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ねえ、優しさってなんだと思う

この先きっと一生忘れないだろう、何度でも思い出すだろうと思った言葉を言ってくれた人は、それを言ったことを覚えていなかった。


優しい人間でありたいといつも思っている。見知らぬ人が困っていた時にすぐに声をかけられる人間でいたいし、友達が泣いていたら何時だろうと駆け付けられる人間でいたいと思って生きてきた。実際、今までの人生でそう振る舞えてきたかと振り返ったら、まあ出来る限りは、くらいのことは言えるんじゃないかと思う。

でもそれじゃあ、何故そういう人間でいたいのかという話になってくると、「そういう人間だと思われたいから」以外の答えが出てこなくて、いつも嫌になってしまう。

なんかもう早くも怪しいな。雲行きが。まーたなんか自己嫌悪と自己愛のごった煮みたいなことを書こうとしていませんか?してるよ。いいだろもう。そんなことしか書けねえんだよ。お家芸だこんなもんは。

今日の記事のタイトルは、好きな曲の歌い出しから取った。BUMP OF CHICKENのひとりごとという曲で、初めて聴いた時、「それ…………………………」しか言えなくなって困った。語彙力が馬鹿。小学生でももう少しまともな感想言える。でいやもそうなるんだって。何回聴いても未だになる。


ねぇ 優しさってなんだと思う 僕少し解ってきたよ
きっとさ 君に渡そうとしたら 粉々になるよ
ねぇ 君のために生きたって 僕のためになっちゃうんだ
本当さ 僕が笑いたくて 君を笑わせてるだけなんだ ごめんね
人に良く思われたいだけ 僕は僕を押し付けるだけ
優しくなんかない そうなりたい なりかたが解らない


それ。それだよ。なんなの?もう本当に「それ」でしかないじゃん。なくないですか?

「優しい人間でありたい」と思った時点でわたしは優しい人間ではないんだと、思っては悲しくなる。人に良く思われたいだけだ。あなたに優しい人だと思って欲しいだけだ。ここでいう「あなた」は、わたしが好きな人たち全員のことを指しているし、なんなら好きではない人たちのことも指している。
駅で白い杖をついている人に声をかけた時、電車の中でおじいちゃんを支えて車両の移動を手伝った時、泣いている友達の所にタクシーに乗り込んで駆けつけた時、落ち込んでいる友達にLINEギフトでロールケーキをプレゼントした時、わたしはずっと、「そういうことが出来る人間」だと思われたかっただけだった。だって今こんなにスラスラ良い人っぽいエピソード思い出せるんだよ。ダメでしょこんなこと自分で言ったら。意識しないでやってる本当の優しい人は、多分自分のしたことなんて覚えていないんだと思う。でもわたしはこんなに、簡単に、饒舌に、思い出せる。全部自分を良い人にするための自己顕示欲のツールだからだ。クソ。書いててめちゃくちゃ気分悪い。帰ろうかな。どこに?

さっき載せた曲は、2番でこう続く。


ねぇ 心の中に無いよ 僕のためのものしかないよ
そうじゃないものを 渡したいけど 渡したい僕がいる


わたしの心の中にも、わたしのためのものしかない。誰かに優しくしようとしている時、優しいと思われたいという気持ちの他に、困っているなら助けたいとか、泣いているなら寄り添いたいとか、そういうのももちろんあって、でもそれもわたしの「~~~したい」だ。わたしがそう思っているだけだ。そうじゃない優しさを持ちたいのに、そう思った時点でもうそうはなれない。

クソ。内省って、めちゃくちゃ辛いな。出来ることなら自分の弱さみたいなものからは目を逸らして逃げたい。容赦なく自分のしょうもなさと向き合わせてくる藤原基央にまで腹が立ってきた。嘘です。一生好きです。結婚おめでとう。いろいろあると思うけど変わらず応援してるよ。

で、なんでこんな自己嫌悪に陥りながらも筆を取ったかというと、別にそんな自分に酔ってきもちよくなっているわけではなくて、心のリストカットをしたいわけでもなくて、とにかく、冒頭の話に戻ります。


何年か前、まだ学生だった頃、仲の良い友達が遠くに行ってしまうことになった。もう二度と会えない可能性もある距離だった。もしかしたら、もう連絡も取れないかもしれなかった。
最後の夜、わたしは彼に電話をかけて、取り留めもない話をした。本当は、さよならとか、元気でねとか、なにか別れの言葉を伝えたくてかけた電話だったのに、それを言ってしまうと本当にもう会えない気がして、長々と、ほんとうにどうでもいい話ばかりしていた。彼は口下手な人だったけど、それでもそれなりに楽しそうに話に付き合ってくれた。

2時間くらい話して、沈黙も増え始めて、ああそれでも結局まだなにも言えていない、と思っていた時、彼が短い沈黙を破って、「あのさ、」と話し始めた。


「あのさ、おれ、このあいだ高校の時の友達と会ったんだけど、1人結婚しててさ、なかなか会えなくなるし寂しいなって思って。でも別に疎遠になって会えなくなっても、友達だってことには変わりないと思ったんだよ。会った人の中には高校卒業以来何年も会ってなかった人もいて、久しぶりすぎて少し緊張したけど、でも昔のおれを知ってる人が今こうやってまた話してくれるのっていいなって思ったし。
……あのさ、寂しいだろうけど大丈夫だよ。友達って、別に会えなくても友達でいられるんだよ。この先何あっても、一緒にいろんなとこ遊びに行ったことがなくなるわけじゃないから。おれも寂しいけど、大丈夫、ずっと繋がってるよ」


……………。

いや。いや、そんなのって。なんだ。ずるくない?


当たり前に、めちゃくちゃ、涙が止まらなかった。
その日、口下手な彼が、一番長く語ってくれた唯一の言葉だった。この先きっと一生忘れないだろう、何度でも思い出すだろうと、思った。ずるいもんこれは。格好良いもん。
彼は泣いているわたしに、「頻繁に会うことが友達として大事なことではないよ、おれたちずっと友達に決まってるだろ」と言って、わたしは余計に泣いて、結局最後まで上手に別れの言葉は言えずに、でもそれでいいやと思いながら、電話を切った。

それから。何年か経ったあと、本当に久しぶりに、その友達とほんの少しだけ電話で話す機会があった。これだけは言わなければと思って、「ねえあの時、こうやって言ってくれて、嬉しかったよ」と言うと、彼は驚いた声色でこう言った。


おれそんなこと言った?あの時酔っ払ってたからあんまり覚えてない


……………。

あーーーーーーーーー。


と、思った。いやだから語彙力よ。
ああ。「ひとりごと」だ。と思った。あの時わたしがこの人から貰ったのは優しさだった。


ねぇ 優しさってなんだと思う さっきより解ってきたよ
きっとさ 君の知らないうちに 君から貰ったよ 覚えはないでしょ


なんだよ嬉しかったのに、覚えてないのかよ、とわざとらしくつっこんだけれど、本当はまた泣きそうだった。
覚えていないのか。でもあの時あなたがくれたものを忘れることはきっと一生ないよ。

わたしもどこかで、わたしの知らない間に、誰かに優しく出来ているだろうか。あんな風に馬鹿みたいにすんなり出てくるエピソードのひとつにもならないところで。そうだったらいいのに。「そうだったらいい」と思ってしまう自分がいる時点で、やっぱり駄目なのかもしれないけれど、でもそうだったらいい。そうであってほしいよ。

多分わたしはこれからも「優しくいよう」と思って生きていくと思う。それはわたしのエゴで、結局自己顕示欲で、あなたに笑って欲しいと思う自分のためで、あなたにとって良い人でありたいと思う自分のためだ。どうしたってわたしは、優しい人間になりたい。

そういう自分を許すための歌詞を、最後に載せます。どこまでもエゴだよ。いいじゃんもう。
同じくBUMP OF CHICKENの、透明飛行船という曲です。


優しさの真似事は優しさ
出会えたら 迷わないように


真似事でごめんね。好きなあなたに好きでいてほしいだけなんだよ。考えすぎなのかな。全部ひとりごとだから、忘れたり、忘れなかったり、してね。それじゃあね。また明日。

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