このひりひり感をどこかに残しておきたい。 これが誰かに読まれなくとも私だけがどこか何年後かにもう一度読むために。 もう無理だと思うことなんて今まで何度も経験してきた。 でも本当に無理だなと思えば無理になるし可能だと思えば可能なんだ。 だからやるべきことをやって結果が出るまで辛抱強く待つしかない。 そんなに簡単に結果は出ない。 満足せずその先に目標やゴールを見出せる人に結果はついてくるのではなかろうか。 だから私は無理じゃないし全力でやり通すことに意義がある。 いけるという自
似たもの同士が出会った。運のツキか。出会ってしまった。根本の弱さはにているが向かう方向は少し違う。見栄やプライドが高いわりに優しさが仇となり生きづらくなった人間と見栄やプライドを捨てすぎてどうなりたいか分からなくなった人間。だんだんお互いを知っていくうちに見えてきた本性。こうやってお互いの違いを見つけ諦め自然と離れていくんだろうな。ああ、あんな奴いたよなアイツいまなにしてるかなって数年後・数十年後ふと考えるんだろうな。
もっとこうできたんじゃないかとか色々考えることあるけど、私なりに全力を尽くしてやってきたからここまでこれたのだよ。
一人暮らしをしてから自分と闘う場面が増えた。(就活中というのもあるが…) 久しぶりに実家に長く戻って自分を取り戻しつつある。これは何の違いなのだろうか。なんというのか一人だと本当に闇に飲み込まれそうになるというか。一人暮らしをするべきではなかったのだろうか。私はそうは思えない。これを知らなかったら本当に一人になることに恐怖を覚えるのはまた数年後だったと思う。私はこれを早く経験したことによって多分早いうちに家庭をもつことに行動を起こすと思う。 分かるよ誰一人強い人はいないことを
また新しいノートを手に取ろうとした。 振り返ると私はいつも新しいノートに感じたことを書きたくなる。 だから家にはノートがたくさんある。 そうやって新しいノートというものを利用してノートの2枚目、3枚目を使わないという。 そろそろ色々なノートの2枚目、3枚目を書くようなことをしたい。 野村訓一の言葉を聞いてふと感じるもの。 自分の良いものを他の人にも押し付けない。自分が良いと思ったものは自分の中だけでとどめておこう。
・やりたいこともうある程度頑張って着いた仕事をやり始めたらできなくなるよ。やりたいこととは?後悔してないかい ・最近やること多くてあれこれ中途半端な気がする。ぜったいやることと優先順位 ・マンネリ化よくない ・接客千人千色 ・周りのことを考える? インスピレーションが湧いたのかな 自分の考えに自信をもとうと思うようになった 自分で結論を出してそれが正しいか自分の目で確かめようという覚悟 私は今覚悟をもってる 結論を先延ばしにせずこの恋に決着を付けようとしてる 恋は相手の気
一人旅という名目で沖縄に来た。イヤホンを無くしてほんと最近自分不注意だなって感じた。気をつけなければ。調子こいて音楽なんか聞いてる場合じゃないのかもしれない。 あと感じるのはやっぱ仕事を本気でやってる人ってかっこいいよなあって。一流は違うなあって。そんな人たちと働きたいなあって。
ピンチの状況になると「なるようになる」って言われがちだけど、なんかその言葉を聞くと今までは諦めて良いみたいな解釈だった。諦めて良いというかもう手の施しようがないなあみたいな。でも実際は違う気がする。なるようになるってのはその人の性格とか頑張っても成果がでないどうしようもないところがあって、それらがうまく着地するということだと思う。だから精一杯頑張ることはしなきゃいけなくてそれでも無理だったら無理で、それが無理ということが自分の経験値になり自分の得意不得意が分かるようになる。そ
ある人と話してこんな時間は久しぶりだなと感じた。今だけは明日のことを考えずにいたい。私は母を反面教師にとか思ってたけどそんなのはただの若気の至りだということに気が付いた。私は素直になれる場所じゃないと生きづらい。素直になれないと自分が自分でなくなっちゃう。そんな日々が一人暮らしを始めて続いてしまって今自分にいっぱいいっぱいなんだと思う。でも全力で前に進もうとするしかなくて(たとえそれが全く前に進んでなかったとしても)そんなことは薄々気づいていたから、今日はこの1年頑張った自分
チョー久しぶり。 1人暮らしを始めて自分が選択したことが自分を苦しめていることを実感する。でもこれは大きな気づき。なぜなら今までの自分は成り行きというものを過信していたから。なんとなくなるようになるだろうし決まっていることはあるだろうと。たしかに今でもその考えはあるが、それ以上に自分に起こっていることってそれまでの自分が選択した結果なんだと強く思う。 進学先とか環境の選択はもちろんなんだけど、特に人間関係にも当てはまる。だからふとした時に今まで友達だった人が離れていく。これは
私の人生のテーマはおそらく“愛”である。 どんな形でも自分の目の前にいる人を愛せているか、自分に確認したい。 なぜこう考えるようになったかは今まで周りの人達にたくさん素敵な愛を注いでもらったから。家族、バイト先、友人のみなさんいつもありがとう。 そしてそのたくさんの愛が集まって私という人間が構成され、今ではそこで生まれた小さな愛を分け与えたいという人がいる。なんていう奇跡だろう。 これは偶然でもなんでもない。 今まで結構自分の暗闇の中を生きてきた。心のどこかで明かりを追い求め
私ははやく人生経験を重ねたくて一人暮らしを始めた。まるであまり現実的ではなかったところから貯金をして不動産屋を周り一人暮らしを始めるまでに至った。目標があれば頑張れるし、若いうちの目標なんてその程度だと高をくくってしまっているからとりあえず追える物があればいい。でも追っているうちに何になりたいんだろうとか、何やっているんだろうこれからどういう人生を歩もうとか未知の領域を考えている自分がいる。 1人暮らしにバイト、大学や友達、恋愛。やることは多い。 一つ明確に一人暮らしをして
彼と出会って思ったのは強くなくていいということ。 私は人前で弱くいられない。強くいなきゃそう自分を保ってきたし、いろいろな出来事によって強くなってきたのも事実だ。 前に好きだった人も自分の弱さを完全にさらけ出すことはできなかった。 でもそんな私がなにか変わってることに気づかせてくれたのは今の彼だ。 彼ならば私は弱くいてもいい。強い女性にならなければという使命を果たさなくてもいいのかもしれないと。 誰も見ていなくていい。この文章を。 ただ自分の口からこういう言葉が出ること自体自
今昨日書いたよく分からない壁についてだが、正体を見つけたかもしれない。 「時間をコントロールしようと思うと、時間のなさにいっそうストレスを感じる」という言葉でハッと我に返った。 恋愛で考えたんだけど、早く進展させなければと思えば思うほど会えない日々に悶々とするようになるし焦りが強くなる。でもふと思った。その制約は誰が決めたんだ?はたして早く進展させなければならない状況なのか。巷の恋愛本や友達の話にはそういうアドバイスがあるかもしれない。 だけどそれは本当にそうなのか? 自分の
親がコロナになった。 それと同時に自分が嫌いになった。 コロナである親に優しくできないし、なんで家にいるのとさえ感じるから。そんな自分が嫌いになった。久しぶりにとんでもなく世界から突き放され孤独を感じている。 そもそも孤独は嫌な方ではない。自分と向き合うことができる良い時間だと思う。だけど今回は違う。自分を黒色のベールで覆う。 自分の中にもやもやがある時原因を考え冷静に行動できるのがいつもの自分なのに今回はそうなれない。なんでなんだろう。 どうすればいいか分からない。 この世
私はどの季節が一番好き?と聞かれると迷いなく夏と答える。 そこを深く考えたことはなかったけどなんで夏なのだろう。 一つ目に思い浮かぶのは夏休みの感覚があるから。 夏休みの外は暑いのに、冷房の効いた部屋の中にいられる時間。素晴らしい。夏休みじゃなければ否応でも外に出て通学、通勤しなければいけないでしょう? あと夏休みの感覚というとケセランパサラン。 これ、私小学校の自由研究の課題にもしたのだけれど、タンポポの綿毛の大きいバージョンみたいなもの。 これが自分のところに飛んでくる