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第二子が生まれた

第二子が生まれた。

夏の朝だった。6時に上の子を起こし、保育園に預けてから、病院に向かった。帝王切開による計画分娩だったから、奥さんは前日から入院していた。

上の子は絶賛イヤイヤ期開催中に加え、来たる赤ちゃんの存在をなんとなく感じ取っているのか、近頃は不安定だ。着替えるのも出かけるのも嫌がって、毎朝のように床に大の字で伏せ、抵抗の意思を示す。
この日も逃げ回る子をトミカとYoutubeでなだめすかしてなんとか保育園へ送り届け、汗だくでタクシーに飛び乗って病院へと向かった。道中ひさしぶりの雨が降ってきて、規則正しく動くワイパーの音が、心を落ち着かせてくれた。昨日までの暑さを、洗い流してくれるといい。病院に着き、産科病棟のインターホンを押して、面会の手続きを済ませた。

帝王切開だから立ち会いはできないものの、生まれた直後の赤ちゃんに会えるらしい。ちなみに上の子が生まれた3年弱前は、ちょうどコロナ禍の真っ盛りで、立ち会いも面会もできず、自動ドア越しに泣き声だけを聞くという「音漏れ参戦」だった。

なので今回は、初めてのライブ参戦ということになる。
3年間でもはや手慣れた抗原検査を受け、結果の待ち時間に、手術室へ向かう奥さんを遠くから見送った。前回(上の子を産んだ時)よりも500gぶんほど大きいお腹を抱えながら、奥さんは笑顔で手術室へと向かっていった。妊娠中に妊娠糖尿病になってしまって、食事の前に毎回インスリンの注射を打っていたから、それが終わるのが嬉しいと言っていた。

抗原検査で無事陰性が出ると、自動ドアの向こうへ通されて、奥さんが入院生活を送る個室で待機することになった。「生まれたら連れてきますね〜たぶん10時くらい」と助産師さんが言って、そのなんか軽いノリに思わず「そうすね!」と微妙に噛み合わない返事をしてしまって、ひとりになった後にちょっと恥じた。

部屋は広くて清潔で、設備も充実していた。Tシャツの汗がクーラーで冷えて、肌にひんやりとひっついた。産婦用のドーナッツ型のクッションに座りながら、窓を眺めた。いつの間にか雨は止んでいて、青空が見える。蝉が鳴いて、降り注いだ雨が湿気となって地面からムシムシと立ちのぼっていた。木々の葉が跳ねるように輝いていた。夏の子だなあ、と思った。

寒い廊下で待ち続けた3年前に比べれば、随分と快適な待機環境だ。しかしその心持ちは当時と変わらない。二回目だと落ち着いてられるかな…と思っていたけど、抗原検査とは違って、生まれるまでの待ち時間には、慣れることはないらしい。
ドアがノックされた拍子にビクッと立ち上がって椅子を倒してしまい、自分はとても緊張してるんだと気づいた。ただノックしたのは助産師さんではなく、清掃のおばちゃんだった。

おばちゃんが掃除機をかける音を聞きながら、安産祈願のお守りと、それから自分が書いた手紙を握りしめた。手紙は入院前に奥さんに渡す予定だったが、間違えて空の封筒だけ渡すという痛恨の失態を犯してしまったため、まだ手元にあった。
便箋の1枚目と2枚目には文章を、3枚目には上の子が最近ハマってるアメリカの子供向けYouTuber「ブリッピー」の絵を描いていた。子はいつも自分でYoutubeを再生しては、ブリッピーがおどけながら重機を操作して車をスクラップする様子に、ケラケラと笑っている。アメリカはなんでも、スケールが大きい。

ブリッピー

便箋を広げ、この3年を思う。ついこないだ生まれた子が、もう床に大の字になって、反逆の意思を示すようになった。「心躍らせ〜名前を呼ぶよ!」というブリッピーのタイトルコールを復唱し、お尻を振りながら心躍らせるようになった。それらが全部、当たり前の風景になった。この生活に間もなく新メンバーが増えても、またそれが日常になっていくのだろうか。

待つのがじれったくなって、便箋に絵を描き足していたら、またノック音がした。扉の向こうから聞こえる声は、今度こそ助産師さんだった。僕は便箋を隠すように脇へやって、どうぞと答えた。中に入ってきた助産師さんが、「おめでとうございます」と笑った。

助産師さんに続いて、コロコロとベッドが引かれてきた。ベッドの上には、赤ちゃんがいた。つい10分前に生まれたばかりだという。ふわふわのタオルにすっぽり包まれていて、小さな顔と足だけが、ひょっこり出ていた。

丁寧にタオルを脱がされた赤ちゃんは、髪の毛に羊水のあとがベトリとあったり、腕に白い蝋みたいな胎脂がついていたりして、生まれたてのしるしを身体中に残していた。目はまだ開かないようで、代わりに短い両手で万歳していた。助産師さんが指の本数を数えたり、体重を測ったり、身体の点検を終えたのち、抱っこの許しが出た。

新生児の抱っこって、どうやるんだっけ。記憶を探りながら恐る恐る抱きあげてみると、「力みすぎですよ」と助産師さんに突っ込まれた。力を入れ過ぎたのは、毎日抱っこしている上の子に比べ、赤ちゃんが驚くほど軽かったからだ。いやそれは当たり前なのだが、それにしても新生児って、こんなに小さかっただろうか。ほっぺを撫でると、感触がわからないほどに柔らかかった。

僕がこんにちは、と挨拶すると、赤ちゃんは大きく口を開けて、あくびをした。あくびって、生まれた直後にもするんだ!という驚きがまたあった。
助産師さんによると、妊娠中の赤ちゃんはお腹の中で30分に一度目が覚めるらしく、帝王切開はその起きているタイミングを狙って取り上げるという。だが今日はちっとも起きなかったそうだ。仕方がないから母体をユサユサと揺らして胎内の赤ちゃんを起こしてから、手術を始めたらしい。

そうか、まだ眠かったんだ。僕が抱いているうちに、赤ちゃんは小さな口であくびを何度かしたのち、そのまま眠ってしまった。ゆっくり二度寝してください。

ちっさい

しばらくして、奥さんがベッドで運ばれて部屋に戻ってきた。手術中に予想外の大量出血があったらしく、すっかり元気とはいえないまでも、無事ではあった。
おつかれさま。がんばったね。赤ちゃん、低血糖じゃなかったね、注射の賜物だね。もう注射打たなくていいね。赤ちゃん毛量が多かったね。エコーで髪が見えていただけあるね。そんなことを話していたら、あっという間に面会時間は終了となって、僕だけ病院をあとにした。歩いて帰ることにした。

とにかく、よかった。ほっとした。

街路樹の葉が、緑色の雫が染み出してきそうなほどに、たっぷりと濃い緑をしていた。

その後、赤ちゃんと奥さんが退院するまでの8日間、上の子と二人で過ごした。壮絶な日々が予想されたが、上の子は意外とそこまで調子を崩すことはなかった。「ママは、びよういん(病院のこと)いる」と自分に言い聞かせるように、何度も呟いていた。
ただやっぱり2歳児なりに複雑な心境を抱えているようで、「赤ちゃんをヨシヨシしたい」と言ったり、そうかと思えば自分が赤ちゃんなのだと主張したり、葛藤で揺れ動いているみたいだった。
これほどずっと二人で過ごしたことはなかったし、子の心の動きを知ることができて、貴重な時間だったように思う。

新幹線でふたり旅もした

8日経って、待望の赤ちゃんと奥さんが帰ってきた。保育園から戻ってきた子は、寝室の赤ちゃんには気づかず、先にママの姿を見つけて飛び跳ねて喜んだ。「ママがいる!」と嬉しそうに小躍りしながらハンバーグを3つも食べた。

子が赤ちゃんの存在に気がついたのは、2時間後、一緒にお風呂から上がった時だった。お風呂のドアを開けたら、ちょうど目を覚ました赤ちゃんの泣き声が聞こえてきたのだ。
子は「赤ちゃんがいる!」と言って、ずぶ濡れのまま寝室へ走っていこうとした。「待って!拭いてから!」と必死で制すと、子は「赤ちゃん泣いてる!ヨシヨシしなきゃ!」と叫びながら、僕の股の間をすり抜けていった。そして泣いている赤ちゃんに近寄り、お腹に手を乗せ、トントンとさすった。赤ちゃんの足を握って、「ちいさいね〜」と言った。小さい手が、それより小さい足で、ちょっと大きく見えた。
その光景に、僕はブリッピー以上に心を動かされた。君はもう、君より小さい存在のことを、慈しむことができる。

君と、それから新しくやってきた君と、君たちふたりとの生活が、これから楽しみでならない。



第二子の誕生に伴って、また長期の育児休業に入りました。本業の仕事はすべて他のメンバーに引き継ぎました。執筆業も、しばらく新しい仕事はストップしようと思います。(「旅のラジオ」やオモコロなど、趣味の活動は続けます!)

二児との暮らしはときに激しく、「生活」の二文字を噛み締めています。上の子が赤ちゃんの泣き声に敏感になったり、僕もなんか体調を崩したりで、育休なしだと不可能でした。
そんな中でも、赤ちゃんが哺乳瓶を咥えたまま寝落ちしてふっと訪れる静かな時間とか、みんなで赤ちゃんの口の動きを観察する穏やかな朝とか、美しい瞬間がたくさんあって、とても充実しています。

ちなみに前回の育休中は、隙間時間に子への手紙を書いて、それが本にもなりました。

今回は、何を残そうかな…と考えています。

絵を描くのはどうかとも思ったのですが、もっと練習が必要そうです。

沐浴時に目を閉じ唇を突き出して、恍惚とする赤ちゃん

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