ゲーテ『色彩論』


科学方法論

近代哲学の影響

 ほんらいの意味の哲学に対して私はなんらの器官をも有していなかった。ただ、私に迫ってくる現実の世界に抵抗し、これをわがものとする必要から絶えず行なわざるをえなかった精神的反作用によって私はある方法に導かれ、この方法によって私は哲学者たちのいろいろな見解を、それらがあたかも対象であるかのように把握し、それらにもとづいて自己を完成しようと努めた。ブルッカーの哲学史を私は青年時代に熱心に愛読したが、当時の私はあたかも、生涯を通じて星空が頭上に回転するのを眺め、多くのきわだった星座を見わけることはできても天文学については何も理解せず、大熊座を知っていても北極星を知らない人のようであった。
 芸術とその理論的諸要求について、私はモーリッツとローマにおいて大いに議論した。印刷されたある小冊子が今日なお、われわれの当時の創造的混沌を如実に示している。さらに植物のメタモルフォーゼの試論を叙述するさいに、自然に即した方法が展開されなければならなかった。なぜなら、植物が私にその形成の仕方を一歩一歩あらわにしてくれたとき、私はもはや迷うことがなく、植物のなすがままにさせながら、植物がその奥深く包み込まれた状態を、徐々に完成へと推し進めていく道程と手段を承認せざるをえなかったからである。物理学的研究にさいしては次のような確信が執拗に私の脳裏に浮かんできた。すなわち、対象を考察するあらゆる場合の最高の義務は、現象が現われてくるさいの各条件を精確に探し求め、現象が可能な限り全部そろっているようにしなければならない。というのは、これらの現象は最終的にはつなぎ合わさるか、あるいはむしろ重なり合うことを余儀なくされ、研究者の直観のまえで一種の有機組織を形成し、その内部の全生命を明示するに違いないからである。とはいえ、この状態はいつまでも薄明のままにとどまり、私の意にかなった啓蒙を私はどこにも見出すことができなかった。各人は結局、自分自身の意味において啓蒙されるほかはないのである。
 カントの『純粋理性批判』はもうずっと前に刊行されていたが、それはまったく私の関心事ではなかった。しかしながら私はこれに関する対話にしばしば同席した。そして少し注意することによって気がついたのは、われわれの自我と外界はわれわれの精神的存在に対して、それぞれどれほど寄与しているかという古い根本問題が改めて取り上げられているということであった。私は両者を分離したことはけっしてなかったし、私なりの仕方でいろいろな対象について哲学したときにはいつも無意識の素朴さでそれを行ない、自分の見解をほんとうに眼前に見ているものと信じていた。しかし、かの論争が話題になるやいなや、私は人間にもっとも敬意をはらう側に味方することを好み、カントとともに、われわれの認識がすべて経験とともに始まるにしても、それだからといってあらゆる認識が経験から生ずるわけではないと主張するすべての人たちに全面的に賛意を表した。ア・プリオリな認識を私はア・プリオリな綜合的判断と同様に容認した。私は生涯を通じて、詩作と観察を行ないながらまず綜合的に、次に再び分析的なやり方をしたからである。人間精神の収縮と弛緩は私にとって、あたかも第二の呼吸のように、けっして分離することなく、つねに脈動をつづけていた。しかしながら、これらすべてに対して私は表現すべき言葉、まして用語をもたなかったが、いまや初めて一つの理論が私にほほえみかけてきたように思われた。ただ私の意にかなったのは入口であって、迷路そのものに私はあえて踏み入ることができなかった。それを妨げたのは私の詩才であったこともあれば、健全な常識のこともあった。こうして私はどこへ行ってもよりよきものが得られたようには感じなかった。
 不幸なことにヘルダーは、カントの弟子ではあったが、同時に反対者であった。さらに悪いことに、私はヘルダーに同意することもカントに従うこともできなかった。しかし私は有機体の形成と変形を真剣に追究しつづけ、そのさい、私が植物を研究するために用いた方法は信頼すべき道しるべとして役立った。自然が絶えず分析的なやり方、すなわち神秘的な生きた全体からの発展ということを遵守するのを私は見逃さなかったが、自然はそれからまた再び綜合的なやり方をするようにみえた。というのは、まったく異質にみえる諸関係が相互に接近させられ、それらがすべて一つに結び合わされたからである。それゆえ私は繰り返しカントの学説へ戻っていき、個々の章をほかのよりもよく理解したように思い、ひじょうに多くのものを自家薬籠中のものにした。
 そうこうしているうちに『判断力批判』が手に入り、そのおかげで私は最高に楽しい生涯の一時期を過ごすことができた。ここで私は、自分の種々雑多な研究が整然と並べられ、芸術の所産と自然の産物が同等に取り扱われているのを見た。美的判断力と目的論的判断力は互いに照らし合っていたのである。
 私のものの見方では必ずしもつねに著者についていくことはできず、ところどころ何かが不足しているように思われたにせよ、この著作の偉大な根本思想は私のこれまでの創作、活動および思索とまったく類似していた。芸術ならびに自然の内的生命、両者の内面からの相互作用はこの書物の中ではっきり言い表わされていた。これら二つの無限な世界の産物はほんらいそれ自身のために存在すべきであり、並び合って存立するものも、互いに相対しているのではあっても、意図的に相互のためにあるのではなかった。
 目的因に対する私の反感はいまや規制を受け正当化された。私は目的と作用の結果をはっきり区別することができたし、常識的な人間がなぜ両者をしばしば混同するのかということもわかった。私にとって喜ばしかったのは、文学と比較博物学がかくも近い関係にあるのは、両者が同一の判断力のはたらきのもとにあるからだということであった。熱情的な刺激を受けて私はただひたすらわが道を歩みつづけたが、それは、私自身この道がどこに通じているかを知らず、また私がどうにかしてわがものにしたものに対してカント主義者たちのもとでほとんど共鳴を見出さなかったからである。なぜなら私が言い表わしたものは、私の受けた精神的刺激だけであって、私が読んだものではないからである。自分自身につき戻されて、私は再三再四かの書物を研究した。いまでもその古い冊子の中に当時自分でしるしを付けた個所を見るのは愉快である。『純粋理性批判』についても同様であり、私はこの著作の深奥にも入っていくことができたように思っていた。なぜなら両方の著述は、一つの精神から生じたものとしてつねに互いに指示し合っているからである。同じようにはうまくいかなかったのは、カント主義者たちに接近することであった。彼らは私の言うことを聴いてくれはしたが、私に対して何も言葉を返すことができなかったし、またなんら裨益ひえきすることもなかった。一再ならず私は次のようなことに出会った。すなわち、彼らのうちのある者は不思議そうな微笑を浮かべながら、それはもちろんカントのものの見方と類似したものではあるが、じつに奇妙な類似物だ、と率直に認めたのである。
 そもそもこれがいかに奇異な状況であったかは、私とシラーの関係が活発になったときに初めて明らかになった。われわれの対話はきわめて生産的ないし理論的であり、通常はそのいずれでもあった。彼は自由の福音を説き、私は自然の権利が縮小されないことを欲した。私に対する友誼的な配慮から、たぶん自分の確信以上に、彼は『美的人間教育論』の中では、母なる自然を、『優美と尊厳について』の論文を私に大きらいにさせたあの手きびしい表現で取り扱うことをしなかった。しかし、私が私の側から執拗かつ頑固にギリシアの文学様式およびそれにもとづき、それに由来する詩歌の長所を賞揚しただけでなく、もっぱらこの様式を唯一の正しい願わしいものとして認めたために、彼はいっそう鋭く思索することをしいられ、まさにこの理論的葛藤のおかげで『素朴文学と情感文学について』の論文が生まれたのである。両方の文学様式は対立し合いながら互いに同等の地位を認め合うべきものとされた。
 これによって彼はまったく新しい美学全体の最初の基礎をおくことになった。なぜなら、ギリシア的とロマン主義的、およびその他それ以後に見出されたいかなる同意語であれ、それらはすべて、現実的または理念的取り扱い方の優勢いかんが最初に論じられたところに帰着するからである。
 こうして私は徐々にそれまでまったくなじみのなかった言語になれていったが、この言語によって培われた学問と芸術に対する高次の観念のおかげで、私は自分自身がより高貴により豊かになったように思われたので、それにいっそう容易に親しむことができた。これに反して、以前われわれは通俗哲学者たちから、またなんと呼んでよいのかわからない別の一派の哲学者たちからきわめて不当な取り扱いを受けなければならなかったのである。
 このほかの進歩を私は特にニートハマーに負うている。彼はきわめて好意的にしんぽうづよく私に主要な謎をとき、個々の概念と表現を説明しようと努力した。私が同時にまたその後フィヒテ、シェリング、ヘーゲル、フンボルト兄弟およびシュレーゲル兄弟に何を負うにいたったかは、私にとってかくも重大な時期である十八世紀の最後の十年間を私の立場から、叙述するとはいわないまでも、暗示し略述する機会に恵まれるならば、将来いつか感謝の念をもって述べたいと思う。



直観的判断力

 私がカントの学説を徹底的に研究しないまでもできるだけ利用しようと努めたとき、私には、この優れた人物はいたずらっぽくイロニーをもてあそんでいるのではないか、とたびたび思われてしかたがなかった。というのは、彼は認識能力をきわめて狭く制限しようとしているようにみえるかと思うと、みずから設けた限界の彼方を横目を使って示唆していたからである。彼がむろん気づいていたように、人間が安易にわずかばかりの経験をそなえただけで直ちに無思慮に判断をくだし、軽率に何かを確定したり、脳裏に浮かんできた気まぐれな考えを対象に押しつけようとしたりするのは、僭越かつ生意気なやり方である。それゆえわれわれの大哲学者は思索する人間を反省的推論的判断力に限定し、人間に規定的判断力を認めることを断固拒否するのである。しかし、われわれを充分に窮地に追い込み、絶望にさえ駆りたてたあとで、次に彼はきわめてリベラルな発言を行なう決心をし、彼がある程度まで容認する自由をいかに用いるかをわれわれに任せる。この意味で次の個所は私にとってひじょうに意味深長であった。
「われわれは次のような悟性を考えることができる。すなわちそれは、われわれの悟性のように推論的ではなく直観的であるために、綜合的普遍から、全体そのものの直観から特殊へと、つまり全体から部分へ進んでいく。──そのさい、このような原型的知性(intellectus archetypus)が可能であることを論証する必要はまったくない。ただ、われわれが、われわれの推論的で形象を必要とする悟性、すなわち派生的知性(intellectus ectypus)とこのような性質の偶然性を対比させたときに、かの原型的知性の理念に導かれ、この理念がなんらの矛盾をも含まないことを論証すれば足りるのである」。
 もとより著者はここで神的な悟性を示唆しているようにみえる。しかしながら、われわれが道徳的なものにおいて、神や徳や不死に対する信仰によって高次の領域へと進み太初の存在に近づくべきであるとすれば、知的なものの場合もおそらく同様であろう。すなわちわれわれは、不断に創造する自然を直観することによって、その生産の営みに精神的に参加するのにふさわしい者となるべきである。私は最初は無意識のうちに、内的衝動に駆られてかの原像的なもの、原型的なものをひたすら追求し、自然に即した叙述を築き上げることにさえ成功したので、ケーニヒスベルクの老碩学がみずからそう呼んでいる「理性の冒険」を敢行するのを妨げるものはもはや何もなかった。



省察と忍従

 宇宙をその最大の延長において、またその最小の分割部分において考察するとき、われわれは全体の根底に一つの理念があり、それに従って神は自然の中で、自然は神の中で永遠から永遠へと創造し活動をつづけているという観念を禁じえない。直観と考察と思索はわれわれをかの神秘に近づける。われわれは僭越にも種々の理念をあえて試み、謙遜になり、かの始原に類似していると思われる諸概念をつくる。
 ここでわれわれは、必ずしもいつも明瞭に意識されるとは限らない特有の困難に遭遇する。すなわち、理念と経験の間には一定の間隙が厳然として存在しているように見えて、われわれがそれを飛び越えようといかに全力を尽くしてもむだである。それにもかかわらず、われわれが永遠に努力してやまないのは、この深い間隙を理性・悟性・想像力・信仰・感情・妄想をもって、もしほかにできることがなければ荒唐無稽をもってしても克服することである。
 誠実な努力をつづけたあと最後にわれわれが思うのは、いかなる理念も経験とは完全に一致しないと主張しながらも、理念と経験は類似していることがありうるばかりでなく類似しているに違いないと認める哲学者がおそらく正しいのではないかということである。
 理念と経験を互いに結びつけることの困難は、すべての自然研究にさいしてひじょうに妨げとなることがわかる。理念は時間と空間に依存せず、自然研究は時間と空間の中に限定されている。それゆえ、理念においては同時的なものと継起的なものが緊密に結びついているのに反して、経験の立場においてはつねに分離している。われわれが理念に即して同時的かつ継起的であるような自然作用のことを考えると、一種の狂気に陥りそうな気がする。悟性は、感性が分離して提供するものを合一したものと考えることはできず、したがって、知覚されたものと理念化されたものとの不一致はいつまでも未解決のままである。
 それゆえわれわれとしては、いくらかでも満足するために詩歌の世界に逃れ、ある古い小曲をいくらか変更して内容を一新することにしたい。

 つつましい眼差しで見るがよい、
 永遠の織女の絶妙のわざを。
 踏む一足で動く千の糸、
 かなたこなたへが飛び、
 糸と糸は相会して流れ去り、
 一打ちは千の結び目を作る。
 織女はそれを乞い求めてきたのではない。
 彼女は永劫の日からたていとを張っていた、
 永遠の織匠が心やすく
 よこいとを打ち込むことができるようにと。



形成衝動

 標題の重要問題においてなされたことについて、カントは『判断力批判』の中で次のように言明している。「この個体新生説に関しては、その証明のためおよびその真の適用原理の基礎づけのために、またそのあまりに不当な使用を制限することによっても、ブルーメンバハ氏以上に寄与した人はいない」。
 良心的なカントのこのような証言に刺激されて、私は以前読んだことはあるが徹底的には研究していなかったブルーメンバハの著作を再びひもといてみた。ここで私が見出したのは、わがカスパル・フリードリヒ・ヴォルフがハラーおよびボネーとブルーメンバハの中間に位置しているということであった。ヴォルフは彼の個体新生説のために一つの有機的要素を前提にせざるをえなかったが、有機的生活を営むように定められた個体はそこから栄養を得るはずであった。彼がこの物質に認めた本源力(vis essentialis)は、自分自身を生み出そうとするすべてのものに適合し、それによってみずから生み出す者の地位にまで高まることになった。
 ただ、この種の表現にはなお改善の余地があった。なぜなら、有機的物質といわれるものには、それをいかに生き生きしたものと考えるにしても、つねに何か素材的なものが付着しているからである。力という言葉はまず単に物理的なもの、機械的なものをさえ表示するのであって、かの物質から有機的に生じてくるといわれるものは、われわれにとって依然として不可解なあいまいな点である。そこでブルーメンバハは最高の決定的な表現を獲得した。彼は謎の言葉を擬人化して、問題になっていたところのものを形成衝動(nisus formativus)、すなわち形成を惹き起こす衝動ないし激しい活動と呼んだのである。
 これらすべてをより精密に考察するならば、次のことを容認するほうが簡単明瞭かつおそらく徹底的ということになるであろう。すなわちわれわれは、現にあるものを考察するためには先行した活動を認めなければならず、またある活動を考えようとするならば、その活助の根底に作用のおよぶことのできた適当な要素があるとみなす。そして最後にわれわれは、この活動がこの根底要素とつねに共存し永遠に同時に存在していると考えざるをえない。
 この途方もないものが人格化されると、われわれには神、創造者、維持者として現われてくるのであり、この神を崇拝し敬愛し讃美するよう、われわれはあらゆる仕方で促されているのである。
 哲学の領域に戻って展開説と個体新生説をもう一度考察するならば、これらは、われわれがいたずらに解決を遅らせる言葉のようにみえる。入れ子説は教養の高い人にはもちろんすぐいやになるものであるが、摂取ないし受容説の場合にも依然として摂取するものと摂取されるものが前提にされている。そしてわれわれが前成説というようなことを考えたくないにしても、あらかじめなされた輪郭・決定・予定その他いかなる表現であれ、われわれが何かを知覚できるようになる以前に、先行していなければならないあるものにつき当たるのである。
 しかし次のことだけは私はあえて主張したいと思う。すなわち、ある有機体が現われてくる場合、形成衝動の統一と自由はメタモルフォーゼの概念なしには把握できないのである。
 最後に思率をさらに促す手がかりとして図式を一つ添えることにする。

  素材 |
能力   |
力    |
強制力  | ⇒ 生命
内的欲求 |
衝動   |
  形式 |



種々の問題

 自然的体系とは矛盾した表現である。
 自然は体系などというものをもたない。自然は生命をもつというよりは生命であり、未知の中心から認識不可能な限界にいたる経過である。自然考察はそれゆえ、もっとも個別的なものにまで分析的に研究しようと、全体においてその広がりと高さを追究しようと無限である。

 メタモルフォーゼの理念は天からのきわめて貴重な賜物たまものであるが、同時にきわめて危険な賜物である。それは無形式のものに通じ、知識を破壊し解消させてしまう恐れがある。それは遠心力(vis centrifuga)と同じで、もしそれに拮抗きっこうする力が加えられなければ、無限の中に失われてしまうであろう。私が言わんとしているのは特殊化の衝動、すなわち、いったん現実となったものの執拗な固執能力のことである。それは求心力(viscentripeta)であり、その最深の根底に対してはいかなる外的なものも手出しをすることができない。たとえばエリカ属を見よ。
 さてしかし、これら二つの力は同時に作用するので、われわれもそれらを教示的論述にさいして同時に叙述しなければならないであろうが、これは不可能なようにみえる。
 おそらくわれわれがこの困惑から救われるには、またしても人為的なやり方によるほかはないであろう。
 自然的に絶えず進行していく音響と、オクターヴの中に閉じ込められた平均律との比較。これによってほんらい初めて、自然に対抗する有力な高次の音楽が可能となる。
 われわれは人為的な論述を創始しなければならないであろう。象徴的表現を行なわなければならないとしても、いったいだれにできるだろうか。なされたものをだれが認めてくれるだろうか。

 植物学において属(genera)と呼ばれるものを考察し、それらを分類されているとおりに通用させるとしても、私にはやはりいつも、ある属を他の属と同じ仕方で取り扱うことはできないように思われた。私は次のように言いたいと思う。すなわち、属の中には特性を有するものがあり、この特性をそれらの属はそのすべての種の中で再現するので、それらを合理的な方法で見分けることができるのである。これらの属は自性を失って容易に変種となることがないので、特別扱いをされる価値があるであろう。その好例はリンドウ属であるが、注意深い植物学者ならばその数種を示しうるであろう。
 これに対して特性のない属があり、これらの属は自性を失って無限の変種になるので、それらには種を認めることさえできないと思われる。これらの変種を学問的に本気で研究してもきりがない。それらはいかなる規定、いかなる法則からも逃れ出てしまうので、むしろ混乱するばかりである。これらの属を私はしばしば大胆にも放蕩者と呼び、バラにこの綽名あだなをつけることをあえてしたが、もちろんそれによってバラの優美さがそこなわれるわけではない。特にイヌイバラ(rosa canina)はこの非難を招くかもしれない。──

 人間は重大な場面においては立法者的にふるまう。まず第一に道徳的なものにおいては義務の承認によって、さらに宗教的なものにおいては神と神的なことがらに関する特別な内的確信を表明し、次にこの確信にふさわしい特定の外的儀式に限定することによって。統治においても、平和なときであれ戦争中であれ、同じことが起こる。行為と活動に意義があるのは、人間がそれらを自己および他人に課する場合のみである。芸術においても同様である。人間精神がいかにして音楽を支配したかは上述のとおりであるが、それが最盛期の造形美術に対して偉大な天才たちの活躍をとおしていかに影響をおよぼしたかは、今日、公然の秘密である。科学においては体系化および図式化の無数の試みがそれを示唆している。われわれのすべての注意はしかし自然のやり方を窺い知ることに向けられていなければならない。それは強制的な指図によってわれわれが自然をかたくなにしてしまわないようにする一方で、自然の恣意しいによってわれわれも目的から遠ざけられてしまうことがないようにするためである。



適切な一語による著しい促進

 ドクトル・ハインロートはその著書『人間学』──われわれはしばしばこれに立ち返るであろう──の中で、私の本質と活動について好意的な発言をしているだけでなく、私の研究方法が一種独特のものであると述べている。すなわち、私の思考能力は対象的に働いているというのであるが、彼の言わんと欲することは、私の思考が対象から分離せず、対象の諸要素、つまり直観されたことがらが私の思考の中に入り込み、これによって緊密に浸透され、私の直観それ自体が一つの思考、また私の思考が一つの直観であるということであり、このやり方に対して上述の友は賞賛を惜しもうとはしない。
 このような是認に伴われた対象的という一語が私を鼓舞してどのような省察を行なわせたかは、以下の短い文章に言い表わされているとおりである。関心のある読者があらかじめ上述の書物の三八七ページをひもとき委細を知っておられるならば、一読をおすすめしたい。『形態学』誌の本分冊においても以前の分冊においても私の追求していた意図は、私が自然をいかに観ているかを言い表わすと同時に、ある程度まで私自身を、私の内面、私の存在のあり方を可能な限り明らかにすることであった。このためには特に、私のやや古い論文『主観と客観の仲介者としての実験』が役立つことと思われる。
 このさい告白しておきたいのは、私には以前から、「汝みずからを知れ」というかの深遠な響をもつ大きな課題が、人間をいろいろな達成しがたい要求によって混乱させ、外界に対する活動から誤った内的観想へ誘惑しようとする秘密結社の僧侶たちの策略のようにつねにいかがわしく思われていたことである。人間は世界を知る限りにおいてのみ自己自身を知り、世界を自己の中でのみ、また自己を世界の中でのみ認識する。いかなる新しい対象も、深く観照されるならば、われわれの内部に新しい器官を開示するのである。
 しかしもっともよく促進してくれるのは、われわれの身近な人々である。彼らは自分の立場からわれわれを世界と比較し、それゆえ、われわれについてわれわれ自身が獲得するよりも詳しい知識をもてるという利点を有している。
 それゆえ私は成年に達してからは、他人がどの程度まで私を認識してくれるものかということに大きな注意を払った。そうすることによって私は、彼らの印象をもとに、あたかも多数の鏡に向かうように、自分自身と自分の内面をより明確に知ることができたからである。
客観と主観の仲介者としての実験

 人間は自分のまわりの種々の対象を知覚するやいなや、それらを自分自身との関係において考察するものであるが、それは当然なことである。なぜなら、彼の全運命は、それらの対象が彼の気に入るか入らないか、それらが彼を引きつけるか反発させるか、彼にとって有益か有害であるかにかかっているからである。事物を眺めて判断を下すこのごく自然なやり方は、必然的であると同じく容易であるようにみえる。しかしながら人間はそのさいいくたの誤謬にさらされており、そのために彼は恥辱を味わったり人生がいやになったりすることもある。
 はるかに困難な日常の仕事を引き受けるのは、知識欲に駆られて自然の諸対象そのものとそれらの相互関係を観察しようと努める人々である。一面で彼らは、人間として事物を自分との関係で眺めたときに助けとなった尺度を失う。すなわち、気に入るか入らないか、引きつけるか反発するか、有益か有害であるかという尺度である。この尺度を彼らはほんらいまったく断念し、利害を超越したいわば神的な存在として、気に入るものではなく現にあるものを探求し研究しなければならない。そこで真の植物学者はある植物の美とか有用性などに心を動かされるべきではない。彼のなすべきことはその植物の形成、残りの植物界との親近関係を研究することである。そして植物がすべて太陽によって誘い出され照らされるように、彼は同じ静かな眼差しですべての植物を部分的かつ全体的に眺め、この認識の尺度、判断のためのデータを自分自身からではなく、彼が観察している事物の領域から取ってこなければならない。
 この自己放棄が人間にとっていかに困難であるかは、科学の歴史が教えている。人間はこうしていろいろな仮説・理論・体系その他、われわれが無限なるものを把握しようと努めるさいの種々のものの見方を案出するにいたり、またそうせざるをえないのであるが、それについてはこの小論文の第二部において論ずることにする。その第一部を私は、人間が自然の諸力を認識しようと努力するときどのようなやり方をするかということの考察に捧げる。私が現在くわしく研究する必要に迫られている物理学の歴史は、私にこの問題について考える機会をしばしば与えてくれる。こうして書かれたこの小論文の中で私は、優れた学者たちがいかにして自然科学に裨益ひえきしまた害をおよぼしたかを、ごく一般的に明らかにしたいと思う。われわれがある対象をそれ自身との関係および他の対象との関係において考察し、その対象を直接に欲求したり嫌悪したりしないならば、われわれは冷静に注意することにより、それについて、またその諸部分と諸関係についてまもなくかなり明確な理解を得られるであろう。われわれがこのような考察をつづけ、いろいろな対象を相互に結合すればするほど、われわれの内部の観察能力はそれだけ多く訓練される。これらの認識を実際の行動においてわれわれ自身と関係づけることができるならば、われわれは賢明であると呼ばれるに値する。生まれつき節度のある、あるいは環境によって制約され節度を保たざるをえない天賦の資質に恵まれたどの人間にとっても、賢明とはけっしてむずかしいことではない。なぜなら、人生が一歩ごとにわれわれの誤りを正してくれるからである。しかしながら、観察者みずからこの鋭い判断力を自然の秘められた諸関係を検証するために用い、いわば自分一人しかいない世界で自分自身の歩調に留意し、急ぎすぎたりしないように気をつけ、目標を絶えず眼中におきながら、しかも途中でなんらかの有益あるいは有害な助力を気づかずにやり過ごしてしまうことなく、まただれからもそう簡単にはコントロールされえないところでも自分自身のきわめて厳格な観察者であり、いかに仕事に熱中していてもつねに自分自身に対して不信の念を抱いていなければならないとすれば、これらの要求がいかにきびしいものであり、他人に対してなされるにせよ自分に対してであれ、完全に成就されることはほとんど望みえないことは、だれにでもわかるであろう。しかしこの困難、こう言ってさしつかえなければ仮定的不可能に妨げられて、われわれは可能な限りのことを行なうのを怠ってはならない。われわれは少なくとも次のようにすればかなりのところまで前進することができるであろう。すなわち、優れた学者たちが科学を発展させることができた手段を全般的に心に思い浮かべ、次にいろいろな邪路を明確に示す場合である。これらの邪路で彼らが迷ったばかりでなく、しばしば数世紀にわたって多数の弟子たちが彼らのあとに追随し、後代のいろいろな経験によって初めて観察者は再び正しい道に導かれたのである。
 経験が、人間が企てるすべてのことにおけると同様、現在私が主として論じている自然科学においても、絶大な影響を有しかつまた有すべきであるということを否定する人はいないであろう。またこれらの経験が把握され、総括され、整然と配列され、仕上げられる精神力に対して、だれもその高いいわば創造者的に独立した力を否認しないであろう。しかしながら、これらの経験をいかにして行ない、それらをいかに利用し、われわれの精神の力をいかに完成し使用するかということは、それほど一般に知られておらず、また承認されているわけではない。
 聡明な人というものは言葉を適度に用いてもふつう考えられている以上にはるかに多くいるものであるが、彼らは種々の対象に注意を向けられるやいなや、観察が好きになりまた熟達する。私がこのことにしばしば気づくようになったのは、光学と色彩学を熱心に研究し始め、よくあるように、このような観察にふだんはなじみのない人々とも、私がかくも興味をもっていることについて話をするようになってからである。彼らの注意がひとたび喚起されてしまいさえすれば、彼らは私が知らなかったり見すごしたりしていた諸現象を認め、そうすることによって早まった先入見を訂正してくれることがじつにしばしばあった。そればかりでなく、彼らは私に、研究の歩調を早め、苦労して研究しているときにわれわれがつい陥りがちな偏狭さから抜け出るきっかけを与えてくれた。
 このように、他の多くの人間の企ての場合と同様にここでも当てはまるのは、幾人もの人々の興味が一点に向けられると優れたものを生み出すことができるということである。ここで明白になるのは、他人を新発見の名誉から閉め出したがる嫉妬心と、発見されたものを自分のやり方にだけ従って研究し仕上げようとする過度の欲望が研究者自身にとって最大の障害だということである。
 これまで私は幾人かの人々とともに研究する方法からひじょうによい成果をあげてきたので、今後もぜひそれをつづけていきたいと思っている。研究の途上において私がこのこと、あのことでだれのおかげをこうむっているかはよく知っているので、将来それを公表することは私の大きな喜びである。
 ところで、単に生まれつき注意深い人々でさえ、われわれにかくも多く裨益することができるのであれば、教育を受けた人々が互いに手をとって研究する場合に、その利益はいかに広く一般におよぶことであろうか。科学それ自体がすでにひじょうに大きな規模のものなので、たとえ個人がそれを担うことはできなくても、科学が多くの人々を担っているのである。私の見るところ、知識はあたかも閉じ込められた、しかし流動する水のように、しだいにある水準にまで高まり、もっともすばらしい発見の数々は、人間によってよりもむしろ時代によってなされたと言っても過言ではない。ひじょうに重要なことがらが、同時に二人あるいはそれ以上の篤学とくがくの士によってなされたりするのはそのためである。前者の場合にわれわれは社会と友人たちにひじょうに多くのものを負うているのであるが、後者の場合はむしろ世界と世紀のおかげであり、両方の場合にわれわれがいくら承認してもしすぎることがないのは、報告・助力・勧告・異論などが、われわれを正しい道に保ち前進させるためにいかに必要であるかということである。
 それゆえ科学的なことがらにおいては、芸術作品の場合と正反対のやり方をしなければならない。なぜなら、芸術家は自分の芸術作品を、それが完成するまでは公開しないほうがよいからである。助言したり協力したりできる人はそうたやすくいないからである。これに反して、作品がいったん完成したならば、芸術家は非難あるいは賞賛をよく考慮して心にとどめ、それを自分の経験と結びつけ、そうすることによって新しい作品のために自己を完成し準備しなければならない。これに反して科学的なことがらにおいては、個々の経城をすべて、推測さえすべて公に発表するだけですでに有益である。そればかりでなく、きわめて得策といえるのは、科学という建物を、その設計図と材料が一般に知れわたり、判断を下され、選択されないうちは築き上げてしまわないことである。
 さてここで、私はきわめて注目に値する問題に向かうことにする。それは、いかにすればもっとも有利にかつ安全確実に仕事にかかれるかという方法論の問題である。
 われわれのまえになされた、そしてわれわれ自身または多くの人々がわれわれと同時になす諸経験を、われわれが意図的に繰り返し、偶然的に生じたり人為的に生じた諸現象を再現させる場合、われわれはそれを実験と呼ぶ。
 実験の価値は主として次の点にある。すなわち、それが簡単であるにせよ複雑であるにせよ、一定の条件のもとで既知の装置を用いて、また必要な熟練があれば、条件となる諸事情が一つにまとめられうる限りいつでも反復されうるということである。人間の悟性がこの最終目的のために行なった種々の組み合わせを、単に表面から眺め、そのために発明された、そして現に毎日のように発明されていると言ってさしつかえない種々の機械を見るだけでも、われわれが人間の悟性に驚嘆するのは当然である。
 それぞれの実験は個別的に見ても大いに尊重すべきものであるが、しかしそのほんらいの価値を得るのは、他のいろいろな実験との結合一致によってのみである。しかし相互に類似している二つの実験を一つに結合することこそ、鋭い観察者がみずから自分に対して要求した以上に厳格な注意を必要とするのである。二つの現象が互いに親近関係にありながら、われわれが信ずるほど近接していないことがある。二つの実験の間になお一連の実験系列があり、両者をきわめて自然な結合にもたらすために必要な場合、それらの実験は相分かれていくようにみえる。
 それゆえ、いくら用心してもしすぎることがないのは、実験からあまり急いで結論を引き出さないこと、実験から何かを直接に証明しようとしたり、なんらかの理論を実験によって確証したりしようとしないことである。なぜなら、経験から判断へ、認識から適用へと移行するこの隘路あいろでこそ、人間のすべての内面の敵が彼を待ち伏せているからである。想像力は、人間が相変らず地面に触れていると思っているときにもう彼をその両翼で高い所へ連れ去っているし、性急・早計・自己満足・強情・思考形式・先入見・怠惰・軽率・無定見その他さまざまな名前の敵たちがここで待ち伏せていて、行動する人間だけでなく、すべての激情から守られているようにみえる冷静な観察者をも不意打ちするのである。
 この危険は人が考えるよりも大きく近いのであるが、それに対する警告として私はここで一種のパラドックスを提出し、いっそう活発な注意を喚起したいと思う。すなわち、私はあえて次のように主張する。一つの実験だけでなく結合されたいくつかの実験も何ものをも証明しないし、何かある命題を直接に実験によって証明しようとすることほど危険なことはない。順々の最大の誤謬はまさに、人々がこの方法の危険と不充分さを洞察しなかったことから生じたのである。私はわざと懐疑を惹き起こそうとしているのではないかという疑いをかけられないために、私の言うことをもっと明瞭にしなければならない。われわれがなすどの経験も、われわれがそれを繰り返すどの実験も、ほんらいわれわれの認識の孤立した一部であり、たびかさなる繰り返しによりわれわれはこの孤立した知識を確実なものにする。同一の専門分野における二つの経験がわれわれに知られていることがありうる。それらは親近関係にあるかもしれないが、もっと近い関係にあるようにみえることがある。ふつうわれわれは、それらが実際よりも近い親近関係にあるとみなしがちである。これは人間の本性にもとづくことであって、人間の悟性の歴史はわれわれに数多くの例を示している。私自身もこの誤りをほとんど毎日犯していることに気づいている。
 この誤りはもう一つの誤りと密接な関係があり、前者はまたたいてい後者から生ずるものである。すなわち人間は事物そのものよりも観念のほうを喜ぶのである。あるいはむしろ次のように言わなければならない。人間が事物を喜ぶのはそれを表象する限りにおいてのみであって、事物は彼の考え方に適合しなければならない。彼が自分のものの見方をいかに日常卑近なもの以上に高め、またいかに純化しようとも、それはただ一つのものの見方にしかとどまらないのがふつうである。すなわち、多くの対象に、厳密に言えばそれら相互のあいだにはないある種の理解しやすい関係をつけようとする試みにとどまる。ここから仮説・理論・術語・体系などに対する傾きが生ずるのであるが、それらはわれわれの本性の有機体制から必然的に生ずるものなので、われわれはそれらを否認することができない。
 一方でいかなる個別の経験も実験もその本性に従って孤立したものとみなされ、他方で人間精神の力は、自分の外部にあり自分の知るところのものとなるすべてのものを巨大な力で結合しようと努める。そこで容易にわかるのは、ある個々の経験を先入見を抱いて結合したり、完全には感性的ではないがしかし精神の形成力がすでに言い表わしたなんらかの関係を、個々の実験によって証明しようとする場合の危険が、いかに大きいかということである。
 このような努力によって成立するたいていの理論と体系は、慧眼な著者たちの名誉とはなるが、正当以上の賞賛を博したり不当に長く保持される場合には、ある意味で促進した人間精神の進歩を直ちにまた阻害するのである。
 ここですぐ気づくことができるように、頭のよい人は、自分のまえにあるデータが少なければ少ないほど、ますます技巧を用いるものである。彼はいわば自分の支配権を示すために、現存するデータの中からさえごく少数のお気に入りの追従者だけを選び出し、残りのものたちは異論を唱えたりしない程度にうまく整理し、最後に敵対者たちを適当に陰謀に巻き込んで片づけてしまうすべを心得ているので、全体はいまや本当にもはや自由に活動する共和国ではなく、専制君主の宮廷に似てくるのである。
 功成り名を遂げた学者に、崇拝者や弟子たちができないわけがない。彼らはこのような仕組みでできたものを歴史的に学んで感嘆し、可能な限り、師のものの見方を自分のものにする。このような学説はしばしばひじょうに優勢になるので、もしそれに対して疑いを抱くようなことをあえてすれば、厚顔不遜とみなされるほどである。後代の世紀のみがこのような聖遺物にあえて手を触れ、考察の対象を再びふつうの人間の感覚に取り戻すよう要求し、ことがらをやや気楽に考えて、一つの分派の創始者について、ある才人がかつて一人の自然科学の大家について述べたことを繰り返すであろう。この人はあんなにいろいろなことを考え出さなかったならば偉大な人間であっただろう、と。
 しかし、危険を指摘しそれに対して警告するだけでは充分ではないかもしれない。少なくとも自分の意見を披瀝ひれきし、このような邪路をみずからいかにして避けうると信ずるか、あるいは自分よりまえにだれか別の人がそれを避けていくのを見出したかどうか、知らせるのは正当である。
 先に私は何かある仮説の証明のために実験を直接用いることを有害とみなすと述べたが、それによって示唆したのは、私が仮説の間接的な適用を有益とみなしていることである。この点はもっとも重要なので、私の見解を明確にする必要がある。
 生きた自然の中では、全体と結びついていないものは何も起こらない。いろいろな経験が孤立したものとしてしか現われず、種々の実験をわれわれが孤立した事実としかみなさざるをえない場合でも、それによってまだ、それらの経験や実験が孤立しているとは言えない。問題はただ、われわれがこれらの現象、これらのできごとの結びつきをいかに見出すかということである。
 われわれが前に見たように、ある孤立した事実を自分の思考力と判断力で直接結びつけようとした人々は、とかく誤謬に陥りがちであった。これに対してわれわれの見るところでは、ただ一つの経験、ただ一つの実験のあらゆる側面と様相をすべての可能性に従って徹底的に検討し、研究することを怠らない人々がもっとも多くのことをなしとげたのである。
 将来、独自の考察に値するのは、この方法で悟性がいかにわれわれの助けになりうるかということである。ここでは、それについて次のことだけを述べておきたい。自然の中のすべてのもの、特に低次の諸力と諸元素は永遠の作用と反作用のうちにあるので、どの現象についても、それが他の無数の現象と結びついていると言うことができる。それは、空中に浮かんでいる発光点がその光線を四方八方に放射するのと同様である。したがって、このような実験を行ない、このような経験をしたとき、われわれは、それに隣接するものが何であり、そこから最初に生じてくるのが何であるかを、いくら綿密に研究しても綿密に過ぎることはない。これこそわれわれが、それに関係するもの以上に注意しなければならないものである。それぞれの個別の実験を多様化することは、それゆえ自然研究者のほんらいの義務である。それは人を楽しませようとする著述家の義務と正反対である。後者は考える余地を残しておかなければ退屈を惹き起こすであろうが、前者は自分の後継者たちにあたかも何もやる余地を残そうとしないかのように、倦むことなく研究しなければならない。われわれの悟性が事物の本性と不均衡なために、たとえ彼がほどなく、何かあることがらにおいて完成する能力をもった人間はいない、ということを思い知らされるにしてもである。
 私が『光学への寄与』の最初の二集において提示しようとした一連の実験は、互いに隣接し直接に触れ合うばかりでなく、それらを精確に知り見渡す場合には、いわばただ一つの実験を構成し、ただ一つの経験をきわめて多種多様な観点から示すものである。
 他のいくつもの経験から成り立っているこのような経験は、明らかに高次のものである。それは、無数の個々の計算問題が表現される公式を表わしている。このような高次の経験をめざして研究することを、私は自然研究者の義務とみなしているのであるが、実際、この専門分野で研究したもっとも優れた学者たちの実例は、われわれにそれを指し示している。慎重にもっとも近くのものだけを隣接のものに連結したり、あるいはむしろもっとも近くのものから隣接のものを推論するやり方を、われわれは数学者たちから学ばなければならない。計算をあえてしようなどと思わないところでさえ、われわれはつねに、あたかももっとも厳格な幾何学者に解答の手順を示す義務があるかのように仕事にかからなければならないのである。
 なぜなら、ほんらい数学的方法こそ、その慎重さと純粋さのゆえに論理のいかなる飛躍をも直ちに明らかにするのであり、その種々の証明はほんらい、結合して提示されるものがもともとその単純な諸部分とその完全な連続性において存在し、その全範囲において見渡され、あらゆる条件のもとでまったく正確かつ明確であると見出されたことを詳述したるのにすぎない。そこで、数学的方法の証明はいつも論証であるよりもむしろ説明ないし再説である。私はここでこの区別をするので、これまで述べたことを振り返ってみることをお許しいただきたい。
 容易にわかるように、最初の諸要素をたびたび結合することによって行なう数学的証明と、賢明な演説家が種々の論拠にもとづいて行なう証明とのあいだには大きな違いがある。論証はまったく孤立した諸関係しか含まないにもかかわらず、才知と想像力によって一点に集められ、正不正、真偽の外見が驚くほど簡単に生み出されることがある。同様に仮説あるいは理論のために個々の実験を論証と同じようにまとめて並べ、多かれ少なかれ眩惑的な証明を行なうことができる。
 これに対して、自分自身および他人と誠実に仕事をすることに重きをおく人はだれでも、個々の実験をできるだけ綿密に仕上げることによって高次の経験をつくり上げようとするであろう。これらの経験は簡潔な命題によって言い表わされ、並置され、それらのより多くがつくり上げられれば上げられるほど、それらは整然と配列され、数学の定理と同様に、個々にあるいは総括されても微動だにしないような関係にもたらされることができる。多くの個々の実験であるこれらの高次の経験の諸要素は、そこで各人によって研究され検証されうるようになり、多くの個々の部分が一つの普遍的な命題によって言い表わされうるかどうかについて、判断を下すのはむずかしいことではない。なぜなら、ここでは恣意は起こらないからである。
 他の方法においては、われわれは自分が主張するあることを孤立した実験によって、いわば論拠をとおしてするように証明しようとするのであるが、その場合、判断は、あえて疑問の枠内にとどまらないならば、しばしば詐取されるだけである。しかし一連の高次の経験をひとまとめにしたあとならば、悟性も想像力も才知もそれらを用いて自分の力を試してもよいのである。これは有害でないばかりでなく、有益とさえなるであろう。かの最初の仕事は綿密に、勤勉かつ厳格に、ペダンティックにさえ行なわれてもそれに過ぎることはない。なぜなら、それは現代および後世の人々のために企てられるからである。しかし、これらの材料は整然と配列されてとっておかれなければならないのであって、仮説的な仕方でいっしょに並べられたり、体系的な形式のために用いられてはならないのである。それからならば、それらの材料を自分のやり方で結合し、人間のものの見方全般に多かれ少なかれ好都合かつ快適であるような、一つの全体をそこから形成することは各人の自由である。このようにして区別すべきものは区別され、経験の集積は、あとからの実験を建築が終わったあと運び出される石材のように使わずに片づけてしまわなければならない場合よりも、はるかに速くかつ純粋に増大されることができるのである。
 きわめて優れた学者たちの意見と彼らの実例は、私が正しい道にあるという希望を抱かせてくれる。私の友人たちはしばしば、私の光学研究の意図がほんらい何なのかと尋ねたが、彼らがこの説明で満足してくれることを願ってやまない。私の意図は、この専門分野におけるすべての経験を集め、すべての実験をみずから行ない、これらをできるだけ多様化し、そうすることによってこれらの実験が反復しやすいものとなり、多くの人々の視野から遠ざけられないようにすることである。次に、高次の経験が言い表わされる諸命題を提起し、これらがまたどの程度までさらに高次の原理に従属させられるかを期待することである。それにもかかわらず想像力と才知がときおり性急に先を急ぐことがあったとしても、このやり方そのものが、それらの再び戻るべき点の基準を示してくれるのである。

  一七九二年四月二十八日
分析と綜合

〔…〕

 われわれは別のより一般的な考察に向かうことにする。ひたすら分析に没頭し、綜合をいわば恐れるような世紀は正しい道にあるとは言われない。なぜなら、呼気と吸気のように、両者がいっしょになって初めて科学の生命をなすからである。
 誤った仮説も全然ないよりはましである。なぜなら、ある仮説が誤りであることは、恥でもなんでもない。しかし、それが固定化され、広く承認され、一種の信仰告白となり、だれもそれを疑ったり研究することが許されなくなることが、ほんらい禍であって、幾世紀もその被害を受けるのである。
 ニュートンの学説が論述されるのはなんらさしつかえなかった。当時すでにこの学説のいろいろな欠陥に対して反対意見が出された。しかし、この学者の他の偉大な功績、市民社会および学界における彼の地位のために、あえて異論が唱えられることはなかった。しかし特にフランス人が、この学説を普及させ固定化させたことに最大の責任がある。したがって、彼らこそ、かの過ちを償うために、十九世紀においてあの錯綜し硬化した仮説を思いきって分析するよう奨励すべきである。


 われわれがもっぱら分析を適用するさいにあまり考えないようにみえる大事なことは、いかなる分析も綜合を前提にしていることである。砂の堆積は分析されえない。しかし、もしそれが種々異なった部分、たとえば砂と金から成り立っているとすれば、洗鉱することは一種の分析であり、軽いものが洗い流され、重いものはあとに残される。
 このように近代化学は、主として、自然が結び合わせたものを分離することにもとづいている。われわれは、自然を分離された諸要素において知るために、自然の綜合を廃棄してしまうのである。
 生物以上に高い綜合があるだろうか。われわれが解剖学・生理学・心理学などといってさんざん苦労するのも、いかに多くの部分に分解されても絶えずもとどおりになる複合体を多少なりとも理解するためにほかならない。


 分析論者が陥りやすい大きな危険は、それゆえ、なんらの綜合も根底にないところで彼の方法を用いることである。そのとき彼の仕事はダナオスの娘たちのようにまったくのむだぼねおりであり、そのきわめて悲しむべき例がいくつも見受けられる。なぜなら、究極において彼が研究を行なうのはほんらい再び綜合に達するためである。しかし、彼の研究対象の根底になんらの綜合が最初からなければ、これを発見しようとする彼の努力は徒労である。個々の観察はすべてその数が増せば増すほど、分析論者にとって邪魔になるだけである。
 したがって分析論者がとりわけ検討しなければならない、あるいはむしろ注意しなければならないのは、自分がほんとうに秘められた綜合とかかわっているのか、それとも自分の研究しているものが単なる堆積、すなわち並存、共存その他いろいろ言い替えられうるものにすぎないかどうかということである。このような嫌疑を起こさせるのは、少しも進歩しようとしない学問の諸領域である。この意味で地質学および気象学についてひじょうに有益な考察を行なうことができるであろう。

色彩論

第二編 物理的色彩

〔…〕

175 われわれが経験において知覚することがらは、たいてい、少し注意すれば一般的な経験的分類項目に入れられる個々の場合にすぎない。これらの場合は改めて学問的分類項目の下位におかれるが、これらの項目はさらに上位の項目を指し示している。そのさい、われわれは現象するもののある種の不可欠の諸条件を詳しく知るようになる。これ以後、すべてのものは徐々に高次の規則ないし法則のもとに従属していく。しかし、これらの法則は言葉と仮説によって悟性に明らかにされるのではなく、同じく現象によって直観に対して啓示される。われわれがこれらの現象を根源現象と名づけるのは、現象界の中でそれらの上位にあるものは何もなく、これに対してそれらは、われわれが先刻登っていったように、段階的にまたそれらから日常的経験の最も卑俗な場合にまで降りていくことができるのにまったく適しているからである。われわれがこれまで提示してきたところのものは、このような根源現象である。われわれは一方に光、すなわち明るいものを、他方で闇、すなわち暗いものを見る。両者のあいだに曇りを入れると、これら二つの相対立するものから、この仲介の助けによって、同じく相対立する二つの色彩が展開してくる。しかし、これらの色彩はすぐまた相互関係によって、直接にある共通のものを指し示しているのである。
176 この意味でわれわれは、自然研究において犯される次の誤りを、はなはだしく大きなものとみなさざるをえない。すなわち、派生的現象を上位に、根源現象を下位におき、そればかりでなくこの派生的現象を再びさかさにして、それにもとづいて複雑なものを単純なものとして、単純なものを複雑なものとして認めたりする誤りである。この本末転倒から奇怪きわまりない錯綜と混乱が自然科学の中に生じ、科学はいまなおそれに悩まされているのである。
177 もしかし、このような根源現象がたとえ見出されたとしても、それをこのようなものとして承認しようとしないという禍が依然として残っている。われわれは、ここで直観の限界を是認すべきであるのに、根源現象の背後に、またそのうえにさらにそれ以上のものをなお探し求めるのである。自然研究者は根源現象をその永遠の平安と栄光のうちにあるがままにしておき、哲学者は根源現象をその領域に取り上げるがよい。そうすれば彼は、個々の場合や一般的な分類項目や見解や仮説などにおいてではなく、根本現象ないし根源現象において自分の今後の研究のために貴重な素材が与えられることを見出すであろう。

〔…〕

181 感性の世界全体において全般的に重要なことは、対象相互の関係、とりわけ地上の最も重大な対象である人間とそれ以外のものとの関係である。これによって世界は二つの部分に分かたれ、人間は主観として客観に相対することになる。ここにおいてこそ実践家は経験において、思想家は思弁において果てしのない努力を重ねるのであり、またある戦いに打ち勝つよう促されているのであるが、この戦いたるやいかなる和平によっても、いかなる決戦によっても決着をつけられることはできないのである。

〔…〕

228 自然のいかなる現象の場合にも、特に重大な顕著な現象の場合にも、そこに立ち止まってはならない。それに執着したり膠着したり、それを孤立させて眺めたりせず、自然全体の中を見まわし、どこに類似のもの、親近性のあるものが見出されるかを問わなければならない。なぜなら、親近性のあるものを収集整理することによってのみ徐々に一つの全体性が成立し、これは自己自身を言い表わし、それ以上の説明を必要としないのである。



第五編 隣接諸領域との関係

哲学との関係

716 物理学者に対して哲学者であることを要求することはできない。しかし、彼が充分な哲学的素養をもち、自己と世界を根本的に区別し、高次の意味で再び世界と合一しうるようになることを期待することはできる。物理学者は直観に即した方法を形成すべきである。彼は直観を概念に、概念を言葉に変えてしまい、これらの言葉があたかも対象そのものであるかのように取り扱ったりしないよう警戒しなければならない。また彼は、現象を哲学的領域にまで引き寄せようとする哲学者の努力に精通していることが望ましい。
717 哲学者に対して物理学者であることを要求することはできない。それにもかかわらず、哲学者が物理学の領域に対して働きかけることは是非とも必要であり、かつまたひじように願わしい。そのために彼が必要とするのは個々のことではなく、個々のものが統合される究極の点への洞察だけである。
718 われわれは以前(175以下)、ことのついでにこの重要な考察に言及したが、ちょうど適当な場所なので、ここでもう一度それを言い表わすことにする。物理学および他の多くの科学に起こりうる最悪のことは、派生的なものを根源的なものとみなし、根源的なものが派生的なものからは導き出されえないのに、根源的なものを派生的なものから説明しようとすることである。これによって生ずるのは果てしない混乱、無用な言葉のかき集め、そして、真実がちょっとでも現われ強力になろうとするところで逃げ口上を探し求めようとする絶えざる努力である。
719 観察者ないし自然研究者は、現象が臆見といつも矛盾衝突するために、このようにさんざん苦労している。これに対して哲学者は、自分の領域の中では誤った結論でも依然として操作しつづけることができる。というのは、いかなる結論も全面的に誤りということはなく、したがってそれはフォルムとして一切の実質を欠いていてもなんらかの形で認められうるからである。
720 これに対して、物理学者が根源現象と名づけられたものの認識に到達できるならば、彼はもう安全であり、哲学者もまたそうである。物理学者がもう安全というのは、彼が自分の科学の限界に到達したということ、彼が経験の高所に立っていて、ここからうしろを振り返ると経験のあらゆる段階を展望することができ、前へ向かうと理論の国へ入っていけないまでも少なくともその中を覗き見ることができるということを確信するからである。哲学者が安全であるというのは、彼が物理学者の手から最後のものとして受け取ったものが、いまや彼のもとで最初のものとなるからである。彼がもはや現象のことで心を煩わさないのは当然である。ふつうの意味で現象とは派生的なものであって、すでに科学的に収集整理されているか、経験的な個々の場合においては散在し混乱したまま感覚のまえに現われるかのいずれかである。彼がこの道をも歩み通すことを望み、個々のことを一瞥する労をいとわないのであれば、容易にこれを行なうことができる。他のやり方をする場合には、中間領域にあまりにも永くとどまるか、さっと通り過ぎてこれらの領域を精確に知ることはないかのいずれかであろう。
721 この意味で色彩論を哲学者に近づけることは著者の願いであった。実際に執筆されたものにおいてこれが多くの理由からたとえ成功しなかったとしても、著者はこの著作の改訂や論述されたものの要旨を再説する機会に、また論争編および歴史編においてこの目標をつねに念頭におき、将来多くのことがもっとはっきり言い表わしうるようになったとき、この考察に立ち戻るであろう。



第六編 色彩の感覚的精神的作用

〔…〕

対象の彩色

873 部分的な自然色は普遍的な基本的色彩ではあるが、われわれがそれらを知覚する物体とその表面の性質に従って一定の色に特殊化されている。この特殊化は無限に行なわれる。
874 目のまえにある染物が絹地であるか毛織地であるかということは大きな違いである。加工の仕方や織り方の種類が変わるだけでもう、さまざまな相違が現われてくる。生地の相さ、なめらかさ、光沢などが考慮されなければならない。
875 それゆえ、芸術にとってひじょうに有害な偏見は、すぐれた画家は衣服の生地などいちいち顧慮していてはならず、いわば抽象的な襞をとにかく描かなければならないというような見方である。これによって、すべての特徴のある変化がなくなってしまうのではなかろうか。レオ十世の肖像画にはビロード・編子・波紋織がならんで描かれているが、そのためにこの絵のみごとさが減るとでもいうのだろうか。
876 自然の産物の場合、色彩は多かれ少なかれ変化し、特殊化し、そればかりでなく個性化して現われてくる。これは岩石と植物において、鳥類の羽毛や動物の毛においてよく観察することができる。
877 画家の主要な技能はあくまでも、特定の素材のあるがままを描き、色彩現象の普遍的なもの、基本色彩的なものを破壊することである。ここで最大の困難は人体の表面にある。
878 身体の色は全体としてプラス側にあるが、マイナス側の青味を帯びたものもかすかに入っている。色彩はその基本的状態から徹底的に遠ざかっており、有機体制によって中性化されている。
879 風景の彩色と対象の彩色を調和させることは、色彩論においてわれわれが論じてきたことを考察すれば、才気豊かな芸術家にとってこれまでよりずっと容易になるであろう。また彼は無限に美しく、多種多様であると同時に真実な、さまざまな現象を描き出せるようになるであろう。



結びのことば

 永年にわたって執筆してきたこの研究を、私は結局最後に草案のままいわば即席に出版しなければならない破目になった。いまでき上がってきた校正刷に目を通しながら私は、ある細心な著述家がかつて洩らした願望を思い出した。彼は自分の著作をむしろまず草稿のまま印刷させ、それから再び新鮮な目で仕事に取りかかりたいと願っていたのであるが、それは、すべての欠陥が印刷されたものにおいては最もきれいな浄書原稿におけるよりもさらにはっきり現われてくるからである。
 この願望がことさら生き生きと私の心に起こってきたのには、それなりの理由があった。なぜなら、本稿の継続的な編集の仕事がたまたま心情の落ち着きと集中を不可能にするような時期に当たっていたために、私は完全に浄書された原稿さえ印刷まえに通読することができなかったからである。
 それゆえ、私が読者に言いたいことはまだまだたくさんあるのであるが、しかしその多くのものはすでに序論の中に見出される。さらにまた読者のお許しを得て私は、『色彩論』の歴史編においても私の研究とそれが受けた運命について述べたいと思っている。
 しかしここで少なくとも一つのことを考察するのは不当ではないであろう。すなわち、それは次の疑問に答えることである。全生涯を学問のために捧げることのできない者でも学問のために何をなし、いかに活動できるであろうか。いわば他人の家の客人として、彼はその家の所有者にいかに利益をもたらすことができるであろうか。
 芸術を高次の意味で考察した場合、願わしいのは、名匠のみが芸術にたずさわり、弟子は厳格に能力をためされ、愛好者は芸術にうやうやしく近づくだけで幸福に感じるということである。なぜなら、芸術作品はほんらい天才から生ずべきものであり、また芸術家は内実と形式を彼自身の存在の奥底から呼び起こし、素材に対して支配者としてふるまい、外面的影響はたんに自己完成のために利用すべきだからである。
 しかしそれにもかかわらず、多くの理由から芸術家さえディレッタントを尊重しなければならないように、科学的な研究対象の場合にはいっそうはるかに、愛好者は喜ばしいこと有益なことをなしうるのである。科学は芸術よりもはるかに経験にもとづいており、経験することに適した人の数も多い。科学的なものは多方面から寄せ集められるので、多くの人手と頭脳なしですますことはできない。知識は伝承され、貴重な収集物は遺産として残されることができる。そして、一人の人間によって獲得されたものも、いつか多くの人々の共有するものとなるであろう。それゆえ、なんらかの形で学問に寄与できない人はいないのである。われわれが偶然や手仕事やちょっとした注意のおかげで得たものは、いかに多いことであろうか。健全な感性に恵まれたすべての人々、婦人、子どもたちはみな、生き生きとした注意深い観察をわれわれに伝えることができる。
 したがって科学の世界では、科学のために何かしたいと思う者が科学に一生を捧げ、この世界の全貌を見きわめなければならないということを要求することはできない。そもそもこれは専門家にとっても高度の要求である。しかしながら学問一般の歴史、特に自然科学の歴史をよく調べると、多くのすぐれた成果が個々の専門分野における個々の研究者によって、またひじょうにしばしば素人によってなされたことがわかる。
 興味・偶然あるいは機会に導かれて人間がたとえどの分野へ進もうとも、いかなる現象が特に彼の注意を引き、彼の関心を呼びさまし、彼を研究に専念させようとも、それは科学に裨益するであろう。なぜなら、明るみに出されたいかなる新しい関係も、いかなる新しい研究方法も、不充分なものも、誤謬でさえも役に立つか刺激となり、将来のためにねだにはならないからである。
 この意味で著者は多少とも心を安んじて自分の仕事を振り返ってみたいと思う。このような考察をすることによって著者は、しのこしたことに対する勇気をふるい起こし、自分自身に満足していないにしても心の中で自信をもって、これまでの成果とこれからなすべきことを、現在および後世の同じ関心を有するすべての人々に推賞することができるのである。
  多くの者が生をけて過ぎゆき、知識はいやまさん。
  (Multi pertransibunt et augebitur scientia.)
解説 自然科学者としてのゲーテ


自然研究者の諸段階

 ゲーテが詩作とならんで自然研究に没頭したことについては、昔から毀誉褒貶が絶えない。彼自身も、『植物変態論』(一七九○年)のフランス語訳に添えた一八三一年の論文『著者は自らの植物研究の由来を伝える』の中で次のように述懐している。「半世紀以上もまえから私は祖国でも、たぶんまた外国でも詩人として知られており、詩人としてはかなり認められてもいる。しかし私が大きな注意を払って自然の一般物理的な、また有機的な諸現象を理解しようと熱心に努力し、真剣に行なった種々の観察を絶えず情熱的に追究しているということは、それほど一般には知られていないし、まして注意して考慮されることはなかった。」
 自然科学者としてのゲーテに対するこのような過小評価には、むろん、それなりの理由があった。そこには大別して、ゲーテ自身の研究方法がはらむ問題性と、当時の科学史的状況のある程度までやむをえない無理解と葛藤があったであろう。それはゴットフリート・ベンの論文『ゲーテと自然科学』およびヴェルナー・ハイゼンベルクの論文『現代物理学の光に照らしてみたゲーテとニュートンの色彩論』において専門の自然科学者の立場から詳細に論じられているとおりである。
 他方でゲーテの自然科学を不当に過大評価しようとする試みがこれまでなかったわけではない。ゲーテが一七八四年に人間のいわゆる顎間骨を発見したことは有名であり、また彼が植物のメタモルフォーゼや動物の原型という考えによって進化論の先駆とみなされうるような生物学思想を抱いていたことや、彼の生理的色彩研究がその後の斯学の研究に大きな影響を及ぼしたことなどが、しばしばひじょうに強調される。しかしながら、厳密に言えば顎間骨は一七八〇年にフランスの解剖学者ダジール(Felix Vicq d'Azyr)によってすでに発見されていた。またゲーテをラマルクとともに進化論の先駆者に祭り上げたのは、主として十九世紀後半の動物学者かつ哲学者エルンスト・ヘッケルであって、このような見方は専門的なゲーテ研究においてはおおむね否定されている。そして生理的色彩はヨハネス・ミュラー、ヘルマン・ヘルムホルツ、ヴィルヘルム・オストヴァルトなどの偉大な自然科学者たちによって確かに積極的に評価されているとはいえ、それはゲーテが二十年の歳月を費やして完成した大著『色彩論』のほんの一部にすぎない。そのうえ生理的色彩は、たとえゲーテがいなくても、遅かれ早かれ他の自然科学者によって発見されたにちがいないのである。ゲーテも、自分の広範囲な色彩研究の中でこの部分だけが科学的な認識として認められることに、けっして満足しなかったであろう。
 ではゲーテにとって自然研究はほんらいどのような意義と目的をもっていたのであろうか。ここで何よりも注意しなければならないのは、当時はまだ自然科学者(Naturwis-senschaftler)という表現がなく、ゲーテはつねに自然研究者(Naturforscher)あるいは自然愛好者(Naturfreund bzw. Liebhaber)という言葉を用いていたことである。自然研究とは、ゲーテにとって、自然を友とする人間が愛する対象としての自然をよりよく知ろうとすることにほかならなかった。したがって、自然を知るためには理性ないし悟性といわれる知的能力だけでなく、愛する人間を理解しようとする場合と同様、自然のあらゆる外的な現象からその内的意味を推し測るための鋭敏な感性や豊かな想像力も必要であった。そのうえゲーテにとって自然は、後述するように、神的なものと不即不離の関係にある物質的かつ精神的存在であった。それゆえ、彼の自然研究はつねに同時に深く宗教的な性格を帯びていた。この意味で、彼が自然研究者を次の四つの発展的段階にわけて考えていたことは、自然科学者としてのゲーテを公正に評価するためにきわめて重要である。

 利用する人(Die Nutzenden)
 知識の人(Die Wibbegierigen)
 直観する人(Die Anschauenden)
 包括する人(Die Umfassenden)

『植物生理学の予備的研究』の中で詳述されているように、「利用する人」と「知識の人」は、ごく一般的な意味で、現代の科学的技術的研究に従事する人々に相当している。これに対してゲーテ自身は少なくとも「直観する人」であって、自然に関するたんなる個別的知識やまして経験的利用に満足することなく、生産的な想像力を用いて自然の全体像を把握しようと努力する。しかし彼は自然の利用や知識をけっして拒否しているわけではなく、むしろこれらに直観を付け加えた最高の段階として、さらに「包括する人」を挙げている。「包括する人」とは、自然さえもそれに従わなければならないような理念から出発する自然研究者のことであるが、彼が理念から再び現象ないし経験の領域へ降りていくことは、昇ることが困難であっただけに、それだけ容易になるのである。
 ところでゲーテは『箴言と省察』の「認識と学問」の中で、学問ないし科学の歴史を次の四つの時期にわけている。

 子どもらしい、すなわち詩的、迷信的な時期。
 経験的、すなわち探求的、好奇的な時期。
 教義的な、すなわち教示的、衒学的な時期。
 理念的な、すなわち方法的、神秘的な時期。

 この区別は明らかに先の自然研究者の四つの段階に対応しており、これをさらに適用して、自然科学者としてのゲーテの発展を大きく次の四期にわけて考えることもできる。
 ヴァイマル前期(一七七五─八六)
 イタリア旅行以後(一七八六─一八一七)
 研究成果の集大成期(一八一七─二四)
 晩年の自然観照期(一八二四─三二)
 すなわちゲーテも自然研究の最初の段階においてはまず必要に迫られて「利用する人」として出発し、次に「知識の人」として多種多様な自然観察を積み重ねたあとで初めて、直観にもとづく自然認識に到達したのである。そして彼が晩年において「直観する人」からさらに「包括する人」へと発展していったとき、彼の自然認識は、詩集『神と世界』におけるように、教示的な論文よりはむしろ抒情的な思想詩ないし世界観詩として言い表わされるようになった。「最高のことは、すべての事実がすでに理論であるということを把握することである。空の青はわれわれに色彩学の根本法則を啓示している。さまざまな現象の背後に何かを探し求めてはならない。それら自らが学理である」というような『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』第二巻巻末の「遍歴者のこころにおける省察」からのことばも、個別研究を十分に行なったあとで根源現象を洞察した「包括する人」の発言にほかならない。


自然研究の思想的基盤

 現在のふつうの観念をもってすれば、ゲーテの自然研究の第三および第四の時期はどちらかといえば哲学的であって、科学的と呼ぶことができるのは主に第一と第二の時期である。しかし、一七七五年以前のゲーテがいかに深く自然を体験していたかを顧慮するならば、彼の自然研究がヴァイマル移住以前の自然体験にねざし、そこになんらかの思想的基盤をおいているにちがいないことは、容易に考えられる。事実、『ヴェルター』の初稿はもちろんのこと、『ウルファウスト』も一七七五年以前に書かれ、ゲーテの青年時代の自然観を生き生きと反映している。また彼は一七七四年から七五年にかけてチューリヒの牧師ラファーターのいわゆる観相学研究に積極的に協力しているので、当時めざめさせられた骨相ないし容貌と性格、すなわち人間における外面と内面の相関関係に対する興味がヴアイマル前期における彼の骨学研究の基礎をなしていることは疑いを容れない。したがって、彼の自然研究の特質を理解するためには、彼の自然観がいかに形成されたかを時代思潮との関連からまず見ていかなければならない。
 ゲーテの幼少年時代の自然体験は自叙伝『詩と真実』にひじょうによく描かれていて、彼の自然観の形成もたんなる暗示以上に明らかにされている。これが執筆時期の晩年の思想の反映であるとしてその信憑性を疑う理由は、今日もはやほとんどなくなっている。青年時代における彼の根本問題は、ルネサンス以降の宗教的傾向をもったすべての思想家たちの場合と同様、「有限なるものの中に無限なるものを見出すこと」であった。思想史的に見れば、それはキリスト教の超越的な神に代わる内在的な神の探求である。キリスト教が直接的な啓示の源としての聖書のほかに、神の被造物としての自然に間接的な啓示の役割を認めていたのに対して、近代の思想家たちはどちらかといえば自然の中に神の直接的な啓示を求めるようになったのである。図式化すれば、中世キリスト教思想の根本概念である神・世界・人間の内的緊張をはらんだ調和は、まず第一に十七世紀の理神論によって崩壊の危機にさらされることになった。なぜなら理神論は、キリスト教的な創造神の存在をまだはっきり否定しないとはいえ、この神の創造以後の被造世界への介入を否定することによって、この世界ないし自然に決定的なしかたで自律性を認める結果を招いたからである。これによって生じたのが、イギリスやフランスの啓蒙主義時代の無神論的、唯物論的な自然観である。しかし神なき世界にあきたらない人々は自然の中に神を探求しつづけしかもそこで得られると信じられた神秘的な自然認識をなんらかの形でなお聖書の教えと一致させようと努力した。これがパラケルススをはじめとする汎知学(Pansophie)の思想家たちである。しかし、これらのいわゆる「白い魔術」を研究する神探求者的な錬金術師たちとならんで、自然の神秘な力を現世的な欲望の満足のために濫用しようとする「黒い魔術」の錬金術師たちがいた。そして、これら二種類の錬金術師を截然と区別することは必ずしも容易ではなかった。しかしながら、錬金術がキリスト教の信仰と結び付きえたことは、『詩と真実』第二部第八章に述べられているように、クレッテンベルク嬢をはじめじエティスムスの人々がその研究に熱中したことからも知られる。
 神・世界・人間というキリスト教的な三角形の図式はこうして十八世紀のドイツにおいて解消し、神が世界の中に内在する形で直線的に人間と相対することになる。ゲーテの人間形成における自我と世界の交互作用という関係はこのような世界像の変化にもとづいている。彼にとって、自然がほとんど神的な存在として自己を啓示し、自然研究とはこの啓示の言葉を解読することにほかならないことは、『色彩論』第一部「教示編」のまえがきや序論で深い宗教的な愛と畏敬の念をもって語られている。そのさいきわめてゲーテ的なことは、自然の中に神的なものを認めることによって、自然の産物である人間自身の内部にも神的なものが容認されることである。それは有名な次の詩句の中で美しく言い表わされている。

もし眼が太陽のようでなかったら、
どうしてわれわれは光を見ることができるだろうか。
もしわれわれの内部に神みずからの力が宿っていなければ、
どうして神的なものがわれわれを歓喜させることができるだろう

 森羅万象の調和的一致と外界と内界の照応という古代ギリシア以来のこのような確信は、ゲーテの自然研究にさいして青年時代から終生変わることのないものであった。しかし、彼以後のドイツ思想史においてはこのような宗教的自然観および人間観はしだいに稀薄となり、十九世紀後半の自然科学研究において無神論的な唯物論が再び支配的になったとき、人間は自然の中に神を見失っただけでなく、同時に自己の内部の神的なものが失われていくのを痛切に体験しなければならなかった。ニヒリズムあるいは「中心の喪失」と呼ばれるこの精神史的なできごとは、芸術創造の領域においては、あるいは生産的な作用を及ぼしたかもしれない。また自然科学研究に巨大な技術的発展をもたらしたかもしれない。しかし少なくとも自然認識の面では、ゲーテ的な自然の見方および研究方法とその後の近代自然科学との間に、この解説の冒頭で指摘したのよりももっと深い断絶が生じてしまった。一八八二年、生理学者のエミール・デュ・ボア・レイモンがベルリン大学総長就任のさいに行なった「果てしのないゲーテ」という講演は、自然科学者としてのゲーテに対する無理解と拒絶的な態度の代表例であった。
 先に引用した詩句の中でゲーテは、時代思潮に逆行するような自己の自然観が古代ギリシアのイオニア学派やプロティノス以来の神秘主義の伝統にもとづいていることを示唆していたが、『詩と真実』第二部第八章の終わりにおいてさらに、彼の自然観がより包括的な宇宙発生論(Kosmogonie)からの必然的帰結であることを、かなり具体的に明らかにしている。箴言的論文『自然』に対する晩年の注釈に述べられている「物質的あるいは精神的なものとして見られる限りの自然」という観念や、「自然の二大動輪」と呼ばれる分極性と高進性の概念などは、彼のコスモゴニーとの関連からはじめて理解される。このコスモゴニーは基本的には新プラトン主義の流出説にもとづいているとはいえ、キリスト教の神秘主義やユダヤ神秘説カバラーの諸要素を加味した独特の宗教的な世界像である。青年時代のゲーテにこのような世界像の形成をうながすきっかけを与えたのは、とりわけウェリングの『魔術的神秘の書』(一九三五年)や著者不詳の『ホメロスの黄金の鎖』(一七二三年)などの汎知学的書物であった。前者がその可視的な図表によって暗示的であるのに対して、後者は特に「鎖」のイメージによってゲーテの科学方法論における「連続性の原理」と密接な関係があるように思われる。

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 二〇〇一年二月 レーゲンスブルク  木村直司

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