小学1年、ピアノ始まる


良い幼稚園に出会えて良かった

娘が通った幼稚園はとても環境がよかったです。厳しさの中にあるやさしさ、そして良いお友達たちにしっかりした親御さんたち。あのような環境にあると、ずぼらでだらしない私ですが「ちゃんと親であろう」「ちゃんとした親であろう」と自らを律するように心がけることができました。
これ、今思えば実はとても大切なこと、心がけなのではなかろうかと思います。

親が親であろうとするのは当たり前のようですが、いろいろと見渡してみると思いのほか親であろうとするよりも自らを優先する大人って多い印象です。いや、それでいいんですけどね本当は。
でも、それでも私の信念かもしれませんが、やはり親は親であろうとするべきではないかと思うのです。自分の欲求を後回しするくらいの我慢は当たり前のようにして、その分の時間や体力を家族や子どものために割いていく・・・ように努力する。
とはいえ、そんなに万能な人間ではありませんのでできないことはできません。できること、得意なことの範囲で親であろうとする、それが精いっぱいではありますが。

ということで、娘が通った幼稚園は娘にとってだけでなく、それ以上に私たち親にとって良い環境、良い経験でした。

ピアノは親が習いたかった

私も妻も子どもの頃にピアノなんて習わせてもらえませんでした・・・これは偶然のなのですが、我々は似たような思いをしていたようなのですね。実際私は「ピアノ習いたい」と子どもの時にお願いをしたのですが、「男の子はピアノなんてやらなくていいんだ!」と許可してもらえませんでしたから。私、音楽や楽器が好きだったから本当にやりたかったんですけどねぇ。

親はそんな経験を持っていたのですが、我が子が通った幼稚園はしっかりした親御さんが多かったせいか、お友達たちのはちゃんと?ピアノを習っていたりしたわけです。結果として子どもの方から「ピアノ習いたい!」と言ってきたのですね。
とはいえ当時まだ5歳とか6歳、習うということの意味なんて分かりません。それでも親にとってはピアノを習うとなったらピアノを買わなければなりませんし、それ相応の覚悟がいります。それが習い始めた途端に飽きられてしまっても困るわけです。
親2人はピアノを習いたかった人間なので、できればすぐにでもピアノを習わせてあげたかったのですが、ここはあえてお預けにしました。「小学校1年生まで待ちなさい。それでも習いたかったらその時また言いなさい」と。
結果、小学校入学と同時に「習いたい!」と言ってきてくれたのでゴーサインを出すに至ったのです。

根拠はないがピアノはいろいろよさそう

音楽って頭に良い影響を与えると思うんです。人間ってもともとそう生き物なんじゃないか、というイメージ。調べればいろいろ出てくるのかもしれませんが、そこは何となくそうじゃないか、という思いがあります。
耳を通じて入ってくる音をしっかりと聞くことで耳も鍛えられると思うのですね。それは音も言葉も一緒じゃないかと。すると脳がより活発に動くというか、活性化しそうな気がしませんか?
耳から入ってくる音が脳に影響を与えるだけでなく、指10本を使うことも同じく脳に良い影響を与えそうな気がするのです。活性化しそうな。
ということで、こういうところが塾屋脳といいますか、あまりよくないとは思うんですけどね、どんなことをすると脳に良いか、勉強とは直接関係なさそうに見えて実は・・・みたいなことを常に考えてしまうんです。

結果、小学5年生の冬にある年に1回の定期演奏会まで無事ピアノ連数を続けることになりました。因果関係はよくわかりませんが、きっとそういうのも今の娘につながる土台の1つになっている気がします。
中学生になっても年に数回くらいですが気分転換にピアノに向かうことがありますし、絶対音感に近い感覚も持っているようで、聞いた音の音階を言い当てることができたりします。さらに、流れてくる主旋律に対してハモリの音を当てたり、ハモリの音に引っ張られずに主旋律をちゃんと歌えたり、そんなこともできるようになったので、やはり習ってよかったんだなと。
それからそれから、年に1回ではありますが演奏会に参加できたのも良かったですね。あんなに小さい子供が大きなホールでたくさんの人の前で演奏を披露するなんて機会、こういうことでもなければありませんからね。緊張感とお付き合いする良い経験になったのではないかと思います。

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