トルストイ『懺悔』

 古い東洋の寓話の中に、草原で怒り狂える猛獣に襲われた旅人のことが語られている。猛獣から逃れて、旅人は水の涸れた古井戸の中へ駆け込んだ。が、彼はその井戸の底に、彼を一呑みにしようと思って大きな口をあけている一匹の龍を発見した。そこでこの不幸な旅人は、怒り狂える猛獣に一命を奪われたくなかったので、外へ這い出ることも出来ず、さればと言って、龍に食われたくもなかったので、底へ降りて行くことも出来ず、仕方がなくて、中途の隙間に生えている野生の灌木の枝につかまって、そこに辛うじて身を支えた。が、彼の手は弱って来た。で彼は、井戸の上下に自分を待っている滅亡に、間もなく身を委ねなければならないことを感知した。それでも彼はつかまっていた、とそこへ更に、黒と白の鼠がちょろちょろとやって来て、彼のぶら下がっている灌木の幹の周囲を廻りながらがりがりとかじり始めたのである。もうじき灌木はぷつりと切れて崩壊し、彼は龍の口へ落ちてしまうに違いない。旅人はそれを見た。そして自分の滅亡が避け難いものであるのを知った。が、しかも彼は、そこへぶら下がっているその僅かの間に、自分の周囲を見廻して、灌木の葉に蜜のついているのを見出すと、いきなりそれを舌に受けて、ぴちゃりぴちゃりと嘗めるのである。──私もまたこの旅人のように、私を牙にかけようと思って待ち構えている死の龍の避け難いことを知りながら、生の小枝につかまっているのだ。そして私は、何でそんな苦悩の中へ落ち入ったかを知らないのだ。私もまた今まで自分を慰めてくれた蜜を嘗めてみる。が、その蜜はもうこの私を喜ばせてくれない。そして白と黒との二匹の鼠は、日夜の別なく、私のつかまっている生の小枝をがりがりとかじる。私はまざまざと龍の姿をまのあたりに見ている。で蜜ももう私には甘くないのである。私の見るのはただ一つ、──避け難い龍と鼠だけである、──そして私は彼らから目をそらすことが出来ないのだ。しかもこれは決して単なる作り話ではない。これは真実の、論じ合う余地のない、凡ての人の知っている真理なのだ。
 龍に対する恐怖をまぎらせていた生の喜びという今までの欺瞞は、もはや私を欺くことが出来なくなった。お前は人生の意義を悟ることが出来ないのだ。考えずに、ただ生きよと、いかほど自分に言ってみても、私はそれをあえてすることが出来ない。過去において余りに久しくそれを繰り返して来たからである。今や私は、絶えず私を死の方へ引きずりながら駈けて行く日々夜々を目睹せずにはいられない。私はこれのみを見詰めている、なぜなら、これのみが唯一の真理で、そのほかの凡てはみんな欺瞞だからである。

 実験科学は、その討究の中へ根本的原因を取り入れない場合にのみ、確実なる知識を我らに与え、人智の偉大さをわれらに示す。これに反して、理論的科学が我らに人智の偉大さを示すのは、原因ある諸現象の連続に関する問題を完全に放擲して、根本的原因に対する関係においてのみ、人間を眺める場合である。この部門においてその極点となっている学問は、まさしくそういう学問であって、形而上学乃至哲学と言われるものがそれである。この学問は旗幟鮮明に次のような問題を提起する。『我とは何ぞ? 全世界とは何ぞ? また何のために私は存在するのか? この世界は存在するのか?』そして、この学問がこの世に生まれ出たその時から、その解答はいつも同一であった。観念よし、物体よし、霊魂よし、意志よし、哲学者はすべてこれらのものを、私及びあらゆる生物の中に存在する、生の本体である、というのである。けれども、なぜにその本体なるものが存在するかを、彼は知らない。そして彼が真正の思想家である限り、彼はそれに答えないのだ。なぜにそういう本体なるものが存在するのか? そんなものが存在するという事実から、存在するであろうという事実から、一体何が生まれるのか? ──と私は質問する。……と、哲学はそれに答えないのみならず、自分でも同じ質問を発するだけである。従って、こういうのが真の哲学というものであるならば、哲学の持つ凡ての仕事は、この質問を、この問題を、明白に提出するという一事である。そしてもしも彼女が、哲学が、そういう自己の使命を堅く保持するならば、哲学は、『我とは何ぞ? 全世界とは何ぞ?』という疑問に対して、『凡てである、そして皆無である』と答え得るばかりであり、また『なぜに?』という疑問に対しては、『その点は知らない』と答えることが出来るだけである。
 こういう次第で、いかほど哲学の理論上の解答をひねくり廻しても、私はどうしても解答らしい解答を、何一つ受けることが出来なかった。がそれは、明瞭な実験科学の分野におけるが如く、その解答が私の疑問とちぐはぐだったためではなくて、この分野においては、あらゆる知的活動が私の疑問にのみ集中されているにも拘らず、解答そのものが全然なく、解答の代りに、もっと複雑な形をとっただけで、実は全然同一の疑問が、提供されるに過ぎなかったからである。

 私は自分に言うのだった。『今や私は、科学が執拗に知ろうと欲している、すべてのことを知っている。が、しかしながら、我が生存の意義に関する疑問の解答は、この方面にはないのである。』
 また理論的科学の分野においても、私は悟り得たのだった。この種の学問の目的が私の疑問への解答にあったにも拘らず、あるいはむしろその結果、私が自分に与えて来た解答より別個の解答が、そこには一つも得られない。すなわち、『我が生存の意義は如何?──そんな意義なんてものは何もない。我が生活からいかなるものが生まれて来るか?──何にも生まれて来ない。なぜに存在するところの凡てのものが存在するのか、またこの私は存在するのか?──存在するから存在するのだ。』こういう解答しか得られないことを、私は悟り得たのだった。
 さらに転じて、科学の外の方面について解答を求めた場合には、私が訊ねたい事柄に対する、正確な解答を無数に与えられた。すなわち、星の化学的成分や、ハアキュレス星座に向かっての太陽の運行や、種及び人間の起源や、エーテルの無限に微細な量り得られぬ小分子の形態などに関する解答である。が、しかしながら、我が生存の意義は那辺にあるか? という私の疑問に対する、この方面の学問の答えはただ一つであった。お前とは、お前が自分の生命と名づけているところのものである。お前は微生分子のほんの一時の偶然の結合なのだ。これらの微生分子の相互の感動や反動が、お前の内部に、お前が自己の生命と名づけているものを生み出すのだ。こういう微生分子の結合はしばらくの間持続する。が、やがてそれらの微生分子の相互的活動は停止する。同時に、お前が生命と名づけているものも停止し、お前の疑問も消えてなくなってしまうのだ。お前は何ものかの偶然に結合した塊である。この塊は沸騰する。その沸騰をこうした塊は自己の生と呼んでいる。がやがてこの塊は分解する。同時に沸騰は止んでしまい、あらゆる疑問もそれきりになってしまうのだ。──人間の知識の明白な実証的方面はかく答える。そしてこの方面の学問は、自己の立脚地を厳守する限り、そのほかの解答を提供することは出来ないのである。
 こういう解答に接すると同時に、それが私の疑問に答えるものでないことは明らかになった。私は私の生存の意義を知りたいので、私の生が無限なるものの一部だという答えは、私の生存に意義を与えてくれないのみならず、あり得べきあらゆる意義を踏み潰してしまうのである。
 生の意義は進歩発達とそれに対する協力にあるという、推理推論の付け焼刃をして、正確な実験科学のこの方面の知識がでっち上げた、曖昧模糊とした解答は、その不正確な点不明瞭な点からいって、到底解答とは考えられ得ない。
 人間の知識の他の方面、すなわち、理論的方面は、自己の立脚地を厳守している限り、この問題に端的に答える場合、その答えはいつの世でも、またいずれの所でも、常に同一だったし、また現在も同一である。すなわち、『この世界は無窮にして不可解なるある物だ。そして人生は、この不可解なる「全体」の中の、同じく不可解なる一部だ』というのである。が、この方面においても、再び私は、法学政治学乃至史学と呼ばれているような、そんな中途半端な科学の面々がでっち上げているところの、実験科学と理論科学との間のあらゆる妥協を排斥せずにはいられない。これらの学問にはまたしても、進歩発達という観念が、完成という観念が、先の場合には凡てのものの発達と言ったのが、ここでは人間の生活の発達と言ってある、ただそれだけの差異をもって、おぞましくも取り入れられているのである。すなわち、正しくないという点では全く同一なのである。無限無窮の境地における進歩発達完成には、方向も目的もあり得ない、従って、私の疑問に対しては、何らの解答をも与え得ないのである。
 理論的知識が正しくて濁らない境地では、特に真正の哲学においては、──ショーペンハウアーが『プロフェッサーの哲学』と呼んでいるような哲学ではない、すなわち、存在する凡ての現象を新しい哲学的分類法によって分類し、それに新しい名称を与えることしか出来ないような哲学ではない、──つまり、哲学者がかんじん要の大問題を見落とさない哲学においては、答は常に同一である。──すなわち、ソクラテスやショーペンハウアーやソロモンや仏陀によって与えられたところの答えである。
 『我々は生より遠ざかれば遠ざかるだけ、それだけ真理に近づくのである。』と死に臨んでソクラテスは言った。『真理を愛する我々は、この世の生涯において、何を望んでまっしぐらに進むのか? 肉体からの、肉体の生活が醸し出すあらゆる悪からの、解脱を望んで進むのである。それだのに、死が我々に近寄るのを喜ばない法がどこにあろう? 賢人は一生涯自己の死を探求する、従って、彼には死が怖ろしくないのである。』
 ショーペンハウアーは言っている。──
 『世界の内的本質を意志と認識し、不可解なる自然の力の無意識的な発動から、十分なる意識を伴う我の活動に至るまでの、ありとあらゆる現象の中に、ただこの意志の客観的発現のみを認識したが最後、我々はもうどうしても、意志の自由なる否定と共に、その自己否定と共に、あらゆる現象も消滅するという、理論的結果を避けることが出来ないであろう。──この世界の根底となっているところの、この意志の客観的発現のあらゆる程度において、目的もなく休息もなしに行われている、不断の躍進や衝動も消滅し、連続的形式の種々雑多な現われも消滅し、それと同時に、時間と空間をもった凡ての現象も消滅し、そして終に、一番最後の一番根本の形式である主体と客体までが消滅してしまうという、理論的結果を避けることが出来ないであろう。意志がなければ、認識がなければ、この世界はないのである。この場合我々の前に残されるのは、言うまでもなく皆無である。が、しかしながら、絶滅へのこの転換を我らの本性が厭うという点、そこに我々は我々自身と我々の世界とを組成する、生存に対するかの意志を見るのである。すなわち、我々がかくまで絶滅を怖れるという事実、もしくは、我々がかくまで生きることを欲するという事実は、我々自身がそうした生の欲望以外の何ものでもないこと、それ以外の何ものをも知らない者であることを、表示する他ならないのである。それ故に、こうした宇宙の意志のまったき絶滅の後に、まだ諸々の意志で充満している我々の前に残されるのは、言うまでもなく皆無である。が、更にまた、自己の内部に意志の自己否定を見た人々にとっても、かくまでにリアルな我らのこの世界が、太陽や銀河などの一切と共に、皆無になってしまうのである。』
 『空の空』でソロモンは言っている。『空の空なる哉──凡て空なり! 日の下に人の労して為すところの諸々の動作 (はたらき) はその身に何の益かあらん。世は去り世は来る、地は永久 (とこしえ) に存 (たも) つなり………先にありし者はまた後にあるべし。先に成りしことはまた後に成るべし。日の下には新しき者あらざるなり。「見よ、これは新しき者なり」と指して言うべき物あるや。それは我らの前にありし世々に既に久しく在りたる者なり。前のもののことはこれを憶ゆることなし。以後のもののこともまた後に出づる者これを憶ゆることあらじ。われ伝道者は、エルサレムにありてイスラエルの王たりき。我心を尽くし智慧を用いて、天下に行われる諸々のことを尋ねかつ調べたり。この苦しき労作 (わざ) は、神が世の人に授けてこれに身を労せしめ給うものなり。我日の下に為される諸々の行為 (わざ) を見たり。ああ、みな空にして風を捕うるが如し………われ心の中に語り言う。ああ、我は大いなる者となれり、我より先にエルサレムに居りし凡ての者よりも我は多くの智慧を得たり。我が心は智慧と知識との多くを得たり。われ心を尽くして智慧を知らんとし、狂妄と愚痴とを知らんとしたりしが、これもまた風を捕うるが如くなるを悟れり。それ、智慧多ければ悲痛 (かなしみ) 多し。知識を増す者は憂患 (うれい) を増す。
 次に挙げるのは、人間の霊智が生の疑問に対して答えた、端的な三四の解答である。──
 『肉体の生は悪であり虚偽である。従って、こういう肉体の生を絶滅することは善である。だから我々は、これを希望すべきである。』とソクラテスは言っている。
 『人生とは、存在してはならないもののことである。──すなわちそれは悪である。それ故に、生より無への転換が、人生の唯一の善なのである。』とショーペンハウアーは言っている。
 『この世のすべて、愚も賢も、富も貧も、喜悦も悲嘆も、──凡てこれ空の空にして無価値なり。人は死す、そうして何物をもあとにとどむるなし。これまた愚かしき限りならずや。』とソロモンは言っている。
 『苦悩と老衰と死との避け難きを意識しながら生きて行くことは出来ない。──我が身を生より、生のあらゆる可能性より、我らは脱却せしめなければならない。』と仏陀は言っている。
 これらの卓絶せる大智識の言った言葉は、同じような幾百千万の人達が、言ったり、考えたり、感じたりしたことなのである。そして私もまた、そのように考えたり感じたりしているのだ。
 かくの如くにして、知識の分野における私の彷徨は、私を絶望から救い得なかったばかりでなく、それを増大せしめたに過ぎなかった。ある部門の知識は、生の疑問に対して全然答えてくれなかったし、また他の部門の知識は、私の絶望の裏打ちとなるような露骨な答えを与えてくれ、そして私の到達した境地が、私の精神錯乱の結果でもなく、また迷妄の結果でもなくて、むしろその反対であることを示してくれた。すなわち、私が正しく考え、そして私の考えが人類の中の最も卓越せる大智識達の結論に合致したという事実の、裏打ちとなっているものであることを示してくれたのである。
 自分を欺くことは出来ない。然り、凡ては空の空である。この世に生を享けなかった者は幸福だ。死は生よりましである。生より脱却しなければならない……

 諸々の知識の中に解決を見出すことが出来なかったので、私はそれを自己の周囲の人々の中に見出そうと思って、実生活の中に探し始めた。で私は、私と同じような多くの人々を観察し、彼らが私の周囲にいかなる生活を送っているかを、また私を絶望に導いたこの問題を、彼らがいかに取り扱っているかを、観察し始めた。
 そして私は、私と教養や生活様式の上からいって同じような地位にある人々の間に、こういう事実を見出したのである。
 絶体絶命の境地からの第一の血路は、無知無識の道であった。この道は、人生が悪であり無意味 (ナンセンス) であることを、知らず悟らないという行き方であった。この種の人々は──その大部分が女、もしくはうんと若い青年、あるいは極めて愚鈍な男であるが──ショーペンハウアーやソロモンや仏陀の前に現れたような人の疑問を、まだ悟ってはいないのであった。彼らはまだ、自分達を待ち構えている龍をも、自分達のぶら下がっている灌木の幹をかじる鼠をも見ない、そして蜜の雫を嘗め味わっているのである。しかしながら、彼らが蜜を嘗めているのはほんの束の間だ。何ものかが彼らの注意を龍と鼠とに向けさせるが最後、彼らの蜜を嘗めているのはたちまちおしまいになってしまうのである。私はこれらの人々から何事をも学び得なかった。──自分の知っている事柄を、知らない昔にかえすことは出来ないのである。
 第二の血路は──快楽主義のそれであった。この道は、人生の望み無きものであることを知りつつも、暫時の間、地上における現在の幸福を享楽し、龍にも鼠にも眼をそむけて、最上の方法で、特にうんとたまったような時に、蜜をたらふく嘗めようという行き方である。ソロモンはこの行き方を、次のように表白している。
 『ここにおいて我は快楽を讃美す。それは飲食して楽しむにまさること日の下にあらざればなり。人の労して得る物のうち、これこそはその日の下にて神に賜わる生命の日の間、その身を離れざる物ぞかし……汝行きて歓喜をもって汝のパンを食し、楽しき心をもって汝の酒を飲め………日の下に汝が賜わるこの汝の空なる生命の日の間、汝その愛する妻と共に喜びて暮らせ。汝の空なる生命の日の間、かくてあれよ。これは汝が世にありて受くる分にして、汝が日の下に働ける労苦によりて得るものなればなり。凡て汝の手の堪うることは、力をつくしてこれを為せ。けだし、汝の赴く陰府 (よみのくに) には、労働も、思索も、知識も、智慧もあらざればなり。』
 我々と同じ階級の人々の大多数は、こういう行き方で自己の内部に生存の可能性を保持している。彼らの身を置く境遇は、彼らに悪よりもより多く善を持たせるように仕向けている。そして彼らの徳性の魯鈍さは、彼らをして、自己の境遇がもたらすそれらの利益が、ほんの偶然のものであることを忘れしめ、凡ての人がソロモンのように千人の妻と宮殿を持つ訳に行かないこと、一人の男が千人の妻を持つ場合には千人の男が妻を持たずに終わらなければならないこと、一つの宮殿を建てるために千人の者が汗みどろにならなkればならないことを忘れしめる。そしてこれらの人々の想像力の魯鈍さは、仏陀に平安を与えなかった物その物をを忘れ去る可能性を彼らに与え、病と老と死とが避け難く襲い掛かって来て、今日でなければ明日、これらの歓楽を根こそぎにしてしまうという事実を、忘れ去る可能性を彼らに与えている。
 現今の我々と同じ程度の暮し方をしている人々の大多数は、こんな風に考え、またこんな風に感じているのである。これらの人々の中のある者が、自分達の思想と想像の魯鈍さを、彼らのいわゆる実証哲学なる、一種の哲学であると断じているという事実は、私の観る所をもってすれば、これらの人々を、生の疑問に面接せざらんがために歓楽の蜜をしゃぶっている連中と、区別無からしめているのである。で、私はこういう連中の真似をすることが出来なかった。彼らのような魯鈍な想像力を持たない私は、そういう魯鈍な想像力を人工的に自己の内部に創り出すことが出来なかった。生きとし生ける凡ての人が、ひとたび死の龍と生命の綱をかじる鼠とを見たが最後、それより瞳をそむけることが出来ないように、私もまた、どうしてもそれが出来なかったのである。
 第三の血路は、元気と精力をもって当るという行き方である。すなわち、生の悪であり無意味であることを悟ると同時に、ひと思いにこれを絶滅するという行き方である。強いしっかりした性格の小数の人々が、こういう行き方をするのである。自分達の身に演ぜられている道化芝居の愚劣さを悟り、死者の幸福が生者の幸福に優っていること、それ以上の幸福があり得ないことを悟ると同時に、彼らはじきに、首をくくるとか、入水するとか、胸へナイフを突き刺すとか、線路の上へ身を投げるとか言ったような手段を選んで、ひと思いにそうした道化芝居をお仕舞い」にしてしまうのである。しかも我々の階級の人々の中で、こういう行き方をする連中が、絶えず増加しつつある。そしてこういう行き方をする人達は、大部分、人生の一番好い時期にある人達なのである。すなわち、魂の力が最高度にまで発達し、理性をおぼれさせるいろんな習慣が、まだ余り身についていない時期において、彼らは大部分この方法を選ぶのである。
 私はこの行き方が一番価値のある方法であると観じて、それを決行したいと思ったことだった。
 第四の血路は弱気のそれである。この行き方は、人生の悪であえり無意味であることを悟りながらも、なす術のないことを予め知って、ぐだぐだとそれを引きのばして行くという方法である。この部類の人々は、死の生にまさることを知ってはいるが、理性に基づく行動に出て、ひと思いに虚偽を打破して自分の一命を絶つだけの元気がなく、まるで何ものかを待っているように、ぐだぐだと煮え切らないその日を送って行くのである。これは弱者の道である。何となれば、よりよき境地を知っており、そのよりよき境地が自己の力で獲得出来るのなら、それに身を委ねないという法がないからである……そしてこの私は、こうした部類に入っていたのであった。
 かくの如く、私と同階級の人々は、上掲の四つの方法によって、恐ろしい矛盾撞着から、自己を救っているのである。どんなに智力を絞っても、上掲の四つの血路以外に、私は新しい進路を見出すことが出来なかった。第一の血路は、生の無意味であり空々寂々であり悪であることを悟らず、むしろ生きざるの優れることを悟らない行き方である。私はそれを悟らずにはいられなかった。そして、ひとたび悟ったが最後、この事実に対して目を覆うことが出来なかった。第二の血路は、未来を案ずることなしに、あるがままの生を享楽するという行き方である。私はこの行き方にも身を委ねることが出来なかった。私もまた、釈迦牟尼のように、老衰と病苦と死滅との厳存することを知っては、安閑と狩猟になど出掛けることが出来なかった。そうした魯鈍な生き方を為すべく私の想像力は余りに生々と活動していた。のみならず、私はほんの一瞬間私の生活に快楽を投げて寄越すところの、たまゆらの偶然を嬉しがっていることが出来なかった。第三の血路は、生の悪であり愚である事実を悟って、ひと思いにこれを断絶する、すなわち、自己の一命を絶つという行き方である。私は生の悪であり愚であるというこの事実を悟った。が、どういう訳か、まだどうしても自己の一命を絶つことが出来なかった。第四の血路は、ソロモンやショーペンハウアーの心境に生きるという行き方、──すなわち、生の愚であり、自己の上に演ぜられる道化芝居であることを知りながらも、依然として生活を継続し、顔を洗ったり、着物を着たり、話をしたり、いやそれどころか、著述をさえやったりするという行き方である。この行き方は私にとって実にうとましく苦しかった。しかも私はこうした境地にとどまったのであった。
 が、今になってこれを見るに、この当時私が自分の一命を絶たなかったのは、私の考察が正しくないというおぼろげな自覚が、その原因となっていたのだった。私には今そのことが分かるのである。私を生存の無意味であるという自覚に導いて行った諸聖賢の思想や私の思想の道程は、実に疑う余地のない確実なものに見えたけれども、しかもなお私の内部には、私の判断の真実性に対する、おぼろげな懐疑が残っているのであった。
 それはこういう懐疑であった。──
 『私は、私の理性は、生存の不合理であることを認識した。そうして、理性以上の至高の理性などいうものが無いとしたら、(また実際そんなものは無いのだ、そんなものの存在を立証すべき何者も無いのだ)、理性は私にとって生の創造者でなければならない。すなわち、理性が無ければ、生もまた無いはずである。然るにどうしてその理性が、生の創造者でありながら、自分の創造した生を否定するなんてことがあり得よう! 更に他の一面から考察するに、生が無ければ私の理性も無いはずである。──従って、理性は生の子供なのである。生が全体である。理性は生の果実である。しかもその理性が親に当る生そのものを否定する。どうもおかしい。』
 私はそこに何かぴったりしないものを感じているのであった。
 『人生は無意味な悪の連続である、これは疑う余地のない厳然たる事実だ。』と私は我と我が心に言った。『だのに私はその生存を続けて来たし、また現在も続けている。いや、かくいう私だけではない、全人類がそうなのである。これは一体どういう訳だ? 生を絶つことが出来るはずなのに、どうして人類は生きているのか? 私とショーペンハウアーだけがひどく聡明で、この二人だけが生の無意味と悪を悟ったのであろうか?』
 が、人生の空しいものであるという考えはさほど難しい考えではない。従って、極めて単純な多くの人々が、とうからこういう考え方をやって来たのである。しかも彼らは依然として生存を続けて来たし、また現在も続けている。すなわち、彼らは凡て生きている、そして絶対に生存の合理性に疑いをさしはさもうとは思わない。これは一体どうしたことであろうか?
 諸々の聖賢の霊智によって裏付けられた私の知識は、この考えの凡てが──有機物も無機物も──異常に巧みに作り為されたものであって、ひとり私の境地だけが愚劣なものであることを、私に開き示してくれた。がこれらの愚かしい痴人らは──莫大な数に上る集団は──そうした有機体と無機体の凡てが、どんな具合にこの世に構成されているかということについては少しも知らずに、ただただ生きているのである。そして自分達の生活が非常に正しく合理的に組成されているもののように、彼らは思っているのである! ……
 そこで私の頭にはこういう考えが浮かんで来た。
 『どうしたことだ、私はまだ何か知らないことでもあるのだろうか? これはまさしく無知がやっている遣り方である。無知はいつもこういう言い方をするのである。すなわち、何か自分が知らない時に、自分の知らないその事柄を、これは愚かしい事柄だと、無知はいつもそう言うのである。実際それはこういうことになるのである。すなわち、ここに全体としての人類なるものがあって、それは生の意義を悟得せずには生きて行くことが出来そうもないから、これを悟得したような顔付をして生きて来たし、また現在も生きている。だのにこの私だけが、そうした生が凡て無意味であるからして、生きて行くことが出来ないと言うのである。』
 我々が自殺の方法によって生を拒否することを誰一人妨げる者はない。だから自殺をするが好い。──そうすれば、そんな考えに頭を悩ますことがないであろう。生が厭なら、自殺をすることだ。生きていて生の意義を悟得することが出来ない。──それなら生を絶ってしまうが好い。そして汝が生の意義を悟得しないということを、くどくどと述べ立てたり書き綴ったりしながら、この世に醜い姿を曝していないことだ。汝は嬉々とした一団の中へ割り込んだのだ。みんなは実に愉快がっている。彼らはみんな自分が何をしているかを知っている。だのに汝ばかり退屈な厭な気持ちに駆られているではないか。それならいっそ、ここを失敬してしまうことだ。
 実際、自殺のほかに道の無いことを確信しながら、しかもなおこれを断行する決心のつかない我々は、最も弱い、支離滅裂な、そして露骨に言うなら、莫迦者が玩具を買って莫迦騒ぎをするように、自分の愚かさを振り廻して空騒ぎする愚人以外の、果たしていかなる代物であろうか?
 我々の智慧は、いかほど疑うべからざるものであっても、なおかつ我々に、我々の生活の意義に関する知恵を与えてくれない。そして営々と生活をいとなんでいる全人類は、幾百千万の人々は、人生の意義に疑いをさしはさまないのである。
 実際の話が、私がちょっとしか知っていない人生のそもそもの始まりである遠い遠い昔から、私に人生の無意味を示せる、人生の空しいという推断を知りながらも、なおかつこれに何らかの意義を付与して、世の人々は生きて来たのである。
 人間の生活と呼ばれ得るものの始められたそもそもから、人類は既に生の意義を持っていた。そして彼らは、この私にまで継承されたその生活を続けて来たのである。私の内部及び私の周囲にある凡てのもの、──すなわち、肉体上のそれも、肉体上のそれでないものも、──凡てそれは人生に対する彼らの知識の成果である。私がこの生活を批判する際に用いる考察の機関そのものも、みんな私が作ったものではなく、彼らによって創り出されたものである。彼らのおかげで、私は生まれ、育てられ、そして大きくなったのである。彼らは鉄を掘り出した。森林を伐採することを教えた。牛馬を馴らした。穀物を蒔くことを教えた。みんな一緒に共同の生活をすることを教えた。そして我々の生活を、きちんと秩序立ったものにした。彼らは私に考えること、話すことを教えてくれた。だのにこの私は、彼らに養い育てられ、彼らに教えはぐくまれ、彼らの思想と言葉によって物事を考察するところの、彼らの所産でありながら、彼らの無意味であることを、彼らに立証したのである!
 『これには何か無理がある。』こう私は、我と我が心に言ったのである。『私はどこかに錯誤をやっているに違いない。』
 しかしながら、その錯誤の所在を、私はどうしても発見することが出来ないのであった。

 私はこうした凡ての懐疑を、今日では多少まとまりをつけて表白することが出来るけれども、この時分にはまだ、表明することが出来ないのであった。この時分にはただ、偉大なる諸々の思想家によって確かめられた、人生の空しいものであるという私の結論は、理論上からいえばまことに抜き差しのならないものではあるけれども、しかもその中に何かぴったりしないものがあるということが、感ぜられていただけであった。私の下した断定そのものの中にあるのか、または問題の出し方にあるのか、私はそれを知らなかった。──ただ、理性の上の説得は十分だが、まだそれだけでは不十分だと、漠然と感じているだけであった。私の為したこれら凡ての演繹は、私を成程と思わせて、私の理性の判断から生まれた結論を、実地に決行せしむることが出来なかった。すなわち、私を自殺せしむることが出来なかった。そしてこの場合、理性に従ってそういう状態に立ち至り、その結果自殺をしなかったのだと言ったなら、私は虚言を弄したことになるであろう。なるほど理性は働いていた。がしかしながら、まだそのほかに、生の意識とほか名付けることの出来ない何ものかが、盛んに活動していたのである。更に一つの力が活動しているのであった。そしてこの力は私の注意を他の方向へ向けさせてくれた。そしてこの力が絶望的な状態から私を救い出し、私の理性を全然別な方面に向け直してくれたのである。すなわち、この力は私及び私と同じような幾百人かの人間が人類の全部ではないということ、私が人類の生活というものをまだ知っていないのだということに、私の注意を向け直してくれたのである。
 私は自分と同じような上流階級の狭い範囲の人々を顧みた。そうしてそこに私が見出したのは、この大問題を全然悟得しない人々と、半ば悟り掛けながら酒の力でこれを揉み潰してしまう人々と、はっきり悟って自殺してしまう人々と、はっきりと悟りながらも、弱さから、絶望的な生活を続けている人々とだけであった。私はこれ以外の人を見なかった。私自身が属しているところの、教養のある、富裕な、そして閑のある人々から成る狭い範囲が、人類の全部を成しているように思い做され、原始より今日まで生きて来た、また現在生きている、そのほかの幾十億かの人間は、人間ではなく、家畜の一種のように思われていたのだった。
 人生を考察するに当り、どうして私は八方から私を囲繞している凡ての人を看過し、人類全体の生活を看過することが出来たのか、どうして私は、自分やソロモンやショーペンハウアーなどの生活が真実のノーマルな生活であって、そのほかの幾十億万人の生活は一顧の価値もない境遇だと考えるほど、そんなにも深く滑稽な迷誤をあえてすることが出来たのか、今から考えると実に不思議で、徹頭徹尾不可解でならないけれども、──今日の私には、全く不思議でならないけれども、私は知っているのだが、実際それはそうだったのである。自分の智慧を誇る気持ちに迷わされていた私には、私がソロモンやショーペンハウアーと共に、他に類のあり得ないほど正確に、また真実に、この問題を提起したということが、疑うべからざるもののように思い做され、そして更に、これら幾十億の一般大衆が、まだこの問題の深奥まで悟入するに至らない、そうした部類に属しているということもまた、疑う余地のない事実のように思い做された。──でその結果、私は自己の生存の意義を探求するに当って、『この世に今日まで生きて来た、また現在生きている、幾千百億と無きこれら凡ての人々は、自己の生活にいかなる意義を付したのであろう、また付しているのだろう?』ということを、一度も考えて見ないのであった。
 私は長い間、言葉の上ではなく実際において、我々のような一番リベラルな教養のある人々に特有な・こういう狂乱状態に生きていた。が、しかしながら、我々をして彼らを理解せしめ、彼らが我々の考えているほど愚かしく無いことを知らしむるに至ったところの、営々と働いている真の民衆に対しる、一種不思議なフィジカルな愛情のおかげだったか、あるいはまた、俺の為し得る最上の手段は縊死であるという事実よりほかに、俺は何にも知り得ないのだという私の確信の真実さのおかげだったか、とにかく私は、生きていたいなら、そして人生の意義を悟りたいなら、それを失って自殺せんとしている連中の間に求めたところが、無論何にもならないので、ぜひともそれは、自己及び我々の生活を創り出して自分たちの身に担っているところの、過去及び現在の幾十億万の大衆について求むべきであるということを、感ずるようになったのである。そこで私は、過去及び現在の、単純な、教養の無い、裕かでない、巨大な数字に上る一般大衆の上に瞳を注いだ。そして全然違ったものを発見した。過去及び現在の幾十億万とも知れぬこうした凡ての人々が、少数の例外を別にして、あとは皆、私の分類のどこにも当て嵌らないこと、彼ら自ら生の疑問を提起して、異常な明快さでこれに解答を与えているのだから、この問題を解決していない連中と彼らを呼ぶ訳に行かないことを、私は発見したのである。彼らの生活には快楽よりも窮乏と苦悩の方が多いから、彼らを快楽主義者と名づけることも出来なかった。彼らの生活上のあらゆる行為はもちろん、死そのものまでが、彼らによってちゃんと説明されてあるが故に、彼らを理性を没却して無意味な生活を続けている者と呼ぶことはなおさら出来なかった。彼らは自殺を最大の悪と考えているのである。全人類の間には、人生の意義に対する、私の認識しない、私の軽蔑する、一種の悟りの保有されているということが分かって来た。その結果、理性の上の知識は人生に意義を与えることなく、かえってこれを排除するけれども、幾十億万とも知れぬ大衆によって、全人類によって、人生の上に与えられている意義もまた、軽蔑に値するような偽りの知識を基として作られたものだともいうことになって来た。
 学者や賢人の代表する理性の上に基づく知識は、人生の意義を否定する、がまた、夥しい数に上る世の大衆は、人類全体は、理性によらない言わば盲目の知識によって、これを認めているのである。理性によらないこの知識は信仰であった。そして実に、私が排斥せざるを得ないような代物であった。すなわちそれは、三位一体の神であった。それは六日間の創造、悪魔、天使であった。私が気でも違わない間は、絶対に排斥せざるを得ないような代物であった。
 私の境地は恐ろしいものであった。私は理性に基づく知識の道に、生の否定以外の何者をも見出し得ないことを知った。が同時に、こうした信仰の中からは、生の否定よりもっと不可能な、理性の否定以外の、何者をも見出し得ないことを知ったのである。理性に基づく知識に従えば、人生は悪だ、人々はそれを知っているのだ、だから我らは生を断絶すべきなのだ、が、それにも拘らず世の人々は生きて来たし、また現在も生きている、いや、かくいう私自身もまた、人生の無意味であり悪であることを、とうの昔に知りながら、今日まで便々と生きて来たのだ、──こういう結果が生まれて来る。がまた既成の信仰に従えば、人生の意義を悟得せんがためには、理性を否定しなければならないという結果、すなわち、人生の意義の必要を訴えている、その肝腎の本体を、否定しなければならないという結果が生まれて来るのであった。

 ここに深刻な矛盾が生まれた。そしてこの矛盾から逃れ出る道は二つであった。すなわち、私が今まで合理的だと言っていたものが、私の考えていたように合理的でなかったと断定するか、もしくは今まで合理的でないと思われていたものが、私の考えているように不合理でなかったと断定するかの二つであった。そこで私は私の合理的知識の推理の過程を吟味し始めた。
 合理的知識の推理の過程を吟味するに及んで、私はそれが徹頭徹尾正しいものであることを発見した。人生が無であるという結論は、全く避け難いものであった。が、私はそこに一つの過誤を見出したのである。他でもない、私は自分の提起した問題に、適合しないような思索の仕方をやっていたのであった。すなわち、そこに過誤があったのである。なぜに私は生きなければならないか、つまり、この幻影のような須臾にして消滅すべき私の生活から、真実にして不滅なるいかなるものが生まれるか、この無限回における私の有限の存在が、いかなる意義を有するのか? ──これが私の提起した問題であった。ありとあらゆる人生問題の解決も、明らかに、私を満足させることは出来ないのであった、何となれば、私の提起したこの問題は、最初は非常に簡単なように見えるけれども、実はその中に、無限によって有限を、有限によって無限を、説明しようという要求が、含まれていたからである。
 私は自分に訊ねるのであった。──私のこの生活には、時間と空間と因果律とを超越した、いかなる意義が隠されているのか? また私は、私のこの生活には、時間と空間と因果律とに支配されたいかなる意義が隠されているか? という問題にも、答えようとするのであった。……そしてとうとう、長い苦しい思索の後で、いかなる意義も隠されていない! と答えるような結果を見たのである。
 私は絶えず自分の考察において、有限と有限を比較し、無限と無限を比較した。また、そうするより他に仕方がなかった。従って、力は要するにやはり力であり、物体は物体であり、意志は意志であり、無限は無限であり、無は無であるという結論が生じたのは、極めて当然のことであって、それ以上の何物も出て来るはずがなかったのである。
 丁度数学において、方程式を解こうと思いながら、恒等式を解こうとするようなものであった。その思索の過程は正しいけれども、その解答はいつも、aはaに等しく、x=x、0=0 なのである。これと全く同一のことが、生存の意義の問題に関する、私の考察にも起こったのである。ありとあらゆる学問によってこの問題に与えられる解答は、──「同一」の一語だけであった。
 実際、デカルトが為したように、あらゆる物に対するまったき懐疑から出発して、信仰に立脚する凡ての知識を捨て去り、理性と経験の法則に基づいて一切のものの立て直しをやるところの、厳密な学問上の知識は、生存の疑問に対しては、私が得たる解答以外の、──すなわち、曖昧模糊とした解答以外の──いかなる解答をも与えることが出来ないのであった。学問上の知識が実証的な解答を、ショーペンハウアーのような──すなわち、人生は無意義である、悪であるという解答──を、与えるものと思われたのは、最初の間だけだった。この問題を深く討究するに及んで、私は私の得た解答が実証的なものでないことを、私の感情がそういう言い現わし方をしたに過ぎないことを悟ったのである。その解答は、婆羅門、ソロモン、乃至ショーペンハウアーにおけると同様に、峻厳に言い現わされたものであって、零と零は等しいとか、人生は皆無であるとか言う、曖昧模糊としたものに過ぎないのであった。従って、哲学上のこの知識は何物をも否定せず、この問題は自分の手で解決することが出来ない、その解決は不確実のままで残されると、こう答えるばかりである。
 この事実を悟ると同時に、初めて私は、この問題に対する解答を、理性の支配する知識に求めてはいけないことを理解した。理性の支配する知識の与える解答は、この問題をもっと違った仕方で提出した場合に、すなわち、無限に対する有限の関係如何という問題が考察の中に取り入れられた場合に、初めて真の解答が得られるものであるということを、教え示しているに過ぎない。──こういう事実を私は初めて理解した。それから更に、信仰の与える解答は、実に不合理な奇怪なものではあるけれども、とにかくそれらの解答は、これを欠いては真の解答があり得ないという、無限に対する有限の関係を、その各々の中に取り入れているという、優越点を持っているという事実をも、私は理解したのである。
 私はいかに生くべきであるか? という問題をどんなに提出して見ても、その答えはいつも、神の掟に従って、というのである。私の生活からどんな真実なものが生まれるか? ──永劫の苦しみか、さもなければ永遠の天福である。死によって滅せられない意義とはいかなるものであるか? ──無限無窮の神との合一、すなわち、天国これである。こういうのがその解答であった。
 その結果、私は、それまで唯一絶対のように思っていた理性の支配する知識のほかに、生きとし生けるあらゆる人間には、理性の支配を超越した今一つの知識が、──生活の可能性を与える信仰なるものが、保有されているという事実を、認識せざるを得なくなった。
 信仰の中にある諸々の不合理な点は、これまでと同様に私の前に残されてあったけれども、しかし私は彼女のみが、信仰のみが、人類に、生存の疑問に対する解答を与え、その結果さらに、生存の可能性を与えるものであるという事実を、認識せずにはいられなかったのである。
 理性の支配する知識は、人生が無意味であるという認識に私を導いた。──その結果、私の生活は停止してしまい、そして私は、自己の生命を絶とうと思ったのであった。が、周囲の人々を顧みるに及んで、全人類を顧みるに及んで、私はそれらの人々が、みんな穏やかに生きており、人生の意義を知っていると、断言しているのを見出したのである。私は更に、かくいう自分を顧みた。──私もやはり、人生の意義を知っていた間だけ、これを見失わなかった間だけ、穏やかに生きて来たのであった。すなわち、私自身にもまた他の凡ての人々にも、信仰が生の意義と可能性を与えていたのである。
 更にまた、他の国々の、私と時代を異にする、既往の人々を顧みた場合にも、私は同一のものを見出した。人類のこの世に発生した当初から、生活のある所には必ず信仰が伴って、生くる可能性を彼らに与えていた。そしてその信仰の主要な特質は、どこの国でも同一だったのである。
 いかなる信仰がいかなる人にいかなる解答を与えるにしても、それら凡ての信仰の与える解答は、人間の有限なる存在に無限の意義を付与するのである。──すなわち、苦悩と喪失と死とによって滅せられない、不滅の意義を付与するのである。換言すれば、信仰の中にのみ人生の意義と生存の可能性とを見出すことが出来るのである。然らば、その信仰とはいかなるものであるか? そして私は悟り得たのである。──信仰とは単に見えざるものを誇示することではなく、またいわゆる啓示でもなく、(これは単に信仰の特徴の一つを表現したものに過ぎない、)神に対する人間の関係でもなく、(まず最初に信仰の定義を定め、それから初めて神なるものを定めなければならないのであって、神を通じて信仰の定義を定めるのではない、)更にまた、我に告げられた事柄に対する和合でもなくて、(こういうものが一番信仰と解されているのであるが、)──すなわち、信仰とは、これを獲得すると同時に、我が自己を滅落させることなしに生きて行かれるようになるところの、人生の意義に対する知識なのである。つまり、信仰は生の原動力なのである。人間は生きている限り、必ず何物かを信じている。もしも彼が、自分は何ものかのために生きなければならないのだ、ということを信じないならば、彼は生きることが出来ないはずである。もしまた有限なるものの幻影にすぎないことを看取し、会得することがないならば、彼はそういう有限なるものを信じているのだし、更にまた、有限なるものの幻影に過ぎないことを悟っているのなら、無限なるものを信じなければならないはずである。これを要するに、信仰なしには生きて行くことが出来ないのである。
 そこで私は、自分の今日までの内的活動の全過程を想い出してみた。そして驚きかつ怖れたのである。今や私には、人間が生きて行くためには、無限なるものを全然見ないか、さもなければ、有限なるものと無限なるものとを合一せしめるような、人生の意義に対するそうした説明を獲得するか、その何れかでなければならないということが明らかになったのである。私はこういう説明を持っていた。が、私が有限を信じていた間は、私にはそれは不必要だった。やがて私はその説明を、理性にかけて批判し始めた。と、理性の光に照らされると同時に、今までのこうした説明はことごとく、木端微塵になってしまった。そして私の上に、有限を信ずることを止めた時代が来たのだった。そして私はこの時代に、理性を基礎として、自分の知っている事実を材料として、人生に意義を与えるような解釈を樹立しようとした。が、何一つそういうものは樹立されなかった。人類の中の卓越せる大智識達と共に、私もまた零は零に等しいという結論に達した。そして私は、これ以外のいかなる結論も生まれるばずがなかったに拘らず、こうした結論を得たことを、今さらのように驚いたのであった。
 実験科学の知識の中に解答を求めた場合には、私はどういうことをやったか? 私は自分が何のために生きているのかを知りたいと思った、でそのために、私以外のあらゆる事物を研究した。明らかに、私は多くの事柄を知ることが出来た。が、私の必要なものは、何一つ知るを得なかった。
 然らば私は、哲学上の知識の中に解答を求めた場合には、どういうことをやったのか? 私は自分と同じような境地にあって、何のために私は生きているのか? という疑問に対する解答を持たない、そうした人々の思想を研究したのである。すなわち、私が、自己の知りえた事実より他に、──何物をも知ることが出来ないという事実より他に、──何一つ知ることを得ないことは、始めから分かっていたのである。
 我とは何ぞ? 無限の一部である。この簡単な言葉の中に、あらゆる問題が横たまっているのである。
 果たしてこの疑問を、人類は、昨日今日になって初めて自分に与えたのであろうか? 果たして何人もこの疑問を、──少し怜悧な子供ならその口からさえ発せられそうな、至極単純なこの疑問を、──私より先に与えた者はないのであろうか?
 否、人間が地上に存在し始めたその時から、この疑問は提出されていたのである。そして、人間が地上に存在し始めたその時から、この疑問を解決するには、有限と有限を照合しても、無限と無限を照合しても、ひとしく不十分だということが分かっていた。従って、人間が地上に存在し始めたそもそもから、無限に対する有限の関係が様々に探索され、表現されているのである。
 凡てこういう悟りは、それによって無限に有限が、また有限に無限が照合され、人生の意義が、すなわち、神、自由、善の悟得が得られるのであるが、ひとたびこれを理論的討究に委ねんか、これらは何れも、理性の批判に堪え得ないのである。
 我々がもの子供のように、誇りと自満自足の気持ちをもって時計を分解し、中からゼンマイを引張り出して、おもちゃにした揚句、その時計が動かなくなったと言って驚いたとしたら、それは恐ろしいことではないとしても、少なくとも滑稽には違いないであろう。
 有限と無限との矛盾撞着の解決と、生存の疑問に対する、それを得て初めて生きることが可能になるような、そうした解答とは、共に必要欠くべからざるものであり、尊いものである。しかもこの尊い解決、我々が到る所に、ありとあらゆる民族の間に、いつでも見出すことの出来るこの唯一の解決、我々の知るを得ない人類の生活の創始時代から持ち来たされた解決、我々が絶対に同様のものを作り得ないほど難しい解決、──こういう大切な解決を、我々は軽率にも、凡ての人に実在の、そして我々がその解答を持たない、例の疑問を再び提起することによって、台無しにしてしまうのである。
 無限なる神の観念、霊の神聖であるという観念、浮世の事象を神と結び付けるという観念、霊の合一と実在性の観念、道徳上の善悪を人として理解しなければならないという観念、──凡てこれらの観念は、人間の思想の無限の活動によって生み出された観念であり、これ無しには生そのものも私そのものもあり得ないような、そういう大切な観念である。しかも私は、全人類のこうした活動の所産を全部放擲して、新しく、自己流をもって、自分一人で造り直そうと思ったのであった。
 私はこの当時こんな風に考えていた訳ではない。が、こういう考えの萌芽は、既に私の中にあったのである。私はまず第一に、私やショーペンハウアーやソロモンの境地が、我々の賢明さにも拘らず、頗る愚かしいものであることを解していた。我々は生の悪であることを悟りながら、なおかつ生きているのだった。これは明らかに愚劣である、なぜなら、生が愚劣なものであるならば、──そして私がそんなに合理的なことを好むなら、──私は当然これを絶滅せしめなければならないはずであり、また何人もそれを拒否することはないはずだからである。それから第二に、我々の推理が皆、魔法の輪の中を、歯車の合わない車輪のように、がたぴしとどうどう廻りをしていることを私は解していた。どれほどしばしば、どんなに立派に推理推論をやったところで、我々は肝腎の疑問に対する解答を得ることが出来ない。そして常に、零はイコール零である。従って、我々の思索の方法は、恐らく間違っているのであろう。そして最後に、第三に、私は信仰によって与えられる解答の中にこそ、人類の最も深い霊智が保たれているということ、私が理性の上に立ってこれを否定する資格を持たないものであるということ、これらの主要な解答のみが、生の疑問に答えるものであるということを、理解しかけて来たのであった。

彼らは、我々と同じ階級のこれらのいわゆる信者達は、私と全く同じように、豊かな有り余る生活を送っており、その富裕な財産を大事にしていやが上にも大きくしようとこれ努め、喪失と苦悩と死を恐れ、そして我々のような、信仰を持たない凡ての人と選ぶ所なく、やはり諸々の卑しい欲情に満足して、より劣悪ではないまでも、少なくとも世の不信心者と同程度の、邪悪な生活を送っているのだった。
 そこで私は悟ったのである。──これらの人々の信仰が、私の求める信仰でないということ、彼らの信仰が真の意味の信仰というものではなくて、この世の生活に対する快楽主義的な慰藉の一つに過ぎないということを、悟ったのである。私はそういう信仰が、真の慰藉にはならないまでも、死の床に悔い嘆くソロモンにとっては多少の気晴らしになるだろうということを悟った、が同時にまた、こんな信仰は、他人の労苦を利用して自らを楽しましめる人々ではなく、自分の生活を創造すべき使命を帯びている人類の大多数者にとって、何の役にも立ち得ないものであるということを悟ったのである。

十二

 理性に基づく知識の陥る錯誤に対するこの自覚は、空しい知的考察の惑わしから脱却する上において、私の助けとなってくれた。真理の知識は実生活によってのみ獲得されるという信念は、私を駆って、自己の生活の正しさを疑わしめた。が、私は自己の除外例的な境地から脱出して、額に汗して営々と働いている大衆の真の生活を発見し、そうした生活のみが真の生活であることを悟り得た。そしてこの一事によって私は初めて救われたのである。もし私が人生とその意義とを悟得したいと思うなら、私はまず自ら、寄生虫の生活でなく、真の生活を営まねばならない。そして更に、人類が人生に与えている意義を受け容れ、そうした生活と融合し、そうした生活を奉信しなければならない。──私はそれを悟ったのである。
 この時分の私の心的状態は次のようなものであった。この一年間、私は絶えず、ほとんどいかなる刹那にも、自分に向かって訊ねていた。細引か拳銃を用いてひと思いに自殺すべきではないだろうか? ──そしてこの一年間、絶えず私の心は、私が今まで語って来たような考察や観察と同時に、一種不可思議な苦しい感情に悩まされ続けたのである。私はこの感情を、神を求める気持ちとよりほか、呼ぶことが出来ない。
 私はあえて言おう。神に対するこの探求は、理性の上の論議ではなくて、まさしく感情の働きであった。なぜなら、この探求は、私の考察の過程から生まれ出たものではなくて、──それどころか、この探求は私の考察とは正反対なものであった、──直接ハートから生まれ出たものだったからである。それは孤立無援の境地を恐れる気持ちであり、自分と没交渉な凡てのものの間における孤独感であり、そうして更に、何ものかの助けを望む気持ちであった。
 今でもはっきりと憶えている。早春のことだった。私はただ一人、樹々のざわめきに耳傾けながら、林の中に立っていた。私はじっと林のざわめきに聴き入りながら、最近の三年間絶えず同じただ一つのものを思い続けて来たように、ただ一つのものを思い続けていた。私は再び神を探し求めているのであった。
 『よろしい、いかなる神も存在しない。』こう私は自分の心に言うのだった。『この私の想像でない、私のこの生活のように実在する、そんな神なんてものはありはしない。──そんなものは断じて無い。何ものも、いかなる奇蹟も、こうした神の実在を立証することは出来ない、なぜなら、それらの奇蹟そのものが、やはり私の想像であり、おまけに不合理至極な想像だからである。』
 『しかし、』と私は自分に反問した。『私が探し求めている者その者に対する観念は、神に対する観念は? この観念はどこから来たのか?』
 こう考えて来ると同時に、喜悦に躍る生命の波が再びもくもくと私の内部に巻き起こった。周囲にある凡てのものが生々と蘇えり、皆それぞれに意義を持って来た。けれども私の喜びは長く続いていなかった。智慧がその活動を続けていたからである。
 『神の観念が神ではない。』と私は更に自分に言った。『観念とは私の内部に醸し出さるるところのものである。神に対する観念は、私が自己の内部に作ったりこわしたりすることの出来るものである。これは私の求めているものではない。これ無しには生きて行くことが出来ないもの、それを私は求めているのだ。』
 と、再び私の内部や周囲にある凡てのものが死滅し始めた。そして再び、私は自殺を希うようになって来た。
 が、ここで私は私自身を顧みた。私の内部に起こって居ることを顧みた。そして私は自分の内部に幾百回となく繰り返された絶滅感と蘇生感とを思い出した。神を信仰した場合だけ、生き甲斐のある気持ちで生きていられたことを思い出した。以前と同様、今もやはりそうであった。──神を認識すると同時に、私は生き甲斐のある生活を得る。神を忘れ、神に対する信仰を失うと同時に、私は自殺のほかに道の無い、どん詰りの生活におちるのである。
 この蘇生感と絶滅感とは、一体どんなものであるか? 神の存在に対する信仰を失った場合には、私は生きていないと同じであった。神を見出そうという微かな希望がなかったら、とうに私は自殺していたに違いない。が、これに反して、神を感じ、神を探求している場合にのみ、私は生きているのであった。真に生き甲斐のある気持ちで生きているのであった。
 『一体このほかに、私は何を求めるのか?』という声が私の内部に発せられた。『これがすなわち神である。これ無しには生きて行かれない者その者である。神を知ることと生くることとは一つである。神はすなわち生命である。』
 神を求めて生きよ、そうすれば神の無い生活が無くなるであろう。──翻然として悟ると共に、私の内部や周囲にある凡てのものが、今までより遥かに明るく輝かしく照らし出された。そしてこの光はもはや絶対に私を見捨てることがなかった。
 かくしてようやく私は自殺より救われたのである。いつどんな具合にこの大転換が私の内部で行われたか、私はそれを語り得ないであろう。いつともなしに、徐々に、目立たずに、生の力が私の内部で滅せられて行き、そして私が生きて行くことの出来ない状態に、生活の停止状態に、自殺のほかに道のない状態に陥ったように、同じく徐々に、目立たずに、いつともなしに、その同じ生の力が私の内部に復活して来たのである。しかも、不思議なことには、私の内部に復活して来たその力は、決して新しいものではなくて、私の生涯の初期において、私を支配したところの力であった。
 私は凡ての点において、最も古い幼年時代青年時代に還ったのであった。私は私を創り出し、何ものかを私に望んでいる、目に見えない意志に対する信仰に立ち還った。わが生活の唯一絶対の目的は、よりよき人になることであるという自覚に、すなわち、この意志ともっと融和して生くることであるという自覚に立ち還った。そして私はこの意志の発現を、私の窺い知るを得ない遠い遠い過去において、人類全体が自己の水先案内として創り出したものの中に、見出すことが出来るという自覚に立ち還った。すなわち、神に対する、道徳的完成に対する、人生に意義を与えている伝説に対する信仰に立ち還ったのである。ただ、往時にありては、これらの凡てのものが無意識的に受け容れられていたに反して、現在の私は、自分がこれ無しには生きて行けないことを自覚していた。ここに相違があるのだった。

十三

 私は次のような推理を試みた。私は自分に言ったのである。──信仰の知識は、理性を具備する全人類と同じように、神秘な本源より発生する。この本源は神であって、それは、人間の肉体の本源でもあれば、またその理性の本源でもある。神から私へ継承的に私の肉体が伝わって来たように、私の理性や人生に対する悟りもまた、神から承け継いだものである。それ故に、人生に対するこの悟りの過程における何れの階段も、凡て虚偽ではあり得ない。人々がほんとうに信じているものは、みんな真実なはずである。それは種々様々に表現され得るが、しかし虚偽ではあり得ない。従って、もしそれが私に虚偽と思われるなら、それはつまり、私がそれを理解していないということを、意味するに他ならないのである。

十五

 幾たび私は百姓達の無学無識を羨ましく思ったことであろう! 私には歴然たるナンセンスだけしかもたらさない信仰上の教理教則が、彼らには少しも虚偽虚飾でないのである。彼らは素直にそれらのものを受け容れて、私が信じていると同じ真理を信ずることが出来るのだった。が、この不幸な私には、その真理が極めて細い糸で虚偽と綴じ付けられていること、私がそうした形において真理を受け容れ得ないことが、共に明らかだったのである。
 ここにおいて私は凡てを悟ったのである。私は信仰を、人生の原動力となるものを探求していたのだが、彼らは人としての一定の義務を他人に対して果たすための最上の手段を求めているに過ぎないのだ。そして、そういう人間としての義務を果たす場合に、それを人並にやっているに過ぎないのだ。彼らはいかほど迷える兄弟達に対する自己の憐憫を口にしようとも、またそれらの兄弟達のために天帝の玉座に向かっていかほど祈りを捧げていると言おうとも、とにかく地上の業を遂行するためにはどうしても暴力が必要なので、それは常に用いられて来たし、現在も用いられているし、また将来も用いられるであろう。
 人生問題対教会の第二の関係は、戦争と刑罰とに対するそれであった。
 丁度この時分、ロシアに戦争が始まった。ロシア人はキリストの愛の名においてその同胞を殺戮した。この事実を考えずにはいられなかった。人を殺すことがあらゆる信仰の根本に反する悪であるということを、看過する訳には行かなかった。が、そういう悪を行っておりながら、人々は教会において、我々の軍隊の勝利を祈り、そして信仰の師父達はこの殺人行為を、信仰から出る正しい行為として認容しているのだった。しかもこうした殺人行為は、戦時に認容されたのみならず、戦後に続発した混乱の際にも迷誤におちた無力の青年達の殺戮を賞讃せる教会の役人や、その教師や、修道僧や、スヒマ僧の面々を、私は目の当たり見たのである。私はキリスト教を奉信する人々によって行われている凡ての悪に注意を向けた。そして恐怖におののいたのである。

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