性質を意味するものでなければならない。さまざまな人間がみんな、代わる代わる神的なものの闘士となることによって、貴い使命を見いだすことができるのである。一つ一つの態度が人間性の使命メッセージ全体の一言ひとことなのであるから、その意味を完全につづり出すためには私たち全体が必要なのである。それだから「戦闘の神」も或る種類の人々にとっては、神であることが認められねばならないし、他の人々にとっては、平和の神、天の神、家庭の神が、神であることを認めなければならない。私たちは私たちが部分的なもろもろの体系のなかで生きていることを、そして、部分と部分とは精神生活においては交換できないものだということを、率直に認めなければならない。もし私たちが気むずかしく嫉妬ぶかいなら、そういう自己の破壊こそ私たちの宗教の一要素とならなければならない。ところが、もし私たちが生まれつき善良で思いやりのある人間であるなら、なんでその必要があろう? もし私たちが病める魂であるなら、私たちは救いの宗教を求める。しかし、もし私たちが健全な心の人間であるなら、どうして救いのことをそれほど重要視する必要があろうか(*1)? 疑いもなく、一般社会生活におけるとまったく同様に、ここでも、或る人々のほうが他の人々よりもいっそう完全な経験をもち、いっそう高い使命をもっている。しかし、人間めいめいとしては、どんな経験であろうと、自分自身の経験のなかに留まるのが、そして他人としては、めいめいの者をそのままにしておいてやるというのが、確かに最善のことである。
(*1) この見方からすれば、私が前の講義で語った、健全な心と病的な心との間の対照や、一度生まれ型と二度生まれ型との間の対照は、多くの人々が考えているような根本的な対立ではなくなる(一六ニ─一六七〔本訳書、上巻二四六─二五三〕ページを参照)。二度生まれ型の人は、一度生まれ型の人の直線的な生活意識をさげすんで、「単なる道徳」にすぎないとし、本来の宗教ではないとする。或る正統派の牧師は、こう語ったと伝えられている。「チャニング博士は、その性格が異常なまでにまっすぐであるために、最高の型の宗教生活ができないでいる」と。確かに、二度生まれ型の人の人生観のほうが──人生問題の解決に対して悪の要素をより多く重要視しているので──一度生まれ型の人の人生観よりもいっそう広く、いっそう完全であることは、事実である。彼らがほんとうの生命に達する「英雄的な」あるいは「荘厳な」道は、「より高い総合であって」、健全な心と病的な心とは両方ともその総合に達し、そこで両者は結びつくのである。悪はなくされるのではなくて、これらの人々のより高い宗教的な気分のなかへ止揚されるのである(四七─五二、三六二─三六五〔本訳書、上巻七五─八二、下巻一六〇─一六四〕ページを参照)。しかし、それぞれの型が到達する神的なものとの合一の究極的意識は、個人に対して同一の実際的意義をもっている。個人個人はそれぞれ各自の気質にもっとも適した道筋によって、そこへ達していいのである。第四講で健全な心の人々の精神治療型の実例をたくさん引用したが、それらの場合は再生的な過程の例であった。この過程における危機の厳しさは程度の問題である。」の意識をどのくらい長いあいだもちつづけることになるか、そしていつそれを断ち切りはじめて、いつそれを脱用することになるかは、これまた程度の問題であって、したがって、多くの場合、私たちが個人を一度生まれ用に分類するか、二度生まれ型に分類するかは、まったく気ままなことなのである。

 しかし今度は諸君はこう問われるかもしれない。もし私たちみんなが宗教科学というものを私たち自身の宗教として信奉したならば、このような偏向は癒やされるのではなかろうか? と。この質問に答えるためには、私はふたたび理論的生活の実際的生活に対する一般的関係について語らなければならない。
 或る事物に関する知識は事物そのものではない。諸君はアル - ガザーリーが神秘主義に関する講義のなかで私たちに語ったことを記憶しておられるであろうが、──酩酊の原因を、医師が理解するように理解するということは、部酊していることではない。科学は宗教のいろいろな原因や要素についてあらゆることを理解するようになり、そして、どの要素が、他の知識部門とあまねく調和することによって、真であると考えられるべき資格をもっているかを決定することさえできるかもしれない。けれども、この科学における最大の学者が、みずから敬虔であることの困難をもっとも強く感ずる人であるかもしれない。Tout savoir c'est tout pardonner.(すべてを知ることは、すべてを赦すことである)。ルナンの名は、きっと、該博な知識というものがただいろいろな可能性のなかを遊びまわるディレッタントをしか作らず、人間の生きた信仰の鋭さをただ鈍らしてしまうものだ、という一つの実例として、多くの人々の心に浮かぶことであろう(*1)。もし宗教のはたらきによって、神の問題か人の問題かが現実に推進させられるのであるならば、それなら、宗教的生活を生きる人は、たとえその生活がどんなに偏狭であろうとも、宗教に関する知識がどれほど博くともただ知っているというだけの人よりも、いっそう善良なしもべである。人生について知識をもっていることと、人生のなかで実際に或る位置を占めて、人生の激流をして自己の存在を貫流させることとは、まったく違ったことなのである。
(*1) 例えば、前出、三七(本訳書、上巻六〇)ページにおけるルナンからの引用を参照。

 この理由から、宗教科学は、生きた宗教の代用とはなりえないであろう。また、もし私たちがこのような科学が自己の内部に含むもろもろの困難を思うならば、いつかこの科学が純粋に理論的な態度を捨ててしまって、難問を処置しないまま残しておくか、それとも積極的な信仰によってその難問を一気に処理してしまうかするほかないような時点がくることがわかるのである。この点を明らかにするために、私たちのいう宗教の科学というものが事実上でき上がっているものと想定してみよう。その宗教科学が必要な歴史的資料をことごとく吸収同化して、そこから、その本質として、私が少し前に述べた結論と同一の結論を抽出した、と想定してみよう。宗教は、それが生きたものである場合には、いつでも、理想的な力の現前に対する信仰と、私たちが祈りによって(*1)その現前する力と交わることのうちにわざがなされ、何か現実的な結果が生ずるという信仰とを含んでいる、ということに宗教科学が同意すると想定してみよう。すると次に、宗教科学はその批判活動にとりかかって、他の諸科学に照らしてみて、また一般哲学に照らしてみて、そのような信仰がどの程度までであると考えられうるかを決定しなければならない。
(*1) ここに「祈りによって」というのは、さきに四六三(本訳書、下巻三〇六)ページ以下で説明したような、かなり広い意味に解してのことである。

 この問題を独断的に決定しようとするのは、不可能なことである。他の諸科学および哲学は、まだまだ完成にほど遠いばかりではなく、矛盾だらけであるというのが、その現状なのである。自然科学は霊的な力の現前などまったく関知しないし、総じて、一般哲学が好む観念論的な概念とはなんら実際の交渉をもたない。いわゆる科学者は、少なくとも彼らが科学の研究に没頭している間は、まったく唯物論的であって、一般的に言って科学の趨勢は、ともかく宗教が認めらるべきだとする考え方とは逆の方向に進んでいると言えるほどである。そして、宗教に対するこの反感は、宗教科学そのものの内部にさえ反響しているのである。この科学の研究者は実に多くの下卑た迷信や恐るべき迷信を識るにいたらざるをえないので、宗教的な信念はどれもたいていは偽りだとする推定が、彼の心のなかに起こり易いのである。野蛮人たちが、彼らの神々として認めている迷信的崇拝物マンボー・ジャンボーと「祈りによる交わり」をするのを見ては、そこに真の霊のわざが──たとえそれが彼らの未開野蛮な義務つとめに相応するだけのわざであるとしても──なされえようとは、私たちには考えがたいわけである。
 その結果、宗教科学の結論は、宗教の本質は真であるとの主張に反するようでもあり、また味方するようでもあることとなる。私たちの周囲には、宗教はおそらく時代遅れのもの、古代の「遺物」の一つ、啓蒙開化された人類がすでに脱却してしまっている考え方へ隔世遺伝的に後戻りしたものにすぎない、という考えが広まっている。そしてこの考えに、今日の宗教人類学者たちはたいして反対しようとしないのである。
 この見方は、今日、非常に普及しているので、私は私自身の結論に移る前に、この見方をもう少しはっきりと考えてみなければならない。簡潔にするために、この見方を「遺物説」と呼ぶことにしよう。
 私たちが見てきた宗教的生活の旋回している枢軸は、個人が自分の個人的運命に関心をもつということである。宗教とは、簡単に言えば、人間の自己中心主義の歴史における記念すべき一章なのである。神々は──未開の蛮人たちの信ずる神であろうと、知的訓練をへた人々の信ずる神であろうと──個人の要求を認める点においては、互いに一致している。宗教的思考は、人格的関係によっていとなまれる。これが宗教の世界では根本的な事実だからである。今日でも、昔のあらゆる時代におけると同じように、宗教的な個人は、神さまが私の個人的な関心事をかなえてくださる、と告げるのである。
 これに反して、科学の方は個人的な見地をまったく放棄するにいたっている。科学は自己の諸要素を分類し、自己の諸法則を記録するが、それらの要素や法則からどんな目的が導き出せるかということには頓着しない。そしてそれらの要素や法則が人間の不安や運命にどんな関係をもっているかというようなことは少しも顧みずに、自己の理論を組み立てる。科学者も個人的には宗教を心にいだいているかもしれないし、科学者としての責任のない時間には有神論者であるかもしれないが、科学自身に対して、もろもろの天は神の栄光をあらわし、蒼穹あおぞらはその御手のわざを示す、と言われえた時代は過ぎ去ってしまったのである。今日では、調和ある運行をなしている私たちの太陽系は、天体の或る種の平衡のとれた運動の過程中に、生命の存在しえない驚くばかり広漠とした宇宙のどこか一つの局部に偶発的に生じた過渡的な現象にすぎないと見られている。宇宙という時計で計るとわずか一時間ほどでしかない束の間の寿命がつきて、私たちの太陽系は存在することをやめてしまっていることであろう。ダーウィンのとなえた偶然発生および、発生したものは早かれ遅かれ絶滅する、という考え方は、最大の事実にも最小の事実にも同様に当てはまる。現在の科学的想像力の気質では、宇宙における原子の漂流が、宇宙大の規模で活動していようと、小規模で活動していようと、一種の目当てのない天候、固有な歴史を実現するのでもなければ何かの成果をあとに残すのでもない、単なる生成と消滅以外の何ものかであると考えることは不可能である。自然には私たちが共感を覚えることのできる、唯一の、はっきりとわかる究極目的などありはしない。自然は、科学的精神が今日理解しているような自然の諸現象の広大なリズムのなかに、消え去って行くように見える。私たちの祖父たちの知性を満足させた自然神学の書物など、私たちには全くばかげたものに思われる。それらの書物は、自然の巨大な事物をも私たちのごくつまらない私的欲求に順応させるような神を示しているからである。科学の認める神はもっぱら宇宙の法則を司る神でなければならない、小売りする神ではなくて卸売りする神でなければならない。科学の神は自己の過程を個人の都合に用だてることはできない。荒れ狂う海をおおう泡沫は、風と水の力によってかつ消えかつ結ぶはかない插話である。私たちの個人的な自己は、そういう泡のようなものである、──確かクリフォードがいみじくも名づけたように、付帯現象なのである。私たちの自己の運命などは、世界の永劫不易な事象の流れのなかでは、何の意味も、何の影響ももちはしない。

〔…〕

 諸君もおわかりのとおり、この観点からすれば、宗教を単なる遺物として取り扱うのはいかにも自然である。なぜなら、宗教は、事実、もっとも原始的な思想の伝統を永続させようとするものだからである。霊的な力を抑圧すること、あるいは、その力を抱き込んで味方にしてしまうこと、これが永い永い間にわたって、自然界に対する私たちの行動の一大目標であった。私たちの先祖にとっては、夢幻覚や啓示やたわいもないでたらめ話が、事実と分ちがたく混じり合っていた。かなり最近まで、真実であることの検証されているものと単なる憶測にすぎないものとの区別や、存在の非人格的な面と人格的な面との区別といったような区別が、ほとんど気づかれもしなかったし、認められもしなかった。何でもいきいきと空想されたもの、何でも真実と考えてよいと思われたものは確信をもって肯定された。そうして肯定されたものは、仲間にも信じられたのであった。真理とはまだ誰もそれに逆らわなかったものであり、ほとんどすべての事物は、それが人間に与える暗示という観点から考慮に入れられたのであった。そして注意はもっぱら事象の美的な面と劇的な面にのみ払われたのであった。

〔…〕

 事実、どうしてそれ以外でありえたであろうか? 今日の科学の用いているあの数学的および力学的な考え方が説明や予知に対してもっている非常な価値は、昔ではとうてい前もって予期することのできない成果であった。重量、運動、速度、方向、位置。なんと貧弱な、青白い、つまらぬ概念であろう! 自然を生きたものと見るいっそう豊かな見方、自然現象を絵のように印象的で表現ゆたかなものにする異様なものや風変わりなもののほうが、自然の生命に関する知識にいたるより前途有望な道として、どうして哲学によってまず選ばれ、そして辿られえなかったのであろうか? まことに、宗教が今日なお好んで意をとどめるのはそのようなより豊かな物活論的な、そして劇的な見方なのである。宗教的な心が今日でもなお変わりなくもっとも深い感銘を受けるのは、自然現象の恐ろしさや美しさ、すなわち、曙光や虹の「約束」であり、雷の「声」であり、夏の雨の「おだやかさ」であり、群星の「崇高さ」であって、これらの現象を支配している自然の法則ではない。そして昔とまったく同じように今日でも、信心ぶかい人は諸君に告げて、自分の部屋か野原かの孤独においてこそ神の現前を感ずる、自分の祈りに対する応答として援助が流れ込んでくる、そしてこの目に見えない実在に対する犠牲が心を安らぎと平安で満たしてくれる、と言うであろう。
 そんなものはまったくの時代錯誤だ! と遺物説は言う。──この時代錯誤はそういう擬人観的想像を脱却するほかに救われようがない。私的なものを宇宙的なものに混入するのをやめればやめるほど、それだけ私たちは普遍的、非人格的な概念のなかに住むのであり、それだけ真に私たちは科学の相続人になるというわけである。
 科学的態度のこの非人格性は、なるほど或る種の公平無私な気性に訴えて共鳴を呼ぶ力をもっているが、それにもかかわらず、それは浅薄だと私は思う。私はいまその理由を比較的わずかな言葉で述べることができる。その理由は、私たちが宇宙的なものや普遍的なものを扱っている間は、私たちは実在の象徴を扱っているにすぎないのであるが、私たちが私的および人格的な現象そのものを扱うやいなや私たちはもっとも完全な意味での実在を扱っているのである、ということである。この言葉で私が意味していることを説明することは容易であると私は考える。

 私たちの経勝の世界は、いつの世においても、客観的な部分と主観的な部分との二つの部分から成り立っていて、そのうち客観的な部分のほうが主観的な部分よりも量りきれないほど広大ではあるけれども、しかし主観的な部分も見のがされることも無視されることも決してできない。客観的な部分は、どんな時にでも私たちが考えることのできる一切の事物の総計であり、主観的な部分は、思考がおこなわれる内的「状態」である。私たちが考える事物は巨大であるかもしれない──例えば、宇宙時間や宇宙空間、──これに対して、内的状態はきわめてはかない、つまらぬ精神活動であるかもしれない。けれども、経験が与えるかぎりの宇宙的対象は、事物の観念的な像にすぎないのであって、その存在を私たちは内面的に所有してはおらず、ただ私たちの外に存在していると言えるだけのものであるが、これに反して、内的状態は私たちの経験そのものである。内的状態の実在性と私たちの経験の実在性とは一つである。意識の場プラス感じられた、あるいは考えられた意識の対象プラスその対象に対する態度プラスその態度が属している自己の感覚──このような具体的な個人的経験は小さなものであるかもしれないが、しかし、それは存続しているかぎりは実質のあるものである。それは「対象」がただそれだけで考えられる場合のように、うつろなものではない、経験の単に抽象的な要素ではない。それは、微々たる事実であろうとも、充実した事実である。それはすべての実在が属さざるをえないような種類のものである。世界を動かす潮流はこのようなものを通過して流れているのである。それは現実の事件と現実の事件とを結ぶ線上にある。私たちめいめいが、運命の女神の車輪の上で展開してゆくのをひそかに感じている自己の個人的運命の危機についていだく、他人と分つことのできない感じは、自己中心主義だといって軽侮されるかもしれないし、非科学的であるとして冷笑されるかもしれない、しかし、この感じこそ私たちの具体的現実を満たす唯一のものであって、このような感じを欠いているような自称存在者あるいはその類似者などは、半分しか出来あがっていない実在の一断片であろう(*1)。
(*1) それ「自体において」ある物という観念に私たちが付与することのできる唯一の意味は、物を対自的にあると考えることによって、すなわち、「危機」の私的感覚あるいはそれと並行する種類の内的活動をともなった充実した経験の一片として考えることによって、与えられる、というロッツェの教説を参照せよ。

 もしそれが真であるなら、経験の自己中心的な要素は削除さるべきであると科学が言うのは、不条理である。実在の軸は自己中心的な場所しか通過しない。──このような自己中心的な場所は、まるでじゅず玉のように、実在の軸にじゅずつなぎにされているのである。世界を叙述するのに、個人的な運命の危機のさまざまな感情、さまざまな精神的態度、──これはほかのあらゆるかのと同じように叙述できるのに──これをことごとくその叙述から除外するのは、食べでのある食事の代わりに、印刷した献立表を出すようなものであろう。宗教はそのような馬鹿げた誤りはしない。個人の宗教は自己中心的であるかもしれないし、そのような宗教のかかわる私的な実在はいかにも狭いものであるかもしれない。しかし、いずれにしてもそういう宗教のほうが、私的なものは一切考慮しないことを誇りにする科学などよりも、つねに無限に内容が充実しており、具体的なのである。
 「乾葡萄」という言葉の代わりに献立表の上に実物の乾葡萄を一粒のせて出すのも、「卵」という言葉の代わりに献立表の上に実物の卵を一個のせて出すのも、それだけではまだ食事とは言えないであろうが、少なくとも実際の食事の始まりではあろう。私たちはもっぱら非人格的な要素だけを固執すべきであるという遺物説の主張は、私たちは献立表を読むだけで永久に満足すベきであると言うようなものである。それゆえに、私たち個人の運命につながる特殊な問題がどう答えられようとも、そのような問題こそほんとうの問題であると認めて、問題が開発する思想領域のなかで生きることによってのみ、私たちは深い人間になるのだ、と私は考える。ところが、このような生き方をすることが、宗教的であることなのである。だから、私は宗教の遺物説を、とんでもない誤謬の上に立っているものとして、躊躇なく排斥する。私たちの先祖が多くの事実誤認をして、その事実誤認を彼らの宗教と混合したからといって、だから私たちは宗教的であることを全然やめるべきである、という結論は出てこない(*1)。宗教的であることによって私たちは究極的実在を、私たち自身のものとすべく私たちに与えられているまさにその点において、確実に所有するのである。つまりは、私たちが責任をもって関心をかたむけるべきものは、私たち個人の運命しかないのである。
(*1) この事実誤認ということさえも、科学者が考えているほど大げさなものではないことが判明するかもしれない。私たちは第四講において、宗教的な宇宙観が、多くの精神治療家にとっては、彼らの事実経験によって日に日にいかに「検証された」ものと見えつつあるかを見た。「事実の経験」というものは、非常に多くの事物を含んでいる場なのであって、したがって精神治療家やそれに類する人々の経験するような「事実」の承認を、「たわごと」「馬鹿ばなし」「愚論」といったような粗雑な項目に分類して拒否するのとは違って、方法的に拒む派閥的な科学者は、たくさんななまの事実を見のがすに相違なく、そのような事実は、宗教的な人がむしろ個人的な実在観に熱心な関心をよせることがなかったならば、けっして記録に残されることはなかったであろう。このことは或る場合においてはすでに真実であることを、私たちは知っている。したがって、それは他の場合にも同じように真実であるかもしれないのである。奇蹟的な治療はつねに超自然主義者の商売道具の一部分であった、そしてつねに空想の作り話として科学者に斥けられてきた。しかし、科学者も遅まきながら催眠術の諸事実に教育されて、最近では、この種の現象に対する類化集団をもつにいたった。その結果、科学者も今日では、精神治療ということが、とくにこれを「暗示」の結果と称するという条件で、ありうることを認めるようになった。聖フランチェスコの手足にあらわれた十字架の傷痕さえ、こう考えてみると、作り話ではないかもしれない。また同じように、悪鬼に温かれるという昔からの現象も、今日では事実として科学者から承認されようとしている。ただそれを類化するのに科学者は「ヒステリー性悪鬼憑き病」という名を使っているだけのことである。神秘的な諸現象を、新たに創られたこの科学的な名で呼ぶことの妥当性がどこまで続くか、誰にも予見できない──「予言」でさえ、「霊の作用による物件の空中浮揚現象」でさえ、このわくのなかにはいってしまうかもしれない。
 こうして、科学的事実と宗教的事実との分離は、必ずしも、一見そう思われるほど永久的なものではないかもしれないし、また、原始的な思考にあらわれた世界の人格的な見方も浪漫的な見方も、必ずしも顧みる必要がないほど用をなさなくなってしまってはいないかもしれない。要するに、人間の究極的見解は、いまはどうとも予見できないが、ちょうどすべて進歩の道が直線的よりはむしろ螺旋的に進むように、むしろ人格的な型に逆もどりするかもしれない。もしそうであるなら、厳密に非人格的な科学の見方も、いつか、派閥的な科学者が現在まったく確信し切って唱えているような決定的に勝利を握った立場などではなくて、むしろ一時的に役だった偏見でしかなかったと見られる日が来るかもしれない。

 これで諸君も、この講義を通じて私がなぜそれほど個人主義的であったか、そして、なぜ私が宗教における感情の要素の名誉を回復し、宗教の知的な部分を軽視することばかりにあれほど熱中しているように見えたか、おわかりのことであろう。個性は感情に基づいている。そして感情の奥底、すなわち性格のより暗くより盲目的な層こそ、私たちが真の事実の生成過程をとらえ、事象がどのようにして起こるか、わざが現実的にどうしてなされるかを直接に知覚する、世界における唯一の場所なのである(*1)。このいきいきとした、個人化された感情の世界と比べては、知性の観想する普遍化された対象の世界などは、中実なかみなければ生命もない。双眼写真機ステレオスコープに映る映像、あるいは映写機で撮った写真と同じように、そこには第三次元がない、運動がない、生きた要素がない。私たちは急行列車の美しい写真を見て、動いていると想像する。しかし、私の或る友人が言ったことであるが、その写真のどこに、あのエネルギーが、あるいはあの時速五○マイルがあるのか(*2)?
(*1) ヒュームの批判は物理的な事物の世界から因果律を追放した。そして「科学」は原因を付随的変化という言葉で定義して完全に満足している──マッハ、ピアソン、オストヴァルトを読まれたい。因果という考えの「原型」は、私たちの内面的な個人的経験のうちにある。そしてこの個人的経験のなかにのみ、旧い意味における原因は直接に観察され叙述されることができるのである。
(*2) ある宗教新聞で「神について私たちの言いうる最善のことは、おそらく、神は不可避的な推理であるということであろう」というような言葉を読んだが、そういう傾向は宗教を知的な用語に蒸発させてしまうものだと私は考える。いったい殉教者たちは、いかに不可避なものであろうと、単なる推理のために火炎のなかで讃美歌を歌ったのであろうか? 聖フランチェスコやルターやペーメのような生来宗教的な人々は、一般に、知性が僭越にも宗教的な事柄をひねくりまわすのを、たいへん嫌った。けれども、どこにでも侵入する知性は、その浅薄化の結果をいたるところに示している。メソジスト派の古来の精神が、バウン教授のような哲学者のあの驚くほど立派な合理主義的な小冊子(これはみんなに読んでもらいたいものである)のもとで、いかに発散しているかを見られたい(Professor Bowne: The Chris-tian Revelation, The Christian Life, The Atonement, Cincinnati and New York, 1898, 1899,1900)。ほんとうの哲学と自称する哲学が宗教を積極的に排除しようとする目的を示している次のような例を見られたい。──
 「宗教は、」とヴァシュロー氏は書いている(Vacherot : La Religion, Paris, 1869, pp.313,436, etpassim)、「人間の精神の諸段階のうち、空想によって支配されている段階の表現にすぎず、人間性の永久的な決定に応ずるものではなくて、人間性の一時的な状態ないし条件に応ずるものである。……キリスト教はその財産の最後の相続者をただ一人しかもっていない、そしてそれは科学的哲学である。」
 もっと激しい調子でリボー教授(Ribot : Psychologie des Sentiments, p. 310)は宗教の消滅を述ベている。彼はそれを一つの方式に要約する──すなわち、合理的で知的な要素がだんだん優勢になってゆくにつれて、感情的な要素はだんだん薄れていって、純粋に知的な感情の群の中へ入ってゆく傾向がある。「いわゆる宗教的感情のうちで最後まで生き残るものは、宗教的発達の初期の特徴であった、恐怖の最後の名残りである不可知なXに対する漠然たる尊敬と、愛の最後の名残りである理想に向かって引きつける或る種の力とだけである。もっと簡単に言えば、宗教は宗教的哲学に変わってゆく傾向がある。──この二つは心理学的には全く別物であって、一方は、推論による理論的構成物であるが、他方は、人間の思考器官および感情器官の全部を活動させて、誰か偉大な、霊感を受けた指導者か、あるいは一群の人々によってなしとげられる生きた仕事である。」
 宗教の本拠が個人性にあることを見誤った同じような例は、ボールドウィン教授(Baldwin: MentalDevelopment, Social and Ethical Interpretations, ch. x.)およびマーシャル氏(H. R. Marshall:Instinct and Reason, chaps. viii. to xii.)の、宗教を「保守的な社会勢力」にしてしまおうとする試みにも見られる。

 それゆえに、私たちは、個人の運命を問題とし、したがって私たちの知る唯一の絶対的実在とつねに接触している宗教が、必然的に人間の歴史のなかで永久的な役割を演ぜざるをえないということに、同意しなくてはならない。そこで次に決定すべき問題は、宗教はそのような運命について何を啓示するか、あるいは、はたして宗教は人類への一般的使信と考えられるに足るほど明確な何ものかを啓示するであろうか、ということである。ご承知のとおり、私たちは準備的な考察を片づけたので、いよいよいまから私は最後の総括にとりかかることにしよう。
 胸をわくわくさせるような文献をいろいろと引用し、感情を鼓舞するような制度や信仰の展望をこれまでの講義で与えておきながら、その後で今度は無味乾燥な分析を始めるのは、諸君の多くの方々の目には、興味を盛り上がらせ成果を増進することにはならないで、竜頭蛇尾であり、主題をだんだんとやせ細らせ平板化するもののように映るだろうことを、私はよく知っている。私は少し前に、プロテスタントの宗教的態度はカトリック教徒の想像力から見るといかにも貧弱に見える、と言った。ところが、私がこの問題についておこなう最後の総括は、諸君の或る方々には、初めは、それ以上に貧弱に見えるかもしれないと思う。この点に関して、私は諸君が次の点に留意されるようお願いしたい。すなわち、私はいま故意に、宗教を許されるかぎりその最低の言葉に、個人主義的な登物を除いて、すべての宗教にその核心として含まれ、すべての宗教的な人が同意できると期待できそうな最小限度のものに還元しよう、と試みているのである。もしこれが確立されれば、私たちは、小さくはあるが少なくとも実のある成果を得ることになるであろう。そして、この成果の上に、またその周りに、個人個人がそれぞれ自己の冒険によって付け加えるさまざまな、もっと血色のよい緩刺とした信仰が、接木つぎきされて、諸君の思いどおりに豊かに花をひらくことができよう。私は私なりに私自身の信仰(これは批判的哲学者たるにふさわしくわらか青白い種類のものであろう、と私は思う)を付加するであろうし、諸君もまたおそらく諸君なりに諸君自身の信仰を付加されることであろう。そうして私たちはやがてもう一度、いろいろの具体的な宗教的構築物の世界に住むことになるであろう。しかし差しあたり、私は無味乾燥な分析の仕事を果たさねばならない。
 思想と感情とはどちらも、人間の態度の決定者である。そして同一の態度が感情によって決定されることもあるし、また、思想によって決定されることもある。宗教の全領域を見渡すと、そこには実にさまざまな思想がおこなわれているのが見られる。しかし、一方において感情、他方においては態度、この両者は、ほとんどつねに同一である。例えば、ストア派の聖人も、キリスト教の聖徒も、仏教の聖者も、その生活では実際的に区別がつかないのである。ところが宗教の生み出す理論は、現に見られるようにさまざまである、しかし、宗教の理論は第二次的なものである。そしてもし諸君が宗教の本質を摘もうと望まれるならば、諸君は理論よりもいっそう不変的な要素として、感情と態度とに留意しなければならない。宗教がそのもっとも主要な仕事を営んでいる短絡は、この二つの要素の間にある。これに反して、概念や信条やその他の制度は環状ループ線を成していて、それらは完成したもの、進歩したものであるかもしれず、いつかはその全部が統合されて一つの調和した体系にさえなるからしれないが、しかし、宗教生活を営んでゆく上にいつでも必要で不可欠な機能をうつ器官とは見なされえない。これが私たちが検討してきた現象から当然引き出すことのできる第一の結論であると私には思われる。
 次の問題は、宗教的感情の特性を述べることである。宗教的感情はいかなる心理的領域に属するものであろうか?
 宗教的感情から生きる結果は、いつでも、カントが「強壮な」(schenic)感情と呼んでいるもので、それは快活な、開放的な、強壮剤と同じように私たちの生活力を新鮮にする、「動力発生的な」種類の興奮である。ほとんどすべての時間の講義において見たところであるが、ことに回心に関する講義と聖徳に関する講義とにおいて、この感情がいかに憂欝な気質に打ち勝ち、当人に忍耐力を与え、生活のありふれた事物に風味とか意味とか魅力とか光輝とかを与えるものであるかを、私たちは知った。リューバ教授がそれを「信仰状態」と名づけているのは、適当である。それは心理学的状態であると同時に生物学的状態であって、トルストイが信仰を、人がそれによって生きるところの力の部類に入れているのは、絶対に正しい。信仰のまったき欠如、すなわち anhe-donia(快感欠乏)は、精神の虚脱状態を意味する。

 この信仰状態は最少量の知的内容しか含んでいないかもしれない。そのようないくつかの例を私たちは、あの神の現前に接して生ずる突然の恍惚境や、バック博士の叙述したような神秘的な感動において見た(*1)。それは半ば霊的な、半ば身体的な、単なる漠然とした熱狂であるかもしれないし、勇気であるかもしれないし、また、何か偉大なふしぎなものの気配がするという感情なのかもしれない(*2)。
(*1) 四○○(本訳書、下巻二一三)ページ。
(*2) 例。アンリ・ペレイヴは、グラトリにこう書いている。「私は、あなたが今朝、私の心のなかに目ざめさせてくださった幸福を、どう扱ったらよいのかわかりません。それは私を圧倒します。私は何かをしようと思うのですが、何もすることができませんし、何をするにも堪えないのです。……できることなら私は大きい事をやりたいのですが」と。感動的な会談をしたあとで、彼はふたたびこう書いている、「喜びと望みと力とに酔ったようになって、私は家路につきました。私はすべての人々から離れ、ただひとりで私の幸福を味わいたいと思いました。もう遅かったのですが、それには気もつかずに、私は山道に入り、まるで狂人のように、天ばかり見、地面には構わずに進んで行きました。突然、本能が私を急にうしろへ退かせました──私は断崖のすぐ淵にいたのです。もう一歩ふみ出していたら、私は落ちていたに相違ありません。私はこわくなって、私の夜の散歩をやめました。」 A. Gratry: HenriPerreyve, London, 1872, pp. 92, 89.
 こういう信仰状態においては、漠然とした開放的な衝動の方が方向よりも優位を占めていることは、ウォルト・ホイットマンの詩によく表現されている(『草の葉』一八七二年、一九〇ページ)──
 「ああ、樹木や動物のように、夜や暴風や飢えや嘲笑や事故や挫折に直面したいものだ……
 「愛する仲間よ! 実のところ、僕は君が僕とともに前進するように勧めてきた、そして今もなお君に勧めている、だが、僕らの運命がどうなるか、僕は全然知らないのだ、
 僕らは勝利を得るのか、それとも、まったく鎮圧されて、敗北するのかどうかもわからないのだ。」
 進んで偉大なことをなそうとするこの覚悟、世界はその重要さ、ふしぎさなどによって偉大なことを生み出す力があるという感じ、これらはあらゆる高い信仰の未分化の萌芽であるように見えるであろう。私たち自身の野心の夢に対する信頼、あるいは、私たちの祖国の発展的運命に対する信頼、そして、神の摂理に対する信仰、それらはすべて、あの私たちの快活な衝動の奔流に、そしてあの現実に対する可能性の優越の感じに、その源をもっているのである。

 けれども、積極的な知的内容が信仰状態に結びつくと、その知的内容は信仰に影響を与えずにはいない。いずこの宗教的人間でも、彼らの実にまちまちでさまざまな信条の微細な点にまで情熱的に忠実であるのは、そこから説明できることである。信条と信仰状態とを「宗教」を形成する要素としていっしょにし、それらの「真理内容」を問題にしないで、それらを純粋に主観的な現象として取り扱うとき、それらが行動や忍耐力に異常な影響を与える点から見て、私たちはそれらを人類のもっとも重要な生物学的機能の一つに算えずにはいられない。宗教が人間を刺激し励ましたり人の心を麻酔させ和らげたりする影響力は実に大きいので、リューバ教授などは、最近の論文において、人間というものは、彼らの神を役に立てることができる間は、その神が誰であるかというようなことを気にしないし、そればかりか、いったい神があるのかどうかということさえ、まったく気にしないものだ、とまで極言している。リューバは言う、「その真相はこう表現されることができる。神は知られない神は理解されない神は利用される──或るときは食事の仕出し屋として、或るときは道徳的な支えとして、或るときは友人として、或るときは愛の対象として。もし神が事実において有益であれば、宗教的意識はそれ以上は何も問わない。神はほんとうに存在するのか? 神はどんなふうに存在するのか? 神とは何か? それらの問いはみな些細な問題である。神ではなくて生活が、より多くの生命、より大きい、より豊かな、より満足を与えてくれる生命が、結局は、宗教の目的なのだ。宗教のいかなる発展段階においても、生命に対する愛こそ、宗教の推進力なのだ(*1)。」
(*1) Loc, cit., pp. 571, 572, abridged. なお、宗教は第一義的には、世界の知的神秘を解こうと努めるものであるという見解に対する、この著者の非常に真実な批判をも参照。ベンダーの次の言葉をも比較せよ(W. Bender : Wesen der Religion, Bonn, 1888, pp. 85, 38)。「宗教は神を問うものではない、世界の起源および目的の探究でもなく、人間を問うのである。すべて宗教的な生命観は人間中心的である。」「宗教は人間の自己保存のための衝動の働きであって、この働きによって人間は、自分自身の力の限界に達したとき、世界を統御し支配する力に向かってみずから昇って行くことによって、世界の敵対的な圧力に反抗して、自己の本質的な目的を貫徹しようとするのである。」彼のこの著書全体がほとんどこの言葉の敷衍であるといっていい。

 したがって、宗教は、この純主観的な評価によって、或る意味で、批評家たちの攻撃から擁護されていると考えられなければならない。宗教は単なる時代錯誤や遺物でありえず、むしろ、知的内容をもっているといないとにかかわりなく、またそれをもっているなら、その内容が真であろうと偽であろうと、永久に重要な役割を果たすものでなければならないように思われる。

 次に私たちは単なる主観的効用の見地から一歩を進めて、知的内容そのものを調べてみなければならない。
 まず第一に、すべての信条は、互いにどれほど違っていようとも、すべてが一致して立証するような共通な核心をもっている。
 第二に、私たちはその立証を真であると考えるべきであるか?
 私はまず第一の問題をとり上げ、これに対してただちに肯定的に答えようと思う。事実、さまざまな宗教における互いに敵対している神々と信条とは、互いに他を抹殺し合ってはいるが、しかしそこにはすべての宗教が合流するように見える或る一様な意見がある。それは次の二つの部分から成る。
 一、不安感、および
 二、その解決。
 一、不安感は、もっとも簡単な言葉であらわすと、自然の状態にありながら、私たちにどこか狂ったところがあるという感じである。 二、解決というのは、より高い力と正しく結びつくことによって、この狂いから私たちが救い出されているという感じである。
 私たちがいま研究しつつある比較的発達している人々の場合には、この狂いは道徳的な性格を帯び、そして救いは神秘的な色調を帯びる。私たちがそういう人々の宗教的経験の本質を次のような言葉で方式化する場合、私たちは彼らすべてに共通なものの限界内にとどまっているのだと私は思う。──
 個人は、自分の狂いに悩み、その狂いを正常でないと感じているかぎり、それだけその狂いを意識的に越えているのであり、少なくとも、何かより高いものが存在するなら、そのより高いものに触れているのである。だから、狂った部分と並行して、そこには、まだごく無力な萌芽でしかなくとも、彼のより善い部分がある。これらのどちらの部分を彼の真の存在と見るべきなのかは、この段階ではけっして明らかではない。しかし段階二(解決あるいは救いの段階)に達すると(*1)、その人は自分の真の存在は自分自身のより高い萌芽の部分であることを知る、それも次のような仕方で知るのである。彼はこのより高い部分がこれと同一性質の或るより以上のものと境を接し連続していることを意識するようになる。このより以上のものは、彼の外部の宇宙で働いてから、彼はそれと現実に接触することができ、そして彼のより低い存在が難破して砕け散ってしまったときに、辛うじてそれにしがみついて、救われることができるようなものである。
(*1) 或る人々にとっては、この段階は突然に、他の人々には、徐々に到来し、さらにまた他の人々はそれを生涯を通じて実際に享有することを、記憶されたい。

 私にはこの現象はすべてこのようなごく簡単な一般的な言葉で正確に叙述されうるもののように思われる(*1)。この言葉は、分裂した自己とその葛藤とを説明している。人格の中心の変化およびより低い自己の降服という意味を含んでいる。助ける力が外部に出現することを表わしているが、しかしまた、その力と合一するという私たちの感じをも説明している(*2)。そしてまた、私たちの安全と歓喜の感じをも十分に是認している。私が引用したすべての自叙伝的な文献で、この説明の完全に適用されえないようなものは恐らくないであろう。いろいろの神学やさまざまな個人的気質に合うような特殊な細目を付け加えさえすれば、さまざまな宗教的経験の個々の形式ができ上がるであろう。
(*1) 実際上の困難は、一、自分のより高い部分の「実在性を実感する」こと。二、自分の自己をこのより高い部分だけと同一視すること。三、このより高い部分を他のすべての理想的存在と同一視すること、である。
(*2) 「神秘的活動が最高潮に達すると、私たちの意識は、自己以上であると同時に自己と同一である或る存在の感じに支配されているような気がする。その存在は、偉大なので神であるともいえるし、内面的なものであるので私であるともいえるのである。その存在の『客観性』はこの場合にはむしろ以上性あるいは非常性と呼ばれるべきものである。」 Recejac : Essai sur les fondements de la consciencemystique, 1897, p. 46.

 けれども、この分析は、宗教的経験を心理学的現象として考察しているに過ぎない。もちろん、「宗教的経験は大きい生物学的価値をもっている。人間がこの経験をもつとき、人間の精神的な強さは実際に増大し、新しい生命が人間に開かれる、そして、その経験は彼にとって二つの宇宙の力が出会う合流の場所に見える。けれども、それは、実際の効果が生み出されるにもかかわらず、主観的なものの感じ方、人間自身の空想の生む一種の気分でしかないかもしれないのである。そこで私は第二の問題に、すなわち、宗教的経験の内容の客観的「真理」は何か(*1)? という問題に、移らねばならない。
(*1) 生活にとって大きい価値をもっているものなら何によらず、それだけで真理たることが立証されていると信ずるのが、人間の自然な傾向であるが、ここで用いられる「真理」という語は、生活に対してもっているというだけの価値に付加される何ものかという意味に解されている。

 宗教的経験の内容のうちで、その真理性の問題がもっとも切実に提起される部分は、私たち自身のより高い自己が宗教的経験のなかで調和ある現実的な関係を結ぶにいたるように見える、あの「同一性質のより以上のもの」である。このような「より以上のもの」は単に私たち自身の観念に過ぎないものか、それとも、実際に存在するものか? もし実際に存在するのなら、それはどんな形で存在しているのか? それは存在すると同時に働くものか? そして、宗教的天才たちがあれほど確信している、より以上のものとのあの「合一」を、私たちはどんな形式で考えるべきなのか?
 これらの問いに答えようとするに当たって、さまざまな神学はそれぞれの理論的活動をおこない、そしてそれらの神学の差異がもっとも明瞭に見えてくるのである。「より以上のもの」が実際に存在しているとする点では、すべての神学が一致している。ただ、或る神学は、それがひとりの人格的な神あるいは神々の形で存在すると考えるのに対し、他の神学はそれを世界の永遠の構造のなかに埋まっている理想的な傾向の流れと考えて満足している、という違いがあるだけのことである。さらにその上、それが存在すると同時に働くものであって、諸君が諸君の生命をその掌中に投ずるときは何かが実際に良くなる、とする点では神学はみな一致しているのである。ところが、それとの「合一」の経験を論ずることになると、もろもろの神学の思弁的な差異がきわめて明瞭にあらわれてくる。この点について、汎神論と有神論、自然誕生と第二の誕生、業と恩恵と因縁カルマ、不滅と再生、合理主義と神秘主義、これらが昔から論争を続けているのである。
 哲学に関する私の講義の終わりのところで、私は、一個の公平な宗教科学ができて、それにいろいろな宗教の相違点をふるいにかけてその中から共通な教義を一つ選び分けさせ、そしてこの共通な教義を自然科学でさえ反対できないような名辞で公式化させたいものだという考えを、提出しておいた。そして、この教義を宗教科学にそれ自身の折衷的な仮説として採用させて、それを一般的な信仰として推薦させたい、と私は言った。そしてまた私は、私の最終講義で私自身そのような仮説を立ててみるつもりである、とも言っておいた。

 いよいよそれを試みる時が来たのである。「仮説」と言う以上、自分の論証を強制しようという野心は放棄されている。したがって私にできることは、せいぜい、事実とごく容易に適応するようなものを提供して、いわゆる科学的論理学でさえが、それを真であるとして歓迎しようとする衝動を押しとめるうまい口実を見つけえないようにしてしまうことである。

 私たちのいわゆる「より以上のもの」と、この「より以上のもの」と私たちとの「合一」の意味とが、私たちの研究の中心である。これらの言葉はどんな明確な叙述に翻訳されることができるであろうか? そして、これらの言葉はいかなる明確な事実を表わしているのか? もし私たちが無造作に或る特殊な神学、例えばキリスト教神学の立場をとって、「より以上のもの」をただちにエホバと決めてしまい、「合一」を、エホバがキリストの義を私たちに負わせることと決めてしまうなら、それは不当であろう。それでは他のもろもろの宗教に対して不公平なことになるであろうし、少なくとも現在の私たちの立場からすれば、過剰信仰となるであろう。
 私たちはまず、あまり特殊化されていない言葉を使って始めなければならない。そして、宗教科学の義務の一つは、宗教を他の諸科学との連絡を失わせないでおくことであるから、私たちは何よりも第一に、心理学者たちも事実と認めるような仕方で「より以上のもの」を叙述しようと努めるのが良いであろう。潜在意識的自己は今日では公認された心理学的実在物である。そして私はこれこそ正に、要求されている媒介的な概念であると信ずる。宗教的な考慮などまったく別にしても、私たちの魂全体のなかには、事実ほんとうに、私たちがいついかなる時に気づいているよりもより以上の生命がある。意識を超えた領域の探究はまだほとんど真剣に企てられてはいないが、マイヤーズ氏が一八九二年に彼の潜在意識に関する論文で言っていることは、それが初めて書かれた時と同じように今でも真実である。「われわれはそれぞれみな、実際には、自分で知っているよりも遥かに広大な永統的な精神的実在物である──どんな形にして表わしても決して完全には表現されえない個体である。自己は生体を通して現われる。しかしそこにはつねに自己の或る部分が現われないでいる。そしてつねに、有機的な表現の或る力が休止しているか保留されているかするように思われる。」私たちの意識的存在を浮彫りのようにくっきりと際だたせているこの大きな背景の内容の大部分は、無意味なものである。不完全な記憶、愚かしい連想、制止の働きをする臆病さ、マイヤーズのいわゆるさまざまな種類の「分離性の」現象、これらがその大部分をなしている。しかしまた、天才の仕事の多くも、ここに起源をもっているように思われる。そして、宗教的生活においてこの領域からの侵入がどれほど著しい役割を演じているかは、回心、神秘的経験、および祈りに関する私たちの研究において、私たちの知ったところである。

 そこで私は一つの仮説としてこう提唱したい。すなわち、私たちが宗教的経験において結ばれていると感ずる「より以上のもの」は、向こう側では何であろうとも、そのこちら側では、私たちの意識的生活の潜在意識的な連続である、という仮説である。このように承認されている心理学的事実を私たちの基礎として出発するならば、私たちは普通の神学の欠いている「科学」とのいがりを保つことができるように思われる。同時に、宗教的人間は外的な力によって動かされているという神学書の主張も支持されることになる。なぜなら、客観的な外観をとって、当人に外部かり支配されているような暗示を与えるのが、潜在意識圏からの侵略の特徴の一つだからである。宗教的生活においては、この支配は「より高い」ものと感ぜられるが、しかし、私たちの仮説によれば、支配しつつあるのは、もともと、私たち自身の精神のなかに隠れているより高い能力なのであるから、私たちを超越する力との合一の感じは、けっして単に見かけだけでなく文字どおり真実な武るものの感じなのである。
 この戸口を通って問題に入って行くのが、宗教科学にとって最善の道であるように私は思う。なぜなら、この戸口は多くのさまざまな見方の仲をとり持つからである。しかしそれは戸口にすぎないのであって、私たちが一歩この戸口を通って踏み入るやいなや、そして、その向こう側をさらに進んで行けば私たちの超限界的な意識は私たちをどこまで運んでゆくのかと尋ねるやいなや、たちまちいろいろな困難があらわれてくる。ここで過剰信仰は始まる。すなわち、ここで神秘主義と回心の恍惚状態とヴェーダンタ哲学と超越論的観念論とは、彼らの一元論的な解釈をめち出してきて、有限な自己が絶対の自己と再びいっしょになるのであるが、それはつねに神と一つであり、世界の魂と同一であったからである(*1)、と私たちに告げるのである。ここで、さまさまなすべての宗教の預言者たちが、彼らめいめいがあったと考えている幻視、幻聴、恍惚状心、その他の啓示をもち出して、自分の独特な信仰が本物であることを立証しようとするのである。
(*1) この信仰の表現をもう一つあげて、その観念との親しみを読者に増してもらうことにしよう。── 「もしこの部屋が何十年ものあいだ、真っ暗闇であるとして、そこへ諸君が入ってきて、『ああ暗いといって泣きわめきだしたら、それで闇が消えるであろうか? 蝋燭を持ちこんでマッチをするがいい、そうすれば、その瞬間に明るくなるのである。それと同じように、諸君が諸君の生涯中『ああ、私は悪いことをやった! たくさんな間違いをやった!』と考えていたところで、それでどんな役に立つというのか? それを私たちに告げるのに幽霊など要らない。光を持って来るがいい、そうすれば悪は瞬間のうちに去る。真の天性を強めよ、諸君自身を築け、光り輝く者に、まばゆく輝く者に、永遠に清らかな者に。諸君の出会う人めいめいの胸にその光り輝くものを浮かばしめよ。われらのひとりびとりがそのような状態に達して、たとえ最悪の人間を見ても、その人間の内に神を見ることができ、その人間を断罪する代わりに『起てよ、汝、光り輝く者よ! 起てよ、つねに清き汝よ! 起てよ、生まれることも死ぬこともない汝よ! 起てよ、全能の者よ! そして女の本性を顕わせよ!』と言えるようになれかしと私は願う。……これが、不二一元論の教える最高の祈りである。これがわれわれの本性を忘れることのない唯一の祈りである。」……「人は神を求めてなぜ外に出てゆくのか?……それは脈打っている君自身の心臓なのだ。しかも君はそれを知らなかった、そして君はそれを何か外部のものと間違えていたのだ。彼は近き者のうちもっとも近い者であり、私自身の自己であり、私自身の生命の実在であり、私の肉体であり、私の魂なのだ。──私は汝であり、汝は私である。それが君自身の本性なのだ。それを主張せよ、それを顕わせ。清くなるのではない、すでに君は清いのだ。君は完全になるのではない、君はすでに完全なのだ。君が考えるか行なうかするあらゆる善良な思想は、いわば幕を裂いているだけである、純潔と無限者と隠れています神とはみずから顕われるのだ。──それは万物の永遠の主体であり、この宇宙における永遠の証人であり、君自身の自己なのだ。知識は、いわばより低い段階、堕落である。私たちはすでにそれなのだ。どうしてそれを知る必要があるのか?」Swami Vivekananda:Addresses, No. xii., Practical Vedanta, part iv. pp. 172, 174, London, 1897; and Lectures,The Real and the Apparent Man, p. 24, abridged.

 私たちのうち、そのような特殊な啓示を個人的に恵まれていない人々は、まったくかかる啓示の外に立たざるをえず、少なくとも差しあたっては、そのような啓示は、それぞれ両立しがたい神学的信条を裏づけるのであるから、相互に消し合ってなんら確実な成果を遺さない、という決定をくださざるをえない。もし私たちがそれらの啓示のどれか一つを信奉するか、あるいは、哲学的理論を信奉して、非神秘論的な根拠に立つ一元論的汎神論を奉ずるかするならば、私たちは私たちの個人的自由を行使してそうするのであって、私たちの宗教を私たちの個人的な感受性にもっともよく適合するように作り上げているのである。これらの感受性のうちで、決定的な役割を演じているのは、知的な感受性である。宗教的な問題は第一義的には生活の問題、私たちに賜物として啓示されるより高い合一のなかで生きるか生きないかの問題であるけれども、その賜物を実在的なものと思わせる霊的興奮は、しばしば、個人の胸に強く訴えてくる或る特殊な知的な信仰ないし観念が動かされるまでは(*1)、個人の心に起こってこないであろう。したがってこのような観念はその個人の宗教にとっては本質的なものであろう。──ということは、過剰信仰がいろいろの方向をとるということは絶対に避けられないことで、だから、それらの過剰信仰自体が不寛容でないかぎり、私たちもそれらの過剰信仰をやさしい寛容な態度で遇すべきである、ということなのである。私がどこかで書いたことがあるように、一個の人間に関してもっとも興味ぶかく、かつ貴重なものは、普通、その人間の過剰信仰なのである。
(*1) 例えば、次にあげる例では、或る女性は、生まれるときからキリスト教的な諸観念にさらされてきたが、その諸観念が降神術的な形に表現されてはじめて、救いの経験が生じたのである。
 「私としては、降神術が私を救ったと言うことができます。それは私の生涯の危機的な瞬間に私に啓示されました。そしてこのことがなかったら、私はどうなったかわかりません。降神術は私に、この世の俗事から脱却して来たるべき事物に望みを託すべきことを教えました。降神術によって私は、すべての人々、もっともひどい犯罪者でさえ、私がもっともひどい目にあわされた人々でさえ、まだ十分に成長していない兄弟たちであり、私は彼らに助力と愛と罪の赦しとを負うているのであることを、悟りました。私はどんなことがあっても腹をたててはならないことを、誰をもさげすんではならないことを、すべての人々のために祈らなければならないことを、学びました。何よりも私は祈ることを学んだのです! そして私はこの方面でまだまだたくさん学ばなければなりませんが、それでも祈りはつねに私に強さと慰めと楽しみとをもたらしてくれます。私は以前にもまして、私が長い長い前進の道をまだやっと数歩しか踏み出してはいないことを感じます。しかし、私は前途の長さを見ても、落胆いたしません。私は自分のすべての努力が報われる日が必ず来るものと信頼しているからです。こんなわけで、降神術は私の生涯のなかで大きな場所を占めているのです、ほんとうに、第一の場所を占めているのです。」Flournoy Collection.

 過剰信仰はしばらく措いて、一般的、共通的なものだけに限ってみると、意識的人格は救いの経験をもたらしてくれるより広大な自己と連続しているという事実こそ(*1)、宗教的経験に関するかぎり文字どおり客観的に真であると私に思われる宗教的経験の積極的内容をなすものである。そこでいま私たちの個性のこの広がりのはるか向こうの限界に関する私自身の仮説を述べようとするに当たって、私は私自身の過剰信仰を提供することになろう。──これが諸君の或る方々には、悲しむべき信仰以下のものと見えるであろうことを私は知ってはいるが、──それに対して私は、逆の場合に私が諸君に与えるだろうと同じ寛大さを示されるよう、あらかじめお願いするばかりである。
(*1) 「適切にも慰安者と呼ばれる聖霊の影響力は、ちょうど電磁気のそれと同じように確実な実在として、現実的経験の事柄なのである。」W, C, Brownell, Scribner's Magazine, vol. xxx. p. 112.

 私たちの存在のはるか向こう側の限界は、感覚的に知覚される、そして単に「悟性で知られる」世界とは全くちがった存在の次元に食い込んでいるように私には思われる。それは神秘的領域と名づけてもいいし、超自然的な領域と名づけてもかまわない。私たちの理想的な衝動がこの領域に起源するかぎり(そして、私たちの理想的な衝動はほとんど全部この領域に起源するのである。なぜなら私たちはそういう衝動が私たちにはっきり説明できないような仕方で私たちを支配していることを知っているからである)、私たちは、私たちが目に見える世界に属しているのよりかはるかに本質的な意味で、この領域に属している。なぜなら私たちは私たちの理想の属しているところにこそ、もっとも本質的な意味で属しているのだからである。けれども、問題のこの目に見えない領域は決して単に理想的なものではない。なぜならそれはこの世界のなかに現実的効果を生み出すからである。私たちがこの領域と交わるとき、現実的にわざが私たちの有限な人格の上におこなわれるのである。なぜなら私たちは新しい人間に変わるからであり、そして、私たちの再生的変化に続いて、その結果が、自然的世界における行為の上にもあらわれるからである(*1)。ところが、他の実在のなかに効果を生み出すものは、それ自身一つの実在と呼ばれなければならない。だから、目に見えない、あるいは神秘的な世界を非実在的と呼ぶべき哲学的な理由を、私たちはなんらもたないように私は思う。
(*1) 私たち自身の心を開く措置、別の言葉で言えば祈りが、或る人々にとっては全く明瞭な行為であることは、これまでの講義で十分明らかにされたところである。私はもう一つ別の具体例を付加して、読者の心に印象を深めておきたいと思う。──
 「人間は〔有限な思想の〕このような限界を超越して、意のままに力と知恵とを引き出すことを学ぶことができる。……神の現前は経験によって知られる。より高い水準への飛躍は、意識の明確な行為である。それは漠然とした、薄明の、あるいは半意識的な経験などではない。それは恍惚状態ではない、夢幻状態ではない。ヴェーダンタ哲学の言うような超意識ではない。それは自己催眠によるものではない。それは意識が感覚知覚の現象から霊視の現象へ、自己についての思想から明らかにより高い領域へ、全く平静に、健康に、正常に、合理的に、常識的に、転移することである。……例えば、もし低い自己が神経質で、心配性で、緊張しすぎているなら、その自己をほんの数瞬間のうちに平静にさせることができる。これはただ一語で行なわれるのではない。またむろん、それは催眠術でもない。力の行使によるのである。暑い夏の日に暑さが知覚されるのと同じようにはっきりと、平安の霊が感じられるのである。太陽の光線を焦点に集めて木片に火をつけることができるのと同じように確実に、その力を使うことができるのである。」The Higher Law, vol. iv. pp. 4, 6, Boston, August, 1901.

 神は、少なくとも私たちキリスト信者にとっては、最高の実在をあらわすごく自然な呼び名である。だから私は宇宙のこのより高い部分を神の名で呼ぼうと思う(*1)。私たちと神とは相互に取り引き関係をもっている。そして私たち自身の心を神の影響力に対して開くことによって、私たちのもっとも深い運命は充足される。私たちめいめいが神の要求を充たすか避けるかに比例して、宇宙は、私たちの個人的存在が構成しているその部分は、真に善くも悪くもなるのである。ここまでは、多分、諸君も私に養成されるであろうと思う。なぜなら、私は、神は現実的な効果を生み出すから現実的にある、という人類の本能的な信念と呼んでいいことを、ただ図式的な言葉に翻訳しているだけだからである。
(*1) 超越論者たちは「大霊」という用語を好む。しかし普通、彼らはこの用語を、交わりの媒体しか意味しないものとして、主知主義的な意味で使っている。「神」とは、交わりの媒体であるとともに、原因となる発動者でもある。そしてこれが私の強調したい面なのである。

 いま問題としているような事実的効果は、私がいままでのところで承認したかぎりでは、さまざまな個人のエネルギーの人格的中心に及ぼされるものであるが、ほとんどすべての人が、この効果はそれ以上に広い範囲にわたるものだと、自然的に信じている。大部分の宗教的人間は、単に彼ら自身ばかりでなく、神の現前したもう全宇宙の存在者が、神の慈しみ深い御手のなかに安全に守られていることを信じている(あるいは、神秘主義者ならば、「知っている」)。地獄の門が開いていようと、この世の事象がどんなに不運不利に見えようと、私たちみんなが救われているような或る感じが、或る次元があることを、彼らは確信しているのである。神の存在は、永遠に維持さるべき或る理想的な秩序があることの保証である。なるほど、科学が断言しているとおり、この世界はいつかは焼けつきてしまうか、凍ってしまうかするかもしれない。しかし、もしそれが神の秩序の一部分であるにしても、古来のもろもろの理想は必ずやどこか他の場所で見事に達成されるはずであり、したがって、神のいますところでは、悲劇は単に一時的、部分的であるにすぎず、難破と解体は絶対究極的なことではない。神に関する信仰の歩みがこのようにさらに踏み出される場合にのみ、そして遥かに遠い未来の客観的帰結が予言される場合にのみ、宗教は最初の直接的、主観的な経験から完全に解放されて、現実的な仮説を活動させるのである、と私は思う。科学における優れた仮説は、それが直接説明するように要求されている現象の性質だけではなく、それ以外の現象の性質をも説明するものでなければならない。そうでなかったら、その仮説は十分に多産的ではない。宗教的人間の合一の経験に入ってくるということだけしか意味しないような神は、そのようないっそう有用な種類の仮説たるには足りない。人間の絶対的な確信と平安とを正当とするためには、神はもっと広い宇宙的な関係に入らなくてはならない。
 私たち自身の限界外の自己のこちら側から出発して、その向こう側の限界において私たちが交わるにいたる神が、絶対的な世界支配者でなければならないとするのは、もちろんはなはだ著しい過剰信仰である。しかし、それは過剰信仰ではあるけれども、ほとんどあらゆる人間の宗教の一箇条である。私たちはたいていなんらかの仕方で私たちの哲学の上に過剰信仰をしているつもりでいるが、実は哲学自身こそ、この信仰の上に接ぎ木されているのである。ということは、宗教は、その機能をもっとも遺憾なく発揮する場合、すでにどこかで与えられている事実の単なる照明ではなく、また、愛情のごとく、事物を薔薇ばら色の光で見る単なる情熱でもない、と言っているのにほかならない。私たちが十分に見てきたように、事実そのとおりではある。しかしまた、宗教はそれだけのものではなく、それ以上の或るものである。すなわち、新しい事実の要請者でもあるのである。宗教的に解釈された世界は、唯物論的な世界を言いかえただけのものではない。それは呼び名の変更以上に、唯物論的な世界があっているものとは或る点で違った自然的構造をもっているに相違ない。したがって、そこでは異なる種類の出来事が期待されうるし、また異なった態度が要求されなければならないのである。
 このまったくプラグマティックな宗教観は、普通、一般の人々には当然のことと見なされているものである。人々は自然の領域へ神的奇蹟を插入した。彼らは墓の彼方に天国を建設した。自然になんら具体的なものを付加することなく、また自然からなんら具体的なものを控除することもなく、ただ自然を絶対精神の表現と呼ぶだけで、自然を現にあるより以上に神的なものとすることができると考えるのは、超越論的な形而上学者ばかりである。私は宗教をプラグマティックに解する方が、いっそう深い見方だと信じている。この見方は宗教に魂と同時に肉体を与える、すべて現実的なものが要求せざるをえないように、この見方も自分自身の領分として或る特有な事実の領分を宗教に要求させる。信仰状態や祈りの状態においてエネルギーが実際に流れ込んでくるという事実のほかに、それ以上に特有ないかなる神的事実があるのか、私は知らない。しかしそのようなものが存在していると信ずるのが、私がそれに一身を賭していかなる危険をもあえて辞さない過剰信仰なのである。私が身につけた教育全体から確信するにいたったことは、私たちの現在の意識の世界は、存在している多くの意識の世界のうちの一つにすぎないこと、そして、これら別の世界は、私たちの生活に対しても或る意味をもつような経験を含んでいるに相違ないこと、そして、大体においてそのような世界の経験はこの世界の経験とはどこまでも別個のものではあるけれども、或る点において両者は連続し、それによってより高いエネルギーがしみ込んでくる、ということである。この過剰信仰に対して乏しいながらもできるだけ私が忠実であることによって、私は自分自身がより健全で真実でいられるように思われる。もちろん私とても派閥的な科学者の態度をとることも、感覚の世界と、科学的法則および対象の世界とが全部なのかもしれない、といきいきと想像することもできる。けれども、そういう態度をとるたびごとに、私には、W・K・クリフォードがかつて書いたあの心の中の戒告者が「馬鹿な!」と囁くのが聞こえるのである。たわごとは、たとえそれが科学的な名をもっていようとも、どこまでもたわごとである。そして私が客観的に眺めるとき、人間的経験の全表現はどうしても私をして、せまくるしい「科学的」な境界を超えさせずにはおかない。確かに、現実の世界は、自然科学が認めているのとは違った性質のものである、──よりいっそう複雑にできているのである。このようにして、客観的意識からも主観的意識からも、私は私の述べたような過剰信仰に達せざるをえない。個人個人が、この地上においてそれぞれ自分自身の貧弱な過剰信仰に対して忠実であることが、やがて神ご自身の大いなる事業に対してそれだけいっそう忠実であることになって、現実に神のお役に立つことになるかも知れないのである。

解説

〔…〕

 この講義の原稿は、ジェイムズが第二回の講義のためアメリカを立つ前に印刷に回されていたので、彼が講義を終えてケンブリッジに帰ったときには、『宗教的経験の諸相──人間性の研究』という題名ですでに出版されていた。この書物も、講義と同様に、大成功をおさめ、驚くべき売れ行きを示した。翌年の一月九日に、ジェイムズはふたたびフルールノアにこう書き送っている。「書物は三ドル以上もするのに実によく売れている。すでに一万部も刷られている。ぼくは見知らぬ人々から熱狂的な手紙をたくさんもらった。」単にアメリカの学者ばかりでなく、ヨーロッパの多くの学者も絶賛の書簡を寄せており、そこには重要な見解や評言が散見されるが、ここには一つだけ、ベルグソンが一九〇三年一月六日に送った手紙の一部を引用するにとどめよう。
 「お送りくださった書物──『宗教的経験の諸相』──を、たったいま私は、読み了えたところです。そして、拝読してどんなに深い感銘を受けたかをお伝えせずにはいられません。少なくとも十二日ほど前に読み始めたのですが、その瞬間から今まで、私はほかのことは何ひとつ考えることができないでいます、ご本は初めから終わりまで、それほど魅力があり、そして──どうかこう言わせてください──それほど私を感動させました。あなたは宗教的情緒の真髄を摘出することに成功されたように私は思います。宗教的情緒が一種独特の喜びであるとともに、より高い力との合一の意識でもあるということは、おそらく私たちがすでに感じてはいたことでしょうが、しかしこの喜びとこの合一の本性は、分析することも表現することもできないものと思われておりました。にもかかわらず、読者に一連の全体的印象を次々と与えて、──読者の心のなかでその印象を相交わらせ、同時に互いに融合させるという斬新な方法をとられたお陰で、あなたにはそれを分析し表現することができたのです。そこにあなたは一つの道を拓かれました、きっと多くの者があなたの後を追うことになるでしょう、しかし、あなたはその道をいっぺんでたいへん遠くまで進んでしまわれましたので、あなたを追い抜くことはおろか、あなたに追いつくことさえ困難でありましょう。」
 この講義においてジェイムズが何を語り、何を訴えようとしたのか、その論点について、一九○○年四月十三日、「毎朝、ベッドのなかで少しずつ走り書きし、第三講の四四八ページに達した」ことを伝えたモースへの手紙でこう書いている。
 「私が自分に課した問題は困難な問題です。第一には、『哲学』に反対して『経験』を弁護し、それが世界の宗教的生活の真の背骨であることを論ずること、第二には、聴衆あるいは読者に、私自身が信じざるをえないことを、すなわち、たとえすべての宗教の特殊なあらわれ(つまりその教条や理論)は不条理なものであったにしても、しかし全体としての宗教の生活は、人類のもっとも重要ないとなみであることを、信じさせることです。ほとんど不可能に近い課題で、私には果たせないかもしれません、けれども、やってみるのが私の宗教的な行為なのです。」
 また第一課程の講義の最終回の前日、一九〇一年六月十六日、ランキン Henry W. Rankin にはこう書き送っている。
 「いま、第一課程の講義の終わりにきて、私は私の「問題」がいっそうはっきりした形をとるにいたったように思います。……この講義で私のとった立場は次のとおりです。すべての宗教の母なる海と水源は、神秘的という言葉をごく広い意味に解して、個人の神秘的経験のうちにあります。すべての神学やすべての教会主義は、上積みされた第二義的な産物です。そういう経験は、その経験をする当人の知的な先入観と容易に結びついてしまうので、それ自身の個有な知的表現をもたないと言ってもよいくらいですが、知性の住むところよりもより深い、より肝要で実践的な領域に属しています。そのために、神秘的経験は知的な論証や批評によって論破されることもできないのです。私は神秘的あるいは宗教的意識を、神託が侵入してくる薄い隔膜をもった広い識閾下の自己というものをもっていることに結びつけて考えます。私たちは、私たちの通常の意識よりもいっそう大きくていっそう力強い、それにもかかわらず私たちの意識が連続している、ひとつの生命圏の現前を知らされずにはいられません。そこから私たちが受けとる印象や刺戟や情緒や興奮は、私たちが生きていくのに力をかしてくれます、感覚のかなたにひとつの世界のあることを、いやおうなく確信せしめます、私たちの心を動かし、あらゆるものに意義と価値を与えて、私たちを幸福にしてくれます。みずからそれを経験した個人はそうなり、他の者はそういう人々に従うのです。宗教はこうして不滅なものです。哲学や神学は、この経験的な生命の解釈を供するばかりです。識閾下の領域の周辺は、まだ知られてはいませんが、それは、先験的観念論によっては、私たちがその一部分と一つに結び合っている絶対的精神として扱われ、キリスト教神学によっては、私たちに働きかける独特な神として扱われることができます。私たちの直接的な自己でない何ものかが、私たちの生命に働きかけるのです! キリスト教の説明をあっさり片づけて、しかもキリスト教が生まれてくるより一般的な基礎を弁護する私は、聴衆にはおそらくいいかげんな論をなすものと見えることでしょう。こう簡単に述べたのでは、誤解されることになるかとも思いますが、致し方がありません! 本が出ましたら、少しはよくわかってもらえるでしょう。」
 これら二通の手紙のうちに、ジェイムズがこの書において述べようとしたことの核心は語りつくされているといえる。一九一一年、ジェイムズの『プラグマティズム』のフランス訳が出たとき、ペルグソンは序文を書いてこれを推奨したが、この序文は、同じような魂と思想をもち互いに尊敬し合った友に対する真の理解を示すとともに、深い親愛の念を感じさせるもので、ジェイムズを語った他のいかなる論説も及ばぬ、さすがに巨匠の筆になる美事な文章である。そのなかでペルグソンは、ジェイムズが神秘家の心に通じ、神秘的な経験の意義を強調したことに共鳴を示しながら、次のように書いている。
 「『宗教的経験』に関する彼の書物が出たとき、多くの人はこれを宗教的感情のきわめて生き生きとした描写ときわめて鋭い分析としか見なかった──つまり、宗教的感情の心理学にすぎない、と言われた。これは著者の思想を甚だしく誤解したものであった。実をいえば、ジェイムズはちょうどわれわれが、春の日に、柔らかいそよ風を肌に触れて感じようとして窓からのり出したり、海辺で、風がどちらから吹いてくるのかを知ろうとして船の往き来や帆の膨らみを見まもるのと同じように、身をのり出して神秘な世界を見まもっているのである。宗教的な感激に満たされた魂は、ほんとうに高く持ち上げられ、われを忘れている。そのような魂は、われを忘れさせ高く持ち上げる力を、科学的実験におけると同じように、われわれに生き生きと理解させるものではないだろうか。ここにおそらくウィリアム・ジェイムズの『プラグマティズム』の起原がある、その着想はそこにある。われわれが知らねばならない最も重要な真理は、ジェイムズにとっては、思考される前に感じられ生きられた真理なのである。」
 ベルグソンの言うとおり、事実、ジェイムズの「プラグマティズム」は、そこに起原をもち、彼がギフォード講義の準備を始めてから間もなく着想されたものであった。一八九八年八月二十六日、カリフォルニア大学の哲学会におけるジェイムズの講演「哲学的概念と実際的効果」は、プラグマティズムの燈火と言われ、この新しい哲学の誕生を告げた記念すべき論文として知られているが、この題名も示すとおり、それはプラグマティズムの方法を提唱したもので、もちろん宗教を主題としたものではないけれども、プラグマティズムの思想が宗教の問題のなかから生まれてきた事情を、よく物語っている。この意味でもきわめて重要な論文であるから、本書および『プラグマティズム』に組み込まれていて一部叙述の重複するところもあるが、その由来を示す部分の一部を、長さをいとわず引いておこう。
 「宗教の命をつないでいるものは、抽象的な定義や論理的につなぎ合わされた形容詞の体系などとは違ったものであり、神学の諸分科やその教授たちとは別のものである。すべてこれらのものは、多くの具体的な宗教的経験の余波であり、派生的な添加物であって、心貧しい個人個人の生活のなかで永久によみがえってくる感情や行動と結びついただけのものである。そのような経験とは何かと問われるならば、それは、見えないものとの対話、声と幻、祈りに対する応答、心の変化、恐怖からの解放、救いの到来、助けの保証であって、これらは、或る人々が彼ら自身の内面的な態度を或る特定の方向に向けるときにいつでも生じるものである。この力は来ては去って見えなくなってしまい、あたかもなにか具体的な物質ででもあるかのように、わずかに或る一定の方向においてのみ見いだされるにすぎない。われわれの表面的な意識は、より広い霊的生命、についてのこのような直接的なさまざまな経験と連続していて、これと熱烈な交わりをおこなうのであって、かかる霊的生命の経験こそ、第一義的な直接の宗教的経験なのであり、これが世間ででいうすべての宗教の基をなし.遍在する神という観念を供し、これに基づいて組織神学はそれ自身の非現実的、衒学的な仕方でこの観念を利用するにいたるのである。『神』という言葉の意味するものは、諸君自身の生活におけるそのような受動的また能動的な経験にほかならない。ところで諸君、諸君自身がそのような経験を享受し尊重されるかどうか、それとも、冷然と見くだし、他人がそういう経験をするのを見てそれを錯覚であり空しいことだと思われるかどうか、それは私の目的にはどうでもよいことである。他のすべての人間的経験と同じように、そのような経験も確かに、錯覚を起こしたり誤謬に陥ったりし易いという一般的な傾向をもっている。宗教的経験だからといって、なにも絶対に誤ることがないという必要はないのである。しかし、そういう経験こそ確かに神観念の原文であり、神学はその翻訳なのである。思い出していただきたいが、私は神観念の真偽を論じようがためではなく、ただプラグマティズムの原理がいかによく働くかを明らかにしようがために、一例としていま神観念を用いているのである。組織神学のいう神が現実に存在しているか存在していないかというようなことは、実際的にはたいした問題ではない。せいぜいそれは、諸君が或る抽象的な言葉を語りつづけてよいか、別の言葉を用いることを止めねばならぬかということを意味するくらいのものである。しかしながら、諸君がそのような経験の支えの上に生活をいとなんでいる人々のひとりであるなら、このような特殊な経験の神が誤りであるということになったら、それは諸君にとって恐ろしいことである。そういう有神論論争は、単に学問的、神学的なものにすぎないと考えれば、実に瑣末なことであるが、それが実際生活に及ぼす結果というテストにかけてみると、恐ろしく重大な意義をもってくるのである。」
 「およそ一個の人間の宗教は、その人間の生命のもっとも深く、もっとも叡智的なものである。」ジェイムズにとって、宗教は第二次的な産物ではなく、人間のもっとも根本的な経験の事実であった。だから、この書の副題に示されているように、宗教的経験の諸相を究めるという仕事は、やがて「人間性の研究」を意味しえたのである。人間の神秘な心の深層がどのように捉えられているかは本書の叙述が何より雄弁に物語っている。だからこそ、人としての気質を異にし、学者としての資質の違いから異なる方向に進んだパースも、この書を、「人間の心の洞察“pene-tration into the hearts of people”のゆえに」、ジェイムズの書物のなかでも「最善のもの」であると高く評価し、ジェイムズを「人間の魂を描くことのできた芸術家」であるとたたえたのである。
 かねてわたくしは「宗教経験諮相」という題名が、宗教と経験と諸相のいわば三一的構造をもつジェイムズ哲学の特質を、実に適切に表現していることを感じ、題名選択の巧みさに感歎していたが、ジャック・バーザンも彼の編になるこの書の序文で、諸相と経験と宗教の三語がジェイムズの哲学的気質を、そして思想の世界に対するジェイムズの寄与を定義していることを述べている。この意味で、ジェイムズ哲学のバックボーンともいうべき彼のこの主著の繙読を、単に宗教に興味をもたれる読者ばかりでなく、広く哲学に興味をもたれる人々に、さらに人間心理の研究に関心をもたれる人々に、訳者はすすめたいと思う。

 ジェイムズは本書をその義母ギッベンス Elizabeth(Eliza) Putnam Gibbens に捧げている。「子としての感謝と愛情をこめて」の献辞からは、当然、この書と関係の深い亡父ヘンリーに献げられて然るべきもののように考えられるが、亡父へでも、また本書の執筆中、多くの犠牲を払ったと想像される妻アライスへでもなく、妻の母に献げられていることについて、最近ジェイムズの伝記を書いたアレン Gay Wilson Allen は、実母に献じられたことで妻は幸福であったであろうし、妻に対する感謝をいわば間接的にあらわしたものであろうと推察している。そしてさらにギッベンス夫人は、ウィリアムにとってもアライスにとっても、この書の結論においてジェイムズが宗教的生活の特徴として数えている第五のもの、すなわち「平安の気持」と「愛情の優越」の生きた模範であったからだと付言している。

 ジェイムズはある友人にあてて「私の文体に何かいいところがあるとすれば、それは労をいとわず何度でも書き直す結果です。どれでも私の書くものは、最初はまずいのですが、一度荒けずりのままで客観化しておけば、それをねじ曲げたり、こすり落としたり、たたき直したりしているうちに、気にさわらなくなるというわけです」と書いているが、彼はけっして気楽にペンを走らせる速筆家ではなく、むずかしい思想を明瞭に説明するためにたいへん骨を折った、むしろ遅筆家であったといわれる。この哲学者の文章は、いずれもそういう彫琢を経てでき上がった名文なのである。生来の名文家のそういう推敲しぬかれた立派な文章は、当然それにふさわしく訳出されるべきであり、そうするのが翻訳者としての義務ではあろうが、それは訳者の乏しい語学力のとうてい及ぶところではなかった。あまり抵抗を感じないで読める訳文を作るだけで精いっぱいであったことを、訳者は率直に告白しておく。そしてそれだけのためにも、訳者の微力は多くの知友の助けを借りねばならなかった。いちいち名前を挙げることをしないが、援助を惜しまれなかった方々に対し、ここに深甚の感謝を表しておく。
   一九六九年十一月   訳者(桝田啓三郎)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?