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旅の本をつくろうとしたら、旅へ行けない世界がきたから

初めての本が、12/15に発売される。

ダイヤモンド社より、『0メートルの旅』というタイトルだ。予約受付中。

興奮しています。

学生時代から、15年間旅を続けてきた。海外は約70ヵ国、国内は全都道府県。なにかに取り憑かれるように、遠くへ、近くへ、移動し続けた。

初めての旅行記は、初めての一人旅。巨大なバックパックを抱えて、モロッコに降り立った夜のこと。A4の大学ノートに、不安な気持ちをびっしりと埋め尽くした。

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字が汚すぎる。

そのあとはmixiやfacebookに移行して、また旅行記を書いた。旅をすると五感の過剰摂取になって、それを吐き出すように書き続ける必要があった。旅をすること、書くことはいつだってセットだった。酒に慣れない大学生がうまい吐きかたを知らないみたいに、まとまりのない文章をボロボロと吐きこぼす。それでも友人たちがいろんな感想をくれるのが嬉しくて、夢中になって筆を走らせた。
これは当時のmixiで、何日にもわたる旅行記に対してもらったコメントだ。

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最初のコメント、いま見てもちょっと腹立つな。あと全員退会してる。

転機は2年前、noteのアカウントを作ったことだ。SNSの延長線上の感覚で、友人向けに書き始めた。そしたら次第に、会ったことも無い人から感想が寄せられるようになった。投げ銭(サポート)を初めて100円もらったときはとても不思議な感覚がして、嬉しかった。でもあとから「間違えて送ってしまいました」というメッセージが届いた。言わなくていいのに。

そして去年の2月。通知が鳴り止まぬスマホの振動に、目を覚ました。Twitterトレンドには自分の名前、それから数日前に書いたイラン旅行記のタイトルが載っていた。それがきっかけとなって、複業でライター活動を始めることになる。Webメディア『オモコロ』で何の役にも立たない記事を量産して、cakesでは国内旅行の連載も持った。

そのうちありがたいことに、note社ディレクターの志村優衣さんを通じて、これまで書いた旅行記を出版しないかという提案をいただいた。本をつくることには以前から関心があった。Web記事では書けない、本だからこそ書けることがあるのでは、と考えていたからだ。

担当となった今野良介さんは、『読みたいことを、書けばいい』等のビジネス書を手掛けた敏腕編集者である。彼は最初の打ち合わせで、「ただnoteに書いたものを並べても、本にする意味がないです」とすっぱり言った。それでこの人は信頼できると思った。僕もそういう本をつくるつもりはなかった。本だからこそ、書けるものをつくりたい。こうして「旅の本をつくる旅」が始まった。

とある統計によると、海外旅行に出かける若者は年々減少している。むかしは何週間も放浪していたような友人たちも、30代にもなればめっきり行かなく、あるいは行けなくなってしまった。だけど、いくつになっても旅から得られる昂りは変わらない。それを読者に共有したい。沢木耕太郎の『深夜特急』みたいに、誰かの旅心に火をつけるような本をつくりたかった。

そうやって最初に生まれたコンセプトは、「たとえ遠くに行かなくても、旅はできる」というもの。冒険や辺境ばかりが旅ではない。旅とはもっと自由で、もっと身近に見つけられる存在のはずだ。そういう新しい旅行記を目指そうと考えた。
そしてそれを伝えるために、これまで書いた旅行記を距離の遠い順に並べることにした。遠い旅から、近い旅へ。海外旅行から、国内旅行へ。その構成によって、読み進めるうちに「近くでも、旅はできるんだ」と感じてもらいたかった。かつては旅を愛した人が、また旅を始めてくれたらいいなと思った。

しかし2020年3月。旅をとりまく状況は一変した。

海外の主要都市はロックダウンされ、むかし訪れた国境が次々と封鎖されていく。外務省の危険地域情報は15年間チェックしているけど、まさか「全世界」と表示される日が来るとは思わなかった。世界中すべての旅人が「かつては旅を愛した人」となってしまって、部屋の中にこもり、ただ繰り返すような日々が続く。

旅行記の典型的な読者層とは、その土地に行くことを検討している人だ。だからこんな時期に、旅行記を読む人なんていない。案の定、書店での旅行本棚は大幅に縮小されていった。つい先日もダイヤモンド・ビッグ社から『地球の歩き方』出版事業の事業譲渡が発表され、今後は絶版になっていくガイドも多いという噂も耳にした。

普通に考えれば、いま旅の本をつくるなんて経済合理性に欠ける。世の中の多くの旅行本企画が、当面延期されてしまったのではないかと思う。

だけどこの本は違った。
僕はいまだからこそ、この本を書くべきだと確信した。

僕にとって、旅とは必要不可欠な行為だ。水を飲まなければ喉が乾くのと同じ。うまく生きられない日常を過ごすなかで、いつだって旅が僕を救ってくれた。
だがそれは、決していわゆる「旅行」だけを指しているわけではない。ぶらりと降りた駅で、心に焼きつく景色に出会ったこともある。ふと出かけた散歩で、忘れられない出会いをしたこともある。僕にとっては、それらすべてが日常を忘れるような旅だった。そしてただ繰り返すような毎日だからこそ、そういう記憶が必要だと思った。

そもそも、旅とはなんだろう?

「近くでも旅はできる」という当初のコンセプトは、近くにさえ行けなくなった世界ではまだ曖昧だった。旅とはなにか? なぜ僕にはそれが必要なのか? そういう問いに、真正面から取り組む必要があった。

だから僕は、これまでの15年間の旅をもう一度すべて漁った。大学ノートに書き殴ったモロッコの旅から、mixiやfacebookの投稿、cakesで連載した国内旅行、果てはオモコロに書いたおよそ(一般的には)旅とは思えないような記事まで。
それらをぜんぶ読み直して、書き直して、消し直して。そんな作業を半年間繰り返した。句読点ひとつにも魂を込めて、ペンで赤字を入れていった。何度もコンビニで印刷した原稿には、夜更けとともに赤いインクがにじんでいった。
過去に公開した記事はほぼ書き換えたし、数多くの書き下ろしもした。書き下ろした末に、丸々カットした章もいくつか存在する。だがそれは本当に楽しい作業で、夢のような時間だった。本をつくらなければ、味わえない体験だった。

そして最終的には、「旅とはなにか?」に対して自分なりの答えを出すことができたと思っている。それは当初の曖昧なコンセプトのままだったら、手の届かないところにあった。
「本だからこそ書けるものを」という願いは、旅へ行けない世界がきたから、叶った。

「これまでの旅を距離順に並べる」というはじめに決めた構成は、より明確な形で引き継がれることになった。この本の最初の章は日本から1600万メートル、地球の最果て、南極だ。そこからどんどん距離は近づき、アフリカや中東を経て日本へ、さらに離島、家の近所。そして最終章では僕の部屋の中、すなわち0メートルで完結する。
次第に近づく距離の中で、どこまでが旅と呼べるのだろうか。南極の旅と部屋の旅はなにが違って、なにが同じだろう。いまの世界では、本当に旅へ行けないのだろうか。そんなことを四六時中考え続けた。

デザイナーは、セプテンバーカウボーイの吉岡秀典さん。実はこの本の単行本版には、彼による、紙ならではのとある仕掛けが施されている。ダイヤモンド社でも前例がないという仕掛けは、この本のテーマを視覚的・触覚的に支えるものだ。もし単行本版とKindle版で迷った人がいたら、ぜひ紙を手にとってその仕掛けを楽しんで欲しい。

また帯コメントはロンドンブーツ1号2号の田村淳さんからいただいた。とある機会にお話し、本書の最終章である「部屋での旅」に興味を持ってもらったのがきっかけだった。

「どの旅も小説かと思うほど壮大。どこにいても新しい世界は広げられることを教えてもらった。」

帯コメントは、作者にとってはじめてもらえる感想だ。このコメントが届いた直後、昼からビールを開けたのは言うまでもない。

一時期落ち着いたかに思えた状況にも、再び暗雲が立ちこめている。このnoteを書いているたったいまも、目を覆いたくなる深刻なニュースが届きつづける。一ヶ月先、いや一週間先さえわからない不確実性は、赤いインクが原稿へにじむように、じわじわと心を蝕んでいく。

それでも僕は、この本を出す。だからこそ、この本を出す。
半年前に抱いた確信は、いまもなお揺らぐことはない。

ここまで書いたように、この本は一般的な旅行記とはかなり異なっている。ジャンルとしては書店の旅行棚より、むしろエッセイ棚に近い。ひょっとしたら、ビジネス書棚に置かれるなんてこともあるかもしれない。それくらい幅広い読者層を想定している。

だけどこれは、やっぱり旅の本だ。
旅の消えゆく世界で、旅を見つけるための本だ。

かつて旅を愛した人たちへ、この本が届きますように。

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