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場に価値を生み出す人、消費する人

先日、とあるコミュニティ運営の役割を終えました。世の中、コミュニティって言葉がめちゃくちゃ流行ってきてますが、そんな自分の経験からの話です。

参考 : https://ja.newsroom.fb.com/news/2017/06/our-first-communities-summit-and-new-tools-for-group-admins/

コミュニティが流行っているのは、いろんな背景があると思うんですが、僕が考えているのは二つ。

1. マーケティングの手法としてファンコミュニティのマネジメントが大事になってきている
2. 個の時代と言われるくらい多様な生き方 / 働き方を許容されるようになってきている中で、だからこそ”帰属意識を持てる繋がり / 共同体”が求められてきている(ファクトの一つとしてはフリーランス人口の増加 : * フリーランス人口 : 1119万人 (経済規模20兆円))

そういう背景からかコミュニティ / サードプレイスみたいな言葉を聞くことがすごく増えてきてます。でも、個人的に違和感すごくあるんです。

そもそもコミュニティという言葉が広すぎるし(なんでもコミュニティと言おうとすれば言える)、商業的な理由で始まったものならいざ知らず、上の2番目でいう帰属意識を持てる場所のようなボランタリーベースのコミュニティって、そもそもそんなに"継続性”あるかなと。

今回はコミュニティの継続性の話です。タイトルに書いた、「場に価値を生み出す人、消費する人」という観点で書いてみます。

前提としてまたの機会にきちんと書くかもですが、僕はざっくりと "イベント(オフライン・オンライン問わず)"はとある目的 / コンセプトを達成するための人の集まりの"点”と考えていて、"コミュニティ"はとある目的 / コンセプトを達成するための"線であり矢印"だと考えています。(いやいや、おれら集まりたいだけで目的なんてないよって人もいると思うんですけど、それは「集まりたい」が目的です。ないしは「集まり続けたい」が目的だと思ってます。)

ここらへんは書き始めると長くなるし趣旨から外れるんで、一旦、まとめて、"場"って言葉を使っときます。

“場”には"価値を生産する人"と、それを"消費する人"がいます。

生産者はわかりやすい例はコミュニティオーガナイザーです。あるいはイベントを立ち上げてくれたり、飲み会を立ち上げてくれたりする人たちです。他にも勉強会、有益な情報の発信など色々と生産のかたちはあります。幹事肌の人間が生産者には多いです。

消費者の例はイベントや飲み会の参加者などです。オンラインの場がある場合は発信しないロム専の人なんかも入るかな。(読んでない可能性もあるけど、細かく情報をチェックしてる人はいるっちゃいる。)ここで言いたいのは消費者って言葉を使うと、ネガティブな印象がありますが、消費してくれる人がいないと生産しても意味ないのであくまで補完関係です。生産されて消費された価値がコミュニティの価値の総量です。

コミュニティの理想的な状態って、この生産者と消費者の間の垣根が低くて、シームレスに入れ替わる状態だと思ってます。みんなが生産者にもなるし、消費者にもなる。結果として価値の総量が増えていく。

ただ、そんな理想的な状態ってほとんどありえなくて、多くの場 / コミュニティで下のような問題が起きるなと思ってます。

・生産者が固定化される問題
・消費者が固定化される問題
・消費者だった人が興味を失って、いるのかいないのかわからない人になっていく問題

簡単に言うと、生産サイドと消費サイドの距離が開いていく問題が常に起きがちです。

やってみるとわかるんですけど、特定の人の集まりの中で飲み会の幹事やったり、イベントを回すって実は結構、面倒が多くて難易度高いんですよね。当たり前だけど、人間だから、利害や意見が食い違ったりするし。ある人がそのコンセプト最高だねって言ってくれるイベントも、ある人からすると最悪のコンセプトですねとか言われたりします。

生産サイドと消費サイドの距離が開くと、生産する人がどんどん固定しはじめます。同じ生産者が生産し続けることが義務のように感じられると生産者が疲弊して、生産する価値自体が減ったり生産者がいなくなっていったりします。また、消費くらいはしてもいいかと思ってた人たちが価値がないからと言って消費もしてくれないようになっていきます。= コミュニティに帰属意識を感じる人が少なくなっていきます。

こういうループに入ると結構きついです。こうやって、 “継続性"を失ってるのに、複数人のボランタリーに依存して続いているように見えるコミュニティ、結構あるんじゃないでしょうか?例えば、永遠と同じ人が運営をやっているコミュニテイ近くになりませんか?(ハードルはあえて文章にしませんが下のスライドです。ハードルの解決を生産者側だけでやるのもなかなかハードです。)

じゃあ、こうならないようにどうするんだろうって話ですが、一つは生産者に回る人を増やすということかなと思います。

生産側に回る人を増やすというのはなかなか難しい話なのですが、自分が少しでも生産側に回ると人はそのコミュニティに愛着を持つし、帰属意識が高まるので、単に生産される価値が増えるからという以上に、取り組む価値が高いです。(コミュニティの運営目線です。)

それじゃあ、生産者を増やすにはどうすれば良いのかって話になりますが、単純に生産することに対して “報酬” があることが大事だと思ってます。”報酬"って言ってもお金だけじゃなくて、”やりがい”とか、”ありがとう(感謝)” とか要は生産する人が報酬だとみなせるものならなんでもよいんです。生産者が納得すればなんでも報酬だと思ってます。

同時に消費者が固定する問題も起きるのでこれも生産側に回ることのきっかけや見返りをデザインすることがコミュニティマネージャーに必要な力になります。(きっかけ - 行動 - 見返りのフレームワークを通して消費者がなぜ消費し続けることになるのかはまた別の機会で書かせていただきます。行動科学者の石井さんと仕事している関係で説明できるようになりました。)

こういうことを全部考えてデザインしていかないといけない、場の運営者 = コミュニティマネージャーっていう仕事はものすごく大変だし、生産者の中でも一番生産サイドにいるので、孤独になりやすいなと思ってます。僕がつくっている TiTiっていうサービスは、コミュニティマネージャーを助けたくてつくりました。極論、運営が寝てても勝手にコミュニティが盛り上がってくれないかなってところが発想の起点です。誰かにとって大事な全てのコミュニティが誰にも無理なくつづくことを願って。

今回はここまでにしときます。次はイベントについて書くかもです。(たまたま、ぼくがやったイベントのログがやたらとバズったんで。)

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