【週録(3)】2022.04.11~18

【おことわり】2022年3月末から連載するつもりだったものの3回目で頓挫していた「下書き」を、このままボツにするのはもったいないので2年越しで公開します(^^;;

4月11日(月) 快晴、20℃台前半

 8時半過ぎに起床。10時から入学式準備が予定されていたので、それまではPC雑務。その合間に、市の歯周病(口腔)検診の予約電話を入れた。「月曜日」(在学校の休日)という条件しか頭になく細かい時間は考えていなかったのが災いし、一度電話を切った後に乗換検索アプリで現実を知ることに… 結局、5月半ばの開院時間ちょうどに予約を入れることにした。ただし、1時間余で片づかないと2時間以上電車を待たないといけなくなる。幸い、近所にカフェがあるので万一の場合はそこに避難するつもりではあるが。
 入学式準備では、看板設置や配信チェック、また、式に出席してそのまま明日の授業のために学院に宿泊される先生のための部屋の準備等を行なった。
 しばらくの休憩(金曜夜~土曜朝の週録執筆)の後に昼食をいただき、その後入学式会場のチャペルへ。そして、13時半から入学式が行われた。新潟聖書学院創立70周年という記念すべき一年が始まったのである。説教は、塚田献学院長(高田聖書教会牧師)によって「さらに大きなことを見ることに」(聖書箇所:ヨハネの福音書1章45~51節)と題して語られた。先週韓国からご一家で入国された新入生は、あいにく隔離期間が明けていないのでオンライン出席となったが、画面越しに来日・入学を果たせた喜びを語ってくださった。
 16時から1時間に渡って、新年度を迎えるに当たってのガイダンスが行われた。昨年度1年間を通して学院での生活に慣れてきた一方で、改めて確認すべきことを心に留めることができた。スタッフの体制変更に伴い、今までの習慣の中で見直す部分も出てきそうである。
 18時から、今夜学院で一泊される先生と同輩の3人で近所の公園へ行き、夜桜の木の下で夕食を食べた。昼食の残りやスーパーで買った惣菜を食べつつ、思い出深い時を過ごすことができた。その公園はそれなりの規模を有しており、紅葉は毎年ライトアップされるらしい。その一方で桜はライトアップされず花見客向けの露店が出ている訳でもないが、コロナ禍らしい花見の仕方だったのかもしれない。
 20時前に帰着し、PC雑務をしながら最初に聞いたのはYouTubeのコナン公式チャンネルによる劇場版公開連動配信。今日から4部作が始まり、これだけ緊迫した内容は最近の放送にあっただろうか…等と思いつつも、これを毎夜見られることの喜びを改めて思った。
 22時頃にキリがつき、体力的にはもう一つくらい行ける気もしたが、明日は肝心の授業初日だし…という思いが勝ったので早々に就寝。

今日の聖書
 イエスは答えられた。「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったから信じるのですか。それよりも大きなことを、あなたは見ることになります。」 新約聖書 ヨハネの福音書1章50節(新改訳2017)

 一連の箇所は、ピリポとナタナエルという2人の人物がイエスの弟子(12弟子)に加えっれる場面である。この50節から説教題が採られた訳だが、ただでさえナタナエルが驚いた出来事(…を見た)以上のことが起きるというのである。
 人知を超えた神の計画、あるいは神の御業に期待して歩んでいきたいものである。 

林原めぐみのTBN
 放送開始30周年をただただ奉祝する他ない。しかも、TBSで放送された11日0時にちょうど30周年を迎えたことになる。そういうこともあってか、新たな挑戦をしようとしているリスナーのメッセージが多く紹介されていた。
 また、先月の東北の地震の際に関東で停電になったことを受けて、そういった状況の時にも情報を得ることができるラジオの存在意義を改めて感じたという林原さん。SNS時代にあって「時差がある」ラジオ(しかもこの番組は収録)を通したやり取りにも価値があるのではないかという話をしていた。いずれも心から同意するものである。

たまむすび
 冒頭で、「探偵ナイトスクープ」の生みの親である松本秀さんの新著が紹介されていた。

 松本さんをはじめ、かつての放送界にはこういったすごい人が多くいたのではないかという話から、メールテーマは「偉大な変人」となった。
 私がこれを聞いてすぐに思いついたのは、「愛すべき変人」と時々呼ばれることがあるBSN新潟放送の近藤丈靖アナウンサーである。近藤アナは15年間に渡ってメインMCを務めているラジオ番組「独占ごきげんアワー」の中で、新潟弁講座や様々な「なりきり」(パロディとも言う)、数々の名曲を新潟弁で歌い上げるコーナー等、華麗なエンターテインメントを展開している。こういった人材は今では貴重なのかもしれないなぁと思う。

歩数:4,738
 始めて、起床時に歩数計をリセットし忘れた。主に夜桜見物で稼いだ形に。

4月12日(火) 快晴、20℃台中盤

 早寝したんだから5時には起きられるかと思いアラームを掛けたが、あっさり断念。昨年度の授業日と同様6時25分にかけ直したが、6時10分過ぎに目を覚ました。
 6時半から早天祈り会。司会は主に学生が週ごとに担当するが、今週は私が担当することになった。話が盛り上がり、ラジオ体操を省略して作業に。この時間帯に清掃・朝食作りのどちらを担当するかも週ごとの交代制だが、今週の私は前者を担当。特に使用するエリアのモップ掛けや机・黒板の整備等を行なった。
 普段は学生だけで朝食を食べるが、今日は特別に止まられた先生も加えて3人で。人数が多ければ食堂で食べるが、現在は今日のケースでも3人なのでギリギリ収まる。ここで話題になったのは、私が寝間着代わりに着ていた高校時代の体操着だった。入学から15年が経ったが、まだまだ問題なく着ることができる。これよりも少し長く愛用しているのが、ユニクロで買ってもらった冬用のジャンバーだ。さらにもう一つ言えば、オリンパスのボイレコは購入から8年が経った。私はとにかく物持ちが良すぎる節がある(苦笑) これが「捨てられない性格」と全く関係ないとは思えないのだが…
 さて、8時過ぎに自室に戻って1限の空きコマをPC雑務とメール返信に費やした。2限に備えて教室とパーテーションで仕切られているだけの食堂に向かったが、2限の開始時刻を5分勘違いしてしまっていた。休みボケの所以だろうか。

 2・3限は「ギリシャ語リーディング」だったが、2限は昨年度後期の後半から始めていた中級文法の授業を続けるとのこと。3限はリーディングの導入で、聖書を釈義することについてのレクチャーだった。新約聖書の原典である古典(コイネー)ギリシャ語を読み解くだけでも大変な作業だが、説教の一つの準備段階である釈義では実に多くのことを考慮に入れないといけないのだなぁと思わされた。まさに神の力をいただかなければできないことである。
 4限も空きコマなのでしばし休憩し、昼食を挟んで午後(5・6限)は「教理史」の授業だった。「教理」はキリスト教の教えと言い換えることができるが、今日はその歴史について学ぶための序論的内容であった。教理と教義、信条と信仰告白といった、似ているようで厳密には違う用語の意味等について、理解を深めることができた。教理自体は入学当初から入門科目を通して学んでいるが、それを学ぶことは信仰者個人のレベルでも教会というレベルでも大変重要であることも改めて心に刻むことができた。

 15時前に授業が終わって自室に戻った。日の入りが早くなる冬以外は、16時から「作業」がある。昨年度はこの合間を利用して仮眠を取ることが多かった。自室が冷える冬は、「暖を取るのに布団に入ってそのまま寝入る」ために仮眠の頻度が特に高かった。今日はまだ疲労も蓄積していないから仮眠しなくても大丈夫か?と思いつつも、ここで無理をすると夕食後に響くか(バタンキューのおそれ)…とも思ったので、アラームをかけて布団に入った。事前には「途中で目覚めるかも?」と多少予想していたが、結局は見事に熟睡し、アラームでようやく目覚めたのであった(苦笑)
 作業では、古いふきん類を雑巾に仕立て直す工程?を担当した。その後の夕食作りは、朝食とは異なり明確な役割分担はなされていない。昨年度は料理がよくできる同輩にほとんど頼りっぱなしだったが、とりあえず今年度は火・木曜分を担当することにした。調理済みのさんまの蒲焼を焼き、みそ汁を作った。味噌汁は昨年の夏休み明けに会得した「初期作品」と言える。

 18時過ぎに自室に戻り、(土日分も書けていないが)とりあえず昨日今日の週録を書いた(苦笑)
 YouTubeの広告収入集計がここしばらく遅れ気味になっていたが、どうやら正常に戻ったらしい。ただし、今月はかなり低調なのがオチである。先月は割と多めで「円安のおかげか?」と先々週に書いたが、こんなに長続きしないとは…
 22時半過ぎに就寝。

今日の聖書
 伝令官は力強く叫んだ。「諸民族、諸国民、諸言語の者たちよ。あなたがたはこう命じられている。 旧約聖書 ダニエル書3章4節(新改訳2017)

 これは、バビロンの王ネブカドネツァルが自ら造った金の像を人々に拝ませようとした場面である。
 文脈とは関係ないのだが、「伝令官」という言葉に目が釘付けになってしまった。現代で言うところのスポークスマンの役割を有していたと考えられるが、この伝令官の姿に現在のロシアの政権中枢にいる人々のことを想ったのである。政府高官が反旗を翻して国外へ退去したり、国営テレビで反戦メッセージを掲げた放送スタッフがいたりしたが、きっと他にも良心の呵責に悩んでいる人はいるのではないだろうかと思ったのである。ハンナ・アーレントが指摘した「悪の汎用さ」のことも思い出した。
 しかし、悪いことだとは分かっていてもそれをしてしまうというのは、私たちの日常にもよく起きてしまうことである。キリストが十字架にかかられた苦しみを想う受難週であることを意識すると、最初に思い出すのは「一番弟子ペテ(ト)ロの否認事件」である。ペテロは、最後の晩餐の席上でイエスが弟子たちのつまづきを予告した時にも「たとえ皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません。」(マタイ福音書26章33節)と豪語したのである。逮捕されたイエスのことが気になって密かについて行ったペテロだったが、そこで3回に渡って「イエスの関係者ではないか」と指摘され、イエスの予告通りに3度イエスを否定したのである。ペテロはイエスを心底嫌いになったとか、そういったことではなかっただろう。ここで正直に答えてしまえば自分もイエスのようにされてしまうのではないかと思い、自分を守るために否定したという向きもあったのではないか。
 前言の通り、私たちも常に信仰に基づく行動ができる訳ではない弱さを持っている。私たちのすべての罪の、またすべての人の罪の、代償(身代わり)としてキリストが十字架の死を遂げられたことを改めて覚えたい。また、イエスが究極の苦しみを通ってくださったことを覚えつつ、自らの前にある課題にも向き合っていきたい。

来信
・日本聖書協会
年刊誌「SOWER」第49号(特集:講壇用聖書 いま・むかし)、年報第122号(2021年度)
 先日届いた後援会ニュースレター同様、この2冊もA4に判型が大きくなっていた。読みやすくなったことは視覚障碍者としてはありがたいことだが、このために経費はより多くかかるんだろうなぁと想像する。後援会の年会費は5コースあるのだが、私は入会から10年余ずっと一番安い額に甘んじて(?)いたのだが、これを機にワンランクアップさせていただくことにしていた(先週納入済み)。
 講壇用聖書というのは、礼拝堂の講壇に置くためのビッグサイズ・いい装丁の聖書である。この春に、2018年にデビューした新翻訳「聖書協会共同訳」の講壇用が発売されるそうだ。

 なお、2冊ともHPでバックナンバーが閲覧可。リンクからどうぞ。
日本盲人キリスト教伝道協議会:点字キリスト教月刊雑誌「信仰」2022年4月号
 先述の通り生まれつきの視覚障害者であるという自分のアイデンティティを大切にする目的で、今年の初めにこの団体に入会した。

入会時に送られてきたパンフレット

 なお、この団体は視覚障害者だけの団体ではない。ここもちょうど70年前に組織されたようだが、当時はまだ視覚障害者を「盲人」と呼ぶのが一般的だったのだろう。団体の規約には次のようにある。
「本会は教派を問わず盲信徒と晴眼信徒、諸教会、キリスト教団体が協力して福音宣教を推進すると共に、盲信徒の信仰生活及び教会生活を支えることによって、広く教会の宣教に奉仕することを目的とする。」

たまむすび
 内容には触れないが、週録を書きながら冒頭部分を聞こうとしたもののなかなか内容が入って来ず、3回くらい繰り返して聞いてしまった(苦笑)

ニュースへのコメント

 正直言えば「禁じ手だよなぁ…」と思ってしまう。それにしても、コロナ前でさえこの有り様というのはかなり衝撃的である。そう言う私も大糸線に乗ったのは15年のGWに乗りつぶしを果たしたのが最初で最後なので、何も言えない立場にあるが…

歩数:885

4月13日(水) 午前中は晴れ間も見えたが曇、20℃強

 今朝も5時に最初のアラームをかけていたが、結局6時25分起床。新入生の隔離期間が昨日で終わり、初めて早天祈り会に参加することができた。作業(清掃)・朝食を経て、8時前に自室へ。普段の水曜は9時からチャペルアワー(礼拝)があるが、今週は月曜日の入学式がある意味で礼拝だったということで、チャペルアワーは無しとなっていた。それで2コマ分が空いた訳だが、結果的に1時間半に渡って睡眠を補うこととなった。
 3・4限は「新約聖書緒論」。今日は、新約聖書がキリスト教の正典とされたことについて、その過程や意味を学んだ。
 午後は「教会史」。言い換えればキリスト教史の授業である。キリスト教史を学ぶ意義について、「現在を知る」「教訓と警告」「本質を見分ける」「行動へ駆り立てる」の4つを学んだ。毎回必須のテキストとして2冊が指定されたのだが、この2冊はいずれも「いただきもの」としてすでに私有していたものだった(うち一冊は実家から持って来ないといけないが)。日頃からの周囲の方々からのご厚情に感謝の念を一層深めた出来事となった。

 今日は昨日よりも疲労感が小さかったが、作業までの1時間で何かやるほどの力は残っておらず。グダグダと過ごした後に15分間だけ布団に入って寝た。仮眠には15分間が最適と聞くが、ぴったり15分というのは自分にしては珍しい。
 作業では、主に寮のトイレ・洗面所の掃除を行なった。その終盤に外に出たが、まだ少量ではあるものの桜の花びらが路面に散りばめられていた。満開になってからまだ2~3日しか経っていないが、もう見頃は過ぎようとしている。明日から雨なので、散るスピードは増しそうだ。

 夕食後、主に当日分の週録執筆に勤しんだ。今日はかなり持った方だが、さすがに明日がフルコマなので23時半過ぎに就寝。

今日の聖書
17
もし、そうなれば、私たちが仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ、あなたの手からでも救い出します。
18
しかし、たとえそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々には仕えず、あなたが建てた金の像を拝むこともしません。」 旧約聖書 ダニエル書3章17~18節(新改訳2017)

 書き忘れていたが、早天祈り会では「みことばの光」(聖書同盟発行)というテキストを使用している。一定期間の間連続した箇所を読むことになるが、今日の箇所も昨日の続きである。引用した17~18節は、金の像を拝もうとしなかった3人が王の前に連れて来られた時に話した言葉である。
 神が、神を信じる自分たちを救い出してくださると固く信じることが模範的な信仰者の姿だと思うのが自然だろう。しかし3人は、自分たちの思いが神の計画にそぐわないかもしれないと考えていたのである。それだけ自分を低くし、神に対してへりくだっていたのである。
 昨日に続き、受難週にこの箇所を読んだことの意味を教えられた。それは、十字架につけられる前のイエス・キリストが血の汗を流しながら父なる神に祈った「ゲツセマネの祈り」(マタイ福音書26章36~46節他参照)を思い出したからである。イエスは、それ以前の段階で弟子たちに何度も受難予告をしていた。しかし、直前になって一人祈った時に「できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」(39節)という言葉が口から出てきたのである。しかし、祈りはそこで終わらなかった。2回目に祈った時には「わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように」(42節)と祈られたのである。
 私たちは何度も神の教えに従う決断をしながらも、それと同じくらい、いやそれ以上に自分の思いを優先してしまう。しかし、真の神に対する信仰ゆえに金の像を拝まなかった3人や、究極の苦しみである十字架刑に進んでいったキリストに倣い、神の思いを自分の思いとして生きる者とされたいと改めて思わされる。

たまむすび
 大吉先生がコロナ陽性のため、相方の華丸さんが出演。この1ヶ月で3回目の代打だったようだ。

歩数:206+約1,000?
 明らかにおかしい(苦笑) ただ、2週間前の違和感以降歩数計をつける位置を見直したが、なおベストポジションではなかった。というのも、当初はズボンのポケットに入れっ放しで、2週間前からはポケットの入口に挟んでいた。しかし、説明書では腰につけるように書かれていたので(なぜさっさとしなかった)、明日からはそうすることにした。

4月14日(木) 曇のち弱雨、10℃台中盤

 6時25分起床。今日は最初からこの時間にアラームをかけていた。早天祈り会、作業(清掃)、朝食、30分弱の休憩を経て、2週間に一回のフルコマ授業が始まった。昨年度は、前期週3日・後期週1日がフルコマだったので、週0.5日にまで減った今期は隔世の感がある。1年前にどうやってハードスケジュールを乗り越えていたのか、全く記憶にないと言っても過言ではない(苦笑)
 1・2限は「組織神学(序論・聖書論)」。キリスト教神学は、聖書神学・組織神学・歴史神学・実践神学の4分野に大別されるのが一般的である。組織神学は、キリスト教の教えを組織・系統立てた学問と言える。授業では「神及び、神と宇宙との関係についての学問」と定義されていた。今日は、神学やそれを学ぶ意味について学んだ。
 3・4限は「基礎英語」。昨年度から継続の科目だが、今期はコミュニケーションにも重点を置いて展開されるようである。
 5・6限は「実践神学概論」。先述の4分野のうち、教会で行われる様々な事柄―礼拝やそこでの説教、教育、牧会等―についての分野を学ぶに当たっての導入科目のようである。他3分野と実践神学は相互に作用し合うが、そもそも実践神学という分野への着目はそんなに長い歴史を持たないという話を聞いて非常に驚いた。非常に実践肌の人間なので(苦笑)、フルコマでもこの科目さえあれば睡魔に対抗できるのではないかと希望的観測をしてはいるが…

 都合により若干早めに授業が終わり、木曜は16時からの「作業」がないので、夕食準備までの2時間余が空いた。すぐに洗濯機を回し、それが終わるまでは気の赴くままに調べ物等をした。昨夜は珍しく室温が20℃以上を維持していたのでオイルヒーターをつけなかったが、この時は17℃だったので2日ぶりにつけた。洗濯中にも「完全に寝るほどではないにせよ、改まって何か作業をするほどの余力は…」と思っていたが、結局3日連続でこの時間帯に仮眠を取ることになった(今日は1時間余)結局、この1時間ないし2時間の使い方は昨年度同様「充電」となりそうである。尤も隔週木・金曜は昼食後に授業がないので、それはそれで過ごし方を考えないといけないが。
 今日は夕食準備を担当する曜日で、鶏肉・エリンギ・ニラを醤油で痛めた。これでさえやっとのことで、換気扇を回すのを忘れるほどには目の前のことで手一杯になってしまう。最初から換気扇を回すには、掲示によるリマインドが必須か。

 夕食後は、まず当日分の週録を書けるだけ書き、その後ようやく先週分の続き(土曜午前以降)に戻ることができた。今週分はここまでで8,000字を超える程度なので、「旅をしなければそこまでのボリュームにはならない」ようである(苦笑)
 ちなみに、普段の木曜は18時半~20時にいわゆる学活のような位置づけの集会がある。会の内容は輪番制の司会者に決定権があり、その活動を通して交流を深める会である。しかし、新入生が新生活の体制を整えるのにまだ忙しくしていることから、今週は休みとなった。個人的にも、フリーな時間が増えるのは非常にありがたいことである。
 今週が受難週であることは先述したが、今日からの3日間は「聖なる過越しの3日間」と言われる。簡単に言えば、神の独り子であるイエス・キリストが全人類の罪の身代わりとして十字架に死んでくださったおかげで、私たちが通るべきだった苦しみを「過ぎ越す」ことができたことを記念する期間である。「過ぎ越し」という言葉は、モーセに率いられたイスラエルの民が捕囚の地・エジプトから逃れた出来事(出エジプト記12章以降参照)にルーツがある。
 今日はその初日で、「洗足木曜日」と呼ばれる。イエス・キリストが「最後の晩餐」の席上で、当時奴隷の仕事だった(弟子の)「足を洗う」という行為をされ、最初の聖餐を行なわれたことを記念する。先述の集会が行われればアーカイブに頼るつもりだったこちらの教会の礼拝に、リアルタイムで預かることができたのも休会の恵みの一つだった。

 礼拝後に週録執筆を再開。明日には何とか投稿にたどり着きそうである(苦笑) 日曜の午前中の分を書いていた最中に、PCの挙動がおかしくなった。少し前にも同じようなことが起きて、その時は記事を一旦下書き保存した後に執筆再開して事なきを得たのだが、今回はそうもいかなかった。記事は何とか保存できたが、PCは強制終了。電源を入れ直したら入れ直したでLenovoのトップ画面が延々と表示され続けた。数分後にこれがようやく終わったと思ったら…


 プログラム更新の待機中だとは知らなかったが、それと挙動不審は関係していたのだろうか…
 さらにPINコード入力後の「ようこそ」がさらに延々と続き、全部で15分はかかった気がする。最終的には無事に元に戻ったが、これに懲りて外付けのポータブルHDDのバックアップ内容を入れ替えることにした。確認してみたら、前回のバックアップから3ヶ月が経とうとしていた。月1を心がけているが、実際はなかなかその通りにはならない…
 バックアップが終わって22時半を過ぎていたので、これ以上の生産活動はしないことにした。そして23時過ぎに就寝。

歩数:2,248
 昨日の経緯を経て、歩数計を腰に装着してみた1日目である。昨日・一昨日も、実はこれくらい歩いていた可能性は大いにある(苦笑) まあ、そのあたりは適当でいいと割り切れているのでいいのだが。

今日の聖書
 

たまむすび
 

来信
日本賛美歌学会:今年度会費納入案内
 ちょうど1年前に入会したが、この学会を知ったのはさらに遡ること6年近く前になる。経済的支出の面でも学びに集中できるようになったからこそ入会できたのも事実で、さらに学生会員(年会費が2000円割引)の制度も後押しになった。
立教大学教会音楽研究所:下記楽譜の出版案内

 昨年9月に行われたオンライン講習会に申し込む際、友の会会員割引があるということだったので入会した(ここにも学生料金がある)。
 この楽譜集も第6巻となった。全6巻の収録曲等については研究所HP内に記載されているので、ぜひご確認の上ご購入いただきたい。他の歌集との番号対照表も付されていて親切だなぁと思う。

ニュースへのコメント

 阪神は今夜も敗れ、1勝15敗1分けの勝率.063。5位とのゲーム差も6に広がっている。
 そんな中、最も愛用している家電量販店にスポットが当たっていた。ちょうど先週も、プリンターのインクカートリッジを買った際に「勝ったらもらえる」ポイント引換券をもらっていたが、阪神の低迷ぶりでジョーシンを心配する発想はなかった。それも含め、関西の景気に与える影響は少なくはないだろう。すでに甲子園では観客によるトラブルも起きているが、GW後半の3連戦は今よりも少しでも上向きな調子で迎えてほしいものである。

 ウクライナ侵攻が始まった当初からロシア料理店に陰湿な仕打ちがなされている等の様子はTwitterで目にしていたが、これほど社会的影響力のある施設で起きてしまうとは思わなかった。すでに元に戻されているそうだが、ウクライナ人も一定程度ロシア語を使っているという指摘も目にした。あまりにも短絡的でクレーマーに弱腰な態度には呆れてしまう。改めて、「国家」と「市民」は分けて考えなければならないと感じさせられる。

4月15日(金) 曇、15℃弱

 6時25分起床が良くも悪くも安定してきた。今日は、キリストの十字架を覚える受難日(聖金曜日とも呼ばれる)であり、劇場版コナンの公開日でもある(そこを並べるか)。朝食後、fbにこの創作作品をシェアした。

 コナンに関しては、今週・来週と金曜ロードショーで上映記念の2週連続特別企画が放送される。来週は昨年の上映作「緋色の弾丸」だが、今日は佐藤刑事と喬木刑事のこれまでの関係性を振り返るアニメ特別編集版である。映画の無料公開は当然無理だが、アニメは毎週の定期放送が読売テレビの見逃し配信サイトで公開されているのだから、この特別編集版もそのように対応してくれないだろうかと思ってしまうのも事実である(寮にはテレビがないので)。金ローのHPを見たら、GWの2週間はジブリ作品とのこと。もう季節に関係なくやっているように思えてしまう(苦笑)

 さて、早天祈り会の後のラジオ体操は時間が押していると省略されるが、今年度初めて体操が行われた。韓国から来られたばかりの新入生にとっては初めての経験で、これからもそういったことが多くあるのだろう。すでに韓国人宣教師が専任講師としておられるので、日本人が韓国文化等を知る機会は昨年度も数多くあった。そういった草の根の交流が、国家間の関係が冷え切っている現状においてはいかに貴重だろうかと思う。
 作業(清掃)と朝食、30分弱の休憩を経て、1・2限「ローマ人への手紙」。この授業は「新約各署研究」の大枠に含まれる科目で、昨年度は3つの書簡をすでに学んでいる。授業の導入として、それぞれが特に関心を持っている(将来的に卒論のテーマにしたい)テーマについて話し合い、非常に刺激的な時間だった。その後はこの書簡が書かれた背景や著者パウロが果たした役割を学んだ。パウロについては昨年度の授業でも学んではいたが、改めて整理して捉えることができて感謝だった。
 この授業中に、使用中だった修正テープが終わりを迎えた。1年前、入学を前にした時期にまとめ買いをしていたのですぐには困らないが、この「使い捨て式」を今のご時世に使うのは少々気が引けるのも事実である。

 現在使っている商品はとうとう品切れになったらしく、一番近そうなものを貼った。なので写真を別に貼ることにする。


 3・4限は空きコマで、週録当日分と先週日曜分を執筆。
 昼食は、午前・午後のために出講された先生が揃ったこともあり、今週で最も賑やかになった。「レ・ミゼラブル」の話題となったが、私は学生時代に映画館で見て印象的だったことを覚えている。
 午後は「旧約聖書緒論」。緒論という分野について、またこれまでの研究史について学んだ。この授業は、この本を読み進める形で展開される。

 教室に入った時にはすでに机上にこのテキストが置かれていたのだが、てっきり借り物だと思っていた。しかし、終盤になって判明したのは「講師の先生が受講生(2人)分のテキストをヤフオクで落札して進呈してくださった」という事実だった。
 私が中古書を買うにしても、Amazonや日本の古本屋、それにオアシス古書部(運営:いのちのことば社、キリスト教書専門)くらいで、オークションに手を出すとキリがなくなるので自重している。そういった苦労を厭わずに受講生のために取り計らってくださった先生に感謝である。

 さて、火~木曜は授業終了後から「作業」の時間まで仮眠を取っていたが、今日はなぜか目が冴えていたので寝ずに済んだ。ただ、やはり根詰めた作業には適さないコンディションだったので、コピーや振替用紙への記入等の軽作業をするにとどめた。
 作業では、台所整理や浴室清掃を行った。夕食準備は今年度「完全分業制」となった。昨年度同輩が担当する日も私は台所に詰めていたが、今年度は非担当者は自由に過ごすことになったのである。私は自室で某書類に目を通していた。
 夕食で「麻婆豆腐の素」なしでそれを作った同輩に驚いた後は、いよいよ先週分の週録の追い込み。

より多くのアウトプットをするためには、インプットのための日常的なゆとりが必要です。ぜひサポートをお願いしますm(_ _)m