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応用行動分析学によるインクルーシブ教育の有意義な展望と現況の学校現場に於ける課題

行動分析家は「障害名をつけることを避けて、それぞれの子どもについて、行動とそれが起きた状況(環境)を綿密に記録することを心がける」

※引用:野菜さらださんnote https://note.com/yasaisalad/n/nc4fcd37f0cc1

■第3回 テーマ「オレゴンから愛をこめて?!~応用行動分析学のメッカの地から~」3月15日(火)正午~13時(34)

ゲスト:庭山和貴先生(大阪教育大学) 

 現在、米国オレゴン大学に在外研究でいらしています。オレゴン大学は応用行動分析学のメッカのところで、最新情報などをお伺いします!

参考HP:米国オレゴン大学/ポジティブ行動支援)

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 ということで、昨今応用行動分析学の立場から、教育分野に対するポジティブ行動支援、のひとつとして「学校教育のQOLをあげるために提案できるインクルーシブ教育」というのがあるようです。 

これは、大変興味深いことです。 というのも、この先私が取り組みことになるであろう 児童養護施設運営(里親支援)にも、少なくとも間接的にかかわってくる事柄でもあり、また日ごろから 行動分析というものを、心理学をある種包摂する実践的学問領域として捉えている、ということもあります。 

その際、推察的な関心が行く事象の一つは、 たとえば ある子どもさんが(日本の昨今の教育現場の状況のままでインクリューシブ教育が行われた場合に起きうる事象としてありがちと思われますが)面倒見の良いやさしい児童であった場合、 発達障がい児のケアを集中的に任され、自分自身が鬱症状を呈してきてしまう、などの現象です。

 日本の教育現場独特の、教師の置かれた状況(現況では、書類の作成など雑務を増やされていて、教育そのものに立ち会えない不自由さがある)と、親御さんの労働環境(子育てに十分な時間が取れないほどの就労時間で不自由さを抱えている)の問題が相まって、結局教室内の生徒同士の関係に じかにしわ寄せが行ってしまいがちになる、という現象が生じやすいのではないか ということです。 

これは私の推測ですが、じつは私自身、昔を振り返ってみると、面倒見の良い学生として、授業に遅れがちな同級生の面倒をずいぶん見てきた実際的経緯があり、そういう同級生たちはおおむね両親が忙しく かぎっ子 である場合が多く、他方先生たちはというと(この当時は、雑務に追われているという昨今の教師の境遇とはまた少し違う点ですが)授業そのものよりストライキに熱心であった、というところから、教室という現場では生徒同士が 教え-教えられる・面倒を見る-見られる、の関係が相互的ではなくてかなり一方的になりがちだった、というのがありました。 そのため、忙しさの意味はいくらか当時と変わっている面もありますが ”起こりうる状況” は、比較的容易に理解できます。 

日本、日本の地域社会、また日本の教育現場、というのを考えるとき、相互の労働環境・労働条件を整えようとする努力とともに、(このこととも十分重なりますが)<共同体のコモンセンス>を形成しよう、という意識を、教師・親・子供(とそれを守る構造):総じて国民全体が、ともに上げていく、という必須課題と自覚が、この「インクルーシブ」の取り組みと一つになること、がこうした問題の解決の一助となる気がしています。 


また、もう一つの提案ですが、理想郷としてのインクルーシブ教育実践の手前、十分な環境が整うまでの当面の暫定措置となるかもしれませんが、

発達障がい児自身にも、自分が非-発達障がい児とともに同じ教室で学習するか、発達障がい児同士だけの教室で学ぶかを選択する自己決定権を、与えて選んでいただく という方法もありなのではないかと思う次第です。

ほぼフェイスブックから転記(2022.03.15)

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参考: 行動分析学研究(米国オレゴン大学):大久保賢一氏https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjba/34/2/34_162/_article/-char/ja/ 

参考:行動分析学:野菜さらださん 



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