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プラン9の空飛ぶ灰皿について考える

人間いくつになっても勉強だと、昔のえらい人が言ってましたが、まったくそのとおり。
最近、本を読んでて衝撃的な事実に遭遇しました。

『プラン9・フロム・アウター・スペース』というB級SF映画があって、世に言う"クソ映画""ダメ映画"の代名詞にまでなっている映画で、監督のエド・ウッドって人は低予算の最低映画ばっか撮ってる監督として死後に逆に有名になった。

そのプラン9は、「何もないけど、とりあえずゾンビとUFOは出ますぜ旦那!」って感じの、志が低めの、ストーリーもあってなきがごとしのSF映画の成れの果て的な何かになっている。
しかも、ただエンタメ路線に走ればまだ良かった物を、後半に反核反戦のメッセージが本当に申し訳程度にちょっとでてきて、これがより志の低さを強調していると思う。

まずセットが、普通の映画に慣れている我々の常識を根底から揺さぶるほどショぼい。
墓石の(つもりらしき)セットは、あまりにも軽くて、ちょっとの振動で簡単にズレる。
宇宙人の通信機は、本当に空き箱で作った夏休みの自由研究の範疇にとどまっている。

役者陣も、決して褒められない演技の俳優や女優、元プロレスラーが揃い踏み。
特に凄いのは、やはり往年の吸血鬼俳優として知られるベラ・ルゴシ氏だ。
なんといってもこの人、映画の撮影期間中に死んだ。
出演シーンを全部撮り終わる前に亡くなってしまったので、足りないシーンがある。もちろんストーリーが繋がらない。
いくつかのシーンは、他の吸血鬼映画の素材を切り貼りして無理矢理形にすることにした。その結果、ベラ・ルゴシは別に吸血鬼の役でもないのに、吸血鬼の格好をしているおかしな老人になってしまった。
でも気にしない。さすが鬼才エドウッド。
家の中にいる時は夜なのに、次のシーンでは突然ぜんぜん違う場所でしかも昼、でも次のシーンには夜…というまったく繋がっていない編集でも気にしない。
鬼才は心が広いのかもしれない。

しかし、それでも足りないシーンがある。頭を悩ませたエドウッドは、代役を立てて足りないシーンを撮影して繋ぐことにした。
でも、当然のことだが役者の顔が違うので、シーンごとに吸血鬼の顔が変わるというおかしなことになってしまう。さすがのエドウッドも、そこまで無謀なことはしない。どうするべきか…。
その時だった!エドウッドの頭に神の啓示が閃いて、天才的な解決策が思い浮かんだ。

なら顔を隠せば良いんや!

かくして、不自然に顔を手で隠したり、後ろを向いたりしながら襲い掛かってくる吸血鬼という、意味不明のシーンが何度も登場することになった。

このように、あんまりにもなストーリー、セット、衣装、演技、編集…と、一般的な視点から見て欠点をあげればキリがない"最低映画の帝王"に恥じない要素を兼ね備えているプラン9。
しかしこの映画には、さらにもう一つ有名なエピソードがある。
これが本題、空飛ぶ灰皿だ。

そのシーンで、おそらくエドウッドは空飛ぶUFOを撮りたかったのだと推測されるが、裏返した灰皿にしか見えない物体が宙でクルクル回っている。
それを吊るしたピアノ線が、じつにハッキリと、まったく臆することなく自己主張している。あー、これは隠す気、もうぜんぜんないねー!って感じだ。
そのうえセリフでは、「葉巻型のUFOだ!」と、まったく見当違いのことを口走る始末。

この恐るべき低質な特撮シーン「空飛ぶ灰皿」は、この映画の最低っぷりを伝えるときによく使われるミーム的な有名シーンだ。
実際に検索をしてみると分かるが、「灰皿のUFOが飛び回るひどい映画」という記述が散見される。

だけどこの間、衝撃的な事実を知った。
灰皿を2つくっつけただけだと思われていたこのしょぼしょぼのUFOは、なんと実は改造されたプラモデルだったのだ!
つまり、一応ちゃんと用意されたプロップ(撮影用の小道具)だったわけだ。
灰皿じゃなかった!

これを知った時、かなり感動した。
だってわざわざ改造して用意した小道具が、あまりにもしょぼ過ぎて、灰皿だと勘違いされてきたって逆にすごくない!?
これ、本当に灰皿を使っているよりも、さらにダメダメなパターンだと思うんですよ。

この事実を知った時に、あーこの映画は今後も最低映画の帝王として君臨しつづけるんだろうなー、と思った。
冒頭で「志が低い」と書いたが、エド・ウッド自身は渾身の娯楽大作を撮っているつもりだったというのも帝王っぷりに拍車をかける。
そして案の定、2021年になっても「★1」をつけられ続けている。

※以前書いたコラムを改訂して再掲

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