ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』

 よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。(ヨハネによる福音書。第十二章二十四節)

 わが主人公、アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフの伝記を書き起すにあたって、わたしはいささかとまどいを覚えている。ほかでもない。アレクセイ・フョードロウィチをわが主人公と名づけはしたものの、人間として彼が決して偉大でないことは、わたし自身よく承知しているし、そのために、こんな種類の質問を避けられぬのが予見できるからである。『君は自作の主人公に選んだけれど、そのアレクセイ・フョードロウィチとやらは、どんな点がすぐれているんだね? どんなことをやってのけたんだい? だれに、どういうことで知られているのかね? 読者たるわたしが、なぜその男の生涯のさまざまな出来事の詮索に時間を費やさにゃならないんだい?』
 最後の質問はいちばん決定的だ。なぜなら、これに対しては『たぶん、小説を読めばおのずとわかるはずです』としか、答えようがないからである。だが、もし、読み終ってもわかってもらえず、わがアレクセイ・フョードロウィチのすぐれた点に同意してもらえないとしたら? わたしがこんなことを言うのも、悲しいことに、それが予想できるからだ。わたしにとって彼はすぐれた人物であるが、はたして読者にうまくそれを証明できるかどうか、まったく自信がない。要するに、彼はおそらく活動家ではあっても、いっこうにはっきりせぬ、つかみどころのない活動家である、という点が問題なのだ。もっとも、現代のような時代に、人々に明快さを求めるほうがおかしいのかもしれぬ。ただ一つ、まあ、かなり確実な点といえば、彼が奇人とさえいえる、風変りな人間であるということだ。しかし、変人ぶりや奇行は、世の注目をひく資格を与えるというより、むしろ損うものである。特に、だれもが個々の現象を総合して、全体の混乱の中にせめて何らかの普遍的な意味を見いだそうと志しているような時代にはなおさらのことだ。奇人とはたいてい個々の特殊な現象だからである。そうではあるまいか?
 ところで、もしあなた方がこの最後のテーゼに同意せず、『そんなことはない』とか、『必ずしもそうとは限らない』と答えたりすれば、わたしはたぶん、わが主人公アレクセイ・フョードロウィチの意義に関して、大いに意を強くするだろう。なぜなら、奇人とは『必ずしも』個々の特殊な現象とは限らぬばかりか、むしろ反対に、奇人が時として全体の核心を内にいだいており、同時代のほかの人たちはみな、突風か何かで、なぜか一時その奇人から引き離された、という場合がままあるからだ……


とにかくわたしは、ふた昔前の《ロマンチズム》の時代に属する一人の娘を知っているが、この娘なぞは数年にわたってさる紳士におよそ理解しがたい恋をよせ、いつでもその男としごく円満に結婚できたのに、超えがたい障害を自分で勝手にひねりだして、嵐の夜、絶壁にも似た高い岸から、かなり深い急流にもっぱらシェイクスピアのオフェリアに似たいという、ひとりよがりの気まぐれから生命をおとしたものである。それも、彼女がかねがね目をつけて惚れこんでいたその絶壁が、もしそんなに美しくなく、散文的な平らな岸であったとしたら、おそらく自殺なぞまるきり起らずにすんだはずであった。これは本当にあったことだが、わがロシアの生活には、ここ二、三世代の間に、こうした、あるいはこれに類した事態は少なからず起っていると考えねばなるまい。

やがてついに彼は、逃げた妻の足どりを発見することに成功した。哀れな妻は師範出の教師といっしょに。ペテルブルグに逃げ、そこでのびのびと完全な解放感にひたっていたのだった。フョードルはとたんに騷ぎだし、ペテルブルグに行く支度にかかった。何のためにかは、もちろん、彼自身にもわからなかった。実際また、そのまま出発しかねぬ勢いだった。だが、そう決心すると、とたんに、門出にあたって元気づけにとことんまで飲む特別の権利が自分にはあると考えた。そして、まさにその真最中に、ペテルブルグにいる妻の計報が実家に入ったのである。どこかの屋根裏部屋で突然に死んだのであり、チフスだという説もあれば、餓死という説もあった。フョードルは酔払った状態で妻の死をきき知った。話によると、彼は往来を走りだし、嬉しさのあまり両手を空にかざして、「今こそ去らせて下さいます」(訳注 ルカによる福音書第二章の言葉。願いのかなったことを意味する)と叫びだしたそうだが、また別の噂では、幼い子供のようにおいおいと泣きじゃくり、その様子たるや、みなの鼻つまみ者だったにもかかわらず、見るのもいじらしいほどだったともいう。そのどちらも大いにありうることだ。つまり、自分の解放を喜ぶのと、解放してくれた妻をしのんで泣くのとが、いっしょになったのであろう。たいていの場合、人間とは、たとえ悪党でさえも、われわれが一概に結論づけるより、はるかにナイープで純真なものなのだ。われわれ自身とて同じことである。

 ひょっとすると読者の中には、わたしのこの青年が、異常なほど感激しやすい、発育の遅れた病的な性格の、青白い夢想家で、虚弱な痩せこけた人間であると、考える人がいるかもしれない。ところが、むしろ反対にアリョーシャはこのとき、頬が赤く、明るい眼差しをした、健康に燃えんばかりの、体格のよい十九歳の青年だった。このころの彼はたいそう美男子でさえあり、中背で均斉のとれた身体つきに、栗色の髪、いくらか面長とはいえ端正な瓜実顔、間隔の広くあいてついているダークグレイの目はかがやきを放ち、きわめて瞑想的な、そして見るからにたいそう落ちついた青年だった。ことによると、赤い頬とて狂信(フアナチズム)や神秘主義を妨げるものではないと、言う人があるかもしれない。だが、わたしには、アリョーシャはだれにもまして現実主義者だったような気がする。もちろん、修道院に入ってから彼は全面的に奇蹟を信じてはいたが、わたしに言わせれば、奇蹟が現実主義者を困惑させることなど決してないのである。現実主義者を信仰に導くのは、奇蹟ではない。真の現実主義者は、もし信仰をもっていなければ、奇蹟をも信じない力と能力を自己の内に見いだすであろうし、かりに反駁しえぬ事実として奇蹟が目の前にあらわれたとしても、その事実を認めるくらいなら、むしろ自己の感情を信じないだろう。また、もし事実を認めるとしたら、ごく自然な、これまで自分が知らなかったにすぎぬ事実として認めるにちがいない。現実主義者にあっては、信仰が奇蹟から生れるのではなく、奇蹟が信仰から生れるのである。現実主義者がいったん信じたなら、まさしく自己の現実主義によって必ず奇蹟をも認めるはずである。使徒トマスは、自分の目で見るまでは信じないと明言したが、いざ見るに及んで、「わが主よ、わが神よ!」と言った。(訳注 十二使徒の一人トマスはキリストの復活を信じようとせず、「わたしはその手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れてみなければ信じない」と言ったが、八日のちにイエスの姿を見て「わが主よ、わが主よ!」と言った。ヨハネによる福音書第二十章)奇蹟が彼に信仰をいだかせたのだろうか? まず確実なところ、そうではあるまい。彼が信じたのは、もっぱら、信じようとねがったからにすぎないし、ことによると、「自分の目で見るまでは信じない」と述べた、すでにそのときから、自己の存在の内奥では全面的に信じていたのかもしれないのだ。
 ひょっとすると、アリョーシャは鈍いのだとか、発育が遅れているとか、学校も終えていないとかと、言う人があるかもしれない。彼が学校を終えなかったことは、事実であるが、彼が鈍いとか愚かだとか言うのは、たいへんな間違いであろう。ここではただ、すでに前に述べたことを、あらためてくりかえしておくだけにする。彼がこの道に入ったのは、もっぱら、当時それだけが彼の心を打ち、闇を逃れて光に突きすすもうとあがく彼の魂の究極の理想を一挙にことごとく示してくれたからにほかならない。さらに、彼がすでにある程度までわが国の現代青年であったことも、付け加えてみるがいい。つまり、本性から誠実で、真理を求め、探求し、信ずる人間であり、いったん信ずるや、心のカのすべてで即刻それに参加することを求め、早急に偉業を要求し、その偉業のためにならすべてを、よし生命をも犠牲にしようという、やむにやまれぬ気持をいだいている青年なのである。とはいえ、不幸なことに、これらの青年たちは、生命を犠牲にすることが、おそらく、数限りないこうした場合におけるあらゆる犠牲のうちでもっとも安易なものであることを理解していないし、また、たとえば、青春に沸きたつ人生の五年なり六年なりを、つらい困難な勉学や研究のために犠牲にすることが、たとえ自分が選び、達成しようと心に誓った同じその真理や同じ偉業に奉仕する力を十倍に強めるためにすぎぬとはいえ、そういう犠牲は彼らの大部分にとって例外なしに、まったくと言ってよいくらい堪えきれぬものであることを理解していないのだ。アリョーシャはみなと反対の道を選んだだけで、早く偉業をなしとげたいという渇望は同じだった。真剣に思いめぐらして、不死と神は存在するという確信に愕然とするなり、彼はごく自然にすぐ自分に言った。『僕は不死のために生きたい。中途半端な妥協は受け入れないぞ』これとまったく同じことで、かりに彼が、不死や神は存在しないと結論をだしたとすれば、すぐに無神論者か社会主義者になったことだろう(なぜなら、社会主義とは、単に労働問題や、いわゆる第四階級(訳注 封建社会で第一階級は国王や大名、第二階級は貴族、僧侶、第三階級はブルジョアジーを中心とする平民、そして第四階級はプロレタリアートを示す)の問題ではなく、主として無神論の問題でもあり、無神論の現代的具体化の問題、つまり、地上から天に達するためではなく、天を地上に引きおろすために、まさしく神なしに建てられるバベルの塔の問題でもあるからだ)。

ゾシマ長老に関して多くの人が言っていることであるが、長老はもう永年にわたって、心の秘密を告白しにやってきて彼から忠告や治療の言葉をきこうと渇望している人たちを、ことごとく近づけ、数知れぬほどの打明け話や嘆きや告白を自分の心に受け入れたため、しまいにはもうきわめて鋭敏な洞察力を身につけ、訪れてくる見ず知らずの人の顔をひと目見ただけで、どんな用事で来たのか、何を求めているのか、どんな悩みが良心を苦しめているのか、それまで見ぬくことができるほどになり、訪問者が一言も口をきかぬうちに相手の秘密を言いあててびっくりさせ、うろたえさえ、時には怯えに近い気持さえひき起させたという。しかし、その際アリョーシャはほとんどいつも気づいていたが、はじめて差向いの話をするために長老を訪れる多くの者が、ほとんど全部と言ってよいくらい、入って行くときには恐れと不安に包まれているのに、長老の部屋から出てくるときにはたいていの場合、晴ればれとした嬉しそうな顔になっており、どんなに暗い顔も幸せそうな顔に変っているのだった。長老がまるきり厳格でなく、むしろ反対にほとんどいつも応対が快活であることも、並みはずれてアリョーシャの心を打った。修道僧たちは長老のことを噂して、長老は罪深い者ほど愛着をおぼえ、いちばん罪深い人間を、だれよりも愛するのだと語っていた。

ミウーソフはこういう《形式主義》にひとわたりざっと目を走らせたあと、射るような視線をじっと長老に注いだ。彼は自分の目を高く買っていた。そんな欠点があるのだ。が、いずれにせよ、彼がすでに五十歳、つまり、聡明で世慣れた、生活の心配のない人間なら必ず自分に対して、ときには意に反してさえ、敬意をいだくようになる年輩になっていることを考慮に入れるなら、大目に見てやるべき欠点である。

「偉大な長老さま、どうぞはっきりおっしゃってくださいまし。わたしの活きのよすぎるのがお気にさわりますか、どうでしょう?」ふいにフョードルが、肘掛椅子の腕木を両手でつかみ、返事しだいでは跳びだしかねぬ勢いで叫んだ。
「あなたには切におねがいしますが、どうぞご心配やご遠慮はなさいませんよう」長老が教えさとすように言った。「ご遠慮なさらず、わが家におられるおつもりで楽になすってください。何よりも、そんなにご自分のことを恥ずかしくお思いにならぬことです。なぜって、それがすべての原因ですからの」
「わが家にいるように楽にしろ、ですって? つまり、ごく自然な態度でよろしいので? ああ、もったいない、それじゃもったいなさすぎます。でも、感激してお言葉に甘えさせていただきます! ですが、長老さま、ごく自然な態度になどと、わたしを挑発なさらないでください、危険を冒すのはおやめになったほうが……わたし自身だって、自然な態度にまでは、とてもなれるものじゃございませんよ。これは、長老さまをお守りするために、あらかじめご注意申しあげているんです。まあ、そのほかのことは依然として未知の闇に包まれていますけどね、もっとも、なかにはわたしを漫画に仕立てあげようと望んでる人もいるようですが。これは、ミウーソフさん、あんたのことを言ってるんですよ。それから長老さま、あなたさまには、これこのとおり、歓喜の情を吐露します!」彼は中腰になり、両手を上にあげて、唱えた。「汝を宿せし母胎は幸いなるかな、汝を育てし乳首は幸いなるかな、特に乳首こそ! (訳注 ルカによる福音書第十一章にある言葉をもじったもの)長老さまは今『そんなに自分のことを恥ずかしく思わぬことだ。それがすべての原因なのだから』とご注意くださいましたが、あの一言でわたしという人間をすっかりお見通しになり、肚の底までお読みになった感がございますね。まさにそのとおりで、わたしはいつも、人さまの前に出るたびに、俺はだれより下劣なんだ、みんなが俺を道化と思いこんでるんだ、という気がするもんですから、そこでつい『それならいっそ、本当に道化を演じてやれ、お前らの意見など屁でもねえや、お前らなんぞ一人残らず俺より下劣なんだからな!』と思ってしまうんです。わたしが道化なのも、そんなわけなんでして。羞恥心ゆえに道化になるんです、長老さま。とはと言えば羞恥心が原因でして。あばれたりするのも、もっぱら猜疑心のせいなんです。だって、かりにわたしが入っていっても、みんながすぐにわたしを感じのよい聡明な人間と見なしてくれると確信さえしていたら、わたしだってそのときはさぞ善良な人間になることでしょうからね! わが恩師!」だしぬけに彼はひざまずいた。「永遠の生命を受けつぐには、わたしはどうすればいいのでしょう?」今度もまた、彼がふざけているのか、それとも本当に感動しきっているのか、容易に決めかねた。
 長老は彼に目をあげ、微笑して言った。
「どうすればよいか、あなたご自身、とうにご存じのはずですがの。分別は十分お持ちなのだから。飲酒や饒舌にふけらず、情欲に溺れず、とりわけ金の亡者にならぬことです。それと、あなたの酒場を、全部がむりなら、せめて二つでも三つでも、閉店なさるんですな。大事なのは、いちばん大切なのは、嘘をつかぬことです」
「と、つまり、例のディドロの一件で?」
「いいえ、ディドロというわけではありません。肝心なのは、おのれに嘘をつかぬことです。おのれに嘘をつき、おのれの嘘に耳を傾ける者は、ついには自分の内にも、周囲にも、いかなる真実も見分けがつかなくなって、ひいては自分をも他人をも軽蔑するようになるのです。だれをも尊敬できなくなれば、人は愛することをやめ、愛を持たぬまま、心を晴らし、気をまぎらすために、情欲や卑しい楽しみにふけるようになり、ついにはその罪業たるや畜生道にまで堕ちるにいたるのです。これもすべて、人々や自分自身に対する絶え間ない嘘から生ずるのですぞ。おのれに嘘をつく者は、腹を立てるのもだれより早い。なにしろ、腹を立てるということは、時によると非常に気持のよいものですからの、そうではありませんか? なぜなら本人は、だれも自分を侮辱した者などなく、自分で勝手に侮辱をこしらえあげ、体裁をととのえるために嘘をついたのだ、一つのシーンを作りだすためにおおげさに誇張して、言葉尻をとらえ、針小棒大に騒ぎたてたのだ、ということを承知しているからです。それを自分で承知しておりながら、やはり真っ先に腹を立てる。腹を立てているうちに、それが楽しみになり、大きな満足感となって、ほかならぬそのことによって、しまいには本当の敵意になってゆくのです……さ、お立ちになって、お掛けさい。どうぞおねがいです。それもやはり、すべて偽りの行為でしょうが……」
「聖者さま! そのお手に接吻させてくださいまし」フョードルは跳ね起きるなり、長老の痩せた手にすばやく接物した。「まさしく腹を立てるのは楽しいものです。実にうまいことをおっしゃる。今まできいたことがないほどです。まさに、まさにわたしはこれまでの一生、楽しくなるほど腹を立てつづけてきました。美学のために腹を立てていたんです。なにしろ、楽しいだけじゃなく、腹を立てた姿というのは、時によると、格好いいもんですからな、長老さま、あなたはこれをお忘れでしたよ、格好いいという点を! こいつは手帳に書きとめておこう! わたしは嘘つきでした。文字どおり一生、毎日毎時間、噓をつきどおしでした。本当に、嘘は嘘の父でございますな!



「そこに遠来の人がおるな!」まだ決して年とっているわけではないのだが、ひどく痩せてやつれはて、日焼けしたというのではなく、顔全体が妙にどすぐろくなったような一人の女を、長老は指さした。女はひざまずき、視線を据えて長老を見つめていた。その眼差しには何か乱心したような色があった。
「遠方でございます、長老さま、遠方からです。ここから三百キロもございます。遠方からでございます、長老さま。はい、遠方からで」女は片頬に手をあてたまま、首を左右によどみなく振りながら、うたうように言った。涙ながらに訴えるといった口調だった。民衆には忍耐強い無言の悲しみがある。その悲しみは心の内に沈潜し、沈黙してしまう。だが、病的なほどはげしい悲しみもある。これがいったん涙となってほとばしりでると、その瞬間から哀訴に変ってゆくのだ。これは特に女性に見られる。しかし、無言の悲しみより、このほうが楽なわけではない。哀訴を癒やすには、いっそう心を苦しめ、張り裂けさせるよりほかにない。このような悲しみは慰めをも望まず、しょせん癒やしえぬという気持に養われている。哀訴は傷口をたえず刺激していたい欲求でしかないのだ。
「町民階級のお方でしょうの?」好奇の目で女の顔に見入りながら、長老はつづけた。
「町の者でございます、長老さま。町の住人です。出は百姓ですが、町の人間で、都会暮しをしております。あなたさまにお目にかかりに参りました。お噂をききましたので、長老さま。幼い息子の葬式をすませて、巡礼に出てまいりました。三つの修道院にお詣りして、『ナスターシュシカ、ここへ、つまりあなたさまのところへ行くがよい、あなたさまのところへ』と教えられたのでございます。こちらについて、昨夜は宿坊にご厄介になって、今日あなたさまのところへ伺ったというわけでございまして」
「何を泣いているのだね?」
「息子が不憫でなりませんので。息子は三つでございました。たったあと三カ月で三つになるところでしたのに。息子のことを思うと、せつなくてなりません、長老さま、息子のことを思いますと。残された最後の子でしたのに。わたしとニキートゥシカの間には子供が四人おりましたけれど、うちでは子供が育ってくれません。うまく育ってくれないのでございます。上の三人をとむらったときは、そんなに不憫でもなかったのに、最後のこの子ばかりは、とむらったあとも、忘れることができないのでございます。まるですぐ目の前に立っているみたいに、離れ去ってくれません。心が疲れはててしまいました。あの子の小ちゃな肌着や、シャツや、長靴などを見ると、泣けてくるのでございます。あの子のあとに残ったものをひろげて、跳めては、泣き暮しております。わたしはうちの人に、ニキートゥシカに申しました。お前さん、あたしを巡礼に出しとくれって。うちの人は辻馬車の馭者ですけれど、貧しくはございません、長老さま。貧乏ではないのです。一本立ちの馬車屋で、馬も馬車も自前でございます。でも、今となって、財産なぞが何になりましょう? わたしがいなければ、ニキートゥシカは酒に溺れはじめるにきまっています。そうにちがいありません、前にもそうでしたから。ちょっとわたしが目を離すと、たがが弛んでしまうのです。でも今では、うちの人のことも思っておりません。家を出てもう足かけ三カ月になりますので、忘れてしまいました。何もかも忘れてしまいましたし、思いだしたくもございません。いまさらあの人とどうなるというのでしょう? あの人とのことは終ったんです。だれもかれも、もうおしまいです。今じゃ自分の家も財産も見たいとは思いませんし、まるきり何も見る気はございません!」
「こういう話がありますぞ、お母さん」長老が言った。「あるとき、昔の偉い聖人が聖堂の中で、やはり神に召された幼い一人息子をしのんで、お前さんのように泣いている母親をごらんになった。そこで聖人はこうおっしゃったのだ。『お前はそういう幼な子たちが神さまの前で、どれほどこわいもの知らずにしているか、知らないのか? 天国でこんなにこわいもの知らずなのは、ほかにいないくらいだよ。幼な子たちは神さまにこんなことまで言う。神さま、あなたはわたしたちに生命を授けてくださりながら、わたしたちが世の中をちらとのぞくかのぞかないうちに、もうお取りあげになったんですか、などとな。そしてまったくこわいもの知らずに、神さまがすぐに天使の位を授けてくれるよう、頼んだり、ねだったりするのだ。だから、お前も泣いたりせず、喜んでやりなさい。お前の子供もきっとム「ごろは神さまのもとで大勢の天使たちの仲間入りしておるだろうよ』聖人はこうおっしゃった。遠い北日、聖人は泣いている人妻にこうおっしゃられたのだよ。この聖人は偉い方だから、嘘をおっしゃるはずはない。だから、いいかね、お母さん、お前さんの子供もきっと今ごろは神さまの前に立って、喜んだり、楽しんだりして、お前さんのことを神さまに祈ってくれているにちがいないよ。それだから、泣いたりせず、喜んでやりなさい。お前の子供もきっと今ごろは神さまのもとで大勢の天使たちの仲間入りしておるだろうよ」聖人はこうおっしゃった。遠い昔、聖人は泣いている人妻にこうおしゃられたのだよ。この聖人は偉い方だから、噓をおっしゃるはずはない。だから、いいかね、お母さん、お前さんの子供もきと今ごろは神さまの前に立って、喜んだり、楽しんだりして、お前さんのことを神さまに祈ってくれているにちがいないよ。それだから、泣いたりせず、喜んでやりなさい」
 女は片手を頬にあて、うなだれて、きいていた。彼女は深い溜息をついた。
「ニキートゥシカもそっくり同じようにわたしを慰めてくれました。あなたさまとそっくり同じ言葉でこう言ってくれたのです。『お前もばかだな。どうして泣いたりするんだ。あの子はきっと今ごろ、神さまのもとで天使たちといっしょに讃美歌をうたってるにちがいないよ』うちの人はこう言いながら、自分も泣いているんでございます。見ると、わたしと同じように泣いているじゃございませんか。わたしは言ってやりました。『ニキートゥシカ、それはわたしだって知っているわよ、神さまのおそばでないとしたら、あの子はほかに居場所がないってことくらい。ただ、ここに、今わたしたちといっしょに、あの子はいないのよ。前にはわたしたちの横にこうやって坐っていてくれたのに!』せめてたった一度でも、あの子を一目見られたら。一度でいいからあの子をまた見たいのです。そばに寄らなくても、ロをきかなくても、物陰に隠れていてもいいから、ほんの一分でもあの子を見られたら。あの子が外で遊んでいて、帰ってくるなり、かわいい声で『母ちゃん、どこにいるの?』と叫ぶのを、きくことができたら。一度だけ、たった一度だけでいいから、あの子が小さな足で部屋の中をばたばた歩くのを、きけさえすればいいのです。思いだしますわ、よくあの子はそりゃ気ぜわしくわたしのところに走ってきて、大きな声で叫んだり、笑ったりしたものでした。あの子の足音をきけたら。きいて、あの子の足音だと気づきさえしたら! でも、あの子はいない、長老さま、あの子はいないのです、もう二度とあの子の声をきくことはできないのです! ほら、これがあの子の帯ですけれど、あの子はもういない。今となっては、もう二度とあの子を見ることも、声をきくこともできないのでございます!」
 女はわが子の小さなモール編みの帯を懐ろからとりだしたが、一目見るなり、指で目をおおって嗚咽に身をふるわせた。その指の間から突然、ほとばしる涙が小川となってあふれた。
「でもそれは」長老が言った。「昔の『ラケルはわが子らを思って泣き、もはや子らがいないため、慰めを得られない』(訳注 エレミヤ書第三十一章)と同じことで、お前さん方、母親には、この地上にそうした限界が設けられているのだよ。だから慰めを求めてはいけない。慰めを求める必要はない、慰めを求めずに、泣くことだ。ただ、泣くときにはそのたびに、息子が今では天使の一人で、あの世からお前さんを見つめ、眺めておって、お前さんの涙を見て喜び、神さまにそれを指さして教えておることを、必ず思いだすのですよ。母親のそうした深い嘆きは、この先も永いこと消えないだろうが、しまいにはそれが静かな喜びに変ってゆき、お前さんの苦い涙が、罪を清めてくれる静かな感動と心の浄化の涙となってくれることだろう。ところで、お前さんの子供の冥福を祈って法要をして進ぜよう、何て名前だったのかね?」
「アレクセイでございます、長老さま」
「立派な名前だ。神の人アレクセイにあやかったのかね?」
「はい、長彦さま、神.の人アレクセイのお名前でございます、神の人の」
「立派な神の人だ! 供養して進ぜよう、お母さん、供養して進ぜるとも。お祈りの中でお前さんの悲しみにも触れてあげようし、旦那さんの健康も祈って進ぜよう。ただし、旦那さんを置き去りにするのは罪深いことだよ。すぐに帰って、大事にしてあげるんだね。お前さんが父親を棄てたのを子供があの世から見たら、お前さんたちのことを思って泣くことだろう。どうして、子供の幸せを乱すような真似をするのだね? だって子供さんは生きておるのだよ、生きておるとも。子供さんの魂は永遠に生きつづけ、家にこそいなくとも、目に見えぬ姿でお前さんたちのそばにおるのだからの。お前さんがわが家を憎んでいるなどと言えば、子供はどうして家に戻ってこられよう? ふた親がいっしょのところを見られなかったら、いったいだれのところに戻ってくればよいのだね? 今お前さんは子供を夢に見て、苦しんでいるけれど、そうなれば子供さんだって安らかな眠りを送ってくれるだろうよ。旦那さんのところに行っておやり、今日にでも行ってやるんだね」
「行きます、長老さま。お言葉に従って帰ります。わたしの心をすっかりわかってくだすって。ニキートゥシカ、わたしのニキートゥシカ、待っておいでだろうね、わたしを待っているのね!」女は涙ながらにかきくどきはじめたが、長老はすでに、巡礼らしくもない、都会風な身なりをした、よぼよぼの老婆に顔を向けていた。老婆の目を見れば、何か悩みごとがあり、何事かを訴えにきたことは明らかだった。老婆は、遠くからきたのではなく、この町に住む下士官の末亡人であると名乗った。ワーセニカという息子が、軍の主計局かどこかに勤務していたのに、シベリヤのイルクーツクへ行ってしまい、二度そこから手紙をよこしただけで、もうこの一年というもの、ふっつり音信を断ってしまった。老婆は息子のことをあちこち問い合せてはみたものの、本当のところ、どこに行けば照会の結果がわかるのやら、雲をつかむような話だという。
「ただ、この間、ステパニーダ・イリイーニシナ・べドリャーギナという、大店(おおだな)のおかみさんが、こう申したんですの。『ねえ、プローホロヴナ、息子さんの名前を過去帳に書いて、教会に持っていって、法要をしておもらいよ。そうすりゃ、息子さんの魂だって悩みだして、手紙をよこすにちがいないから。これは確かよ、何遍も実験ずみなんだから』って。ただ、わたしは半信半疑で……長老さまこんなこと本当でしょうか、それとも嘘でしょうか、それにこんなことをしていいものでしょうか?」
「そんなことを考えてはなりませぬ。たずねるさえ恥ずかしいことですぞ。いったい生きている魂を、それも生みの母親が冥福を祈って法要するなどということが、どうしてできますか! そんなことは妖術にもひとしいたいへんな罪悪ですぞ、ただお前さんの無知に免じて赦されはしますがの。それより、機敏な救い主であり守り手である聖母さまに、息子さんの無事息災と、それからお前さんの間違った考えを赦してくださることとを、祈るほうがよろしい。もう一つ、これだけは言っておくがの、プローホロヴナ、息子さんは近いうちに当人が帰ってくるか、でなければ手紙をきっとよこしますよ。そう思っていてよろしい。それじゃ帰って、これからは安心しているがよい。もう一度言っておくが、息子さんは健在ですぞ」
「わたしらの大事な長老さま、どうぞ神さまのお恵みがございますように。あなたさまはわれわれの恩人でございます。わたしたちみんなや、わたしたちの罪業のために祈ってくださいますし……」
 が、長老はすでに群集の中で、まだ若いとはいえ、やつれきって見るからに結核らしい農婦の、燃えるような二つの目がひたと自分に注がれているのに、気づいていた。農婦は無言で見つめ、その目は何かを乞い求めていたが、そばに近づくのを恐れているかの風情だった。
「どんな悩みかな、お前さんは?」
「わたしの魂を赦してください、長老さま」低い声でゆっくり言うと、彼女はひざまずき、長老の足もとに跪拝(きはい)した。
「わたしは罪を犯しました、長老さま。自分の罪がこわいのでございます」
 長老が下の段に腰をおろすと、女はひざまずいたまま、いざり寄った。
「わたしが後家になって、足かけ三年になります」ひとりでに身ぶるいするかのように、女は半ばささやき声で話しだした。「結婚生活はつらいものでした。夫は年寄りで、それはひどくわたしを痛めつけたものでございます。そのうち夫が病気で床についたのです。夫を見ているうちに、わたしは思いました。もし快くなって、起きだしたら、どうしようって。そのとき、あの大それた考えが心に湧いたのでございます……」
「待ちなされ」長老は言うと、耳をまっすぐ彼女のロに近づけた。女は低いささやき声でつづけたので、ほとんど何一つききとれなかった。女はじきに話を終えた。
「三年目になるのだね?」長老がたずねた。
「三年目です。最初のうちは考えていませんでしたが、このごろ、身体の具合がすぐれなくなって、気が滅入ってならないのです」
「遠くから来たのかね?」
「ここから五百キロも向うです」
「懺悔のときに話したことは?」
「ございます。二度も話しました」
「聖餐(せいさん)は受けさせてもらえたのかね?」
「受けさせていただきました。わたしはこわいんです。死ぬのが恐ろしくて」
「何も恐れることはない、決してこわがることはないのだよ、滅入ったりせんでよい。その後悔がお前さんの心の中で薄れさえしなければ、神さまはすべてを赦してくださるのだから。心底から後悔している者を神さまがお赦しにならぬほど、大きな罪はこの地上にないし、あるはずもないのだ。それに、限りない神の愛をすっかり使いはたしてしまうくらい大きな罪など、人間が犯せるはずもないのだしね。それとも、神の愛を凌駕するほどの罪が存在しうるとでもいうのかな? 絶えざる後悔にのみ心を砕いて、恐れなどすっかり追い払うのだ。神さまは、お前さんには考えもつかぬくらい深く、お前さんを愛していてくださる。たとえ罪をいだき、罪に汚れているお前さんであっても、神さまは愛してくださるのだよ。それを信ずることだね。悔い改めた一人に対する天の喜びは、行い正しき十人に対する喜びよりも大きい、と昔から言われているではないか。さ、行きなさい、恐れなくともよいのだよ。人々を怨まず、侮辱に腹を立てないことだ。死んだ旦那さんから受けた侮辱をすべて赦して、本当に和解しなさい。後悔しているなら、愛せるはずだ。愛するようになれば、お前さんはもう神の下僕なのだよ……愛はすべてをあがない、すべてを救う。お前さんと同じように罪深い人間であるわたしが、お前さんに感動し、憐れんだとすれば、神さまはなおさらのことだ。愛というのは、全世界を買いとれるほど限りなく尊い宝物で、自分の罪ばかりか、他人の罪まで償えるのだからの。行きなさい、恐れることはないのだよ」
 長老は女に十字を三度切ると、自分の首から聖像をはずして、彼女にかけてやった。女は無言のまま、地につくほど低く一礼した。長老は腰をあげ、乳呑児を腕に抱いた一人の健康そうな農婦を嬉しそうに眺めやった。
「ヴィシェゴーリエから参ったんで、長老さま」
「それでもここから六キロある。子供を抱いて、さぞ疲れただろうの。どんな用かな?」
「あなたさまを一目見に参ったんでさ。あたしゃ、こちらには何度か伺ってるんですよ、お忘れになったんで? あたしを忘れたとすると、あなたさまの記憶力もたいしたことはないね。なに、うちの村で、あなたさまが病人だなんて言ってたもんでね、こいつは一番、自分で行って見てこようと、こう思いましてね。こうして見てるけど、なにが病気なもんかね! まだ二十年は長生きなさるわさ、本当に。お達者でいてくださいよ! それに、あなたさまのことを祈ってる人間はたくさんいるからね、なんで病気なんぞするもんですか!」
「ありがとうよ、いろいろと」
「ついでに、ちょっとしたお願いがございますんで。ここに六十カペイカあるから、これをあたしより貧しいようなおなごに、あなたさまからあげてくださいな。ここへ来るとき、考えたんでさ、これはあなたさまを介して渡すほうがいい。あなたさまなら、だれに渡すべきか知ってらっしゃるから、ってね」
「ありがとう、ありがとうよ、親切に。お前さんはいい人だね。必ず約束をはたすとも。抱いているのは嬢やかね?」
「女の子です。リザヴェータという名で」
「お前さんにも、子供のリザヴェータにも、神さまがともに祝福を賜わりますよう。すっかりわたしの心を明るくしてくれたよ、お母さん。それじゃ、信者のみなさん、失礼しますよ」
 長老はみなに祝福を与え、みなに深々と一礼した。

「まあ、そんな、とんでもございません、神さまはあたくしたちから、あなたをお取りあげなさいませんわ。まだ、いつまでも、永生きなさいますとも」母親が叫んだ。「それに、どこがお悪いのですの? とてもお元気で、快活で、お幸せそうにお見受けしますけれど」
「今日はいつになく楽ですが、これもせいぜいしばらくの間だけということを、わたしはもう知っておるのです。今では自分の病気が正確にわかっていますからの。もし快活そうに見えるとしたら、そうおっしゃってもらえるほど、わたしにとって嬉しいことは、いまだかつて何一つありませんでしたよ。なぜなら、人問は幸福のために創られたのですし、完全に幸福な人間は、自分に向ってはっきり『わたしはこの地上で神の遺訓をはたした』と言う資格があるからです。すべての敬虔な信者、あらゆる聖者、あらゆる尊い殉教者は、みな幸福だったのです」
「ああ、なんというすばらしいお話、なんという大胆な尊いお言葉でしょう」母親が叫んだ。
「お言葉の一つ一つが、心に突き刺さるような感じがいたしますわ。それにしても、幸福とは、幸福とはいったいどこにあるのでしょう? いったいだれが、自分は幸福だと言うことができるのでしょう? ああ、あなたは今日もう一度お目にかかることを許してくださったほど、おやさしいのですもの、どうかこの前あたくしがすっかり言いきれなかったことを、言うのをためらったことを、あたくしがずっと以前から苦しみつづけていることを、すっかりお聞きになってくださいまし! あたくし、苦しんでいるのでございます。申しわけございません、あたくしが苦しんでおりますのは……」そして彼女は何か熱っぽい発作的な感情に包まれて、長老の前で両手を組み合せた。
「特に苦しんでおられることは、何です?」
「あたくしが苦しんでいるのは……疑いです……」
「神への疑いですか?」
「まあ、そんな、とんでもない、そんなこと考えてみる勇気もございませんわ。でも、来世ということが謎なのです! そしてだれも、だれ一人、これに答えてくれませんもの! どうぞおききになってくださいませ、あなたは万病を癒してくださる、人間の魂の専門家でいらっしゃいますもの。もちろんあたくし、あなたに全面的に信じていただけるなどという大それた望みは持っていませんけれど、今こんなことを申しあげているのは決して軽薄な気持からでないことだけは、どんな立派な言葉ででも誓いますわ。やがてくる来世の生活という考えが、苦しいほどあたくしの心を乱すのでございます、ほんとに恐ろしくなるほど……それにあたくし、だれにおすがりすればよいのか、わかりませんの。これまでずっと、その勇気がなくって……ですから今、思いきってあなたに申しあげているのでございます。ああ、困りましたわ、今後あたくしのことをどんな女とお考えになりますことでしょう!」彼女は悲しげに手を打ち合せた。
「わたしの考えなど、お案じになることはございません」長老が答えた。「あなたの悩みの真剣さは十分信じておりますから」
「まあ、ほんとうに感謝しておりますわ! 実はあたくし、よく目を閉じて思うことがございますの、みんなが信じているとしたら、いったいどこからそれは生じたのかしらって。なかには、それはすべて最初は恐ろしい自然現象に対する恐怖から起ったもので、そんなものは全然ないのだ、などと説く方もおられますわね。ですけれど、一生信じつづけてきて、いざ死んでしまえば、ふいに何一つなくなり、ある作家のもので読んだように『墓の上には山ごぼうが生い茂るのみ』ということになったら、どうなりましょう。恐ろしいことですわ! いったい何によって信仰を取り戻せるでしょうか? もっとも、あたくしが来世を信じておりましたのは、ごく幼いころだけで、何も考えず、ただ機械的に信じていたのでございます……では、いったいどうすれば、何によって、それを証明できるのでしょう。あたくし、あなたの前にひれ伏して、それをおねがいするために、今こうして参ったのでございます。だって、今のこの機会まで取り逃してしまったら、一生もうだれも答えてくれませんもの。何によって確信すればよろしいのでしょう? ああ、あたくし不幸ですわ! こうして立って、あたりを見まわしてみると、どなたもみな、ほとんどすべての方が同じように、こんなことなぞ気に病んでいないのに、あたくしだけ、それに堪えぬくことができずにいるのでございます! これは死ぬほどつらいことですわ、死ぬほど!」
「疑いもなく、死ぬほどつらいことです。だが、この場合何一つ証明はできませんが、確信はできますよ」
「どうやって? 何によってですか?」
「実行的な愛をつむことによってです。自分の身近な人たちを、あくことなく、行動によって愛するよう努めてごらんなさい。愛をかちうるにつれて、神の存在にも、霊魂の不滅にも確信がもてるようになることでしょう。やがて隣人愛における完全な自己犠牲の境地にまで到達されたら、そのときこそ疑う余地なく信ずるようになり、もはやいかなる懐疑もあなたの心に忍び入ることができなくなるのです。これは経験をへた確かなことです」
「実行的な愛ですって? それがまた問題ですわ、それもたいへんな問題、大問題じゃありませんか! 実はあたくし、人類愛がとても強いものですから、本当のことを申しますと、ときおり、自分の持っているものを何もかも棄てて、リーズとも別れて、看護婦になろうかしら、などと空想することがございますの、目を閉じて考え、空想しておりますと、そういう瞬間には抑えきれぬほどの力を身内に感ずるのです。どんな傷口も、どんな膿みただれた潰瘍も、あたくしをひるませることはできないはずですわ。あたくし、自分の手で繃帯をかえてあげ、傷口を洗ってさしあげ、苦しんでいる人々の看護婦になってあげられれば、と思いますの。そういう傷口に接吻してもいいとさえ思っているんですの……」
「あなたのご分別がほかならぬそんなことまで空想なさるというのは、それだけで、もう余りあるくらい、立派なことです。ときには、何かのはずみで実際に、何か善事をなさることでしょうからの」
「はい、ですけれど、あたくしがそんな生活に永いこと堪えぬけますでしょうか?」熱っぽく、ほとんど狂おしいばかりに、夫人はつづけた。「それがいちばん肝心な問題ですわ! これがあたくしにとって、数ある問題の中でいちばん苦しいものなんです。目を閉じて、よく自分にたずねてみることがございますの。お前はこの道で永く辛抱できると思うか? もし、お前に傷口を洗ってもらっている患者が、すぐ感謝を返してよこさず、それどころか反対に、さまざまな気まぐれでお前を悩ませ、お前の人間愛の奉仕になど目をくれもしなければ評価もしてくれずに、お前をどなりつけたり、乱暴な要求をしたり、ひどく苦しんでいる人によくありがちの例で、だれか上司に告げ口までしたりしたら、そのときにはどうする? それでもお前の愛はつづくだろうか、どうだろう? ところが、どうでしょう、長老さま、あたくしはもう結論を出してぎくりといたしましたの。かりにあたくしの《実行的な》人類愛に即座に水をさすものが何かあるとしたら、それはただ一つ、忘恩だけですわ。一言で申してしまえば、あたくしは報酬目当ての労働者と同じなのです。ただちに報酬を、つまり、自分に対する賞讃と、愛に対する愛の報酬とを求めるのでございます。それでなければ、あたくし、だれのことも愛せない女なのです!」
 彼女は衷心からの自責の発作にかられていたので、話し終ると、挑戦的な決意の色を示して長老を眺めやった。
「それとそっくり同じことを、と言ってももうだいぶ前の話ですが、ある医者がわたしに語ってくれたものです、長老が言った。「もう年配の、文句なしに頭のいい人でしたがの。あなたと同じくらい率直に話してくれましたよ。もっとも、冗談めかしてはいたものの、悲しい冗談でしたな。その人はこう言うんです。自分は人類を愛しているけど、われながら自分に呆れている。それというのも、人類全体を愛するようになればなるほど、個々の人間、つまりひとりひとりの個人に対する愛情が薄れてゆくからだ。空想の中ではよく人類への奉仕という情熱的な計画までたてるようになり、もし突然そういうことが要求されるなら、おそらく本当に人々のために十字架にかけられるにちがいないのだけれど、それにもかかわらず、相手がだれであれ一つ部屋に二日と暮すことができないし、それは経験でよくわかっている。だれかが近くにきただけで、その人の個性がわたしの自尊心を圧迫し、わたしの自由を束縛してしまうのだ。わたしはわずか一昼夜のうちに立派な人を憎むようにさえなりかねない。ある人は食卓でいつまでも食べているからという理由で、別の人は風邪をひいていて、のべつ洟をかむという理由だけで、わたしは憎みかねないのだ。わたしは人がほんのちょっとでも接触するだけで、その人たちの敵になってしまうだろう。その代りいつも、個々の人を憎めば憎むほど、人類全体に対するわたしの愛はますます熱烈になってゆくのだ。と、その人は言うんですな」
「でも、どうしたらよろしいのでしょう? そんな場合、どうすればよろしいのでしょうか? そんなときは絶望するほかないのですか?」
「いいや、あなたがそれを嘆いていることだけで十分なのです。ご自分にできることをなさい、そうすれば報われるのです。あなたはもう、ずいぶん多くのことをやりとげていますよ、なぜってそれほど深く真剣に自覚することができたのですからね! かりにあなたが今それほど真剣にわたしと話していたのも、今わたしに賞めてもらったように、自分の正直さを賞めてもらいたい一心からだけだとしたら、そのときはもちろん、実行的な愛の偉業という面では、何物にも到達できないでしょうがの。もしそうだったら、すべてがあなたの空想の中にとどまるだけで、一生が幻のようにちらと過ぎ去ってしまうでしょう。この場合はもちろん、来世のことも忘れはてて、しまいにはなんとなく自分自身に満足してしまうことになるのです」
「まあ、恐れ入りました! 今この瞬間になってやっとわかりましたわ。さっき忘恩には堪えられないと申しあげたとき、本当にあたくし、あなたのおっしゃったとおり、自分の誠実さに対するお賞めの言葉だけを期待していたのでございます。あなたはあたくしに、自分の本当の心をひそかに教えてくださり、あたくしの心を捉えて、説明してくださったのですわ!」
「本心からそうおっしゃるのですか? そういう告白をうかがったあとなら、今こそ、あなたが誠実で、心の善良な方だということを信じますよ。かりに幸福に行きつけぬとしても、自分が正しい道に立っていることを常に肝に銘じて、それからはずれぬように努めることですな。肝心なのは、嘘を避けることです、いっさいの嘘を、特に自分自身に対する嘘をね。自分の嘘を監視し、毎時毎分それを見つめるようになさい。また、他人に対しても、自分に対しても、嫌悪の気持はいだかぬことです。内心おのれが疎ましく見えるということは、あなたがそれに気づいたという一事だけで、すでに清められるのです。恐れもやはり避けるようになさい。もっとも、恐れというのはいっさいの嘘のもたらす結果でしかありませんがの。愛の成就に対するあなた自身の小心さを決して恐れてはなりませんし、それに際しての聞違った行為さえ、さほど恐れるにはあたらないのです。何一つあなたを喜ばせるようなことを一言えなくて残念ですが、それというのも、実行的な愛は空想の愛にくらべて、こわくなるほど峻烈なものだからですよ。空想の愛は、すぐに叶えられる手軽な功績や、みなにそれを見てもらうことを渇望する。また事実、一命をさえ捧げるという境地にすら達することもあります、ただ、あまり永つづきせず、舞台でやるようになるべく早く成就して、みなに見てもらい、賞めそやしてもらいさえすればいい、というわけですな。ところが、実行的な愛というのは仕事であり、忍耐であり、ある人々にとってはおそらく、まったくの学問でさえあるのです。しかし、あらかじめ申しあげておきますがの、あなたのあらゆる努力にもかかわらず、目的にいっこう近づかぬばかりか、かえって遠ざかってゆくような気がして慄然とする時、そういう時、あなたは忽然として目的を達成し、たえずあなたを愛して終始ひそかに導きつづけてこられた神の奇蹟的な力を、わが身にはっきり見いだせるようになれるのです。申しわけないのですが、わたしはこれ以上あなたとごいっしょにおるわけにはまいらないのです、待っておる人がおりますので。では、いずれまた」
 婦人は泣いていた。





「しかし、実際には現在でもまったく同じですの」ふいに長老が口を開いたので、みながいっせいにその方を向いた。「なぜなら、かりに今キリスト教の教会がないとしたら、犯罪者の悪業への歯止めがまったくなくなって、ひいては悪業に対する懲罰までないにひとしくなるでしょうからの。懲罰と言っても、今この方が言われたとおり、たいていの場合ただ心を苛立たせるにすぎぬ、機械的な懲罰のことではなしに、唯一の効果的な、ただ一つ威嚇と鎮静の働きをもつ、おのれの良心の自覚に存する本当の懲罰のことですぞ」
「それはどういうことです、お教えいただけますか?」好奇心をまざまざと示して、ミウーソフがたずねた。
「つまり、こういうことです」長老が話しはじめた。「こうした懲役とか、以前は笞刑まであったものですが、これらはすべて、だれをも更生させはしませんし、何よりも肝心な点は、ほとんどどんな犯罪者にも恐怖心を起させないために、犯罪の数は減少せぬばかりか、年を追うごとに増えてゆくばかりなのです。あなたもこれには同意せねばなりますまい。つまり、そんなわけで社会はまったく守られておらぬ、ということになるわけですの。なぜなれば、よし有害な分子を機械的に隔離して、目に入らぬ遠いところへ追放したにせよ、すぐにそのあとへ別の犯罪者が、ことによると一度に二人も現われてくるからです。かりに、今のような時代にさえ社会を守り、当の犯罪者をも更生させて、別の人間に生れ変らせるものが何かしらあるとすれば、それはやはりただ一つ、おのれの良心の自覚の内にあらわれるキリストの掟にほかなりませぬ。キリスト社会、すなわち教会の息子として、おのれの罪を自覚してこそはじめて、その人間は社会そのものに対する、つまり教会に対する罪も自覚するのです。というわけで、現代の犯罪者がおのれの罪を自覚しうるのも、ひとり教会に対してだけであって、決して国家に対してではありませぬ。

「概してこの話題は打ち切るよう、あらためておねがいしておきますがね」ミウーソフがくりかえした。「その代り、ほかならぬイワン君に関するきわめて興味深い、この上なく特徴的な話を、みなさんにご披露しましょう。つい四、五日前のことですが、この町の主として上流婦人を中心とする集まりで、この人は議論の中で得々としてこんなことを明言したんですよ。つまり、この地上には人間にその同類への愛を強いるようなものなど何一つないし、人間が人類を愛さねばならぬという自然の法則などまったく存在しない。かりに地上に愛があり、現在まで存在したとしても、それは自然の法則によるのではなく、もっぱら人間が自分の不死を信じていたからにすぎないのだ。その際イワン君が括弧つきで言い添えたことですが、これこそ自然の法則のすべてなのだから、人類のいだいている不死への信仰を根絶してしまえば、とたんに愛だけではなく、現世の生活をつづけようという生命力さえ枯れつきてしまうのだそうです。それどころか、そうなればもう不道徳なことなど何一つなくなって、すべてが、人肉食いさえもが許されるのです。しかも、これでもまだ足りずに、この人は結論として力説したのですが、たとえば現在のわれわれのように、神も不死も信じない個々の人間にとって、自然の道徳律はただちに従来の宗教的なものと正反対に変るべきであり、悪行にもひとしいエゴイズムでさえ人間に許されるべきであるばかりか、むしろそういう立場としては、もっとも合理的な、そしてもっとも高尚とさえ言える必然的な帰結として認められるべきなんだそうです。みなさん、わが親愛な奇人の逆説家イワン君が提唱している、そしておそらくこの先まだ提唱するつもりでおられる、他のすべてのことに関しては、今のパラドクス一つで、十分ご推量いただけると思いますが」
「失礼ですが」思いもかけず、ドミートリイがだしぬけに叫んだ。「聞き違いしたくないものですから。『悪業は許されるべきであるばかりか、あらゆる無神論者の立場からのもっとも必要な、もっとも賢明な出口として認められさえする』こうでしたね?」
「そのとおりです」パイーシイ神父が言った。
「おぼえておきましょう」
 こう言うなり、ドミートリイは話に突然割りこんだときと同じように、ふっと口をつぐんだ。みなは好奇の目で彼を見つめた。
「本当にあなたは、不死という信仰が人間から枯渇した場合の結果について、そういう信念を持っておられるのですか?」ふいに長老がイワンにたずねた。
「ええ、僕はそう主張してきました。不死がなければ、善もないのです」
「もしそう信じておられるのなら、あなたはこの上なく幸せか、さもなければ非常に不幸なお人ですの!」
「なぜ不幸なのです?」イワンが徴笑した。
「なぜなら、あなたは十中八、九まで、ご自分の不死も、さらには教会や教会の問題についてご自分の書かれたものさえも、信じておられぬらしいからです」
「ことによると、あなたのおっしゃるとおりかもしれません! しかし、それでも僕はまるきり冗談を言ったわけでもないのです……」突然イワンは異様な告白をしたが、みるみる赤くなった。
「まるきり冗談を言われたわけでもない、それは本当です。この思想はまだあなたの心の中で解決されておらないので、心を苦しめるのです。しかし、受難者も絶望に苦しむかに見えながら、ときにはその絶望によって憂さを晴らすのを好むものですからの。今のところあなたも、自分の弁証法を自分で信じられず、心に痛みをいだいてひそかにそれを嘲笑しながら、絶望のあまり、雑誌の論文や俗世の議論などで憂さを晴らしておられるのだ……この問題があなたの内部でまだ解決されていないため、そこにあなたの悲しみもあるわけです。なぜなら、これはしつこく解決を要求しますからの……」
「ですが、この問題が僕の内部で解決することがありうるでしょうか? 肯定的なほうに解決されることが?」なおも説明しがたい微笑をうかべて長老を見つめながら、イワンは異様な質問をつづけた。
「肯定的なほうに解決されぬとしたら、否定的なほうにも決して解決されませぬ。あなたの心のこういう特質はご自分でも承知しておられるはずです。そして、そこにこそあなたの心の苦しみのすべてがあるのです。ですが、こういう悩みを苦しむことのできる崇高な心を授けたもうた造物主に感謝なさりませ。『高きを思い、高きを求めよ、われらの住み家は天上にあればこそ』です。ねがわくば、あなたがまだこの地上にいる間に、心の解決を得られますように。そして神があなたの道を祝福なさいますよう!」
 長老は片手をあげ、自席からイワンに十字を切ろうとしかけた。だが、相手はふいに椅子から立って、長老に歩みより、祝福を受けると、その手に接吻して、無言のまま自席に戻った。顔つきはまじめな、毅然としたものだった。この行為と、それにイワンからは予想もしていなかった今までの長老との会話のすべてとが、その謎めかしさや、一種の厳粛さによって、みなをびっくりさせたので、だれもが一瞬、鳴りをひそめかけたし、アリョーシャの顔にはほとんど怯えに近い表情があらわれた。ミウーソフがだしぬけに肩をすくめ、それと同時にフョードルが椅子から跳ね起きた。

「どうした? お前のいるべき場所は当分ここにはないのだ。俗世での大きな修業のために、わたしが祝福してあげよう。お前はこれからまだ、たくさん遍歴を重ねねばならぬ。結婚もせねばならぬだろう、当然。ふたたび戻ってくるまでに、あらゆることに堪えぬかねばなるまい。やることは数多く出てくるだろうしの。しかし、わたしはお前を信頼しておる。だからこそ、送りだすのだ。お前にはキリストがついておる。キリストをお守りするのだ、そうすればお前も守ってもらえるのだからの。お前は大きな悲しみを見ることだろうが、その悲しみの中で幸せになれるだろう。悲しみのうちに幸せを求めよ――これがお前への遺言だ。働きなさい、倦むことなく働くのだよ。今日以後、わたしのこの言葉を肝に銘じておくといい。なぜなら、これからもお前と話をすることはあるだろうが、わたしの余命はもはや日数ではなく、時間まで限られているのだからの」

「どうして君はそんなに何もかも知っているんだい? なぜそんなに確信をもって言えるの?」突然アリョーシャが眉をひそめて、きびしくたずねた。
「じゃ、なぜ君は今そうやって質問しながら、きく前から僕の返事を恐れているんだね? つまり君自身も、僕が真相を語っているってことを認めてるわけさ」
「君はイワンがきらいなんだよ。イワンは金に釣られたりしないさ」
「そうだろうか? じゃ、カテリーナ・イワーノヴナの美しさには? この場合、金だけじゃないさ、もっとも六万ルーブルは魅力的な代物ではあるけど」
「イワンの狙いはもっと高いところにあるんだよ。イワンはどんな大金にだって釣られやしないさ。イワンが求めているのは金や、平安じゃないもの。ひょっとしたら、苦悩を求めているのかもしれないよ」
「これはまた何の寝言だい? いや、君らは……貴族だよ!」
「ああ、ミーシャ、兄さんの心は嵐のようにはげしいんだよ。思考が一つことにとらわれているんだ。兄さんの思想は偉大だけれど、まだ未解決のままなのさ。兄さんはね、何百万の金だろうと見向きもせず、思想の解決だけを必要とするタイプの人間なんだよ」
「そりゃ文学的な剽窃ってもんだよ、アリョーシャ。長老の二番煎じじゃないか。とにかくイワンは君らに謎をぶつけたもんだ!」敵意を露骨に示して、ラキーチンが叫んだ。顔つきまで変り唇がゆがんだ。「しかも、その謎たるや愚にもつかぬもので、わざわざ解くほどのことはないやね。ちょいと頭を働かしゃ、わかるんだ。彼の論文なんざ、こっけいで愚劣なものさ。さっきも『不死がなければ、善行もないわけであり、したがってすべてが許される』という、ばからしい理論をきかされたがね(それはそうと、あのときミーチャは『おぼえときましょう!』なんて叫んでたっけな)、卑劣漢には魅惑的な理論さ……いや、これじゃ悪口になってしまう、ばかげた話だ……卑劣漢じゃなく、《解決しえぬほど深い思想を持つ》中学生じみたほら吹き、と言い直そう。単なるハッタリさ、その本質たるや、『一面から言えば認めざるをえないし、他面から言っても認めぬわけにはいかない』というだけのことじゃないか。彼の理論なんざ、卑劣そのものだよ! 人類はね、たとえ不死を信じなくとも、善のために生きる力くらい、ひとりで自分の内部に見いだすさ! 自由、平等、同胞主義などへの愛の中に見いだすにちがいないんだ……」
 ラキーチンはすっかりむきになり、ほとんど自分を抑えることができぬほどだった。だが突然、何かを思いだしたように、ふっと黙った。



ラキーチンがあとで話してくれたところでは、この日は五皿の料理が用意されていたという。鱒魚のスープに、魚をつめたピロシキ、そのあと何か一種特別なすぐれた調理法による蒸し魚。さらに鱒魚の捏ね揚げ、アイスクリーム、果物の砂糖煮、そして最後がミルク・ゼリーのようなプリンという献立である。これはみな、ラキーチンがこらえきれずに、かねてから顔のきく修道院長の調理場をわざわざのぞいて、嗅ぎだしてきたのだった。彼はどこでも顔がきき、どこに行っても情報源をつかんでくるのだった。いたって落ちつきのない、嫉妬深い心の持主なのだ。すぐれた才能を十分自覚してはいるのだが、持ち前のうぬぼれから神経質なほどそれを誇張してみせるのである。やがて自分が何らかの面で活躍することを、当人はたしかに承知していたのだろうが、彼と非常に親しくしているアリョーシャを悩ませたのは、この親友ラキーチンが不正直なくせに自分ではまるきりそれを意識しておらず、むしろ逆に、自分はテーブルの上の金を盗むような人間ではないと自覚しているため、きわめて正直な人間とすっかり自分できめてかかっている点だった。こうなるともう、アリョーシャのみならず、だれであろうと、手の施しようがないにちがいない。


 フョードルが最後のとっぴな振舞いに出たのも、まさにこの時だった。断わっておかねばならないが、彼は本当に帰る気になりかけていたのだし、長老の庵室であんな恥さらしな行いをしたあと、何事もなかったような顔をして修道院長のところへ昼食をよばれにいくことはできぬと、事実、感じもした。といって、ひどく恥じ入ったり、自責の念にかられたりしたわけではなく、むしろあべこべだったかもしれないが、それでもやはり、食事をするのは失礼だと感じたのである。だが、宿坊の玄関へがたぴし音のする馬車がまわされ、もはや乗りこむ段になってから、彼はふいに足をとめた。長老のところで言った自分の言葉を思い起したのだった。「わたしゃいつも、どこかへ行くと、自分がだれより卑劣な人間なんだ、みなに道化者と思われているんだ、という気がしてならないんです。それならいっそ、本当に道化を演じてやろう、なぜってあんたらは一人残らず、このわたしより卑劣で愚かなんだから、と思うんでさ」彼は自分自身のいやがらせに対する腹癒せを、みなにしてやりたくなった。そこへたまたま今になって、いつだったか、もっと以前に一度、「あなたはどうして、だれそれをそんなに憎んでいるんです?」ときかれたときのことを、ふいに思いだした。そのとき彼は、日ごろの破廉恥な道化ぶりの発作にかられて、こう答えたものだった。「つまり、こういうわけでさ。そりゃたしかに、あの男は何もわたしにしませんでしたよ、その代りわたしのほうが恥知らずないやがらせをしてやったんでさ。しかも、やってのけたとたんに、それが原因であの男が憎らしくなったんですよ」今このことを思いだし、しばし考えに沈んだまま、彼は声もなく憎さげにせせら笑った。目がきらりと光り、唇までがふるえはじめた。『なに、毒食わば皿までだ』だしぬけに彼は決心した。この瞬間、胸奥に秘めた感じは、こんな言葉で表現しえたにちがいない。『今となっちゃ、どうせ名誉挽回もできないんだから、いっそ恥知らずと言われるくらい、やつらに唾をひっかけてやれ。お前らなんぞに遠慮するもんか、と言ってやろう、それだけの話さ!』馭者にしばらく待つよう命ずると、彼は急ぎ足に修道院にとって返し、まっすぐ院長のところに向った。自分が何をしでかすか、まだよくわからなかったが、もはや自制がきかず、ちょっとした刺激で今や一瞬のうちに何か低劣さのぎりぎりの線まで堕ちてしまうことはわかっていた。と言っても、低劣というだけのことで、決して何か犯罪とか、あるいは法廷で罰せられるような行為ではなかった。後者の場合、彼はいつもほどほどに抑えておくすべを心得ており、ときにはわれながら感心するくらいだった。修道院長の食堂に彼が姿をあらわしたのは、まさに、お祈りが終ってみなが食卓に移ったその瞬間だった。戸口に立ちどまって、一同を睨めまわすと、彼はみなの目を不敵に眺めやりながら、ふてぶてしい、憎さげな長い笑い声をたてた。

「これだ、これだからな! 偽善だ、古くさい台詞だ! 台詞も古けりゃ、しぐさも古くさいや! 古めかしい噓に、紋切型の最敬礼ときた! そんなおじぎは、こちとら承知してまさあね! シラーの『群盗』にある『唇にキスを、胸には短剣を』ってやつだ。神父さん、わたしゃ嘘がきらいでね、真実がほしいんですよ! しかし、真実はウグイの中にゃありませんぜ、わたしが言ったのもそこでさあ! ね、神父さんたち、あんた方はなぜ精進をなさるんです? どうして、それに対するご褒美を天国に期待してるんです? そんなご褒美にありつけるんなら、わたしだって精進しまさあね! だめですよ、尊いお坊さん、修道院なんぞにひっこもって据膳をいただきながら、天国でのご褒美を期待していたりせずに、この人生で徳をつんで、社会に益をもたらすことですな、そのほうがずっとむずかしいんだから。わたしだってまともなことを言えるでしょうが、院長さん。ところで、ここにゃご馳走がならんでるんだろう?」彼は食卓に近づいた。「ファクトリーの古いポートワインに、エリセーエフ兄弟製造の蜂蜜酒か、いやはや、神父さん! こいつはちとウグイとは様子が違うようですな。神父さんが酒壜をならべるとはね、へ、へ、へ! いったい、こういうものをすべて、ここへもたらしてくれたのは、だれでしょうな? それはね、ロシアの百姓でさ、勤労者がマメだらけの手で稼いだわずかばかりの金を、家族や国家の必要からもぎとって、ここへ納めたんですよ! あんた方はね、尊い神父さんたち、民衆を食いものにしてるんですぜ!」

マルファの指摘によると、彼はこの墓所のとき以来、もっぱら《神さまのこと》を学ぶようになり、たいてい一人で黙々と、そのつど大きな丸い銀縁の眼鏡をかけて『殉教者列伝』を読んでいた。大斎気の時をのぞいて、声をあげて読むことはめったになかった。ヨブ記を好んで読み、またどこからか《われらが神の体得者イサク・シーリン神父》(訳注 七世紀の隠遁者)の箴言・説教集を手に入れてきて、何年も根気よく読みつづけ、そこに書いてあることはほとんど何一つわからなかったが、たぶんそれだからこそこの本をいちばん大切にし、愛読したのにちがいなかった。ごく最近になって、たまたま近くでその機会に恵まれたため、鞭身教の教えに耳を傾け、学ぶようになって、どうやら感動を受けたらしかったが、新しい宗派に移ろうという気は起さなかった。《神さまのこと》に関する造詣は、当然のことながら、彼の容貌にいっそう重々しさを与えた。

 アリョーシャは、父が修道院を出しなに馬車の中から叫んだ命令をきくと、しばらくの間ひどく不審そうにその場にとどまっていた。といっても、呆然と立ちつくしていたわけではなく、彼に限ってそんなことはなかった。むしろ反対に、彼は不安にかられて、すぐさま修道院長の台所に駆けつけ、父が上の食堂で何をしでかしたかをききだした。しかし、そのあと、自分をいま苦しめている問題も町へ行くみちみちなんとか解決できるだろうと期待しながら、歩きだした。あらかじめ言っておくが、父のどなり声や、《枕や布団をかついで》家に移ってこいという命令など、彼は少しも恐れていなかった。きこえよがしに、それもあんな芝居じみた大声での、帰ってこいという命令が、つい《調子にのりすぎて》、いわば格好をつけるために言ったものであることくらい、わかりすぎるほど、よくわかっていた――ちょうど、つい先ごろ、この町のさる町人が、自分の名の日の祝いに、すっかり酔払ったあげく、それ以上ウォトカを出してもらえないのに腹を立て、客の前だというのに、いきなり自分の家の食器を割ったり、自分や妻の服を引き裂いたり、家具をたたきこわしたりしはじめ、はては家の窓ガラスまでたたき割ったりしたことがあったが、これもみな、やはり格好をつけるためだった。だから、いま父に起ったことも、もちろん、これと同じ類いにきまっている。酔払った町人が、翌日しらふに返ってから、割った茶碗や皿を惜しがったことは言うまでもない。老人も明日になればきっと自分をまた修道院に送り返すにきまっているし、ことによると今日にも送り返すかもしれないことが、アリョーシャにはわかっていた。それに、父がほかのだれかをならともかく、この自分を侮辱する気など起しっこないという自信も十分にあった。アリョーシャは、世界中のだれ一人、決して自分を侮辱しようなどと思わぬことを、いや、単に思わぬばかりか、侮辱するはずもないことを確信していた。彼にとってこれは、理屈ぬきにきっぱりと与えられた公理だったので、その意味では彼はなんのためらいもなく、先へ進んでゆくことができた。

 嗚咽がふいにミーチャの胸奥からほとばしりでた。彼はアリョーシャの手をつかんだ。
「なあ、アリョーシャ、屈辱だよ、今だって屈辱に泣いているのさ。この地上で人間は、恐ろしいほどいろいろなことに堪えていかなけりゃいけないんだ。人間には恐ろしいほどたくさん災厄がふりかかるんだよ! この俺を、コニャックばかり飲んで放蕩の限りをつくしている、将校の肩章をつけたただの下種野郎にすぎない、なんて思わないでくれ。俺はね、ほとんどこのことばかり考えているんだ。この虐げられた人間のことばかり考えているんだよ、ほらを吹いていないかぎりはな。これからは、ほらを吹いたり、空威張りしたりしたくないもんさ。俺がそういう人間のことを考えるのは、つまり自分自身がそういう人間だからさ。

 卑しい世界から人が
 心で立ち直るためには、
 古き母なる大地と
 とわの契りを結ぶことだ。
(訳注 ドミートリイは自己の告白を『歓喜の歌』によってではなく、同じシラーの詩の『エレウシスの祭』によってはじめている)

 ただ問題は、どうやってこの俺が大地ととわの契りを結ぶかってことだよ。俺は大地に接吻もしないし、大地の胸を切りひらきもしない。いっそ俺は百姓か牧夫にでもなるべきなんだろうか? 俺はこうして歩みつづけながら、いったい自分が悪臭と恥辱の中に落ちこんだのか、光と喜びの世界に入ったのか、わからない。そこが困るんだな、なにしろこの世のすべては謎だよ! よく、恥さらしな放蕩のいちばん深いどん底にはまりこむようなことがあると(もっとも、俺にはそんなことしか起らないけど)、俺はいつもこのケレースと人間についての詩を読んだものだ。じゃ、この詩が俺を改心させただろうか? とんでもない! なぜって、俺はカラマーゾフだからさ。どうせ奈落に落ちるんなら、いっそまっしぐらに、頭からまっさかさまにとびこむほうがいい、まさにそういう屈辱的な状態で堕落するのこそ本望だ、それをおのれにとっての美と見なすような人間だからなんだ。だから、ほかならぬそうした恥辱の中で、突然俺は讃歌をうたいはじめる。呪われてもかまわない、低劣で卑しくともかまわないが、そんな俺にも神のまとっている衣の裾に接吻させてほしいんだ。一方では同時に悪魔にのこのこついて行くような俺でも、やはり神の子なんだし、神を愛して、それなしにはこの世界が存在も成立もしないような愛を感じているんだよ。

 神の子なる人の魂を
 永遠の喜びはうるおし、
 発酵の神秘な力もて
 生の杯を燃えあがらせ、
 小草を光にいざない、
 混沌(カオス)を育てて太陽となし、
 星占いの力にあまる
 広大な空間にみちあふれる。

 恵み深き自然の乳房より
 生あるものすべてこの喜びを吸い、
 すべての生きもの、すべての民を
 この喜びがひきつける。
 不幸に沈むわれわれに友と、
 ぶどうの露と、美の女神の冠とをさずける。
 情欲は虫けらに与えられたもの、
 だが天使は神の御前に立つ。
(訳注 これがシラーの『歓喜の歌』第四節、第三節であるが、詩句はだいぶ異なっている)

 だが、詩はもうたくさんだ! つい涙なんぞ流したが、泣かせといてくれ。たとえみんなが笑うような愚かしさだとしても、お前は違うものな。ほら、お前だって目がかがやいているじゃないか。詩はもういい。今度はお前に《虫けら》のことを話したいんだよ、神に情欲を授けてもらったやつらのことをな。

 情欲は虫けらに与えられたもの!

 俺はね、この虫けらにほかならないのさ、これは特に俺のことをうたっているんだ。そして、俺たち、カラマーゾフ家の人間はみな同じことさ。天使であるお前の内にも、この虫けらが住みついて、血の中に嵐をまき起すんだよ。これはまさに嵐だ、なぜって情欲は嵐だからな、いや嵐以上だよ! 美ってやつは、こわい、恐ろしいものだ! はっきり定義づけられないから、恐ろしいのだし、定義できないというのも、神さまが謎ばかり出したからだよ。そこでは両極が一つに合し、あらゆる矛盾がいっしょくたに同居しているからな。俺はひどく無教養な人間だけれど、このことはずいぶん考えたもんだ。恐ろしいほどたくさん秘密があるものな! 地上の人間はあまりにも数多くの謎に押しつぶされているんだ。この謎を解けってのは、身体を濡らさずに水から上がれというのと同じだよ。美か! そのうえ、俺が我慢できないのは、高潔な心と高い知性とをそなえた人間が、マドンナ(訳注 聖母マリヤのこと)の理想から出発しながら、最後はソドム(訳注 古代パレスチナの町。住民の淫乱が極度に達し、天の火で焼かれた)の理想に堕しちまうことなんだ。それよりもっと恐ろしいのは、心にすでにソドムの理想をいだく人間が、マドンナの理想をも否定せず、その理想に心を燃やす、それも本当に、清純な青春時代のように、本当に心を燃やすことだ。いや、人間は広いよ、広すぎるくらいだ、俺ならもっと縮めたいね。何がどうなんだか、わかりゃしない。そうなんだよ! 理性には恥辱と映るものも、心にはまったくの美と映るんだからな。ソドムに美があるだろうか? 本当を言うと、大多数の人間にとっては、ソドムの中にこそ美が存在しているんだよ――お前はこの秘密を知っていたか、どうだい? こわいのはね、美が単に恐ろしいだけじゃなく、神秘的なものでさえあるってことなんだ。そこでは悪魔と神がたたかい、その戦場がつまり人間の心なのさ。もっとも、人間てのは、痛むところがあると、その話ばかりするもんだ。それじゃ、いよいよ本題に入ろうか」


「僕が赤くなったから、そんなことを言うんですね」アリョーシャがだしぬけに言った。「僕が赤くなったのは、兄さんの話のせいでもなけりゃ、兄さんのしたことに対してでもなく、僕も兄さんとまったく同じだからなんです」
「お前がだって? おい、ちょいと無理したじゃないか」
「いいえ、無理してるわけじゃないんです」アリョーシャはむきになって言った(どうやら、この思いはもうだいぶ前から心にあったようだった)。「しょせん同じ階段に立っているんですよ。僕はいちばん下の段だし、兄さんはもっと上の、どこか十三段目あたりにいるってわけです。僕はこの問題をそんなふうに見ているんですよ、しかしどっちみち同じことで、まるきり同類なんです。いちばん下の段に足を踏み入れた者は、どうせ必ず上の段にまでのぼっていくんですから」
「じゃ、つまり、全然足を踏み入れずにいるべきなんだな?」
「できるなら、まるきり足を踏み入れないことですね」
「で、お前はできるのか?」
「たぶんだめでしょうね」

「彼女が愛しているのは自分の善行で、俺じゃないんだよ」

 ところが、このバラムの驢馬がふいに口をききはじめたのである。たまたま奇妙な話題になった。今朝早くグリゴーリイがルキヤーノフの店に買出しに行って、そこでさるロシアの兵士の話をきいてきたのだが、その兵士はどこか遠い国境で、アジヤ人の捕虜になり、ただちに虐殺すると脅迫されながら、キリスト教を棄てて回教に改宗することを迫られたのに、信仰を裏切るのをいさぎよしとせずに苦難を甘んじて受け、皮を剥がれ、キリストを讃美したたえながら死んでいったという――この英雄的な行為はちょうどこの日配達された新聞にものっていた。その話をグリゴーリイが食事の席ではじめたのである。フョードルは以前から、食後デザートのときにいつも、たとえグリゴーリイが相手でも、一笑いしたり、しゃべったりするのが好きだった。このときも軽やかな、快くくつろいだ気分になっていた。コニャックをなめながら、伝えられたこのニュースをきき終ると、彼は、そういう兵士はすぐに聖者に祭りあげて、剥がれた皮はどこかの修道院に寄付すべきだ、「そうすりゃ人がわんさと殺到して、賽銭も集まるしな、と感想を述べた。グリゴーリイは、フョードルが少しも感動せず、いつもの癖で冒瀆しはじめそうな気配を見てとり、眉をひそめた。そのとたん、戸口に立っていたスメルジャコフがふいに薄笑いをうかべた。スメルジャコフはこれまでもちょいちょい、食事の終りころにテーブルのわきに侍ることを許されていた。イワンがこの町に来たそのときから、彼は昼食にはほとんどいつも姿を見せるようになっていた。
「なんた?」フョードルが、すかさずその薄笑いを見とがめ、それがグリゴーリイに向けられたものであることをもちろんさとって、たずねた。
「今のお話ですが」だしぬけに大声で、思いがけなくスメルジャコフがしゃべりはじめた。「その立派な兵士の英雄的な行為が、たいそう偉大だとしましても、ですね。わたしの考えでは、かりにそんな不慮の災難にあって、キリストの御名と自分の洗礼とを否定したとしても、ほかならぬそのことによって苦行のために自分の命を救い、永年の間にそれらの善行で臆病をつぐなうためだとしたら、やはり何の罪もないだろうと思うんです」
「どうしてにならないんだ? いい加減なことを言うな、そんなことを言うと、まっすぐ地獄に落ちて、肉みたいに焼かれちまうぞ」フョードルが合の手を入れた。
 ちょうどこのとき、アリョーシャが入ってきたのだった。すでに見たとおり、フョードルはアリョーシャのきたのをひどく喜んだ。
「お前むきのテーマだよ、お前のテーマだ!」アリョーシャをきき手役に坐らせながら、彼は嬉しそうに笑った。
「羊肉などとおっしゃいますが、それは違います。そういうことをしたからといって、べつに地獄でどうなるわけのものでもございませんし、公正に申しますなら、そんな目に会うはずもございまをんですよ」スメルジャコフがしかつめらしく言った。
「公正に申しますならってのは、どういうことだ」 フョードルが膝でアリョーシャをつつきながら、いよいよ楽しそうに叫んだ。
「人でなしめ。こういうやつなんだ! ふいにグリゴーリイがロ走った。彼は怒りにもえて、まともにスメルジャコフの目をにらみつけた。
「人でなしよばわりは、しばらくお控えください、グリゴーリイ・ワシーリエウィチ」冷静な、控え目な態度で、スメルジャコフが反論した。「それより自分で考えてごらんなさい、もしわたしがキリスト教の迫害者の捕虜になって、神の御名を呪うことや、神聖な洗礼を否定することを強要されたとしたら、わたしは自分の分別でそれを決める完全な権利を持っているんですよ、なぜってこの場合どんな罪もないんですからね」
「それはさっき言ったじゃないか、くどくど言わずに、論証してみろ!」フョードルが叫んだ。
「田舎コックのくせに!」グリゴーリイがさげすむようにつぶやいた。
「田舎コックよばわりも、しばらくお控えください。そう罵らずに、自分で考えてごらんなさいよ、グリゴーリイ・ワシーリエウィチ。だって、わたしが迫害者たちに『いいえ、わたしはキリスト教徒じゃありません、自分の本当の神を呪っているんです』と言うやいなや、そのとたんにわたしは特に最高の神の裁きによって、ただちに呪われた破門者にされ、まるきり異教徒と同じように神聖な教会から放逐されてしまうんですからね。それこそ、言葉を口に出したとたんどころか、言おうと考えるやいなや、その瞬間にですよ。だから、わたしが放逐されるのに、四分の一秒とかかりゃしないんです、そうでしょうが、グリゴーリイ・ワシーリエウィチ?」
 実際にはもっぱらフョードルの質問にだけ答え、自分でもそれをよく承知しているくせに、いかにもそれらの質問を発したのがグリゴーリイであるかのようなふりをしながら、彼は露骨に満足の色を示してグリゴーリイに向って言った。
「おい、イワン!」ふいにフョードルが声をかけた。「ちょっと耳をかせよ。あれはみんなお前のためにやってるんたぞ、ほめてもらおうと思ってさ。ほめてやれよ」
 イワンは父親の悦に入った言葉を、しごく大まじめにききとった。
「待て、スメルジャコフ、ちょっと黙ってろ」またフョードルが叫んだ。「イワン、もう一度耳をかせよ」
 イワンはまた、しごく大まじめな顔で身を傾けた。
「俺はお前を、アリョーシャと同じように好きなんだ。俺がきらってるなんて思わんでくれよ。コニャックはどうだ?」
「いただきましょう」『そんなこと言ったって、自分はすっかり酔払ってるじゃないか』イワンはまじまじと父を眺めた。スメルジャコフのことは、極度の好奇心とともに観察していた。
「お前は今だって呪われた破門者だよ」ふいにグリゴーリイがかっとなった。「あんなことをぬかしたあとで、よくも四の五の理屈をこねられるもんだな、かりに、だよ……」
「そう悪態をつくな、グリゴーリイ、悪態はよせ!」フョードルがさえぎった。
「ちょっと待ってくださいよ、グリゴーリイ・ワシーリエウィチ、ほんのしばらくの間で結構ですから、話のつづきをきいてください、まだ終ってないんですから。というわけで、わたしがただちに神さまに呪われたとたん、まさにその最高の瞬間に、わたしはもう異教徒と同じになって、洗礼も解かれ、何事にも責任がなくなってしまうんですよ、せめてこの辺くらいは間違っていないでしょう?」
「結論を言えよ、おい、早く結論を言え」さもうまそうにグラスを傾けながら、フョードルはせっついた。
「もしわたしがキリスト教徒でなければ、迫書者たちに『お前はキリスト教徒なのか、そうじゃないのか』と質問されたときにも、つまり嘘をつくことにはならないわけですよ、なぜって、わたしがそう考えただけで、まだ迫書者たちに口をきかぬうちに、神みずからの手でわたしはキリスト教徒の資格を剥ぎとられてしまっているんですからね。そこで、すでに資格を剥ぎとられているとしたら、いったいどういうわけで、どんな正義にもとづいて、あの世へ行ってから、信仰を棄てたことに対してキリスト教徒と同じように、責任を問われなけりゃいけないんですか、実際には信仰を棄てる前に、そう考えただけで、わたしは洗礼を剥奪されてしまっているというのに? わたしがすでにキリスト教徒でないとしたら、つまり、キリストを棄てることもできないわけです、だってそうなれば棄てるものもないわけですしね。グリゴーリイ・ワシーリエウィチ、異教徒のタタール人がたとえ天国に行ったとしても、その男がキリスト教徒として生れてこなかったことに対して、責任を問おうとする者なぞいませんし、一匹の牛から皮を二枚剥ぐわけにいかないってことは、だれだって承知してますから、そのことに対して罰を与えようとする者もいませんよ。それにまた、全能の神ご自身にしても、タタール人が死んでから、かりに責任を問うことがあるとしても、異教徒の両親から異教徒の子供が生れたからといって、それは本人の罪じゃないと判断なさって、まあ、まるきり罰しないわけにもいかないでしょうから、何かごく軽い罰を与えることでしょうよ。いくら主なる神でも、むりやりタタール人を捕えて、この男はキリスト教徒だったなどと言うわけにはいかないでしょう? そんなことをすりゃ、全能の神がまったくの嘘をつくことになりますからね。天と地の主たる全能の神が、たとえたった一言なりと、噓をつくわけにもいかないでしょうが?」
 グリゴーリイは呆然となり、目を剥いて弁士を見つめていた。言われていることはよくわからなかったけれど、わけのわからぬこれらの言葉からふいに何事かをさとり、壁にいきなり額をぶつけた人間のような顔つきで絶句した。フョードルはグラスを干し、甲高い笑い声を張りあげた。
「アリョーシカ、アリョーシカ、どうだ! いや、お前ってやつは、詭弁家だよ! こいつはどこかイエズス会にでも行ってきたんだな、イワン。まったく、悪臭芬々たるイエズス教徒め、いったいだれに教わったんだ? しかし、お前の言ってることは嘘っぱちだぞ、詭弁家め、でたらめさ、でたらめだとも。泣くな、グリゴーリイ、こんなやつは俺たちが今すぐ木端徴塵に打ち破ってやるさ。おい、驢馬、答えてみろ。かりに迫害者たちの前でお前が正しいとしても、やはりお前は心の中でみずから信仰を棄てたわけだし、自分でも言ってるとおり、その瞬間に呪われた破門者になっちまったんだ。破門者になった以上、やはり地獄に行ってから、破門された褒美に頭を撫でちゃくれんだろうよ。その点をどう思うんだい、立派なイエズス教徒はさ?」
「心の内でみずから棄教したことは、疑う余地もございませんが、それでもべつに特別の罪にはなりませんですね。かりに罪があるとしても、ごく当り前の罪ですよ」
「ごく当り前とは、どういうことだ!」
「嘘をつけ、罰あたりめ!」グリゴーリイがかすれ声でわめいた。
「自分で考えてごらんなさいよ、グリゴーリイ・ワシーリエウィチ」勝利を意識しながら、敗れた相手を寛大に扱うといった感じで、まじめくさって淀みなくスメルジャコフがつづけた。「自分で考えてごらんなさい、グリゴーリイ・ワシーリエウィチ。聖書にだって書いてあるでしょうに。せめていちばん小さな穀粒ほどの信仰を持っているなら、この山に向って、海に入れと言えば、山はその命令一つで、少しもためらうことなく、海に入るだろうって。どうですか、グリゴーリイ・ワシーリエウィチ、もしわたしが不信心者で、あなたがのべつわたしを叱りつけるほど信仰が篤いんだったら、ためしに自分であの山に向って、海にとは言わぬまでも(なぜって海はここから遠いですしね)、うちの庭の裏を流れている、あの臭い溝川(どぶがわ)になりと入るように命じてごらんなさいよ、そうすればそのとたんに、いくらあなたが叫んだところで、何一つ動こうとせず、何もかも今までどおりそっくりしつづけていることが、わかるでしょうから。これはつまり、グリゴーリイ・ワシーリエウィチ、あなただって本当の意味では信仰しておらずに、ほかの者をなんだかんだと叱りとばしているだけだってことじゃありませんか。あなただけじゃなく、現代ではだれ一人、それこそいちばん偉い人から、いちばんどん尻の百姓にいたるまで、文字どおりだれ一人、山を海に入らせることなぞできやしないんです。もっともこの地上全体に一人か、多くて二人くらいは、そんな人もいるかもしれませんが、それだってどこかエジプトの砂漠あたりで、こっそり行を積んでいるでしょうから、見つかりっこありませんよ。だとすればですね、もし、あとの人たちがみんな、つまり、その二人ばかりの隠者を除いて、この地上の住人がみんな不信心者ということになれば、はたしてその人たち全部を神さまが呪って、あれほど慈悲深いことで知られておいでなのに、だれ一人赦してくださらぬ、なんてことがあるもんでしょうか? だからわたしは、いったん疑ったとしても、後悔の涙を流せば、赦してもらえるだろうと期待しているんです」
「ちょっと待った!」フョードルがすっかり熱中して金切り声をあげた。「すると、山を動かすことのできる人間が二人はいるのか。お前もやはりそういう人間はいると思うんだな? おい、イワン、おぼえておけよ、書きとめておくといい。まさにここでロシア人が顔をのぞかせたな!」
「その指摘はまさに正しいですね、これは信仰における民族的な一面ですよ」肯定の徴笑をうかべて、イワンが同意した。
「お前も同意するか! お前が同意なら、つまり、それにちがいないんだ! アリョーシカ、本当だろう? まさにロシア的な信仰だろうが?」
「いいえ、スメルジャコフのは、全然ロシア的な信仰じゃありませんよ」アリョーシャが真顔できっぱりと言った。
「俺はこいつの信仰のことを言ってるんじゃない、こういう一面を言ってるんだよ、二人の隠者という、まさにその一面だけを言っているのさ。どうだ、ロシア的だろう、ロシア的だろうが?」
「ええ、そういう面はまったく口シア的ですね」アリョーシャが徴笑した。
「おい、驢馬、お前の今の一言は金貨一枚の値打ちがあるよ。今日にも届けてやる。しかし、そのほかのことは、やはり嘘っぱちだよ、そう、嘘っぱちだとも。おぼえておけよ、ばか者、ここにいる俺たちみんなは、軽薄だから信心していないだけなんだ、そんな暇がないからだよ。第一、仕事がしんどいし、第二に、神さまが時間を少ししかくださらず、一日にわずか二十四時間しか割りふってくださらなかったもんだから、悔い改めることはおろか、十分に眠る暇もありゃしない。お前だって迫害者の前で信仰を棄てるのは、信仰以外に何も考えることがないときだからの話で、本当はそういうときこそ信仰を示さにゃならんはずなんだぞ! そういうことになると思うがね?」
「なることはなりますがね、でも考えてごらんなさいよ、グリゴーリイ・ワシーリエウィチ、そうなるからこそ、なおのこと気が楽なんですよ。かりにそのときわたしが、信仰の手本みたいに、本当に信仰していながら、自分の信仰のために迫害を受けることをせず、いまわしいマホメット教にでも転向したとすれば、たしかに罪深いでしょうよ。でも、そういう場合なら、迫害を受けるまでにいたりもしないはずです。なぜって、わたしがその瞬間に山に向って、動け、この迫害者を押しつぶしてくれ、と言いさえすれば、山が動きだして、たちどころに迫害者を油虫みたいに押しつぶしてくれるでしょうし、わたしは何事もなかったように、神をたたえ崇めながら帰ってこられるはずですからね。でも、もしわたしが、まさしくそうした瞬間にあらゆることを試みた末、もはや山に向って、この迫害者どもを押しつぶしてくれと、わざわざ頼んでも、山が押しつぶしてくれなかったとしたら、どうしてその場合に疑いをいだかずにいられるでしょう、それも死というたいへんな恐怖を前にした恐ろしいときに、ですよ? それでなくたってわたしは、天上の王国にはとうてい行きつけないことを承知しているのに(なにしろ、わたしの言葉で山は動かなかったんですからね、つまり、わたしの信仰なんぞ天国ではあまり信用してもらえないんだし、あの世でわたしを待っている褒美もたいしたものじゃなさそうですからね)、いったい何のために、そのうえ、何の得にもならないのに、皮を剥がれなけりゃならないんですか? だいたい、背中の皮をすでに半分もひん剥かれたとしても、そのときになったってわたしの言葉や叫びでは山は動きやしないでしょうからね。そんな時になれば、疑いを起しかねぬどころか、恐ろしさのあまり分別そのものまで失くすかもしれないんです、そうすりゃ判断なんぞ全然できやしませんよ。とすれば、あの世にもこの世にも自分の利益や褒美が見あたらないために、せめて自分の皮くらい守ろうとしたからといって、なぜわたしが特に罪深いことになるんですか? だから、わたしは神さまのお慈悲を大いに当てにして、すっかり赦していただけるだろうという希望をいだいているんですよ……」

「あいつが肚の中で考えてることに関して言や、一般的に言って、ロシアの百姓はたたきのめす必要があるな。俺はかねがねそう唱えてきてるんだ。ロシアの百姓は騙りだよ、憐れむにはあたらん。今でもときおり殴るやつがいるのは、いいことだよ。ロシアの大地は白樺のおかげでしっかりしているんだからな。森をなくしちまったら、ロシアの大地は減びるさ。俺は賢い人間の味方だ。俺たちは利口すぎて百姓を殴るのをやめちまったけど、やつら自身は仲間うちで殴りつづけているよ。結構なことだ。おのれの裁きで裁かれる、とか何とか言ったな(訳注 マタイによる福音書第七章)……一口に言や、同じ報いがくるってことさ。それにしても、ロシアは低劣だよ。なあ、俺がどんなにロシアを増んでるか、わかってくれたらな……つまり、ロシアってわけじゃなく、こうしたすべての悪徳をさ……しかし、たぶんロシアもだろうよ。そはすべて低劣なりだよ(トウ・スラ・セ・ド・ラ・コシヨネリ)。俺が何を好きか、知ってるか? 俺が好きなのは諧謔だよ」
「また一杯飲みましたね。もう十分でしょうに」
「待てよ、もうあと一、二杯やったら、それで終りにするから。だめじゃないか、話の腰を折っちゃ。いつぞやモークロエ村で、通りすがりに一人の爺さんにきいたところ、こう言っとったよ。「そりゃもちろんわたしらは、みんなの決定にもとづいて娘っ子たちに鞭打ちの罰をくらわせるのが、なにより楽しみでさあ。鞭打ちの役はいつも若い衆にやらせるんですがね。そのあと必ず、今日鞭でひっぱたいた娘っ子を、明日はその若い衆が嫁にするんでさ。だから、当の娘っ子たちにもそれが楽しみなんですな」たいしたサド侯爵ばかりじゃないか、ええ? どうだい、諧謔に富んでいるだろ。われわれも見物に行きたいもんだな、え? アリョーシカ、赤くなったな? そう恥ずがしがるなよ、坊や。さっき院長の食事に出なかったんで、モークロエの娘っ子の話を坊さんたちにきかせてやらなかったのが、実に残念だよ。アリョーシカ、お前のとこの院長にさっき恥をかかせちまったけど、怒らんでくれよ。つい、かっとなっちまうんでな。もし神があるなら、神が存在するなら、もちろん俺は罪があるし、責任もとるけれど、もし神がまったく存在しないんだとしたら、お前のとこの神父たちなんぞ、もっとひどい目に会わせてやらなけりゃ。なぜって、やつらは進歩をはばんでいるんだからな。信じてくれるか、イワン、このことが俺の気持をかきむしるんだよ。いや、お前は信じてやしない、なぜってお前の目を見りゃわかるよ。お前は世間のやつらの言葉を信じて、俺がただの道化だと思っているんだ。アリョーシカ、俺がただの道化じゃないってことを、お前は信じてくれるかい?」
「ただの道化じゃないと信じています」
「お前がそう信じて、誠実に言ってくれてることは、俺も信ずるよ。目つきも話し方も誠実だからな。ところが、イワンは違う。イワンは傲慢だよ……とにかく、やはり俺はお前の修道院にけりをつけてやりたいな。ロシアじゅうのああいう神秘主義を一挙に全部ひっとらえて、ばか者どもをすっかり正気づかせるために、閉鎖しちまいたいくらいだ。そうすりゃ金や銀がごっそり造幣局に流れこむだろうしな!」
「でも、何のために閉鎖するんです」イワンが言った。
「真理が一日も早くかがやくためにさ、それが理由だよ」
「だって、真理がかがやきはじめたら、お父さんなんぞ、まず最初に財産を没収されて、そのあと……閉鎖でしょうね」
「やれやれ! だが、たぶんお前の言うとおりだろうな。ああ、俺も驢馬か」軽く額をたたいて、ふいにフョードルが叫んだ。「それじゃ、お前の修道院はあのまま残しとくことにしよう、アリョーシカ。で、われわれ聡明な人間は暖かいところに腰を据えて、コニャックでもいただくとするか。あのな、イワン、これはきっと神ご自身がわざとこういうふうに仕組んでくれたにちがいないぜ。イワン、答えてみろ、神はあるのか、ないのか? いや、ちょっと待て。ちゃんと言うんだぞ、まじめに言えよ! どうして、また笑ってるんだ?」
「僕が笑ったのは、山を動かすことのできる隠者が二人は存在するというスメルジャコフの信念に対して、さっきお父さん自身、機知に富んだ批評をなさったからですよ」
「それじゃ、今もそれに似てるっていうのか?」
「ええ、とてもね」
「と、つまり、俺もロシア人で、俺にもロシア的な一面があるってわけか。しかし、哲学者のお前にだってそういう一面は見つけられるんだぞ。なんなら、見つけてやろうか。賭けたっていい、明日にでも見つけてやるさ。とにかく答えてくれ。神はあるのか、ないのか? ただ、まじめにだぞ! 俺は今まじめにやりたいんだ」
「ありませんよ、神はありません」
「アリョーシカ、神はあるか?」
「神はあります」
「イワン、不死はあるのか、何かせめてほんの少しでもいいんだが?」
「不死もありません」
「全然か?」
「全然」
「つまり、まったくの無か、それとも何かしらあるのか、なんだ。ことによると、何かしらあるんじゃないかな? とにかく何もないってわけはあるまい!」
「まったくの無ですよ」
「アリョーシカ、不死はあるのか?」
「あります」
「神も不死もか?」
「神も不死もです。神のうちに不死もまた存するのです」
「ふむ。どうも、イワンのほうが正しそうだな。まったく考えただけでも、やりきれなくなるよ、どれだけ多くの信仰を人間が捧げ、どれだけ多くの力をむなしくこんな空想に費やしてきたことだろう、しかもそれが何千年もの間だからな! いったいだれが人間をこれほど愚弄しているんだろう? イワン、最後にぎりぎりの返事をきかせてくれ、神はあるのか、ないのか? これが最後だ!」
「いくら最後でも、やはりありませんよ」
「じゃ、だれが人間を愚弄してるんだい、イワン?」
「悪魔でしょう、きっと」イワンがにやりと笑った。
「じゃ、悪魔はあるんだな?」
「いませんよ、悪魔もいません」
「残念だな。畜生、そう言われたんじゃ、最初に神なんてものを考えだしたやつを、俺はどうしてやりゃいいんだい! ヤマナラシの木に縛り首にしても、まだもの足りないっていうのに」
「もし神を考えださなかったとしたら、文明も全然なかったでしょうね」
「なかっただろうか? 神がなければ、そうなるか?」
「ええ。コニャックもなかったでしょうね。とにかく、コニャックはもう取りあげなけりゃ」
「待て、待て、待ってくれよ、もう一杯だけ。俺はアリョーシャを侮辱しちまったな。怒らんだろうな、アレクセイ? なあ、かわいいアリョーシャ、アリョーシャ坊や!」
「いいえ、怒ってませんよ。お父さんの考えはわかっていますもの。お父さんは頭より心のほうが立派なんです」
「頭より心のほうが立派だと? ほう、おまけにそう言ってくれたのがお前だとはな? イワン、お前アリョーシャを好きか?」
「好きですよ」
「かわいがってやれ」フョードルはひどく酔っていた。「あのな、アリョーシャ、俺はさっきお前の長老に失礼を働いちまったな。でも、興奮していたんだよ。しかし、あの長老には諧謔があるな、お前どう思う、イワン?」
「たぶんあるでしょうね」
「あるさ、あるとも。あの男にはピュロンめいたところ(訳注 ギリシャの哲学者。懐疑論の祖)があるよ。あれはイ工ズス教徒だぞ、つまり、ロシアのな。育ちのいい人間にふさわしく、あの長老の心の中には、聖者を装って演技せにゃならんことに対して、ひそかな憤りが煮えくりかえっているんだよ」
「だって、長老は神を信じていますよ」
「これっぱかりも信じてないさ。知らなかったのか? 長老がみんなに自分の口から言っとるのに。つまり、みんなというわけじゃなく、訪ねてくる聡明な連中にさ。県知事のシュリツには、わたしは信じてはいるが何を信じているのかは自分でもわからないと、率直に言ったほどだ」

 老人は静まる気配もなかった。それまでおとなしかった酔払いが、突然くだを巻き、威張りちらしたくなる、酔いの限界に達したのである。

「俺にとっちゃな」得意の話題に入ったとたん、一瞬しらふに返ったように、彼はにわかに元気づいた。俺にとっちゃ……ええ、おい! お前らはまだ子供だし、小さな子豚も同然だから、わからんだろうが、俺にとって、これまでの生涯に醜い女なんて存在しなかったよ、これが俺の主義なんだ! お前たちにこれがわかるかい? わかるはずはないさな。お前らはまだ、血の代りに乳が流れてるんだし、殻が取りきれてないんだから! 俺の主義から言や、どんな女にだって、ほかの女には見いだせないような、畜生、度はずれにおもしろいところが見いだせるもんなんだぜ――ただ、そいつを見つけだすすべを知らなけりゃいかん。そこがミソさ! これは才能だよ! 俺にとっちゃ、醜女なんて存在しなかったね。女であるというそのことだけで、すでに全体の半分はそなわっているんだから……お前らになんぞわかるもんか! オールドミスでさえ、時には、どうしていたずらに年をとらせて、これまで目をつけなかったのかと、ほかのばか者どもに呆れかえるほかないような、すてきなところが見つかるもんだよ! はだしの小娘や醜女は、まず最初に面くらわせちまうことが必要なんだ、これが攻略のこつだよ。知らなかっただろう? そういう女はまず面くらわせといて、わたしみたいな賤しい女をこんな立派な旦那さまが見そめてくださったと、感激させ、射すくめて、恥じ入らせてしまわにゃいかんよ。いつの世にも召使と主人がありつづけるというのは、実にすばらしいことだ。それだから、いつでもこういう掃除女が見つかるんだし、そういう主人が現われるという仕組みさ、なにしろ人生の幸福に必要なのはこれだけなんだからな! まあ待て……よくきけよ、アリョーシカ、俺は死んだお前の母さんをいつも面くらわせてやったもんさ、ただ違うふうにだがね。俺はふだんは決して彼女にやさしくしてやらなかったんだが、潮時を見て、突然でれでれしはじめ、ひざまずいたり、足にキスしたりして、最後はいつだって――そう、まるでたった今のことみたいに思いだすな、最後はいつだってかわいらしい笑い声をあげさせたもんだった。小刻みな、大きくはないがよくひびく、神経質な、一種特別な笑い声をな。あれは彼女にしかない笑い声だったよ。彼女の病気がいつもそんなふうにして始まることを、俺は承知してたんだ。明日になれば 癲狂病みになって叫びだすってことも、今のこのかわいらしい笑いが何の喜びをあらわすものでもないってことも、知ってはいたんだが、しかし、たとえ偽りでも、喜びにはちがいないからな。あらゆるものの中にその特徴を見つける腕というのは、つまり、こういうことだよ!


『神さま、先ほどのあの人たちをみな、お憐れみください。不幸な、落ちつかぬあの人たちを守って、道をお示しください。あなたは道をご存じです。あの人たちに道を示して、お救いください。あなたは愛です。みなに喜びをお授けください!』

 朝早く、まだ夜明け前に、アリョーシャは起された。長老が目をさまし、非常な袞弱を感してはいたものの、それでもべッドから肘掛椅子に移りたいと望んだのである。意識ははっきりしていた。顔はきわめて疲労の色が濃いとはいえ、ほとんど嬉しそうにさえ見えるほど晴れやかだったし、眼差しも楽しそうで、愛想よく、よびかけているかのようだった。「ことによると、今日一日は持ちこたえられぬかもしれないよ」長老はアリョーシャに言った。そのあと、ただちに懺悔と聖餐式とを望んだ。懺悔聴聞僧はいつもパイーシイ神父ときまっていた。どちらの秘儀も終ると、塗油式がはじめられた。司祭修道士が集まり、庵室はしだいに修道僧たちでいっぱいになった。とかくするうち、日がのぼった。修道院からも人々がつめかけはじめた。儀式が終ると、長老はみなに別れを告げることを望み、一人ひとりに接吻した。庵室が狭いため、先に来た者は出て、ほかの者に席を譲った。アリョーシャは、ふたたび肘掛椅子に移った長老のわきに立っていた。長老はカの許すかぎり話し、説教した。その声は、弱々しくはあったが、まだかなりしっかりしていた。「あまり永年の間みなさんに説教しつづけてきたので、つまり永年の間大きな声でしゃべりつづけてきたため、しゃべっているのが、また、口さえ開けばみなさんに説教するのが習慣のようになってしまって、今みたいに弱っているときでさえ、沈黙しているほうが、しゃべるよりむずかしいほどになりましたよ」周囲に集まった人々を感動の目で眺めやりながら、長老は冗談を言った。アリョーシャはあとになって、このとき長老の言ったことのうち、いくつかを思いだした。しかし、話しぶりは明瞭だったし、声もなかなかしっかりしてはいたものの、話そのものはかなり脈絡のないものだった。彼はいろいろのことを話した。まるで、死の瞬間を前にして、一生のうちに言いつくせなかったことを、すべて言っておきたい、もう一度何もかも話しておきたい、それも単に説教のためだけではなく、自分の喜びと感激をみなと分ち合い、生あるうちにもう一度心情を吐露しておきたいと渇望するかのようだった……
「互いに愛し合うことです、みなさん」のちにアリョーシャが思いだしたかぎりでは、長老はこう説いた。「神の民を愛しなされ。わたしらは、ここに入ってこの壁の中にこもっているために、世間の人たちより清いわけではなく、むしろ反対に、ここに入った人間はだれでも、ここに入ったというそのことによってすでに、自分が世間のすべての人より、この世の何よりも劣っていると、認識したことになるのです……だから修道僧たる者は、この壁の中で永く暮せば暮すほど、ますます身にしみてそのことを自覚せねばなりません。でなかったら、ここに入る理由もないわけですからの。自分が世間のだれより劣っているばかりか、生きとし生けるものすべてに対して、さらには人類の罪、世界の罪、個人の罪に対して、自分に責任があると認識したとき、そのときはじめてわたしたちの隠遁の目的が達せられるのです。とにかく、われわれの一人ひとりがこの地上の生きとし生けるものすべてに対して疑いもなく罪を負うていることを、それも世界全体の一般的な罪というだけではなく、各人一人ひとりが地上のあらゆる人たち、すべての人に対して罪を負うていることを、わきまえねばなりません。この自覚こそ、修道僧の修業の、そしてまた地上のあらゆる人の栄誉にほかならないのです。なぜなら、修道僧とは何も特別な人間ではなく、地上のすべての人が当然そうなるべき姿にすぎんのですからの。そうなってこそはじめて、われわれの心は満つることを知らぬ、限りない、世界の愛に感動することでしょう。そのときこそ、あなた方の一人ひとりが愛によって全世界を獲得し、世界の罪をおのが涙で洗い清めることか可能になるのです……だれもが自分の心のまわりを歩み、たゆみなくおのれに懺悔することです。自分の罪を恐れることはありませぬ。たとえそれを自覚しても、後悔しさえすればよいので、神さまと取りきめごとなどしてはなりませぬぞ。くりかえして言いますが、おごりたかぶらぬことです。小人に対しておごりたかぶらず、大なる者に対してもおごりたかぶらぬことです。あなた方を斥ける者、辱しめる者、そしる者、中傷する者を憎んではいけません。無神論者、悪を説く者、唯物論者など、彼らのうちの善き者だけではなく、悪しき者をさえ憎んではいけない。とりわけ今のような時代には、彼らのうちにも善い人はたくさんいるのですからね。その人たちのことは、こんなふうに祈ってやるのです。主よ、だれにも祈りをあげてもらえぬ人々をお救いください、主に祈りを捧げようと思わぬ人々をもお救いください、とな。そして、さらにこう付け加えるといい。主よ、わたしはおごれる心からこう祈るのではございません、何となればわたし自身、だれよりも汚れた人間だからです、と……神の民を愛して、侵人者に羊の群れを略奪されぬようにするのです。もし、怠情や、いまわしいおごりの心や、そして何よりも物欲などにひたって眠っていれば、四方から侵入者がやってきて、あなた方の羊の群れを奪ってゆくでしょうからの。たゆまず人々に福音書の教えを説いてやりなさい……賄賂を受けてはなりませぬ……金銀を愛したり、貯えたりしてはなりませぬ……信仰を持ち、旗をかかげ持つことです。その旗を高くかかげてゆくのです……」
 もっとも、長老の話しぶりは、ここに記されている、のちにアリョーシャがまとめたものより、ずっと断片的だった。ときおり、長老は気力をふりしぼるかのように、びたりと口をつぐみ、息をあえがせていたが、しかし歓喜に包まれているかに見えた。みなが感動してきいていたものの、それでも多くの者が長老の言葉におどろき、そこに曖味さを見た……これらの言葉に思い当ったのは、のちのことである。

「家族の者が家で待っておるのだろう?」アリョーシャはロごもった。
「お前に用事があるのだろう? 明日だれかに今日行くと約束したのではないかね?」
「約束しました……父と……兄たちと……それからほかの人たちにも……」
「そらごらん。必ず行くのだよ。悲しむのではない。お前のいるところでこの地上での最後の言葉を言い残すことなしに、わたしは死なんからの。その言葉はお前に言うのだ、お前に遺言するのだよ。お前にな。なぜならば、お前はわたしを愛してくれているからの。だから今は、約束した人たちのところへ行っておあげ」
 出てゆくのはつらかったけれど、アリョーシャはただちに言いつけに従った。だが、地上での最後の言葉を、それも特に自分への遺言としてきかせるという約束は、彼の心を感激でふるわせた。町での用を全部すませて、なるべく早く戻ろうと、彼は急いだ。ちょうどそこへパイーシイ神父が、きわめて強烈な、思いがけぬ感銘を与えたはなむけの言葉を彼に送ったのだった。それはもう、二人揃って長老の庵室を出たときだった。
「常に肝に銘じておくのだよ」パイーシイ神父は何の前置きもなく、単刀直入にこう切りだした。
「俗世の学問は、一つの大きな力に結集し、それも特に今世紀に入ってから、神の授けてくださった聖なる書物に約束されていることを、すべて検討しつくしてしまったため、俗世の学者たちの冷酷な分析の結果、かつて神聖とされていたものは今やまるきり何一つ残っていないのだ。しかし、彼らは部分部分を検討して、全体を見おとしているので、その盲目ぶりたるや呆れるほどだよ。全体は以前と同じように目の前にびくともせずに立ちはだかっているというのに、地獄の門もそれを征服できんのだからのう。はたしてこの全体が十九世紀間にわたって生きつづけてこなかっただろうか、今も個々の心の動きの中に、大衆の動きの中に生きつづけているのではないかね? すべてを破壊しつくした、ほかならぬ無神論者たちの心の動きの中にも、それは以前と同じように、びくともせずに生きつづけているのだよ! なぜなら、キリスト教を否定し、キリスト教に対して反乱を起している人たちも、その本質においては、当のキリストと同じ外貌をし、同じような人間にとどまっておるのだからの。いまだに彼らの叡知も、心の情熱も、その昔キリストの示された姿より、さらに人間とその尊厳にふさわしいような立派な姿を創出することができないのだからな。かりにその試みがあったにせよ、できあがるのは奇形ばかりなのだ。このことを特に肝に銘じておくんだね、お前はまさに他界なさろうとしている長老さまによって、俗界におもむくよう定められたのだからの。おそらく、この偉大な日を思いだすことによって、わたしが心からのはなむけとして送ったこの言葉も忘れずにいられるだろう。なにぶん若いし、俗世の誘惑はきついので、お前の力だけでは堪えぬけないだろうからな。さ、それでは行っておいで、みなし児よ」
 この言葉とともに、パイーシイ神父は彼に祝福を与えた。修道院を出ながら、この思いがけぬ言葉を考えているうちに、アリョーシャはふいに、これまで自分に対して厳格できびしかったこの修道僧の内に、今や思いがけぬ新しい友と、自分を熱愛してくれる新しい指導者とを見いだしたことをさとった――さながら、ゾシマ長老がいまわのきわに彼のことを神父に託したかのようだった。『ことによると、お二人の間で本当にそんな話があったのかもしれない』――突然アリョーシャは思った。たった今きかされた、思いがけない学問的な考察こそ――ほかの何かではなく、まさにあの考察こそ、パイーシイ神父の心情の熱烈さを証明するものにほかならなかった。神父はできるだけ早く、アリョーシャの若い知性に誘惑とたたかうための防備を施し、遺言で託された若い精神のまわりに、自分でもそれ以上に堅固なものは考えつかぬような防壁をめぐらそうと、もはや急いでいたのだった。



「なるほどあいつは金をせびりはしない、それにどのみち俺からはびた一文もらえっこないしな。俺はな、アレクセイ、できるだけ長生きするつもりなんだ、このことは承知しておいてもらいたいね。だから俺には一カペイカの金だって必要なのさ、長生きすればするほど、ますます金は必要になってくるしな」夏物の黄色い麻で作った、ゆるやかな、垢光りのしているガウンのポケットに両手を入れたまま、部屋を隅から隅へ歩きまわりながら、彼はつづけた。「現在のところ俺はとにかく男で通用する。まだ、やっと五十五でしかないからな。だが、俺はあと二十年くらいは男として通用したいんだ。そうなると、年をとるにつれて、汚ならしくなるから、女たちは自分から進んでなんぞ寄りつきやしなくなるだろう、そこで金が必要になるというわけさ。だからこそ俺は今、自分だけのために少しでも多く貯めこんでいるんだよ、アレクセイ、わかっといてもらいたいね。なぜって俺は最後まで淫蕩にひたって生きつづけたいからさ、これも承知しておいてもらいたいな。淫蕩にひたっているほうが楽しくていい。みんなはそれを悪しざまに言うけれど、だれだってその中で生きているのさ、ただ、みんなはこっそりやるのに、俺はおおっぴらにやるだけだよ。この正直さのおかげで、世間の醜悪な連中に攻撃されるけれどな。アレクセイ、俺はお前の天国なんぞ行きたくないね、これは承知しといてもらいたいが、かりに天国があるとしたって、まともな人間なら天国とやらへ行くのは作法にはずれとるよ。俺の考えでは、寝入ったきり、もう二度と目をさまさない、それで何もかもパアさ。供養したけりゃ、するがいいし、したくなけりゃ、勝手にしろだ。これが俺の哲学だよ。昨日イワンがここでたいそう弁じたてたぜ、もっとも二人とも酔払ってたけど。イワンはほら吹きだな、何の学もありゃせん……それに格別の教養もないし、むっつり黙って、無言のまませせら笑ってやがる――それがあいつの手なんだ」

「僕が君たちみたいな鞄をさげていたころには、右手ですぐに出せるように、鞄を左側にさげていたもんだよ。君は鞄を右側にさげてるけど、それじゃ出しにくいだろ」
 アリョーシャは何らわざとらしい細工をこらさずに、いきなりこういう実際的な感想から話を切りだした。」ところで、大人が子供の、それも特に子供たちのグループ全体の信用をいきなり博するには、これ以外の話の切りだし方はないのだ。必ず、まじめに、事務的に、しかもまったく対等の立場で話をはじめなければならない。アリョーシャは本能でそれを理解していた。

 しかし、客間での話はもう終りかけていた。カテリーナは決意を秘めた顔つきをしてはいたものの、たいそう興奮していた。アリョーシャとホフラコワ夫人が入っていったとき、イワンは帰ろうとして立ちあがるところだった。顔がいくらか青ざめていたので、アリョーシャは不安な気持で兄を眺めた。ほかでもないが、アリョーシャにとって今この場で疑惑の一つが――ある時期から彼を苦しめつづけてきた一つの不安な謎が、解けようとしているのだった。すでにひと月ほど前から、アリョーシャはもう何回にもわたってさまぎまな方面から、兄のイワンがカテリーナを愛しており、特にドミートリイから本当に彼女を《横取りする》つもりでいるという話を、吹きこまれてきた。この話はアリョーシャをびどく不安がらせはしたものの、ごく最近まで突拍子もないものに思われていた。彼はどちらの兄をも愛していたので、二人の間のそうしたライバル関係を恐れた。にもかかわらず、当のドミートリイがだしぬけに昨日、弟イワンがライバルであることをむしろ喜んでいるし、そのことは彼ドミートリイをいろいろの面で助けてくれると、率直に告白したのだった。何の助けになるのだろう? グルーシェニカと結婚するうえでだろうか? だが、アリョーシャはそんな事態を、ぎりぎり最後の絶望的なものと見なしていた。そればかりでなく、アリョーシャはつい昨夜まで、カテリーナ自身は熱烈なほど一途に兄ドミートリイを愛しているのだと、疑いもなく信じていた。しかし、昨夜までそう信じていたにすぎない。そのうえ、なぜか彼にはかねがね、彼女がイワンのような男性を愛するはずがない、彼女の愛するのはドミートリイのような男性で、たとえそうした愛が突拍子もないものであるにせよ、現在ありのままの姿の兄を愛しているのだ、という気がしていた。ところが昨夜、グルーシェニカとのあの一幕のうちに、ふと彼には別のことが思いうかんだかのようだった。今しがたホフラコワ夫人のロにした《病的な興奮》という言葉が、彼をほとんど震えあがらせたのである。なぜなら、まさに今日の暁方、半ば目ざめた状態で彼はおそらく自分の見た夢に答えながらだろうが、ふいに「病的な興奮だ、病的な興奮さ」とロ走ったからだった。昨夜は一晩じゅう、カテリーナのところでの咋日のあの一幕を夢に見ていた。そこへ今ふいに、カテリーナは兄イワンを愛しているのに、何かの演技から、《病的な興奮》から、わざと自分を欺き、感謝の念から生じたとかいうドミートリイへの偽りの愛によってみすから自分を苦しめているにすぎないという、ホフラコワ夫人の端的な、一本気な断言が、アリョーシャをおどろかせたのだ。『そう、もしかすると、本当にあの言葉にまったくの真実があるのかもしれない!』だが、それならば、イワン兄さんの立場はどうなのだろう? カテリーナのような性格にとっては相手を支配することが必要なのであり、しかも彼女が支配しうるのはドミートリイのような相手だけで、イワンのような人間は決して支配できないだろうということを、アリョーシャは何かの本能によって感じていた。なぜなら、ドミートリイであれば、たとえ永い期間がかかるにせよ、最後には《幸福を感じながら》彼女に屈服することもありえようが(アリョーシャはそれを望みさえしたにちがいない)、イワンは違う、イワンが彼女に屈服するはずはないし、それにまたそんな屈服は彼に幸福をもたらさぬにちがいない。アリョーシャはなぜか心ならずもイワンに関して、こんな概念を勝手に作りあげていた。そして、今、客間に足を踏み入れたその瞬間、これらの迷いや思惑が頭の中にちらと浮び、走りすぎていった。さらにもう一つの考えが、突然、抑えきれぬ勢いで、ちらと浮んだ。「もし彼女がどっちも愛していないとしたら、どうだろう?』断わっておくが、アリョーシャは自分のこんな考えを恥じるかのように、このひと月のうちにそうした考えがうかぶたびに、自分を非難してきた。『愛情とか女性に関して、僕に何がわかるんだ、どうしてそんな結論を下せるというんだ』――そうした考えや推測がうかぶたびに、彼は非難をこめて思うのだった。にもかかわらず、考えずにはいられなかった。彼は、たとえば今、二人の兄の運命においてこうしたライバル関係があまりにも重大な問題であり、あまりにも多くのことがそれに左右されることを、本能によって理解していた。『毒蛇が別の毒蛇を食うたけさ』――兄のイワンは昨日、腹立ちまぎれに父と兄ドミートリイのことを、こう言った。してみれば、イワンの目から見れば兄ドミートリイは毒蛇なのだ、それも、ことによると、もうずっと以前から毒蛇なのではあるまいか? イワンがカテリーナを知ったそのとき以来ではないだろうか? あの言葉はもちろん、昨日イワンの口から思わずこぼれたのだが、思わず言っただけによけい重大なのだ。もしそうだとすれば、この場合どんな平和がありえよう? むしろ反対に、家庭内の憎しみと敵意の新しいきっかけになるだけではないだろうか? が、いちばん肝心なのは、彼アリョーシャが、どちらを憐れむべきか、一人ひとりに対して何を望んでやるべきか、という点だった。彼は二人の兄のどちらも愛している。しかしこんな恐ろしい矛盾の中で一人ひとりに何を望んでやればよいのだろう? この紛糾の中では、まるきり自分を見失ってしまいかねなかったが、アリョーシャの愛の性質は常に実行的であったため、彼の心は不明なことに堪えられなかった。受身に愛することは、彼にはできす、ひとたび愛したからには、ただちに助けにかかるのだった。だが、そのためには、しっかり目的を定め、それぞれの人間にとって何がよいことであり必要であるかを、はっきり知らなければならなかったし、目的の正しさに確信が持てたら、今度は当然のことながら、それぞれの人を助けねばならなかった。ところが、しっかりした目的の代りに、今やすべての面に、曖昧さと紛糾とがあるばかりだった。そのうえ今、《病的な興奮》という言葉が発せられた! しかし、この《病的な興奮》ということでさえ、彼に何が理解しえただろう? この紛糾の中にあって、彼には最初のその一言さえ理解できないのだ!

「どんなへまを、どうしてそれがよかったの?」
「だって、あれは臆病な、性格の弱い人なんですよ。すっかり疲れきってしまっただけで、とても善良な人なんです。僕は今、どうしてあの人があんなに突然怒りだして、お金を踏みにじったのか、ずっと考えているんですよ。なぜって、本当のことを言うと、あの人だって最後の一瞬まで、まさか自分がお金を踏みにじるとは知らなかったんですものね。あの人はあの場合いろいろなことが気にさわったように思うんです……それに、あの人の立場ではそれでなければ嘘ですしね……だいいち、あの人は僕の前であまりお金を嬉しがって、それを僕に包み隠さなかったことに腹を立てたんです。かりに喜んだにせよ、そう手放しにではなく、態度に出さないで、ほかの人たちみたいに鷹揚にかまえて、お金を受けとる際にも渋い顔の一つもしてみせられるなら、まだ我慢して受けとることもできたでしょうけれど、あの人はそうじゃなく、あまり真正直に喜びすぎたので、それが癪にさわったんですよ。ああ、リーズ、あの人は真正直な、善良な人間なんです。また、こういう場合の厄介な点がすべて、まさしくそこにあるわけですけれどね! あの人は、話している間ずっと、弱々しい、袞弱しきったような声だったし、しゃべるのも恐ろしく早ロで、のべつ何やら卑屈な笑い声を立てたり、すっかり泣いてしまったりでね……本当に泣いていましたよ、それほど感激したんですね……自分の娘さんたちの話をしたり……ほかの町でありつけそうな就職ロのことを話したりで……心の内をすっかりさらけだしてしまったとたん、ふいに僕なんぞに心の中をすっかり示したことが恥ずかしくなったんですね。だから、とたんに僕を憎んだというわけです。あの人はひどく羞恥心の強い貧乏人の一人なんですね。何よりもあの人は、あまりお手軽に僕を親友扱いして、あっさり僕に降参してしまったのが、癪にさわったんです。だって、僕に食ってかかって、凄んでみせたかと思えば、お金を見るなり、今度はふいに僕を抱擁しかかったりしたんですものね。だってあの人は僕を抱擁して、両手でのべつさわっていたんですもの。それとそっくり同じ形で、あの人は屈辱を味わわなければならなかった、ところがそこへお誂えむきに僕がへまを、それも非常に重大なへまをやってのけたってわけです。ほかでもありません、僕は藪から棒に、もしほかの町へ引っ越すのにお金が足りなければ、もっともらえるだろうし、僕自身も自分のお金の中からいくらでもあげますなんて言ってしまったんですよ。これが突然あの人にショックを与えたんです。いったいなぜ、この僕までが跳ねあがって援助を申し出たりするのか、というわけです。わかりますか、リーズ、侮辱されつづけの人間にとって、みんなが恩着せがましい目で自分を見るようになるってのは、おそろしくつらいもんですよ……僕はそういう話をきいたことがあります、長老が話してくれたんです。どう言えばいいかわからないけど、僕自身もよくそういうことを見かけますしね。それに僕自身も、たしかにそう感じますよ。何より肝心なのは、たとえあの人が最後の一瞬まで、お金を踏みにじることなど夢にも思わなかったにしても、やはりそれを予感していたってことですよ、これはもう確かです。予感していたからこそ、感激もあんなに強烈だったんですね……だから、万事が実にぶざまに終ったにせよ、やはりいいほうに向うでしょうね。いちばんいい結果に向うだろうと、僕は思いますよ、これ以上いい結果はありえなかったんです……」
「なぜ、どうしてこれ以上いい結果はありえないんですの?」深いおどろきをうかべてアリョーシャを見ながら、リーズが叫んだ。
「だってね、リーズ、もしあの人がお金を踏みにじらずに受けとっていたとしたら、家に帰って、一時間かそこら後には、自分の屈辱を泣いたでしょうからね、きっとそういう結果になったにちがいないんです。泣きだして、おそらく明日、夜が明けるか明けないうちに僕のところへ乗りこんできて、たぶん先ほどと同じように札を僕にたたきつけて、踏みにじることでしょう。ところが今あの人は《自滅行為をした》と承知してはいても、ひどく誇りにみちて、意気揚々と帰っていったんですよ。とすれば、遅くも明日あの人にこの二百ループルを受けとらせるくらい、やさしいことはないわけです、なぜってあの人は自分の潔癖さを立派に示したんですからね、お金をたたきつけて踏みにじったんですもの。踏みにじっているときには、僕が明日また届けにいくなんてことは、わかるはずありませんしね。ところが一方では、このお金は咽喉から手の出るほど必要なんです。たとえ今誇りにみちていたにせよ、やはり今日にもあの人は、なんという援助をふいにしてしまったんだと、考えるようになるでしょうよ。夜になればもっと強くそう思い、夢にまで見て、明日の朝までにはおそらく、僕のところへ駆けつけて赦しを乞いかねぬ心境になるでしょう。そこへ僕が現われるという寸法です。『あなたは誇りにみちた方です、あなたは立派にそれを証明なさったのですから、今度は気持よく受けとって、わたしたちを赦してください』こう言えばあの人はきっと受けとりますとも!」
 アリョーシャは何か陶然とした口調で、「こう言えばあの人はきっと受けとりますとも」と言った。リーズは手をたたいた。
「ああ、そのとおりね、あたし急におそろしいほどよくわかったわ! ああ、アリョーシャ、どうしてあなたはそんなに何もかもわかってらっしゃるの? そんなに若いのに、もう人の心の動きがわかるなんて……あたしだったら、決して考えつかないでしょうに……」
「肝心なのは、たとえお金をもらったにせよ、われわれみんなと対等なんだってことを、これからあの人に確信させなければならぬという点なんです」アリョーシャは陶然としてつづけた。「対等どころか、むしろ一段上なんだという点をね……」
「《一段上》だなんてすばらしいわ、アリョーシャ、でももっとお話しして、ね、話してちょうだい!」
「つまり、僕の言い方が正しくなかったんですよ……一段上なんて……でも、かまいませんよね、だって……」
「ええ、かまわないわ、大丈夫よ、もちろんかまいませんとも! ごめんなさい、アリョーシャ……あのね、あたし今まであなたをほとんど尊敬していなかったわ……いえ、つまり、尊敬はしてましたけど、対等の立場でだったわ、今後は一段上に奉って尊敬するわね……あら、怒らないで、あたしが《皮肉》を言ったからって」彼女はすぐに強い感情をこめて言い添えた。「あたしはこっけいな小娘でしかないのに、あなたは……あのね、アリョーシャ、今のあたしたちの、いえ、つまりあなたの……いいえ、やっぱりあたしたちのと言ったほうがいいけれど、そういう考え方に、その不幸な人に対する軽蔑は含まれていないかしら……つまり、あたしたちが今、まるで上から見下すみたいに、その人の心を分析していることに? お金を受けとるにちがいないなんて、今あれほど断定的に決めてかかったことに、ねえ?」
「いいえ、リーズ、軽蔑なんかありませんよ」まるでこの質問にかねて用意していたかのように、アリョーシャはしつかりした口調で答えた。「僕自身、こちらへ伺うみちみち、そのことを考えてみたんです。だってそうじゃありませんか、われわれ自身があの人と同じような人間だというのに、いや、みんながあの人と同じだというのに、どうして軽蔑するはずがありますか。僕らだって同じような人間で、あの人よりすぐれているわけじゃないんですからね。かりにすぐれているとしても、あの人の立場に置かれたら、やはり同じようになるはずですよ……あなたはどうか知りませんけどね、リーズ、僕は自分のことを多くの点でちっぽけな心の持主だと思っているんです。ところが、あの人の心はちっぽけどころか、むしろ反対に、とてもデリケートなんですよ……そう、リーズ、この場合あの人に対する軽蔑なんて全然ありませんとも! あのね、リーズ、長老が一度こんなことを僕におっしゃったんですよ。人間というものはたえず子供のように面倒を見てやらねばならぬ、また、ある人々は病院の患者のように世話してやらねばならないって……」

「殉教者のような? それ、どういうことかしら?」
「ええ、リーズ、さっきあなたは質問なさったでしょう、こんなふうに人の心を解剖しているのは、その不幸な人に対する軽蔑があるんじゃないかって。あの質問はまさに殉教者的なんですよ……だってそうでしょう、どうもうまく表現できないけれど、ああいう質問のうかぶ人は、自分も苦しむことを知っている人ですよ。あなたはその肘掛椅子に坐ったまま、今だっていろいろなことを考えぬいていたにちがいないんです」


「アリョーシャ」彼女はまた甘えるような口調で言った。「戸口の辺を見てきてくださらない、ママが立ち聞きしていないかどうか?」
「いいですとも、リーズ、見てきましょう。ただ、見たりしないほうがいいんじゃないかな、ねえ? どうしてお母さまがそんなはしたないことをなさると疑ったりするんです?」
「はしたないですって? どうしてはしたないの? 母親が娘の話を立ち聞きするのは、当然の権利で、べつにはしたないことじゃなくってよ」リーズは真っ赤になった。「よくおぼえておいていただきたいわ、アリョーシャ、いずれあたし自身が母親になって、あたしのような娘ができたら、あたし必ず立ち聞きしますからね」
「本当に、リーズ? 感心しないな」
「まあ、呆れた、何がはしたないのかしら? そりゃ、ごく普通の社交界の話か何かを立ち聞きしたのなら、はしたないでしょうけれど、この場合は娘が若い男の人と一つ部屋にこもっているのですもの……あのね、アリョーシャ、知っておいていただきたいわ、あたし、結婚したらすぐに、あなたのことも見張りますからね、そのうえあなたの手紙はみんな開封して、読ませていただくわ……それだけはあらかじめ承知しておいていただきたいの……」
「ええ、そうなればむろん……」アリョーシャはつぶやいた。「ただ、感心しないな……」
「まあ、ずいぶん軽蔑なさるのね! アリョーシャ、ねえ、最初から喧嘩はよしましょうよ。それくらいなら、あなたに本当のことを言うほうがいいわ。もちろん、立ち聞きはいけないことだわ。あたしが間違っていて、あなたが正しいのよ、でもやっぱりあたしは立ち聞きするの」
「せいぜいするんですね。僕を見張ったってべつに何一つ出てきやしませんから」アリョーシャは笑いだした。
「アリョーシャ、あなたは将来あたしの言いなりになってくださる? このことも前もって決めておく必要があるの」
「喜んで、リーズ、必ずそうしますよ、ただいちばん大切な問題は別ですけどね。いちばん大切な問題に関しては、もしあなたが同意なさらなくとも、僕は義務の命ずるとおりに行います」
「それでなければいけないわ。だから知っておいていただきたいの、あたしもそれとは反対に、いちばん大切な問題であなたに従うだけじゃなく、どんなことでもあなたに譲歩するわ、そのことは今はっきり誓います、どんなことでも一生涯」リーズは熱っぽく叫んだ。「それが幸福なんです、幸せなんですもの! そればかりか、誓ってもいいけど、あたし絶対にあなたの話を立ち聞きしたりしないわ、決して、ただの一度も。あなたのお手紙は一通たりと開封なんかしないわ。だって、あなたは正しくて、あたしは間違っているんですもの。たとえどうしても立ち聞きしたくなったとしても――それはもうわかってるんです、でもやっぱり立ち聞きなんかしません、だって、あなたが慎みのないことと見なしてらっしゃるんですもの。今やあなたはあたしの神さまも同然なのよ……ねえ、アリョーシャ、どうしてこの二、三日そんなに沈んでらっしゃるの、昨日も今日も。あなたが心配ごとや厄介なことをかかえてらっしゃるのは、知っていますけど、それ以外にも、何か特別な悲しみをいだいてらっしゃるのが、あたしにはわかるの、もしかしたら秘密のこと?」
「そう、リーズ、秘密の悲しみもあるんですよ」沈んだ口調でアリョーシャは言った。「それを察してくださったとすると、僕を愛していてくださるようですね」
「どんな悲しみなの? 何のことで? 話していただける?」おずおずと哀願するようにリーズが言った。
「いずれ話しますよ、リーズ……あとで」アリョーシャはどぎまぎした。「今お話ししても、たぶんわかっていただけないでしょうからね。それに 自身だってうまく話せそうもありませんし」
「あたし知ってるんです、それ以外にもあなたはお兄さまたちや、お父さまのことで苦しんでらっしゃるんでしょう?」
「ええ、兄たちのこともね」瞑想に沈むかのように、アリョーシャはつぶやいた。
「あたし、あなたのお兄さまのイワン・フョードロウィチはきらいよ、アリョーシャ」だしぬけにリーズが言った。
 アリョーシャはこの言葉をある種のおどろきをこめて心にとめたが、取りあげはしなかった。
「兄たちは自分を滅ぼしにかかっているんです」彼はつづけた。「父もそうですしね。そして道連れにほかの人たちまで滅ぼしてしまうんですよ。ここには、いつぞやパイーシイ神父の言われた《地上的なカラマーゾフのカ》が働いているんです。地上的な、狂暴な、荒削りの力が……このカの上にも神の御心が働いているのか、それさえ僕にはわからない。わかっているのは、そういう僕自身もカラマーゾフだってことだけです……僕は修道僧です、修道僧ですよね? 僕は修道僧でしょう、リーズ? あなたはたった今、僕のことをお坊さんて言いましたっけね?」
「ええ、言ったわ」
「でも僕は、ひょっとすると、神を信じていないかもしれませんよ」
「あなたが信じていないなんて、どうかなさったの?」リーズは小さな声で慎重につぶやいた。だが、アリョーシャはそれには答えなかった。このあまりにも唐突な言葉の中には、あまりにも神秘的で、あまりにも主観的な、そしておそらく彼自身にも明らかではないが、すでに疑いもなく彼を苦しめている何かがあった。
「それに今、それらすべてを別にしても、僕の真の友がこの世を去ろうとしているんです。世界で第一の人がこの大地を棄て去ろうとしているんですよ。ああ、リーズ、僕がどれほど精神的に固くその人と結ばれているか、わかっていただけたらな! 僕はたった一人取り残されてしまうんです……そしたらあなたのところへ来ますよ、リーズ……これからはずっといっしょにいましょう……」
「ええ、いっしょにいましょうね、いっしょに! これからは一生の間いつもいっしょよ。ねえ、あたしにキスしてちょうだい、してもよくってよ」
 アリョーシャは彼女にキスした。
「さ、それじゃ、もういらっしゃいな。気をつけてね! (そして彼女は彼に十字を切った)。あの方が生命のあるうちに、早く行っておあげになるといいわ。どうやら、あたし冷酷にあなたを引きとめてしまったようね。今日はあの方とあなたのために祈ってます。アリョーシャ、あたしたち幸せになりましょうね! 幸せになれるでしょう、なれるわね?」
「きっとなれるでしょう、リーズ」

「詩なんて下らんもんですからね」 スメルジャコフがぴしりと言った。
「あら、違うわ、あたし詩は大好きよ」
「詩の一行一行を作るなんてことは、本質的に下らないことですよ。よく考えてごらんなさいまし。この世でいったいだれが韻をふんで話すというんです? それにもし、たとえお上の命令によってであろうと、わたしらがみんな韻をふんで話すようになったら、言いたいこともろくすっぽ言えないじゃありませんか。詩なんて実用的じゃありませんよ、マリヤ・コンドラーチエヴナ」
「どうしてあなたは何事にかけてもそんなに頭がいいのかしらね、どうして何事にもそんなにくわしいの?」女の声がますます甘えるようになってきた。
「ごく小さい餓鬼のころからあんな運命じゃなかったら、わたしはもっといろいろなことができたでしょうね、もっと物知りになってましたよ。あいつはスメルジャーシチャヤの産んだ父なし子だから卑しい人間だ、なんて言うやつがいたら、わたしは決闘してピストルで殺してやりまさあ。わたしはモスクワにいたころにも、面と向ってそう言われたことがあるんです。グリゴーリイ・ワシーリエウィチのおかげで、ここから噂が伝わったんですよ。グリゴーリイ・ワシーリエウィチは、わたしが自分の誕生に対して反旗をひるがえしている、なんて叱りますがね。『お前はあの女の子袋を引き裂いたんだぞ』なんて言うんでさ。子袋なら子袋でもかまやしないけど、わたしはこの世にまるきり生れてこずにすむんだったら、腹の中にいるうちに自殺していたかったですよ。市場に行きゃ、あの女は頭にしらくもができていただの、背が一四〇ちびっとしかなかっただのといわれるし、あなたのおっ母さんだってああいうがさつな人だからわたしにそんな話をしますしね。世間のみんなが言うように、ごく普通にちょっとと言やいいのに、なんだってちびっとなんて言うんです? あれはお涙頂戴式の言い方をしたかったんでしょうけど、そんなのは、言ってみりゃ、百姓の涙でしてね、それこそ百姓の感情でさあ。いったいロシアの百姓なんぞが、教養のある人間に匹敵するような感情を持てるっていうんですか? 教養がないから、百姓は何の感情も持てるはずがありませんよ。わたしゃ、ごく小さい餓鬼のころから《ちびっと》という言葉をきくと、壁に頭でもぶつけたい気がしたもんですよ。わたしはロシア全体を憎んでるんです、マリヤ・コンドラーチエヴナ」


「知りたけりゃお教えしますけどね、ふしだらな点では向うのやつもロシア人も似たようなもんですよ。どいつもこいつも悪党ばかりでさ。ただ、向うの人はエナメルの革長靴か何かをはいてるのに、ロシアの極道者は乞食同然なためにいやなにおいをさせて、それをいっこう悪いとも思っていないということだけでね。ロシアの百姓なんか、昨日フョードル・パーヴロウィチがまさしくおっしゃったとおり、鞭でたたきのめしてやる必要があるんでさあ、もっともそういうご当人も、息子さんたちも、みんな気違いですけどね」

 しかし、イワンがいたのは個室ではなかった。そこは衝立で仕切られた窓ぎわの席にすぎなかったが、それでも衝立の奥に坐っている人の姿は、ほかの客には見えなかった。入ってすぐの部屋で、横の壁ぎわにカウンターが設けられていた。部屋の中をのべつポーイたちが行ったり来たりしていた。客は退役軍人の年寄りが一人だけで、片隅でお茶を飲んでいた。その代り、ほかのどの部屋にも飲屋につきものの喧騒がきこえ、ポーイをよぶ声、ビールの栓をぬく音、ビリヤードの玉の音などがひびき、オルガンが鳴っていた。アリョーシャは、イワンがこの飲屋にほとんど一度も来たことがなく、また概して飲屋を好まないのを知っていた。してみると、ここにこうしているのも、ドミートリイとの約束で落ち合うためにほかならない、と彼は思った。しかし、ドミートリイはいなかった。
「魚スープか何か注文しようか、お前だってお茶だけで生きてるわけじゃあるまい」アリョーシャを誘い入れたのが、どうやらひどく満足らしく、イワンは大声で言った。彼自身はもう食事を終え、お茶を飲んでいるところだった。
「魚スープを下さい、そのあとでお茶もね。お腹がぺこペこなんですよ」アリョーシャは快活に言った。
「桜んぼのジャムはどうだ? ここにはあるぜ。おぼえてるかい、まだ小さいころポレノフの家にいた時分に、お前は桜んぼのジャムが大好きだったじゃないか?」
「兄さんはそんなことをおぼえてるんですか? じゃ、ジャムも下さい、今でも大好物なんです」
 イワンはボーイをよんで、魚スープと紅茶とジャムを注文した。
「何でもおぼえてるさ、アリョーシャ、お前が十一になるまではおぼえているよ、あのときこっちは数えで十五だった。十五と十一というのは、たいへんな違いで、その年ごろの兄弟は決して兄弟になれないもんだよ。お前を好きだったかどうか、それさえわからんね。俺はモスクワへ行っちまって、最初の何年かはお前のことなんぞ全然思いだしさえしなかったもの。そのあと、今度はお前がモスクワへ来てからも、たしかどこかで一度会っただけだったな。それに、今度だってこの町で暮してもう足かけ四カ月になるけれど、今までお前とはろくにロもきかなかったし。俺は明日発つんだが、今ここに坐って、なんとかお前に会って別れを告げたいものだと思っていたところなんだ、そしたらお前がわきを通りかかるじゃないか」
「じゃ、僕にとても会いたかったわけ?」
「そうとも。最後に一度お前と近づきになっておきたかったし、俺という人間も知ってもらいたかったからな。そうしたあとで、別れたかったんだよ。俺の考えだと、近づきになるのは別れる前がいちばんいいね。この三カ月の間、お前がずっと俺を見つめていたのは、気づいていたよ。お前の目には何かたえず期待があった。それが俺には我慢ならなかったので、お前に近づこうとしなかったんだ。でも、最後にやっとお前を尊敬することを学んだのさ。こいつ、なかなかしっかり立ってやがるってわけだ。おい、俺は今笑っちゃいるけど、まじめに話してるんだぜ。だってお前はしっかり立ってるだろう、ええ? 俺はね、どういう基盤に立っている心せよ、しっかりした人間が好きなんだよ、たとえそれがお前みたいな小さな小僧っ子でもさ。期待するようなお前の眼差しも、しまいには不快じゃなくなってきたんだ。むしろ反対に、しまいには、期待するようなお前のその眼差しが好きになったんだよ……お前はどういうわけか、俺を好きらしいね、アリョーシャ?」
「好きです。ドミートリイ兄さんは、イワンは墓石だなんて言うけど、僕ならイワンは謎だって言うな。兄さんは今でも僕にとって謎ですよ、でもある程度はもう理解できましたけどね、それもつい今朝からですよ!」
「それはいったいどういうことだい?」イワンが笑いだした。
「怒らない?」アリョーシャも笑いだした。
「なんだい?」
「つまり、兄さんもやっぱり、世間の二十三歳の青年とそっくり同じような青年だってことですよ。やっぱり若くて、ういういしくて、潑剌とした愛すべき坊やなんだ、おまけに嘴の黄色い雛っ子でね! どう、そんなに侮辱したことにはならないでしょう?」
「それどころか、偶然の一致にびっくりさせられたよ!」快活に、熱をこめてイワンが叫んだ。「実を言うと、さっき彼女のところでお前に会ったあと、ひとりでそのことばかり考えていたんだよ。その二十三歳の黄色い嘴ってことをさ、ところが今だしぬけにお前がそれを見破ったみたいに、その話をはじめるんだからな。俺が今ここに坐って、自分に何と言っていたか、わかるかい。かりに俺が人生を信じないで、愛する女性にも幻滅し、世の中の秩序に幻滅し、それどころか、すべては無秩序な呪わしい、おそらくは悪魔的な混沌なのだと確信して、たとえ人間的な幻滅のあらゆる恐ろしさに打ちのめされたとしても、それでもやはり生きていきたいし、いったんこの大杯に口をつけた以上、すっかり飲み干すまではロを離すものか! こう言いきかせていたのさ。もっとも、三十までには、たとえすっかり飲み干さぬうちでも、きっと大杯を放りだして立ち去るだろうよ……どこへかは、わからないがね。でも、ちゃんとわかっているんだ、三十までは、どんな幻滅にも、人生に対するどんな嫌悪にも、俺の若さが打ち克つだろうよ。俺は自分に何度も問いかけてみた。俺の内部のこの狂おしい、不謹慎とさえ言えるかもしれぬような人生への渇望を打ち負かすほどの絶望が、はたしてこの世界にあるだろうか。そして、どうやらそんなものはないらしいと、結論したのさ。つまり、これもやっぱり三十までだよ。三十にもなりゃ、こっちで嫌気がさすだろうからね、そんな気がするんだ。こういう人生への渇望を、往々にしてそこらの肺病やみで洟ったらしのモラリストたちは、卑しいものと名づけている。特に詩人なんて連中がな。こいつはある意味でカラマーゾフ的な一面なんだよ、それは確かだ。この人生への渇望ってやつはな。だれが何と言おうと、そいつはお前の内部にも必ず巣食っているにちがいないんだ。しかし、なぜそれが卑しいものなんだい? このわれわれの惑星の上には、求心力はまだまだ恐ろしくたくさんあるんだものな、アリョーシャ。生きていたいよ、だから俺は論理に反してでも生きているのさ。たとえこの世の秩序を信じないにせよ、俺にとっちゃ、《春先に萌え出る粘っこい若葉》(訳注 プーシキンの詩『まだ冷たい風が吹く』から)が貴重なんだ。青い空が貴重なんだよ。そうなんだ、ときにはどこがいいのかわからずに好きになってしまう、そんな相手が大切なんだよ。ことによると、とうの昔にそんなものは信じなくなっているのに、それでもやはり昔からの記憶どおりに感情で敬っているような、人類の偉業が貴重なんだ。さあ、魚スープがきた。大いにやってくれ。うまいスープだぜ、なかなかイケるよ。俺はヨーロッパへ行ってきたいんだ、アリョーシャ。ここから出かけるよ。しょせん行きつく先は墓場だってことはわかっているけど、しかし何よりいちばん貴重な墓場だからな、そうなんだよ! そこには貴重な人たちが眠っているし、墓石の一つ一つが、過ぎ去った熱烈な人生だの、自分の偉業や、自己の真理や、自分の闘争や、自己の学問などへの情熱的な信念だのを伝えてくれるから、俺は、今からわかっているけど、地面に倒れ伏して、その墓石に接吻し、涙を流すことだろう。そのくせ一方では、それらすべてがもはやずっと以前から墓になってしまっていて、それ以上の何物でもないってことを、心から確信しているくせにさ。俺が泣くのは絶望からじゃなく、自分の流した涙によって幸福になるからにすぎないんだよ。自分の感動に酔うわけだ。春先の粘っこい若葉や、青い空を、俺は愛してるんだよ、そうなんだ! この場合、知性も論理もありゃしない。本心から、腹の底から愛しちまうんだな、若い最初の自分の力を愛しちまうんだよ……こんな愚にもつかない話でも、何かしらわかるかい、アリョーシャ、わからないか?」ふいにイワンが笑いだした。
「わかりすぎるほどですよ、兄さん。本心から、腹の底から愛したいなんて、実にすばらしい言葉じゃありませんか。兄さんがそれほど生きていたいと思うなんて、僕はとても嬉しいな」アリョーシャは叫んだ。「この世のだれもが、何よりもまず人生を愛すべきだと、僕は思いますよ」
「人生の意味より、人生そのものを愛せ、というわけか?」
「絶対そうですよ。兄さんの言うとおり、論理より先に愛することです。絶対に論理より先でなけりゃ。そうしてこそはじめて、僕は意味も理解できるでしょうね。僕はもうずっと以前からそういう気がしてならないんですよ。兄さんの仕事の半分はできあがって、自分のものになっているんです。だって、兄さんは生きることを愛しているんですもの。今度は後半のことを努力しなけりゃ。そうすれば兄さんは救われますよ」
「お前はもう救う気になっているけど、もしかしたら、俺はまだ破滅していないかもしれないんだぜ! ところで、お前の言う後半とはいったい何だ?」
「兄さんの死者たちをよみがえらせることです。ことによると、その人たちはまったく死んでいなかったかもしれませんしね。さ、お茶をいただきましょうか。僕はこうやって話をしているのが、とても嬉しいな」
「見たところ、どうやらお前は何か霊感に打たれているようだな。俺はお前みたいな……見習い僧から信仰の告白をきくのが、ひどく好きなんだ。お前はしっかりした人間だな、アレクセイ。お前が修道院を出るつもりだってのは、本当かい?」
「本当です。長老さまが僕を俗界に送りだしてくださるんですよ」
「と、つまり、俗界でまた会えるわけだ。俺が大杯からロを離す三十くらいまでに、会おうじゃないか。親父なんざ、七十まで杯を離そうとしないさ、八十までもと夢見てさえいるんだからな、自分でそう言ってたよ。あんな道化ではあるけど、こればかりはひどく真剣でな。親父は色情を拠りどころにして、岩でも踏まえているようなつもりだからな……もっとも三十過ぎたら、たしかに、それ以外には拠りどころがないだろうしな……それにしても、七十までとは卑しいよ、いっそ三十までのほうがいい。自分を欺きながら《上品というニュアンス》を保っていられるからな。ところで今日ドミートリイを見かけなかったかい?」

「それじゃ、どうしても明日の朝、行ってしまうんですか?」
「朝? 朝なんて言ったおぼえはないぜ……もっとも、朝かもしらんがね。実を言うと、今日ここで食事をしたのは、もっぱら親父といっしょに食事したくなかったからなんだ、それほど親父には愛想がつきたのさ。あの親父から逃げるためだけでも、とっくに出発しているべきだったよ。しかし、俺が行ってしまうのを、どうしてそんなに心配するんだい? 俺たちには出発まで、まだどのくらい時間があるかわからないぜ。まさに永遠の時間が、不死がさ!」
「明日行ってしまうのに、何が永遠なもんですか?」
「そんなこと、俺たちに何の関係がある?」イワンが笑いだした。「だって自分たちの問題なら、まだ十分話し合えるじゃないか、自分たちの問題なら。何のために俺たちはここへ来たんだい? どうして、そんなにおどろいたように見ている? 答えてみな、何のために俺たちはここで会ったんだい? カテリーナに対する恋とか、親父とドミートリイのこととかを話すためにかね? 外国の話をするためか? ロシアの宿命的な状況についてか? ナポレオン皇帝の話かね? そうなのかい、そんなことのためにか?」
「いいえ、そのためじゃありません」
「つまり、何のためか自分でもわかっているんじゃないか。ほかの連中はともかく、俺たち、嘴の黄色い若者は別なんだよ、俺たちは何よりもまず有史以前からの永遠の問題を解決しなければならない、それこそ俺たちが心を砕くべき問題なんだ。今や若いロシア全体が論じているのも、もっぱら有史以前からの永遠の問題だけだよ。まさしく今や、老人たちがふいに実際的な問題にかかずらいはじめたからなんだ。お前だって、それだからこそ、三カ月もの間、期待の目で俺を見つめつづけていたんだろう? 『汝はいかなる信仰をしているか、それともまったく進行しておらぬか?』と、俺に問いただすためだろう、三カ月間のあの目つきはまさにそこに帰着するってわけだ。そうじゃござんせんかね、アレクセイさん?」
「そうかもしれません」アリョーシャは徴笑した。「まさか兄さんは今、僕をからかってるんじゃないでしょうね?」
「俺がからかってるって? いくら俺だって、三カ月もの間あんなに期待をこめて俺を見つめていたかわいい弟を嘆かせるつもりはないよ。アリョーシャ、まっすぐ俺を見てごらん、俺自身だってお前とそっくり同じような、ちっぽけな小僧っ子なんだよ。見習い僧でないだけでさ。ところで、ロシアの小僧っ子たちが今までどんな活動をしてきていると思う? つまり、一部の連中だがね? 早い話、この悪臭芬々たる飲屋にしても、そういう連中がここに落ち合って、片隅に陣どったとする。それまでは互いにまったく相手を知らず、いったん飲屋を出てしまえば、向う四十年くらいはまた互いに相手を忘れてしまうような連中なのに、それがどうだい、飲屋でのわずかな時間をとらえて、いったい何を論じ合うと思う? ほかでもない、神はあるかとか、不死は存するかといった、世界的な問題なのさ。神を信じない連中にしたって、社会主義だの、アナーキズムだの、新しい構成による全人類の改造だのを論ずるんだから、しょせんは同じことで、相も変らぬ同じ問題を論じているわけだ、ただ反対側から論じているだけの話でね。つまり、数知れぬほど多くの、独創的なロシアの小僧っ子たちのやっていることと言や、現代のわが国では、もっぱら永遠の問題を論ずることだけなんだよ。そうじゃないかね?」
「ええ、本当のロシア人にとって、神はあるか、不死は存するのかという問題や、あるいは兄さんが今言ったように、反対側から見たそれらの問題は、もちろん、あらゆるものに先立つ第一の問題ですし、またそうでなければいけないんです」相変らず例の静かな、探るような微笑をうかべて兄を見つめながら、アリョーシャが言った。
「そこなんだよ、アリョーシャ。ロシア人であることが、時にはまるきり賢明でない場合もあるけど、やはり口シアの小僧っ子たちが現在やっていることくらい愚劣なものは、考えもつかないな。しかし俺は、アリョーシャというロシアの小僧っ子だけは、おそろしく好きだけどね」
「うまくオチをつけましたね」突然アリョーシャが笑いだした。
「じゃ、何からはじめるか、言ってくれよ。お前が注文するんだ。神の話からか? 神は存在するか、ということからかい?」
「何でも好きなものから、はじめてください。《反対側》からでもかまいませんよ。だって兄さんは昨日お父さんのところで、神はいないと断言したんですから」アリョーシャは探るように兄を眺めた。
「俺は昨日、親父のところで食事をしながら、そう言ってお前をわざとからかったんだけど、お前の目がきらきら燃えたのがわかったよ。でも今はお前と話す気は十分あるんだし、とてもまじめに言ってるんだ。俺はお前と親しくなりたいんだよ、アリョーシャ。俺には友達がいないから、試してみたいのさ。だって考えてもみろよ、ひょっとすると俺だって神を認めているかもしれないんだぜ」イワンは笑いだした。「お前にとっちゃ、思いもかけぬ話だろう、え?」
「ええ、もちろんですとも。ただし、今も兄さんがふざけているのでないとすればね」
「冗談じゃないよ。昨日も長老のところで、俺はふざけてるって言われたっけな。あのね、十八世紀に一人の罪深い老人がいたんだが、その老人が、もし神が存在しないのなら、考えだすべきである、S'il n'existait pas Dieu, il faudrait l'inventer.(訳注 ヴォルテールの『三人の偽君子に関する書の著者へあてた手紙』の一節)、と言ったんだ。そして本当に人間は神を考えだした。ここで、神が本当に存在するってことは、ふしぎでもなければ、別段おどろくべきことでもないんだ。しかし、人間みたいな野蛮で邪悪な動物の頭にそういう考えが、つまり神の必要性という考えが、入りこみえたという点が、実におどろくべきことなんだよ。それほどその考えは神聖なんだし、それほど感動的で、聡明で、人間に名誉をもたらすものなんだな。俺自身に関して言えば、俺はもうずっと前から、人間が神を創りだしたのか、それとも神が人間を創ったのか、なんて問題は考えないことにしているんだよ。もちろん、この問題に関する現代のロシアの小僧っ子たちの公理なんぞ、どれもこれもヨーロツパの仮説からの孫引きだから、検討するつもりもないよ。なぜって、向うの仮説が、ロシアの小僧っ子にかかると、とたんに公理になってしまうし、それが小僧っ子たちだけじゃなく、どうやら大学教授たちまで、そうらしいからな。それというのも、ロシアの大学教授も今やきわめて往々にしてロシアの小僧っ子と変りないからなんだよ。だから、いっさいの仮説は敬遠しよう。だって、今の俺たちの課題は何だと思う? ほかでもない、できるだけ早くお前に俺の本質を、つまり、俺がどういう人間であり、何を信じ、何を期待しているかを説き明かすのが、課題なんだ、そうだろう? だから俺は、率直かつ単純に神を認めるってことを、明言しておくよ。それにしても、断わっておかなければならないが、かりに神が存在し、神がこの地球を創ったとすれば、われわれが十分承知しているとおり、神はユークリッド幾何学によって地球を創造し、三次元の空間についてしか概念を持たぬ人間の頭脳を創ったことになる。にもかかわらず、宇宙全体が、いや、もっと広範に言うなら、全実在がユークリッド幾何学にのみもとづいて創られたということに疑念を持つ幾何学者や哲学者はいくらもあったし、現在でさえいるんだ。きわめて著名な学者の中にさえな。そういう学者たちは大胆にも、ユークリッドによればこの地上では絶対に交わることのありえぬ二本の平行線も、ひょっとすると、どこか無限の世界で交わるかもしれない、などと空想しているほどなんだ。そこでね、そんなことすら俺には理解できぬ以上、神について理解できるはずがない、と決めたんだよ。そういう問題を解く能力が俺にまるきりないことは、素直に認める。俺の頭脳はユークリッド的であり、地上的なんだ。だから、この世界以外のことはとうてい解決できないのさ。お前にも忠告しておくけど、この問題は決して考えないほうがいいよ、アリョーシャ、何より特に神の問題、つまり神はあるか、ないかという問題はね。これはすべて、三次元についてしか概念を持たぬように創られた頭脳には、まるきり似つかわしくない問題なんだよ。というわけで、俺は神を認める。それも喜んで認めるばかりか、それ以上に、われわれにはまったく測り知れぬ神の叡知も、神の目的も認めるし、人生の秩序や意味も信じる。われわれがみんなその中で一つに融和するとかいう、永遠の調和も信じる。また、宇宙がそれを志向し、それ自体が《神にいたる道》であり、それ自体が神にほかならぬという言葉(訳注 キリストを意味する)も、俺は信じるし、そのほかいろいろと無限に信じるよ。この問題については数限りない言葉が作りだされているからな。どうやら俺も正しい道に立っているようじゃないか、え? ところが、どうだい、結局のところ、俺はこの神の世界を認めないんだ。それが存在することは知っているものの、まったく許せないんだ。俺が認めないのは神じゃないんだよ、そこのとこを理解してくれ。俺は神の創った世界、神の世界なるものを認めないのだし、認めることに同意できないのだ。断わっておくけれど、俺は赤児のように信じきっているんだよ――苦しみなんてものは、そのうち癒えて薄れてゆくだろうし、人間の矛盾の腹立たしい喜劇だっていずれは、みじめな幻影として、あるいはまた、原子みたいにちっぽけで無力な人間のユークリッド的頭脳のでっちあげた醜悪な産物として、消えてゆくことだろう。そして、結局、世界の終末には、永遠の調和の瞬間には、何かこの上なく貴重なことが生じ、現われるにちがいない。しかもそれは、あらゆる人の心に十分行きわたり、あらゆる怒りを鎮め、人間のすべての悪業や、人間によって流されたいっさいの血を償うに十分足りるくらい、つまり、人間界に起ったすべてのことを赦しうるばかりか、正当化さえなしうるに足りるくらい、貴重なことであるはずだ。しかし、たとえそれらすべてが訪れ、実現するとしても、やはり俺はそんなものを認めないし、認めたくもないね! たとえ二本の平行線がやがて交わり、俺自身がそれを見たとしても、俺がこの目でたしかに見て、交わったよと言うとしても、やはり俺は認めないよ。これが俺の本質なんだ、アリョーシャ、俺のテーゼだよ。俺はまじめに話したんだぜ。俺は、これ以上愚劣な切りだし方はないといった感じで、お前との話をはじめたけれど、結局は俺の告白になっちまったな。それというのも、お前に必要なのはそれだけだからさ。お前に必要なのは神についての話じゃなく、お前の愛する兄が何によって生きているかを知ることだけなんだよ。だから俺は話したのさ」
 イワンは長広舌を、ふいに、何か一種特別な思いがけぬ感情をこめて結んだ。
「でも何のために、《これ以上愚劣な切りだし方はないといった感じで》、話をはじめたりしたんです?」考えこむように兄を見つめながら、アリョーシャはたずねた。
「そう、第一に、ロシア的表現のためさ。こういうテーマのロシア人の会話は、いつも、これ以上愚劣にはすすめられないといった感じで運ばれるからな。第二に、それでもやはり、愚劣になればなるほど、いっそう本題に近づくからな。愚かさというのは簡単だし、他愛ないけれど、知恵はずるく立ちまわって、姿を隠すもんだよ。知恵は卑怯者だが、愚かさは生一本で、正直者だからね。俺はついに絶望にまで立ちいたってしまったから、問題を愚劣に立てれば立てるほど、俺にとってはますます有利なわけさ」
「兄さんはなぜ《この世界を認めないか》を、僕に説明してくれる?、アリョーシャはつぶやいた。
「もちろん説明するとも。秘密じゃないし、そのために話をしてきたんだから。俺の望みはべつにお前を堕落させることじゃないし、お前を基盤から引きずりおろすことでもない。ことによると、お前の力をかりて俺自身を治療したいと思ってるかもしれないんだしな、ふいにイワンは、まるきり幼いおとなしい少年のように、にっこりした。アリョーシャはこれまで一度として、兄のそんな笑顔を見たことがなかった。

「お前に一つ告白しなけりゃならないことがあるんだ」イワンが話しはじめた。「俺はね、どうすれば身近な者を愛することができるのか、どうしても理解できなかったんだよ。俺の考えだと、まさに身近な者こそ愛することは不可能なので、愛しうるのは遠い者だけだ。いつか、どこかで《情け深いヨアン》という、さる聖人の話(訳注 正しくはジュリアン。フロベールの書いたこの伝説が少し前に雑誌に発表された)を読んだことがあるんだが、飢えて凍えきった一人の旅人がやってきて暖めてくれと頼んたとき、聖者はその旅人と一つ寝床に寝て抱きしめ、何やら恐ろしい病気のために膿みただれて悪臭を放つそのロへ息を吹きかけはじめたというんだ。しかし、その聖者は発作的な偽善の感情にかられてそんなことをやったのだ、義務感に命じられた愛情から、みずから自己に課した宗教的懲罰から、そんなことをやったんだと、俺は確信してるよ。人を愛するためには、相手が姿を隠してくれなけりゃだめだ、相手が顔を見せたとたん、愛は消えてしまうのだよ」
「そのことはゾシマ長老も一度ならず話しておられました」アリョーシャが口をはさんだ。「長老もやはり、人間の顔はまだ愛の経験の少ない多くの人々にとって、しばしば愛の妨げになる、と言っておられたものです。でも、やはり人類には多くの愛が、それもキリストの愛にほとんど近いような愛がありますよ。そのことは僕自身よく知っています、兄さん……」
「ところが今のところ俺はまだそんなことは知らないし、理解もできないね。それに数知れぬほど多くの人たちだって俺と同じことさ。ところで問題は、人間の悪い性質からそういうことが起るのか、それとも人間の本性がそういうものだから起るのか、という点なんだ。俺に言わせると、人間に対するキリストの愛は、見方によれば、この地上では不可能な奇蹟だよ。なるほど、キリストは神だった。ところが、われわれは神じゃないんだからな。早い話、たとえば俺が深刻に苦悩することがあるとしよう、しかし俺がどの程度に苦しんでいるか、他人には決してわからないのだ。なぜならその人は他人であって、俺じゃないんだし、そのうえ、人間というやつはめったに他人を苦悩者と見なしたがらないからな(まるでそれが偉い地位ででもあるみたいにさ)。なぜ見なしたがらないのだろう、お前はどう思うね? その理由は、たとえば、俺の身体が臭いとか、ばか面をしているとか、あるいは以前にそいつの足を踏んづけたことがあるとかいうことなんだ。おまけに、苦悩にもいろいろあるから、俺の値打ちを下げるような屈辱的な苦悩、たとえば飢えなんかだったら、俺に恩を施す人もまだ認めてくれるだろうが、それより少しでも高級な苦悩、たとえば思想のための苦悩なぞになると、もうだめさ。そんなものは、ごくまれな場合を除いて認めちゃくれないんだ。それというのも、たとえば相手が俺を見て、こういう思想のために苦悩している人間は当然こういう顔をしているはずだと想像していたのとは、まるきり違う顔を俺がしていることに、ふいに気づくからなんだよ。そこで相手はすぐさま俺から恩恵を剥奪してしまうわけだが、意地わるな心からじゃ決してないんだからな。乞食、それも特におちぶれ貴族の乞食は決して人前に姿を見せたりせず、新聞を通じて施しを仰ぐべきだろうね。抽象的になら、まだ身近な者を愛すことはできるし、ときには遠くからでさえ愛せるものだけれど、近くにいられたんじゃほとんど絶対にだめと言っていい。もしすべてがバレエの舞台かなんぞのように行われ、乞食が絹のぼろや破れたレースをまとって登場して、優雅に踊りながら、施しを乞うのだったら、その場合はまだ見とれてもいられるさ。見とれてはいられるけれど、やはり愛するわけじゃない。しかし、この話はもうたくさんだ。俺としてはただ、お前を俺の見地に立たせてみることが必要だっただけだからな。俺は一般的に人類の苦悩について話すつもりだったんだが、むしろ子供たちの苦悩にだけ話をしぼるほうがいいだろう。俺の論証の規模は十分の一に縮められてしまうけど、それでも子供だけに話をしぼったほうがよさそうだ。もちろん、俺にとってはそれだけ有利じゃなくなるがね。しかし、第一、相手が子供なら、身近な場合でさえ愛することができるし、汚ならしい子でも、顔の醜い子でも愛することができる(もっとも俺には、子供というのは決して顔が醜いなんてことはないように思えるがね)。第二に、俺がまだ大人について語ろうとしないのは、大人はいやらしくて愛に値しないという以外に、大人には神罰もあるからなんだ。彼らは知恵の実を食べてしまったために、善悪を知り、《神のごとく》になった。今でも食べつづけているよ。ところが子供たちは何も食べなかったから、今のところまだ何の罪もないのだ。お前、子供を好きかい、アリョーシャ? お前が好きなことは知っているよ、だから何のために俺が今、子供たちについてだけ話したがっているか、お前にはわかってもらえるだろう。かりにこの地上で子供たちまでひどい苦しみを受けるとしたら、もちろんそれは自分の父親のせいなんだ。知恵の実を食べた父親の代りに罰を受けているわけだよ――しかし、そんなのは別世界の考えで、この地上の人間の心にはとうてい理解できないものだ。罪のない者が、それもこんなに罪なき者が他人の代りに苦しむなんて法があるもんか! さぞおどろくことだろうが、俺もおそろしく子供好きなんだよ、アリョーシャ。それに、おぼえておくといいが、残酷な人間、熱情的で淫蕩なカラマーゾフ型の人間は、往々にしてたいそう子供好きなものなんだ。子供ってやつは、子供である間は、たとえば七歳くらいまでは、ひどく人間とかけ離れていて、まるで別の本性をそなえた別の生き物みたいだからな。俺は服役中のさる強盗を知っていたけれど、そいっは泥棒稼業の間に、夜な夜な強盗に押し入った先で一家を皆殺しにしたり、何人もの子供を一度に斬り殺したりしたことがあるんだ。ところが、服役中にそいつは奇妙なほど子供好きになったんだよ。刑務所の中庭で遊んでいる子供を獄窓から眺めるのだけが、仕事になってしまったのさ。そのうち、一人の幼い少年をなつかせて窓の下まで来させるようにして、すっかり仲良しになっていたよ……何のために俺がこんな話をしているのか、わからないだろうな、アリョーシャ? 俺はなんだか頭が痛くなってきたよ、それに気が滅入るし」
「話しているときの様子が変ですよ」アリョーシャは心配そうに注意した。「まるで何か錯乱したみたいで」

実際、ときによると《野獣のような》人間の残虐なんて表現をすることがあるけど、野獣にとってこれはひどく不公平で、侮辱的な言葉だな。野獣は決して人間みたいに残酷にはなれないし、人間ほど巧妙に、芸術的に残酷なことはできないからね。虎なんざ、せいぜい嚙みついて、引き裂くくらいが精いっぱいだ。人間の耳を一晩じゅう釘で打ちつけておくなんてことは、虎には、かりにそれができるとしても、考えつきやしないさ。

俺はフランス語から翻訳された、さるすてきなパンフレットを持っているんだ。そのパンフレットは、ごく最近、せいぜい五年前くらいに、リシャールという凶悪な殺人犯で、のちに前非を悔いて断頭台にのぼる直前にキリスト教に帰依した、二十三歳だったかの青年をジュネープで死刑にしたときの話なんだよ。そのリシャールという男はだれかの私生児で、まだ六つくらいのごく幼いころ、両親がスイスの山奥の羊飼いか何かにくれてやり、羊飼いたちは仕事に使うために育てたんだ。少年は羊飼いたちのところで小さな野獣のように育っていったのだけれど、羊飼いたちは何一つ教えこまなかったばかりか、むしろ反対に七年もの間、雨の日にも寒い日にも、ほとんど着る物も与えず、食事もろくにさせずに、羊の放牧に出していた。しかも、そんな仕打ちをしながら、もちろん羊飼いたちのだれ一人として、考えこみもしなければ反省もせず、あべこべに、それが当然の権利と思っていたんだよ。なにしろリシャールは品物同然にもらったんだから、食わせてやる必要さえ認めなかったというわけだ。当のリシャールの証言だと、その当時の彼は聖書の中の放蕩息子(訳注 ルカによる福音書第十五章)よろしく、売りに出すためにせっせと太らされている豚に与える混合飼料でもいいから食べたくてならなかったのに、それさえ与えられず、豚から盗んだりすると、ひどく殴られたそうだ。彼は少年時代と青年時代の全部をこんなふうにすごし、やがて成長して体力も強くなると、自分から泥棒に出るようになった。この野蛮人はジュネープでその日その日の仕事で金をせしめては、稼いだ金をすっかり飲んでしまうという悪党暮しをしていたのだが、最後にはある老人を殺して、身ぐるみ剥いでしまった。彼は捕えられ、我判にかけられて、死刑を言い渡された。向うではセンチメンタルなお情けはかけないからな。ところが、刑務所に入ると彼はとたんに、いろいろな牧師だの、キリスト教団体の会員だの、慈善家の婦人などに取りかこまれたってわけさ。その連中は刑務所にいる彼に読み書きを教えこみ、聖書を講釈して、悔悟の念を起させにかかり、説き伏せたり、頭ごなしに押しつけたり、しつこく口説いたり、脅したりしたもんで、ついには彼自身も自分の罪を厳粛に自覚するようになったんだよ。彼は洗礼を受け、みずから裁判所にあてて、自分は悪党だったけれど、そんな自分もやっと神さまが目を開いてくださり、恵みを授けてくださったと、手紙を書いたんだ。ジュネープじゅうのすべてが、慈善の心篤い敬虔なジュネープ全市がすっかり湧き返る騒ぎさ。育ちのよい上流の人たちがこぞって刑務所に殺到し、リシャールを接吻し、抱擁して、『お前はわたしたちの兄弟だ。お前は神の恵みを授かったのだ!』と絶叫する。当のリシャールはただ感動に泣きくれるばかりさ。『はい、わたしは神の恵みを授かったのです! 以前のわたしは、少年時代、青年時代を通じて、豚の餌に大喜びしていたものですが、今やそんなわたしにも神の恵みが授かったのですから、主に抱かれて死ぬつもりです!』『そう、そうだとも、リシャール、主に抱かれて死ぬがよい。お前は人の血を流したのだから、主に抱かれて死ぬべきなのだ。お前が豚の餌を羨み、豚の餌を盗んだために折檻されたころ(お前のやったことはとても悪いことだよ、なぜなら盗みは許されないのだからね)、お前が主をまったく知らなかったのは、お前の罪でないにせよ、とにかくお前は人の血を流したのだから、死ななければいけない』こうしていよいよ最後の日が訪れた。すっかり袞弱しきったリシャールは、泣きながら、のべつ『今日はわたしの最良の日です。わたしは主の御許に参ります』とくりかえすことしか知らぬ有様だ。『そうだとも』牧師や、裁判官や、慈善家の婦人たちが叫びたてる。『今日はお前のいちばん幸福な日だ。お前は主の御許に行くのだからね!』この連中がみな、リシャールを運ぶ囚人馬車のあとについて、馬車や徒歩で断頭台めざして進んで行くんだ。そして断頭台に着いた。『死ぬがよい、兄弟よ』みなはリシャールに叫びたてる。『主に抱かれて死ぬがよい。お前にも神の恵みが授かったのだから』こうして、兄弟たちの接吻にうずめつくされたリシャールは断頭台に引きあげられ、ギロチンの上に寝かされ、彼にも神の恵みが授かったという理由で兄弟として、それでも首をはね落されたというわけだ。いや、これは実に特徴的な話だよ。このパンフレットはロシアの上流社会の、ルーテル派の慈善家たちによってロシア語に訳されて、民衆の啓蒙のために新聞やそのほかの刊行物に添えて無料で配られたものさ。リシャールの一件は、国民的だという点で実に傑作だよ。わが国じゃ、一人の人間がわれわれの兄弟になり、神の恵みを授かったというだけの理由で、首をはねるなんてことは、およそばかばかしいかぎりだけれど、しかし、くどいようだが、ロシアにはやはり独自の、これにも劣らぬほどのものがあるんだよ。ロシアじゃ、こっぴどくぶん殴るのが、歴史的、直接的な、いちばん手近な快楽なんだ。ネクラーソフに、百姓が馬の目を、《おとなしい目を》鞭で打ち据えるという詩があるだろ(訳注 『たそがれまで』という詩)。これはだれでも一度は見たことのある光景で、これがロシア式というやつさ。ネクラーソフは、重すぎる荷を曳かされた痩せ馬が、荷車ごと泥濘にはまりこんで、ぬけだせずにいる様子を描いているんだ。百姓が鞭で打ち据える。怒り狂って打ち据え、ついには自分が何をしているかもわからずに殴りつづけ、殴る快感に酔ってカまかせに数限りなく殴りつづける。『たとえむりな荷でも、曳くんだ。死んでもいいから引っ張れ!』痩せ馬はもがく。百姓はついに馬の無防御な、泣いているような、《おとなしい目》をねらって殴りはじめる。馬は夢中ですっとび、泥濘からぬけだすと、息もできずに全身をふるわせながら、何か横っとびに跳躍するような、不自然なみっともない格好で走りだす――ネクラーソフのこの詩は恐ろしいほどだよ。しかし、これはたかが馬でしかないし、馬なんてものは鞭で打つために神さまが授けてくださったんだ。かつてタタール人はわれわれにこう教えて、記念に鞭をくれたもんさ。しかし、鞭では人間だって殴れるんだからな。

いいかい、もう一度はっきり断言しておくが、人間の多くの者は一種特別な素質をそなえているものなんだ――それは幼児虐待の嗜好だよ、しかも相手は幼児に限るんだ。ほかのあらゆる人間に対しては、同じこの迫害者がいかにも教養豊かで人道的なヨーロッパ人らしい態度を示すのだが、子供を痛めつけるのが大好きで、その意味では子供そのものを愛しているとさえ言えるわけだ。この場合、まさに子供たちのかよわさが迫書者の心をそそりたてるのさ。逃げ場もなく、頼るべき人もいない子供たちの天使のような信じやすい心、これが迫害者のいまわしい血を燃えあがらせるんだ。もちろん、どんな人間の中にも、けだものがひそんでいる。怒りやすいけだもの、痛めつけられるいけにえの悲鳴に性的快感を催すけだもの、鎖から放たれた抑制のきかぬけだもの、放蕩の末に痛風だの、肝臓病などという病気をしょいこんだけだもの、などがね。このかわいそうな五つの女の子を、教養豊かな両親はありとあらゆる手で痛めつけたんだ。理由なぞ自分でもわからぬまま、殴る、鞭打つ、足蹴にするといった始末で、女の子の全身を痣だらけにしたもんさ。そのうちついに、この上なく念のいった方法に行きついた。真冬の寒い日に、女の子を一晩じゅう便所に閉じこめたんだよ。それも女の子が夜中にうんちを知らせなかったというだけの理由でね(まるで、天使のようなすこやかな眠りに沈んでいる五つの子供が、うんちを教える習慣をすっかり身につけているとでも言わんばかりにさ)、その罰に顔じゅうに洩らしたうんこをなすりつけたり、うんこを食べさせたりするんだ、それも母親がだぜ、実の母親がそんなことをさせるんだよ! しかもこの母親は、便所に閉じこめられたかわいそうな子供の呻き声が夜中にきこえてくるというのに、ぬくぬくと寝ていられるんだからな! お前にはこれがわかるかい。一方じゃ、自分がどんな目に会わされているのか、まだ意味さえ理解できぬ小さな子供が、真っ暗な寒い便所の中で、悲しみに張り裂けそうな胸をちっぽけな拳でたたき、血をしぼるような涙を恨みもなしにおとなしく流しながら、《神さま》に守ってくださいと泣いて頼んでいるというのにさ。お前にはこんなばかな話がわかるかい。お前は俺の親しい友だし、弟だ。お前は神に仕える柔和な見習い修道僧だけれど、いったい何のためにこんなばかな話が必要なのか、何のためにこんなことが創りだされるのか、お前にはわかるかい! これがなければ人間はこの地上に生きてゆくことができない、なぜなら善悪を認識できなくなるだろうから、なんて言う連中もいるがね。いったい何のために、これほどの値を払ってまで、そんな下らない善悪を知らにゃならないんだ。だいたい、認識の世界を全部ひっくるめたって、《神さま》に流したこの子供の涙ほどの値打ちなんぞありゃしないんだからな。俺は大人の苦しみに関しては言わんよ。大人は知恵の実を食べてしまったんだから、大人なんぞ知っちゃいない。みんな悪魔にでもさらわれりゃいいさ、しかし、この子供たちはどうなんだ! 俺はお前を苦しめているかな、アリョーシャ、なんだか気分がわるいみたいだな。なんなら、やめようか」
「かまいません、僕も苦しみたいんですから」アリョーシャはつぶやいた。
「もう一つ、もう一つだけこんな光景を披露しておこう、それも好奇心から話すので、ひどく特徴的な光景なんだ。なにより、ついこの間ロシアの古文書集の一つで読んだばかりだしな。『古記録』だったか、『古代記』だったか、調べてみなけりゃならないけど、どこで読んだのか、それさえ忘れちまったよ。まだ今世紀のはじめ、農奴制下のいちばん陰惨な時代の話だ。まったく民衆の解放者(訳注 一八六一年に農奴制を廃したアレクサンドル二世を意味する)万歳だよ! ところで、今世紀のはじめ、さる将軍がいた。有力な縁故に恵まれた将軍で、きわめて裕福な地主だったけれど、軍務から引退するや、これで自分の領民たちの生死まで左右する権利を獲得したとほとんど信じきってしまったような地主の一人だったんだ。たしかに、こういう地主は当時でもすでにごく少数だったらしいが、そのころはそんな連中がいたんだよ。将軍は二千人もの農奴を擁する領地に暮し、威張りかえって、近隣の小地主たちを居候か、お抱えの道化みたいに見下していた。犬舎には数百匹の猟大がいるし、ほとんど百人近い犬番がみな揃いの制服を着て、馬に乗っているんだ。ところがある日、召使の忰で、せいぜい八つかそこらの小さな男の子が、遊んでいるはずみに、なんとなく石を投げて、将軍お気に入りのロシア・ハウンドの足を怪我させちまったのさ。『どうして、わしのかわいい犬がびっこをひいとるんだ?』と将軍がたずねると、実はこの少年が石をぶつけて足を怪我させたのでございます、という報告だ。『ああ、貴様の仕業か』将軍は少年をにらみつけて、『こいつをひっ捕えろ!』と命ずる。少年は捕えられ、母親の手もとから引きたてられて、一晩じゅう牢に放りこまれた。翌朝、夜が明けるか明けぬうちに、将軍が狩猟用の盛装をこらしてお出ましになり、馬にまたがる。まわりには居候どもや、猟犬、犬番、勢子たちが居並び、みんな馬に乗っているし、さらにそのまわりには召使たちが見せしめのために集められ、いちばん前に罪を犯した少年の母親が据えられているんだ。やがて少年が牢から引きだされる。霧のたちこめる、陰鬱な、寒い、猟には持ってこいの秋の日でな。少年を裸にしろという将軍の命令で、男の子は素裸にされてしまう。恐ろしさのあまり、歯の根が合わず、うつけたようになってしまって、泣き叫ぶ勇気もない始末だ……『そいつを追え!』将軍が命令する。『走れ、走れ!』犬番たちがわめくので、少年は走りだす……『襲え!』将軍は絶叫するなり、ポルゾイの群れを一度に放してやる。母親の目の前で犬に噛み殺させたんだよ。犬どもは少年をずたずたに引きちぎってしまった!……将軍は後見処分にされたらしいがね。さて……こんな男をどうすればいい? 銃殺か? 道義心を満足させるために、銃殺にすべきだろうか? 言ってみろよ、アリョーシャ!」
「銃殺です!」ゆがんだ蒼白な徴笑とともに眼差しを兄にあげて、アリョーシャが低い声でロ走った。
「でかしたぞ!」イワンは感激したように叫んだ。「お前がそう言うからには、つまり……いや、たいしたスヒマ僧だよ! つまり、お前の心の中にも小さな悪魔がひそんでいるってわけだ、アリョーシャ・カラマーゾフ君!」
「ばかなことを言ってしまいましたけど、でも……」
「ほら、そのでもってのが問題なんだよ……」イワンが叫んだ。「いいかい、見習い僧君、この地上にはばかなことが、あまりにも必要なんだよ。ばかなことの上にこの世界は成り立っているんだし、ばかなことがなかったら、ひょっとすると、この世界ではまるきり何事も起らなかったかもしれないんだぜ。われわれは知るべきことはちゃんと知っているんだよ」
「兄さんは何を知ってるんです?」
「俺には何もわからないよ」イワンはうわごとでも言うようにつづけた。「それに今は何もわかりたくないしな。俺はあくまでも事実に即していたいんだ。だいぶ前から理解なんぞしないことに決めたんだよ。何事かを理解しようとすると、とたんに事実を裏切ることになってしまうんで、あくまでも事実に即していようと決心したんだ……」
「兄さんは何のために僕を試したりするんです?」アリョーシャははげしい感情をこめて悲痛に叫んだ。「最後には話してくれるんでしょうね?」
「もちろん言うとも。言うために、話をこうやって運んできたんだからな。お前は俺にとって大切な人間だから、お前を手放したくないし、ゾシマ長老なんぞに引き渡しはしないぜ」イワンはしばし沈黙した。その顔はふいにひどく愁わしげになった。
「まあ、きいてくれ。俺は、より明白にさせるために、子供ばかり例にあげたんだよ。地表から中心までこの地球全体にしみこんでいる、ほかの人間たちの涙については、もう一言も言わない。俺はわざとテーマを狭めてみせたんだ。俺は南京虫にもひとしい人間だから、何のためにすべてがこんな仕組みになっているのか、さっぱり理解できないってことを、謙虚に認めるよ。つまり、わるいのは人間自身なのさ。天国を与えられていたのに、不幸になるのを承知の上で、自由なんぞを欲し、天上の火を盗んだんだからな。つまり、人間なんぞ憐れむことはないってわけだ。ああ、俺の考えでは、俺のみじめな地上的、ユークリッド的頭脳では、俺にわかるのは、苦しみが現に存在していること、罪びとなどいないこと、すべては単純直截にそれからそれへと派生し、すべてが流れて釣り合いを保っていることくらいだよ。しかし、これだってユークリッド的なたわごとにすぎないんだ。なにしろ俺はそのことを知っているんだし、そんなたわごとに従って生きていくことには同意できないんだからな! 罪びとがいないからといって、そして俺がそれを知っているからといって、そんなことが俺にとって何になるというんだ――俺に必要なのは報復だよ、でなかったら俺はわが身を滅ぼしてしまうだろう。その報復もそのうちどこか無限のかなたでなどじゃなく、この地上で起ってもらいたいね。俺がこの目で見られるようにな。俺はそれを信じてきたし、この目で見たいのだ。もしその時までに俺が死んでしまうようなら、よみがえらせてほしい。だって、俺のいないところですべてが起るとしたら、あまりにも腹立たしいものな。俺が苦しんできたのは決して、自分自身や、自己の悪行や苦しみを、だれかの未来の調和にとっての肥料にするためにじゃないんだ。俺は、やがて鹿がライオンのわきに寝そべるようになる日や、斬り殺された人間が起き上がって、自分を殺したやつと抱擁するところを、この目で見たいんだよ。何のためにすべてがこんなふうになっていたかを、突然みんながさとるとき、俺はその場に居合せたい。地上のあらゆる宗教はこの願望の上に創造されているんだし、俺もそれを信じている。しかし、それにしても子供たちはどうなるんだ。そのときになって俺はあの子供たちをどうしてやればいいんだ? これは俺には解決できない間題だよ。百遍だって俺はくりかえして言うけれど、問題はたくさんあるのに、子供だけを例にとったのは、俺の言わねばならぬことが、そこに反駁できぬほど明白に示されているからなんだ。そうじゃないか、たとえ苦しみによって永遠の調和を買うために、すべての人が苫しまなければならぬとしても、その場合、子供にいったい何の関係があるんだい、せひ教えてもらいたいね。何のために子供たちまで苦しまなけりゃならないのか、何のために子供たちが苦しみによって調和を買う必要があるのか、まるきりわからんよ。いったい何のために、子供たちまで材料にされて、だれかの未来の調和のためにわが身を肥料にしたんだろう? 人間同士の罪の連帯性ってことは、俺にもわかるし、報復の連帯性もわかる。しかし、罪の連帯性なんぞ、子供にあるものか。もし、子供も父親のあらゆる悪行に対して父親と連帯責任があるというのが、本当に真実だとしたら、もちろん、そんな真実はこの世界のものじゃないし、俺には理解できんよ。なかには素頓狂なやつがいて、どのみち子供もいずれは大人になって罪を犯すにきまっている、なんて言うかもしれないけれど、現にあの子供はまだ大人になっていなかったんだ。わずか八歳で犬どもに食い殺されたんだからな。ああ、アリョーシャ、俺は神を冒瀆してるわけじゃないんだよ! やがて天上のもの、地下のものすべてが一つの賞讃の声に融け合い、生あるもの、かつて生をうけたものすべてが『主よ、あなたは正しい。なぜなら、あなたの道が開けたからだ!』と叫ぶとき、この宇宙の感動がどんなものになるはずか、俺にはよくわかる。母親が犬どもにわが子を食い殺させた迫害者と抱き合って、三人が涙とともに声を揃えて『主よ、あなたは正しい』と讃えるとき、もちろん、認識の栄光が訪れて、すべてが解明されることだろう。しかし、ここでまたコンマが入るんだ。そんなことを俺は認めるわけにいかないんだよ。だから、この地上にいる間に、俺は自分なりの手を打とうと思っているんだ。わかるかい、アリョーシャ、そりゃことによると、俺自身がその瞬間まで生き永らえるなり、その瞬間を見るためによみがえるなりしたとき、わが子の迫害者と抱擁し合っている母親を眺めながら、この俺自身までみんなといっしょに『主よ、あなたは正しい!』と叫ぶようなことが本当に起るかもしれない、でも俺はそのときに叫びたくないんだよ。まだ時間のあるうちに、俺は急いで自己を防衛しておいて、そんな最高の調和なんぞ全面的に拒否するんだ。そんな調和は、小さな拳で自分の胸をたたきながら、臭い便所の中で償われぬ涙を流して《神さま》に祈った、あの痛めつけられた子供一人の涙にさえ値しないよ! なぜ値しないかといえば、あの子の涙が償われずじまいだったからさ。あの涙は当然慣われなけりゃならない、それでなければ調和もありえないはずじゃないか。しかし、何によって、いったい何によって償える? はたしてそんなことが可能だろうか? 迫害者たちが復讐されることによってか? しかし、俺にとって復讐が何になる。なぜ迫害者のための地獄なんぞが俺に必要なんだ。子供たちがすでにさんざ苦しめられたあとで、地獄がいったい何を矯正しうると言うんだ? それに、地獄があるとしたら、調和もくそもないじゃないか。俺だって赦したい、抱擁したい、ただ俺は人々がこれ以上苦しむのはまっぴらだよ。そして、もし子供たちの苦しみが、真理を買うのに必要な苦痛の総頷の足し前にされたのだとしたら、俺はあらかじめ断わっておくけど、どんな真理だってそんなべらぼうな値段はしないよ。結局のところ俺は、母親が犬どもにわが子を食い殺させた迫害者と抱擁し合うなんてことが、まっぴらごめんなんだよ! いくら母親でも、その男を赦すなんて真似はできるもんか! 赦したけりゃ、自分の分だけ赦すがいい。母親としての測り知れぬ苦しみの分だけ、迫害者を赦してやるがいいんだ。しかし、食い殺された子供の苦しみを赦してやる権利なぞありゃしないし、たとえ当の子供がそれを赦してやったにせよ、母親が迫害者を赦すなんて真似はできやしないんだよ! もしそうなら、もしその人たちが赦したりできないとしたら、いったいどこに調和があるというんだ? この世界じゅうに、叔すことのできるような、赦す権利を持っているような存在がはたしてあるだろうか? 俺は調和なんぞほしくない。人類への愛情から言っても、まっぴらだね。それより、報復できぬ苦しみをいだきつづけているほうがいい。たとえ俺が間違っているとしても、報復できぬ苦しみと、癒やされぬ憤りとをいだきつづけているほうが、よっぽどましだよ。それに、あまりにも高い値段を調和につけてしまったから、こんなべらぼうな入場料を払うのはとてもわれわれの懐ろではむりさ。だから俺は自分の入場券は急いで返すことにするよ。正直な人間であるからには、できるだけ早く切符を返さなけりゃいけないものな。俺はそうしているんだ。俺は神を認めないわけじゃないんだ、アリョーシャ、ただ謹んで切符をお返しするだけなんだよ」
「それは反逆ですよ」アリョーシャは目を伏せて、小さな声で言った。
「反逆? お前からそんな言葉は聞きたくなかったな」イワンがしみじみした口調で言った。「反逆などで生きていかれるかい、俺は生きていたいんだぜ。ひとつお前自身、率直に言ってみてくれ、お前を名ざしてきくんだから、ちゃんと答えてくれよ。かりにお前自身、究極においては人々を幸福にし、最後には人々に平和と安らぎを与える目的で、人類の運命という建物を作ると仮定してごらん、ただそのためにはどうしても必然的に、せいぜいたった一人かそこらのちっぼけな存在を、たとえば例の小さな拳で胸をたたいて泣いた子供を苦しめなければならない、そしてその子の償われぬ涙の上に建物の土台を据えねばならないとしたら、お前はそういう条件で建築家になることを承諾するだろうか、答えてくれ、嘘をつかずに!」
「いいえ、承諸しないでしょうね」アリョーシャが低い声で言った。
「それじゃ、お前に建物を作ってもらう人たちが、幼い受難者のいわれなき血の上に築かれた自分たちの幸福を受け入れ、それを受け入れたあと、永久に幸福でありつづけるなんて考えを、お前は認めることができるかい?」
「いいえ、認めることはできません。兄さん」ふいに目をかがやかせて、アリョーシャが言った。「兄さんは今、この世界じゅうに赦すことのできるような、赦す権利を持っているような存在がはたしてあるだろうかと、言ったでしょう? でも、そういう存在はあるんですよ、その人(訳注 キリストのこと)ならすべてを赦すことができます、すべてのことに対してありとあらゆるものを赦すことができるんです。なぜなら、その人自身、あらゆる人、あらゆるもののために、罪なき自己の血を捧げたんですからね。兄さんはその人のことを忘れたんだ、その人を土台にして建物は作られるんだし、『主よ、あなたは正しい。なぜなら、あなたの道は開けたからだ』と叫ぶのは、その人に対してなんです」
「ああ、それは《ただ一人の罪なき人》と、その人の流した血のことだな! いや、俺は忘れてやしない。むしろ反対に、お前がいつまでもその人を引っ張りだしてこないんで、ずっとふしぎに思っていたくらいさ。なにしろ、たいてい議論の際にお前の仲間はみんな、真っ先にその人を押したてるのが普通だからな。あのね、アリョーシャ、笑わないでくれよ、俺はいつだったか、そう一年くらい前に、叙事詩を一つ作ったんだよ。もし、あと十分くらい付き合ってくれるんなら、そいつを話したいんだけどな」
「兄さんが叙事詩を書いたんですか?」
「いや、書いたわけじゃないよ」イワンは笑いだした。「それに俺は生れてこの方、一度だって二行の詩さえ作ったことはないからな。でも、この叙事詩は頭の中で考えついて、おぼえてしまったんだ。熱心に考えたもんさ。お前が最初の読者、つまり聞き手になるわけだ。実際、作者としてはたとえたった一人の聞き手でも、失う法はないものな」イワンは苦笑した。「話そうか、どうしようか?」
「大いに聞きたいですね」アリョーシャが言った。
「俺の叙事詩は『大審問官』という表題でね。下らぬ作品だけど、お前にはぜひきかせたいんだよ」

深い闇の中で突然、牢獄の鉄の扉が開き、当の老大審問官が燈明を片手にゆっくり牢獄に入ってくる。彼は一人きりで、入ったあとただちに扉はしめられる。大審問官は入り口で立ちどまり、一分か二分じっとキリストの顔を見つめる。やがて静かに歩みより、燈明をテーブルの上に置くと、キリストに言う。『お前はキリストなのか? キリストだろう?』だが、返事が得られぬため、急いで付け加える。『答えなくてもよい、黙っておれ。それにお前がいったい何を言えるというのだ? お前の言うことくらい、わかりすぎるほどわかっておるわ。そのうえお前には、もう昔言ったことに何一つ付け加える権利はないのだ。なぜわれわれの邪魔をしにきた? なにしろお前はわれわれの邪魔をしにきたんだし、自分でもそれは承知しとるはずだ。しかし、明日どうなるか、わかっているのか? お前がいったい何者か、わしは知らんし、知りたくもない。お前がキリストなのか、それともその同類にすぎないのか、わしは知らないが、とにかく明日になったらお前を我きにかけて、異端のもっとも悪質なものとして火あぶりにしてやる。そうなれば今日お前の足に接吻した同じあの民衆が、明日はわしの合図一つでお前を焼く焚火に炭を放りこみに走るのだ、お前にはそれがわかっているのか? そう、おそらくお前はそれを承知しとるんだろうな』大審問官は囚人から一瞬も視線をそらさず、思い入れたっぷりな瞑想にふけりながら言い添えた」
「あまりよくわからないけど、それはいったい何のことです、兄さん?」それまでずっと黙ってきいていたアリョーシャが微笑して言った。「ただの雄大な幻想ですか、それとも老人の何かの誤解か、およそありえないようなqui pro quo(人違い)ですか?」
「なんなら後者と受けとってもいいんだぜ」イワンが笑った。「もしお前が現代のリアリズムにすっかり甘やかされた結果、何一つ幻想的なものは受けつけず、あくまでも qui pro quo であってほしいというんなら、それでもかまわんさ。たしかにそのとおりだよ」彼はまた大笑いした。「なにしろ老人は九十なんだから、とうの昔に自己の思想で気がふれかねなかったんだしな。それに囚人がその外貌で彼をびっくりさせたかもしらんしさ。結局のところ、こんなのは、死を目前に控え、しかも百人もの異端を焼き殺した咋日の火刑でまだ興奮のさめやらぬ、九十歳の老人のうわごとか幻覚にすぎないかもしれないんだよ。しかし、俺たちにとっては、qui pryo quo だろうと、雄大な幻想だろうと、どうせ同じことじゃないかね? 要するに問題は、老人が自分の考えを存分に述べる必要があるという点なんだし、そしてついに九十年の分をひと思いに述べ、九十年も黙っていたことを声にだして話しているという点だけにあるんだからな」
「じゃ、囚人も沈黙しているんですか? 相手を見つめたまま、一言も言わないんですか?」
「それはどんな場合にもそうでなけりゃいけないよ」イワンがまた笑いだした。「老人自身が指摘しているとおり、キリストは昔すでに言ったことに何一つ付け加える権利はないんだからね。なんだったら、まさしくその点にこそローマ・カトリック教の根本的な特徴があると言ってもいいんだ。少なくとも俺の考えではね。つまり、『お前はすべてを教皇に委ねた。したがって今やすべては教皇の手中にあるのだから、いまさらお前なんぞ来てくれなくてもいいんだ。少なくとも、しかるべき時まで邪魔しないでくれ』というわけだ。こういう意味のことを彼らは言っているばかりか、ちゃんと書いてもいるんだ、少なくともイエズス会の連中はな。俺自身、この派の神学者の本で読んだことがあるもの。ところで、『お前が今やってきた、向うの世界の秘密をたとえ一つなりとわれわれに告げる権利が、お前にはあるだろうか?』と老審問官はたずね、キリストに代って自分で答える。『いや、あるものか。それというのも、昔すでに語ったことに付け加えぬためだし、この地上にいたころお前があれほど擁護した自由を人々から取りあげぬためなのだ。お前が新たに告げることはすべて、人々の信仰の自由をそこなうことになるだろう。なぜなら、そのお告げは奇蹟として現われるからだ。お前にとって人々の信仰の自由とは、すでに千五百年も前のあの当時から、何よりも大切だったはずではないか。あのころしきりに《あなた方を自由にしてあげたい》と言っていたのは、お前ではなかったろうか。ところがお前は今その《自由な》人々を見たのだ』ふいに老審問官は考え深げな笑いをうかべて、言い添える。『そう、この仕事はわれわれにとって、ずいぶん高いものについた』きびしくキリストを見つめながら、彼はつづける。『しかし、われわれはお前のためにこの仕事を最後までやってのけたのだ。十五世紀の間、われわれはこの自由というやつを相手に苦しんできたけれど、今やそれも終った。しっかりと完成したのだ。しっかりと完成したのが、お前には信じられないかね? お前は柔和にわしを見つめるばかりで、憤りさえ表わしてくれないのか? だが、承知しておくがいい、今や、まさしく今日、人々はいつの時代にもまして自分たちが完全に自由であると信じきっているけれど、実際にはその自由をみずからわれわれのところに持ってきて、素直にわれわれの足もとに捧げたのだ。しかし、それをやってのけたのはわれわれだし、お前の望んでいたのもそのことだったのではないか、そういう自由こそ?』」
「僕にはまたわからない」アリョーシャが口をはさんだ。「大審問官は皮肉を言って、からかっているんですか?」
「とんでもない。老審問官は、ついに自分たちが自由に打ち克ち、しかも人々を幸福にするためにそうやってのけたことを、自分と部下たちの功績に帰しているのさ。『なぜなら今こそやっと(つまり、彼の言っているのは異端審問のことなのだ)、はじめて人々の幸福について考えることが可能になったからだ。人間はもともと反逆者として作られている。だが、はたして反逆者が幸福になれるものだろうか? お前は警告を受けていたはずだ』と彼はキリストに言う。『警告や指示に不足はなかったはずなのに、お前は警告をきこうとせず、人々を幸福にしてやれる唯一の道をしりぞけてしまったのだ。しかし、幸いなことに、去りぎわにお前はわれわれに仕事を委ねていった。お前は約束し、自分の言葉で確言し、人々を結びつけたり離したりする権利をわれわれに与えた。だから、もちろん、今となってその権利をわれわれから取りあげるなぞ、考えることもできないのだぞ。いったい何のためにわれわれの邪魔をしにきたのだ?』」
「でも、警告や指示に不足はなかったはずだというのは、どういう意味です?」アリョーシャがたずねた。
「そこが老審問官のぜひとも言わねばならぬ肝心の点でもあるわけさ。
『聡明な恐ろしい悪魔が、自滅と虚無の悪魔が』と老審問官は言葉をつづけたのだ。『偉大な悪魔が、かつて荒野でお前と問答を交わしたことがあったな。福音書には、悪魔がお前を《試みよう》としたかのように伝えられているが(訳注 マタイによる福音書第四章)本当にそうだろうか? そして、悪魔が三つの問いという形でお前に告げ、お前が拒否し、福音書の中で《試み》とよばれているあの言葉よりも、いっそう真実なことを何かしら言いえただろうか? 実際のところ、もしこの地上でかつて真の衝撃的な奇蹟が成就されたことがあるとすれば、それはあの日、つまりあの三つの試みの行われた日にほかならない。あの三つの問いの出現にこそ、まさしく奇蹟が存しているからだ。一例としてためしに今、もしあの恐ろしい悪魔の三つの問いが福音書から跡形もなく消え失せてしまい、それを復元して福音書にふたたび記入するために、新たに問いを考えだして作る場合を想定しうるとしたら、そしてそのために支配者や高僧、学者、哲学者、詩人など、この地上のあらゆる賢者を集めて、さあ、三つの問いを考えて作るがいい、だがその問いは事件の規模に釣り合うだけではなく、そのうえわずか三つの言葉、わずか三つの人間の文句で、世界と人類の未来の歴史をあますところなく表現しうるようなものでなければならぬぞ》と課題を与えるとしたら、一堂に会した地上の全叡知は、はたしてあのとき力強い聡明な悪魔が荒野で実際にお前に呈した三つの質問に、深みやカから言って匹敵できるようなものを何かしら考えだせるとでも、お前は思うのか? これらの質問を見ただけで、またそれらの出現した奇蹟を見ただけで、お前の相手にしているのが人間の現在的な知恵ではなく、絶対的な永遠の知恵であることが理解できるはずだ。なぜなら、この三つの問いには、人間の未来の歴史全体が一つに要約され、予言されているのだし、この地上における人間の本性の、解決しえない歴史的な矛盾がすべて集中しそうな――一つの形態があらわれているからだ。当時このことはまだ、さほど明らかではなかったかもしれない。なにしろ未来はうかがい知れぬものだったからな。しかし、すでに十五世紀をへた現在では、この三つの問いの中で何もかもが実にみごとに推測され、予言され、ぴたりと的中しているので、もはやこの問いに何一つ付け加えることも、差し引くこともできないということが、よくわかるだろう。
 自分で判断してみるがいい。お前と、あのときお前に問いを発した悪魔と、いったいどちらが正しかったか? 第一の問いを思いだすのだ。文字どおりでこそないが、意味はこうだった。《お前は世の中に出て行こうと望んで、自由の約束とやらを土産に、手ぶらで行こうとしている。ところが人間たちはもともと単純で、生れつき不作法なため、その約束の意味を理解することもできず、もっぱら恐れ、こわがっている始末だ。なぜなら、人間と人間社会にとって、自由ほど堪えがたいものは、いまだかって何一つなかったからなのだ! この裸の焼野原の石ころが見えるか? この石ころをパンに変えてみるがいい、そうすれば人類は感謝にみちた従順な羊の群れのように、お前のあとについて走りだすことだろう。もっとも、お前が手を引っ込めて、彼らにパンを与えるのをやめはせぬかと、永久に震えおののきながらではあるがね》ところがお前は人間から自由を奪うことを望まず、この提案をしりぞけた。服従がパンで買われたものなら、何の自由があろうか、と判断したからだ。お前は、人はパンのみにて生きるにあらず、と反駁した。だが、お前にはわかっているのか。ほかならぬこの地上のパンのために、地上の霊がお前に反乱を起し、お前とたたかって、勝利をおさめる、そして人間どもはみな、《この獣に似たものこそ、われらに天の火を与えてくれたのだ!》と絶叫しながら、地上の霊のあとについて行くのだ。お前にはわかっているのか。何世紀も過ぎると、人類はおのれの叡知と科学とのロをかりて、《犯罪はないし、したがって罪もない。あるのは飢えた者だけだ》と公言するようになるだろう。《食を与えよ、しかるのち善行を求めよ!》お前に向ってひるがえす旗にはこんな文句が書かれ、その旗でお前の教会は破壊されるのだ。お前の教会の跡には新しい建物が作られる。ふたたび恐ろしいバベルの塔がそびえるのだ。もっとも、この塔も昔のと同様、完成することはないだろうが、いずれにせよ、お前はこの新しい塔の建設を避けて、人々の苦しみを千年分も減らしてやることができたはずなのだ。なぜなら、人々は千年もの間この塔に苦しみぬいたあげく、われわれのところへやってくるにきまっているからな! 彼らはそのときになってまた、地下の埋葬所に隠れているわれわれを探しまわり(というのも、われわれはふたたび弾圧され、迫害されているだろうからな)、見つけだして、訴えることだろう。《われわれに食を与えてください。天上の火を約束した人が、くれなかったのです》そうすればもう、われわれが塔を完成してやる。なぜなら、食を与える者こそ塔を完成できるのだし、食を与えてやれるのはわれわれだけだからだ。お前のためにな。いや、お前のためにと、われわれは嘘をつくのだ。ああ、われわれがいなかったら、人間どもは決して、決して食にありつくことはできないだろう! 彼らが自由でありつづけるかぎり、いかなる科学もパンを与えることはできないだろう。だが、最後には、彼らがわれわれの足もとに自由をさしだして、《いっそ奴隷にしてください、でも食べものは与えてください》と言うことだろう。ついに彼ら自身が、どんな人間にとっても自由と地上のパンとは両立して考えられぬことをさとるのだ。それというのも、彼らは決してお互い同士の間で分ち合うことができないからなのだ! 彼らはまた、自分たちが決して自由ではいられぬことを納得する。なぜなら、彼らは無力で、罪深く、取るに足らぬ存在で、反逆者だからだ。お前は彼らに天上のパンを約束した。だが、もう一度くりかえしておくが、かよわい、永遠に汚れた、永遠に卑しい人間種族の目から見て、天上のパンを地上のパンと比較できるだろうか? かりに天上のパンのために何千、何万の人間がお前のあとに従うとしても、天上のパンのために地上のパンを黙殺することのできない何百万、何百億という人間たちは、いったいどうなる? それとも、お前にとって大切なのは、わずか何万人の偉大な力強い人間だけで、残りのかよわい、しかしお前を愛している何百万の、いや、海岸の砂粒のように数知れない人間たちは、偉大な力強い人たちの材料として立てばそれでいいと言うのか? いや、われわれにとっては、かよわい人間も大切なのだ。彼らは罪深いし、反逆者でもあるけれど、最後には彼らとて従順になるのだからな。彼らはわれわれに驚嘆するだろうし、また、われわれが彼らの先頭に立って、自由の重荷に堪え、彼らを支配することを承諾してくれたという理由から、われわれを神と見なすようになることだろう、それほど最後には自由の身であることが彼らには恐ろしくなるのだ! しかし、われわれはあくまでもキリストに従順であり、キリストのために支配しているのだ、と言うつもりだ。彼らをふたたび欺くわけだ。なぜなら、お前を二度とそばへ寄せつけはしないからな。この欺瞞の中にこそ、われわれの苦悩も存在する。なぜなら、われわれは嘘をつきつづけなければならぬからだ。これこそ、荒野での第一の問いの意味したものだし、お前が何よりも大切にした自由のために拒絶したものも、これにほかならない。また一方、この問いにはこの世界の偉大な秘密が含まれてもいたのだ。《パン》を認めていれば、お前は、個人たると全人類たるとを問わずすべての人間に共通する永遠の悩みに答えることになったはずだった。その悩みとは、《だれの前にひれ伏すべきか?》ということにほかならない。自由の身でありつづけることになった人間にとって、ひれ伏すべき対象を一刻も早く探しだすことくらい、絶え間ない厄介な苦労はないからな。しかも人間は、もはや論議の余地なく無条件に、すべての人間がいっせいにひれ伏すことに同意するような、そんな相手にひれ伏すことを求めている。なぜなら、人間という哀れな生き物の苦労は、わしなり他のだれかなりがひれ伏すべき対象を探しだすことだけではなく、すべての人間が心から信じてひれ伏すことのできるような、それも必ずみんながいっしょにひれ伏せるような対象を探しだすことでもあるからだ。まさにこの跪拝の統一性という欲求こそ、有史以来、個人たると人類全体たるとを問わず人間一人ひとりの最大の苦しみにほかならない。統一的な跪拝のために人間は剣で互いに滅ぼし合ってきたのだ。彼らは神を創りだし、互いによびかけた。《お前たちの神を棄てて、われわれの神を拝みにこい。さもないと、お前たちにも、お前たちの神にも、死を与えるぞ!》たぶん、世界の終りまでこんな有様だろうし、この世界から神が消え去るときでさえ、同じことだろう。どうせ人間どもは偶像の前にひれ伏すのだからな。お前は人間の本性のこの主要な秘密を知っていた。知らぬはずがない。それなのにお前は、すべての人間を文句なしにお前の前にひれ伏させるために提案された、地上のパンという唯一絶対の旗印をしりぞけてしまった。しかも、自由と天上のパンのためにしりぞけたのだ。そのあとお前が何をしでかしたか、よく見るといい! そして何もかもが、またしても自由のためになのだからな! お前に言っておくが、人間という不幸な生き物にとって、生れたときから身にそなわっている自由という贈り物を少しでも早く譲り渡せるような相手を見つけることくらい、やりきれぬ苦労はないのだ。だが、人間の自由を支配するのは、人間の良心を安らかにしてやれる者だけだ。パンといっしょにお前には、明白な旗印が与えられることになっていた。パンさえ与えれば、人間はひれ伏すのだ。なぜなら、パンより明白なものはないからな。しかし、その一方、もしだれかがお前に関係なく人間の良心を支配したなら、そう、そのときには人間はお前のパンすら投げ棄てて、自己の良心をくすぐってくれる者についてゆくことだろう。この点ではお前は正しかった。なにしろ、人間の生存の秘密は、単に生きることにあるのではなく、何のために生きるかということにあるのだからな。何のために生きるかという確固たる概念なしには、人間は生きてゆくことをいさぎよしとせぬだろうし、たとえ周囲のすべてがパンであったとしても、この地上にとどまるよりは、むしろわが身を滅ぼすことだろう。それはまさにそのとおりだが、しかし結果はいったいどうだ。お前は人間の自由を支配する代りに、いっそう自由を増やしてしまったではないか! それともお前は、人間にとっては安らぎと、さらには死でさえも、善悪の認識における自由な選択より大切だということを、忘れてしまったのか? 人間にとって良心の自由ほど魅力的なものはないけれど、同時にこれほど苦痛なものもない。ところが、人間の良心を永久に安らかにしてやるための確固たる基盤の代りに、お前は異常なもの、疑わしいもの、曖昧なものばかりを選び、人間の手に負えぬものばかりを与えたため、お前の行為はまるきり人間を愛していない行為のようになってしまったのだ。しかも、それをしたのがだれかと言えば、人間のために自分の生命を捧げに来た男なのだからな! 人間の自由を支配すべきところなのに、お前はかえってそれを増やしてやり、人間の心の王国に自由の苦痛という重荷を永久に背負わせてしまったのだ。お前に惹かれ、魅せられた人間が自由にあとにつづくよう、お前は人間の自由な愛を望んだ。昔からの確固たる掟に代って、人間はそれ以来、自分の前にお前の姿を指針と仰ぐだけで、何が善であり何が悪であるかを、自由な心でみずから決めなければならなくなったのだ。だが、選択の自由などという恐ろしい重荷に押しつぶされたなら、人間はお前の姿もお前の真理も、ついにはしりぞけ、反駁するようにさえなってしまうことを、お前は考えてみなかったのか? 最後には彼らは、真理はお前の内にはないと叫びだすだろう。なぜなら、彼らにあれほど多くの苦労と解決しえぬ難題を残すことによって、お前がやってのけた以上に、人間を混乱と苦しみの中に放りだすことなぞ、とても不可能だからだ。こういうわけで、お前自身が自己の王国の崩壊に根拠を与えたのだから、もはやこの点ではだれをも責めてはならないのだ。実際また、お前が提案されたのも、このことではなかっただろうか? 地上には三つの力がある。そしてただその三つのカのみが、こんな弱虫の反逆者たちの良心を、彼らの幸福のために永久に征服し、魅了することができるのだ。その力とは、奇蹟と、神秘と、権威にほかならない。お前は第一の力も、第二も、第三もしりぞけ、みずから模範を示した。聡明な恐ろしい悪魔が寺院の頂上にお前を立たせて、《もしお前が神の子なのかどうかを知りたければ、下にとびおりてみるがいい。なぜなら、神の子は天使に受けとめられ、運ばれるので、下に落ちることもないし、怪我もしないと書いてあるのだから。そうしてこそ、お前が神の子かどうか、わかるだろうし、そうしてこそ父なる神へのお前の信仰がどんなものなのかを証明できるのだ》と言ったとき、お前はそれをきき終ってから、提案をしりぞけ、誘いにのらず、下にとびおりたりしなかった。ああ、もちろんあの場合お前は、神として、誇り高く立派に振舞った。だが人間が、この弱虫な反逆者の種族が、いったい神だろうか? そう、あのとき、一歩踏みだしさえすれば、とびおりようと身動きしさえすれば、とたんに神を試みることになり、神への信仰をことごとく失って、お前が救うために来た大地にぶつかって大怪我をしたにちがいないし、お前を試した聡明な悪魔が大喜びしたにちがいないことを、お前はさとったのだ。だが、もう一度言うが、お前のような人間がたくさんいるだろうか? そして本当にお前は、人間もこんな試練に堪えられると、たとえ一瞬の間でも考えることができたのか? 人間の本性は、奇蹟をしりぞけるように創られているだろうか? 人生のこんな恐ろしい瞬間、つまり心底からのいちばん恐ろしい、根本的な、やりきれぬ疑問に苦しむ瞬間に、心の自由な決定だけですましていられるなんて、そんなふうに人間の本性は創られているのだろうか? そう、お前は自分の偉業が福音書に書きとどめられ、末永く地の果てまで到達することを知っていたので、人間もお前に倣って奇蹟を必要とせずに、神とともにとどまるだろうと期待した。しかし、人間は奇蹟をしりぞけるやいなや、ただちに神をもしりぞけてしまうことを、お前は知らなかった、なぜなら、人間は神よりはむしろ奇蹟を求めているからなのだ。そして人間は奇蹟なしにいつづけることなぞできないため、今度はもう新しい、自分自身の奇蹟を作りだして、祈禱師の奇蹟や、まじない女の妖術にひれ伏すようになる。たとえ自分がたいそうな反逆者で、異端者で、無神論者であったとしてもだ。人々がお前をからかい、愚弄して、《十字架から下りてみろ、そしたらお前が神の子だと信じてやる》と叫んだとき、お前は十字架から下りなかった。お前が下りなかったのは、またしても奇蹟によって人間を奴隷にしたくなかったからだし、奇蹟による信仰ではなく、自由な信仰を望んだからだ。お前が渇望していたのは自由な愛であって、永遠の恐怖を与えた偉大な力に対する囚人の奴隷的な歓喜ではなかった。だが、ここでもお前は人間をあまりにも高く評価しすぎたのだ。なにしろ彼らは、反逆者として創られたとはいえ、もちろん囚人だからだ。あたりを見まわして、判断するがいい。すでに十五世紀が過ぎ去ったけれど、お前が自分のところまで引きあげてやったのがどんな連中だったか、見てみるがいい。誓ってもいい。人間というのは、お前が考えているより、ずっと弱く卑しく創られているのだぞ! その人間に、お前と同じことがやりとげられるだろうか? お前は人間を尊ぶあまり、まるで同情することをやめてしまったかのように振舞った。それというのも、人間にあまり多くのものを要求しすぎたからなのだ。しかも、それがだれかと言えば、自分を愛する以上に人間を愛したお前なのだからな! 人間への尊敬がもっと少なければ、人間に対する要求ももっと少なかったにちがいない。それなら、もっと愛に近かったことだろう。なぜって、人間の負担ももっと軽くなっただろうからな。人間は弱く卑しいものだ。人間が今いたるところでわれわれの権力に対して反逆し、反逆していることを誇っているからといって、それがどうだと言うんだ? そんなものは、子供か小学生の誇りにすぎんよ。教室で造反して、先生を追いだした小さな子供たちと同じさ。だが、子供たちの歓喜にもいずれ終りがやってくる。子供たちにとっては高いものにつくだろう。彼らは寺院をぶちこわし、大地を血で汚すことだろう。しかし、愚かな子供たちもしまいには、たとえ自分たちが造反者であるにせよ、自分の造反さえ持ちこたえられぬ意気地なしの造反者にすぎないことに思いいたるのだ。愚かな涙を流しながら、彼らはやっと、自分たちを造反者として創った神は、疑いもなく、自分たちを笑いものにするつもりだったと認める。彼らは絶望しきってそう言うのだが、彼らの言ったことは神への冒瀆になり、そのため彼らはいっそう不幸になるだろう。なぜなら、人間の本性は神への冒瀆に堪えられずに、結局はいつも本性そのものが冒瀆に対する復讐をするからなのだ。というわけで、不安と混乱と不幸とが、彼らの自由のためにお前があれほどの苦しみに堪えぬいたあとの、人間の現在の運命にほかならない! お前の偉大な予言者(訳注 ヨハネのこと)は、最初の復活につらなった者をすべて見たがその数は各部族から一万二千人ずつだったと、幻想と比喩に託して語っている(訳注 ヨハネ黙示録第七章)しかし、彼らの数がそれだけだとしたら、彼らも人間ではなく、神のようなものではないか。彼らはお前の十字架を堪え忍び、いなごと草の根とで生命をつなぎながら、飢えと裸の荒野の何十年かを堪えぬいたのだ。だから、もちろんお前は、自由と、自由な愛と、お前のための自由で立派な犠牲との子らを、誇らしげにさし示してかまわない。だが、彼らがたった数万人でしかなく、それも神にひとしい人々であることを思いだすがよい。そのほかの人たちはどうなのか? 強い人たちが堪え忍んだことに、それ以外の弱い人たちが堪えられなかったからといって、何がわるいのだ? 弱い魂があんな恐ろしい贈り物を受け入れられぬからといって、いったい何がいけないのだ? まさか本当にお前は選ばれた者のために、選ばれた者のところへだけやって来たわけではないだろう? だが、もしそうなら、それは神秘であって、われわれの理解すべきことではない。また、もしそれが神秘であるなら、われわれも神秘を伝道して、《大切なのは心の自由な決定でもなければ愛でもなく、良心に反してでも盲目的に従わねばならぬ神秘なのだ》と教えこむ権利があるわけだ。われわれがやったのは、まさにそれさ。われわれはお前の偉業を修正し、奇蹟神秘権威の上にそれを築き直した。人々もまた、ふたたび自分たちが羊の群れのように導かれることになり、あれほどの苦しみをもたらした恐ろしい贈り物がやっと心から取り除かれたのを喜んだのだ。われわれがこんなふうに教え、実行してきたのは正しかったかどうか、言ってみるがいい。われわれがかくも謙虚に人類の無力を認め、愛情をもってその重荷を軽くしてやり、われわれの許しさえあれば、人類の意気地ない本性に対して、たとえ罪深いことでさえ認めてやったからといって、はたしてそれが人類を愛さなかったことになるだろうか? いったい何のためにお前は今ごろになってわれわれの邪魔をしに来たのだ? それに、どうして黙りこくって、そんな柔和な目でしみじみとわしを眺めている? 怒るがいい。わし自身お前を愛していないのだから、お前の愛なぞほしくない。それに、このわしがいったい何をお前に隠しだてせねばならないのだ? それとも、わしが今だれと話しているか、知らぬとでも言うのか? わしがこれから言おうとすることは、お前にはもうすべてわかっているはずだ。それくらい、お前の目を見れば読みとれるさ。このわしまで、われわれの秘密をお前に隠すと思うのか? ことによるとお前はその秘密をわしの口からききたいのかもしれんな。それなら、よくきくがいい。われわれはもはやお前にではなく、(悪魔) についているのだ、これがわれわれの秘密だ! もうだいぶ以前からお前ではなく、彼についているのだ。すでに八世紀にもなる。ちょうど八世紀前、われわれは彼から、お前が憤りとともにしりぞけたものを、つまり、彼が地上のすべての王国を示してお前にすすめた、あの最後の贈り物を受けとったのだ(訳注 紀元七五四年、フランク王国のピピンが教皇ステファヌス二世から承認されて国王となり、そのお礼に中部イタリアの土地を教皇領として寄付したことをさす)。われわれは彼からローマと帝王の剣とを受けとり、自分だけが地上の帝王であり唯一の帝王であると宣言したのだ。もっともいまだにわれわれの仕事を完全な仕上げに持ってゆけずにいるけれども。だが、それがだれの罪なのだろう? そう、この仕事はいまだに初期の段階にすぎないけれど、とにかく始められたのだからな。完成までこの先まだ永いこと待たなければならないし、大地はこれからもたくさん苦しみぬくことだろうが、われわれはいずれ目的を達して帝王になり、そのときこそもう人々の全世界的な幸福を考えてやるのだ。実際のところ、お前はあのときすでに帝王の剣を受けとることもできたはずだった。なぜお前はあの最後の贈り物をしりぞけたのだ? あの力強い悪魔の第三の忠告を受け入れていれば、お前は人間がこの地上で探し求めているものを、ことごとく叶えてやれたはずなのに。つまり、だれの前にひれ伏すべきか、だれに良心を委ねるか、どうすれば結局すべての人が論議の余地ない共同の親密な蟻塚に統一されるか、といった問題をさ。なぜなら、世界的な統合の欲求こそ、人間たちの第三の、そして最後の苦しみにほかならぬからだ。人類は全体として常に、ぜひとも世界的にまとまろうと志向してきた。偉大な歴史をもつ偉大な民族は数多くあったが、その民族が偉大であればあるほど、よけい不幸になった。なぜなら、人々の統合の世界性という欲求を、他の民族よりずっと強く意識したからだ。チムールとかジンギスカンといった偉大な征服者たちは、全世界の征服を志して、この地上を疾風のように走りぬけたものだが、その彼らにしても、無意識でこそあったけれど、やはり人類の世界的、全体的統合という、まったく同じ偉大な欲求を示したのだ。世界と帝位とを引き受けてこそ、全世界の王国を築き、世界的な平和を与えることができるはずではないか。とにかく、人間の良心を支配し、パンを手中に握る者でなくして、いったいだれが人間を支配できよう。われわれは帝王の剣を受けとったが、受けとった以上、もちろんお前をしりぞけ、彼のあとについたのだ。そう、人間の自由な知恵と、科学と、人肉食という非道の時代が、さらに何世紀かつづくことだろう。なぜなら、われわれの知らぬうちにバベルの塔を築きはじめた以上、彼らはしょせん人肉食で終るだろうからな。だがそのときこそ、けだものがわれわれのところに這いよってきて、われわれの足を舐め、その目から血の涙をふり注ぐのだ。そしてわれわれはけだものにまたがり、杯をふりかざす。その杯には《神秘!》と書かれていることだろう。だがそのとき、そのときはじめて人々にとって平和と幸福の王国が訪れるのだ。お前は自分の選良たちを誇りにしているが、お前のはしょせん選ばれた人々にすぎないし、われわれはすべての人に安らぎを与えるのだからな。そのうえさらに、こうも言えるのではないだろうか。それらの選ばれた人々や、選ばれた人になりえたはずの力強い人々のうちの大部分は、お前を待っているうちに、しまいに疲れてしまい、自己の精神力や情熱をほかの分野に移してしまったし、今後も移すことだろう、そして最後にはお前に対してその自由な反旗をひるがえすようになるのだ。だが、お前自身もその旗をひるがえしたのだったな。われわれの下ではあらゆる人が幸福になり、もはやお前の自由にひたっていたころのように、いたるところで反乱を起すことも、互いに滅ぼし合うこともなくなるだろう。そう、人々がわれわれのために自由を放棄し、われわれに服従するときこそ、はじめて自由になれるということを、われわれは納得させてやる。どうだね、われわれの言うとおりになるだろうか、それともわれわれが嘘をつくことになるだろうか? われわれの正しさを、彼らは自分で納得するはずだ。なぜなら、お前の自由とやらがどんなに恐ろしい隷属と混乱に導いたかを、彼らとて思いだすだろうからな。自由や自由な知恵や科学などは彼らを深い密林に引きこみ、たいへんな奇蹟と解決しえぬ神秘の前に据えてしまうので、彼らのうちの反抗的で凶暴な連中はわれとわが身を滅ぼすだろうし、反抗的であっても力足りぬ者は互いに相手を滅ぼそうとし合い、あとに残った弱虫の不幸な連中はわれわれの足もとにいざり寄って、泣きつくことだろう。《そうです、あなたのおっしゃるとおりでした。あなた方だけが神の神秘を支配していたのです。あなた方のところに戻ってまいりますから、わたしたちを自分自身から救ってください》とな。われわれからパンをもらう際に、もちろん彼らは、自分たちの手で穫得したパンをわれわれが取りあげてしまうのは、いっさいの奇蹟なしに分配してやるためだったことを、はっきりとさとるだろうし、われわれが石をパンに変えたりしなかったことにも気づくだろうが、本当の話、彼らはパンそのものより、われわれの手からパンをもらうことのほうをずっと喜ぶだろう! なぜなら、以前われわれのいなかったころには、自分らの稼いだパンが手の中で石ころに変ってしまってばかりいたのに、われわれのところに戻ってくると、ほかならぬその石ころが手の中でパンに変ったという事実は、あまりにも記憶に新ただろうからな。永久に服従するということが何を意味するか、彼らはどんなに高く評価しても評価しすぎることはないのだ! そして、このことをさとらぬかぎり、人間は不幸でありつづけるだろう。その無理解をいちばん助長してきたのはだれか、言ってみるがいい。いったいだれが羊の群れをばらばらにし、勝手知らぬいくつもの道にちらばしたのだ? だが、羊はふたたび集まり、ふたたび服従する。今度はもう永久になのだ。そのときこそわれわれは彼らに静かなつつましい幸福を、意気地なしの生き物として創られている彼らにふさわしい幸福を授けてやろう。そう、われわれは彼らに結局、驕ってはならぬと説いてやるのだ。それというのも、彼らをお前がおだてあげ、その結果驕ることを教えこんだからだ。われわれは、彼らが意気地なしであり、哀れな子供にすぎぬことを、だが子供の幸福はだれの幸福よりも甘美であることを証明してみせよう。彼らは臆病になり、われわれを注視するようになり、ひよこが親鳥に寄り添うように、おどおどとわれわれにすがりつくようになるだろう。彼らはわれわれに驚嘆し、われわれを恐れ、何十億という荒々しい群れを鎮めてしまえるほどわれわれが強力で聡明なことを自慢するようになるだろう。彼らはすっかりへこたれてわれわれの憤りに震えあがり、彼らの知恵は臆し、目は女子供のように涙もろくなることだろうが、われわれの合図一つで彼らは、同じくらい簡単に快活さや、笑いや、明るい喜びや、幸福そうな子供の歌などに移行することだろう。そう、われわれは彼らを働かせるけれど、仕事から解放された自由な時間には彼らの生活を、歌あり、合唱あり、あどけない踊りありという子供の遊戯のようなものにしてやるつもりだ。そう、われわれは彼らに罪を犯すことさえ許してやる。彼らは弱く、無力だから、罪を犯すことを許してやったというので、われわれを子供のように慕うことだろう。われわれは、どんな罪でもわれわれの許しを得てなされたのであれば償われる、と言ってやるつもりだ。彼らを愛していればこそ、罪を犯すのを許してやるのだし、その罪に対する罰は、当然われわれがひっかぶるのだ。かぶってやれば、彼らは、神に対する罪をわが身にかぶってくれた恩人として、われわれを崇めるようになるだろう。そして彼らはわれわれに対して何の秘密も持たなくなる。彼らが妻や恋人と暮すことも、子供を持つか持たぬかということも、すべて服従の程度から判断して許しもしようし、禁じもしよう。そうすれば彼らは楽しみと喜びとを感じてわれわれに服従するだろうからな。良心のもっとも苦しい秘密さえ、彼らはすべてわれわれのところに持ってくるだろうし、われわれはすべてを解決してやる。そして彼らは大喜びでわれわれの決定を信ずるのだ。なぜなら、その決定こそ、個人の自由な決定という現在の恐ろしい苦しみや、たいへんな苦労から、彼らを解放してくれるからだ。そして、すべての人間が幸福になることだろう。彼らを支配する何十万の者を除いて、何百万という人々がすべて幸福になるのだ。それというのも、われわれだけが、秘密を守ってゆくわれわれだけが不幸になるだろうからな。何十億もの幸福な幼な子と、善悪の認識という呪いをわが身に背負いこんだ何十万の受難者とができるわけだ。彼らは静かに死に、お前のためにひっそりと消えてゆき、来世で見いだすものも死にすぎない。しかし、われわれは秘密を守りとおし、彼らの幸福のために天上での永遠の褒美で彼らを誘いつづけるのだ。なぜなら、かりにあの世に何かがあるとしても、もちろん彼らのような連中のためにあるわけではないのだからな。噂や予言によると、お前が舞い戻ってきて、ふたたび勝利をおさめ、誇り高く力強い選ばれた人々を率いてやってくるそうだが、われわれは、彼らが救ったのは自分らだけにすぎないけれど、われわれはすべての人を救ったのだ、と言ってやる。なんでも、獣にまたがって神秘を手に握りしめた淫婦が恥をかかされ、非力な人々がまた反乱を起して、女の赤い衣を引き裂き、《不浄な》肉体をあらわにする、とかいう話だな(訳注 ヨハネ黙示録第十七、十八章)。だが、そのときこそわしは立ちあがって、罪を知らすにきた何十億という幸福な幼な子たちを、お前にさし示してやる。そして、彼らの幸福のために彼らの罪をかぶってやったわれわれが、お前の前に立ちはだかって、言うのだ。《できるものなら、そんな勇気があるのなら、われわれを裁いてみよ》とな。わしがお前なぞ恐れていないことを、よく承知しておくがいい。よくおぼえておけ、わしも荒野にいたことがあるのだし、いなごと草の根で生命をつないだこともある。お前が人々を祝福するのに用いた同じその自由を、わしも祝福したことがあるのだし、お前の選ばれた人々の一員に、《員数を埋める》という渇望に燃えてカのある強い人々の一員になろうと覚悟したこともあったのだ。だが、わしは目をさまし、狂気に仕えるのがいやになった。わしは引き返して、お前の偉業を修正した人々の群れに加わった。誇り高い人々から離れ、つつましい人々の幸福のためにつつましい人々のところに戻ってきたのだ。わしが今お前に話していることはきっと実現するだろうし、われわれの王国も築かれる。もう一度言っておくが、明日になればお前は、あの従順な羊の群れが、われわれの邪魔をしに来た罰にお前を焼く焚火に、わしの合図一つで熱い炭をかきたてに走るさまを見ることができよう。なぜなら、われわれの焚火にもっともふさわしい者がいるとすれば、それはお前だからだ。明日はお前を火あぶりにしてやるぞ。Dixi(わしの話は終りだ)』」
 イワンはロをつぐんだ。話しているうちに熱を帯び、夢中になって話していたのだが、語り終えて、ふと徴笑した。
 終始無言できいていたアリョーシャは、終り近くなると極度に興奮し、幾度となく兄の話をさえぎろうとしかけては、自分を抑えていたらしかったが、ふいにまるで席を蹴って立つといった様子で話しだした。
「でも……そんなの、ナンセンスですよ!」顔を赤くして彼は叫んだ。「兄さんの詩はイエスの讃美であって、兄さんの望んでいたような……非難じゃありません。それに自由に関する兄さんの言葉など、だれが信ずるというんです? そんなふうに、そんなふうに自由を理解しなけりゃいけないんですか! それがロシア正教の解釈でしょうか……そんなのはローマですよ、それもローマのすべてというわけじゃない。そう言っては間違いです――そんなのはカトリックの中のいちばんわるい部分ですよ。異端審問官とか、イエズス会のような連中です!……おまけに、兄さんの大審問官みたいにファンタスチックな人物なぞ、まったくありえませんしね。人々の罪をわが身にかぶるとは、どういうことです? 人々の幸福のために何かの呪いを背負いこんだ、秘密の担い手とは、どういう人なんです? いつの世にそんな人たちがいました? 僕たちはイエズス会の人々を知っていますし、世間ではずいぶん悪く言われてますけど、はたして兄さんの詩に出てくるような人たちでしょうか? 全然違いますよ、まるきり違います……あの人たちは、皇帝を、つまり口ーマ教皇を頭に頂いた、未来の世界的な地上の王国を作るためのローマの軍隊にすぎないんです、……それがあの人たちの理想ではあるけど、べつに何の秘密も、高尚な悲哀もありゃしませんよ……権力と、地上的な薄汚れた幸福と、奴隷化という、もっとも単純な欲望でしかないんです……その奴隷化とは、未来の農奴制のようなもので、彼らが地主になるのが目的ですけどね……あの人たちの考えていることは、これで全部ですよ。もしかすると、あの人たちは神も信じていないかもしれませんしね。兄さんの苦悩する大審問官なんて、幻想でしかありませんよ……」
「おい、待て、待てよ」イワンが笑った。「えらくまた、むきになったもんだな。幻想だと言うのならそれでもいいさ! もちろん、幻想よ。しかし、それならきくけど、ここ何世紀かのカトリックの運動がすべて、本当に、薄汚れた幸福のためだけの権力欲にすぎないなんて、本気でお前は思っているのかい? パイーシイ神父がそう教えこんでるんじゃないのか?」
「いえ、そうじゃありません、反対にパイーシイ神父はいつだったか、何やらむしろ兄さんの考えに似たことをおっしゃってたくらいですから……でも、もちろん、違いますよ、全然違うことです」ふいにアリョーシャははっとして口をつぐんだ。
「それにしても貴重な情報だよ。《全然違うことです》なんて但し書がついてはいたけれどね。ところで、ぜひともお前にききたいんだが、なぜお前のそのイエズス会の人たちや異端審問官たちは、いやらしい物質的幸福だけのために結合したのかね? 偉大な悲哀に苦しみながら人類を愛しつづける受難者が、彼らの間に一人も生れえないのは、なぜだろう? いいかね、物質的な薄汚れた幸福だけを望むそうした連中の間に、たった一人でもいい、たとえ一人でもいいから、俺の老審問官のような人物が見つかったと、仮定してみろよ。つまり、彼は荒野でみずから草の根を食し、自分を自由な完全な人間にするために、肉欲を克服しようと必死にはげんできたのだが、それでも生涯を通じて人類を愛しつづけ、あるときふいに開眼して、意志の完成に到達するという精神的幸福などたいしたことはないと気づいたのだ。なぜなら、そのためには、ほかの数百万という神の子たちがもっぱら笑い物としてさらされるために取り残され、せっかくの自由を使いこなすことも絶対にできないし、この哀れな反逆者たちの中から塔を完成するための巨人など決して現われるはずもなく、かつて偉大な理想家が調和を夢見たのはこんな鵞鳥どものためにではなかったのだ、ということを一方で確認しなければならないからだ。これらすべてをさとって、彼は引き返し……聡明な人たちの仲間に加わったのだ。はたしてこういうことが起りえなかっただろうか?」
「だれの仲間に加わったんですって。聡明な人たちって、だれのことですか?」アリョーシャはほとんど夢中になって叫んだ。「あの人たちにはそんな知恵は全然ないし、神秘や秘密なんて何にもありませんよ……あるのは無神論だけなんだ、それが彼らの秘密ですよ。兄さんの審問官は神を信じていないんです、それが彼の秘密のすべてじゃありませんか!」
「たとえそうでもいいじゃないか! やっとお前も察したな。事実そのとおりさ、実際その一点だけにすべての秘密があるんだよ。だが、はたしてそれが、たとえ彼のように荒野での苦行に一生を台なしにしながら、なお人類への愛を断ち切れなかった男にとってだろうと、苦しみではないだろうか? 人生の終り近くなって彼は、あの偉大な恐ろしい悪魔の忠告だけが、非力な反逆者どもを、《嘲弄されるために作られた実験用の未完成な存在たち》を、いくらかでもまともな秩序に落ちつかせえたにちがいないと、はっきり確信するのだ。そして、こう確信がつくと、死と破壊の恐ろしい聡明な悪魔の指示に従ってすすまねばならぬことが、彼にはわかるし、またそのためには嘘と欺瞞を受け入れ、人々を今度はもはや意識的に死と破壊へ導かねばならない。しかもその際、これらの哀れな盲どもがせめて道中だけでも自己を幸福と見なしていられるようにするため、どこへ連れてゆくかをなんとか気づかせぬよう、途中ずっと彼らを欺きつづけねばならないのだ。そして心に留めておいてほしいが、この欺瞞もつまりは、老審問官が一生その理想を熱烈に信じつづけてきたキリストのためになされるのだからな! これが不幸ではないだろうか? もし、《薄汚れた幸福だけのために権力を渇望する》全軍の先頭に、たとえ一人でもこういう人物がいたら、たとえそれが一人であっても悲劇を生むには十分じゃないだろうか? そればかりではない。軍隊やイエズス会などを全部含めたローマの全事業の真に指導的な理念、この事業の最高の理念が生れるためには、こういう人物がひとり先頭に立っているだけで十分なんだ。率直に言って俺は、運動の先頭に立つ人々の間にこういうかけがえのない人物は決して尽きることがないと、固く信じているんだよ。もしかすると、ローマ教皇たちの中にもこうした唯一絶対の人物がいたのかもしれないな。ひょっとすると、これほど頑なに、これほど自己流に人類を愛しつづけている、この呪われた老人は、現在でも、大勢のこうしたかけがえのない老人たちの完全な一集団という形で存在しているかもしれんよ。それもまったく偶然にではなく、不幸な無力な人々を幸福にしてやるという目的で、その人々から秘密を守るために、すでにずっと以前から作られた秘密結社として、一宗派として存在しているかもしれない。それはきっと存在してるはずだし、また当然そうあるべきなんだ。フリーメイソン(訳注 十八世紀にイギリスに生れ、各国に普及した宗教秘密結社。自己認識と自己犠牲とで正義の王国を築くことを説く)にさえ、その根底にはこの秘密に似た何かがあるような気がするし、カトリックがあれほどフリーメイソンを憎むのも、羊の群れは本来一つであり、羊飼いも一人であるべきはずにもかかわらず、彼らの内にライバルや、理念統一に対する分断策動を見いだすからだという気がするね……もっとも、自分の思想をこうやって擁護していると、まさにお前の批評を腹に据えかねた作者よろしくの図だな。この話はもうこれくらいでいいだろう」
「ことによると、そういう兄さん自身、フリーメイソンかもしれませんね!」ふいにアリョーシャの口からこんな言葉がとびだした。「兄さんは神を信じていないんだ」彼は付け加えたが、それにはもはや極度の悲しみがこもっていた。おまけに彼には、兄が嘲笑をうかべて眺めているような気がしたのだった。「兄さんの詩はどういう結末になるんですか?」下を見つめたまま、だしぬけに彼はたずねた。「それとも、あれで終りなの?」
「こんな結末にするつもりだったんだ。審問官はロをつぐんだあと、囚人が何と答えるか、しばらく待ち受ける。相手の沈黙が彼には重苦しくてならない。囚人がまっすぐ彼の目を見つめ、どうやら何一つ反駁する気もない様子で、終始静かに誠実に耳を傾けていたのが、彼にはわかっていた。老審問官にしてみれば、たとえ苦い恐ろしいことでもいいから、相手に何か言ってもらいたかった。だが、相手はふいに無言のまま老人に歩みよると、血の気のない九十歳の老人の唇にそっとキスするのだ。これが返事のすべてなのだ。老人は身ぶるいする、唇の端で何かがぴくりと動く。老人は戸口に歩みより、扉を開けて言う。「出て行け、もう二度と来るなよ……まったく来ちゃならんぞ……絶対に、絶対にな!」そして《町の暗い広場》へ放してやるのだ。囚人は立ち去ってゆく」
「で、老人は?」
「今のキスは胸に残って燃えているのだが、老人は今までどおりの理念に踏みとどまるのさ」
「兄さんもその老人といっしょなんでしょう、兄さんも?」アリョーシャが悲痛に叫んだ。イワンは笑いだした。
「だって、こんなものはたわごとなんだぜ、アリョーシャ。いまだかつて二行の詩も書いたことのない愚かな学生の愚かな詩にすぎないんだよ。どうしてそうまじめに取るんだい? まさか俺が、キリストの偉業を修正する人々の群れに加わるために、これからまっすぐイエズス会の連中のところへ出かけて行くなんて、考えてるんじゃないだろうな? ええ、冗談じゃないよ、俺に何の関係がある? さっきも言ったじゃないか、俺はせいぜい三十まで生きのびりゃいいんで、そのあとは杯を床にたたきつけるだけさ!」
「じゃ、粘っこい若葉は、大切な墓は、青い空は、愛する女性はどうなるんです! どうやって兄さんは生きてゆけるんです? それらのものをどうやって愛するんですか?」アリョーシャが悲しそうに叫んだ。「心と頭にそんな地獄を抱いて、そんなことができるものでしょうか? いいえ、兄さんはきっとその連中の仲間に入りに行くにきまっている……もしそうじゃなければ、自殺するほかありませんよ、堪えきれずにね!」
「どんなことにでも堪えぬける力があるじゃないか!」もはや冷たい嘲笑をうかべながら、イワンが言い放った。
「どんな力です?」
「カラマーゾフの力さ……カラマーゾフ的な低俗の力だよ」
「それは放蕩に身を沈めて、堕落の中で魂を圧殺することですね、そうでしょう、ええ?」
「たぶんね、それも……せいぜい三十までなら、ことによると避けられるかもしれないし、そのあとは……」
「どうやって避けるんです? 何によって避けるんですか? 兄さんのような思想をいだいていて、そんなことは不可能ですよ」
「これもまたカラマーゾフ流にやるのさ」
「それが《すべては許される》ということですか? すべては許される、そうですね、そうなんでしょう?」
 イワンは眉をひそめ、ふいに何か異様なほど青ざめた。
「ああ、お前はミウーノフがあんなに腹を立てた、昨日の俺の言葉を拾いだしてきたんだな……ドミートリイが無邪気にしゃしゃり出てきて、言い直したあの言葉を?」彼は皮肉な微笑をうかべた。「そう、たぶんな。すでにその言葉が発せられた以上、《すべては許される》のさ。俺も否定はしない。それにミーチェニカの表現もわるくないしな」
 アリョーシャは無言で兄を見つめていた。
「俺はね、ここを去るにあたって、世界じゅうでせめてお前くらいは味方かと思っていたんだよ」思いがけぬ感情をこめて、ふいにイワンが言った。「だが、今こうして見ていると、お前の心の中にも俺の入りこむ場所はなさそうだな、隠遁者の坊や。《すべては許される》という公式を俺は否定しない。だからどうだと言うんだね、そのためにお前は俺を否定するのか、そうなのかい、そうだろう?」
 アリョーシャは立ちあがり、兄に歩みよると、無言のままそっと兄の唇にキスした。
「盗作だぞ!」突然なにやら歓喜に移行しながら、イワンが叫んだ。「俺の詩から剽窃したな! それにしても、ありがとう。立てよ、アリョーシャ、出ようじゃないか。俺もお前ももう行く時間だからな」
 二人は外に出たが、飲屋の表階段のわきで立ちどまった。
「あのな、アリョーシャ」イワンがしっかりした声で言った。「もし本当に俺が粘っこい若葉に心ひかれることがあるとしたら、俺はお前のことだけを思いだしながら、若葉を愛するだろうよ。お前がどこかにいるということだけで俺には十分だし、生きてゆくことにもまだ飽きずにいられるだろう。お前だってそれで十分だろう? なんだったら、愛情の告白ととってくれたっていい。さ、それじゃお前は右、俺は左へ行こう。これでもういいんだ、そうだろう、十分だよ。つまり、もし明日俺がここを発たずに(きっと発つだろうけどな)、またどこかで出会うことがあるとしても、こういう話題ではもう一言も話さないでほしい。くれぐれも頼むよ。それから、ドミートリイに関しても、特に頼んでおくけれど、今後もう二度と俺とは話さないでくれ」ふいに彼は苛立たしげに付け加えた。「すべて終ったし、何もかも話しつくした、そうだろう? その代り俺の方からも一つ約束しておくよ。三十近くなって俺が《杯を床にたたきつけ》たくなったら、お前がどこにいようと、もう一度お前と話すために帰ってくる……たとえアメリカからでもね、これだけは承知しておいてくれ。そのためにわざわざ帰ってくるさ。そのころのお前を眺めるのも、実に興味深いだろうからな。そのころお前はどんなふうになっているだろう? どうだ、かなり厳粛な約束だろうが。ことによると、実際これから七年か十年の別れになるかもしれないよ。さ、それじゃ、お前の天使のような神父(パーテル・セラフィクス)のところへ行ってやれ、だって危篤なんだろう。お前の留守中に死んだりしようもんなら、またもや俺が引きとめたと言って、腹を立てるだろうからな。さよなら、もう一度キスしてくれ、そう、じゃ行くといい……」
 イワンはふいに身をひるがえすと、もはやふりかえりもせず、歩み去って行った。昨日とはまるきり違う性質のものとはいえ、それは兄ドミートリイが昨日アリョーシャのそばから去って行った様子と似ていた。この奇妙な発見が、この瞬間、愁いと悲しみに閉ざされたアリョーシャの頭の中を、矢のようにひらめき過ぎた。彼は兄のうしろ姿を見つめたまま、しばらく待った。なぜか突然、兄イワンが身体を揺するようにして歩いていくのに気づいた。それに、うしろから見ると、右肩が左肩より下がっているようだ。これまでついぞ、こんなことには気づかなかった。だが、ふいに彼も向きを変え、ほとんど走るようにして修道院に向った。すでに日はとっぷりと暮れて、恐ろしいくらいだった。何か、とうてい答えを与えられぬような新しいものが、胸の中で育ちつつあった。昨日と同じように、また風が起り、僧庵の林に入ると、千古の松が周囲で陰鬱にざわめきだした。彼はほとんど走らんばかりだった。『《天使のような神父(パーテル・セラフィクス)》――こんな名前を兄さんはどこから持ちだしてきたのだろう、いったいどこから(訳注 ファウスト第二部の最終場面に出てくる)?』アリョーシャはちらと考えた。「イワン、気の毒なイワン、今度はいつ会えるのだろう……あ、僧庵だ、助かった! そう、そうだ、長老のことか。長老さまがセラフィクス神父なのだ。あの方が僕を救ってくださる……悪魔から永遠に!』
 その後、一生の間に何度か彼は、この朝つい数時間前に、ぜひとも兄ドミートリイを探しだそう、たとえその夜は修道院に戻れぬ羽目になろうと、見つけぬうちは帰るまいと決心したばかりなのに、どうしてイワンと別れたあと、ふいにドミートリイのことをまったく忘れたりできたのだろうと、実にいぶかしい気持で思い起したものだった。

しかし、すべては神の御心しだい。何もかもわれわれの運命なのだからの。『一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる』(訳注 ヨハネによる福音書第十二章)これをよくおぼえておくとよい。




兄は精神的にすっかり変った――実におどろくべき変化が突然、兄の内部に起ったのだ! 年とった乳母が兄の部屋に入ってきて、「ごめんくださいまし、坊ちゃま。こちらのお部屋にも聖像の前にお燈明をともしましょう」と言っても、以前なら許さずに吹き消したほどだったが、それが今では「ああ、ともしておくれ、婆や。前には禁じたりして、僕は悪い人間だったね。燈明をともしながら、婆やは神さまにお祈りするのだし、僕はそんな婆やを見て喜びながらお祈りするよ。つまり、僕たちの祈りをあげる神さまは同じってわけさ」と言うのだった。こんな言葉はわたしたちには異様なものに思われ、母は自分の部屋に逃げこんでは、のべつ泣いてばかりいたが、兄の部屋に入るときだけは目をぬぐって、快活な様子をするのだった。「お母さん、泣かないでよ」よく兄は言っていた。「僕はこれからまだうんと生きなけりゃ。お母さんたちとうんと楽しくやらなけりゃね。人生って明るく楽しいんだもの!」「まあ、お前、楽しいだなんて。夜どおし高熱にうなされ、咳に苦しめられて、今にも胸が張り裂けそうだというのに」「お母さん」と兄は答える。「泣かないでよ。人生は楽園なんです。僕たちはみんな楽園にいるのに、それを知ろうとしないんですよ。知りたいと思いさえすれば、明日にも、世界じゅうに楽園が生れるにちがいないんです」兄のこの言葉にはだれもがびっくりした。それほど異様な口調で断定的に言ってのけたのだ。みなは感動して泣いた。知人が訪ねてくると、兄は言った。「やさしい親愛なあなた方に愛してもらえるなんて、そんな値打ちが僕にあるでしょうか。こんな僕のどこがよくて、愛してくださるんですか。それにどうして今まで僕はそれに気づかず、ありがたいと思わなかったんだろう」部屋に入ってくる召使には、のべつこう言っていた。「お前たちはやさしくて親切だね。どうして僕に仕えてくれるんだい? 仕えてもらうような値打ちが僕にあるだろうか? もし神さまのお恵みがあって、生きていられたら、今度は僕がお前たちに仕えるよ。だって人間はみな互いに奉仕し合わなけりゃいけないものね」母はこれをきくと、悲しげに首を振って言うのだった。「ねえお前、病気のせいでそんなことを言うんだね」「お母さん、そりゃ主人と召使とをなくすわけにはいきませんよ。でも、僕がうちの召使たちの召使になってもかまわないじゃありませんか。あの人たちが僕の召使であるのと同じように。それからもう一つ言っておくけど、われわれはだれでも、すべての人に対してあらゆる面で罪深い人間だけれど、なかでも僕はいちばん罪深いんですよ」ここにいたって母は苦笑した。泣き笑いだった。「どうしてあなたがすべての人に対して、だれよりもいちばん罪深いの? 世間には人殺しや強盗もいるというのに、あなたはいつのまに、だれよりも罪深いと自分を責めるような、わるいことをしでかしたの?」「お母さん、僕の血潮である大事なお母さん(そのころ、兄はこういう思いがけないやさしい言葉を口にするようになっていた)、僕の血潮であるやさしいお母さん、本当に人間はだれでも、あらゆる人あらゆるものに対して、すべての人の前に罪があるんです。どう説明したらいいのか、わからないけれど、僕は苦しいほどそれを感ずるんだ。それなのにどうしてあの当時僕らは、のほほんと暮して、腹を立てたり、何一つ知らずにすましたりしてきたんだろう?」こうして兄は日がたつにつれてますます感動と喜びを強めながら、全身を愛にふるわせて、眠りの床から起きだしてくるのだった。医者が来ると (エイゼンシュミットというドイツ人の老医が往診に通ってきていた)、兄は「どうですか、先生、あと一日くらいは生きていられそうですか?」などと、よく冗談を言った。「一日と言わず、何日も生きられますとも。この先何カ月も、何年も生きられますよ」と医者が答える。「どうして何年だの、何カ月だのが必要なんです!」と兄が叫ぶ。「いまさら日数なんぞ数えて何になりますか。人間が幸福を知りつくすには、一日あれば十分ですよ。ねえ、どうして僕らは喧嘩したり、自慢し合ったり、お互いに恨みをいだき合ったりしているんでしょう。このまますぐに庭に出て、散歩したり、はしゃいだり、愛し合ったり、ほめ合ったり、キスしたりして、われわれの人生を祝福しようじゃありませんか」「坊ちゃんはもうこの世に暮していないも同じですよ」母が表階段まで送りに出ると、医者はこう言った。「病気のために精神が錯乱しているのです」兄の部屋の窓は庭に面しており、庭には古い木々が仄暗いかげを作っていたが、木々には春の若芽が萌え出て、早くも渡ってきた小鳥たちがさえずり、兄の窓に向って歌っていた。そして兄は突然、その小鳥たちを眺め、見とれながら、小鳥たちにまで赦しを乞うようになった。「神の小鳥よ、喜びの小鳥よ、僕を赦しておくれ。お前たちに対しても僕は罪を犯していたんだから」こうなると、そのころのわれわれには、もはやだれ一人として理解できなかったが、兄は喜びのあまり泣いているのだ。「そうだ、僕のまわりには小鳥だの、木々だの、草原だの、大空だのと、こんなにも神の栄光があふれていたのに、僕だけが恥辱の中で暮し、一人であらゆるものを汚し、美にも栄光にもまったく気づかずにいたのだ」「お前はあんまりたくさんの罪をわが身にかぶりすぎているわ」母はよく泣きながら言ったものだ。「お母さん、僕が泣いているのは楽しいからで、悲しみのためじゃありませんよ。僕はみずからすすんで、みなに対して罪深い人間でありたいと望んでいるんです。ただ、うまく説明できないだけですよ。だって僕はそういう美や栄光をどうやって愛したらいいのか、わからないんですもの。僕はあらゆるものに対して罪深い人間でいいんだ、その代りみんなが僕を赦してくれますからね。これこそ楽園じゃありませんか。はたして僕が今いるところは、楽園じゃないでしょうか?」
 このほかまだいろいろなことがあったが、それはもはや思いだせないし、ここに書くこともできない。だが、ある日、兄の部屋にだれもいないとき、わたしが一人で入っていったことをおぼえている。晴れたタ方の時刻で、太陽が沈みかけ、部屋全体を斜光で照らしていた。わたしを見ると、兄は手招きした。そばに行くと、兄はわたしの肩を両手でおさえ、感動と愛情をこめてわたしの顔を見つめた。何も言わずに、そのまま一分ほど見つめているだけだったが、やがて「さ、もう行ってもいい、遊んでおいで。僕の代りに生きておくれ!」と言った。そこでわたしは部屋を出て、遊びに行った。だが、そのあと一生の間に、わたしは幾度となく、兄が自分の代りに生きてくれと言いつけたのを、もはや涙とともに思い起したものだった。このほかにも、当時こそわれわれに理解できなかったものの、こうしたすばらしい美しい言葉を数多く兄は語ってくれた。復活祭のあと三週間目に、兄はしっかりした意識のまま、息を引き取った。もはやロこそきけなかったけれど、最後の瞬間まで少しも変らず、嬉しそうな顔をして、目には快活な色をたたえ、眼差しでわたしたちを探しては、徴笑を送ってよこし、わたしたちを呼んでいた。兄の死は町じゅうでしきりに語られたぼどたった。これらすべてのことがわたしを感動させはしたが、当時はさほどでもなかった。もっとも、そんなわたしでも、兄の葬儀のときはひどく泣いたものである。わたしはまだ若く、子供だったけれど、これらすべてが心にぬぐいきれぬ跡をとどめ、一つの感情が胸奥に秘められるようになった。それらはいずれ、いっせいに立ちあがり、よびかけに応ずるにちがいなかった。事実そのとおりのことが起ったのである。





 そのあと、わたしは母と二人きりになった。間もなく親切な知人たちが母に、今やお宅に残されたのは息子さん一人になったし、お宅は貧乏なわけではなく、資産もあるのだから、どうして世間の例にならってペテルブルグへ勉強に出してやろうとしないのか、こんなところに置いておけば、出世するかもしれぬ息子さんの一生を台なしにしてしまう、と忠告してくれた。そして母に、ゆくゆくは近衛師団に入れるようペテルブルグの士官学校にわたしを入学させたら、と知恵をつけたのである。母は残された最後の息子をどうして手放せようかと、永いこと迷っていたが、やはり、さんざ涙を流しはしたものの、わたしの幸福に役立つならと考えて、決心した。母はわたしをペテルブルグへ連れてゆき、学校に入れてくれたけれど、それ以来わたしはまったく母に会うことができなかった。というのは、三年後に母が世を去ったからだ。その三年の間、母はわれわれ二人の息子を思って嘆き悲しみつづけていたという。わたしが親の家から持って出たものは、尊い思い出だけだった。なぜなら人間にとって、親の家ですごした幼年時代の思い出ほど尊いものはないからだ。家庭内にたとえほんの少しでも愛と結びつきがありさえすれば、ほとんど常にそうだと言ってよい。どんなにひどい家庭でも、こちらの心が尊いものを求める力さえあるなら、尊い思い出がそっくり残ることはありうるのだ。この家庭の思い出に加えてわたしは、親の家にいたころ、まだ子供ではあったが、ひどく知識欲をそそられた聖書物語の思い出もあげておきたい。当時わたしは、美しい挿絵のたくさん入った『旧・新約聖書の百四の物語』(訳注 ドストエフスキーはこの本で読み方を学んだ)という表題の本を持っており、読み方の勉強をしたのもこの本によってだった。その本は今もここの書棚にあるし、大切な思い出として大事にしまっている。だが、読み方をすっかりおぼえる前にも、まだ八歳のころ、はじめてある種の精神的洞察が訪れたのを、おぼえている。神聖週間の月曜日に、母がわたし一人を(そのとき、兄がどこにいたのか、おぼえていないが)教会の昼の礼拝に連れて行ってくれた。明るく澄んだ日で、今こうして思いだしていても、香炉からかぐわしい煙が立ちのぼって、静かに上に舞いあがってゆき、上からは円天井の小さな窓を通して、教会の中にいるわれわれに神の光がさんさんと降りそそぎ、香の煙がその方へのぼってゆきながら、光の中に融けこむかのようであったのが、あらためて目のあたりに見える心地がする。わたしは感動して見つめ、生れてはじめてそのとき、神の言葉の最初の種子を、自覚して心に受け入れたのだった。やがて一人の少年が分厚い、運ぶのもやっとのように当時のわたしには思われたほど大きな本を捧げて、会堂の中央にあらわれ、経卓の上にのせると、本を開いて読みはじめた。そのとき突然わたしははじめて何かを理解し、神の会堂で何を読んでいるかを生れてはじめてさとったのである。ウズの地に、心正しく、神を恐れるヨプという人がいた(訳注 ヨブ記第一章)。その人にはおびただしい富があり、何千頭ものラクダや、何千頭もの羊と驢馬を持ち、子供たちも楽しくすごしていた。彼は子供たちを非常に愛し、子供たちのために神に祈っていた。ことによると、楽しんでいるうちに、子供たちも罪を犯しているかもしれないと思ったからである。あるとき、サタンが神の子らといっしょに神の前にあらわれ、地の上、地の下をくまなく行きめぐってきたことを告げた。「わたしのしもべヨブを見たか?」と神がたずねられた。そして神は、偉大な神聖なしもべヨブをさし示して、悪魔に自慢なさった。サタンは神の言葉をきいてせせら笑った。「あの男をわたしに預けてごらんなさい、あなたのしもべが不平を言い、あなたの御名を呪うところをごらんに入れましょう」そこで神はお気に入りの、敬虔なしもべをサタンに預けた。サタンは彼の子供たちや、家畜を打ち殺し、さも神の嵐が荒れたかのように、彼の全財産をふいに四散させてしまった。するとヨプは上着を引き裂き、地にひれ伏して、叫んだ。「わたしは裸で母の胎を出た。また裸で大地に帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主の御名はとこしえに讃むべきかな!」神父諸師よ、今のわたしの涙を赦してください。それというのも、幼年時代のことがすべて眼前にふたたびよみがえる心地がして、あのころ八歳の少年の胸が呼吸した息吹きを今もそのまま息づき、あのときと同じようにおどろきと、困惑と、喜びとを感ずるからである。あのときわたしの頭をいっぱいにしたのはラクダであり、神にあんな口をきいたサタンであり、自己のしもべを破滅に追いやった神であり、そして「主がわたしを罰しようと、主の御名は讃むべきかな」と叫んだしもべであった。さらにまた、会堂にひびき渡る「わが祈り、叶わんことを」という静かな快い歌声であり、またしても司祭の香炉から立ちのぼる香の煙と、ひざまずいての祈りであった! それ以来わたしはこの聖なる物語を涙なしに読むことができないし、つい昨日も手にとってみたばかりだ。それにしてもこの本には、どれだけ多くの偉大な、神秘な、想像しがたいものが含まれていることだろう! その後わたしは、嘲笑や非難をする人々の言葉を、思い上がった言葉をきくことがあった。いかに神とはいえ、自分の聖者たちのうち最愛の者を慰みものとしてサタンに与え、子供たちを奪い、聖者自身をも病気や腫物で苦しめて、陶器の破片で傷口から膿をかきださせるようなことが、よくもできたものだ、それもただサタンに対して「どうだ、わたしの聖者はわたしのためになら、あんなことまで我慢できるのだぞ!」と自慢したい一心からなのだ、と彼らは言う。しかし、そこに神秘があり、移ろいゆく地上の顔と永遠の真理とがここで一つに結ばれる点にこそ、偉大なものが存するのである。地上の真実の前で永遠の真実の行為が行われるのだ。そこでは造物主が、天地創造の最初の日々に、毎日「わが創りしものはよし」と讃めたたえながら、仕上げをしていったときのように、ヨプを見つめ、あらためて自分の創造を誇りに思う。またヨプは、主を讃えることによって、単に主に仕えるだけではなく、子々孫々、末代まで、主のあらゆる創造物に仕えることになるのだ、なぜならそれが彼の使命だからである。ああ、なんというすばらしい書物、なんという教訓だろう! 聖書とはなんとすばらしい本だろうか、なんという奇蹟、なんという力が、この本によって人間に与えられたことか! まさに世界と、人間と、人間の性格との彫像にもひとしく、すべてが名を与えられ、永遠にわたって示されているのだ。そして、どれほど多くの、解明された明白な神秘があることだろうか。神はヨプをふたたび立ち直らせ、あらためて富を授けるのだ。ふたたび多くの歳月が流れ、彼にはすでに新しい、別の子供たちがいて、彼はその子供たちを愛している。だが、「前の子供たちがいないというのに、前の子供たちを奪われたというのに、どうして新しい子供たちを愛したりできるだろう? どんなに新しい子供たちがかわいいにせよ、その子たちといっしょにいて、はたして以前のように完全に幸福になれるものだろうか?」という気がしたものだ。だが、それができるのだ、できるのである。古い悲しみは人の世の偉大な神秘によって、しだいに静かな感動の喜びに変ってゆく。沸きたつ若い血潮に代って、柔和な澄みきった老年が訪れる。わたしは今も毎日の日の出を祝福しているし、わたしの心は前と同じように朝日に歌いかけてはいるが、それでも今ではもう、むしろ夕日を、夕日の長い斜光を愛し、その斜光とともに、長い祝福された人生の中の、静かな和やかな感動的な思い出を、なつかしい人々の面影を愛している。それらすべての上に、感動させ、和解させ、すべてを赦す、神の真実があるのだ! わたしの人生は終りかけている。そのことは自分でも知っているし、その気配もきこえているのだが、残された一日ごとに、地上の自分の生活がもはや新しい、限りない、未知の、だが間近に迫った生活と触れ合おうとしているのを感じ、その予感のために魂は歓喜にふるえ、知性はかがやき、心は喜びに泣いているのだ……諸師よ、わたしは一度ならず耳にしたことがあるし、最近ではいっそうよくきくようになったのだが、わが国の司祭たち、それも特に田舎の司祭たちはいたるところで、自分たちの少ない収人と屈辱とを涙ながらにかこち、なかには、わたし自身も読んだことがあるけれど活字にしてまで、自分たちは今やもう民衆に聖書を講ずることはできない、なぜなら収人が少ないからだ、かりにルーテル派や異教徒たちがやってきて羊の群れを奪いはじめても、奪わせておくほかない、なぜなら収人が少ないからだ、などとおおっぴらに断言している者さえあるようだ。ああ! 彼らにとってそれほど貴重な収入なら、もっと多くしてあげたいと思う(彼らの愚痴ももっともだからだ)、しかし本当のことを言うと、もしだれかにこの責任があるとすれば、半分はわれわれ自身の罪なのである。なぜなら、時間がないのならなくともよい、また労働と聖礼に始終追いまくられているという言葉が正しいのならそれでもよい、だがまさか年がら年じゅうというわけでもあるまい、せめて一週に一時間くらいは神のことを思いだす時間があるはずだからだ。それに、一年して仕事があるわけでもないだろう。一週に一度、晩に自分の家に子供たちを集めるがいい。最初は子供たちだけでよい、やがて父親がききつけて、やってくるようになるだろう。それに、この仕事のために会堂を建てる必要もない、ごく簡単に自分の小屋に迎えればよいのだ。恐れることはない、彼らとて小屋を汚しはしない、たかが一時間の集まりではないか。その人たちにあの本を開いて、むずかしい言葉や、高慢な調子、見下した態度などなしに、感動をこめて和やかに読んでやるとよい。その人たちに読んできかせるのを喜び、みながそれをきいて理解してくれるのを自分も喜び、みずからもそれらの言葉をいつくしみながら読み、ときおり休んでは、素朴な民衆にわかりにくいような言葉を説明してやるとよい。心配はいらぬ、すべて理解してくれるだろう、正教徒の心がすべてを理解してくれる! アプラハムとその妻サラの話を、イサクとその妻リべ力の話を、ヤコプが義父ラバンのところへ行き、夢の中で神と取っ組み合いをして、「ここは恐ろしいところだ」と言った話(訳注 創世記より)を、彼らに読んできかせ、民衆の敬虔な知恵を感動させてやるがよい。それから、子供たちにはとりわけ、兄たちが実の弟であるかわいい少年――夢を占う偉大な予言者ヨセフを奴隷に売りとばし、父には血まみれの衣服を示して、野獣に食い殺されたと告げる話を読んできかせるとよい。その後、兄たちは穀物を買いにエジプトに行くが、すでに国のつかさになっていたヨセフは、兄たちに見破られなかったのを幸い、兄たちを苦しめ、有罪にし、弟べニヤミンを監禁した。それもみな、愛するがゆえにしたのである。「わたしはあなた方を愛している。愛するがゆえに苦しめるのです」なぜなら、かつて暑い荒野の井戸のわきで自分が商人たちに売られたことや、自分が手を揉みしだいて泣きながら、奴隷として他国へ売らないでほしいと兄たちに哀願したことは、一生を通じてたえず思いだしていたものの、幾歳月ののちにめぐりあって、あらためて限りない愛をおぼえたからだ。だが、彼は愛するがゆえに、兄たちを悩ませ、苦しめた。そして、ついに自分の心の苦しみに自分で堪えきれなくなり、兄たちのそばを離れて、自分の寝床に身を投げ、泣き伏す。そのあと顔をぬぐい、晴ればれした表情で出てきて、兄たちに告げる。「兄さんたち、わたしはヨセフです、あなた方の弟ですよ!」さらにその先も読んでやるといい。老父ヤコプは、かわいい息子がまだ生きていると知って、大喜びし、故郷さえ棄てて、エジプトにおもむき、やがてこの他国の土地で、一生の間つつましい、神を恐れる胸の内にひそかにしまっておいた偉大な言葉を、末代までの遺言として告げたあと、死ぬ。それは、自分の一族であるユダから、やがて世界の大きな希望である、全世界の救世主、和解者があらわれるだろう、というあの予言なのだ! 神父諸師よ、あなた方がとうの昔に知っておられ、わたしなどより百倍も上手に立派に教えておられることを、わたしがまるで幼稚な子供のように説いているのを、どうか怒らずに赦してほしい。わたしは歓喜のあまり、こんな話をしているのだ。わたしの涙を赦してほしい、これというのもわたしがこの本を愛しているからなのだ。これを読んでやる司祭も泣くがいい、そうすればその答えとして、きいている人たちの胸が感動に打ちふるえるのを見ることができるだろう。必要なのはごく小さな一粒の種子にすぎない。その種子を民衆の胸に投げこんでやれば、それは死ぬことなく、一生その胸に生きつづけ、心の闇の中に、罪の悪臭のただなかに、明るい一つの点となり、大きな警告としてひそみつづけることだろう。だからあれこれと説き、教えこむ必要はない。民衆はすべてを素朴にわかってくれるのだ。諸師は民衆が理解してくれないとでも思っておられるのか? 試みに、さらに先へすすんで、美しいエステルと傲慢なワシテとの、心を打つ感動的な物語(訳注 エステル記)なり、大いなる魚の腹に入った予言者ヨナのふしぎな物語(訳注 ヨナ書)なりを読んでやるがよい。それからまた、主の寓話も忘れてはならぬが、これは主としてルカ福音書によるといい(わたしもそうしてきた)、さらに『使徒行伝』からはサウロ(訳注 使徒パウルのこと)の呼びかけを(これはぜひ、必ず読んでほしい)、そして最後に『殉教者伝(チエーチイ・ミネイ)』(訳注 モスクワで編纂されたもの)から、せめて神の人アレクセイの生涯や、偉大な中でも偉大な喜びの殉教者で、神の姿を見てキリストを胸にいだく尼僧エジプトのマリヤ(訳注 若いころ身持がわるく、のちに信仰に入って荒野で四十七年をすごした聖女)の生涯なりを読んできかせるがよい。そうすれば、この素朴な物語で民衆の心を刺し貫くことができるのだ。収入が少ないとはいえ、週にたった一時間のことではないか。わずか一時間にすぎないのだ。そうすれば、民衆がいかに情誼に厚く、恩義を知り、百倍もの恩返しをするかが、おのずからわかるだろう。民衆は司祭の熱意と感動的な言葉とを心に刻みつけ、すすんで畑仕事も手伝うだろうし、家の仕事にも力を貸し、以前よりいっそう深い尊敬を払うことだろう。そうすればもはや、収入も増えるというものだ。なにぶんあまりにも純朴な仕事なので、時には笑われはせぬかと、ロにだすことさえはばかられるほどだが、それでもこれはきわめて忠実な仕事である! 神を信じぬ者は、神の民衆をも信じないだろう。いったん神の民衆を信じた者は、民衆の聖物が、たとえそれまで自分の信じていなかったものであろうと、目に見えるようになる。民衆とその未来の精神力だけが、母なる大地から切り離されたわが国の無神論者たちを改宗させうるのだ。それに、実例をともなわぬキリストの言葉があるだろうか? 神の言葉を持たぬ民衆には破滅があるのみだ。なぜなら、民衆の魂は神の言葉と、すばらしい会得とを渇望しているからである。もうかれこれ四十年も昔になるが、若いころ、わたしはアンフィーム神父といっしょに、修道院のための寄付を集めながら、ロシア全土をまわったことがある。あるとき、船の通る大きな河の岸で、漁師たちと野宿することになったが、わたしたちといっしょに一人の上品な青年が腰をおろした。見たところ、もう十八、九の百姓で、翌日、商人の船を曳くために目的地へ急いでいるところだった。見ると、青年は感動したような澄んだ眼差しで前方を見つめている。明るく静かな、暖かい七月の夜ふけで、河は広く、水蒸気が立ちのぼって、われわれに生気を与え、魚のたてる水音がかすかにきこえるだけで、小鳥も鳴りをひそめ、すべてが静かで壮麗で、物みなすべてが神に祈りを捧げている。眠っていないのは、わたしとその青年の二人だけなので、わたしたちはこの神の世界の美しさや、その偉大な神秘について語り合った。どんな草でも、どんな甲虫や蟻や金色の蜜蜂でもみな、知性を持たないのに、おどろくほど自己の道を知っており、神の秘密を証明して、みずから絶え間なくそれを実行しているではないか――そんな話をしているうちに、愛すべき青年の心が燃えあがってきたのがわかった。青年は、森や森の小鳥が大好きだと、わたしに告げた。青年は小鳥を取るのが商売で、小鳥の鳴き声を一つ一つききわけ、どんな小鳥でも呼び寄せることができるのだった。森ほどすてきなところはほかに知りません、何もかもがすばらしいものばかりで、と青年は言った。「本当にね」わたしは答えた。「何もかもすばらしく、美しいからね。それというのも、すべてが真実だからだよ。馬を見てごらん、人間のわきに寄り添っているあの大きな動物を。でなければ、考え深げに首をたれて、人間に食を与え、人間のために働いてくれる牛を見てごらん。牛や馬の顔を見てごらん。なんという柔和な表情だろう、自分たちをしばしば無慈悲に鞭打つ人間に対して、なんてなついていることだろう。あの顔にあらわれているおとなしさや信頼や美しさはどうだね。あれたちには何の罪もないのだ、と知るだけで心を打たれるではないか。なぜなら、すべてみな完全なのだし、人間以外のあらゆるものが罪汚れを知らぬからだよ。だから、キリストは人間よりも先に、あれたちといっしょにおられたのだ」「ほんとに、あれたちにもキリストがついておられるのですか?」と青年がたずねた。「そうにきまっているではないか」わたしは言った。「キリストの言葉はあらゆるもののためにあるのだ。神の創ったすべてのもの、あらゆる生き物、木の葉の一枚一枚が、神の言葉を志向し、神をほめたたえ、キリストのために泣いている。自分では気づかぬけれど、けがれない生活の秘密によってそれを行なっているのだ。森の中にはこわい熊がうろついておるだろう。熊は獰猛な恐ろしい獣だが、べつにそれは熊の罪ではないのだよ」そしてわたしは、森の中の小さな庵で修行していた偉大な聖者のところへあるとき熊がやってきた話を、青年にしてやった。偉大な聖者が熊を憐れみ、恐れげもなく出て行って、パンを一片与え、「さ、お行き、キリストがついていてくださるからの」と言ったところ、獰猛な熊が危害も加えず、素直におとなしく立ち去ったという。青年は、熊が危害を加えずに立ち去ったことや、熊にもキリストがついていてくださるということに、すっかり感動した。「ああ、なんてすばらしいのでしょう、神さまのものは何もかも実に美しくすばらしいですね!」青年はじっと坐ったまま、うっとりと静かな物思いにふけった。わたしの話を理解してくれたようだ。やがてわたしのわきで、安らかな清い眠りに沈んだ。主よ、この若さに祝福を! そこでわたしも眠りに沈みながら、青年のために祈ったものだった。主よ、汝のしもべたちに平和と光を授けたまえ!











「人生が楽園であるということは」だしぬけに彼は言った。「わたしももうずっと以前から考えているんです、そしてふいに、「そのことばかり考えているんです」と付け加え、わたしを見つめて徴笑した。「その点はあなた以上に確信しているんですよ、理由はいずれおわかりになるでしょうが」わたしはそれをきいて、心ひそかに思った。「この人はきっとわたしに何かを打ち明けたいのだ」彼は言った。「楽園はわたしたち一人ひとりの内に秘められているのです。今わたしの内にもそれは隠れていて、わたしさえその気になれば、明日にもわたしにとって現実に楽園が訪れ、もはや一生つづくんですよ」見ると、彼は感動をこめて語り、まるで問いかけるように、秘密めかしくわたしを見つめている。彼はつづけた。「人はだれでも自分の罪業のほかに、あらゆる人あらゆる物に対して罪があるということですが、これはまったくあなたのお考えが正しいので、どうしてあなたが突然この考えをこれほど完璧にいだかれたのか、ふしぎなくらいです。人々がこの考えを理解したとき、天の王国がもはや空想の中でではなく、現実に訪れるというのは、間違いなく本当ですよ」「でも、いったいいつ」ここでわたしは愁いをこめて叫んだ。「それは実現するのでしょう、それにいつかは実現するものでしょうか? 単に夢にすぎないのじゃありませんか?」「ほら、あなたは信じてらっしゃらないんだ。みずから説いていながら、自分でも信じていないんですね。いいですか、あなたの言われるその夢は必ず実現します。それだけは信じていらっしゃい。でも、今じゃありません。どんな出来事にもそれなりの法則がありますからね。これは精神的、心理的な問題です。世界を新しい流儀で改造するには、人々自身が心理的に別の道に方向転換することが必要なんです。あらゆる人が本当に兄弟にならぬうちは、兄弟愛の世界は訪れません。人間はどんな学問やどんな利益によっても、財産や権利を恨みつらみなく分け合うことができないのです。各人が自分の分け前を少ないと思い、のべつ不平を言ったり、妬んだり、互いに殺し合ったりすることでしょう。あなたは今、いつそれが実現するかと、おたずねでしたね。必ず実現します、しかし最初にまず人間の孤立の時代が終らなければならないのです」「孤立とはどういうことです?」わたしはたずねた。「現在、それも特に今世紀になって、いたるところに君臨している孤立ですよ。でも、その時代は終っていませんし、終るべき時期も来ていません。なぜなら今はあらゆる人間が自分の個性をもっとも際立たせようと志し、自分自身の内に人生の充実を味わおうと望んでいるからです。ところが実際には、そうしたいっさいの努力から生ずるのは、人生の充実の代りに、完全な自殺にすぎません。それというのも、自己の存在規定を完全なものにする代りに、完全な孤立におちこんでしまうからなのです。なぜなら、現代においては何もかもが個々の単位に分れてしまい、あらゆる人が自分の穴蔵に閉じこもり、他の人から遠ざかって隠れ、自分の持っているものを隠そうとする、そして最後には自分から人々に背を向け、自分から人々を突き放すようになるからです。一人でこっそり富を貯えて、今や俺はこんなに有力でこんなに安定したと考えているのですが、あさはかにも、富を貯えれば貯えるほど、ますます自殺的な無力におちこんでゆくことを知らないのです。なぜなら、自分一人を頼ることに慣れて、一個の単位として全体から遊離し、人の助けも人間も人類も信じないように自分の心を教えこんでしまったために、自分の金や、やっと手に入れたさまざまの権利がふいになりはせぬかと、ただそればかり恐れおののく始末ですからね。個人の特質の真の保証は、孤立した各個人の努力にではなく、人類の全体的統一の内にあるのだということを、今やいたるところで人間の知性はせせら笑って、理解すまいとしています。しかし今に必ず、この恐ろしい孤立にも終りがきて、人間が一人ひとりばらばらになっているのがいかに不自然であるかを、だれもがいっせいに理解するようになりますよ。もはや時代の思潮がそうなって、みながこんなに永いこと闇の中に引きこもって光を見ずにいたことをおどろくようになるでしょう。そのときこそ天上に人の子の旗印が現われるのです……しかし、そのときまではやはりこの旗印を大切にしまっておき、ときおり一人でもよいからだれかがふいに手本を示して、たとえ神がかり行者と見なされようと、魂を孤独の世界から兄弟愛の交感という偉業へひきだしてやらねばならないのです。それこそ偉大な思想を死なせないために……」




「妻や子供たちと別れるべきでしょうか、永久に見棄てるべきなのでしょうか? なにしろ永久にですからね、永久にですよ!」
 わたしは腰をおろしたまま、黙って心の中で祈りをつぶやいていた。やがて、ついにわたしは立ちあがった。恐ろしくなってきたのである。
「どうでしょう?」彼はわたしを見つめていた。
「行って、人々に告白なさい」わたしは言った。「何もかもやがて過ぎ去り、真実だけが残るのです。お子さんたちだって、大きくなれば、あなたの偉大な決意にどれほど広い心が必要だったか、わかってくれますよ」
 そのときは、彼は即座に決心したような態度で帰って行った。だが、その後も二週間以上たてつづけに毎晩わたしを訪れ、いつも覚悟を決めながら、やはり踏み切ることができないのだった。彼はわたしの心をすっかり疲れさせた。時にはしっかりした態度でやってきて、感動をこめていうこともあった。
「わたしにとって楽園が訪れることはわかっています。告白すれば、すぐに訪れることでしょう。十四年というものは地獄の暮しでした。わたしは苦しみたい。苦悩を背負って、真の人生をはじめますよ。嘘でこの世を渡りぬいたら、あと戻りはできませんからね。今のままでは、身近な人はおろか、自分の子供さえ、愛する勇気がないのです。ああ、おそらく子供たちだって、わたしの苦悩がどんな値を払ったものかを理解してくれ、わたしを責めないでしょう! 神はカの中にではなく、真実の中に在るのですから」
「あなたの偉大な行為は、だれもが理解しますとも」わたしは言った。「今すぐにではなくとも、いずれわかってくれます。なぜなら、あなたは真理に仕えたのですからね。この地上のではない、最高の真理に……」
 そして彼は慰めを得たかのように帰ってゆくのだが、翌日になると突然また、憎しみにみちた蒼白な顔でやってきて、嘲るように言うのだった。
「わたしがこちらへ伺うたびに、あなたはさも『また告白しなかったな?』と言いたげな好奇のロで眺めるんですね。もう少し待ってください、あまり軽蔑しないでくれませんか。実行するのは、あなたが考えてるほど、たやすいことじゃないんですから。ひょっとしたら、まだ全然やるつもりがないのかもしれませんよ。そしたら、わたしを密告しに行くんじゃないでしょうな、え?」
 ところがわたしは、そんな愚かな好奇の目で眺めることはおろか、彼に目を向けることさえ恐れていたくらいなのだ。わたしは病気になりそうなほど疲れきってしまったし、わたしの心は涙にあふれていた。夜の眠りさえ失っていたのである。
「わたしは今」彼はつづけた。「妻のところから来たのです。妻というのが、どんなものか、おわかりになりますか。わたしが出てくるとき、子供たちは『行ってらっしゃい、パパ、早く帰ってきて《子供のお話》をいっしょに読んでね』と叫んでましたっけ。いや、こんなこと、あなたにわかるはずがない! 他人の不幸は知恵を授けず、と言いますからね」
 彼は目をぎらぎらさせ、唇がふるえだした。ふいに拳でテーブルを殴りつけ、テーブルの上の物がとびあがったほどだった。あんなに穏やかな人なのに、こんなことははじめてだった。
「それに、そんな必要があるでしょうか?」彼は叫んだ。「必要ですかね? だって、だれひとり有罪になったわけじゃなし、わたしの代りに流刑になった者もいないんですよ。召使は病気で死んだのです。流した血に対して、わたしは苦しむことによって罰せられたのです。それに、わたしの話なぞ全然信じてもらえませんよ、わたしのどんな証拠だって信じてくれるものですか。それでも告白する必要があるでしょうか、必要なんですか? 流した血に対してわたしはこれからも一生苦しむ覚悟です、ただ妻や子供たちにショックを与えたくないのですよ。妻子を道連れにするのが、はたして正しいことでしょうか? われわれは間違ってやしませんか? それならどこに真理があるのです? それに、世間の人たちにその真理がわかるでしょうか、その真理を正しく評価し、尊敬してくれるでしょうか?」
『ああ!』わたしはひそかに思った。『こんな瞬間に、まだ世間の尊敬などを考えているのだ!』そう思うと、あまりにもこの男が哀れになり、苦しみを軽くしてやれるものなら、みずから運命をともにしてもいいような気さえした。見ると、彼は半狂乱だった。こういう決意がどれほどの値につくものかを、わたしはすでに理性だけではなく、生きた心によってさとり、慄然とした。
「わたしの運命を決めてください!」ふたたび彼は叫んだ。
「行って告白なさい」わたしはささやいた。声がかすれたが、しっかりした口調でささやいたのである。そこでわたしはテーブルの上から福音書のロシア語訳をとり、ヨハネによる福音書の第十二章二十四節を彼に示した。
『よくよくあなた方に言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる』わたしは彼の来る前にこの一節を読んだばかりだった。
 彼は読んだ。「なるほど」と彼は言ったが、苦い笑いをうかべた。「そう、この本の中では」しばらく沈黙したあと、言った。「実に恐ろしい言葉に出くわしますね。そいつを人の鼻先へ突きつけるのは、たやすいことだ。だれですか、これを書いたのは。人間ですかね?」
「聖霊が書いたのです」わたしは言った。
「口でしゃべるだけだから、あなたは楽ですよね」彼はまたせせら笑ったが、もはやほとんど憎しみに近い笑いだった。わたしはふたたび福音書をとり、別の個所を開くと、『へブル人への手紙』第十章三十一節を示した。彼は読んだ。
『生ける神のみ手のうちに落ちるのは、恐ろしいことである』
 彼は読み終えるなり、本を放りだした。全身をふるわせてさえいた。
「恐ろしい言葉です」彼は言った。「一言もありません、よく選びましたね」彼は椅子から立った。「じゃ、失礼します」と言った。「たぶんもう伺わないでしょう……天国でお目にかかりましょう。つまり、十四年間、「わたしは生ける神のみ手のうちに落ちていた』わけですね。この十四年間をそう名づけていいわけですね。明日こそその手に、わたしを放してくれるように頼みますよ……」
 わたしはよっぽど彼を抱擁して接吻しようかと思ったが、勇気がなかった。それほど彼の顔がゆがみ、苦しそうな目つきをしていたのだ。彼は出ていった。『ああ、立派な人なのに、どこまで堕ちてしまったのだろう!』わたしは思った。わたしはただちに聖像の前にひざまずき、霊験あらたかな庇護者であり救済者である聖母マリヤに、泣きながら彼のことを祈った。涙ながらに祈りつづけているうちに三十分ほどたった。すでに深夜で、十二時近かった。見ると、ふいにドアが開き、彼がまた入ってくるではないか。わたしはびっくりした。
「どこに行ってらしたんです?」わたしはたずねた。
「わたしは」彼が言った。「わたしは、その、何か忘れ物をしたような気がして……ハンカチでしたかな……いや、何も忘れなかったにせよ、とにかく坐らせてください」
 椅子に坐った。わたしは彼のわきに立っていた。「あなたも坐りませんか」と彼が言うので、わたしは腰をおろした。二分ほどそのまま坐っていた。彼は食い入るようにわたしを見つめ、ふいに皮肉な笑いをうかべた。わたしはそれをよくおぼえている。そのあと、立ちあがって、固くわたしを抱きしめ、接吻した……
「おぼえておいてくれたまえ」彼は言った。「君のところへ二度も来たってことをね。いいかい、おぼえておいてくれたまえ!」
 はじめてわたしに、君という言葉を使ったのである。そして出ていった。『明日だ』わたしは思った。
 事実そのとおりになった。その晩のわたしは、翌日がちょうど彼の誕生日にあたっていることを知らなかった。最近どこへも出かけないため、だれからも教えてもらえなかったのである。例年その日は彼の家で大々的なパーティが催され、町じゅうの人が集まることになっていた。今年もみなが集まった。さて、食事が終ったあと、彼は中央にすすみでた。その手に一枚の紙が握られている――当局へあてた正式の自白書だった。たまたま当局の者がその席に居合せたので、彼はその場で集まった人々すべてに自白書を朗読したのだが、それには犯行の全貌が徴細な点にいたるまであますところなく記されていた。『人でなしの自分を、ここに人間社会から放逐する。神がわたしを訪れたもうたのだ』書類はこう結んであった。『わたしは苦しみを欲する!』そして彼は自分の犯行を証明しうると信じて十四年間しまっておいた品を取りだし、テーブルの上にならべた。嫌疑をそらすつもりで盗んだ被害者の金製品や、頸からはずしとったロケットと十字架(ロケットには彼女の婚約者の写真が入っていた)、手帳、そして最後に二通の手紙だった。手紙は、間近い帰還を知らせてよこした婚約者からのと、書きかけのまま翌日郵便で出すつもりでテーブルの上に置いておいた彼女の返事とであった。二通とも彼は持ってきてしまったのだが、何のためにだったのだろう? 証拠品として破り棄ててしまう代りに、何のつもりで十四年間も大事にしまっていたのだろうか? とにかくたいへんな騒ぎが持ち上がった。だれもがおどろき、恐怖にかられたが、だれ一人信じようとする者はなく、みなが極度の好奇心を示して話をききはしたものの、まるで病人のうわごとでもきくような具合で、それから数日たっと、もうどこの家でも、気の毒にあの人は気がふれたのだと、すっかり決めてかかっていた。当局や我判所としても、事件を取り上げぬわけにはいかなかったが、彼らも二の足を踏んだ。提出された品物や手紙が彼らに考えこませはしたものの、たとえ証拠が確実なものとわかったにせよ、やはりこの証拠だけにもとづいて最終的に有罪を宣告するわけにはいかない、という結論になった。それに、これらの品物はすべて、知人である彼が委任されて、被害者自身から預かったのかもしれなかった。もっとも、あとでわたしがきいた話では、これらの品物の真実性はのちに被害者の知人や身内たち大勢を通じて確認され、その点では疑いはなかったということである。だが、この事件はまたしても完結する定めにはなっていなかった。五、六日すると、苦悩者が病気にかかり、生命も危ぶまれていることが、みなにわかった。どんな病気にかかったのか、わたしには説明できないが、人の話では心臓の機能障害だということだった。しかしやがて、妻の懇望によって数人の医師の立会い診察が行われ、精神状態をしらべた結果、すでに精神錯乱が認められるという結論に達したことが明らかになった。人々がわたしのところに殺到して根掘り葉掘りたずねたけれど、わたしは何一つ明かさなかった。しかし、わたしが面会を望んでも、永いこと許されなかった。いちばんの強敵は彼の妻だった。「主人の心を乱したのはあなたです」と言うのだ。「以前から暗い人でしたけれど、この一年というもの、だれもが主人の異様な興奮と奇妙な振舞いに気づいていたのです。そこへ、ちょうどあなたが現われて主人を滅ぼしたのですわ。あなたがさんざお説教をして主人を疲れさせてしまったんです、主人はまる一カ月もあなたのところに入りびたっていたんですもの」それになんたることだろう、彼の妻だけではなく、町じゅうの者がみな、わたしを攻撃し、責めるのだった。「何もかも、あなたのせいだ」と言うのである。わたしは黙っていた。それに心の中では喜んでいた。なぜなら、自己に反逆して自己を罰した者に対する、疑う余地なき神の慈愛を見いだしたからだ。彼の精神錯乱をわたしは信ずることができなかった。とうとう、わたしも面会を許された。当の彼が、わたしに別れを告げたいと、執拗に要求したのだった。入るなり、わたしはすぐに、彼がもはや数日どころか、数時間の生命であることを知った。衰弱しきって、黄ばんだ顔をし、手がふるえ、息を切らせていたが、感動にみちた嬉しそうな目をしていた。
「ついにやりとげたよ!」彼は言った。「ずっと君に会いたくてならなかったよ、どうして来てくれなかったね??」
 わたしは面会させてもらえなかったことを、彼には告げなかった。
「神さまがわたしを憐れんで、おそばによんでくださっている。もうすぐ死ぬ身であることはわかっているけれど、永い年月のあとではじめて喜びと安らぎを感じているんだ。せねばならぬことをやりとげただけで、いっぺんで心の中に楽園を感じたんだ。今ならもう子供を愛し、子供たちに接吻してやることだってできる。わたしの話は信じてもらえないんだ、妻も裁判官たちも、だれ一人信じてくれなかった。子供たちだって決して信じないだろう。この点にもわたしは子供たちに対する神の慈悲を見いだすのだ。わたしが死んでも、子供たちにとってわたしの名前は汚れぬままだろうからね。今やわたしは神を予感しているし、心はさながら楽園に遊んでいるみたいだよ……務めをはたしたからね……」
 彼はもうロがきけずに、息をあえがせ、熱っぽくわたしの手を握りしめて、燃える目で見つめていた。だが、わたしたちが話したのは、しばらくの間だけで、彼の妻がのべつ様子をのぞきにくるのだった。それでも、彼はすばやくわたしにささやいた。「あの晩、真夜中にわたしが二度目に訪ねて行ったのを、おぼえているかい? そのうえ、おぼえておくように言っただろう? 何のためにわたしが行ったか、わかるかね? あれは君を殺しに行ったんだよ!」
 わたしは思わずぎくりとした。
「あの晩、君のところから闇やみの中に出て、通りをさまよいながら、わたしは自分自身と戦っていた。そしてふいに、心が堪えていられぬほど、君が憎くなったんだ。『今やあの男だけが俺を束縛している。俺の裁判官なんだ。俺はもう明日の刑罰を避けることができない。だって、あの男が何もかも知っているからな』君が密告するのを恐れたわけじゃなく(そんなことは考えもしなかった)、こう思ったのだ。『もし自首しなければ、どうしてあの男の顔を見られるだろう?』たとえ君が遠く離れたところにいようと、生きているかぎり、しょせん同じことだ。君が生きており、何もかも知っていて、わたしを裁いている、という考えが堪えられないからね。まるで君がすべての原因であり、すべてに罪があるかのように、わたしは君を憎んだ。そこでわたしは君のところへ引き返したんだよ。テーブルの上に短剣があったのを、今でもおぼえているよ。わたしは坐り、君にも坐るよう頼んで、まる一分というもの考えつづけた。もし君を殺せば、たとえ以前の犯罪を自白せぬとしても、どのみちその殺人のために身を滅ぼしたにちがいない。でも、あの瞬間、そんなことは全然考えなかったし、考えたくもなかった。わたしはただ君を憎み、すべての復讐を精いっぱい君にしてやりたかっただけなんだ。だけど、神さまがわたしの心の中の悪魔に打ち克ってくださった。それにしても、いいかい、今まで君はあれほど死に近づいたことはなかったんだよ」
 一週間後に彼は死んだ。町じゅうの人が彼の柩(ひつぎ)を墓地まで送った。司祭長がまごころのこもった弔辞を述べた。だれもが彼の人生を断ち切った恐ろしい病気を嘆き悲しんだ。だが、葬儀が終ると、町じゅうがわたしを白い目で見るようになり、自分の家に招ずることさえやめた。もっとも、最初はごくわずかだったが、彼の自白の真実性を信ずる者もいて、その数はしだいに増えてゆき、わたしを訪ねてきては、たいそうな好奇心と嬉しさを示しながら、あれこれと質問するようになった。それというのも、人間は正しい人の堕落と恥辱を好むからである。だが、わたしは沈黙を守り、間もなくすっかり町を離れて、五カ月後には、これほどはっきりと道を示してくれた、目に見えぬ主の御指をしながら、主の思召しによって揺るぎない荘厳なこの道に踏みこむ栄に浴した。しかし、苦しみ多かった神のしもべミハイルのことは、いまだに毎日、お忻りの中で思い起しているのである。



 神父諸師よ、修道僧とはいったい何であろうか? 現代の文明社会において、この言葉は時にはすでに嘲笑とともにロにされ、またときには罵言として用いられている。そして、日を追うごとに、ますますその感が強い。なるほど、たしかに修道僧の中にも怠け者や、淫乱な人間、好色漢、恥知らずな浮浪者などが大勢いる。それらをさして俗世の教養ある人々は言う。「お前らは怠け者で、社会の無益な屑だ。お前たちは他人の労働で生きているのだ、恥知らずな乞食め」だが実際のところ、修道僧には、孤独を渇望し、静寂の中での熱烈な祈りを望んでいる謙虚で柔和な人がきわめて多いのである。そうした人たちのことを世間はあまりさし示そうとせず、まったくの沈黙で逃げようとさえしている。だから、もしわたしが、孤独な祈りを渇望しているこれらの柔和な人々から、ことによると、ふたたびロシアの大地の救いが出現するかもしれない、などと言えば、世人はさぞおどろくことだろう。本当にこれらの人々は静寂の中で《その日その時のために》修業を積んでいるのである。彼らは今のところ孤独の中で、いにしえの神父や使徒や殉教者から受けついだキリストの御姿を、神の真理の純粋さのまま、ゆがめることなく壮麗に保ちつづけ、やがて必要な時がくれば、俗世のゆらいだ真理の前にそれを現わすことだろう。この思想は偉大である。この星はやがて東の空から輝くことであろう。
 わたしは修道僧についてこのように考えるのだが、はたしてこれは誤りだろうか、傲慢であろうか? 俗世の人々のもとで、いや、神の民を傲然と支配している世界全体で、神の御姿と真理とがゆがめられていないかどうか、よく見るがよい。彼らには科学があるが、科学の中にあるのは人間の五感に隷属するものだけなのだ。人間の存在の高尚な半面である精神の世界はまったく斥けられ、一踵の勝利感や憎しみさえこめて追い払われているではないか。世界は自由を宣言し、最近は特にそれがいちじるしいが、彼らのその自由とやらの内にわれわれが見いだすものは何か。ただ、隷属と自殺だけではないか! なぜなら俗世は言う。「君らはさまざまな欲求を持っているのだから、それを充たすがよい。なぜなら君らも、高貴な裕福な人たちと同等の権利を持っているからだ。欲求を充たすことを恐れるな、むしろそれを増大させるがよい」――これが俗世の現代の教えである。この中に彼らは自由を見いだしているのだ。だが、欲求増大のこんな権利から、どんな結果が生ずるだろうか? 富める者にあっては孤独と精神的自殺、貧しい者には妬みと殺人にほかならない。それというのも、権利に与えられたものの、欲求を充たす手段はまだ示されていないからだ。距離が短縮され、思想が大気を通って伝えられることによって、世界は、時がたつにつれ、ますます団結し、兄弟愛の交流に結ばれてゆく、と彼らは力説する。ああ、このような人類の団結を信じてはならない。彼らは自由を、欲求の増大や急速な充足と解することにより、自己の本性をゆがめているのだ。なぜなら、彼らは自己の内に、数多くので愚劣な欲望や習慣や、愚にもつかぬ思いつきを生みだしているからである。人々はもっぱらお互い同士の羨望と、色欲と、尊大さのためにだけ生きている。パーティや、社交界への出入りや、馬車や、官位や、奴隷の下僕などを持つことが、もはや絶対の必要事と見なされ、その必要を充たすためなら、生命や名誉や人間愛さえ犠牲にし、万一それを充たすことができなければ、自殺さえやってのけるのだ。裕福でない人々の間にも、まったく同じことが見られるし、貧しい人々にあっては、欲求不満と羨望とがさしあたり飲酒でまぎらされている。だが、ほどなく、酒の代りに彼らは血に酔いしれることだろう、彼らの導かれてゆく先はそこなのだ。わたしはみなさんにうかがいたい――こんな人間がはたして自由なのだろうか? わたしはさる《思想のための闘士》を知っているが、その闘士がみずから話してくれたところによると、刑務所で煙草が吸えなくなったとき、あまりの苦しさに、わずかばかりの煙草をもらいたい一心から、もう少しで自分の《思想》を裏切りそうになったという。こんな人物が「人類のために戦うぞ」などと言っているのだ。こんな人物がどこへおもむき、何をやれるというのだろう? おざなりの行為ならともかく、永く堪えぬくことはできまい。だから、彼らが自由の代りに隷属におちこみ、兄弟愛と人類の団結に対する奉仕の代りに、むしろ反対に、わたしの青年時代の師である神秘的な客が言ったように、離反と孤独におちこんだのも、ふしぎではない。だからこそ、俗世では人類への奉仕とか、兄弟愛とか、人類の統一とかいう思想がますます消え薄れ、実際にこの思想がもはや嘲笑とともに迎えられてさえいるのだ。なにしろ、この奴隷が、みずから考えだした数知れぬ欲求を充たすことにこれほど慣れてしまった以上、どうやってその習慣から脱し、どこへ行こうというのであろうか? 孤独になった人間にとって、全体のことなぞ、何の関係があるだろう。こうして得た結果と言えば、物を貯えれば貯えるほど、喜びはますます少なくなってゆくということなのだ。
 修道僧の道はまったく異なる。贖罪のための勤労とか、精進とか、祈禱などは、笑いものにさえされているが、実際はそれらの内にのみ、本当の、真の自由への道が存するのである。余分な不必要な欲求を切りすて、うぬぼれた傲慢な自己の意志を贖罪の労役によって鞭打ち鎮め、その結果、神の助けをかりて精神の自由を、さらにそれとともに精神的法悦を獲ち得るのだ! 孤独な富者と、物質や習慣の横暴から解放された者と、はたしてどちらが偉大な思想を称揚し、それに奉仕する力を持っているだろうか? 修道僧はその隠遁生活のために非難される。「お前は修道院の壁の中でおのれを救うために隠遁なぞして、人類への兄弟愛的な奉仕を忘れたのだ」だが、いったいどちらが兄弟愛にいっそう努力しているか、もう少し様子を見ようではないか。なぜなら、孤独が生れるのは、われわれのところではなく、彼らのほうであり、それに気づかぬだけだからだ。われわれの間からは昔から民衆の指導者が輩出してきた。今日もそうした人物がありえないはずはあるまい。精進と無言の行にはげむ同じその謙虚で柔和な修道僧たちが、やがて立ちあがり、偉大な仕事におもむくことだろう。ロシアの救いは民衆にかかっている。ロシアの修道院は昔から民衆とともにあった。民衆が孤独であれば、われわれもまた孤独である。民衆はわれわれの流儀で神を信じているのであり、神を信じぬ指導者はたとえ心が誠実で、知力が卓抜であろうと、わがロシアでは何一つできるはずがない。このことをおぼえておくがよい。民衆は無神論者を迎えてこれを倒し、やがて統一された正教のロシアが生れることだろう。民衆を大切にし、民衆の心を守らねばならない。静寂の中で民衆をはぐくみ育てることだ。これこそ、あなた方修道僧の偉大な仕事である。なぜなら、この民衆は神の体現者にほかならないからだ。





 嘆かわしいことに、一部で言われるとおり、民衆の間にも罪がある。また、堕落の炎は目に見えて刻々と燃えさかり、上から下へひろがってゆく。民衆の間にも孤独化が生じ、富農や搾取者が現われはじめた。すでに商人はますます尊敬を求めるようになり、教養などまったく持たぬくせに、教養ある人間に見せようと努め、そのために破廉恥にも昔からの慣習をないがしろにし、父祖の信仰さえ恥じる始末だ。得々として公爵家などに出入りしてはいるが、しょせんは根性の腐った百姓にすぎない。民衆は飲酒のために化膿しはじめ、もはや酒から離れることができない。そして家族や、妻や、子供にさえ冷酷の限りをつくすが、すべては飲酒のせいである。

嘲笑する人々には、こうききたいものだ。もしわれわれの考えが夢だと言うなら、あなた方はキリストに頼らず自分の知力だけで、いつ自分らの建物を建て、公平な秩序を作るのか、と。かりに彼らが、反対に自分たちこそ統一をめざしているのだと主張するなら、本当にそんなことを信ずるのは彼らの中でももっとも単純な連中だけであるから、その単純さに呆れるばかりだ。実際、彼らはわれわれよりずっと浮世ばなれした幻想をいだいている。

 兄弟たちよ、人々の罪を恐れてはならない、罪あるがままの人間を愛するがよい、なぜならそのことはすでに神の愛に近く、地上の愛の極致だからである。神のあらゆる創造物を、全体たるとその一粒一粒たるとを問わず、愛するがよい。木の葉の一枚一枚、神の光の一条一条を愛することだ。動物を愛し、植物を愛し、あらゆる物を愛するがよい。あらゆる物を愛すれば、それらの物にひそむ神の秘密を理解できるだろう。ひとたび理解すれば、あとはもはや倦むことなく、日を追うごとに毎日いよいよ深くそれを認識できるようになる。そしてついには、もはや完璧な全世界的な愛情で全世界を愛するにいたるだろう。動物を愛するがよい。神は彼らに思考の初歩と穏やかな喜びとを与えているからである。動物を怒らせ、苦しめ、喜びを奪って、神の御心にそむいてはならない。人間よ、動物に威張りちらしてはいけない。動物は罪を知らぬが、人間は偉大な資質を持ちながら、その出現によって大地を腐敗させ、腐った足跡を残している。悲しいことに、われわれのほとんどすべてがそうなのだ! 特に子供を愛することだ。なぜなら、子供もまた天使のように無垢であり、われわれの感動のために、われわれの心の浄化のために生き、われわれにとってある種の教示にひとしいからである。幼な子をは辱しめる者は嘆かわしい。子供を愛することをわたしに教えてくれたのは、アンフィーム神父だった。心やさしく寡黙な彼は、巡礼の間、喜捨された小銭でよく子供たちに蜜菓子や氷砂糖を買って、分け与えていたものだ。心のふるえなしに、子供たちのわきを通ることができなかったのである。彼はそういう人柄なのだ。
 ある種の考えを前にして、特に他人の罪を見た場合など、人はためらいをおぼえ、『カずくで捕えるべきか、それとも謙虚な愛に頼るべきか?』と心にたずねることがある。そんなときは常に『謙虚な愛で捕えよう』と決めるがよい。いったん永久にこう決心すれば、全世界を征服することができよう。愛の謙虚さは恐ろしいカである。すべての強いカの中でも、これにならぶものは何一つないほど、強い力なのだ。毎日、毎時、毎分、おのれを省みて、自分の姿が美しくあるよう注意するがよい。たとえば幼い子供のわきを通るとき、腹立ちまぎれにこわい顔をして、汚ない言葉を吐きすてながら通りすぎたとしよう。お前は子供に気づかなかったかもしれぬが、子供はお前を見たし、お前の罰当りな醜い姿が無防御な幼い心に焼きついたかもしれない。お前は知らなかったかもしれぬが、もはやそのことによって子供の心にわるい種子を投じたのであり、おそらくその種子は育ってゆくことだろう。これもみな、お前が子供の前で慎みを忘れたからであり、もとはと言えば注意深い実践的な愛を心にはぐくんでおかなかったためである。兄弟たちよ、愛は教師である。だが、それを獲得するすべを知らなければいけない。なぜなら、愛を獲得するのはむずかしく、永年の努力を重ね、永い期間をへたのち、高い値を払って手に入れるものだからだ。必要なのは、偶然のものだけを瞬間的に愛することではなく、永続的に愛することなのである。偶発的に愛するのならば、だれにでもできる。悪人でもするだろう。青年だったわたしの兄は小鳥たちに赦しを乞うたものだ。これは無意味なようでありながら、実は正しい。なぜなら、すべては大洋のようなもので、たえず流れながら触れ合っているのであり、一個所に触れれば、世界の他の端にまでひびくからである。小鳥に赦しを乞うのが無意味であるにせよ、もし人がたとえばほんのわずかでも現在の自分より美しくなれば、小鳥たちも、子供も、周囲のあらゆる生き物も、心が軽やかになるにちがいない。もう一度言っておくが、すべては大洋にひとしい。それを知ってこそ、小鳥たちに祈るようになるだろうし、歓喜に包まれたかのごとく、完璧な愛に苦悩しながら、小鳥たちが罪を赦してくれるよう、祈ることができるだろう。たとえ世間の人にはどんなに無意味に見えようと、この歓喜を大切にするがよい。
 わが友よ、神に楽しさを乞うがよい。幼な子のように、空の小鳥のように、心を明るく持つことだ。そうすれば、仕事にはげむ心を他人の罪が乱すこともあるまい。他人の罪が仕事を邪魔し、その完成を妨げるなどと案ずることはない。「罪の力は強い、不信心は強力だ、猥雑な環境の力は恐ろしい。それなのにわれわれは一人ぼっちで無力なので、猥雑な環境がわれわれの邪魔をし、善行をまっとうさせてくれない」などと言ってはならない。子らよ、こんな憂鬱は避けるがよい! この場合、救いは一つである。自己を抑えて、人々のいっさいの罪の責任者と見なすことだ。友よ、実際もそのとおりなのであり、誠実にすべての人すべてのものに対する責任者と自己を見なすやいなや、とたんに本当にそのとおりであり、自分がすべての人すべてのものに対して罪ある身であることに気づくであろう。ところが、自己の怠惰と無力を他人に転嫁すれば、結局はサタンの傲慢さに加担して、神に不平を言うことになるのだ。サタンの傲慢さに関してわたしはこう思う。この地上でサタンの傲慢さを理解するのはきわめてむずかしく、そのためいとも容易に誤解して、それに加担し、そのうえさらに何か偉大な立派なことをしているように考えたりしがちである。それに、人間の本性のもっとも強烈な感情や行動のうちの多くは、われわれがこの地上にいる間は理解しえぬものであるから、それに心をまどわされたり、それが自分の過ちの弁解になると考えたりしてはならない。なぜなら、永遠の審判者が責任を問うのは、人間が理解しえたことだけであり、理解できなかったことは問わないからである。そのことはいずれ自分で納得できよう。なぜと言うに、そのときになればあらゆることを正しく見きわめられ、もはや抗弁しようとしないはずだからだ。この地上にいるわれわれは、実際のところ、迷いつづけているにひとしいのだから、もし尊いキリストの姿が眼前になかったなら、われわれはちょうど大洪水の前の人類のように、すっかり迷って、滅びてしまったことであろう。この地上では多くのものがわれわれから秘め隠されているが、その代りわれわれには、他の世界、天上の至高の世界と生きたつながりを有しているという、神秘的な貴い感情が与えられているし、またわれわれの思考と感情の根はこの世ではなく、他の世界に存するのである。事物の本質はこの地上では理解できないと哲学者が言うのは、このためにほかならない。神は他の世界から種子をとって、この地上に播き、自分の園を作られた。だからこそ、生じうるものはすべて生じたのである。だが、その育てられたものは、もっぱら神秘的な他の世界と接触しているという感情によって生き、潑剌としているのであって、もしその感情が弱まったり消えたりすれば、自己の内部に育てられたものも死んでしまうのだ。そうなれば、人は人生に無関心になり、それを憎むようにさえなるのである。わたしはそう考える。


 倦むことなく実行するがよい。夜、眠りに入ろうとして、『やるべきことを果していなかった』と思いだしたなら、すぐに起きて実行せよ。もし周囲の人々が敵意を持ち冷淡で、お前の言葉をきこうとしなかったら、彼らの前にひれ伏して、赦しを乞うがよい。なぜなら実際のところ、お前の言葉をきこうとしないのは、お前にも罪があるからである。相手がすっかり怒って話ができぬ場合でも、決して望みを棄てず、おのれを低くして黙々と仕えるがよい。もしすべての人に見棄てられ、むりやり追い払われたなら、一人きりになったあと、大地にひれ伏し、大地に接吻して、お前の涙で大地を濡らすがよい。そうすれば、たとえ孤独に追いこまれたお前をだれ一人見も聞きもしなくとも、大地はお前の涙から実りを生んでくれるであろう。たとえこの地上のあらゆる人が邪道に落ち、信仰を持つ者がお前だけになるといった事態が生じても、最後まで信ずるがよい。そのときでも、ただ一人残ったお前が、犠牲を捧げ、神をたたえるのだ。かりにそのような者が二人出会えば、それが全世界であり、生ある愛の世界なのだから、感動して抱擁し合い、主をたたえるがよい。たとえそれが二人でも、主の真理は充たされたからだ。
 もし自分が罪を犯し、おのれの罪業や、ふと思いがけず犯した罪のことで死ぬまで悲しむようであれば、他の人のために喜ぶがよい。正しい人のために喜び、たとえお前が罪を犯したにせよ、その人が代りに行いを正しくし、罪を犯さずにいてくれたことを喜ぶがよい。
 もし他人の悪行がもはや制しきれぬほどの悲しみと憤りとでお前の心をかき乱し、悪行で報復したいと思うにいたったなら、何よりもその感情を恐れるがよい。そのときは、他人のその悪行をみずからの罪であるとして、ただちにおもむき、わが身に苦悩を求めることだ。苦悩を背負い、それに堪えぬけば、心は鎮まり、自分にも罪のあることがわかるだろう。なぜなら、お前はただ一人の罪なき人間として悪人たちに光を与えることもできたはずなのに、それをしなかったからだ。光を与えてさえいれば、他の人々にもその光で道を照らしてやれたはずだし、悪行をした者もお前の光の下でなら、悪行を働かずにすんだかもしれない。また、光を与えたのに、その光の下でさえ人々が救われないのに気づいたとしても、いっそう心を強固にし、天の光の力を疑ったりしてはならない。かりに今救われぬとしても、のちにはきっと救われると、信するがよい。あとになっても救われぬとすれば、その子らが救われるだろう。なぜなら、お前が死んでも、お前の光は死なないからだ。行い正しき人が世を去っても、光はあとに残るのである。人々が救われるのは、常に救い主の死後である。人類は予言者を受け入れず、片端から殺してしまうけれど、人々は殉教者を愛し、迫害された人々を尊敬する。お前は全体のために働き、未来のために実行するのだ。決して褒美を求めてはならない。なぜなら、それでなくてさえお前にはこの地上ですでに褒美が与えられているからだ。行い正しき人のみが獲得しうる、精神的な喜びがそれである。地位高き者をも、力強き者をも恐れてはならぬ、だが賢明で、常に心美しくあらねばならぬ。節度を知り、時期を知ること、それを学ぶがよい。孤独におかれたならば、祈ることだ。大地にひれ伏し、大地に接吻することを愛するがよい。大地に接吻し、倦むことなく貪婪に愛するがよい、あらゆる人を愛し、あらゆるものを愛し、喜びと熱狂を求めるがよい。喜びの涙で大地を濡らし、自分のその涙を愛することだ。その熱狂を恥じずに、尊ぶがよい。なぜなら、それこそ神の偉大な贈り物であり、多くの者にではなく、選ばれた者にのみ与えられるものだからである。

地獄の物質的な火を云々する人がいるが、わたしはその神秘を究めるつもりもないし、また恐ろしくもある。しかし、わたしの考えでは、もし物質的な火だとしたら、実際のところ人々は喜ぶことだろう。なぜなら、物質的な苦痛にまぎれて、たとえ一瞬の間でもいちばん恐ろしい精神的苦痛を忘れられる、と思うからだ。それに、この精神的苦痛というやつは取り除くこともできない。なぜなら、この苦痛は外的なものではなく、内部に存するからである。また、かりに取り除くことができたとしても、そのためにいっそう不幸になると思う。なぜなら、たとえ天国にいる行い正しい人々が、彼らの苦しみを見て、赦してくれ、限りない愛情によって招いてくれたとしても、ほかならぬそのことで彼らの苦しみはいっそう増すにちがいないからだ。なぜなら、それに報いうる実行的な、感謝の愛を渇望する炎が彼らの胸にかきたてられても、その愛はもはや不可能だからである。それにしても、臆病な心でわたしは思うのだが、不可能であるというこの自覚こそ、最後には、苦痛の軽減に役立つはずである。なぜなら、返すことはできぬと知りながら、正しい人々の愛を受け入れてこそ、その従順さと謙虚な行為の内に、地上にいたときには軽蔑していたあの実行的な愛の面影ともいうべきものや、それに似た行為らしきものを、ついに見いだすはずだからである……諸兄よ、わたしはこれを明確に言えないのが残念だ。だが、地上でわれとわが身を滅ぼした者は嘆かわしい。自殺者は嘆かわしい! これ以上に不幸な者はもはやありえないと思う。彼らのことを神に祈るのは罪悪であると人は言うし、教会も表向きは彼らをしりぞけているかのようであるが、わたしは心ひそかに、彼らのために祈ることも差支えあるまいと思っている。愛に対してキリストもまさか怒りはせぬだろう。このような人々のことを、わたしは一生を通じて心ひそかに祈ってきた。神父諸師よ、わたしはそれを告白する、そして今でも毎日祈っているのだ。
 ああ、地獄に落ちて、すでに反駁の余地ない真理を明確に知り、観察しているにもかかわらず、傲慢な怒り狂った態度をとりつづける者もいる。サタンとその傲慢な精神にすっかり共鳴した恐ろしい人々もいるのだ。こういう人々にとって、地獄はもはや飽くことを知らぬ自発的なものとなり、彼らはすでに自発的な受難者にひとしいのである。なぜなら、彼らは神と人生を呪った結果、われとわが身を呪ったことになるからだからだ。ちょうど荒野で飢えた者が自分の身体から血をすすりはじめるように、彼らは憎悪にみちた傲慢さを糧にしているのである。それでいて永遠に飽くことを知らず、赦しを拒否し、彼らによびかける神を呪う。生ある神を憎悪なしに見ることができず、生の神がいなくなることを、神が自分自身と自己のあらゆる創造物を絶滅することを、彼らは要求する。そして、おのれの怒りの炎で永遠に身を焼き、死と虚無とを渇望しつづけるだろう。しかし、死は得られないだろう。

一方、長老制度を新制度として敵視する連中は、傲然と頭をそりかえらせた。「ワルソノーフィイ長老の亡くなったときは、腐臭なんぞ立たなかったばかりか、芳香が流れたほどだった」彼らは意地わるく思い出話をした。「しかし、あのお方にそれだけの値打ちがあったとすれば、それは長老の位によってじゃなく、ご自身の行いが正しかったからなのだ」それを受けて、今回亡くなった長老に、もはや批判や、はては非難まで浴びせられた。「あの人の教えは間違っていた。人生は偉大な喜びであって、涙ながらの忍従ではない、と教えたのだから」いちばん愚かな連中の中には、そんなことを言う者もいた。それに輪をかけて愚かな連中は「あの人のは流行に従った信仰で、地獄に存する物質的な火を認めなかったのだ」と尻馬にのった。「精進に対して厳格じゃなかった。甘いものを平気でロに入れ、桜んぼのジャムをお茶といっしょに食べていたし、大好物で、地主の奥さんたちに届けさせていた。スヒマ僧がお茶を楽しむなど、もってのほかではないか?」妬んでいた連中の間からも声があがった。「やけにお高くとまっていたしな」いちばん意地のわるい連中は、手きびしく思いだしてみせた。「自分を聖人と見なして、人々が前にひれ伏しても、当り前みたいな顔をしていたもの」「あの人は懺悔の秘儀を悪用していたのだ」長老制度のもっともはげしい反対者たちは、悪意にみちたささやきで追い討ちをかけた。


「あたし泣きだすわ、本当に泣きだしそう!」グルーシェニカが口走った。「この人はあたしを、姉とよんでくれたのよ、あたしこのことは一生忘れない! ただ、いいこと、ラキーチン、あたしはよこしまな女ではあるけど、これでもやはり葱をあげたことがあるのよ」
「葱って、何のことだい? ふん、畜生、本当に気がふれちまったな!」
 人生にめったに起らぬくらい強烈に魂を揺り動かしうることがすべて、たまたま二人の心に生じたのだと思い当ってもいいはずなのに、ラキーチンは二人の感激ぶりにおどろき、すっかり気をわるくした。だが、自分に関係のあることなら何でもいたって敏感に理解できるラキーチンも、ある程度は若くて経験が浅いせいもあり、ある程度はたいそうなエゴイズムのせいもあって、身近な人間の感情や感覚の理解にかけてはきわめて雑だった。
「あのね、アリョーシャ」突然グルーシェニカが、アリョーシャの方に向き直りながら、神経質な笑い声をたてた。「あたし、ラキートカには葱をあげたことがあるなんて威張ってみせたけど、あなたには自慢しない。あなたには別の目的で話すんだわ。これはただの寓話なの、でもとてもいい寓話よ。まだ子供のころにあたし、今うちで料理女をしているマトリョーナからきいたの。あのね、こういう話。『昔むかし、一人の根性曲りの女がいて、死んだのね。そして死んだあと、一つの善行も残らなかったので、悪魔たちはその女をつかまえて、火の池に放りこんだんですって。その女の守護天使はじっと立って、何か神さまに報告できるような善行を思いだそうと考えているうちに、やっと思いだして、神さまにこう言ったのね。あの女は野菜畑で葱を一本ぬいて、乞食にやったことがありますって。すると神さまはこう答えたんだわ。それなら、その葱をとってきて、火の池にいる女にさしのべてやるがよい。それにつかまらせて、ひっぱるのだ。もし池から女を引きだせたら、天国に入れてやるがいいし、もし葱がちぎれたら、女は今いる場所にそのまま留まらせるのだ。天使は女のところに走って、葱をさしのべてやったのね。さ、女よ、これにつかまって、ぬけでるがいい。そして天使はそろそろとひっぱりはじめたの。ところがすっかり引きあげそうになったとき、池にいたほかの罪びとたちが、女が引き上げられているのを見て、いっしょに引きだしてもらおうと、みんなして女にしがみついたんですって。ところがその女は根性曲りなんで、足で蹴落しにかかったんだわ。「わたしが引き上げてもらってるんだよ、あんたたちじゃないんだ。これはわたしの葱だ、あんたたちのじゃないよ」女がこう言い終ったとたん、葱はぷつんとちぎれてしまったの。そして女は火の池に落ちて、いまだに燃えつづけているのよ。天使は泣きだして、立ち去ったんですて』これがその寓話よ、アリョーシャ、そらで覚えているわ、だってあたし自身が根性曲りのその女なんですもの。ラキートカには、葱をあげたことがあるなんて威張ってみせたけど、あなたには別の言い方をするわ。あたしは一生を通じて、あとにも先にもその辺の葱を与えただけなの、あたしの善行はたったそれだけなのよ。だから、これからはあたしを褒めたりしないで、アリョーシャ、あたしをいい人間だなんておだてないでね。あたしは根性曲りの、いけない女。褒めたりすれば、あたしに恥をかかせることになるわ。ああ、もうすっかり白状するわね。あのね、アリョーシャ、あたし、どうしてもあなたをここへおびき寄せたかったものだから、ラキートカにしつこく頼んで、もしあなたを連れてきたら二十五ループルあげるって約束したのよ。待って、ラキートカ、待ちなさいよ!」彼女は足早にテーブルに歩みより、引出しを開けると、財布を取りだし、二十五ループル紙幣をぬきだした。

「まだ心が赦すつもりになっているだけかもしれないわ。これからその心と戦うのよ。あのね、アリョーシャ、あたしは五年間の涙をとても好きになったわ……ことによると、あたしが好きになったのは、自分の受けた侮辱だけで、あの男なんぞじゃ全然ないかもしれないわね」



「僕が何をしてあげたというんです?」感動の微笑をうかべながら、アリョーシャは彼女のほうに身をかがめ、やさしく両手をとって答えた。「僕はあなたに一本の葱をあげただけですよ、ごく小さな葱をね、それだけ、それだけですよ!」

「行くわ!」だしぬけに彼女は叫んだ。「あたしの五年間! さようなら! さよなら、アリョーシャ、運命は決ったわ……、さ、帰って、帰ってちょうだい、もうあなたたちを見ずにすむように、みんな帰って!……グルーシェニカは新しい生活に飛び去ったのよ……あんたもあたしのことを悪く思わないでね、ラキートカ。もしかしたら、死への旅かもしれないもの! ああ! まるで酔っているみたい!」

イエスは彼らにかめに水をいっぱい入れなさいと言われたので彼らはロのところまでいっぱいに入れた
 そこで彼らに言われた。『さあくんで料理頭のところに持って行きなさいすると彼らは持って行った
 料理頭はぶどう酒になった水をなめてみたがそれかどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた花婿を呼んで言った
どんな人でも初めによいぶどう酒を出して酔いかまわったころにわるいのを出すものだそれだのにあなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました』……」
「それにしても、これは何だ、どうしたのだ? なぜ部屋がひろがってゆくのだろう……ああ、そうか……婚礼だものな、祝宴なんだ……そうだとも、もちろん。ほら、客たちもいるし、新郎新婦も坐っている、陽気な群衆もいる……賢い料理頭はどこにいるのだろう? だが、あれはだれだ? だれだろう? また部屋がひろがった……あの大テーブルの向うから立ったのは、だれかな? まさか……あの方もここに? だってあの方は柩の中のはずでは……でも、ここにも来ておられるんだ……立ちあがって、僕を見つけた。こっちへ歩いてくる……ああ!』
 そう、彼、アリョーシャの方へ、顔に小皺の一面によった枯れた老人が、静かにほほえみながら、嬉しそうに歩みよってきた。柩はすでになく、長老は昨夜客が集まって席をともにしたときの、あの服装のままだ。何のかげりもない顔に、目がかがやいている。これはどういうわけだろう、してみると長老もやはりガリラヤのカナの婚礼に招かれて、祝宴に出ているのだ……
『そう、やはり招かれたのだ。よばれたのだよ、招かれたのだ』耳もとで静かな声がひびく。「なぜ姿を見られぬよう、こんなところに隠れておる……お前もあっちへ行こうではないか』
 あの方の声だ、ゾシマ長老の声だ……それに、自分をよんでいる以上、あの方に決っている。長老は片手でアリョーシャを引き起した。ひざまずいていたアリョーシャは立ちあがった。
『愉快に楽しもう』枯れた老人はさらにつづける。『新しいぶどう酒を、新しい偉大な喜びの酒を飲むのだ、どうだ、この大勢の客は? ほら、新郎新婦もいる、あれが賢い料理がしらだ、新しいぶどう酒を味見しているところだよ。なぜ、わたしを見ておどろいている? わたしは葱を与えたのだ、それでここにいるのだよ。ここにいる大部分の者は、たった一本の葱を与えたにすぎない、たった一本ずつ、小さな葱をな……われわれの仕事はどうだ? お前も、もの静かなおとなしいわたしの坊やも、今日、渇望している女に葱を与えることができたではないか。はじめるがよい、忰よ、自分の仕事をはじめるのだ、おとなしい少年よ! われわれの太陽が見えるか、お前にはあの人が見えるか?』
『こわいのです……見る勇気がないのです……』アリョーシャはささやいた。
『こわがることはない。われわれにくらべれば、あのお方はその偉大さゆえに恐ろしく、その高さゆえに不気味に思えもするが、しかし限りなく慈悲深いお方なのだ。愛ゆえにわれわれと同じ姿になられ、われわれとともに楽しんでおられる。客人たちの喜びを打ち切らせぬよう、水をぶどう酒に変え、新しい客を待っておられるのだ。たえず新しい客をよび招かれ、それはもはや永遠になのだ。ほら、新しいぶどう酒が運ばれてくる、見えるか、新しい器が運ばれてくるではないか……』
 何かがアリョーシャの心の中で燃え、何かがふいに痛いほど心を充たし、歓喜の涙が魂からほとばしった……彼は両手をひろげ、叫び声をあげて、目をさました……
 ふたたび柩と、開け放った窓と、静かな荘重な明晰な福音書の朗読とがあった。だがアリョーシャは、読まれていることをもはや聞こうとしなかった。ふしぎなことに、ひざまずいたまま寝入ったのに、今や彼はしゃんと立っており、突然、席を蹴るように、しっかりした早足の三歩で柩のすぐわきに歩みよった。パイーシイ神父に肩をぶつけたが、それにも気づかぬほどだった。神父は一瞬、福音書から彼に目をあげようとしかけたが、青年に何やら異様なことが生じたのをさとって、すぐにまた目をそらした。アリョーシャは三十秒ほど柩を見つめていた。マントに包まれ、胸に聖像をのせ、ギリシャ十字架のついた頭巾を頭にかぶって、身じろぎもせずに柩の中に長々と横たわる遺骸を見つめていた。たった今、彼はその人の声をきいたばかりであり、その声はまだ耳にひびいていた。彼はさらに耳をすました。物音を待った……しかし、突然、急に向きを変えるなり、庵室を出た。
 彼は表階段にも立ちどまらず、急いで下におりた。歓喜に充ちた魂は自由を、場所を、広さを求めていた。頭上には、静かな星をこぼれるばかりにちりばめた空の円天井が、見はるかすかなたまで広々と打ちひらけていた。天の頂から地平線にかけて、まだおぼろな銀河がふた筋に分れて走っていた。動き一つないほど静かな、すがすがしい夜が大地を包み、教会の白い塔と金色の円屋根がサファイヤ色の空にきらめいていた。絢爛たる秋の花は建物のまわりの花壇で朝まで眠りに沈んだ。地上の静けさが空の静けさと融け合い、地上の神秘が星の神秘と触れ合っているかのようだった……アリョーシャはたたずんで眺めていたが、ふいに足を払われたかのように地べたに倒れ伏した。
 何のために大地を抱きしめたのか、彼にはわからなかったし、なぜこんなに抑えきれぬほど大地に、大地全体に接吻したくなったのか、自分でも理解できなかったが、彼は泣きながら、嗚咽しながら、涙をふり注ぎながら、大地に接吻し、大地を愛することを、永遠に愛することを狂ったように誓いつづけた。『汝のその涙を愛せよ……』心の中でこんな言葉がひびいた。何を思って、彼は泣いたのだろう? そう、彼は歓喜のあまり、無窮の空からかがやくこれらの星を思ってさえ泣いたのであり、《その狂態を恥じなかった》のである。さながら、これらすべての数知れぬ神の世界から投じられた糸が、一度に彼の魂に集まったかのようであり、彼の魂全体が《ほかの世界に接触して》、ふるえていたのだった。彼はすべてに対してあらゆる人を赦したいと思い、みずからも赦しを乞いたかった。ああ、だがそれは自分のためにではなく、あらゆる人、すべてのもの、いっさいのことに対して赦しを乞うのだ。『僕のためには、ほかの人が赦しを乞うてくれる』ふたたび魂に声がひびいた。しかし、刻一刻と彼は、この空の円天井のように揺るぎなく確固とした何がが自分の魂の中に下りてくるのを、肌で感ずるくらいありありと感じた。何か一つの思想とも言うべきものが、頭の中を支配しつつあった。そしてそれはもはや一生涯、永遠につづくものだった。大地にひれ伏した彼はかよわい青年であったが、立ちあがったときには、一生変らぬ堅固な闘士になっていた。そして彼は突然、この歓喜の瞬間に、それを感じ、自覚したのだった。アリョーシャはその後一生を通じてこの一瞬を決して忘れることができなかった。「だれかがあのとき、僕の魂を訪れたのです」後日、彼は自分の言葉への固い信念をこめて、こう語るのだった……
 三日後、彼は修道院を出たが、それは「俗世にしばらく暮すがよい」と命じた亡き長老の言葉にもかなうものであった。





彼は、たとえ何が起ころうと、たとえ事態がどう変ろうと、しだいに迫りつつあった父フョードルとの決定的な衝突が今やあまりにも間近になり、他の何よりも先に片がつくにちがいないと、ただそのことばかり考えていた。胸のつまる思いで彼はグルーシェニカの決定を今か今かと待ち受け、その決定がなにか唐突な感じで、インスピレーションによって行われるにちがいないと、いつも信じていた。だしぬけに彼女が「あたしを連れてって、あたしは永久にあなたのものよ」と言ってくれたら――それですべて片がつく。すぐさま彼女をひっさらって、世界の果てへ連れてゆくのだ。そう、すぐさま、できるだけ遠くへ、世界の果てでないまでもどこかロシアのはずれへ連れてゆき、そこで彼女と結婚して、ここでも向うでも、どこでも、だれも二人のことを知らずにいるよう、名前を秘して彼女と暮すのだ。そのときこそ、ああ、そのときこそ、ただちにまったく新しい生活がはじまるだろう! このまったく別の、面目を一新した、そして今度こそ《善行の》生活を(必ず、必ず善行の生活でなければならないのだ)、彼はたえず、狂おしいばかりに夢みていた。彼はこの復活と更生とを渇望していた。自己の意志でみずからはまりこんだ醜悪な泥沼が、あまりにも苦しくなったため、こんな場合の他の多くの人と同様、彼も転地の効果を何よりも信じていた。こんな連中さえいなければ、こんな環境でさえなければ、こんな呪わしい土地から飛びだしさえすれば、何もかもが生れ変り、新しいスタートを切ることだろう! そのことを彼は信じ、それを渇望していた!
 だが、これは問題が幸運な解決をみた第一の場合にすぎなかった。もう一つ別の解決もあった。別の、恐ろしい結末も予想できた。突然彼女が「帰ってよ、あたしは今フョードル・パーヴロウィチと話をきめたの。あの人と結婚するわ、あなたにはもう用はないのよ」と言ったら、そのときは……だが、そのときには……もっとも、ドミートリイは、そのときはいったいどうなるのか知らなかった。最後の最後というときまで知らなかった。その点では彼の潔白を認めなければならない。彼には特定の意図はなかったし、犯罪も考えられてはいなかった。彼はただ、あとをつけまわし、スパイをし、苦しんでいたが、それは自己の運命が第一の幸運な結末を迎えるのにそなえていただけだった。そのほかのいっさいの考えを払いのけていたほどなのだ。しかし、すでにここで、まったく別の苦しみが生れはじめ、まるきり新しい副次的な、それでいてやはり宿命的な、解決しがたいある事情が起ってきた。
 ほかでもない、もし彼女が「あたしはあなたのものよ。あたしを連れて行って」と言った場合、どうやって彼女を連れ去ればよいのか? そのための費用は、金は、いったい、どこにあるのだ? それまで永年の間、とだえることなくフョードルのお情けで得ていた収入は、ちょうどこのときを境に、すっかり尽きてしまった。もちろん、グルーシェニカは金を持っていたが、この点に関して突然ドミートリイの心に恐ろしいプライドのあることが明らかになった。彼は自力で彼女を連れだし、彼女の金ではなく自分の金で新生活をはじめたかったのだ。彼女の金を借りるなど、想像することさえできなかったし、そう考えただけでやりきれぬ嫌悪にかられるほど苦しいのだった。ここではこの事実をくわしく述べたり、彼の心理を分析したりせず、この時の彼の心組みがそうだったと指摘するにとどめよう。これらすべては、盗人同然に着服したカテリーナの金に対する良心のひそかな苦しみから、間接的に、いわば無意識に生じたのかもしれなかった。『一方の女性に対して卑劣漢であるのに、もう一人に対してまでまたもや卑劣漢になるなんて』あとでみずから告白したように、当時彼はこう考えていたのだった。『それに、もしグルーシェニカが知ったら、そんな卑劣漢はいやだというにちがいない』とすれば、どこで資金を作ればいいのだ、その宿命的な金をどこで手に入れればいいのか? それがなければ、すべてがだめになり、何一つ成就しなくなる、『しかも、それがただ、金が足りないというだけの理由で。ああ、なんという恥辱だ!』


 ミーチャは『そうですとも』という言葉でこのばかげた話を打ち切ると、席を立って、自分の愚かしい提案に対する答えを待ち受けた。最後の一句とともに彼は突然、すべてが失敗に終ったことを、そして何よりも、自分が恐ろしく愚にもつかぬ話を並べたてたことを、絶望的に感じた。『変だな、ここへ来るまでは、すべてがすばらしいことに思えていたのに、今やこんなばかげたことになるなんて!』絶望した頭を、ふとこんな思いが走りすぎた。

 嫉妬! 『オセロは嫉妬深いのではない。彼は信じやすいのだ』と、プーシキンは指摘している。すでにこの指摘一つだけでも、わが偉大な詩人の知性の並みはずれた深さを証明するものだ。オセロは心をみじんに打ち砕かれ、人生観をすっかり曇らされたにすぎない。それというのも、理想がほろびたからだ。

『全生涯に対して自己を処刑する。わが一生を処罰する!』

「ピストルだって下らないことさ! 飲みたまえよ、妄想にふけらずにさ。僕は人生を愛している、愛しすぎたほどなんだ。あまり愛しすぎて、浅ましいくらいさ。もうたくさんだ! 人生のために、君、人生のために飲もうや、人生のために乾杯! なぜ僕は自分に満足していられるんだろう? 僕は卑劣な人間だけれど、そんな自分に満足しているんですよ。自分が卑劣な人間であることに苦しんではいるが、それでも自分に満足しているんだ。僕は神の創造を祝福するし、今すぐにでも神とその創造を祝福するつもりではいるけれど、でも……とにかく悪臭を放つ一匹の虫けらをひねりつぶす必要があるんだ。そいつがその辺を這いまわって、他人の生活を台なしにしないようにね……さ、君、人生のために飲もう! 人生より尊いものが、ありうるだろうか? あるもんか、何一つありゃしないよ! 人生のために、そして女王の中の女王のために乾杯」

「これと同じような犬を見たことがあったな……連隊で……」考えこむようにミーチャが言った。「ただ、そいつは後肢を折っていたっけ……ピョートル・イリイチ、ついでに君にきいておきたいんだけど、君はこれまでに人の物を盗んだことがある、それとも全然ない?」
「なんて質問をするんです?」
「いや、ただなんとなくね。つまり、だれかのポケットからとか、人の物をとかさ? 僕の言うのは公金のことじゃないよ、公金ならだれでもくすねるからね。君だって、もちろん、そりゃ……」
「いい加減にしろよ」

それにしても《身を引く》だの、《自己を処刑する》だのって、いったい何のことだ――いや、何事も起りゃせんさ! あんな台詞は飲屋で酔払って、千回もわめき散らしてたしな。今は酔っていなかった。《精神的に酔払ってる》か――卑劣な男はこういう台詞が好きなもんだ。

「それは本当でございますね、ドミートリイの旦那、たしかにおっしゃるとおりでさ。人を轢き殺しちゃいけねえし、苦しめるのだっていけませんや。そりゃ、どんな生き物でも同じことでさね。なぜって生き物はすべて、神さまのお創りになったものですからね。早い話、この馬にしてもそうでさ。あっしら馭者仲間でも、むやみと馬をひっぱたくやつもいますよ……我慢てことを知らないから、かっとなったら最後、そのまま突っ走るんでさ」
「地獄へか?」突然ミーチャが半畳を入れ、日ごろのように唐突な短い笑い声をたてた。「アンドレイ、お前は純朴な男だな」彼はまた馭者の肩を強くつかんだ。「どうだ、お前の考えだと、このドミートリイ・カラマーゾフは地獄へ落ちるかい、それとも落ちないかね?」
「あっしにゃわかりませんですね。そいつは旦那しだいでさあ。なぜって旦那はこの町じゃ……いえね、旦那、その昔、神の子イエスが十字架にはりつけにされて亡くなったあと、イエスは十字架から降りたその足でまっすぐ地獄に行って、苦しんでいる罪びとたちを全部釈放してやったんだそうです。だもんで地獄は、もう今後は一人も罪びとが来ないだろうと思って、呻きはじめたんでさ。そこで主は地獄にこう言ったんですと。『呻くでない、地獄よ、これからも偉い人たちや、政治家や、裁判官や、金持がどんどんやってくるだろうし、今度わたしが訪ねるまでには、永遠の昔からそうであったように、ここもまたいっぱいになっているだろうから』たしかにそのとおりでさあ、この言葉は実になんとも……」
「民間の伝説だな、傑作だ! さ、左の副馬に鞭をあてろ、アンドレイ!」
「地獄ってのはそういう連中のためにあるんでさあ、旦那」アンドレイは左の副馬に一鞭くれた。「ところが旦那は、がんぜない子供と同じですからね……あっしらはそう見てるんでさ……そりゃ、たしかに旦那は怒りっぽいにちがいないけれど、でも旦那の正直さに免じて神さまが赦してくださいますとも」
「じゃお前は、お前は赦してくれるかい、アンドレイ?」
「あっしが赦すも赦さねえも。旦那はあっしに何もなさらないじゃありませんか」
「いや、みんなに代ってさ。みんなに代って、お前一人が今、たった今ここで、この道中でみなに代って俺を赦してくれるかい? 言ってみろよ、純朴な男だもの!」
「ああ、旦那! 旦那をお運びするのが、こわくなってきましたよ。なんだか妙なお話ばかりで……」
 しかし、ミーチャはろくにきいていなかった。彼は熱狂的に祈りを唱え、ひとり異様につぶやいていた。
「主よ、無法の限りをつくしてきたわたしを、そのまま受け入れてください。ですが、わたしを裁かないでください。あなたのお裁きなしに通してください……わたしはみずから自分を裁いたのですから、どうか裁かないでください。主よ、あなたを愛しているのですから、裁かないでください! 汚らわしいわたしですが、それでもあなたを愛しているのです。たとえ地獄へおとされても、地獄であなたを愛し、永久に愛しつづけると地獄から叫ぶことでしょう……でも、わたしにも愛を完うさせてください……今この地上で、あなたの熱い光がさしのぼるまでのせいぜい五時間かそこらの間、愛を完うさせてください……わたしはわが心の女王を愛しているのです。愛していますし、愛さずにはいられないのです。わたしがどんな人間か、あなたはすっかりお見通しのはずです。これからわたしは駆けつけて、彼女の前にひれ伏します。そして言ってやるつもりです、お前が俺のそばをすりぬけて行ったのは正しいのだ……さようなら、お前の犠牲のことなぞ忘れて、もう二度と心配しないでいいよ、と!」

 このトリフォン・ボリースイチは、やや小太りの顔をした、中背の、がっちりした頑健な百姓で、一徹そうな厳格な顔つきは、モークロエの百姓たち相手のときにはとりわけはなはだしかったが、儲けにありつけそうな気配を感じとると、すばやくその顔をきわめて卑屈な表情に変える才能を持っていた。



 カルガーノフが子供のような笑いを爆発させて、ほとんどソファの上に倒れるばかりだった。グルーシェニカも笑いくずれた。ミーチャは幸福の絶頂にあった。
「そう、そうなんです、今度の話はもう本当ですよ、今のは嘘じゃないんです!」ミーチャをかえりみて、カルガーノフが叫んだ。「ご存じですか、この人は二度結婚してるんです。今のは最初の奥さんの話ですが、二度目の奥さんは逃げてしまって、今でも生きているんです、ご存じですか?」
「ほんとに?」極度のおどろきを顔にあらわして、ミーチャはすばやくマクシーモフをふりかえった。
「はい、逃げてしまったんです。わたしはそんな不愉快な目に会っておりますので」マクシーモフが遠慮がちに認めた。「さるフランス人のムッシュウといっしょにです。何よりけしからんのは、わたしの持ち村をそっくり、あらかじめ自分の名義に書き換えてしまったことでして。あんたは教養があるんだから、自分の食い扶持くらい見つけられるわよね、なんて言いましてな。そうしておいて、ずらかったというわけでして。いつぞや、さる立派な僧正さまがわたしにこうおっしゃったことがあるんです。お前さんの細君は、一人は跛だったし、もう一人はあんまり逃げ足が早すぎたなって。ひ、ひ!」
「あのね、いいですか!」カルガーノフがすっかり熱中して言った。「かりに嘘をつくにしても、そりゃこの人はしょっちゅう嘘ばかりついてますけれど、でもこの人の嘘は、もっぱらみんなを楽しませるためなんです。これは卑劣なことじゃないでしょう、卑劣じゃありませんよね? 実は、僕はときおりこの人が好きになるんですよ。この人はとても卑劣ではあるけれど、その卑劣さがごく自然でしょう、え? どう思います? ほかの人なら、何か理由があって、利益を得るために卑劣な行為をするものですが、この人はただなんとなく、天性からそうするんですものね……考えてもごらんなさいよ、たとえばね、この人は(昨日も道中ずっと議論してきたんですが)、ゴーゴリが『死せる魂』の中で自分のことを書いているなんて、言い張るんですからね。おぼえてらっしゃるでしょう、あの中にマクシーモフという地主が出てきますね。ノズドリョフがたたきのめして、『酢いにまかせて地主マクシーモフに靴で個人的侮辱を加えたかどで』裁判にかけられるでしょうが。おぼえてらっしゃるでしょう? ところが、どうです、この人ときたら、あれは俺のことだ、殴られたのはこの俺だ、なんて言い張るんですよ! そんなことがありえますか? チチコフが旅行してたのは、いちばん最後のころでも、二十年代のはじめでしょう、だから年代がまるきり合わないんです。そんなころこの人が殴られるはずはないじゃありませんか。ありえない話でしょう? ありえませんよね?」


「あの人に何かあげて、ミーチャ」グルーシェニカが言った。「プレゼントしてあげて。だってあの人は貧しいんですもの。ああ、貧しい、虐げられた人たち! ねえ、ミーチャ、あたし修道院に入るわ。ううん、ほんとにそのうち入るつもりよ。今日ね、アリョーシャが一生忘れられない言葉をあたしに言ってくれたわ……そうなの……でも今日は踊らせてちょうだい。明日は修道院に入る身でも、今日は踊りましょうよ。あたし、うんとふざけたいの。ねえ、あなたたち、いったいどうしたの、神さまは赦してくださるわよ。あたしが神さまだったら、すべての人を赦してあげるんだけど。『愛すべき罪びとたちよ、今日以後みんなを赦してあげるわ』って。そしてあたしは赦しを乞いに行くの。『善良なみなさん、この愚かな女を赦してください』あたしは獣よ、そうなんだわ。でも、お祈りをしたい。あたしだって一本の葱を恵んだことがあるんだもの。あたしみたいな悪女だって、お祈りはしたいわ! ミーチャ、いいから踊らせておきなさいよ、邪魔しちゃだめ。この世の人ってみんな、いい人ばかりね。一人残らずみんな。この世はすばらしいわ。あたしたちは汚れた身でも、この世はすてきだわ。あたしたちだって汚れていても、いい人間なのよ。汚れてもいるし、いい人間でもあるってわけ……いいえ、教えてちょうだい。あなたたちにききたいことがあるの。みんな、もっとそばに来て。じゃ質問するわ。みんなで教えてね。どうしてあたしって、こんなにいい人間なの? だって、あたしはいい人間でしょう、とてもいい人間だわ……だからさ。なぜあたしはこんなにいい人間なの?」ますます酔いを深めながら、グルーシェニカは舌足らずにこう言うと、ついには、今すぐ自分も踊りたいと、いきなり言いだした。彼女は肘掛椅子から立ちあがり、ふらりとした。「ミーチャ、これ以上あたしにお酒を飲ませないで。あたしがほしいと言っても、くれちゃだめよ。お酒は心を落ちつかせてくれないわ。何もかもまわっている。ペチカも、何もかもまわっているわ。踊りたい。あたしの踊るところを、みんなに見てもらいたいわ……あたし、とっても上手に、きれいに踊るんだから……」

「ミーチャ、あたしを連れだして……あたしを連れて行って、ミーチャ」グルーシェニカが力なくつぶやいた。ミーチャは駆けよるなり、両手に彼女を抱き上げ、この貴重な獲物をかかえてカーテンの奥に走りこんだ。『さて、僕はこれで帰ろう』カルガーノフはこう思い、青い部屋を出ると、ドアを二枚とも軽く閉めた。しかし、広間の酒宴はにぎやかにつづき、いちだんと騒々しさを増した。ミーチャはグルーシェニカをベッドに横たえ、むさぼるようにその唇を吸った。
「あたしにさわらないで……」彼女は祈るような声で甘く言った。「さわらないで。今はまだあなたのものじゃないのよ……あなたのものと言ったけれど、さわらないでね……堪忍して……あの二人のいるところでは、あの二人のそばでなんて、だめよ。あの男はそこにいるんだもの。ここはいやらしいわ……」
「言うとおりにするよ! もう考えない……清く行こう!」ミーチャはつぶやいた。「そう、ここはいやらしい、汚らわしいよ」そして、彼女を腕の中に抱きしめたまま、べッドのわきの床にひざまずいた。
「あたしにはわかっているわ。あなたは獣みたいだけれど、誠実な人ね」グルーシェニカが大儀そうに言った。「こういうことは、人からとやかく言われないようにしなければ……これからも、うしろめたくないようにしましょうね……あたしたちも正直な人間になるのよ、いい人間になりましょうよ。獣じゃなく、いい人間に……あたしを連れて行って、遠くへ連れて行って、ね……ここはいやだわ、ずっと遠くへ……」

今度はもうフョードルではなく、ホフラコワ夫人のところへだった。もし、さっきこれこれの時間にドミートリイに三千ループルを与えたかどうかという質問に、夫人が否定の返事をした場合は、フョードルのところに寄らないで、ただちに警察署長のところへ行こう、そうでない場合には万事を明日までのばしてわが家へ帰ろう、こう彼は思ったのである。もちろんこの場合、若い男が深夜、それも十一時近くに、まるきり一面識もない上流社会の婦人の家をたずね、そんな状況からすれば呆れられるような質問をするために、ことによると寝床に入っているかもしれない婦人をたたき起すなどという決心は、 フョードルをたずねる場合より、 スキャンダルをひき起す可能性がはるかに多いことくらい、すぐに考えられるだろう。だが、往々にして、それも特に今のような場合、きわめて几帳面で慎重な人間の決定でも、ままこういうことがあるものだ。また、この瞬間のペルホーチンは、もはやまったく慎重居士ではなかったのである! その後、一生の間よく彼は思いだしたものだが、しだいに心をとらえる抑えきれぬ不安が、ついには苦痛にまで達し、意に反してさえ彼をぐいぐい引きずっていったのだった。もちろん、それでもやはり彼は、その夫人をたずねることに対して、道々ずっと自分を罵りつづけていたが、『最後までやりぬくんだ、やりとおすんだ!』と、歯がみしながら十遍もくりかえし、自分の意志を貫いて、やりとおした。



また検事は、というより、つまり検事補なのにこの町の人たちすべてに検事とよばれているイッポリート・キリーロウィチは、この町では一種特別な人間で、まだそれほどの年ではなく、せいぜい三十五、六だったが、ひどく結核になりやすそうな体格で、そのくせたいそう太った不妊症の女と結婚しており、自尊心が強く、癇癪もちで、それでも堅実な知性をそなえた、気立てのいい人間だった。どうやら、彼の性格の難点は、本当の値打ち以上に、いささか自分を高く評価することにあったらしい。いつも落ちつかぬ様子に見えるのも、そのためだった。そのうえ、彼には、たとえば心理分析とか、人間の心についての特別な知識とか、犯罪者やその犯行を見分ける特殊の才能とかに対する、ある種の高尚な、芸術的とさえいえる野心があった。その意味で彼は自分が職務上いささか疎んじられ、敬遠されていると思いこみ、上層部では自分の値打ちがわからないのだ、自分には敵が多いのだと常に信じこんでいた。憂鬱なときなど刑事弁護士に転向すると啖呵をきることさえあった。カラマーゾフ家の父親殺しという思いがけぬ大事件は、さながら彼の全身をふるいたたせたかのようだった。『これはロシア全土に鳴りひびくほどの大事件だぞ』と彼は思った。だが、こんなことを言うのは、先走りのようである。

ミーチャは顔から両手を離し、朗らかに笑った。眼差しが潑剌とし、わずか一瞬のうちに人がすっかり変ったみたいだった。全体の調子まで変った。それはもはや、以前からの知合いであるこれらすべての人たちと、ふたたび対等になった人間として同席している感じで、かりに咋日、まだ何事も起らなかったころに社交界のどこかで、みなが顔を合わせたら、ちょうどこんなふうだったにちがいなかった。

「どうそ記録してください、みなさん、これもやはり僕に不利な証拠であることくらい、わかっていますが、僕は証拠なんぞ恐れやしないし、自分に不利なことでもすすんで話しますよ。いいですか、すすんでですよ! あのね、みなさん、どうやらあなた方は僕という男を、実際の僕とはまるきり違う人間に受けとっておられるようですな」ふいに彼は暗い沈んだ口調で付け加えた。「あなた方と今話しているのは、高潔な人問なんですよ。この上なく高潔な人間なんだ。何より大切なのは――この点を見落さないでくださいよ――数限りない卑劣な行為をやりながら、常に高潔きわまる存在でありつづけた人間だってことです。人間として、心の内で、心の奥底で、つまり一口に言えば、いや、僕にはうまく表現できないけど……僕は高潔さを渇望し、ほかならぬそのことによってこれまでの生涯苦しみつづけてきた。僕は、いわば、高潔さの受難者でした。提灯をさげた、ディオゲネス(訳注 古代ギリシャの哲学者)の提灯をさげた探求者でした。ところが、それにもかかわらず、これまでの人生でやってきたことといえば卑怯なことばかりなんだ、われわれはみんなそうですがね、みなさん……いや、つまり、みんなじゃなく、僕だけです。間違いました、僕だけです、僕だけです! どうも頭痛がするもんで」彼は苦しそうに眉をひそめた。「実は、みなさん、僕は親父の顔が気に食わなかったんです。何かこうは破廉恥で、高慢で、あらゆる神聖なものを踏みにじるような、嘲笑と不信のあの顔が。 醜悪だ、実に醜悪なんだ! でも、親父が死んだ今となると、僕の考えも変りましたけどね」


 しらふに返って分別つけば、愚かになり、
 酔いがまわって愚かになれば、分別がつく。

「だって、そうでしょうが、みなさん! そりゃ、杵は持っていきましたよ……しかし、こんな場合、何かを手につかむのに、理由なんぞありますかね? 僕には理由なんかわからない。ひっつかんで、とびだした。それだけの話ですよ。よく恥ずかしくありませんね、みなさん、いい加減にしてくださいよ、でないと、誓ってもいいが、僕は話をやめますよ!」

「そりゃ、必要とありゃ……僕は……」ミーチャはつぶやき、ヘッドに腰をおろすと、靴下を脱ぎにかかった。堪えられぬほどきまりがわるかった。みんなが服を着ているのに、自分だけ裸なのだ。そして、ふしぎなことに、裸にされると、なんだか自分まで彼らに対して罪があるような気持になってきたし、何よりも、本当にふいに自分が彼らすべてより卑しい人間になってしまい、今では彼らはもう自分を軽蔑する完全な権利を持っているのだということに、彼自身もほとんど同意しそうになっていた。『みんなが裸なら、恥ずかしくないんだが、一人だけ裸にされて、みんなに見られているなんて、恥さらしだ!』こんな思いが何度も頭の中にちらついた。『まるで夢でも見てるみたいだ。俺はときおり夢の中で、自分のこんな醜態を見たことがあるな』それにしても、靴下を脱ぐのは苦痛でさえあった。靴下はひどく汚れていたし、下着も同様だというのに、今やみんなにそれを見られてしまったのだ。何よりも、彼はわれながら自分の足がきらいで、なぜかかねがね両足の親指を奇形のように思っていた。特に右足の親指の無骨な、平べったい、なにか下に折れ曲ったような爪がそうで、それを今やみんなに見られてしまうのだ。やりきれぬ恥ずかしさに、彼は突然今まで以上に、もはやわざと乱暴な態度になった。彼は自分でむしりとるようにシャツをぬいだ。

 検事が大声で笑いだし、予審調査官も笑った。
 「わたしに言わせれば、ご自分を抑えて、全部使ってしまわなかったのは、むしろ分別のある、道義的なことだと思いますがね」ネリュードフが含み笑いして言った。「だってべつにそれほどのことはないじゃありませんか?」
「しかし、盗んだんですからね、そうでしょうが! ああ、あなた方の無理解には、そら恐ろしくなりますね! その千五百ループルを縫いこんだ袋を胸にさげて持ち歩いている間ずっと、供は毎日、毎時間、『お前は泥棒だ、お前は泥棒だ!』と自分に言いつづけてきたんです。このひと月僕が荒れていたのも、レストランで喧嘩したのも、親父を殴ったのも、みんな、自分は泥棒だと感じていたからなんだ! この千五百ループルの件は、弟のアリョーシャにさえ打ち明ける決心がつかなかったし、その勇気がありませんでした。それほどまで、自分を卑劣漢のこそ泥と感じていたんです! でも、きいてください、その金を身につけていた間、同時に一方では毎日、毎時間、『いや、ドミートリイ、ひょっとすると、お前はまだ泥棒じゃないかもしれないぞ』と自分に言っていましたよ。なぜだと思います? ほかでもない、明日にも行って、その千五百ループルをカテリーナに返すことができるからですよ。それなのに昨日、フェーニャのところからペルホーチンの家へ行く途中、僕はその袋を頸から引きちぎる決心をしたんです。その瞬間まで決心がつきかねていたのに、ひきちぎったとたん、その瞬間に僕はもう、決定的な文句なしの泥棒に、一生涯、泥棒に、恥知らずな人間になってしまったんです。なぜだと思います? なぜって、カーチャのところへ行って『僕は卑劣漢だけれど、泥棒じゃない』と言う夢まで、袋といっしょに引き裂いてしまったからですよ! 今度はわかったでしょう、わかりましたか!」
「なぜ、ほかでもない昨夜、そう決心なさったんです?」ネリュードフがさえぎろうとしかけた。
「なぜですって? こっけいな質問ですね。なぜって、朝の五時に死のうと決めたからですよ。夜明けにここでね。『どうせ死ぬんなら、卑劣漢だろうと、高潔な人間だろうと、同じことじゃないか!』と思ったんです。ところが、とんでもない、同じじゃないってことがわかりましたよ! 信じていただけないかもしれませんがね、みなさん、この一晩何よりも僕を苦しめたのは、あの老僕を殺したことでもなければ、シべリヤの脅威が、しかもせっかく僕の恋が成就してふたたび青空がひらけた矢先に、シベリヤの脅威が迫っているということでもない! そう、それも苦しかったにはちがいないけれど、それほどじゃなかった。 つまり、自分がとうとうこの呪わしい金を胸から引きちぎって、使ってしまった、したがって今やもう僕は決定的な泥棒なのだという、呪わしい自覚にくらべれば、それほどじゃありませんでしたよ! そう、みなさん、僕は心からの思いをこめてくりかえしますが、この一夜にずいぶん多くのことを知りました! 卑劣漢では生きていけないばかりか、卑劣漢では死ぬこともできないのを、僕は知ったんです……そう、みなさん、心清く死ななければいけないんですよ!」



あなた方にはわからないかもしれないけれど、あの人なら僕にその金をくれたはずです。そう、くれるでしょう。きっとくれたにちがいないんだ。僕を見返すためにくれたはずです。復讐の喜びと、僕に対する軽蔑からくれたにちがいない。なぜってあの人もやはり悪魔的な心の持主だし、深い怒りに燃えた女性ですからね! そして、この僕のことだからその金を受けとるにちがいないんだ。そう、受けとるでしょうね、受けとりますとも、そうしたら一生涯……ああ、やりきれない!

「とんでもない、みなさん」ドミートリイは両手を打ち鳴らした。「せめてこれだけは書かないでください、恥を知るもんですよ! だって僕は、いわばあなた方の前に心を真っ二つに割ってみせたんですよ、ところがあなた方はそれをいいことにして、両方の切り口を指でひっかきまわしてるんだ……ああ、やりきれない!」
 彼は絶望にかられて両手で顔を覆った。

「だってそうでしょうが。みんながそう証言しているんですよ。みんなという言葉は、やはり何事かを意味するんじゃないでしょうか?」
「何も意味するもんですか。僕がはったりを言ったら、それを受けてみんながでたらめを言うようになったまでです」
「しかし、何のために、あなたの言葉を借りるなら、そんな《はったり》を言う必要があったんですか?」
「そんなこと、わかるもんですか。見栄かもしれませんね……そう……そんな大尽遊びをしたという……あるいは、袋に縫いこんだ金を忘れるためかもしれないし……そう、まさしくそのためですよ……畜生……いったい何度その質問をくりかえすんです? そう、はったりを言ったんです、もちろん、一度はったりを言ったら、もう訂正するのがいやだったんですよ。人間てやつはどうしてときおりでたらめを言うんでしょうね?」


「もうたくさんだ、みなさん、いい加減にしてくださいよ」疲れきった声で彼は言いきった。「僕にははっきりわかる。あなた方は僕を信じてくれなかったんだ! 何一つ、これっぱかりも! 僕がわるいんだ、あなた方の罪じゃない、なにも口をはさむ必要はなかったんだから。なぜ、どうして僕は自分の秘密を打ち明けたりして、恥をさらしたんだろう! あなた方にとっちゃ、あんなものはお笑いぐさなんだ。目を見りゃわかりますよ。あなたが僕を陥れたんだ、検事さん! なんなら、勝利の歌でもうたうといい……あなたなんぞ、呪われるがいいんだ、拷問者め!」


「ちょっと待ってください」突然ミーチャがさえぎり、部屋にいる全員に向って、抑えきれぬ感情をこめて言った。「みなさん、わたしたちはみんな薄情です、みんな冷血漢ばかりだ、ほかの人たちや母親や乳呑児を泣かしているんです。しかし、その中でも、中でも僕がいちばん卑劣な悪党なんだ、今となったらそう決めつけられても仕方がない! やむをえません! 僕はこれまでの一生を通じて毎日、この胸を打っては、真人間になることを誓いながら、毎日相変らず卑劣な行いをやってきました。今こそわかりました、僕のような人間には打撃が、運命の一撃が必要なのです、縄でひっくくって、外的な力でしめあげなければいけないんです。僕は自分一人では絶対に、決して立ち直れなかったにちがいない! しかし、ついに雷鳴がとどろいたのです。僕はこの告発と、世間全体に対する恥辱との苦しみを甘んじて受け、苦しみたいと思う。苦悩によって汚れをおとします! だって、ことによると、汚れをおとせるかもしれないでしょう、みなさん、え? ところで、最後にきいてください。父親の血に関しては、僕は無実なんだ! それでも刑を受け入れるのは、僕が父を殺したからじゃなく、父を殺したいと思い、また、へたをすると本当に殺しかねなかったからなんです……それでも、僕はやはりあなた方と戦うつもりだし、そのことをはっきり宣言しておきます。僕は最後まであなた方と戦う、その先は神さまが決めてくださるでしょう! さようなら、みなさん、尋問の際にあなた方をどなったりしたのを、怒らないでください、ああ、あのときは僕はまだ愚かだったのです……一分後には僕は囚人だ。だから今、最後に、まだ自由な人間であるドミートリイ・カラマーゾフが、あなたに握手を求めます。あなた方に別れを告げることによって、僕は世間の人々みんなに別れを告げるのです!」


 ネリュードフの小柄な姿が、この言葉の終りころになると、堂々たる貫禄を示してきた。ミーチャの頭にふと、今にもこの《坊や》が彼の腕をとって、向うの隅へ連れてゆき、ついこの間の《かわい子ちゃん》の話をむし返すのではないか、という思いがちらとうかんだ。しかし、死刑台に曳かれてゆく罪人の心にさえ、往々にして、さまざまの、まったく無関係な、場違いの考えがちらとうかぶものなのだ。

「僕はリアリズムを観察するのが好きなんだ、スムーロフ」ふいにコーリャが言いだした。「犬が出会うと、匂いを嗅ぎ合っているのに気がついたかい? あれには大仲間に共通の自然の法則があるんだよ」
「でも、なんだかこっけいな法則だね」
「こっけいでなんかないさ、それは君が正しくないよ。偏見をもつ人間の目にたとえどう映ろうと、自然界にはこっけいなものなんか何一つないさ。かりに犬たちが判断したり、批判したりできるとしたら、きっと、自分たちの支配者である人間の、相互の社会関係に、たとえはるかにたくさんとは言わぬまでも、同じくらいこっけいな点を見いだすだろうよ。ずっとたくさんとは言わぬまでもね。僕がこうくりかえすのも、つまり僕は人間たちの間に愚劣なことがずっと多いと固く信じているからなんだ。これはラキーチンの考えだけど、注目すべき考えだよ。僕はね、社会主義者なんだ、スムーロフ」
「社会主義者って、何のこと?」スムーロフがたずねた。
「それはね、もしみんなが平等で、みんなが共同の一つの財産であれば、結婚なんかなくなるし、宗教とか、いっさいの法律とか、その他すべてのことが好き勝手になるってことさ。君まだこれがわかるほど大きくないからな、君にはまだ早いよ。それにしても、寒いな」
「うん。零下十二度だもの。さっきお父さんが寒暖計を見たんだ」
「君も気づいたと思うけどね、スムーロフ、真冬、零下十五度も十八度もあるときのほうが、たとえば今みたいに、冬のはじめに突然、思いがけない寒さに見舞われたときほど、寒く感じないものだよ。今みたいに、零下十二度で、しかもまだ雪が少ないときほどはね。つまり、人間がまだ慣れていないからなんだ。人間なんて、すべて慣れさ。国家や政治の関係でも、何事でもね。慣れが、いちばんの原動力なんだ。それと、なんてこっけいな百姓だろう」

「あれはいい百姓だな」コーリャがスムーロフに言った。「僕は民衆と話すのが大好きなんだ。いつでも喜んで民衆の価値を認めるつもりだよ」
「どうして、学校では鞭でぶたれるなんて、あの人に嘘をついたの?」スムーロフがたずねた。
「だって、あの男を安心させてやる必要があるだろう?」
「どうやって?」
「あのね、スムーロフ、僕は最初の一言でわからないで何度もきかれるのがきらいなんだよ。時には説明できないことだってあるんだからね。あの百姓の考えだと、中学生というのは鞭でぶたれるもんだし、ぶたれるのが当然なのさ。鞭でぶたれないようなら、なんで中学生なものか、というわけだ。そこへ突然僕が、うちの学校じゃぶたないなんて言ったら、あの男はがっかりするじゃないか。もっとも、君にはこんなことはわからないな。民衆と話をするには、こつを知らなけりゃいけないんだよ」


「いや、とんでもない。世間には、深い感情を持ちながら、なにか抑圧された人々がいるものです。そういう人たちの道化行為は、長年にわたる卑屈ないじけのために、面と向って真実を言ってやれない相手に対する、恨みの皮肉のようなものですよ。本当です、クラソートキン君、そういう道化行為は往々にして非常に悲劇的なんです。あの人の場合、今やすべてが、この地上のすべてが、イリーシャに集約しているんです。だから、もしイリーシャが死んだら、あの人は悲しみのあまり気が違ってしまうか、でなければ自殺してしまうでしょうよ。今のあの人を見ていると、ほとんどそう確信していいくらいですよ!」

「僕はずっと以前に、あなたをまれにみる人物として尊敬することを学んだんです」コーリャはとり乱し、もたつきながら、さらにつぶやいた。「あなたが神秘主義者で、修道院にいらしたことは、きいています。あなたが神秘主義者だってことは承知していますけど、そんなことも僕には妨げになりませんでした。現実との接触がそれを癒してくれるでしょうし……あなたのような性質の人は、そうなるにきまっていますよ」
「君は何を神秘主義者と名づけているんです? 何を癒してくれるんです?」アリョーシャはいささかあっけにとられた。
「そりゃ、神とか、その他いろいろです」
「何ですって、それじゃ君は神を信じないんですか?」
「むしろ反対で、僕は神に対して何の異存もありませんよ。もちろん、神は仮説にすぎまぜんけど……でも……神が必要だってことは認めます、秩序のために……世界の秩序とか、その他もろもろのために……また、かりに神がなかったら、やはり考えださなければならないでしょうしね(ヴォルテールの言葉の請け売り。第五編三章を参照)」コーリャは顔を赤くしはじめながら、付け加えた。彼は突然、アリョーシャが今すぐ、この子は知識をひけらかしたがっているのだ、自分が《大人》であることを見せたがっているのだ、と思うにちがいないという気がした。『僕はこの人の前で知識をひけらかすつもりなんか全然ないのに』コーリャはいまいましい気持で思った。と、ふいにひどく腹立たしくなってきた。
「本当のことを言うと、僕はこういう議論に入るのがやりきれないんです」彼は話を打ち切るように言った。「だって、神を信じなくても人類を愛することはできますしね、あなたはどうお思いになります? ヴォルテールは神を信じなかったけれど、人類を愛したじゃありませんか?」(『また、また!』と、彼はひそかに思った)
「ヴォルテールは神を信じてはいたけど、それほど深くではないようだし、それにあの人は人類もあまり愛していなかったようですけど」まるで自分と同い年か、むしろいくつか年上の人とでも話すように、アリョーシャが低い声で、遠慮がちに、まったく自然な口調で言った。コーリャは、自己のヴォルテール観に対するアリョーシャの自信なげな様子や、子供のコーリャにこの問題の解決を委ねるかのような態度に、おどろかされた。
「君はほんとにヴォルテールを読んだんですか?」アリョーシャがしめくくった。
「いいえ、読んだというほどでは……もっとも『カンディード』は読みました。 ロシア語訳で……古い、お粗末な訳でしたよ、こっけいな……」(また、またこれだ!)
「で、わかりましたか?」
「ええ、全部……つまり……なぜ僕にはわからないだろうと、お思いになるんですか? そりゃもちろん、あの中には卑猥な個所がたくさんありますけど。でも、僕はもちろん、あれが哲学的な小説で、ある思想を広めるために書かれたものだってことくらい、理解できますよ……」コーリャはもはやすっかり混乱していた。「僕は社会主義者なんです、カラマーゾフさん、節を曲げない社会主義者なんですよ」どういうつもりか、突然彼はふっと言葉を切った。
「社会主義者?」アリョーシャが笑いだした。「いったいいつの間になったんです? だって君はまだやっと十三でしょう?」
 コーリャの顔がひきつった。
「第一、僕は十三じゃなく、十四です。あと二週間で十四なんです」彼は真っ赤になった。「第二に、この場合僕の年齢に何の関係があるのか、さっぱりわかりませんね。問題は、僕がどういう信念を持っているかで、僕がいくつかってことじゃないはずです、そうでしょう?」
「もう少し年がいけば、年齢が信念に対してどんな意味を持つか、君もひとりでにわかりますよ。僕には、君の話しているのが自分の言葉じゃないような気がしたもんだから」アリョーシャが謙虚に穏やかに答えたが、コーリャはむきになってそれをさえぎった。
「冗談じゃありませんよ、あなたは服従と神秘主義を望んでいるんです。でも、いいですか、たとえばキリスト教の信仰は、下層階級を奴隷状態にとどめておくために、金持や上流階級にだけ奉仕してきたんですよ、そうでしょう?」
「ああ、君がどこでそんなことを読んだのか、僕にはわかりますよ。それに、きっとだれかが君に吹きこんだんだ!」アリョーシャは叫んだ。
「冗談じゃない、なぜ読んだと決めてかかるんですか? それに、だれにも吹きこまれなんぞしませんよ。僕は十分ひとりで……なんでしたら言いますけど、僕はキリストに反対じゃないんですよ。キリストは申し分なく人道的な人物だし、もし現代に生きていたら、すぐさま革命家に身を投じて、ことによると有力な役割を演じてたかもしれませんしね……きっとそうですとも」
「いったいどこで、どこでそんなことを憶えたんです! どこのばか者とかかり合いになったんですか?」アリョーシャが叫んだ。
「とんでもない、真実は隠せませんよ。もちろん、あるきっかけから、ラキーチンさんとはよく話をしますけど……でも、このことはべリンスキー老人(訳注 有名な進歩的評論家)も言ったそうですしね(訳注 『作家の日記』の中でドストエフスキーはベリンスキーと交わした会話を引用しているが、そこでベリンスキーはコーリャと同じようなことを言っている)」

「あのね、カラマーゾフさん、あなたはひどく僕を軽蔑しているんでしょう?」突然コーリャが語気鋭く言って、まるで身構えでもするように、アリョーシャの前にまっすぐ身体を起した。
「君を軽蔑してるって?」アリョーシャはびっくりして彼を見つめた。「何のために? 僕はね、君のようなすばらしい天性が、まだ生活もはじめないうちに、もうそんな粗雑なたわごとでゆがめられているのが、悲しいだけですよ」
「僕の天性なぞ心配しないでください」多少の自己満足をおぼえながら、コーリャはさえぎった。「僕が疑り深いってことは、たしかにそのとおりです。僕はばかみたいに疑り深い、失礼なほど疑り深いんです。あなたは今笑いましたね、僕の気のせいかもしれないけど、あなたはまるで……」
「ああ、僕が笑ったのは、全然別のことですよ。実はね、僕が笑ったのはこんなことなんです。この間、前にロシアに住んでいて今は外国にいるさるドイツ人の、現代のわが国の若い学生についての批評を読みましてね。その人はこう書いてるんです。『ロシアの中学生に天体図を見せてやるといい。その中学生はこれまで天体図に関して何の知識も持っていなかったのに、明日になるとその天体図を修正して返すだろう』何の知識もともなわぬ、一人よがりのうぬぼれ――これがロシアの中学生について、そのドイツ人の言いたかったことなんですよ」
「ああ、だって、まったくそのとおりですもの!」突然コーリャが笑いだした。「どんびしゃり、まさにそのとおりだ! ドイツ人、万歳ですよ! しかし、そのドイツ野郎はいい面も見てくれなかったんですね、どう思います? うぬぼれ――かまわないじゃありませんか、それは若さゆえです、直す必要が生しさえすれば、そんなものは直りますよ。でも、その代りごく幼いころから、自立の精神だってありますからね。代りに、思想と信念の大胆さがあるんです、権威に対する連中のソーセージ的な奴隷根性じゃなしにね……しかし、それにしても、そのドイツ人はうまいことを言いましたね! ドイツ人、万歳だな! もっとも、やっぱりドイツ人は絞め殺さなけりゃいけませんね。連中が科学に強くたってかまわないけど、やはり絞め殺す必要がありますね……」
「なぜ絞め殺すんです?」アリョーシャは徴笑した。
「いえ、僕はよたをとばしたのかもしれません、それは認めます。僕はときおりひどく子供になって、何か嬉しいことがあると、抑えがきかずに、下らないことをしゃべりかねないんです。それはそうと、僕たちはここで下らぬおしゃべりをしてますけど、あの医者はなんだかずいぶん手間どってますね。もっとも、ことによると《かあちゃん》や、足のわるいニーノチカも診察してるのかもしれないな。いや、あのニーノチ力は気に入りましたよ。さっき僕が出てくるとき、あの人は突然『なぜもっと早く来てくださいませんでしたの?』って、ささやいたんですよ。おまけに、難ずるようなあの声! あの人はおそろしく善良な、気の毒な人のような気がしますね」
「ええ、そうですとも! これからたびたび来れば、あれがどういう人か、あなたにもわかりますよ。ああいう人を知ることは、君にとってとてもためになりますよ。ああいう人との交際から知る、ほかの多くのことを評価できるようになるためにもね」アリョーシャが熱をこめて言った。「それが何よりもよく君を改造してくれるでしょうよ」
「ああ、僕はもっと前に来なかったのが、実に残念だし、そのことで自分を責めているんです!」悲痛な感情をこめてコーリャは叫んだ。
「ええ、とても残念ですよ。君があの気の毒な少年にどれほど喜ばしい印象を与えたか、自分でもわかったでしょう! 君を待っている間、あの子がどんなに嘆き悲しんだか!」
「それを言わないでください! それは僕の泣きどころなんですから。もっとも、自業自得ですよね。僕が来なかったのは、自負心のためなんです。たとえ一生努力しつづけても、終生逃れることのできない、利己的な自負心と、まったくのわがままのせいなんです。今こそ僕にはそれがわかります、僕は多くの点で卑劣漢ですね、カラマーゾフさん!」
「いいえ、君は、ゆがめられてこそいるけど、すばらしい天性の持主ですよ。なぜ君が、あの気高い、病的なほど感受性の強い少年に、これほどの影響力を持ちえたのか、僕にはわかりすぎるほどよくわかりますよ!」アリョーシャが熱っぽく答えた。
「そうまで言ってくださるんですか!」コーリャが叫んだ。「それなのに僕はどうでしょう、もう何度も、今ここへ来てからも、あなたに軽蔑されていると思っていたんですよ! 僕がどんなにあなたの意見を尊重しているか、わかっていただけたらな!」
「でも、ほんとに君はそんなに疑り深いの? その年で! でも、本当の話、さっきあの部屋で、君が話しているのを見ながら、君はとても疑り深いにちがいないと、たしかに思いましたよ」
「もう思ったんですか? それにしても、すごい眼力だな、どうだろう、まったく! 賭けてもいいですけど、それは僕が鵞鳥の話をしたあの個所でですね。たしかあの個所で、僕が自分をえらいやつに見せようとあせっているのを、あなたが心底から軽蔑しているような気がしましたもの、そのためにふいにあなたが憎らしくなって、あんなばか話をはじめたんです。そのあと、今度はもう今ここへ来てからですけど、『かりに神がなかったら、やはり考えださなければならない』なんて言ったあの個所でも、僕は自分の教養をひけらかそうとあせりすぎてるなって気がしました、ましてあの文句は本で読んだものですしね。でも、誓って言いますけど、僕が知識をひけらかそうとあせったのは、虚栄心のためじゃなく、ただ、なぜか知りませんが、喜びのためなんです、本当に嬉しさのあまりと言えそうですね……もっとも、喜びのあまりだれの首っ玉にでもかじりつくなんて、ひどく恥ずべき性質だけど。僕もそれはわかります。だけどその代り、今や僕は、あなたに軽蔑されてるんじゃない、そんなことは僕がひとりでくよくよ考えだしたんだという確信ができましたよ。ああ、カラマーゾフさん、僕はとても不幸なんです。僕はときおり、みんなが、世界じゅうの人間が僕を笑っているなんて、とんでもないことを想像するんですよ、そうすると、ただもういっさいの秩序をぶちこわしたい気持になるんです」
「そして、まわりの人を苦しめるんですね、アリョーシャが徴笑した。
「そして、まわりの人を苦しめるんです、特に母を。カラマーゾフさん、言ってください、今の僕はひどくこっけいですか?」
「そんなことを考えるのはおやめなさい、全然考えないことです!」アリョーシャが叫んだ。「それに、こっけいがどうだと言うんですか? 人間なんて、いったい何度こっけいになったり、こっけいに見えたりするか、わからないんですよ。それなのに、この節では才能をそなえたほとんどすべての人が、こっけいな存在になることをひどく恐れて、そのために不幸でいるんです。僕はただ、君がそんなに早くそのことを感じはじめたのに、おどろいているんですよ。もっとも、僕はもうだいふ前から、そういうのが君だけじゃないことに気づいてましたけどね。この節では子供にひとしい人たちまで、その問題で悩みはじめてますよ。ほとんど狂気の沙汰ですね。悪魔がそうした自負心の形をかりて、あらゆる世代に入りこんだんです、まさしく悪魔がね」ひたと見つめていたコーリャがふと思いかけたのとは違って、アリョーシャはまるきり笑いを見せずに付け加えた。「君もみんなと同じですよ」アリョーシャはしめくくった。「つまり、大多数の人と同じなんです。ただ、みんなと同じような人になってはいけませんよ、本当に」
「みんながそういう人間でもですか?」
「ええ、みんながそういう人間でも。君だけはそうじゃない人間になってください。君は事実みんなと同じような人間じゃないんだから。現に君は今、自分のわるい点やこっけいな点さえ、恥ずかしがらずに打ち明けたじゃありませんか。今の世でいったいだれが、そこまで自覚していますか? だれもいませんよ、それに自己批判の必要さえ見いださぬようになってしまったんです。みなと同じような人間にはならないでください。たとえ同じじゃないのが君一人だけになってもかまわない、やはりああいう人間にはならないでください」
「すてきだ! 僕はあなたを誤解していなかった。あなたは人を慰める才能を持ってますね。ああ、僕はどんなにあなたに憧れていたことでしょう、カラマーゾフさん、あなたと会う機会をずっと前から求めていたんです! ほんとにあなたも僕のことを考えていてくださったんですか? さっきそうおっしゃったでしょう、あなたも僕のことを考えていたって?」
「ええ、君の噂をきいて、僕も君のことを考えていました……かりに今そんなことをきいたのが、ある程度まで自負心のさせたわざだとしても、それはかまいませんよ」
「あのね、カラマーゾフさん、僕らのこの話合いは、なんだか恋の告白みたいですね」なんとなく弱々しくなった、恥ずかしそうな声で、コーリャがつぶやいた。「これはこっけいじゃありませんか、こっけいじゃないでしょうね?」
「全然こっけいじゃありませんよ。また、たとえこっけいだとしても、いいことなんだから、かまわないじゃありませんか」アリョーシャが明るく徴笑した。
「でもねえ、カラマーゾフさん、そういうあなただって僕と今こうしているのが、少しは恥ずかしいんでしょう……目を見ればわかりますよ、なにかいたずらっぽく、しかしほとんど幸福といえる表情をうかべて、コーリャが薄笑いをうかべた。
「どうして恥ずかしいんです?」
「じゃ、なぜ赤くなったんですか?」
「それは、赤くなるように君が仕向けたからですよ!」アリョーシャは笑いだし、本当に真っ赤になった。「そう、なぜかわからないけど、いくらか恥ずかしいな、どうしてだかわからないけど……」ほとんど照れた顔にさえなって、彼はつぶやいた。
「ああ、僕はあなたが大好きだし、今この瞬間のあなたを高く評価します、つまり、あなたも僕といっしょにいるのをなぜか恥ずかしがっていることに対して! だって、あなたも僕と同じだからですよ! コーリャはまったく感激して叫んだ。頬が燃え、目がかがやいていた。
「あのね、コーリャ、それはそうと君はこの人生でとても不幸な人になるでしょうよ」突然どういうわけか、アリョーシャが言った。
「知ってます、知ってますとも。ほんとにあなたは何もかも前もってわかるんですね!」すぐにコーリャが相槌を打った。
「しかし、全体としての人生は、やはり祝福なさいよ」
「ええ、たしかに! 万歳! あなたは予言者だ! ああ、僕たちは仲よくなれますね。カラマーゾフさん。実はね、何よりも僕を感激させたのは、あなたが僕をまったく対等に扱ってくれることなんです。でも、僕たちは対等じゃない、違いますとも、対等どころか、あなたのほうがずっと上です! だけど、僕たちは仲よくなれますね。実はこのひと月というもの、僕はずっと自分にこう言いつづけていたんです。『僕たちは一遍で永久の親友になるか、さもなければ最初から、墓場までの仇敵として袂を分つか、だ!』って」
「そう言うからには、もちろん僕を好きだったんですね!」アリョーシャが朗らかに笑った。
「好きでした、すごく好きでした。好きだったから、あなたのことをいろいろ空想していたんです。それにしても、どうしてあなたは何でも前もってわかるんですか? おや、医者が出てきた。ああ、何て言うだろう、見てごらんなさいな、あの顔を!」

「パパ、パパ! パパがかわいそうだ、パパ!」イリューシャが悲痛に呻いた。

「いい子なんか要るもんか! ほかの子なんか要るもんか! 歯ぎしりしながら、彼は異様なささやき声で言った。「エルサレムよ、もしわたしがあなたを忘れるならば、わが右の手を……(訳注 旧約聖書、詩編第一三七編)」

「エルサレムとかって、何のことですか……あれは何のことです?」
「あれは聖書の言葉で、『エルサレムよ、もしわたしがあなたを忘れるならば』というんです、つまり自分のいちばん大切なものを忘れたり、ほかのものに見変えたりしたら、わたしを罰してください、という意味ですよ……」

『僕がたわむれに書いたんですよ、なぜって詩を書くなんて、僕は低俗なことと見なしてますからね……ただ、僕のこの詩は立派なものです。あなた方の好きなプーシキンは、女性の足をたたえた(訳注 『オネーギン』第一章)という理由で銅像まで建ててもらおうとしているけど、僕のは傾向をもった詩ですからね。そういう君なんぞ農奴制の支持者で、ヒューマニズムなんかこれっぽっちも持ち合わせがないんだ、現代の文化的な感情をまるきり感じてもいないし、時代の進歩も君のところは素通りしちまったんだ、君はしょせん役人で、賄賂を取っているのさ!』

 リーザの部屋に入ると、彼女は以前まだ歩けなかった時分に運んでもらっていた例の車椅子に、半ば横たわっていた。彼女は出迎えに立とうとはしなかったが、すべてを見ぬくような鋭いその眼差しはひたと彼に注がれた。その眼差しはいくらか熱っぽく、顔が蒼白に黄ばんでいた。この三日間で彼女がすっかり変り、やつれてさえいるのに、アリョーシャはびっくりした。彼女は手をさしのべようとしなかった。彼は自分のほうから、服の上にじっと置かれたままの彼女の長い細い指にそっと触れたあと、無言のまま向い側に腰をおろした。
「あたし知っているわ、あなたは刑務所に急いでらっしゃるのに」リーザが語気鋭く言い放った。「ママが二時間も引きとめて、たった今もあたしのことだの、 ユーリヤのことを話していたでしょ」
「どうして知ったんです?」アリョーシャはたずねた。
「立ち聞きしたんですもの。なぜそんなふうに見つめるの? あたし、立ち聞きしたくなれば、するわ。べつにわるいことはないでしょ。赦しなんか乞わなくってよ」
「何かで気分をこわしたんですか?」
「反対よ、とっても嬉しいわ。つい今しがたも考えてたところなの、これでもう三十遍くらいよ。あなたをお断わりして、あなたの奥さんにならなくて、よかったなって。あなたは夫には向かないもの。あなたと結婚したら、あたし、あなたのあとで好きになる男の人に届けてもらうために、突然あなたに手紙を渡すわ。あなたはそれを預かって、きっと届けてくれるし、そのうえ返事まで持ってきてくれるに違いないわ。あなたは四十になっても、相変らずあたしのそういう手紙を運んでくれそうな人ね」
 彼女はふいに笑いだした。
「あなたには、何か意地わるな、それでいて純真なところがあるんですね」アリョーシャはにっこりした。
「純真なのは、あなたを恥ずかしがらないってことね。恥ずかしがらないばかりか、恥ずかしがるつもりもないわ。あなたが相手だと。あなたならね。アリョーシャ、なぜあたし、あなたを尊敬しないのかしら? あなたを大好きだけれど、尊敬してはいないわ。もし尊敬していたら、恥ずかしがらずにこんなこと言ったりしないはずですもの、そうでしょう?」
「そうでしょうね」
「あたしがあなたを恥ずかしがらないってことは、信ずる?」
「いいえ、信じませんね」
 リーザはまた神経質な笑い声をたてた。彼女は早口に話していた。
「あたし、刑務所のお兄さまにお菓子を差し入れたのよ。ねえ、アリョーシャ、あなたってほんとにいい人ね! こんなに早く、あなたを愛さないでもいいって承知してくれるなんて、あたし、すごくあなたを愛してしまいそうだわ」
「今日は何の用で僕をよんだんです、リーズ?」
「あたしの望みを一つ、お話ししときたかったのよ。あたしね、だれかにひどい目に会わせてもらいたくって。だれかがあたしと結婚して、ひどい目に会わせて、欺したあげく、そのまま行ってしまってくれたら、と思うわ。あたし、幸福になるのなんか、ごめんだわ!」
「でたらめが好きになったんですか?」
「ええ、でたらめは大好き。あたしいつも家に火をつけてみたいと思っているのよ。よく想像するわ、こっそり忍びよって、火をつけるの。ここはどうしても、こっそりでなければだめね。みんなが消しにかかるけど、家は燃えさかるばかり。あたしは知っているのに、黙っているの。ああ、ばからしい! それに、なんて退屈なのかしら!」
 彼女は嫌悪を示して片手を振った。
「裕福な暮しをしてるからですよ」アリョーシャが低い声で言った。
「じゃ、貧しいほうがいいのかしら?」
「いいですね」
「それは亡くなったあのお坊さんが吹きこんだのね。そんなの嘘よ。あたしが裕福で、みんなが貧乏だってかまやしない。あたしはお菓子を食べたり、クリームをなめたりして、だれにも分けてあげないわ。ああ、言わないで、何も言わないで」アリョーシャがロも開こうとしていないのに、彼女は片手を振った。「あなたは今まで、そんなことばかり言ってたから、あたし、そらでおぼえてしまったわ。退屈よ。もしあたしが貧乏になったら、だれかを殺すわ、金持になっても殺すかもしれない。ぼんやりしているのなんていやですもの! あのね、あたし刈入れをしたいわ。裸麦を刈り入れるのよ。あなたと結婚するから、あなたはお百姓さんになりなさいよ、本当のお百姓さんに。そして子馬を飼うのよ、いいでしょう? あなたはカルガーノフを知ってらしたわね?」
「知ってます」
「あの人いつも歩きまわって空想ばかりしているのよ。あの人はこう言うわ。なぜ本当に生活する必要があるだろう、空想しているほうがずっといいのにって。空想ならどんな楽しいことでもできるけど、生活するのは退屈だ、なんて。そのくせご当人はもうすぐ結婚するのよ。あたしにも恋を打ち明けたことがあるわ。あなた、こまをまわすことができる?」
「ええ」
「あの人、こまみたいなもんだわ。精いっぱいまわして、鞭でびゅんびゅんたたいてやるといいのよ。あたしがあの人と結婚したら、一生こまみたいにまわしてやるわ。あなた、あたしの相手なんかしているのが恥ずかしくないの?」
「ええ」
「あたしが神聖なことを話さないんで、ひどく腹を立てているのね。あたしは聖女になんかなりたくないの。いちばん大きな罪を犯すと、あの世でどんな目に会うのかしら? あなたならちゃんと知っているはずだわ」
「神さまの裁きがありますよ」アリョーシャは食い入るように彼女を見つめた。
「それこそあたしの望むところだわ。あたしが行って裁きを受けたら、あたし、だしぬけにみんなを面と向って笑ってやるわ。あたし、家に火をつけたくてたまらないの、アリョーシャ、この家に。あたしの言うことをちっとも真に受けてくれないのね?」
「なぜ? 十二かそこらの年で、何かを燃やしたくてたまらずに、放火する子供だっていますからね。一種の病気ですよ」
「嘘よ、嘘、そういう子供がいたってかまわないけれど、あたしが言うのはそのことじゃないわ」
「あなたは悪いことと良いことを取り違えているんです。一時的な危機ですよ。これは、ことによると、以前の病気のせいかもしれませんね」
「やっぱりあたしを見くびっているのね! あたしはただ良いことをしたくないだけ。あたしは悪いことをしたいのよ。病気なんか全然関係ないわ」
「なぜ悪いことをしたいの?」
「どこにも何一つ残らないようにするためよ。ああ、何一つ残らなかったら、どんなにすてきかしら! ねえ、アリョーシャ、あたし時々、さんざ悪事の限りをつくし、ありとあらゆるいまわしいことをやってのけたいと思うわ、それも永いことかかってこっそりやるのよ、そして突然みんなが感づくのね。みんながあたしを取り囲んで、あたしを指さしているのに、あたしはみんなを笑ってやるんだわ。とっても楽しいじゃないの。なぜこれがこんなに楽しいのかしら、アリョーシャ?」
「そうだな。何か立派なものを踏みにじりたい、でなければあなたの言ったように、火をつけてみたいという欲求でしょうね。これも往々にしてあるもんですよ」
「だって、あたしはロで言うだけじゃなく、ほんとにやってみせるわ」
「信じますよ」
「ああ、あなたって大好き。信じますよ、なんて言うんだもの。あなたって全然、まるきり嘘がつけないのね。でも、ひょっとしたら、あなたをからかうために、わざとあたしがこんなことを言っていると、思っているのかもしれないわね?」
「いいえ、思ってませんよ……もっとも、ことによると、多少そういう気持はあるかもしれませんね」
「多少はあるわよ。あたし、あなたに対しては決して嘘をつかないわ」彼女は何かの炎に目を燃えあがらせて、言った。
 アリョーシャを何よりもおどろかせたのは、彼女の真剣さだった。以前ならばどんな《真剣な》瞬間にも、朗らかさと冗談味を失わなかったのに、今の彼女の顔には、おどけた調子や冗談味は影もなかった。
「人間には犯罪を好む瞬間がありますからね」アリョーシャが考えこむように言った。
「そう、そうよ! あたしの考えをびたりと言ってくださったわ。人間は犯罪が好きなのよ。だれだって好きなんだわ。そういう《瞬間》があるどころか、いつだって好きなのよ。ねえ、このことになると、まるでその昔みんなで嘘をつこうと申し合せて、それ以来ずっと嘘をついているみたいね。悪事を憎むなんてだれもが言うけれど、内心ではだれだって好きなんだわ」
「相変らずよくない本を読んでるんですね?」
「読んでいるわ。 ママが読んで、枕の下に隠しておくから、失敬してくるの」
「自分を台なしにするようなことをして、よく気が咎めませんね?」
「あたし、自分を台なしにしたいの。この町にいる男の子で、列車が通りすぎる間、レールの間に伏せていた子がいるんですってね。幸せな子だわ! だってね、今あなたのお兄さまは父観殺しの罪で裁かれようとしているでしょう、ところがみんなは、父親殺しという点が気に入っているのよ」
「父観殺しという点が気に入ってる、ですって?」
「そうよ、みんなが気に入っているわ! 恐ろしいことだなんて、だれもが言ってるけど、内心ではひどく気に入ってるのよ。あたしなんか真っ先に気に入ったわ」
「世間の人たちに関するあなたの言葉には、いくぶんかの真実がありますね」アリョーシャが低い声で言った。
「まあ、そんな考えを持っているの!」リーザが感激して叫んだ。「お坊さんだというのに! あなたは信じないでしょうけど、あたしとってもあなたを尊敬するわ、アリョーシャ、それはね、あなたが決して嘘をつかないからよ。ああ、あなたにあたしの見たおもしろい夢を話してあげるわ。あたし、時々、悪魔の夢を見るの。なんでも夜中らしいんだけど、あたしは蠟燭をもってお部屋にいるのね。そうすると突然、いたるところに悪魔が出てくるのよ。どこの隅にも、テーブルの下にも。ドアを開けると、ドアの外にもひしめき合っていて、それが部屋に入ってきてあたしを捕まえようと思っているんだわ。そして、すぐそばまでやってきて、今にも捕まえそうになるの。あたしがいきなり十字を切ると、悪魔たちはみんなこわがって、あとずさるんだけど、すっかり退散せずに、戸口や隅々に立って、待ち構えているのよ。ところがあたしは突然、大声で神さまの悪口を言いたくてたまらなくなってきて、悪口を言いはじめると、悪魔たちはふいにまたどっとつめかけて、大喜びしながら、またあたしを捕まえそうになるんだわ。そこで突然また十字を切ってやると、悪魔たちはみんな退却していくの。すごくおもしろくて、息がつまりそうになるわ」
「僕もよくそれとまったく同じ夢を見ますよ」だしぬけにアリョーシャが言った。
「ほんと?」リーザがおどろいて叫んだ。「ねえ、アリョーシャ、からかわないで。これはひどく重大なことよ。違う二人の人間がまるきり同じ夢を見るなんてことが、ほんとにあるかしら?」
「きっとあるでしょうよ」
「アリョーシャ、はっきり言うけれど、これはひどく重大なことよ」リーザは何かもはや極度のおどろきにかられて、言葉をつづけた。「重大なのは夢じゃなくて、あなたがあたしとまったく同じ夢を見ることができたという点なのよ。あなたはあたしに決して嘘をつかないんだから、今も嘘を言ったりしないでね。それ、本当? からかっているんじゃないの?」
「本当ですとも」
 リーザは何事かにひどく心を打たれ、三十秒ほど黙りこんだ。
「アリョーシャ、時々あたしのところに来てね、もっとひんぱんに来て」突然、祈るような声で彼女は言った。
「僕はいつになっても、一生あなたのところへ来ますよ」アリョーシャがしっかりした口調で答えた。
「だってあたしが言えるのは、あなただけですもの」リーザがまた話しはじめた。「自分自身と、あなただけ。世界じゅうであなた一人よ。それに、自分自身に言うより、あなたに言うほうが、すすんで話せるわ。あなたなら、全然恥ずかしくないし。アリョーシャ、なぜあなただと全然恥ずかしくないのかしら、全然? ねえ、アリョーシャ、ユダヤ人は過越の祭に子供たちをさらって、斬り殺すっていうけど、あれは本当なの?」
「知りませんね」
「あたし、ある本で、どこかの裁判のことを読んだのよ。 ユダヤ人が四歳の男の子を、最初まず両手の指を全部斬りおとして、それから壁にはりつけにしたんですって。釘で打ちつけて、はりつけにしたのね。そのあと法廷で、子供はすぐに死んだ、四時間後に、と陳述しているのよ。これでも、すぐにですってさ! その子供が呻きつづけ、唸りつづけている間、ユダヤ人は突っ立って、見とれていたそうよ。すてきだわ!」
「すてき?」
「すてきよ。あたし時々、その子をはりつけにしたのはあたし自身なんだって考えてみるの。子供がぶらさがって呻いているのに、あたしはその正面に坐って、パイナップルの砂糖漬を食べるんだわ。あたし、パイナップルの砂糖漬が大好きなんですもの。あなたも好き?」
 アリョーシャは何も言わずに、彼女を見つめた。蒼白な黄ばんだ彼女の顔がふいにゆがみ、目が燃えあがった。
「ねえ、あたしこのユダヤ人の話を読んだあと、夜どおし涙を流してふるえていたわ。小さな子供が泣き叫んで呻いているのを想像しながら、(だって、四歳の子供なら、わかるはずよ)、一方では砂糖漬のことが頭を去らないのよ。翌朝、ある人のところへ、必ず来てくれるようにって、手紙を届けさせたわ。その人が来ると、あたし、男の子の話や砂糖漬のことをふいに話してきかせたの。何もかも話したわ、何もかも。《すてき》だってことも言ったのよ。そしたらその人、突然笑いだして、本当にすてきだと言ってくれたわ。それから立ちあがって、行ってしまったの。全部で五分くらい坐っていたかしら。その人あたしを軽蔑したのね、軽蔑したんでしょう? ねえ、教えて、アリョーシャ、その人あたしを軽蔑したのよね、それとも違う?」彼女は目をきらりとさせ、車倚子の上で身体をまっすぐ起した。
「それじゃ」アリョーシャは興奮して言った。「あなたのほうからよんだんですね、その人を?」
「そうよ」
「手紙をやって?」
「ええ」
「わざわざその子供の話をたずねるためにね?」
「違うわ、全然そうじゃないの、全然。でも、その人が入ってきたとたんに、あたしは突然そのことをきいてしまったのよ。その人は返事をして、笑いだすと、立ちあがって、出て行ってしまったわ」
「その人はあなたに対して誠実に振舞ったわけだ」アリョーシャは小さな声でロ走った。
「でも、あたしを軽蔑したのね? ばかにしたのね?」
「そうじゃありませんよ、だってその人自身、パイナップルの砂糖漬を信じてるかもしれないんですからね。その人も今、病気が重いんですよ、リーザ」
「そうね、あの人も信じているんだわ!」リーザは目をきらりとさせた。
「その人はだれのことも軽蔑しません」アリョーシャはつづけた。「ただ、だれのことも信じないだけです。しかし、信じないとすると、もちろん、軽蔑しているわけですね」
「とつまり、あたしのことも? あたしもね?」
「あなたのことも」
「すてきだわ」リーザはなにか歯ぎしりをした。「あの人が笑って出て行ったとき、あたし、軽蔑されるのもすてきだって感じたわ。指を斬りおとされた子供もすてきだし、軽蔑されるのもすてきだわ……」
 こう言うと彼女は、妙に敵意のこもったような、感情の激した笑いを、アリョーシャにぶつけた。
「ねえ、アリョーシャ、あたし、ほんとは……アリョーシャ、あたしを救ってちょうだい!」突然、彼女は車椅子から跳ね起き、アリョーシャにとびついて、両手でひしと抱きすがった。「あたしを救って」ほとんど呻きに近い声だった。「今あなたに話したようなことを、世界じゅうのだれかに言えると思って? だってあたし、本当のことを、本当のことを話したのよ、本当のことを! あたし自殺するわ、何もかもけがらわしいんですもの! 生きてなんかいたくない、何もかもけがらわしいんだもの! 何もかもいや、けがらわしいわ! アリョーシャ、なぜあたしをちっとも、ちっとも愛してくれないの!」彼女は狂ったようにこう結んだ。
「違う、愛してますよ!」アリョーシャはむきになって答えた。
「じゃ、あたしを思って泣いてくださる、ねえ?」
「泣くでしょうね」
「あなたの奥さんになろうとしなかったことをじゃなく、ただあたしを思って泣いてくださる、ただあたしを思って?」
「泣くでしょうね」
「ありがとう! あたしに必要なのはあなたの涙だけよ。あとの人はみんな、あたしを罰して、足で踏みにじったってかまわないわ、だれ一人省かずにみんなが、みんながそうしてもいいの! だってあたし、だれも愛していないんですもの。そうなの、だれのことも! 反対に、憎んでいるわ! もう行くといいわ、アリョーシャ、お兄さまのところへ行く時間よ! 彼女はふいに彼から身をはなした。
「あなたを残して行くんですか?」アリョーシャはほとんど怯えて言った。
「お兄さまのところへいらっしゃいよ、刑務所が閉ってしまうわ。早くいらして、はい、あなたの帽子! お兄さまにキスしてあげて。早く行って、早く!」
 そして彼女は力いっぱい、アリョーシャを戸口から押しだした。アリョーシャは悲しげな不審の表情で見つめていた。だが、ふと自分の右手に、しっかりとたたんだ封をした小さな手紙が握らされたのを感じた。ちらと見て、彼はとっさに、イワン・フョードロウィチ・カラマーゾフ様という宛名を読みとった。彼はすばやくリーザを眺めやった。彼女の顔がほとんど恐ろしいほどになった。
「渡してちょうだい、必ず渡してね!」全身をふるわせながら、彼女は狂ったように命じた。「今日、すぐによ! さもないと、あたし毒を飲むから! あなたをよんだのも、このためだったの!」
 そして急いでドアを閉めた。掛金の音がした。アリョーシャは手紙をポケットにしまうと、ホフラコワ夫人のところには寄らずに、まっすぐ階段に向った。夫人のことなど、忘れてさえいた。一方リーザは、アリョーシャが遠ざかるやいなや、すぐに掛金をはずして、ドアをほんの少し開け、その隙間に指を一本はさむと、ぴしゃりとドアを閉めて、カまかせに指を押しつぶした。十秒ほどして手をぬくと、静かにゆっくりと車椅子に戻り、身体をまっすぐ起したまま坐って、くろずんだ指と、爪の下からあふれでる血とを、食い入るように眺めはじめた。唇がふるえていた。彼女は早口につぶやいた。
「恥知らず、恥知らず、恥知らず!」


「ラキーチンにはこんなことはわかりゃしないが」まるで何かに感激したように、彼は話しだした。「しかし、お前ならすっかりわかってくれるはずだ。だからこそ、お前を待ちわびていたんだよ。実はな、俺はずっと前から、漆喰の剝げたこの壁の中でお前にいろいろ話したいと思っていながら、いちばん肝心なことは黙っていたんだ。まだその時期じゃないような気がしたもんだからね。でもとうとう、お前に真情を吐露するぎりぎりのときになってしまった。あのな、俺はこのふた月の間に、自分の中に新しい人間を感じとったんだよ。新しい人間が俺の内部によみがえったんだ! 俺の内部にもともと閉じこめられていたんだけど、今度の打撃がなかったら、決して姿を現わさなかっただろうよ。恐ろしいことだ! だから、鉱山で二十年間つるはしをふるって鉱石を掘るなんてことは、今の俺にとっては何でもない。そんなことは全然恐れていないよ。今の俺にとって恐ろしいのは別のことだ。つまり、せっかくよみがえった人間が俺から離れて行きやしないかってことさ! 向うに行っても、鉱山の地底でだって自分の隣にいる、同じような人殺しの流刑囚の中に人間らしい心を見つけて、仲良くしてくことはできる。なぜって向うでだって生活することもできるし、愛することも、悩むこともできるんだからな! そんな流刑囚の内に凍てついた心を生き返らせ、よみがえらせることもできるし、何年もの間その心を大切に育てて、最後に高潔な心を、殉教者の自覚を洞穴の奥から明るみにひきだして、天使を生き返らせ、英雄をよみがえらせることもできるんだ! そういう人たちは大勢いる、何百人もいる、そして俺たちはみんな、その人たちに対して罪があるんだよ! なぜあのとき、あんな瞬間に、俺が《童》の夢を見たんだ? 『なぜ童はみしめなんだ?』これはあの瞬間、俺にとって予言だったんだよ! 俺は《童》のために行くのさ。なぜって、われわれはみんな、すべての人に対して罪があるんだからな。すべての《童》に対してな。なぜって、小さい子供もあれば、大きな子供もいるからさ。人間はみな、《童》なんだよ。俺はみんなの代りに行くんだ。だって、だれかがみんなの代りに行かなけりゃならないじゃないか。俺は親父を殺しやしないけど、それでも俺は行かねばならないんだ。引き受けるとも! この考えはみな、ここで生れたんだよ……漆喰の剝げたこの壁の中でさ。しかも、そういう人間は大勢いる。つるはしを手にした地底の人間は、何百人もいるんだ。そう、俺たちは鎖につながれ、自由はなくなる。だが、深い悲しみにとざされたそのときこそ、俺たちはまた喜びの中に復活するんだ。その喜びなしに人間は生きていかれないし、神は存在していかれない。なぜって、神がそのをびを与えてくれるんだからな、これは神の偉大な特権なんだ……ああ、人間は祈りの中で溶けてしまうがいい! あの地底で、神なしに俺はどうしていけるというんだ? ラキーチンのやつはでたらめばかりぬかしやがる。もしこの地上から神を追い払ったら、俺たちが地底でその神にめぐりあうさ! 流刑囚は神なしには生きていかれないからな、流刑囚じゃない人間より、いっそう不可能だよ! そしてそのときこそ、俺たち地底の人間は、喜びをつかさどる神への悲劇的な讃歌を、大地の底からうたうんだ! 神とその喜びよ、万歳! 俺は神を愛してるんだ!」
 この奇怪な演説をしながら、ミーチャはほとんど息をあえがせていた。顔色は青ざめ、唇はふるえ、目からは大粒の涙がこぼれた。
「いや、生活は充実している。地底にも生活はあるんだ!」彼はふたたび語りはじめた。「アリョーシャ、俺が今どんなに生きたいと望んでいるか、お前には信じられんだろう。生存し、認識したいというどんなに熱烈な欲求が、ほかならぬ漆喰の剝げたこの壁の中で、俺の心に生れたことだろう! ラキーチンにはこんなことはわかりゃしない。あいつはアパートでも建てて、間借り人を入れさえすりゃいいんだからな。だけど俺はお前を待っていたんだ。それに、苦しみとはいったい何だい? 俺は、たとえ苦しみが数限りなくあったとしても、そんなものは恐れないよ。以前はこわかったけど、今ならこわくない。あのな、ひょっとすると、俺は法廷で何も答えないかもしれないぜ……今や俺の内にはそうした力が十分にあるような気がするんだ。だから、たえず『俺は存在している!』と自分自身に言い、語れさえするなら、俺はどんなことにでも、どんな苦しみにでも打ち克ってみせるよ。数知れぬ苦痛を受けても、俺は存在する。拷問にのたうちまわっても、俺は存在する! 柱にくくられてさらしものになっても、俺は存在するし、太陽を見ているんだ。太陽が見えなくたって、太陽の存在することは知っている。太陽の存在を知ってるってことは、それだけでもう全生命なんだよ。アリョーシャ、俺の天使、俺はもういろいろな哲学に殺されそうだよ、畜生! イワンのやつが……」
「イワン兄さんが何ですって?」アリョーシャは口をはさみかけたが、ミーチャの耳には入らなかった。
「いや、俺は今までこういう疑念は全然持たなかったんだけど、すべて俺の内部にひそんでいたんだな。きっと、さまざまの未知の思想が俺の内部で荒れ狂っていたために、俺は飲んだくれたり、喧嘩をしたり、気違い沙汰をやらかしたりしていたんだよ。自分の内部のそういう思想を鎮めるために、俺は喧嘩をしたんだ。そいつを鎮め、押さえつけるためにさ。イワンはラキーチンとは違う。あいつは思想を隠しているからな。イワンはスフィンクスだよ、むっつり黙っているんだ。ところで、俺を苦しめるのは神だよ。それだけが俺を苦しめるんだ。神がなかったら、どうだろう? そんなものは人間が作った人工的な観念だなんていうラキーチンの説が正しかったら、どうなるだろう? もし神がいなければ、そのときはこの地上の、この宇宙のボスは人間じゃないか。結構なこった! ただ、神がいないと、どうやって人間は善人になれるんだい? そこが問題だよ! 俺はいつもこのことばかり考えているのさ。だって、そうなったら、人間はだれを愛するようになるんだい? だれに感謝し、だれに讃歌をうたえばいいんだい? ラキーチンは笑いやがるんだ。ラキーチンは、神がいなくたって人類を愛することはできる、なんて言うんだ。しかし、そんなことを言い張れるのは洟たれ小僧だけで、俺は理解できんね。ラキーチンなら、生きてゆくのはたやすいことさ。今日だって俺にこう言いやがったぜ。『そんなことより、市民権の拡張のために奔走するほうが利口だぜ、さもなけりゃ、せめて牛肉の値段が上がらないようにでもな。哲学なんぞより、そのほうが手っ取り早く簡単に人類に愛情を示せるからね』だから俺もお返しにこう言ってやったよ。『神がいなけりゃ、そういう自分がまず手当りしだい牛肉の値をつりあげて、一カペイカ分で一ルーブルも儲けるくせに』あいつ怒ったぜ。だって、善行とはいったい何だい? 教えてくれよ、アレクセイ。俺には俺の善行があるし、支那人にはまた別の善行がある。とすれば、つまり、相対的なものなんだな。違うかい? 相対的じゃないのかね? ややこしい問題だぜ! この問題で俺がふた晩眠れなかったと言っても、笑わないでくれよ。今の俺には、世間の連中が平気で生きていて、この問題を何一つ考えないのが、ふしぎでならないんだよ。むなしいもんさ! イワンには神がない。あいつには思想があるからな。それも俺なんかとは規模が違うやつがさ。それでも黙っているんだ。あいつはフリーメイソンだと思うよ。きいてみたんだけど、何も言いやしない。あいつの知恵の泉の水を飲んでみたかったんだが、何も言わないんだ。たった一度、一言だけ言ってたがね」
「何て言いました?」アリョーシャは急いで水を向けた。
「俺がこう言ってやったのさ。つまり、そうなると、すべてが許されるってわけかって。あいつは眉をひそめて、『うちの親父はだらしない子豚同然だったけど、考え方は正しかったよ』と、こうだぜ。言ったのはそれだけだよ。これはもうラキーチンより純粋だな」

「あの人からききましたよ。今日は兄さんのためにとても悲しい思いをしたんですってね」
「知っている。俺のこの性格はどうしようもないな。焼餅をやいたりしてさ。別れぎわに後悔して、キスしてやったけど。あやまりはしなかったよ」
「なぜあやまらなかったの?」アリョーシャは叫んだ。
 ミーチャはだしぬけに、ほとんど楽しそうとさえ言える笑い声をたてた。
「冗談じゃないよ、坊や。自分がわるくたって、好きな女には決してあやまったりするもんじゃない! 好きな女には特にな。たとえどんなにこっちがわるくてもだ! なぜって女ってやつは、これはとんでもない代物だからな。女にかけちゃ、少なくとも俺はわけ知りなんだ! まあ、ためしに自分の非を認めて、『僕がわるかった、ごめんよ、赦しておくれ』なんて言ってみな。とたんに非難が雨あられと浴びせられるから! 決して素直にあっさり赦してくれやしないんだ。ぼろくそにお前をこきおろして、ありもしないことまで数えたて、何から何まで取りだしてきて、何一つ忘れずに、おまけまで付けて、そのうえでやっと赦してくれるだろうよ。おまけに、これならまだいちばんいいほうだ! 最後の残り滓まで搔き集めて、そいつを全部お前の頭にぶちまけるだろうさ。言っとくけど、女にはこういう残忍性があるんだよ。いなけりゃ俺たちが生きていかれない、あの天使のような女たちにも、一人残らず、それがあるのさ! あのね、ざっくばらんに率直に言うけれど、まともな男ならだれだって、たとえ相手がどんな女でも、尻に敷かれているべきなんだよ。それが俺の信念だ。いや、信念というより、感情だな。男は寛大でなけりゃいけない。それは男の恥にはならないんだ。英雄だって恥じゃない、シーザーだって恥にはならんよ! そう、とにかくあやまったりするなよ、どんなことがあっても絶対にな。この原則をおぼえておくといい。これは女のために身を滅ぼした兄貴のミーチャが教えてやったんだからな。いや、俺はあやまったりせずに、何かでグルーシェニカにつくしてやるよ。俺は彼女を敬ってるんだ、アリョーシャ、敬ってるんだよ! ただ、彼女にはそれがわからないだけさ、そう、彼女はまだ俺の愛し方じゃ足りないんだ。そして俺を悩ませるのさ、愛情で悩ませるんだ。これが以前ならどうだい! 以前はあの悪魔的な曲線美が俺を悩ませただけだったけど、今や俺は彼女の魂をそっくり自分の魂に受け入れて、彼女を通して自分まで真人間になったんだからな! 俺たちは結婚させてもらえるだろうか? さもないと俺は嫉妬で死んじまうよ。毎日何かそんな夢を見るんだ……彼女は俺のことをどう言ってた?」

「兄さんの言うとおりです」アリョーシャが結論を下した。「判決前には決められませんよ。裁判のあと、自分で決めるんですね。そのときには兄さん自身の内に新しい人間を見いだせるでしょうし、その人間が決めてくれますよ」
「新しい人間が見つかるか、ベルナールが見つかるかわからないけど、そいつがベルナール流に決めてくれることだろうさ! なぜって、俺自身も軽蔑すべきベルナールのような気がするんでな!」ミーチャは沈痛に笑った。

「人生の普通の場合には、鉄拳制裁は現在ではたしかに法律で禁じられていますし、だれもが殴らなくなりました。しかし、特殊の場合には、わが国に限らず、世界じゅうで、あのもっとも完全なフランス共和国にしても、やはりアダムとイプのころのように、相変らず殴りつづけていますし、これはいつの世になってもなくなりますまいよ。ところがあなたは、あのときみたいな特殊の場合にも、その勇気がなかったじゃありませんか」

「おい、あの金を俺に今見せたのは、もちろん俺を納得させるためだろうが」
 スメルジャコフは札束の上からイサク・シーリンの本をとり、わきへどけた。
「このお金を受けとって、お持ち帰りください」スメルジャコフは溜息をついた。
「もちろん持って行くさ! しかし、この金ほしさに殺したとしたら、なぜこれを俺によこすんだ?」深いおどろきをこめて、イワンは彼を見つめた。
「わたしはこんなもの、全然必要ないんです」片手を振ると、スメルジャコフはふるえる声で言った。「前にはそういう考えもございましたよ。これだけの大金をつかんで、モスクワか、もっと欲を言えば外国で生活をはじめよう、そんな考えもありました。それというのは、『すべては許される』と考えたからです。これはあなたが教えてくださったんですよ。あのころずいぶんわたしに話してくれましたものね。もし永遠の神がないなら、いかなる善行も存在しないし、それにそんなものはまったく必要がないって。あなたは本気でおっしゃってたんです。だからわたしもそう考えたんですよ」
「自分の頭で到達したのか?」イワンはゆがんだ笑いをうかべた。
「あなたの指導によってです」
「してみると、金を返すからには、今度は神を信じたってわけだな?」
「いいえ、信じたわけじゃありません」スメルジャコフはつぶやいた。
「じゃ、なぜ返す?」
「もうたくさんです……話すことはありませんよ!」スメルジャコフはまた手を振った。「あなたはあのころ、すべては許されると、始終言ってらしたのに、今になってなぜそんなにびくついているんです、ほかならぬあなたが? おまけに自分に不利な証言までしに行くなんて……ただ、そんなことにはなりませんけどね! あなたは証言しに行ったりしませんよ!」スメルジャコフはまた確信ありげに断固として言った。
「まあ見ていろよ!」イワンは言い放った。
「そんなはずはありません。あなたはとても賢いお方ですからね。お金が好きだし。わたしにはわかっています。それにとてもプライドが高いから、名誉もお好きだし、女性の美しさをこよなく愛してもいらっしゃる。しかし、何にもまして、平和な充ち足りた生活をしたい、そしてだれにも頭を下げたくない、これがいちばんの望みなんです。そんなあなたが、法廷でそれほどの恥をひっかぶって、永久に人生を台なしにするなんて気を起すはずがありませんよ。あなたは大旦那さまそっくりだ。ご兄弟の中でいちばん大旦那さまに似てきましたね、心まで同じですよ」
「お前はばかじゃないな」どきりとしたように、イワンが口走った。血が頭にのぼった。「これまで、お前はばかだと思っていたよ。今のお前は真剣なんだな!」なにかふいに親しい目でスメルジャコフを眺めながら、彼は指摘した。
「あなたが傲慢だから、わたしをばかだと思ってらしたんですよ。さ、金を受けとってください」
 イワンは札束を三つそっくり受けとると、べつに包みもせすに、ポケットにねじこんだ。
「明日、法廷でこれを見せてやるさ」彼は言った。
「だれも信じやしませんよ。幸い、今ではあなたにはご自分のお金がたくさんおありだから、手文庫から出して、持ってきたとしか思わないでしょうね」
 イワンは席を立った。
「もう一度言っておくが、お前を殺さなかったのは、もっぱら、明日のために必要だからだぞ、それを肝に銘じておけ、忘れるなよ!」
「いいですよ、殺してください。今殺してください」突然、異様な目でイワンを見つめながら、スメルジャコフが異様な口調で言い放った。「それもできないでしょうに」苦々しく笑って、彼は付け加えた。「以前は大胆なお方だったのに、何一つできやしないんだ!」
「いずれ明日な!」イワンは叫んで、帰ろうとしかけた。
「待ってください……もう一度その金を見せてください」
 イワンは札束を取りだして、示した。スメルジャコフは十秒ほど見つめていた。
「さあ、もうお帰りください」片手を振って彼は言った。「イワン・フョードロウィチ!」彼はふいにまた、イワンのうしろ姿に声をかけた。
「何の用だ?」もはや歩きながら、イワンはふりかえった。
「さようなら!」
「明日までな!」イワンはまた叫んで、小屋を出た。

 わたしは医者ではないが、それでもイワンの病気の性質に関して、せめて何らかの説明を読者にせねばならぬ時がきたのを感ずる。先まわりして、一つだけ言っておくと、この晩の彼はまさに譫妄症の一歩手前まできていたのであり、この病が、ずっと以前から調子を乱しながらも頑なに抵抗していた彼の身体の組織を、ついに完全に征服したのだった。医学のことは何もわからないが、あえて仮定を述べるなら、おそらく彼は、もちろん病気をすっかり征服できると空想しながら、恐るべき意志の緊張によって本当に一時、病気を遠ざけることに成功したのかもしれなかった。

「じゃ、信じなけりゃいいよ」ジェントルマンは愛想よく苦笑した。「強制でどんな信仰が生れるというんだい? おまけに、信仰にはどんな証拠も役に立たないんだ、特に物的証拠なんぞね。トマスが信仰を持ったのは、復活したキリストを見たからじゃなく、それ以前から信仰を持ちたいと願っていたからなんだよ。たとえば、降神術者だってそうだ……僕はあの連中が大好きでね……だってさ、あの連中は悪魔があの世から角を見せてくれるから、自分たちが信仰にとって役立つ存在だと思っているんだからね。『これは、あの世が存在することの、いわば物的証拠にほかならない』だとさ。あの世と物的証拠、やれやれだ! それに結局、悪魔の存在が証明されたからといって、神の存在が証明されたかどうか、まだわからないしね。僕は観念論者の仲間に加えてもらいたいよ。連中の中で造反してやるんだ。『俺は現実主義者(リアリスト)だけど、唯物論者じゃないからね、へ、へ!』と言ってね」

「すてきじゃないか、居候だなんて。それにこれこそ僕の本来の姿なんだよ。僕がこの地上で居候以外の何になれる? ついでに言うと、僕は君の言葉をきいて、いささかおどろいているんだ。だってさ、この前しきりに言い張っていたみたいに、僕を単なる君の幻想と見なしたりせず、少しずつ本当に僕を実在の何物かと受けとりはじめたみたいじゃないか」

「ねえ、君、僕はやっぱりジェントルマンでありたいし、そう扱ってももらいたいな」一種まったく居候的な、あらかじめ譲歩の気配を見せたお人好しな自尊心の衝動にかられて、客が言いだした。「僕は貧乏だ、しかし……そりゃたいそう正直だとは言わぬまでも……まあ、とにかく、世間ではふつう僕が堕落した天使だってことを、自明の理として受けとっているんだよ。まったく、どうしてこの僕がかつて天使でありえたのか、想像もできないけどね。そんなときがあったとしても、忘れても罪じゃないくらい、ずっと昔のことさ。今の僕はちゃんとした人間という評判だけを大切にして、人に好かれるように努めながら、成行きまかせに生きているんだ。僕は心底から人間を愛している。ああ、僕はずいぶんいろいろと中傷されてきたからね! ときおりこうして君らの世界へ移り住んでみると、僕の生活はさながら現実に存在する何かのように流れてゆく。これが僕には何よりも気に入ってるんだよ。だって、君と同様に僕自身も幻想的なものに悩んでいるんだし、だからこそ君らの地上のリアリズムを愛してるわけでね。君らの地上の世界では、すべてがはっきりした輪郭を持っているし、ここには公式があり、幾何学がある。ところが僕らのところでは、すべてが何やら不定方程式みたいだからね! 僕はこの世界を歩きまわり、空想する。空想が好きだからね。おまけに、この地上にくると僕は迷信的になるんだよ。まあ、笑わないでくれたまえ。迷信的になるという、まさにその点が僕には気に入ってるんだから。僕はここで君たちの習慣をことごとく受け入れる。銭湯へ行くのも好きになったよ。どうだい。商人や坊さんたちといっしょに、蒸風呂に入るのが好きなんだ。僕の夢はね、百キロもある太った商家のおかみさんになりきってしまう、それも二度と元に戻れぬよう決定的になりきって、おかみさんの信ずるすべてを信じきることなのさ。僕の理想は、教会へ行って、純粋な心で蠟燭をあげることだよ。ほんとだよ。そのときこそ、僕の苦悩に限界がくるんだ。それから、君らの医者にかかるのも、僕は好きになったよ。この春、天然痘がはやったとき、僕は出かけて行って養育院で種痘をしてもらったんだ。その日僕がどんなに満足だったか、君にわかってもらえたらね。なにしろ、スラブの同胞のために十ループル寄付したほどだもの! 君はきいていないのかい。ねえ、君は今日なんだかとても気分がわるそうだよ」




「これは新味があるだろう、そうじゃないか? 今度は僕も正直に振舞って、説明するよ。まあ、ききたまえ。夢の中で、それも特に悪夢の中で、まあ、胃の不調か何かが原因なんだけれど、人間はときおり実に芸術的な夢を見るものなんだ。実に複雑なリアルな現実だとか、さまざまの出来事だとか、あるいは、人間の高尚な姿にはじまってシャツのボタンにいたるまでの、それこそレフ・トルストイでも書けないような、思いもかけぬ細部をともなって、こみいった筋で結ばれたさまざまな出来事の完全な世界だとかをね。しかも、そういう夢を見るのは、往々にして作家でなどなく、官吏だとか、雑文書きだとか、坊さんだとかいう、ごくありふれた人たちなんだからね……この点は、一つの課題とさえ言えるよ。さる大臣が僕に打ち明けたんだが、いちばんすばらしいアイデアがうかぶのは、眠っているときだそうだ。現に今だってそうじゃないか。僕は君の幻覚でこそあるけれど、ちょうど悪夢の中のように、君がこれまで頭に思いうかべたこともないような、独創的なことを話しているだろう。だから、こうなるともう僕は君の考えを蒸し返しているわけじゃない。にもかかわらず、僕は君の悪夢でしかないし、それ以上の何物でもないんだからね」


「哲学をぶつな、阿呆!」
「右半身がすっかりしびれちまって、唸ったり、呻いたりしてるというのに、哲学どころじゃないよ。僕はありとあらゆる医者にかかってみたんだ。見立ては実に上手で、どんな病気でも掌(たなごころ)を指すように教えてくれるんだけど、治療は不得手なんだね。たまたまそこに感激家の学生が居合せたんだが、『かりに死んでも、あなたはどういう病気で死んだか、完全に知ることができるわけですね!』なんて言うんだからね。それにしても、専門家のところをたらいまわしするのが、あの連中の流儀なのさ。われわれは診断をするだけですから、これこれの専門家のところへいらっしゃい、その人ならな癒してくれますから、とこうだよ。君だから言うけど、どんな病気でも癒してくれた昔の医者は、もうすっかり姿を消してしまったね。この節はもっぱら専門家ばかりで、やたらに新聞に書き立てられるからな。たとえば鼻の病気にかかってみたまえ、パリにやられるから。あそこならヨーロツパの専門家が鼻を治療してくれますよ、というわけだ。パリに行くと、その先生は鼻を診察して、右の鼻孔だけは癒してあげましょう、なぜって左の鼻孔はわたしの専門じゃないから、癒せませんしね、わたしの治療後ウィーンに行くんですな、あそこなら特別の専門家が左の鼻孔を癒してくれますよ、と言うだろうさ。いったいどうすりゃいいんだい? 僕は民間療法に頼ってみた。さるドイツ人の医者が、蒸風呂の棚に寝て塩をまぜた蜂蜜で身体をこすってみろと、すすめてくれたんでね。もっぱら、蒸風呂に一回余計に入るだけのつもりで行って、全身に塗りたくってみたけど、何の効目もありゃしない。やけになってミラノのマッティ伯爵に手紙を書いたら、本を一冊と水薬を送ってくれたけど、こいつもさっばりだめさ。ところが、どうだろう、ホッフ(訳注 オランダの化学者)の麦芽エキス(訳注 栄養剤)が効いたんだからね! 何気なく買ってきて、一壜半ほど飲んだら、ダンスでも踊れるくらい、けろりと癒っちまったんだよ。こりゃぜひとも新聞の《ありがとう》欄に投書しようと決心してね。感謝の気持につき動かされたんだ。ところが、どうだろう、今度は別の問題が起ってさ、どこの編集部でも受けつけてくれないんだ! 『あんまり復古調で、だれも信じてくれませんよ。悪魔なんてもう存在しませんからね。匿名で出したらどうです』と忠告する始末さ。匿名じゃ、《ありがとう》にならないよ。僕は事務員たちを相手に笑いながら言ってやったんだ。『現代で神を信ずるのなら復古調でしょうが、僕は悪魔なんですよ。悪魔ならかまわんでしょう』すると、『わかりますとも。悪魔を信じない人間なんていませんからね。でも、やはりだめです、社の方計を損ねかねませんからね。笑.い話としてじゃ、いけませんか?』だとさ。笑い話じゃピントはずれになると思ってね。結局、載らずじまいさ。本当のことを言うと、それが心に残ってるくらいなんだ。早い話、感謝というような僕のいちばん美しい感情さえ、もっぱら僕の社会的地位のおかげで、正式に禁じられたわけだからね」
「また哲学に走ったな!」イワンは憎さげに歯ぎしりした。
「とんでもない、しかし時には愚痴をこぼさずにはいられないからね。僕はさんざ中傷された人間だからな。現に君だってのべつ僕のことをばかよばわりするしさ。君の若さがすぐにわかってしまうよ。ねえ、君、問題は知性だけじゃないんだ! 僕は天性、善良で快活な心の持主だし、『僕だってヴォードビルはいろいろ書くさ(訳注 ゴーゴリの『検察官』の主人公フレスタコフの台詞)』君はどうやら、僕を白髪になったフレスタコフと、頭から決めてかかってるようだけど、僕の運命はずっと深刻なんだよ。僕にはとうてい理解できない太古からの定めで、僕は《否定する》役を仰せつけられているんだが、実際には僕は心底から善良で、およそ否定には向かないのさ。でも、だめさ、行って否定するんだ、否定がなければ批判はないし、《批評欄》がなくて何が雑誌と言える? 批判がなければ、《ホサナ(訳注 神の賛美)》だけになってしまうじゃないか。しかし人生にとって《ホサナ》だけでは不足だ、その《ホサナ》が懐疑の試練を経ることが必要なのだ、とまあ、こういったわけさ。もっとも、僕はこういったことには干渉しないんだよ、僕が作ったわけじゃないし、僕に責任はないんだからね。まあ、だれか身代りを選んで、批評欄に書かせれば、それで人生はできあがりってわけだ。僕らにはこの喜劇はよくわかるんだ。たとえば、この僕はしごく単純に自分の消滅を望んでいる。ところが、みんながこう言うんだよ。そりゃいかん、生きていてくれ、君がいないと何事も起らなくなるからな。この地上のものがすべて常識的になったんじゃ、何も起らなくなってしまう。君がいないと何の事件も起らなくなってしまうけれど、事件がないと困るんだ、って。だから僕はいやいやながら、事件が起るように働いて、命令どおりに愚かな事態を作りだしているのさ。人間たちは、文句なしにすぐれたあれほどの知性をそなえながら、この喜劇を何か深刻なものにとり違えているんだよ。そこに彼らの悲劇もあるわけだがね。そりゃ、もちろん、人間たちは苦しんでいるよ、しかし……その代り、とにかく生きているじゃないか、幻想の中でじゃなく、現実に生きているんだ。なぜなら、苦悩こそ人生にほかならないからね。苦悩がなかったら、たとえどんな喜びがあろうと、すべては一つの無限なお祈りと化してしまうことだろう。それは清らかではあるけど、いささか退屈だよ。それじゃ、僕はどうだ? 僕だって苦しんでいる、でもやはり僕は生きていない。僕は不定方程式のXにひとしいんだ。初めも終りも失くした人生の幻影みたいなもんでね、ついには自分の名前まで忘れちまったくらいさ。笑ってるのかい……いや、君は笑ってない、また怒ってるんだね。君はいつも怒ってばかりいるし、君には知性さえありゃいいらしい。でも、またぞろくりかえして言うけれど、僕は百キロもある商家のおかみさんの魂に宿って、神さまに蝋燭をあげることさえできるなら、そのために、あの星の上の生活や、いっさいの官位や名誉を棄てたっていいんだよ」
「お前だって神を信じていないんだろう?」「イワン」は憎さげにせせら笑った。
「つまり、どう言えばいいかな、もし君が真剣に……」
「神はあるのか、ないのか?」また有無を言わせぬしつこさで「イワン」が叫んだ。
「じゃ、君は真剣なんだね? ねえ、君、本当に僕は知らないんだよ、いや、たいへんなことを言ってしまったな」
「知らなくても、神の姿は見えるんだろ? いや、お前は一個の独立した存在じゃない、お前はなんだ、俺以外の何物でもない! お前なんぞ屑だよ、俺の幻想だ!」
「つまり、もしお望みなら、君と同じ哲学を持ってもいいんだよ、それなら公平だろう。われ思う、ゆえにわれ在り(ジュ・パンスドンク・ジュ・スイ)、だからね。これなら僕もたしかに知っているよ。そのほか、僕の周囲にあるものはみな、この世界も、神も、悪魔そのものさえも、はたしてそれが独立して存在するのかそれとも単に僕の発散物にすぎないのか、太古から個として存在している僕の自我の連続的な発展でしかないのか、僕にとってはまだ証明されていないんだよ……一口に言や、僕は急いでこの話を打ち切ることにするよ、だって君が今にもとびかかってきそうな気がするからね」
「それより何か一口話でもする方が利口だろうよ!」イワンは病的に言った。
「一口話なら、まさに僕らのテーマにぴったりのがあるよ。つまり、一口話じゃなく、伝説だけどね。君は現に、『姿が見えるのに、信じない』と言って僕の不信を非難している。でもね、君、それは僕だけじゃないんだよ、僕らのほうじゃ今やみんな頭がぼんやりしちまったんだ、すべて君らの科学のせいだよ。原子だの、五感だの、四大自然(訳注 地水火風をさす)だのだけだったころは、まだどうにかなっていたんだ。古代にも原子はあったからね。ところが、君たちが、《化学分子》だの、《原形質》だの、そのほか得体の知れぬものを発見したということを知って、僕らは尻尾を巻いてしまったのさ。それこそ大混乱がはじまった。何よりも、迷信だの、デマだのがはびこる。僕らのところにだって、デマは君らのところに負けぬくらいあるからね。むしろ、ちょっぴり多いくらいさ。さして最後には、密告がさかんになる。僕らのほうにも、ある種の《情報》を受けつける役所があるんだよ。ところで、この荒唐無稽な伝説は、まだ中世の、といっても君らの中世じゃなく、僕らの世界の中世の話で、体重百キロの商家のおかみさん以外、つまりこれもまた君らのじゃなく、僕らの世界のおかみさんだけど、それ以外はだれも信じないような話なんだ。君らの世界にあるものはすべて、僕らのところにもあるんだよ。禁じられてはいるんだが、友情から君に一つだけ僕らの秘密を打ち明けるんだがね。この伝説は、天国の話だ。昔この地上に一人の思想家、哲学者がいて、《法律も、良心も、信仰も、ことごとく否定し》(訳注 グリボエードフ『智恵の悲しみ』の中の台詞)、何よりも、来世を否定したんだそうだ。さてその男が死んで、てっきりそのまま闇と死の中へ行くと思っていたのに、目の前に来世があらわれた。男はびっくりして、憤慨し、『これは俺の信念に反する』と言った。そのために男は裁判にかけられた……つまり、いや、勘弁してくれたまえ、僕はきいた話をそのまま伝えているんだから。これはただの伝説にすぎないんだよ……そして裁判の結果、男は闇の中を千兆キロメートル歩きぬいて(僕らのほうも今やメートル法なんでね)、その千兆キロが終ったとき、天国の扉を開いて、すべてを赦してやることに決った……」
「お前たちのあの世には、その千兆キロ以外に、どんな苦しみがあるんだい?」なにか異様に張りきって、イワンがさえぎった。
「苦しみだって? ああ、きかないでほしいな。以前はいろいろあったんだが、この節はもっぱら精神的なものがはやりだして、《良心の呵責》なんて下らんものになっちまった。これも君らの、《慣習の緩和》とやらのせいで、はやりだしたのさ。これで、だれが得をしたと思う。得をしたのは良心のない連中だけさ。なぜって、良心がまるきりなけりゃ、良心の呵責もへちまもないからね。その代り、まだ良心や誠意の残っていたまともな人たちは苦しむようになったわけだよ……これだから、まだ準備もととのわぬ地盤に、それもよその制度をまる写しにした改革を行うなんて、害をもたらすだけさ! 昔の火あぶりのほうがよかったろうにね。ところで、千兆キロの旅を言い渡された男は立ちどまって、あたりを眺めると、道の真ん中に寝そべっちまったのさ。『歩くなんていやなこった。俺の主義からも歩くもんか!』ロシアの教養ある無神論者の魂をぬきだして、これを鯨の腹の中で三日三晩も拗ねていた預言者ヨナの魂と混ぜ合せると、まさに道に寝そべったこの思想家の性格ができあがるわけだよ」
「そいつは何の上に寝たんだい?」
「きっと何かあったんだろう。笑わないのかい?」
「えらいやつだな!」なおも異様に張りきって、イワンは叫んだ。今や彼は意外なほどの好奇心を示して、きいていた。「で、どうなんだい、今でも寝てるのか?」
「ところが、それが違うんだよ。ほとんど千年近く寝つづけていたのに、それから起きあがって、歩きだしたんだ」
「阿呆め!」さながら何事かを一心に思いめぐらすかのように、神経質な笑い声をたてて、イワンは叫んだ。「永久に寝ていようと、千兆キロ歩こうと、どうせ同じことじゃないか? だって十億年も歩きつづけるわけだろう?」
「もっとずっとかかるよ。ただ、紙と鉛筆がないんでね、でなけりゃ計算できるんだけど。でも、もうずっと前に歩きついたんだよ。そこから一口話がはじまるのさ」
「歩きついただって! どこでそいつは十億年なんぞ手に入れたんだい?」
「君はやっぱり現在のこの地球のことを考えているんだね! だって、現在の地球そのものも、ことによると、もう十億回もくりかえされたものかもしれないんだよ。地球が寿命を終えて、凍りつき、ひびわれ、ばらばらに砕けて、構成元素に分解し、また大地の上空を水が充たし、それからふたたび彗星が、ふたたび太陽が現われ、太陽からまたしても地球が生れる――この過程がひょっとすると、すでに無限にくりかえされてきたのかもしれないじゃないか、それも細かな点にいたるまで、そっくり同じ形でさ。やりきぬくらい退屈な話さね……」
「まあ、いいよ。で、行きついたあと、どうなったんだ?」
「天国の扉を開けてもらって、中へ足を踏み入れたとたん、まだ二秒とたたぬうちに――これはちゃんと時計の上での二秒だよ(もっとも僕に言わせりゃ、その男の時計は、とっくの昔に、道中ポケットの中で構成分子に分解しちまってたはずだけどね)、とにかく二秒とたたぬうちにその男は、この二秒の間に俺は千兆キロはおろか、千兆キロを千兆倍して、さらにそれを千兆倍した距離だって歩きとおしてみせるぞ、と叫んだんだ! 一口に言や、《ホサナ》をうたったわけさ、それも薬がききすぎたもんだから、そこにいたいくらか高尚な思想をもった連中は、最初のうち、その男とは握手もしたがらなかったそうだ。つまり、あまりにもまっしぐらに保守主義者に転向したってわけさ。ロシア人らしい気質じゃないか。くりかえしとくけど、これは伝説だよ。余計なことは何一つ付け加えてない。要するに僕らのところでは、こういったあらゆる問題に関していまだにこんな考え方が横行しているんだよ」
「とうとう尻尾をつかまえたぞ!」ついに何事かに思い当ったように、「イワン」がほとんど子供じみた喜びを示して、叫んだ。「その千兆年の話は、俺自身が作ったやつじゃないか! あのころ俺は十七で、中学に行ってたんだ……そのころ、俺は今の話を作って、コロフキンという名の友達に話してきかせたんだ、あれはモスクワだったな……その話は実に個性的だから、俺はどこからも仕入れたはずはない。忘れかけていたけど、今、無意識に思いだしたんだ。ひとりでにな、だからお前が話してくれたわけじゃないよ! 時によると何千という事物を思いだすことがあるもんさ、刑場へ曳かれてゆくときでさえな……俺は夢の中で思いだしたんだ。お前はその夢にほかならんよ! お前は夢だ、だから実在していないんだ!」
「そうむきになって僕を否定するところを見ると」ジェントルマンは笑いだした。「君はやっぱり僕の存在を信じていると思うよ」
「全然! 百分の一も信じてないさ!」
「でも、千分の一くらいは信じてるね。そのごくわずかの分量が、ことによると、いちばん強力かもしれないよ。信じてるって白状したまえよ、まあ一万分の一くらいは……」
「一瞬たりと信ずるもんか!」イワンは憤然として叫んだ。
「もっとも、お前の存在を信じたい気はするがね!」ふいに奇妙な口調で彼は言い添えた。
「ほう! それでも、やっと白状したね! しかし、僕は親切だから、ここでも助けてあげよう。いいかい、僕が君の尻尾をつかまえたんで、君が僕をつかまえたわけじゃないんだよ! 僕はね、君がすでに忘れていた今の話をわざとしてあげたのさ、君が決定的に僕の存在を信じなくなるようにね」
「嘘をつけ! お前が現われた目的は、お前が存在することを俺に信じこませるためじゃないか」
「まさしくそうさ、しかし、動揺だの、不安だの、信と不信の戦いだの、そういったものは時によると、君のような良心的な人間にとっては、いっそ首をくくるほうがましだと思うくらいの苦しみになるからね。僕はね、君が少しは僕の存在を信じていることを承知していたから、今の話をして、決定的に不信を植えつけようとしたんだよ。僕は君に信と不信の間を行ったり来たりさせる。そこに僕の目的もあるんだからね。新しい方法じゃないか。現に君はまったく僕を信じなくなると、すぐに面と向って僕に、僕が夢じゃなく本当に存在するんだと強調しはじめるんだからね。僕にはわかってるよ。それでこそ僕は目的を達するんだからね。しかし、僕の目的は立派なものだよ。僕は君の心にほんのちっぱけな信仰の種子を一粒放りこむ、するとその種子から樫の木が育つんだ。それも並大抵の樫じゃなく、君がその枝にまたがれば、《荒野の神父や汚れなき尼僧たち》(訳注 プーシキンの詩の中の言葉)の仲間入りしたくなるような、立派な樫の木がさ。だって君は心ひそかにそれを切実に望んでいるんだし、いずれ蝗を食として、魂を救いに荒野へさすらい出るだろうからね!」

「もう一度言うけれど、要求を節することだね。僕に《すべての偉大な美しいもの》なんぞ要求しないことだ、そうすりゃ僕らは仲良くやっていけることがわかるだろうよ」ジェントルマンが教えさとすように言った。「僕がなにか真紅のかがやきに包まれ、火傷した翼を打ちふって、《轟音と閃光を放ちながら》君の前に現われずに、こんな質素ななりでまかり出たのを、君は本当に怒っているらしいね。第一に君は美的感情を、第二にプライドを傷つけられた。俺のような偉大な人間のところへ、よくもこんな月並みな悪魔がやってこられたもんだ、というわけさ。いや、すでにべリンスキーによってあれほど笑い物にされた、あのロマンチックなムードが、やはり君にはあるんだよ。しようがないさ、若いんだもの。実はさっき、ここへ来る支度をしながら、僕は冗談のつもりで、コーカサスに勤務していた退職四等官の姿になって、燕尾服に獅子と太陽勲章でも下げてこようかと思ったんだけど、どうにもこわくなってやめたんだよ。だって、少なくとも北極星章かシリウス星章くらいつけずに、よくも獅子と太陽勲章なんぞ燕尾服につけられたもんだという、それだけの理由で、君に殴られかねないからね。それに、のべつ君は僕がばかだと言うね。しかし、正直のところ、君と知性を競おうなどという野心も、僕は持ち合せていないんだ。メフィストフレスは、ファウストの前に現われたとき、自分は悪を望んでいながら、善しか行わないと、自己を証明してみせた。まあ、それはあいつの勝手だけど、僕はまるきり反対なんだよ。ことによると僕はこの自然界で、真実を愛し、心から善を望んでいるただ一人の人間かもしれないよ。十字架の上で死んだ神の言葉キリストが、右隣ではりつけになった強盗の魂をその胸に抱いて、天に昇ったとき、僕はそこに居合せて、《ホサナ》をうたい絶叫する小天使たちの喜びの声と、天地もふるえる大天使たちの雷鳴のような感激の嗚咽をきいたんだ。そして、神聖なあらゆるものにかけて誓ってもいいけど、僕はそのコーラスに和して、みんなといっしょに《ホサナ!》を叫びたいと思った。もう、今にもその叫びが胸の奥からほとばしり、とびだしそうになったんだよ……君も知っているように、僕はとても感しやすい性質だし、芸術的な感受性が強いからね。でも常識が――そう、僕の天性のもっとも不幸な特質が、守るべき限界で僕を引きとめて、僕はせっかくの瞬間を逃してしまったんだ! だって僕が《ホサナ》 を叫んだら、いったいどういうことになる、とその瞬間に考えちまったのさ。そうすれば、とたんにこの世のすべてが消え失せ、何の事件も起らなくなってしまうだろうからね。こうして、もっぱら職務と僕の社会的立場とから、自分の内部の美しい要素をもみつぶして、不潔な仕事にとどまることを余儀なくされたんだよ。善の名誉はだれかがそっくりちょうだいし、僕の分として残されたのは不潔な仕事だけさ。しかし、濡れ手で粟の生活をする名誉なんぞ羨ましくないし、僕は名誉心に燃えているわけでもないからね。でも、いったいどういうわけで、世界じゅうのあらゆる存在の中で僕一人だけが、立派な人たちすべてに呪われて、長靴で蹴られさえするような運命にあるんだろう、だって人間の姿をする以上、時にはその結果も甘受しなけりゃならないものね? ここには秘密があるってことは、僕だって知っている。でも、その秘密をどうしても僕に打ち明けようとしないんだよ。それというのも、真相を見ぬけば、僕はおそらく《ホサナ》を叫ぶだろうし、そうなればとたんに必要なマイナスが消え去って、全世界に良識がひろまるだろうからね、そしてもちろん、それとともにすべてに、新聞や雑誌にさえも、終りが訪れるんだ。だって、そうなったら、いったいだれが新聞や雑誌を購読するというんだい。僕にはわかっている、僕も最後には妥協して、自分の千兆キロを歩きとおし、秘密を探りだすことだろうよしかし、そういう事態が生ずるまでの間、僕は仏頂面をして、いやいやながら任務を遂行するさ。一人を救うために、何千人を滅ぼすという任務をね。たとえば、たった一人の義人ヨブを得るために、どれだけ多くの魂を滅ぼし、立派な評判に泥を塗らなければならなかっだろう。あの男のことで、僕は当時ずいぶん嫌味を言われたもんだよ! そう、その秘密が発見されるまで、僕にとっては二つの真実が存在するんだ。一つは今のところまったく未知の、あの人たちの真実だし、もう一つは僕の真実さ。どっちが本物かは、またわからないけどね……君は眠っちまったのかい?」
「当り前だ」イワンは憎さげに唸った。「お前は俺の本性にひそむいっさいの愚劣なものや、とうの昔に生命を失い、俺の頭の中で粉砕されて、腐肉のように棄て去られたものを、何か新しいものみたいに俺に捧げようとするんだからな!」
「これも気に入らなかったか! でも僕は、例の天上の《ホサナ》なんて文学的な描写で、君の機嫌をとりむすぼうと思ったんだけどな。実際、出来ばえはまんざらでもなかったじゃないか? それに、今しがたのハイネ風の諷刺的な調子だってさ、そうだろう?」
「いや、俺は一度だってそんな下男になり下がったことはないぞ! なぜ俺の魂が、お前のような下男を生みだしえたんだろう?」
「ねえ、君、僕はさるきわめて魅力的な、愛すべきロシアの若い貴族を知っているんだよ。若い思想家で、文学と芸術の大の愛好家で、『大審問官』と題する将来性豊かな叙事詩の作者なんだ……僕はその青年のことしか念頭になかったんだよ!」
「『大審問官』の話をすることは許さないぞ」羞恥に顔を真っ赤にして、イワンは叫んだ。
「じゃ、『地質学的変動』は? おぼえているだろう? あれこそまさに叙事詩ってもんだ!」
「黙れ、さもないと殺すぞ!」
「この僂を殺すってのかい? いや、わるいけど、すっかり言わせてもらうよ。僕がかっう来たのも、この楽しみを味わうためなんだからね。そう、僕は人生の渇望にふるえる若い熱情的な友人たちの思索が大好きなんだ! 『そこには新しい人たちがいる』君はこの春、ここへ来る支度をしながら、こう断定した。『彼らはすべてを破壊して、人肉を食うことから出発しようと考えている。愚か者め、この俺にたずねもしないで! 俺に言わせれば、何一つ破壊する必要はない。必要なのは人類の内にある神の観念を破壊することだけだ、まさにそこから仕事にとりかからねばならないのだ! それからはじめなければいけない――ああ、何一つ理解せぬ盲者どもよ! いったん人類が一人残らず神を否定しさえすれば(その時期は、地質学上の時期と平行して、必ずくると、俺は信じている)、あとは人肉など食わなくとも、ひとりでに、旧来のあらゆる世界観や、そして何よりも、旧来のいっさいの道徳が崩壊し、すべて新しいものが訪れるだろう。人間は、人生の与えうるすべてのものを手に入れるために結合する。しかしそれは必ず、単にこの世界での幸福と喜びのためにほかならない。人間は神のような、巨人のような誇りの精神によって傲慢になり、やがて人神が出現する。自己の意志と科学とによって、もはや際限なく自然をたえず征服してゆきながら、人間はほかならぬそのことによって、天上の喜びというかつての希望にとって代るくらい高尚な喜びを、たえず感ずるようになるだろう。人間はやがて死ぬ身であり、復活もないことを、だれもが知り、神のように誇らしげに冷静に死を受け入れるようになる。人間は、人生が一瞬にすぎぬなどと嘆くにはあたらぬことを、誇りの気持からさとり、もはや何の報酬もなしに同胞を愛するようになる。愛が満足させるのは人生の一瞬にすぎないが、その刹那性の自覚だけで愛の炎は、かつて死後の不滅の愛という期待に燃えさかったのと同じくらい、はげしく燃え上がることだろう』……まあ、こういった調子だったね。すばらしいじゃないか!」
 イワンは両手で耳をふさぎ、床を見つめたまま坐っていたが、全身をふるわせはじめた。声はなおもつづいていた。
「ところで間題は、やがてそういう時期の訪れることがありうるか、どうかだと、わが若き思想家は考えた。もし訪れるなら、すべては解決され、人類は最終的に安定するだろう。しかし、人類の根強い愚かさからみても、おそらくまだ今後千年は安定しないだろうから、現在でもすでにこの真理を認識している人間はだれでも、まったく自分の好きなように、この新しい原理にもとづいて安定することが許される。この意味で彼にとっては《すべてが許される》のだ。それだけではなく、かりにそういう時期が永久に訪れぬとしても、やはり神や不死は存在しないのだから、新しい人間は、たとえ世界じゅうでたった一人にせよ、人神になることが許されるし、その新しい地位につけば、もちろん、かつての奴隷人間のあらゆる旧来の道徳的障害を、必要とあらば、心も軽くとび越えることが許されるのだ。神にとって、法律は存在しない! 神の立つところが、すなわち神の席なのである! 俺の立つところがただちに第一等の席になるのだ……《すべては許される》、それだけの話だ! 何から何まで実に結構な話ですな。ただ、ペテンにかける気を起したのに、なぜそのうえ、真実の裁可なんぞが必要なんだろう、という気はするけどね? しかし、現代のロシア人てのは、こうなんだね。裁可がなければペテンをする決心もつかないんだ、それほど真理がお気に召したってわけさ……」
 客は明らかに自分の雄弁に酔い、ますます声を張りあげて、からかい面に主人をちらちら眺めながら、話していた。だが、しまいまで話すことはできなかった。イワンが突然テーブルの上のコップをつかみ、ふりかぶりざま弁士に投げつけたからだ。
「ああ、しかしそいつは愚劣だよ、要するに!」客はソファから跳ね起き、お茶のしずくを指で払いながら、叫んだ。「ルーテルのインク壜を思いだしたのかい! (訳注 ルーテルも幻覚に苦しみ、悪魔にインク壜を投げつけたことがある。イワンの幻覚はルーテルの場合に似ていると言われている)自分じゃ僕を夢と見なしておきながら、夢に向ってコップを投げつけるなんて! 女みたいだぜ! 耳をふさいだふりをしてるだけで、実はきいているんだと、ちゃんと僕は予想していたよ」
 突然、外から窓枠を強く執拗にノックする音がきこえた。イワンはソファからとび起きた。

いや、俺は首を吊ったりしないぞ。知ってるかい、俺は決して自殺できない人間なんだよ、アリョーシャ! 卑劣なためと思うか? 俺は臆病者じゃない。生きていたいという渇望のためさ!

「じゃ兄さんは、だれかがここに坐っていたと、確信してるんですね?」アリョーシャがたずねた。
「その隅のソファにな。お前ならあいつを追い払えたろうにさ。いや、お前が追い払ったんだ。お前が現われたとたんに、あいつは姿を消したもの。俺はお前の顔が好きだよ、アリョーシャ。俺がお前の顔を好きだってことを、知っていたか? でも、あいつは俺なんだ、アリョーシャ、俺自身なんだよ。俺の卑しい、卑劣な、軽蔑すべきもののすべてなのさ! そう、俺は《ロマンチスト》だ。これはあいつが指摘したんだ……もっとも、中傷だけどな。あいつはひどくばかだよ、でもそれがあいつの強味なのさ。ずるいやつだ、動物的に狡猾だ、どうすれば俺を怒らせることができるか、知ってやがったぜ。俺があいつの存在を信じているといって、のべつからかっては、その手で自分の話をきかせてしまうんだ。俺を子供みたいに欺しやがった。しかし、俺に関していろいろと本当のことを言ったよ、俺なら決してあそこまで自分に言えないだろうがね。なあ、アリョーシャ、実はね」おそろしく真剣に、秘密めかしくイワンが付け加えた。「あいつが本当に俺じゃなく、あいつであってくれたらと、俺は切に願いたい気持だよ!」
「兄さんをひどく苦しめたんですね」同情をこめて兄を見つめながら、アリョーシャが言った。
「俺をからかいやがったんだ! しかも、みごとにな。『良心! 良心とは何だい? そんなものは自分で作りだしてるのさ。じゃ、なぜ苦しむのか? 習慣さ。世界じゅうの人間の七千年来の習慣でだよ。だから習慣を忘れて、神になろうじゃないか』あいつがそう言ったんだ、あいつがそう言ったんだよ!」
「じゃ、兄さんが言ったんじゃないんですね、兄さんじゃないんですね?」澄んだ目で兄を見つめながら、こらえきれずにアリョーシャが叫んだ。「それなら、そんなやつにはかまわずに、放っといて、忘れてしまうことですよ! 兄さんが今呪っているものすべてをそいつが持ち去って、二度と来させなければいいんです!」


アリョーシャは枕をかかえて、服を着たまま、ソファに横になった。うとうとしながら、ミーチャとイワンのことを神に祈った。イワンの病気が彼にはわかってきた。『傲慢な決心の苦悩なのだ、深い良心の苛責だ!』兄の信じていなかった神と、真実とが、いまだに服従を望まぬ心を征服しようとしているのだ。『そう』すでに枕に横たえたアリョーシャの頭の中を、こんな思いがよぎった。『そう、スメルジャコフが死んでしまった以上、もはやイワンの証言なぞ、誰も信じないだろう。でも兄はきっと行って、証言してくれる!』アリョーシャは静かに微笑した。『神さまはきっと勝つ!』彼は思った。『真実の光の中に立ちあがるか、それとも、自分の信じていないものに仕えた恨みを自分やすべての人に晴らしながら、憎悪の中で滅びるかだ』アリョーシャは悲痛に付け加えると、またイワンのために祈った。

『君は感謝の気持の篤い青年だ。だって、あんな幼いころにわたしのあげた四百グラムのくるみを、今までずっとおぼえていてくれるなんて』わたしは青年を抱擁して、祝福しました。そして、わたしは泣きだしました。青年は笑っていましたけれど、やはり泣いていたのです……なぜなら、ロシア人は泣くべきところで、笑うことが非常に多いからです。でも、この人は泣いていました、わたしにはそれがわかったんです。それが今や、悲しいことだ!

 ああ、言うまでもなく、こんな言葉やこうした告白は、何かのおりに生涯でたった一度、たとえば断頭台にのぼる、死の直前の瞬間ででもなければ、ロにできないものだ。しかし、カーチャはそれのできる性格であり、それのできる瞬間にあった。それは、あのとき父を救うために若い放蕩者のもとにとんで行った、あの一途なカーチャと同じだった。先ほど全傍聴人を前に、誇り高い清純な姿で、ミーチャを待ち受けている運命をいくらかでも軽くするために、《ミーチャの高潔な行為》を物語り、わが身と処女の羞恥とを犠牲にした、同じあのカーチャだった。そして今もまったく同じように彼女は自分を犠牲にしたのだが、今度は別の男のためにであり、ことによると、今この瞬間になって彼女はようやく、別なその男が自分にとってどれほど大切な存在であるかを、はじめて感じ、完全に理解したのかもしれなかった! 彼女はその人を案ずる恐怖にかられて、自分を犠牲にした。犯人は兄ではなく自分だという証言によって、その人が自己の一生を破滅させたことに突然思いあたるや、彼女はその人を救うために、その名誉と評判を救うために、自分を犠牲にしたのだった! それにしても、ミーチャとのかつての関係を話しながら、自分は彼をおとしめるような嘘をついたのではないか、という恐ろしい疑念がちらとひらめいた――問題はそこだ。いや、そうではない、あの最敬礼のためにミーチャは自分を軽蔑していたのだと叫んだとき、彼女は意図的に中傷したわけではなかった! 彼女自身そう信じていたし、おそらく、あのおしぎをした瞬間から、そのころはまだ彼女を崇めていた純朴なミーチャが彼女を笑い、軽蔑しはじめた、と確信していたにちがいない。そしてあのとき、彼女がヒステリックな発作的な愛情で自分から彼に結びついていったのも、ただただプライドから、傷つけられたプライドからにすぎなかったし、その愛は、愛というよりむしろ復讐に似たものだった。ああ、ことによるとその発作的な愛は、真の愛情に育ったかもしれないし、おそらくカーチャとてそれ以外の何も望んでいなかったのだろうが、ミーチャが変心によって彼女を魂の奥底まで侮辱したため、魂がもはや赦そうとしなかったのだ。復讐の瞬間が思いがけなく舞いこみ、傷ついた女性の胸に永年にわたって痛苦とともに積りつもっていたすべてが、これまた思いがけなく、一挙にどっとほとばしりでたのだった。彼女はミーチャを裏切ったが、同時に自分をも裏切ったのである! そして当然のことながら、胸の内をすっかり吐きだしてしまったとたん、緊張が断ち切れ、羞恥が彼女を圧倒した。ふたたびヒステリーが起り、彼女は嗚咽し、叫びながら、崩折れた。彼女は連れだされた。彼女が運びだされて行くまさにその瞬間、グルーシェニカが泣き叫びながら、自席からミーチャの方に突進し、制止する暇もなかった。
「ミーチャ!」彼女は叫びたてた。「あの毒蛇があなたを破滅させたのよ! ついにあの女が正体を現わしたのよ!」憎悪に身をふるわせながら、彼女は法廷に向って叫んだ。裁判長の合図で、彼女はとり押えられ、法廷から連れだされそうになった。彼女はひるまず、あばれまわって、必死にミーチャの方に戻ろうとした。ミーチャも叫びだし、これまた彼女の方に突進しようとした。二人は押えつけられた。
 そう、傍聴席の婦人たちはすっかり満足したと思う。内容豊富な見世物だったからだ。

ふつう人生では両極端の中間に真実を求めねばならないのが常でありますが、この場合は文字とおり違います。何より確かなことは、最初の場合に彼が心底から高潔だったのであり、第二の場合には同じように心底から卑劣だったということであります。これはなぜか? ほかでもありません、彼が広大なカラマーゾフ的天性の持主だからであり――わたしの言いたいのは、まさにこの点なのですが、ありとあらゆる矛盾を併呑して、頭上にひろがる高邁な理想の深淵と、眼下にひらけるきわめて低劣な悪臭ふんぶんたる堕落の深淵とを、両方いっぺんに見つめることができるからであります。ここで、カラマーゾフ家の家族全員を間近で深く見つめてこられた若き観察者、ラキーチン氏が、先ほど述べられたあの卓抜な思想を思い起こしていただきたいのです。『あの放埓な奔放な気質にとっては、堕落の低劣さの感覚と、気高い高潔さの感覚とが、ともに同じくらい必要なのである』――まさにこれは真実であります。こうした気質にとっては、この不自然な混合が絶え間なく常に必要とされるのです。二つの深淵です、みなさん、二つの深淵を同時に見ること、これがなければ彼は不幸であり、満足できず、彼の存在は不十分なものとなるのです。彼は広大です、母なるロシアと同じように広大であり、すべてを収容し、すべてと仲よくやってゆけるのであります!

計画性と十分な検討は、疑う余地もなく、犯行は強盗を目的として行われたにちがいないのです。これははっきり言明され、こうして文字になり署名までしてあるのです。被告は自分の署名を否認しておりません。なかには、これは酔払って書いたものだ、と言う人もいるでしょう。しかし、それは何一つ軽減するものではなく、むしろいっそう重要な点であります。なぜなら、被告はしらふのときに考えたことを、酔って書いたのだからです。しらふのときに思いついていなければ、酔ってから書くはずもないでしょう。

わたしは、三つの要素に完全に圧倒されて文句なく奴隷のように屈従した、犯罪者のそのときの精神状態を想像できるのです。その要素とは第一に、酩酊、ばか騒ぎと喧騒、踊り狂う足音、甲高い歌声、それに彼女――酒に頰を染め、うたい踊りながら、酔いしれて、笑いを送ってよこす彼女なのです! 第二に、宿命的な結末はまだ先のことだ、少なくとも間近なことではない、みなが乗りこんできて俺を捕まえるのはせいぜい明日の朝だという、心をはげましてくれる遠い空想。とすると、あと数時間ある、それだけあれば十分だ、あり余るほどだ! その数時間のうちに大いに知恵をしぼればいい。わたしは、犯罪者が死刑の絞首台に曳かれて行くときに似た気持が、彼にあったと想像します。まだ長い長い通りを馬車で運ばれ、それから徒歩で何千という群集のわきを通り、そのあと別の通りに曲り、その通りのはずれにやっと恐ろしい広場があるのだ! 囚人馬車にのせられた死刑囚は行列のはじめにはきっと、自分の行手にまだ無限の人生があると感ずるにちがいないと、わたしには思われます。しかし、家々が過ぎ去ってゆき、絞首台がどんどん近づいてくる。ああ、まだ大丈夫だ、次の通りの曲り角までは、まだ遠い。死刑囚は相変らず元気に左右を眺め、自分に視線を釘付けにしている数千の、冷淡な物見高い群集を見まわす。彼はいまだに、自分も彼らと同じような人間であるという気がしているのです。しかし、もう次の通りへの曲り角にくる、ああ! なんでもない、まだ大丈夫だ、まだこの通りがそっくり残されている。そして、どれだけ多くの家々が過ぎ去っていっても、彼は『まだ家並みがたくさん残っているさ』と考えつづけるのです。いよいよ最後になるまで、広場につくまで、そんな気持でいるのです。あのときのカラマーゾフも、これと同じ気持だったと、わたしは想像いたします。

もちろん、才能あふれる検事の論告に、われわれは被告の性格や行為の厳密な分析と、事件に対する厳正な批判的態度をききとりましたし、何よりも、われわれに事件の本質を説明してくださるために深い心理分析が示されました。あの深層心理の洞察は、被告個人に対して多少なりとも意図的な悪意ある偏見をいだいている場合には、決して生れえなかったにちがいありません。しかし、このような場合、事件に対するきわめて悪意と偏見にみちた態度より、いっそう始末がわるく、いっそう致命的なものがあります。ほかでもありませんが、たとえば、ある種のいわば芸術的な遊びの精神、芸術創作欲というか小説創作欲にわれわれが捉えられたような場合がそれで、特に神がわれわれの才能に恵んでくれた心理分析の天分が豊かである場合には、なおさらのことです。まだペテルブルグにいて、当地に参る支度をしているころから、わたしは警告されておりましたし、それに警告されるまでもなくわたし自身、当地で出会う論敵が深遠で緻密な心理学者であり、まだ歴史の浅いわが司法界に、もう久しくその特質によってある種の特別な名声を馳せておられることは、承知しておりました。しかし、みなさん、心理学というのは深遠なものでこそありますが、やはり両刃の刀に似たところがあるのです(傍聴席に笑声)。

陪審員のみなさん、わたしは今、心理学からはどのような結論でも引きだせることを、わかりやすく示すために、わざと自分も心理学を用いてみました。問題は、だれがどうそれを用いるかにあるのです。心理学はきわめてまじめな人たちにさえ、創作欲をかきたてるものであり、しかもそれがまったく無意識のうちになのです。陪審員のみなさん、わたしの申すのは、必要以上の心理分析と、そのある種の悪用のことであります

そして何よりも、何よりもわたしを困惑させ、憤らせるものは、容疑内容として山のように被告に押しつけられた数多くの事実のうち、多少なりとも正確で反駁しえぬものがただの一つとしてないのに、もっぱらそれらの事実の総和によってのみ、不幸な被告が破滅しようとしているという思いにほかなりません。

『わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは、羊のために命を捨てる。されば羊一匹、滅びることはない……』(訳注 ヨハネによる福音書第十章)

『あなたがたの量るそのはかりで、自分も量られるだろう』(訳注 マタイによる福音書第七章)

父とよぶに値せぬ父親の姿は、特に自分と同年輩の他の子供たちの立派な父親とくらべた場合、思わず青年にやりきれぬ疑問を吹きこむのです。その疑問に対して、彼は紋切り型の返事をされる。『あの人はお前を生んだのだ、お前はあの人の血肉なのだ、だから愛さなければいけない』青年は思わず考えこむでしょう。『だって親父は俺を作りにかかったとき、俺を愛していただろうか』ますますいぶかしく思いながら、青年はたずねるのです。『はたして俺を作ろうと思って作ったんだろうか? その瞬間、ことによると酒で情欲を燃え立たせたかもしれぬその瞬間には、俺のことも、俺の性別も知らなかったくせに。だから、俺に譲り伝えたのは飲酒癖くらいしかありゃしない、それが親父の恩恵のすべてなんだ……親父が俺を作っただけで、そのあとずっと愛してもくれなかったのに、なぜ俺が愛さなけりゃいけないんだろう?』ああ、ことによると、あなた方にはこんな質問はぶしつけな、残酷なものに思えるかもしれません。しかし若い頭脳にむりな節制を求めてはならないのです。『本性を戸口から追いだせば、窓からとびこんでくる』(訳注 カラムジンの評論『二つの性格』の中の二行詩)と言うではありませんか。

「ジュピターよ、君は怒った、してみると正しくないのだ」(訳注 ギリシャの諷刺作家ルキアヌスの台詞のパロディ)

「陪審員のみなさん、このうえ何を言うことがありましょう! 裁きが訪れたのです。僕は神の御手がこの身に置かれたのを感じます。放埒な人間に終りがきたのです! でも、神に懺悔するのと同じように、あなた方に申しあげます。『父の血に関しては、僕は無実です!』と。最後にもう一度くりかえします。『僕が殺したんじゃありません!』僕は放埒ではありましたが、善を愛していました。一瞬一瞬、更生しようと切望しながら、野獣にひとしい生き方をしてきたのです。検事さんにはお礼を言います。検事さんは僕に関して、自分でも知らずにいたことをいろいろと言ってくださいました。でも、僕が殺したというのは間違いです。あれは検事さんの思い違いです! 弁護人にもお礼を言います。弁論をききながら、僕は泣きました。しかし、僕が殺したというのは間違いです。仮定する必要もなかったのです! それから医師たちの言葉を信じないでください、僕は完全に正気です、心が苦しいだけです。もし慈悲をかけて釈放してくださるなら、僕はあなた方のために祈ります。もっと立派な人間になります、約束します。神に対して誓います。でも、たとえ有罪になさっても、僕は頭上で剣を折り、折った破片に接物します! でも、寛大な処置をおねがいします、僕から神を奪わないでください。僕は自分の気性を知っています。きっと不平を言うことでしょう! 心がせつないのです。陪審員のみなさん……どうか寛大な処置を!」

婦人たちはヒステリックなもどかしさに捉えられていただけで、心は平静だった。『無罪にきまっている』からだ。彼女たちはみな、法廷全体が熱狂に包まれる効果的な瞬間にそなえて心の準備をしていた。

「これで二十年は鉱山の匂いを嗅ぐことになるな(訳注 尊属殺人は刑法では無期懲役だが、ドミートリイのモデルになったイリインスキイは懲役二十年だった)」

 その言葉にはすでに何か憎しみと、汚らわしげな軽蔑の感情がひびいていた。が、実際には、その彼女が彼を裏切ったのだった。『たぶん兄に対してすまないと感じていればこそ、ときおり憎くなるのだろう』アリョーシャはひそかに思った。

いいですか、懲役二十年の流刑囚がまだ幸福になるつもりでいるんですよ、これが哀れじゃありませんか?

彼は、ミーチャのような人間にとって、いきなり人殺しや詐欺師の仲間入りするのがどれほどつらいか、それにはまず慣れる必要があることを、理解していたのである。

「ところがね、カーチャはイワン兄さんの容態が心配でならないくせに、全快することはほとんど疑ってもいないんですよ」アリョーシャが言った。
「それはつまり、死ぬと思いこんでるってことさ。恐ろしいから、全快すると信じているまでの話だよ」

俺は今からもうアメリカを憎んでいるよ! たとえあっちの連中が一人残らず、すぐれた技師か何かだとしたって、そんなやつらはくそ食らえだ。しょせん俺の仲間じゃないし、俺とは違う魂の持主なんだ! 俺はロシアを愛している、アレクセイ、俺自身はこんな卑劣漢でも、俺はロシアの神を愛しているんだ!

「だから、俺はこういうことに決めたよ、アレクセイ、きいてくれ!」興奮を抑えて、彼はまた話しだした。「グルーシャと向うへ渡ったら、すぐにどこか、なるべく奥の、人里離れたところで、野生の熊を相手に畑仕事をして、働くんだ。向うにだって、どこか離れた奥の場所くらいあるだろうからな! なんでも、まだどこか、地平のはずれあたりに、インディアンがいるそうだから、その辺に行って、最後のモヒカン族の仲間入りするさ。そして俺もグルーシャも、すぐに文法の勉強にとりかかる。労働と文法、三年ばかりはそうするよ。その三年間で、どんなイギリス人にもひけをとらぬくらい、英語をマスターするんだ。すっかり身についたとたん、アメリカにはおさらばさ! アメリカ市民として、ここへ、ロシアへ帰ってくるよ。心配するな、この町へなんぞ現われないから。どこか北でも南でも、なるべく遠いところに身をひそめるつもりだ。そのころまでには、俺だって面変りしてるだろうし、彼女だってそうさ。アメリカにいる間に、俺は医者にいぼか何かを作ってもらうよ、やつらだって伊達に技術者じゃないんだからな。もしだめなら、自分で片目をつぶして、六、七十センチもある真っ白い顎ひげを生やすさ(ロシア恋しさに白髪になるだろうからな)、そうすりゃきっと見破られまい。ばれたら、流刑にするがいいさ、どうせ同じことだ、つまりそうなる運命じゃないってことだからな! こっちへ帰ってからは、どこか奥深い田舎で大地を耕して、一生アメリカ人に化けとおすつもりだよ。その代り、祖国の大地の上で死ねるんだものな。これが俺の計画だよ。これは絶対に変らない。賛成してくれるかい?」

「あなたを愛していたのは、あなたが心の寛大な人だからよ!」突然カーチャがロ走った。「それにあなたにはあたしの赦しなぞ必要ないわ、あたしのほうこそ赦していただかなければ。赦してくださろうとくださるまいと、どうせこれから一生、あなたはあたしの心に傷痕として残るでしょうし、あたしはあなたの胸に残るんですもの。それでいいんだわ……」彼女は息を継ぐために言葉を切った。
「あたしが来たのは何のためだと思って?」彼女はまたせわしげに、狂おしく言いはじめた。「あなたの足を抱き、あなたの手を握りしめるためなのよ。こんなふうに痛いほど。おぼえているでしょう、モスクワにいたころこんなふうに握りしめたものだったわ。それからふたたび、あなたはあたしの神だ、あたしの喜びだ、あたしは気も狂うほどあなたを愛している、と言うために来たのよ」苦しみに呻くかのように彼女は言うと、いきなり彼の手にむさぼるように唇を押しあてた。その目から涙がほとばしった。
 アリョーシャはどぎまぎして、言葉もなく立ちつくしていた。こんな光景はまったく予期していなかったのだ。
「愛は終ったわ、ミーチャ!」ふたたびカーチャがしゃべりだした。「でも、あたしには、過ぎてしまったものが、痛いくらい大切なの。これだけは永久におぼえていてね。でも今、ほんの一瞬だけ、そうなったかもしれぬことを訪れさせましょうよ」また嬉しそうに彼の目を見つめながら、ゆがんだ微笑をうかべて彼女は甘たるく言った。
「今ではあなたもほかの人を愛しているし、あたしも別の人を愛しているけれど、でもやはり、あたしは永久にあなたを愛しつづけるわ、あなたもそうよ。それを知っていらした? ねえ、あたしを愛して、一生愛してね!」何かほとんど脅しに近いふるえを声にひびかせながら、彼女は叫んだ。
「愛すとも……あのね、カーチャ」一言ごとに息を継ぎながら、ミーチャも口を開いた。「知っているかい、五日前のあの晩だって、僕は君を愛していた……君が倒れて担ぎだされたあのとき……一生愛すとも! そうなるさ、永久にそうなるとも……」
 こんなふうにどちらも、ほとんど意味のない、狂おしい、ことによると嘘かもしれぬ言葉を互いにささやき合っていたが、この瞬間にはすべてが真実であったし、彼ら自身がいちずに自分の言葉を信じていた。
「カーチャ」突然ミーチャが叫んだ。「君は僕が殺したと信じているの? 今は信じていないことはわかるけど、あのときは……証言をしたときには……ほんとに信じていたのかい?」
「あのときだって信じていなかったわ! 一度も信じたことなんかなくってよ! あなたが憎くなって、ふいに自分にそう信じこませたの、あの一瞬だけ……証言していたときには、むりにそう思いこんで、信じていたけれど……証言を終ったら、とたんにまた信じられなくなったわ。それだけは知っておいて。あたし忘れていたわ、自分を罰するために来たのに!」つい今しがたまでの愛のささやきとはおよそ似通ったところのない、なにやら突然まるきり新しい表情になって、彼女は言った。
「君もつらいよな、女だもの!」だしぬけに、なにかまったく抑えきれぬように、ミーチャの口からこんな言葉がほとばしりでた。
「もう帰らせて」彼女はささやいた。「また来るわね、今はつらいの!」

いいですか、これからの人生にとって、何かすばらしい思い出、それも特に子供のころ、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。君たちは教育に関していろいろ話してもらうでしょうが、少年時代から大切に保たれた、何かそういう美しい神聖な思い出こそ、おそらく、最良の教育にほかならないのです。そういう思い出をたくさん集めて人生を作りあげるなら、その人はその後一生、救われるでしょう。そして、たった一つしかすばらしい思い出が心に残らなかったとしても、それがいつの日か僕たちの救いに役立ちうるのです。もしかすると、僕たちはわるい人間になるかもしれないし、わるい行いの前で踏みとどまることができないかもしれません。人間の涙を嘲笑うかもしれないし、ことによると、さっきコーリャが叫んだみたいに『僕はすべての人々のために苦しみたい』と言う人たちを、意地わるく嘲笑うようになるかもしれない。そんなことにはならないと思うけど、どんなに僕たちがわるい人間になっても、やはり、こうしてイリューシャを葬ったことや、最後の日々に僕たちが彼を愛したことや、今この石のそばでこうしていっしょに仲よく話したことなどを思いだすなら、仮に僕たちがそんな人間になっていたとしても、その中でいちばん冷酷な、いちばん嘲笑的な人間でさえ、やはり、この瞬間に自分がどんなに善良で立派だったかを、心の内で笑ったりできないはずです! そればかりではなく、もしかすると、まさにその一つの思い出が大きな悪から彼を引きとめてくれ、彼は思い直して、『そうだ、僕はあのころ、善良で、大胆で、正直だった』と言うかもしれません。内心ひそかに苦笑するとしても、それはかまわない。人間はしばしば善良な立派なものを笑うことがあるからです。それは軽薄さが原因にすぎないのです。でも、みなさん、保証してもいいけれど、その人は苦笑したとたん、すぐに心の中でこう言うはずです。『いや、苦笑なぞして、いけないことをした。なぜって、こういうものを笑ってはいけないからだ』と」

「いつまでもこうやって、一生、手をつないで行きましょう! カラマーゾフ万歳!」もう一度コーリャが感激して絶叫し、少年たち全員が、もう一度その叫びに和した。

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