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いま、手紙として「育児エッセイ」の本を書いたわけ

『1歳の君とバナナへ』という本が、本日発売となりました。会社員として1年間の育休をとり、子どもと過ごした日々を描いたエッセイです。小学館より、単行本・電子書籍版・オーディオブック版が同時に出ています。

今、家族をつくること。その不安と痛みの、先にある希望。
結婚式中止、面会禁止、保育園休園…コロナ禍での1年の育休で、「僕」はゆっくり「父」になる。

本を出すのは3冊目ですが、これまでで一番苦労しました。ほとんどが書き下ろしだったからというのもありますが、子どもとの日々を、一体どのように書くべきなのか、悩みに悩んだのです。
締切を破りまくって、発売日も当初の予定から半年くらい遅れたのですが、めちゃくちゃ時間をかけたからこそ、本当に書きたいことを全部書けました。

この本の特徴的なところ

この本はジャンルとしてはいわゆる「育児エッセイ」ですが、いくつかの特徴があります。

1. 一年間の育休を取得した男性が書いたこと

「男性育休」は最近では珍しくないように思えますが、取得率は直近の厚生労働省の調査で12.7%です。さらに期間が1年間となると、まだまだ全体から見れば希少な割合だと思われます。「長期育休を取得せし者」として、この経験をぜひ書きたいと考えました。

2. コロナ禍の育児を描いていること

この本はコロナ禍の幕開けと共に結婚式を中止し、妊娠がわかるところからスタートします。出産の面会ができなかったり、保育園に行けなかったり、常に感染症が立ちはだかる日々を送ってきました。そういった「ふれ合いが制限される」時代の育児はどんなふうなのか、書き残したいと思いました。

3.子どもへの手紙形式で書いていること

そして最後に、この本は一貫して「子どもへの手紙」という形式で書かれています。

君はまだ1歳だから、この時間を覚えておくことはできない。バナナの皮を振って踊った朝のことも、歩きたくて涙を溜めた朝のことも、きっとすベて忘れてしまうだろう。
だから僕は、この手紙を書こうと思う。僕らがどんなふうにして出会い、暮らしたのか。10年後か20年後か、いつか君が読めるようになったときのために、書き記していこうと思う。

本文より

冒頭で悩みに悩んだ、と書きましたが、その悩みに対するアンサーソングが、この「手紙形式」でした。
一体なぜそんなに悩み、なぜ手紙形式にしたのか。ここからは、本書の「おわりに」から抜粋する形で、その理由を書いていきます。


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この本を手紙として書いた理由

18歳のとき、モロッコへ行きました。はじめてのひとり旅でした。のっけからバックパックを盗まれ、飛び交うアラビア語も理解できず、心も頭も揺さぶられました。帰国した夜は、放心状態で眠れなかったほどです。
「旅行、どうだった?」と友人に尋ねられても、「すげえ」としか返せませんでした。はじめてのひとり旅は、僕にとってあまりに情報量が多すぎて、処理が追いつかなかったのです。一言では表せないから、代わりに文章にしようと思って、旅行記を書き始めました。

それから、15年の月日が経ちました。その後も海外を放浪し続けた僕は、今では父として近所の公園を放浪しています。

「子育てはどう?」

子どもが生まれてから、そんな質問をよく受けます。しかしなかなか難しい。

最高に楽しい!と言いたくなるし、朝が早すぎる!と愚痴をこぼしたくもなる。大変すぎてどうすれば...とため息をつきたいし、可愛すぎてどうすれば...とため息をつきたい。感じることも考えることも毎日変化して、もうどう答えればいいかわかりません。でも、無理やり一言で表現するとすれば、やっぱりこうなるでしょう。

すげえ。

子育て、すげえ。赤ちゃん、すげえ。
毎晩のように放心状態になっています。まるで、はじめてのひとり旅から帰ってきた夜と同じように(毎晩5秒で眠れる、という点は異なりますが。)

僕は元来、ひとりが好きでした。大学進学で上京して以来、10年以上ずっとひとり暮らしで、ひとりで気ままに生きてきました。旅もやっぱりひとりが気楽で、いろんな国をひとりで訪れました。
結婚や、ましてや子育てなんて想像もつかないし、不安でした。いつかそういう得体の知れないイベントに巻き込まれて、ひとりの時間がなくなり、旅にも行けなくなるのではと、恐怖にすら近い感情を抱いていました。

そんな僕に待ち受けていた、子どもとの日々は、驚きの連続でした。

ここはモロッコではなく、自宅です。聞こえてくるのはアラビア語ではなく、童謡です。それでも、心と頭をガンガンにシェイクされます。はじめての子どもとの暮らしには、はじめてのひとり旅に負けない「すげえ」がありました。

だから、書きたいと思いました。旅行記と同じように、長い文章でなければ、気持ちを表現できないと思いました。そしてこの「すげえ」を、誰かに届けたいと思いました。

しかし、いざ書き始めようとすると、ある迷いが生まれました。

子どものことを、勝手に書いていいのだろうか。

他者を取り上げた文章には、その人のプライバシーを守り、意図せず貶めたり誤解を生まぬよう、細心の注意を払う必要があります。しかし書き手がどれだけ注意したって、どう感じるのかは、書かれた本人にしかわかりません。エッセイに限らず、インタビューやノンフィクション、写真だって同じだと思います。

旅行記でも同じ問題に悩むことがありましたが、旅行記に登場するのは大人です。大人であれば、こういう内容を書きたいのですが、と相談し、承諾をもらうことも可能です。しかし1歳の子どもに、相談はできません。

子どもが成長してから書こうか、とも考えましたが、5年や10年では、子どもにはまだ十分な判断能力が育たないでしょう。だとしたらもっと随分と、先になってしまう。その時には僕の記憶も、時代も社会情勢もなにかも変わっていて、いまだから書けるものが、書けなくなってしまう。この文章を届けたい人に、届けられなくなってしまう。

だから悩んだ結果、僕はこの本を、「子どもへの手紙」として書くことにしました。

手紙は、極めて個人的な読み物です。ひとりが、ひとりに向けて書く文章です。子どもを第一の読者と想定して、子どもに向けて書く文章ならば、ひとりの人間として、子どもに向き合えるのではないか。子どもに恥ずかしくない文章を、胸を張って読ませられるような文章を、目指せるのではないか。そう考えました。

それでも、結局のところすべては僕のエゴです。子どもがこの本を楽しんでくれることを願っていますし、できるだけプライバシーにも配慮したつもりですが、子どもがどう感じるのかは、やっぱり本人にしかわかりません。

だからもし、子どもに迷惑をかけるようなことがあったら、そのときは「ごめんなさい」と謝ろうと思います。そして話そうと思います。それでも納得してもらえなかったら、物書きの仕事をやめても構わないと思っています。裏を返せば、それくらいに書きたい文章であり、届けたい本でした。

ソフトウェア開発の世界においては、「手紙を書くようにプロダクトを考えろ」という格言があります。みんなに役立つプロダクトを考えようとすると、「帯に短しタスキに長し」的な、中途半端な製品ができてしまう。そうではなくて、まるで手紙を書くように、まずは友達でも家族でも、たったひとりの顔を具体的に思い浮かべ、その人が喜ぶものをイメージしてつくれ。ひとりに喜ばれたら、多くの人に役立つプロダクトになる。そんな意味が込められています。

この本は、奇しくもその格言を、言葉通りに踏襲しています。僕は子どもに向けて手紙を書きながら、同時に、幅広い読者層に読んでほしいとも思っています。

育児中の人や、これから子どもを迎える人には、共感しながら、あるいはうちとは違うなあ、と思いながら読んでほしい。育児をすでに終えた人には、当時を懐かしんだり、今はこんな感じなのか、と驚きながら読んでほしい。
それから、育児には関心のない人。また中学生や高校生のような、つい最近まで、「子ども」だった人たち。そういう人たちにも、読んでほしいと考えています。
以前、僕の旅行記を読んでくださった方々とお話しする機会があったのですが、パスポートを持っていない方や、自分は旅行には行かないという方が大勢いました。この本もそんなふうに、知らない世界を覗き見るような感覚で、読んでもらえたらいいなと思っています。

また、この本のもうひとつの特徴として、コロナ禍に書かれたという点があります。この本はコロナをテーマにしたものではありませんが、それでもやっぱり、切り離して語ることはできませんでした。
コロナ禍は、日本の子どもの数にも大きな影響を与えたと言われています。2020年、2021年と出生数は予想をはるかに越える速度で減少し、いずれも過去最低を更新しました。家族のありかたも多様化するなかで、子どもをつくらないという選択は、当然に尊重されるべきものだと思います。同時に、つくるという選択も、また尊重されるべきものだと思います。
後者を選んだ何十万、何百万人のうちの、ほんの一事例として、こんな「すげえ」体験があったことを、伝えたいと思いました。

最後に、この本に収録されている内容の一部を、以前noteで公開したことがあります。さまざまな感想をいただいたのですが、中でも印象的だったのが、こんな声でした。

今の自分にとって、結婚妊娠出産はあまりに怖い行事でしかなくて。それは両親にも彼氏にも言えなくて。希望のように見えるものと出会うとボロボロ泣いてしまう

家族をつくること。誰かと暮らし、話すこと。他者との交わりには、多かれ少なかれ、不安や痛みを伴います。僕もそうだったし、今だってそうです。

それでもやっぱり、言葉を届けようとする試みを続けたい。この感想をいつも頭の片隅に置きながら、本書を書き進めました。

この本が、似たような思いを抱える人に、届けばいいなと願っています。

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