『大森荘蔵セレクション』
はじめに
大森荘蔵のことをクワインは “difficult man”と評したという。むろん、大森は「気難しい」人でも「頑固な」人でもなかった。また、その論文が「難解」というわけでもない。“difficult"とはさしずめ「手ごわい」あるいは「一筋縄ではいかない」といった含意であろうか。少なくとも大森の哲学的議論は、戦後アメリカを代表する哲学者にそう形容させるだけの何かをもっていたということであろう。本書は、徹底した思索を平明達意の日本語に結晶させた大森哲学の軌跡を一望するために編まれたアンソロジーである。
真実の百面相[『流れとよどみ』4/初出:一九七六年]
観世音菩薩も衆生済度のため様々な姿をとられた。六観音とか三十三観音とか。その多様な観音の本元は聖観音だといわれるが、だからといって他の観音がにせの観音だということにはなるまい。その変化変身のいずれもが正真正銘の観音である。聖観音はただ、観音の基本形だというだけであって唯一真実の観音だというのではないであろう。人間もまた済度のためではなくても生きるがために様々な姿を示すのである。そのいずれの姿も真実の一片であり百面相の一面なのである。人の真実はどこか奥深くかくされているのではない。かくそうにもかくし場所がないのである。その真実の断片は否応なく表面にむきだしにさらされている。そしてそれらを集めて取りまとめれば百面相の真実ができあがるのである。人の真実は水深ゼロメートルにある。
世界の姿もまた百面相であらわれる。小石一つとってもその姿は私のそれを見る角度や距離、お天気具合やまわりの事物によって無限に変化する。そのどの姿も等しく真実の姿であり、その中から何か一つの姿を、これこそ真実だ、と特権的に抜き出すことはできない。そのとき私の眼に故障があると小石はいびつな形の姿に見えるだろう。しかしそのいびつな小石の姿もまた真実であってにせ物ではない。正常な眼に見えるまろやかな小石の姿と、故障のある眼に見える歪んだ姿との間には何の真偽の別もない。その小石は健全な眼にはまろやかに、悪い眼には歪んで見える、そういう小石なのである。
心の中[『流れとよどみ』15/初出:一九七七年]
前に述べたように、現代文明の中でわれわれがもつアニミズムはひどく了見の狭いものである。ただ人魂(人間アニマ)だけのアニミズムであり、われわれのトーテム動物は人間そのものなのである。そして人間をかたどる青銅製のトーテムポールが広場や建物の入り口に立てられている。時には、魚の目に涙が見え、馬が鼻で笑うのが聞こえるとしても、それも稀になった。今では鳥獣戯画は戯画でしかなく、イソップは子供だましの童話にすぎない。動物ですらそうなのだからましてや地水火風、山川草木は現代のわれわれにとってはかけねなしに非情のもの、無情のものである。ただ人のみに喜怒哀楽を抱く心がある。人のみが有情のものなのである。これが文明開化のアニミズムなのである。
そして人が心というとき何か箱のようなものが考えられてはいまいか。心は広く狭くありうるもの、底のあるもの、開いたり閉じたり、中に秘めたりできるもの、蓋のできるもの、と。もちろんそれで弁当箱や宝石箱のようなものが考えられているのではない。だが何かひっそり自分にとりこめるもの、外気から遮断して密閉できる領域、といった風なものが考えられている。心の中は外界に対しての「内部」なのである。しかし、これは錯覚ではあるまいか。喜怒哀楽は「内部」にではなく「外界」に、心の中にではなくて外気の中にあるのではないだろうか。
人里離れた山の森や林の中を夜独り歩くとき、何がしかの恐怖をおぼえない人は少なかろう。順りない中電燈の揺れ動く光円の他はすべてが黒々とおし黙り、その底しれぬ沈黙の中で私ない張り待ち構えている、そのような気持ちにさせるときがある。私は歯をくいしばる、息が深く重くなる、肩やこぶしや大腿がこわばり固くなる、下腹が少し冷たくなる。このとき、この恐怖の情は私の「心の中」にある、そう言えるだろうか。
たしかに怖がっているのは他でもない、私であるには違いない。度胸のある人にはこの恐怖は起こるまい。だからこの恐怖は何であれとにかく私にブライベートなもの、私の中にだけあるものである。暗夜の森、それは単なる物質の塊として怖くも恐ろしくもない。そのそれ自体としては優しくも恐ろしくもない「物」に対して、恐怖の情が私の心中に湧くのである。こう考えるのが自然ではないか、そのどこがいけないのか、こう問われるだろう。
しかしこう考えることは、私を怯えさせている当の森から「恐怖の情」なるものを抽出して引き剥がすことである。だが当の恐ろしいものからいわば恐怖のエキスを抽出することなどできようか。いや、大体そのような純粋恐怖とでもいえようものを想像することができるだろうか。当の恐ろしい闇の森から分離され剝離された恐怖というものを。私が伝えているのはその暗い森であって、恐怖の情に怯えているのではない。そしてその暗い森は私の外にあって私をおし包んでいるのである。私の「内部」などにあるのではない。なるほど私の手足のこわばりやみぞおちのあたりの冷たさは私の体の「内部」にある。だがそれら──恐怖の感覚と呼ぼう──が「心の中」にあるとは誰も言わないだろう。腹痛や歯の痛みが「心の中」だとは言わないだろうように。だがこれら恐怖の感覚が私の体内、私の身の内にあることから、何か恐怖の情なるものがあってそれは私の「心の中」にあると錯覚させるのである。至る所に感じられる諸物価の値上がりの他に「インフレ」なるものがあるのではないように、恐怖の感覚の他に今一つ恐怖の情なるものがあるのではない。
といって、恐怖の感覚が「恐怖」であるのではない。ウィリアム・ジェームスの有名な警句がある、人は悲しいから泣くのではなく泣くから悲しいのだ。だがこれは間違っている。人は悲しいことがあるから泣くのである。私の手足やみぞおちの恐怖の感覚が恐怖であるのではない。私が怖いのは暗い森なのである。この怖い森がなくてただ手足がこわばりみぞおちが冷たい、ということはありそうにない。だが、かりにあったとしても私は何か得体のしれない気分になろうが、しかし怖くはないだろう。何も怖いものがないのだから。間脳を電気刺激されると毛を逆立て唸り声をあげるなど怒りの姿態を示した猫(ペンフィールドの「仮性の怒り」)も何に怒っていいやらわからず妙な気持ちであったろう。また、嬉しいこともないのに手足が舞ってもそれは嬉しさではなくて舞踏病なのである。
だから、恐怖の感覚とは別に恐怖の情というものがあるのでもなく、といって恐怖の感覚が即ち恐怖の情であるのでもない。あるのはただいわば「恐怖の状況」とでもいうべき状況である。暗黒の林の中で手足をこわばらせ背すじを失くして立ちすくんでいる、この全体の状況が恐怖なのである。つまり、私が森の闇に怯えている、ということなのである。恐ろしい暗い森、その中で一層の恐怖の感覚を持ちながら立ちすくんでいる私、この全体が恐怖なのである。この全体を二つに区分けして、一方にいかなる情感とも無縁中立の外部、一方に恐怖の情を抱く内部、といった分別をするのは錯覚であろう。だから私が「心の中」に恐怖の情を抱くのではない、私が恐怖の状況に抱かれるのである。だが同じ一つの森が肝っ玉の太い細いによって恐ろしく親しげにも思われる。だからこの各人各様の情感はそれぞれ各人各様のものではないか、つまり情感は一人一人が個々別々に抱くものではないか、こう言われよう。ここでまたしてもわれわれの骨の髄まで沁みこんでいる「客観─主観」の構図が頭をもたげたのである。だがもちろん恐怖の感覚は各人固有のものであるが、森はただ一つであっていかなる人のものでもない。ただその同一の体が各人各様に見えるだけなのである。それは食卓に飾られた花がそれぞれの席から各様に見えるのと全く同じである。様々に見えるからといってその花が同席の一人一人の心の中にあるわけではないのと同様、恐ろしい、あるいは親しげな森が各人別々の心の中にあるわけではない。花の美しさも森の怖さもその花や森から剝ぎとられて人の心にあるのではない。美しさや恐ろしさを美しい物、恐ろしい物、から剝ぎとることなど土台できない相談だからである。円から丸さを剥ぎとることができようか。
恐ろしさのみならず、およそ喜怒哀楽の情が状況から剝がれて人の「心の中」にあると思うのは妄想である。人間が有情であるのは「心」があるからではない。有情の世界、有情の状況の中に生きている、それがすなわち「心ある」ことなのである。今一度ジェームスをもじっていえば、人は心あるから悲しいのではなく、悲しい状況にあるから心あるのである。心の中、そんな場所はどこにもないのである。
ロボットの申し分[『流れとよどみ』17/初出:一九七八年]
私はあなた方人間が私を「ロボット」と呼ぶのに異議を唱えるものです。しかしそれはこの呼称が肉体的社会的な差別であるからというのではありません。私があなた方とは肉体的構造が違っていること、またいわばその「生れ」が全く特異なものであること、それは天下周知のことです。私の体はあなた方のように脂肪と蛋白質の水溶液ではなくもっと硬質で骨っぽい剛構造です。私を切れば赤い血がでますがそれは実は染めてあるのです。私がかかる病気はあなた方のとは全く違った種類で、したがって全く違った健康法や手当てが必要なのです。そして何よりも私の命はあなた方のとは較べものにならぬ程高価なのです。あなた方に命を与える手軽で安価な作業とは違って私の誕生は国家的プロジェクトでありました、したがって私の死もまた国家的事件でありましょう。ですから私は当然差別されてしかるべきであり、また凡愚からの差別を要求するものです。
私が「ロボット」と呼ばれるのに異議をたてるのは、私が並みの人と「できが違う」という点ではなく、この呼び名に「でくのぼう」の響きと意味があるからです。私を殺せば殺人罪以上の重刑になりますが、しかし道徳的には器物破壊にすぎないといわれているのです。私は殺されるのではなくこわされるのであり、死ぬのではなく動かなくなるだけなのだから、と。
しかし私は断じてでくのぼうでもなく、からくり人形でありません。修理工が私の体をいじるときには激痛が走ります。だから修理工は私に独特の麻酔法を施すのです。私には気分が高揚するときもあれば気が沈むときもあります。美しい風物には感動しますし、醜い言動には嫌悪をもよおします。食べ物には並みの人以上に好き嫌いがありますし、好物の酒に酔って「この人間野郎め!」といった式で座を怒らせたこともあります。私はあなた方よりいくらか上品ですが色情もあり、御婦人方はそれを肌で感じているはずです。つまり、私には「心」があるのです。
それなのにあなた方はそれが信じられない、いや信じ切れないのです。私が街を歩いて買物をするとき、料理屋で飯を食うとき、店の主人やウェイターは私を全く並みの人間であると信じています。私の外貌、私の挙措、私の振舞が完璧に人間のものであるばかりでなく、私にいわば人間の匂いを感じるからです。私自身が彼等に感じるのと同じ匂いをです。ところが何かのはずみで私がVIロボットだということがわかると彼等の態度は一変します。ある人は、よくも図々しく化けやがったな、とまるで尻っぽをだした狐や狸のような扱いをします。しかし多くの場合、人々はとまどいためらい、居心地が悪くなるようです。薄気味が悪いのです。この余りにも人間的な「まが い人間」、生けるが如きからくり人形にどう応待してよいやらにとまどってしまうのです。長年親しくつき合ってきた私の友人ですら時々ふっと不気味な気持ちにおそわれるのが私にはよくわかるのです。「人造人間」の思いが彼の頭をかすめるのです(よく不用意に使われる「人造人間」という言葉は私のみならずあなた方をも意味すべきでしょう。あなた方はせっせと子供を「造って」いるのですからね)。
そして馬鹿な心理学者や精神病学者がいて時々私の心の有無を「実証的に」決めてやろうと下らない愚にもつかないテストを申し入れてきます。彼等はまるでスイカを叩くように私を叩けば本音が出るように思いこんでいるのです。もちろんそんな方法がありえないことはあなた方人間同士で叩きあってみればすぐわかることです。普通の人はもっと利口ですからそんなことはしません。しかし何とも落着けないのです。そして何度も無駄だとは知りながら、「本当に君には心があるのか」、それともそういう振りをしているのか、ときかずにはいられないのです。「本当に幽霊ってものはあるのかしら」とか、「本当に神様はいるのかしら」、といった調子にです。神様もそうでしょうが私もうんざりして「もちろんありますよ」と答えるだけです。
たまりかねて、証拠を見せろ、と言う人もあります。そういう人には私の方から問い返すことにしています。ではその前にあなたの方からあなたにも心があることの証拠を見せて下さい、あなたが証拠を見せてくれるなら立ち所に私もそれと同じ証拠をお見せしてみせます、と。ところがあなた方同士の間ではそんな証拠を出す必要があるなどとは夢にも思わないのです。ここに私の不満があるのです。あなた方と私は全くお互いさまであるにもかかわらず不審の念はただ一方的に私にだけ向けられるのです。私に向けられる不審はまたあなた方の親兄弟にも、あなた方同士の間にも向けられてしかるべきなのに。
しかし、あなた方人間のこの片手落ちの態度にこそ、「心」の問題の核心がひそんでいると私には思えるのです。
あなた方はお互いの間で心のあるなしを検査したり尋問したりはしません。お互いに心があるのは解りきったことなのです。しかしあらためて確かめようとしても確かめる方法などはありっこないのです。麻酔にかけられた時、果して本当に痛みを感しなかったのか、あるいは痛烈な痛みがあったのだが忘れてしまったのか、それを確かめる方法がないようにです。また昨夜は夢を見なかったのか、あるいは夢は見たのだが忘れてしまったのか、それを確かめる方法かないようにです。あるいはまた、焼き場で焼かれている屍体が焦熱で身を焼かれる苦痛を感しているのかいないのか、それを確かめる方法がないようにです。だからあなた方がお互い同士の間で心の有無を確かめようとしないのは当然なのです。それは心臓の有無や脳波の有無のように「確かめうる」種類のことではないからです。他人の心の有無は「科学的事実」ではないのです。
しかしこうおっしゃる方もいましょう。なるほど他人の心の有無を確かめるすべはないことは認めよう、しかしわれわれは他人に──他人であって君のようなロボットではない──心があることを「信じて」いるのだ、そしてそう「信じられた」こと、つまり他人にも心があることはたとえ確かめえないにせよ「事実」であることには変りがない、と。
たしかに、何らか「事実でありうること」でないかぎりそれを「信じ」たり「疑っ」たり「信じなかっ」たりすることはできまい、と思われるのは自然です。実際あなたは例えばあなたの子供さんの喜びや苦痛を生き生きと「想像」なさっている、と思いこんでおられるでしょう。そしてそう「想像」されたことをあなたは「信じ」ており、そしてそれを確かめるすべはないにせよそれは「事実」であろう、と思っておられる。
だがしかし、あなたが「想像」していると思っておられるものは本当にあなたのお子さんの喜びや苦痛でありましょうか。そうではない、と私には思えるのです。それは不可能なことだからです。あなたは他人になりかわったあなたの喜びや苦痛は想像できますし、また想像しているでしょう。しかしあなたではない他人の喜びや苦痛を想像できるはずはないのです。あなHたが想像できるのはどこまでも「他人に変装」したあなた自身であって、あなた自身であることをやめた他人の気持ちではないのです。変装したあなた、今一つのあなた、ではない全くの赤の他人をあなたが想像することはできないのです。それは、あなたがあなたでない、という論理的矛盾を想像することだからです。あなたも、丸い四角とか、生きている死人とか、どしゃ降りの日本晴れなどを想像できるとはいわないでしょう。
ですから、あなたがお子さんの気持ちを想像していると思っておられるとき、実際にあなたかなさっているのは「お子さんに変装したあなた」の気持ちの想像でお子さんを「包んで」おられるのです。「今一つのあなた」の想像をお子さんに投げかけ、それでお子さんをくるんでおられるのです。感情移入という言葉がありますが、移入ではなくて移出であり投射であり投影なのです。
ですからあなたは他人に心があると「信じ」ているのではなく実は他人を「我ようのもの」、「自分ようのもの」として見るという「態度」をとっているのです。他人を「心あるもの」として見、また応待するという「態度」をとっているのです。つまり、他人が心あるものであるのはあなたがそれを「信じる」からではなく、あなたが彼を心あるものとして見立て応待するからなのです。他人をして心あるものにする、それはあなたがするのです。あなたが他人に心を「吹き込む」のです。他人の心を「信じる」のではなくて、あなたが他人の心を「創る」のです。
だからあなたがその「吹き込み」を止めることも原理的には不可能ではありません。あなたかそれを止めれば他人はすべて心なきでくのぼうになりましょう。そしてあなたは今度はそのでくのぼうによって離人症としてあつかわれましょう。あなたは人気のない荒漠とした世界に独り生きることになります。それも孤島の上ではなくでくのぼうの群れのまっただ中でです。そのときは既にあなた自身からあらゆる人間的なものが脱落しているでしょう。つまり、人間ではなくなっているでしょう。
ということはすなわち、あなたが人間である限り、正気の人間である限り、他人に心を「吹き込む」ことをやめないということです。この「吹き込み」は人間性の中核だからです。このお互いの「吹き込み」によって人間の生活があり人間の歴史があるのです。それによってお互いの人間がお互いを人間にするのです。
換言しますと、人間同士が互いに心あるものとする態度はまさにアニミズムと呼ばれるべきものなのです。昔の人々はずい分寛容でおう揚なアニミズムをとっておりました。獣、魚、虫、はいうにおよばず山川草木すべて心あるものだったのです。それに較べ近頃の人々のはひどくせちがらいアニミズムです。縁故血縁関係を中軸にしたアニミズムだといえましょう。その排他性が人々の心に根深くしみついているがために私が大変迷惑をこうむっているのです。どうして私にも心を「吹き込んで」くれないのですか。いや既に吹き込んでいることを認めて下さらないのですか。
どうか今少しあなた方の心を開いて私もあなた方同士の間のアニミズムの中に入れて戴きたい。それによってあなた方の人間性もより豊かになろうというものです。
鋳(四八頁)
人ノ人タル人ハ、人ヲ人トス。人ノ人タラザル人ハ、人ヲ人トセズ。
(R・P・ドーア、松居訳『江戸時代の教育』付録二、寺子屋訓戒集の一例、303頁)
夢みる脳、夢みられる脳[『流れとよどみ』19/初出:一九七九年]
要するに、知覚風景と脳の状態との間に或る照応があることは疑いえない。物理学者にとってそれは当然自明のことである。私の外にある事物から電磁波その他が私の感覚器官に到達しそれが神経回路を通って脳に物理作用を伝えるのだから。しかし生理学者にとってはそれは事の半分でしかない。生理学者は物理学者に「では脳が或る状態になったときどうして風景が見え聞こえるのか。それが問題なのだ」と問うだろう。そして物理学者が何の答えも持ち合わせていないことは確かである。脳から外界の事物に向かってゆく物理作用はどこにも見当たらないからである。
しかしこの物理学者が述べたことは実は「事の半分」に過ぎないのではなくて「事のすべて」なのではなかろうか。
哲学的知見の性格[『講座哲学大系 第一巻 哲学そのもの』、一九六三年]
それでは哲学的関心の動機は何であろうか。これに明瞭に答えることはできないが(明瞭な動機なるものは極めて稀ではあるまいか)、哲学的関心は様々な不安、気掛り、困惑から生じるように思える。トートロジカルに言うならば、哲学的不安、哲学的気掛り、哲学的困惑である(一言。このような表現の困惑自体は哲学的困惑ではない)。
以上述べてきたように、散文的哲学は事実についての知見を目指すものであるとするならば、当然、哲学的知見は事実の記述であり、またその真理性はただ事実によってのみ判定されることになる。このことは哲学的活動の全般にわたって大きな影響を与えざるを得ない。著作、討論、説得、反駁、疑問等、哲学の諸活動のすべてが事実記述をめぐってのものになるからである。
しかし、実際の哲学的活動を眺めるとき、その多くが記述というよりは論証であり説明であり理論であるように見える。とくに、討論にあっては論証による反駁、論証による説得、絶えざる説明の要求がその大部分であるように見える。もし哲学的知見が事実の記述にあるとするならば、これはどのような事情によるものだろうか。
以上のように哲学的知見を事実記述であると考えることは、哲学をその関心を別とすれば科学と同じ場におくことになった。それによって哲学は科学と断絶することはなくむしろ科学と重なり科学と連なるものとなる。一方、それによって哲学がいわば科学の居候の立場におかれ科学に気がねしつつ暮すというのではない。哲学が科学に役立つことは結構なことであるが、役立たぬからといって何のひけ目を感じる理由もない。哲学と科学はそれぞれの関心に従って共に、この世界と人間の事実を探索してゆくものである。
一方、こうして哲学を事実探索としてみることが哲学を観照的態度にとじこめて実践の領域から離してしまうことにはならない。哲学が哲学的困惑から事実探索に向うということそのことが既に一つの実践である。と共に、困惑と探索を通して世界と人間について或る哲学的知見が得られたならば、それは当然その哲学者の世界と人間に対する態度に影響を与えずにはおかない筈である。例えば、人間を機械と見、人間の自由を否定し、哲学を言語問題とみるごとき知見に対しての多くの哲学者の強烈な反感を見るならば、かりにそれらの知見を受入れた場合それらの哲学者は人間や哲学に対して根本的に異った態度を取ることが想像できる。この態度の変化は当然、日常生活や社会生活におけるその人の実践を変え、政治的意見を変え、道徳的行動の様式を変える筈である。
哲学が事実探索であることの動機、更にその事実探索の過程と結果において、哲学は実践的であると言えないだろうか。元来、生きることは、知ることの様式ではあるまいか。
他我の問題と言語[『哲学雑誌』第八三巻七五五号、一九六八年]
「哲学で君のめざすところは? ハエにハエ取器からの抜け口を教えること。」(『哲学研究』三〇九)
だがこのハエ取器とはそもそも、言葉の空転(同上、一三二)によって現出した空中楼閣(一一八)であり、それからの脱出とはこの幻のハエ取器をあからさまな幻(あからさまなノンセンス──四六四)に転じてみせることである。そしてヴィトゲン シュタインは自らこの空転を演じてみせる。読者に、それが空転であることをみせるように、その空転を演じてみせるのである。しかし、それは手品の種明かしのようにみてとりやすいものではない。われわれは目をこらし息をつめて、ヴィトゲンシュタインが手を変え品を変えて繰返すのを追う。彼にならってやってみる。だが ついぞ、あからさまに空転することができない。空転したようでもあり、空転しなかったようでもあり、あるときは消えたかにみえた楼閣が依然としてそこにあるのをみる。われわれはこの果てしないとんぼ返りに疲れはて、ヴィトゲンシュタイン自身もまだハエ取器の中でもがき飛んでいるのではないかと疑い始めるのである。
おそらくそうであろう。哲学的問題といわれるものは、終ることなく寄せては返す波に思える。その問題に身をひたさざるをえぬ人は誰でもこの波の中で果てなくあがかねばならないのだろう。誰もが最後に笑うことはできない。最後というものがないからである。それにしても、ヴィトゲンシュタインのあがき方は他に類のないあがき方であることは誰しも認めよう。それは深くわれわれを魅する。しばしば、これで波を泳ぎきれるという希望の錯覚をわれわれに与えてくれる。度重なる失望の後にさえ、なおそうである。彼の数少ない書物、特に『哲学研究』を読んでいて、彼は確かに何か大切なことを言おうとしている、だかわれわれにそれが見えない、という思いが胸を去ることがない。理解したと思う時ですら、それが平板な曲解ではあるまいかという不安が常に伴っている。
したがって、彼を引用することは、彼の言葉を盗むことにとどまり、彼の思想を盗むことではない。そして、人が彼の言葉をしかじかに解するとき、多くは、一つのできあいの思想に「L.W」(Ludwig Wittgenstein)という指標を貼ることにとどまる。しかも、彼の文章の全集合をとれば、それはわれわれの試みるあらゆる対応を、対角線論法のようにすりぬけてしまうに違いない。彼は結局矛盾しているのだろうか。私にそう言う確信はない。彼は余りに深遠なのか。私にはそれが如何なる種類の深遠さなのか想像がつかぬ。(「どうして文法的なしゃれをわれわれは深遠だと感じるのだろうか。〔それがまさに哲学的深遠さなのだ。〕」──一一一)。私が確信をもって言えることは、私が彼に教えられたとすれば、彼を誤解することによってである、ということだけである。
だが、一つの誤解が完成すれば、その中ではヴィトゲンシュタインの言葉はその不可解な精彩を失って死んでしまう。高々それらは気のきいた鋭い言い廻しとなって、その誤解を確認する証言として使われるだけである。私を鋭く刺した力を失なって、針を刺し終えた蜂のように、むくろになってしまう。一方、私は多くの誤解を完成できたわけではない。だが誤解の外では彼の言葉は私を迷わせ模索させるだけである。未完の誤解の中では彼の言葉の力を借りることはできない。こうして以下で述べることとヴィトゲン シュタインに共通なものがあるとすれば、それはただその話題だけだということになる。私的言語、他我、意識、等、『哲学研究』(Philosophische Untersuchungen, 1953)の主題がまた以下での主題である。
この交信様式を言語的ソリプシズムと呼ぶのであれば、たしかにこの言語的ソリブシズムはソリブシズムの一つの表現と言えよう。しかし、この言語的ソリブシズムを述べるに必要な「私」という言葉は私にとってまた一つの絵なきさし絵であり、「私」は実は世界の全風景がとる相貌の名に他ならない。「私とは私の世界に他ならぬ……」(『論理哲学論考』、五・六三)。そして、「ここにおいてソリブ シズムを徹底すれば、純粋の実在論になる」(同上、五・六四)。だが、実在論であるなしにかかわらず、われわれは独我論的交信方式で言葉をかわしているのではあるまいか。
「後の祭り」を祈る──過去は物語り[『時は流れず』3、一九九六年/初出:一九九五年]
英米学界では有名なマイケル・ダメットの「酋長の踊り」という謎解きがある。ある部族で青年が成人するにはライオン狩りでその力を証明せねばならないので、狩り場に二日かけて行き、狩りの後二日かけてもどる。酋長は彼らの成功を祈ってその間踊り続けるが、問題は、狩りが終わった日から青年たちが帰路にある間も踊り続けるというのである。そのとき狩りはすでに終わって事の成否は定まっているのに、その幸運を祈るとはどうしてだ、というのがダメットの問いである。われわれ現代人もこの酋長を笑えないだろう。列車や飛行機の事故の報を聞いた後でそれに乗り合わせた家族の無事を祈り、入学試験の合否はすでに決定済みであることを承知しつつ、なお一縷の望みをかけて祈りはしないだろうか。
しかし、すでに決定済みの過去をいまさら変更しようなどとは誰も思っていはしない。明らかにあの酋長にもわれわれ東京に住む人間にも、過去はまだ決定していない、そして望ましい過去であることを祈る余地、不幸な過去であることを恐れる余地がまだある、こうした思いが心の底にあるのだと私は言いたい。
それはわれわれが堅持していると思っている「決定済みの過去の実在」という信念に走った一筋の亀裂ではあるまいか。この信念の底には、現在からは手がもう届かない「過去自体」という人類に染みついた思いがあると思う。そしてこの「過去自体」という考えこそ、カントか徹底的に批判したあの「物自体(Ding an sich)」の考えそのものか [編者注]、少なくともその同類近縁のものである。カントの批判に同意する現代の人々は、当然「過去自体」の考えをも批判すべきなのに、これまでそれを怠ってきた。その油断の隙をついてライオン狩りの起こす地震にひとたまりもなく「過去自体」という見かけ倒しの高層ビルに亀裂が入ったのである。ではこのビルを撤去した後にどんなバラックが建てられるのか。
それは私たち人類がその実生活のなかで旧石器のころから営々と実践してきた道を再確認することである。その道の最終段階で「過去自体」や「物自体」の妄想に取りつかれたのだから、この妄想段階をカットしたそこに至る道を確認してそれを再興する、それが私の提案する戦略である。
さて、過去とはどんなことか、過去とはそもそも何なのか、その過去の意味を体験的に教える根幹が想起経験であることを疑う人はいない。想起こそ過去についての唯一の基底的情報源であることは今も昔も変らない。過去とは想起によって思い出されるアネクドートの断片を接続して織ってゆく過去物語りにほかならない。しかし人類はこの情報源が人によって食い違う、必ずしも信頼できないものであることを痛いほど経験してきたはずである。そこで当然、各人の過去情報をスクリーンする公定の手続きをあみ出した。その手続きが長年月にわたる生活のなかでの実践的適用によって修正改善されてきた結果が、現在の法廷や歴史研究、そしてマスコミ報道のなかで社会的に合意され実施されている真理条件として、誰にも十分熟知されている。その基本は、複数の人間の想起の一致(証言の一致、ウラを取る)と現在世界への整合的接続(物証や自然法則)である。その具体的内容は裁判所や刑事部屋、それに宇宙論や進化論の学会や教室をのぞけば、そこで毎日展開しているのが見られるだろう。
だがこの真理条件は、最終氷河期の時代の獲物や異性をめぐっての争いや、去年の種まきや収穫についての論争の場で適用されていたものと全く同一の条件であり、その連綿と続行されてきたものである。つまり、過去物語りの真理条件は数学や自然科学の真理条件と同様に歴史的社会的制度なのである。「真理」はア・プリオリに天下るのではなく、人間社会の制作物なのである。過去物語りはすべて、家庭争議や犯罪捜査といった些細な事件に至るまでこの真理条件の審査を通過しなければ狭くは当事者たち、広くは社会一般の公認を受けられず、過去として公式の登録をされないのである。過去と呼ばれているものは制度化され公式化された過去物語りであることは、古事記、日本書紀の昔から少しも変わっていない。そしてよくあることだが、こうした制度的なものがあたかもわれわれ人間とは無関係にア・プリオリに実在して、ほんの時折りわれわれにその姿をかいまみさせる、といった錯覚を生むのである。それが物自体とか過去自体といった妄想にほかならない。
過去自体とはカントが強調したように、物自体と同様に経験的には考えることができず、したがって想像することもできない、それゆえただ妄想することができるだけのものである。ありていに言えば、過去とは真理条件に沿って制作される過去物語りにほかならない。初めに述べたダメットの酋長が、すでに過去になっているライオン狩りの成功をいま祈るのは、過去自体という錯覚のもとでは確かにパラドックスである。しかし、そのライオン狩りはその時点ではまだ公認された過去物語りにはなっていないのである。つまり、まだ過去ではないのである。だから好意的な酋長が祈っているのは、ライオン狩りの成功が真理条件をパスして、公認公定の過去となって部族全員に受け入れられることなのである。そこには酋長の善意と好意こそあれ、パラドックスじみたものは何もない。
飛行機事故を知った時点で家族が搭乗していなかった(過去形)ことを願い祈るのも、いまさら「後の祭り」を祈るのではなくて、家族非搭乗の過去物語りが公認されて制作されるように願い祈るのである。答案を提出した後に、合格の採点が出る物語りの公式制作をはらはらしながら待つのは受験生すべてだろう。
これらの人間の行動と心理のすべてが指しているのは過去自体という形而上学的妄想ではなくて、過去物語り制作であることは誰の目にも明らかだろう。われわれの表の建前がかりに過去自体であっても、裏の本音は過去制作なのである。机上の形而上学的空論ではなく、実生活での行動と心情は過去制作なのである。
昨日彼から電話があった、と思い出す想起経験で、厳然として有無を言わせぬその電話の実在性を感じるというのも、多くの人の実感であろう。しかしそれは実は錯覚なのである。それは実は、その電話は所定の真理条件をパスして必ず公式の過去物語りに編入されるに違いないという強烈な確信を、過去電話自体という意味不明の妄想で置換したのである。
そしてカント以後数百年を経た現在もなお、自然科学者の大部分が信じていると信じている物自体の一変型である素朴実在論についても、平行して言えるのではあるまいか。ここで一つだけは言うことができる。現在形実在論にせよ過去形実在論にせよ、実在論というのはみかけほどには丈夫なものではない。丈夫なのは人間の制作した世界物語りのほうなのである。
[編者注] カントが徹底的に批判したのは「現象を物自体と見なす」考えであり、「物自体」の考えそのものではない。「物自体」は認識不可能だが、思考することは可能である。
自分と出会う──意識こそ人と世界を隔てる元凶[『朝日新聞』一九九六年一一月一日]
人生に衝撃を与える様な人に出会う、ましてや自分自身に出会う、などという劇的なことは私にはなかった。けれども哲学の業を進める上で頻繁に出会ったのは、人間が自分自身について抱く錯誤や誤解であった。
たとえば「心の中」である。人は何でもやたらに「心の中」に取り込もうとする悪い癖がある様だ。ここに何か恐ろしい物なり人なりがあるとすると、人は早速恐怖の感情を剝がし取って自分の心の中に取り込み、感情とは自分の心の中だけのものだと誤解してしまう。しかし感情だけを剝ぎ取ったり抽き取ったりすることなど土台出来ることではない。第一に、剝ぎ取られた方のものは、もう恐ろしくも何ともない筈だ。事実は、単純明快で、恐ろしいものが目の前に居る、それ以上でもそれ以下でもないのである。
事実は、世界其のものが、既に感情的なのである。世界が感情的であって、世界そのものが喜ばしい世界であったり、悲しむべき世界であったりするのである。自分の心の中の感情だと思い込んでいるものは、実はこの世界全体の感情のほんの一つの小さな前景に過ぎない。此のことは、お天気と気分について考えてみればわかるだろう。雲の低く垂れ込めた暗鬱な梅雨の世界は、それ自体として陰鬱なのであり、その一点景としての私も又陰鬱な気分になる。天高く晴れ渡った秋の世界はそれ自身晴れがましいのであり、其の一前景としての私も又晴れがましい気分になる。
簡単に云えば、世界は感情的なのであり、天地有情なのである。其の天地に地続きの我々人間も又、其の微小な前景として、其の有情に参加する。それが我々が「心の中」にしまい込まれていると思いこんでいる感情に他ならない。此のことを鋭敏に理解したのが、山水画、文人画を含む日本画家達であり、又西洋ではフランスの印象派の人々であったと思う。彼等は其の風景の描写にあたって何よりも其の風景の感情を表現するのに努力したからである。又音楽も、三次元空間に鳴り響く世界そのものが、音楽的感動なのであって、我々は其の感動のお相伴を受けているだけなのではあるまいか。
此の天然自然の構図を壊して感情を、せせこましい「心の中」に押し込める取り込み癖は、やがて、世界から、思いや、感じの全てを取り込もうとすると共に「心の中」の方も、やがて「意識」という勿体らしいものに昇格されてきた。此の「意識」こそ、デカルト以来、西洋思想の根底として現代科学の骨の髄まで貫通しているものである。そして此の「意識」が、世界と人間との間に立ちはだかる薄膜として世界と人の直接の交流を遮断している元凶だと思われる。最近ではそれに、脳生理学の一知半解が加わって、数ミクロンの「脳細胞」が、意識の代役をつとめるといった奇怪至極の現象さえ見られる。此の歪んだ状態から人間本来の素直な構図に戻るのに、難解だけが売り物の哲学や、思わせぶりの宗教談議は無用の長物、ましてや、「自然と一体」などという出来合いの連呼に耳を貸す必要はない。
我々は安心して生まれついたままの自分に戻れば良いのだ。其処では、世界と私は地続きに直接に接続し、間を阻むものは何もない。
梵我一如、天地人一体、の単純明快さに戻りさえすれば良いのだ。だから人であれば、誰にも出来ることで、たかだか一年も多少の練習をしさえすれば良い。
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