勉強を時間で区切って良い訳がない


01. 処理スピードの問題は子どもに限ったことではない

多くの地方の公立小学校で・・・と書くと大げさになってしまいますね。少なくとも私が住んでいる県の公立小中学校で見かける表現が「学年プラス○○分(○○時間)の勉強をしましょう」というような標語です。これ、本当の本当に最悪な指示の出し方だと思いませんか?

「仕事」に置き換えて考えた時に、昨今は「定められた勤務時間内で、その人ができる範囲の適正な業務量を任せる」という考え方になっていなければならないのでしょう。その考え方はわかっていますが、それと評価(給与)が合致していないのが多くの企業の現在地だと思います。数値化は難しいですが、ある一定の時間の中で企業は100の業務を期待しているとして、その中で80という分量の業務ができる人と120という分量の業務ができる人の評価(給与)が同じであって良いはずはありません・・・が、今はそうはなりづらいのが現状。

加えて、その人の価値観と言いましょうか、給料は少なくても定時で帰られるように自分ができる範囲の業務ができればよい、と考える人もいれば、自身の成長のために(残業代はいらないから)時間をオーバーしても少しでも多くの業務を経験したい(←これは今のご時世の考え方としては適切ではないのですが)というような考え方の人もいると思います。多くの会社は特に後者のタイプの人間はありがたかったりするわけで・・・(以下略)。

ですから、一概に「時間で区切るのがNGだ」とは言い切れないとは思います。それでも、一定の時間内に80しか処理できないよりは100,120と処理できた方が良いのは良い(会社にうまいこと使われる可能性は否定しませんので、そのあたりの上手な処世術も必要)と思いますので、その部分(処理スピードの向上)を鍛えていくことは重要だという点は譲れません。

02. 受験はブラック企業よりもブラック

だって、ゴールが100という大学(高校・中学)という目標を掲げた時に、相手のスタート地点が50で、その人は50の努力をして合格を勝ち取った。自分はスタート地点が60だったが30の努力しかできず不合格になった。自分は30しか努力する時間と処理スピードがないのにも関わらず、あいつは寝る時間も惜しんで50もの努力をした、ずるい!とはなりませんものね。相手が50できるなら自分は60するしかない。それが受験です。ですから、受験は「超のつくブラック」です。

それでも、その先に待っている良い世界があると信じて皆さん頑張っている訳です。努力した先が良い世界であるとは限りません。それでもそう信じて努力するしかない。なんとも不安定で不確かな世界です。

ですから、中学受験・大学受験にチャレンジするというのは思い描いたような結末に至らないリスクを抱えて飛び込んでいく必要があるし、出た結果を受け止めていく覚悟も必要がある。そんな世界です。

高校受験はほぼ全員が体験する世の中ですから、これはやるしかないでしょう。だとしても、ブラックな世界であるのは間違いありません。覚悟が必要です。

そのように考えると、「僕は60分(1時間)しか勉強しません」というような考え方は受験の世界では通用しないことになります。

03. それでも学校は・・・

タイトルに戻るのですが、少なくとも私が住んでいるエリアの公立の小中学校では「学年プラス○○分(○時間)」みたいな時間で区切った家庭学習(自学自習)の指示の出し方をする場合が多いように見えます。

理由はわからんでもないです。細かく教材を指定して、「この教材を5ページ、あの教材を3ページ」のように指示を出したとして、学校の先生がそれを管理できるのかと言ったらできないと思います(そんな時間はない)。同様に、生徒によっては「理解ができていない(難しい)ので5ページもできない、終わらない、どうしたらよいのか・・・」という場合もあってより混乱を招く可能性もあります。

かといって宿題を出さないとなると「あの先生は何も見てくれない」と不平不満につながってしまう。すると、手っ取り早く「○○分」みたいな指示の出し方にならざるを得ません。学校の先生もかわいそう。(もちろん子どもが一番かわいそう)

家庭学習・自学自習、その名の通りそこは本来は親の出番、家でやるべきことなんですけどね。親は親で共働きだったり、自身の経験値がない場合は指示も出せないし基準もわからないし、となります。

現状は全てが負のスパイラルです。それでも(だからこそ)、私は「家庭学習の管理は親が、家でやるべき」だと思います。親が頑張るところ、そこを親が突破しない限りは先はないと思います。もちろん、そこを突破しなくても成長する子ども、伸びる子どももいますが、それはあまりにも運・偶然に頼りすぎ、です。親が関わったから良くなるとは限りませんし、親が関わりすぎて悪化することもありますので、100%ではありませんが、それでもやっぱり親が家でやるのが基本だと思います。

04. 我が家では

ここまで「やるべきことをやることが宿題」と言い続けました。学校の先生が言う「学年プラス○○分なんて信じてはだめだ」と。もちろん、それが学校の先生に対して無駄な反抗心とかにつながらないようには最大限配慮しましたよ。そこは子どもにあわせて親がうまく舵を切るところだと思いますので、そこも含めて親がしっかりやらないといけないところです。

母親=妻は大反対でした。「学校の先生が言っているんだから素直に従えばいいじゃない」と。これはもうダメですよね。最悪、最低。特にこれからの変化が大きい社会ではそんな考え方は絶対にダメですし、学力を伸ばしていくためには「自ら考える力」も大切ですから、盲目的に先生の言うことを信じる・信じさせるなんてあってはいけないことです(もちろん、盲目的に学校の先生に反抗するのもNGです)。学校の先生のクオリティの差があるのは仕方のないこと、それは子どもたちが生きていくこれからの社会でもあり得ることなので、そこをどうやっていくか、という視点も含めて。

ということで、我が家では宿題は5分で終わったらそれで終わり。後はやらなくてよい・・・が基本。でもそれだけだとさすがにいかんので、空いた時間で勉強ができるように塾の宿題は必須でした。加えてどこかで書きましたが我が家では「SAPIXのきらめき算数脳」を購入して一緒にやるなどして、宿題を終えたら終わり、ではなくさらに力をつけるためにやるべきことの材料は身近に置くようには工夫しました。ふとした家族の会話の中に、勉強や考え方につながるようなエッセンスを付け足す工夫もしました。

でも、いずれにしても「きらめき算数脳」以外は大きな負荷にはなっていなかったので、我が子が小学生の頃はめちゃくちゃゲームをしていましたね。1日3~4時間とかやっていましたね、わが子は。それでも、学校の宿題すらしない子どもも多い中ではちゃんとやるべきことはやっていたと思います。そこは「処理スピード」の部分です。小学1年生から塾に通っていたこともあり、周りの子どもたちが30分かけてやるものを5分で終わらせることができる状態になっていた。だから1日の中でゲームに宛てられる時間をたっぷり確保できた。ここはプラスのスパイラルを作ることができました。

言い忘れました。終わったら5分で終わりでいいですよ、「ただし終わらなければ30分かかろうが1時間かかろうが2時間かかろうが終わるまではやめないこと、わからないこと・難しいことをできるようにすることが勉強なのだから」と、多少大袈裟ですが、そのような考え方にしている理由・意図を伝え続けました。それが実体を伴って理解して行動にあらわれるようになったのは中3の高校入試が近づいてからかなとは思います。中学1年の中盤・後半くらいから形になりつつあるかな、という手ごたえはありましたが、安心して任せられたのは中3になったくらいですね。
※今後、高校生になってからは「わからないところにこだわりすぎて時間をかけすぎるくらいなら・・・」というズルさ・うまさのような視点も伝えていく必要がありますね。時間が足りないと思うので・・・我が家では、です。

この部分の育成は時間かかりますよ根気強く親が支援してあげることが大切です。一回指示を出してすぐにできるものではありませんからね。そんなことできたら、世の中全員勉強で苦労することないです。親の頑張りどころ、工夫のしどころだと思います。


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