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jokerとダークナイト

映画のネタバレがありますので、映画を観る予定の人は読まないでください💡



一昨日、何気なくAmazonでjokerを観た。

実は、バットマンのダークナイトを観ずに、先にジョーカーを観てしまっていた💦

でも、結果的には、この順番で良かったのかも。

ジョーカーを観た後の、何とも言えないモヤモヤ感というか、やり切れなさが残る映画だった。

しかも、思っていた以上にビックリするぐらい喧嘩も弱く、悲しい過去を体験して、世の中に絶望し、それでも必死に生きている。

生まれながらの純粋な悪は『本当に極僅か」で、それ以外は環境や人によって悪に染まって行くのかも知れない…。

そして、昨日の夕方にダークナイトを観終わった。

彼がジョーカーになる経緯を先に知っているから、彼の軌道を逸した行為がより理解できた。


アーサーがジョーカーになる経緯が、ダークナイトの話と少し食い違ってはいるし、2人の年齢から考えると色々と違うけど…、それは、まぁ娯楽🎥として、、、そこにツッコミは入れません💡
※アーサーとブルースの年齢の差でいえば、ジャックニコルソンのジョーカーなら年齢差の折り合いがつきそう。

2つの映画を観た感想🎥💡

この映画は、何が正義?で、何が悪なのか?立ち位置や置かれている視点が変わるだけで、コロコロと善と悪が入れ変わる考え深い映画でした。

『ダークナイトを観ただけ』だと、ジョーカーはイカれた悪党で終わるけど…。

映画jokerで観た『ジョーカー』は、誰よりも弱く、誰よりも幸せに飢え、誰よりも笑顔な普通の生活を望んでいた…。

幼少期に父親の度重なる虐待から、脳に障害を持ち『気持ちに反して、笑いたくなくても笑う体質』になってしまう。

そんな辛い現実から逃れる為に、極度の妄想癖に捉われ、テレビを観ても、人と会っていても夢(妄想)か現実か分からない日々を過ごす。

その後、色々な不安が重なり仕事をクビになり、その帰り道にトラブルに巻き込まれ3人を射殺。

この事件が引き金で、市に不満がある市民たちの暴動が激しくなる。

そして、アーサーは自分の父親かも知れない市長のトーマス・ウェインに会いに行く、その屋敷でブルースと出会う。

仮にアーサーの父親がトーマス・ウェインなら、ブルースと異父兄弟である。 

もし、その仮説が違っていても、ジョーカーになる前のアーサーとバッドマンになる前のブルースが初めて会うシーンが何とも言えないシーンだった。

最後に、アーサーが逮捕された時に暴動となり、護送されるアーサーが暴徒に救われ、ジョーカーとして生まれ変わる。

そして、その暴動に巻き込まれて両親を失ったブルース。この時にバッドマンのコアが生まれた。

同じ時代に出会い、お互いが新しい自分に生まれ変わる瞬間のラストは、正に光と闇が同時に生まれた瞬間でした。

富裕層から生まれたバッドマン

貧困層から生まれたジョーカー



また、ダークナイトでは、正義感の強い人が悪になり、起爆装置を海に投げ捨てた囚人には正義感が残っていた。そんなシーンがありました。

なんだか陰陽の関係と一緒だよね。。。


どんなに善人な人間でも悪に染まる可能性はあり、どんな悪人でも善人の心を取り戻せる可能性もある。


貧困や生活弱者が悪いのではなくて、道徳や倫理観を学ぶ機会がない環境、そして人として公平に扱われない社会システムが問題なのかも知れない。


ジョーカーは、現代の社会の問題を鋭く突き刺すような作品だと思った。
精神的障害、肉体的障害を持つ圧倒的な弱者の置かれている立場、貧困で生きる為に仕方なく悪事を働く人々、そこの『勝ち組』の世界をぶち壊す悪のリーダーが出現。

これって、リアルに戦争や腐敗政治、カルト教で起きている問題。

映画を通して、現在の闇を指摘しているように感じた。


実は、ジョーカーを観終えてから体に異変が起きました。

実際に、高校時代に文武両道で、プロ野球のスカウト陣に注目されていた叔父が肩を壊し、プロの夢を絶たれてしまい、その後は転落人生になりました。←叔父から直接に聞かされたので真意は分からず。。。


その叔父に、幼少期から心理的にも肉体的にも虐待を受けていたので、闇に落ちた人間を身近で接してきた。

そして、多動症や繊細な性格のせいで、幼少期から普通の大人に慣れないと感じていて、学生時代に社会のレールには乗れないと自覚していた。

なので、アーサーの日記に書かれた文字に、心を取り乱した。


心の病を持つ者にとって最悪なのは世間の目だ!

こう訴えてくる。

心の病などない・・・

普通の人のように してろと 


だから、アーサーの感情が爆発して、とんでもない行動をした気持ちも何となくわかる。  その後、自分の過ちに葛藤した気持ちも分かる。


もし、その時に悩みや葛藤を話せる友人がいたら、
もし、その時に手を差し伸べる人がいたら、
彼は、ジョーカーにならなかったかも知れないし、
でも、やっぱりジョーカーになっていたのかも知れない。
それは、誰にも分からない。 


そして、ダークナイトのジョーカーは自分の行いの結果を大衆に委ねた。
世の中に恨みがあるものは、ジョーカーに熱狂し、平和と安定を求めていた市民は、ジョーカーの恐怖からバットマンを憎んだ。

そこには、『正義』と『悪』という明確なスタンスはなく、自分の安全さえ良ければ、どちらでも良いという『ことなかれ主義』が蔓延していた。


あれ、これって『今の現実』を揶揄してる?🤣


結局、悪を育てるのも市民のエゴからだし、正義を殺すのも市民のエゴから。


あれ???  1番怖いのは、、、
結局は、何もしない『普通の一般市民』じゃん!!!


色々な意味で2つの作品は良い映画でした。


おわり🦇🦇🦇

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