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南極大陸でキャンプして、落ちることのない日を眺める

旅が好きだが、人見知りなので現地人とすぐに仲良くなったり、熱い友情が芽生えたりすることは少ない。親しくなったかと思えばだいたい騙されたりぼったくられたり、失意のまま帰国することも多い。

そういうものにちょっと疲れて、たまには人と接さない場所に行こうと思った。この地球上で唯一、一般人の住むことのない大陸。南極大陸だ。

そんなわけで、2020年1月に南極に訪れた。

南極までの行程や世界一荒れる海、息を飲む景色については文藝春秋digitalに書いた。また南極海に飛び込む「ポーラー・ブランチ」という狂気のイベントに関しても触れている。

記事は途中まで無料で読めます。4月上旬発売の「文藝春秋」本誌にも掲載されることになっている(!)ので、見かけたらぜひ手に取ってみてください。

記事を公開したのち、いくらかかるのか、そのコストに見合うのかといったことを多くの人に尋ねられた。しかし費用は申し込み方法によって大きく変わる。
日本からのツアーに参加すると、だいたい200万円弱。アルゼンチンからの現地ツアーだと100万円くらいで、僕はこの方法を選んだ。なお直前のキャンセル待ちを狙うとその半額で行けるらしいが、これは休みをかなり柔軟にとれる人でないと難しいだろう。

では100万円払って何をするかというと、もちろん海に飛び込むだけではない。日中に小さなボートで大陸へ上陸し、夜は船に泊まるという生活を繰り返すのである。

上陸のメインは雄大な景色と、それからやはりペンギンだ。僕が訪れた地域では4種類のペンギンを目にすることができたが、とびきり好みだったのがアデリーペンギンという品種である。白と黒の真ん丸だけで構成された目に、興奮すると頭が三角形になるという習性。漫画としか思えない。

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ペンギンという生物は、元々は空を飛べたらしい。進化の過程であえて最高の能力を捨て、わざわざ地上で生息しているのである。またその特徴的な短足は実際にはもっと長く、脂肪の下で折りたたまれているが、関節が固定されているので伸ばすことができない。仕方なくペタペタ不器用に歩くのだが、結局は腹で滑った方が早いので途中からみな腹ばいに切り替えていく。全く、興味の尽きない生物である。

ちなみに野生ペンギンの衝撃的な事実としては、めちゃくちゃ臭いということだ。特に数万匹が営巣するような島においては、上陸する前からその臭いで存在を確認できる。船のデッキに出ただけで、ペンギン臭が服にこびりついてしまうことさえある。南極旅行ではカイロよりファブリーズの方が役に立つ。


南極で食べるかき氷はうまいのか?

そうして上陸を終えて船に戻ったあとは、毎晩レストランでフルコースが振舞われる。しかしこの時間が鬼門であった。他の乗客と相席になるのだ。南極までやってきたけど、結局旅というのは人間との接触を避けられない。
なんとか場を盛り上げようとするが、距離感が下手すぎてとにかく会話が弾まない。一度8人席で無言で2時間が過ぎていったことがあって、南極よりも寒い冷気が流れていた。そうなるとただ酒を飲み続けるほかなく、無駄にいろんなアルコールに詳しくなった。たまに珍しいものが売られていることもあって、南極海に浮かぶ流氷で割ったウイスキーだという。

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2杯注文する。放っておくとすごい勢いで溶けていくので、どちらも一息に飲み干す。熱が食道を通り抜けるのを感じながら、急いで無言のテーブルを後にした。グラスに余った氷を使って、やってみたかったことがあるのだ。


かき氷機

かき氷機だ。

もしかしたらと、わざわざ日本から持ってきたのだ。ただでさえ荷物が多いのに、正直めちゃくちゃ邪魔だった。だが苦労して運んた甲斐があった。

氷をセットし、レバーを回す。ゴリゴリと音を奏でながら、表面が削られていく。南極の氷は純度が極めて高いので、食べても頭痛がしない。そんな都市伝説を思い出しながら、期待に胸を膨らませ回す。ゴリゴリ。ゴリゴリ。

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きらきら光る結晶に、いちごシロップをかける。

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食べる。

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うまい!

口当たりが素晴らしい。口の中でふわりと羽のように舞い上がる。優しく舌に溶けていく感覚は、間違いなく最上級のかき氷である。だが予想以上の美味しさにバクバクとかっこんでいると、こめかみに鋭い痛みが走った。


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南極の氷で作ったかき氷はうまいが、頭は普通に痛くなる。


南極大陸でキャンプをする

ペンギンと船内を楽しむ日々の中で、変わった場所を訪れることもある。その一つが「ベルナツキー基地」というウクライナの観測基地だった。
基地では気象観測や生理学に関する研究が行われており、隊員たちは半年から数年にかけて住み込み生活をしている。そこを好意で見学させてもらえたのだ。

研究室や観測台も興味深いが、やはり関心があるのはその日常生活だ。昔「南極料理人」という映画を観たことがあって、そこでは過酷な環境下での最大の楽しみが食事であると描かれていた。この基地でもやはり専任の料理人たちが駐在していて、日々各国の食事が提供されているという。

基地内はまるでクリスマスパーティのように華やかな装飾が施されている。こういうちょっとした遊び心が、過酷な任務を全うするための礎なのかもしれない。土産物屋やバーなんかもあって、「ここが世界最南端の店だ。先にはもうないからしっかり準備していきな」とか言われてラスボス直前の街みたいで興奮した。最南端のバーで飲み干すウォッカは五反田で飲むそれと同様に、視界を楽しくぐらりと揺らした。

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そして南極最終日に待ち受けていたのが、この旅で最も楽しみにしていたイベントだ。南極大陸でのキャンプである。普段は船で寝泊まりする生活の中で、この一夜だけは南極の氷上で過ごすのだ。このプログラムは参加者数が限定されているので、1年前から予約していた。

夕食を早めに済ませ、酒も抜き、船内のトイレに篭る。南極大陸にはゴミはもちろん、人類の痕跡を一切残してはならない。キャンプ地ではのっぴきならない事態の場合は排泄物をバケツに溜めることになっており、そのような状況は回避したい。

21時半、アナウンスが流れ、ついに下船が始まる。昨日まで吹雪が続いていたのだが、気持ちのいい青空が広がっている。眩しい太陽に目を細めながら、ボートで大陸に降り立つ。

全員で記念写真を撮影した直後、いきなり「就寝!」と号令がかかった。南極には食事は持ち込めないし、火を焚くのも禁止されているので、キャンプと言っても単に寝るだけなのだ。地球でもっともシンプルなこの場所にふさわしいスタイルである。

黄色い防寒着が点々と散らばり、真っ白な氷の世界に広がっていく。この広いスペースの中から、自分の野営地を決めるらしい。雪で重くなったブーツを引きずりながら、全体が見渡せる海沿いの斜面を選んだ。シャベルで雪をかきわけ、平らなスペースをせっせと作る。

寝袋にくるまり、完成したいびつな寝床に寝転んでみると、案外収まり心地が良い。前方にはペンギンが不器用に歩き、アザラシが人間に並んで寝転がっている。青空が巨大な氷山に溶け出し、鮮やかな濃淡を創っていた。

ただ、静寂が続く。

全ての雑音を雪が吸収したみたいだ。何も考えず、まだ明るい空を眺める。南極の日は沈むが、落ちることはない。空と海の間に薄紅色の帯がただじっと横たわって、そしてそのまま朝を迎えるのだ。

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南極に100万円の価値はあるのか? わからない。わからないけど、僕は自分にとってこれ以上意味のある100万円の使い方を知らない。

時折どこかで氷山が崩れ落ちて、低い地響きがとどろく。地球の寝息である。僕はこの音を聞き、この景色を見るために南極にきたのだと思う。死ぬ時はこういう風に死んでいきたいと、そんなことを初めて思った。ドドド。氷山と一緒に意識も崩れ落ちていく。ドドドド。まぶたが自然と閉じる。夜はいつまでも明るく、頬を撫でる風は冷たく、夢のない眠りはどこまでも深く、そして心地よかった。



次の日、船に戻ると「おもしろ帽子選手権」なるイベントが開催されていた。この落差である。自分の荷物や船内の道具を使って、出来るだけ面白い帽子を作ってこいというのだ。この船の人たちは本当にイベント好きで、みんなこぞってオリジナル帽子を被っていた。

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僕も使えるものを探した結果、手元にはこれしかなかった。


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頭に乗せ、バスローブの紐で縛る。

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できた。


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なにこれ?

バカのトーテムポール?

南極でかき氷機を被るとは思わなかったし、そもそもかき氷機は被るものではない。下を見るとペンギンが墜落するので、じっと前を向き微笑を浮かべるしかない。

しかしこれが意外と周りには好評で、色々な人が写真を撮ろうと声をかけてきた。その中には、先日無言のまま夕食を共にした人もいた。食卓ではあんなに盛り上がらなかったのに、今ではナイスハットと讃え合い乾杯をしている。
他人との距離というのは、時にそんなきっかけで簡単に氷解するのかもしれない。数千年かけて固まった流氷が、ウイスキーの熱で溶けてしまうみたいに。できたての甘い甘いかき氷が、舌の上でふわりと舞うみたいに。

すっかりペンギン臭のついたペンギンを被って見つめる日は、やはりいつまでも落ちることはなかった。

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