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すきなひとの腕の中で眠ること

「嫁はもう家族やからな・・・女としては見られへん」
風俗店で働いていた頃に、耳にタコができるほど聞いたセリフだ。
「やから俺は風俗来てんねん、素人いかんくて偉いやろ?」
「ほんとに偉いと思う!今日はいーっぱいエッチなことしようね!」

風俗嬢は学びの多い職業だった。当時大学生だったあたしは「結婚しても別寝にしたほうが良い」と感じ、夫と寝室を分けている。

一緒に住み始めて1ヶ月半、平日はお互いの部屋で寝て、週末だけは夫の部屋で一緒に寝ていた。たまにあたしの部屋で一緒に寝たりもしていたが、夫のベッドにはスマホスタンドが取り付けられており、二人で動画を見るのに適していたので、そっちで寝ることが多かった。というのは言い訳で、夫が自室のベッドに転がるのをあたしが追いかけて潜り込むパターンがほとんどであった。
夫はお気に入りのタオルケットで目元を隠し、上を向いて眠る。あたしは彼を抱きしめたり、右を向いて寝る癖を直せず、彼に背中を向けたりして眠っていた。
平日は眠る前に彼の部屋に行き、3秒ほど彼を抱きしめてから自室に帰るのがあたしのルーティンになっていた。

だが今週は違った。月曜日の夜から木曜日の朝まで一緒に寝ている。
その月曜日は寝る前に彼のベッドでで30分ほど動画を見ていた。11時半を回ったあたりで、いつものように自室に帰ろうとしたところ「まだおりぃや」と彼に抱きしめられた。胸の中でクラッカーが弾け、ハート型のスパンコールが舞う。あたしはそれらが溢れ落ちないようにサッとかき集めてから抱きしめて、あたたかいその場所で眠りに落ちた。

火曜日も「今日一緒に寝るん?」、水曜日も「一緒に寝ぇへんの?」と彼は一緒に寝ようとしてきた。あたしはチョロい。大喜びで彼の布団に潜り込んだ。彼は長くてきれいな腕で、あたしを抱きしめる。通気性の良い彼の部屋着に顔を埋めた。大好きな彼のにおいは、一緒に住んでから以前より弱くなっていた。こうやって人はセックスレスになるのかもしれないと思ったりもした。

火曜日の夜と水曜日の夜を越えた、水曜日と木曜日の朝、日当たりのよすぎる彼の部屋の温度と、近所の家の赤ちゃんの泣き声で、あたし達は寝ているとも起きているとも言えない状態になっていた。
目覚まし時計が鳴るまであと20分、彼がぐわっとあたしを抱きしめた。いきなりの事で驚く。抱き枕を抱くようにぎゅうぎゅうとされ、彼の胸に顔が押し付けられる。あたしの太ももに彼の太ももが巻き付き、心地よい重みを感じる。あたしも彼の柔らかい体に腕を回し、ぎゅうっと彼を抱きしめて、半分だけ寝て、半分は彼を味わっていた。

ここは彼に愛されなければ到達できない特別な場所だ。

好きでもない女の子を抱きしめたりする男もたくさん見てきた。恋愛と酒の失敗談は人より多いほうだ。
そんなあたしの人生で、彼は特別だった。
人を信じるのは、男を信じるのは、難しい。騙されて傷つくのが怖い。だから信じたいときは、信じるのをぐっと堪えて裏切られても良いと思うようにしていた。信じたりはしないようにしてきた。でも彼のことだけは信じている。
男はみんなこうだとか、ああだとか、勝手に言えばいい。あたしは「彼は違う」と言い切れる。傷つくことなんてないと思っている。

生えかけのひげ、あごのほくろ、細くて長い指、彼の腕の中という特別席で鑑賞できるのはあたしだけだ。今夜も一緒に寝てくれるだろうか。




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