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4本目で思うこと

早いもので記事も4本目になった。
初回の記事を書いているときこそ、緊張はしたし構想段階で悩みまくっていた。
早いもので筆を置いて、全ての記事を消して失踪まですると考えていたが、ここまで辿り着いた。

noteは投稿するたびに褒めてくれる。なんて嬉しい機能なんだ。もっと早く知っておけばよかった。
世の中にある「三日坊主」という言葉を、この記事を投稿することで乗り越えられた。自分よ、偉いぞ。

ここまで200文字かけて脈絡もなく自分を語り、noteの機能を再度褒めちぎったところで本題に入っていこうと思う。と言っても今日まで蛇足だ。明日から本気出す。そんな言葉をまだ使える辺り、何か伏線を張る口実に見えなくはないが残念なことに何もない。そんなこんなで、4本目を書いていこうと思う。

人格が2つあることを考えてみる

昨日に書いた記事の中で、自分の中に2つの人格があり、その2つを改めて見直して自己理解を深めていきたいと書いた。これは今まで生まれてから持つ人格、日常の中で過ごしていく人格と匿名の人格が2つ、自分の中に存在していることを再度認識したことから始まる。変な話だが、これは紛れもない事実。

文字だけでみると不思議な事象であり、違和感を覚えるが想像すると容易になる。
例えば、「初対面の人に向けた顔」と「慣れ親しんだ友人に対する顔」は異なると私は考えている。人格までは異ならないかもしれないが考えることや、言葉遣い、いわゆる気遣いを自分の経験で考えてみると全く違うものになるだろう。これは日常生活で人と接する中で避けられぬものであり、誰にでも経験があると思う。

ここまで人格という言葉に全く注目していなかったが、本題に戻る。ここから少し自分語りにはなるが、私の中には改めて2つの人格が存在すると考え、それらを理解することでどちらも失うことなく共存が可能になるという結論に達したのだ。

ここまで実に荒唐無稽、不思議なことを書いていると自分の中でも困惑しているがまとめると「自分の中の2つの人格を理解し肯定することで、成長ができるのではないか」ということだ。

早いですがまとめ

気がつけば1000文字になってしまった。別にどこかの文献で読んだわけでもなく、根拠も何もないのだが人が無理をせずに読める範囲は1000文字が限度だろう。そう自分の中でノルマを掛けることで無理をせずに、書き続けることが可能になる。というわけで今回はここまでとなる。

実は、ここまでの3記事は当日に執筆しておらず、予め書いておいて公開前に少し加筆・修正を通して公開していた。そして今日、ついにストックが切れたので今リアルタイムで書いている。そうか、ここまでリアルタイムで書くと難しいのかと改めて実感している。時間と気力がある時に、また書き溜めで置いておこうと思う。
もちろん、当日に「これを書きたい!」となると差し替えも可能なのだ。
それこそが、紙の日記と異なるnoteゆえの利点であり、ネット公開における利点でもある。毎日更新、という目的のもとに少しは書きだめをしても誰も攻めはしないだろう。

というわけでまとめにうつると、改めて2つの人格、性格があることを考えながら筆を進めていった。人格や性格のことを調べながら書いていると、まるで自分が心理学者や心理の評論家でもなったのではないかと錯覚をしてしまう。
インターネットゆえの、新しい観点を身につけることができる。なんて素晴らしい時代。

最後に、ここまで読んでいただきありがとうございました。
この礼だけは、毎回誰かに届こうとも届かずとも書いていく。

最後に(公開範囲とコメントに関して)

今日は、これまで3記事と違い新装版を作ってみる。と言っても次からまた使い回しになるだろうが。全ては徒然なるままに。

本記事の公開範囲は私のSNSを通して宣伝をしているが匿名でのもの、実名でのものの両方で公開をしている。これで黒歴史にはなるかもしれないが、いつかはこの2つの人格を融合し、使い分けようと考えているのでこの選択をした。(このことに関しても、いつか書くだろう。)
その為、「〇〇の内面がこれだよ。」といういわゆる身バレは控えていただきたい
いつかはバレるだろうけど、その時までお互いの関係が上手く、調律が取れていることを祈る。

問い合わせやコメント等に関しては本記事のコメントやクリエイターへの問い合わせ、またTwitterのDMにて随時受け付けている。

最後に、次回以降はまた書き溜めたものや突発的なものになるかもしれないが、それによって完成度が高く、分かりやすい内容になれば幸いである。

がんばれ、未来の自分と褒めておいて今日は筆をおこう。

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