毎年1年前の自分から手紙が届くから、今年は10年後の自分に手紙を出す
夏になると毎年、自分から手紙が届く。「TOMOSHIBI LETTER」という、一年後の自分へ手紙を送れるサービスを利用しているのだ。
きっかけは5年前、友人の結婚式で「未来の自分へメッセージを書く」というイベントがあったことだ。泥酔していた僕は、自分で書いた手紙の内容を覚えていなかった。そして一年後届いた便箋には、なぜか銘菓「鳩サブレー」の絵が描かれていた。
戸惑った僕は、その便箋に銘菓「ひよ子」をまた描き足した。
そして前述の「TOMOSHIBI LETTER」を使って、また一年後の自分に送ったのだ。(詳しい顛末はこちらのnoteに記している。)
それ以来、夏になると「一年前の自分から手紙が届き、そこに銘菓を描き足して、また一年後の自分に送り返す」というのが毎年の風習となった。
そして2023年。いま僕の手元には、またその便箋がある。
5年かけて、銘菓が充実してきた。毎年、手紙が届いた後に「今年は何の銘菓にしようかな」と悩むタイムラグが発生し、ずるずると送り返すのが遅れていった結果、今では冬に届くようになってしまった。
さて、今年はなんの銘菓にしようか。岐阜の「若鮎」は可愛いので有力候補だ。あるいはもしくは思い切って「東京ばな奈」とか、動物から脱してみるのも枠越え感があっていい。そんなことを考えていた矢先に、思い出した。そういえば最近、もっと長い手紙を書いていた。
『1歳の君とバナナへ』は、昨年、僕が小学館から出版した育児エッセイだ。一歳になった子どもとの日々を描いているのだが、実はこの本、「10年後の自分の子どもへ向けた手紙」として、全文が手紙形式で書かれている。想定読者を自身の子どもに置くことで、一番伝えたいことが書けると考えたからだ。10万字の長大な手紙である。僕、かなり手紙好きなのかも。
この本はぜひとも10年後の子どもに渡したいが、よく考えてみれば、100%渡せるという保証はない。10年経ったら絶版になっているかもしれないし、うちには10冊くらい著者進呈分の在庫があるけど、なんか間違えて捨ててしまうかもしれない。学生時代、「人生の一冊」と誇っていた『星の王子さま』を引っ越し時に普通に資源ゴミに出した自分のことだから、信用ならない。
『1歳の君とバナナへ』が確実に10年後の子どもの手元に渡るよう、保険をかけておきたい。
そう考えると、銘菓を送っている場合ではない。送るべきは東京ばな奈ではなく、1歳の君とバナナへだった。しかしTOMOSHIBI LETTERのWebサイトを読むと、送り先は「一年後」だけに指定されているようだ。
そこで僕は、TOMOSHIBI LETTERの運営元である「自由丁」さんに直談判することにした。
◇
東京都台東区・蔵前。革製品の専門店や東欧風のカフェ、駅からつづく洒落た街並みを3分ほど歩いた場所に、自由丁の店舗はあった。ここに毎年、僕の銘菓の絵が送られているのだ。そう考えると、なんかすでに申し訳ない。
店内では、ドリンクと一緒にレターセットが販売されていた。その場で手紙が書けるようになっているのだ。「カフェで一杯のコーヒーを楽しむように、一篇の文章を楽しむ」というのがコンセプトらしい。実に洒落ていて、やはり申し訳ない。しかし僕には、10年後に手紙を送るというミッションがあるのだ。
「ご連絡した岡田ですが…」と店員さんに名前を告げると、「お待ちしていました!」と奥のテーブルへと通された。
ー いつもお世話になっております。
小山さん(以下、小):お世話になってます!
山本さん(以下、山):いつもご利用ありがとうございます。
ー すみません。
小:とんでもないです。4年前に岡田さんが記事で紹介してくださったときに、問い合わせがいっぱいきて。なんだなんだ、って。
山:それ以来、毎年岡田さんから手紙が届いたら、「あ、今年もこの季節がきたな」って季節を感じています。
ー 銘菓で季節を感じていたとは…「TOMOSHIBI LETTER」はいつから運営されてるんですか?
小:5~6年前ですね。当時、僕自身がやりたいことを見失って、落ち込んでた時期があったんです。で、その時に、過去の自分の文章を読み返してたら、励まされて。自分の文章なのに、まるで誰かに手紙で応援されたような気持ちになったんですよね。
ー わかります。僕も昔の自分の文章を読んで、「そうなんだ」って自分で勉強になることがあります。
小:それで、未来の自分に手紙を書くサービスがあったらいいんじゃないか、と思いました。で、探してみても見当たらなかったので、自分で作ろうと。
ー利用される方は、みなさん文章を書かれるんですか?
山:文章を送られる方が多いですが、写真や絵を同封したり。A4のスケッチブックを送られた方もいました。
ー …ということは、これもいける?
山:本ですか。
ー 本です。
山:本かあ。
ー これを、10年後に届けて欲しいんですが。
山:10年後…。
小:10年も保管できるかな。
山:本は傷みやすいですからね。
ー 全然痛んでも大丈夫です。読めればいいんで。 防虫剤もいっぱい買ってきたんで。
山:有効期限1年って書いてありますけど。
小:うーん…
小・山:わかりました。
ーわかっちゃった。
小:通常は承ってないのですが…。これまで色々とご紹介いただいたので、特別に。
ー やった〜!
山:10年後もこのサービスを運営できているよう、頑張ります。
小:最悪、やってなかったら僕が個人的に送ります。毎年銘菓の絵も送っていただいてますし…。
ー 銘菓を描いててよかった…。
ー ちなみに、送料はどうしましょう?
小:この本の重さなら、200円くらいですかね?
山:10年後への送料ってどう考えればいいんだろう。
ーインフレが進んでいるかもしれないので、多めにお渡しします。
小:ありがとうございます。
◇
こうして、10年後の自分に10万字の手紙を送ることができた。受け取った10年後の自分は、10年後の子どもに「これ、蔵前にあったんだけど」と言って本を手渡すことだろう。10年後が楽しみだ。
ちなみに、今回送ったのとは別に、みんなが本を置いていける「繋がる本棚」にも一冊寄贈させていただきました。
こういう紙を挟んでおいたので、
自由に書き込んでいただいて構いません。こちらも10年後に併せて受け取ろうと思います。近くに来た際は、ぜひ蔵前の「自由丁」に訪れて、落書きしてみてください。
◇
手紙とは、他者に読まれることを想定した文章の中で、最小単位のコンテンツである。だからこそ自由だ。人の目を気にせず、色んな制約から解放されて、本当に思っていることが書ける。相手のことだけを、時間をかけて考えられる。とても楽しい。
そして、これは「1歳の君とバナナへ」を執筆を通して感じたことでもあるが、手紙に「未来」という時間軸を足すことで、その工程が何倍も楽しくなる。
誰かについて想像を膨らませ、未来について想像を膨らませる。届く日のことを妄想する。そうやって時間で遊ぶことは、贅沢な愉しみだと思う。
なのでやっぱり、今年も銘菓を送ることにしました。
また来年会いましょう。
スキを押すと、南極で撮ったペンギンたちの写真がランダムで表示されます。