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真夏のピークが去って、それで ー夏の終わりに聴きたい曲2選

9月です。今年の9月1日も各SNSでRADWIMPSのセプテンバーさんの再生画面のスクショを載せている人を大量に見かけた。竹内まりやのSeptemberを聴いている人は1人も見かけなかった。行きつけの飲み屋の店長だけがSHAZNAバージョンのすみれ September Loveを歌っていた。なんの話?

9月と言えば、雰囲気的には夏も終わったなという感じなのに、意外と昼間は暴力的に暑かったりして、でも日が落ちるのは早くて、やっぱりどれだけ暑くてももう夏ではないんだなと思わされることでお馴染み。で、これくらいの感じになってくると、今度はみんなこぞってあの曲の歌詞をツイートし始める。わたしもした。あれです。

真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた

めちゃくちゃ暇な土曜の夜なので、わたしはこれから、残暑もぼちぼち落ち着いてくる季節にわたしが毎年聴く2曲の話をします。


若者のすべて / フジファブリック

そりゃあそうでしょ。みんな聴くでしょ。夏の暮れにある花火大会の写真に「最後の花火に今年もなったな」って添えてストーリーにあげてるでしょ。去年やったよわたしは。多分一昨年もやった。すいませんでした。

2009年のクリスマスイブに急逝したフジファブリックの初代フロントマン、志村正彦が作った曲。去年のRSRで、夏のど真ん中で聴いて、大号泣した。その後だったか前だったかに現フロントマンの山内総一郎がメンバー紹介でさらっと志村の名前を呼んで、そこでも泣いた。この年、ミュージックステーションに現体制のフジファブリックが出演し、過去の志村正彦の映像と共に若者のすべてを歌うという演出がなされて、それを観た時も泣いた。

若者のすべては、「真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた それでも未だに夏は 落ち着かないような気がしている」とか、「最後の花火に今年もなったな 何年経っても思い出してしまうな」とか、繊細かつわかりやすい情景描写と心理描写を歌ったかと思いきや、「ないかな ないよな きっとね いないよな」とか、えっなにが?なんの?なんで?となる主語も目的語もへったくれもない歌詞が飛び込んでくる。毎年、なにがなのかなあとぼんやり考えながら聴いては、その時の自分の環境によって全然違う解釈が思いついたりする。
そうやって、毎年夏の終わりに聴いては、いろんな夏を反芻して、懐かしくなったり、焦燥感にかられたり、泣いたり、泣かなかったり、する。例えば高校時代、不登校で暗かったわたしは学校行事に参加するのがいつも怖くて、だけど最後の時の学校祭だけ何故か少し楽しかった、後夜祭で年々しょぼくなる花火を見上げて「ここに立ててよかった」も思ったりした、あの時の花火とか、恋人と浴衣を着て手を繋いで見た花火とか、小樽の潮祭りの花火が見たくて天狗山まで登ったのに煙でなにも見えなくて、その代わり空に北斗七星が見えて、そういうのを、いつも思い出したり、する。

今年はコロナのせいで花火なんて見れなかったな。全国で一斉に花火を打ち上げるみたいな催しがあったので、好きな人と、歩道橋の上で、少しだけ見た。あれが今年の最後の花火だった。何年経っても思い出すんだろうな。


Blues Driver / The Cheserasera

夏も終わるって ああ、そういつものことでしょ」というちょっと冷たい歌い出しで始まる歌。正直ここの歌詞だけで夏の終わりに聴くことに決めた。単純なので。

歌詞はこのあと「大体いつまでワクワクしてるの 子供じゃあるまいし」と続いて、「一度着て終わった水着が干からびて眠ってる」という歌詞のあとに、「物とかに涙もろいのやだな 大人じゃあるまいし」と続く。YouTubeのコメント欄に「子供じゃあるまいし、大人じゃあるまいし、高校生の自分にささるな」とあった。悪いけど25歳にも刺さってる。

多分、バンドを辞めた友人について歌った曲。PVでは最後のサビでバンドを辞めた友人役の人が部屋で1人でBlues Driverを踏んで楽しそうにギターを弾いているシーンがあって、いつもそこで泣きそうになってしまう。

唐突に自分の人生の話をします。わたし、ずっと名前のある職業につくんだと思っていて。高校に入る手前くらいまで。
父は警察官で、母は元保育士で、警察官舎に住んでいたので、まわりの友達の親もみんな警察官で。わたしの将来の夢は、5歳か6歳の頃からずっと小説家だった。全部名前のある職業。
25歳現在、肩書きは多分「会社員」。衣類の加工業者勤務。毎日、電話を取って、荷物を受けて仕分けて、受注書を書いて、見積もりを作って、生地の発注をかけて、の繰り返し。父のように街の治安も守っていなければ母のように子供の成長を見守ってもいない。布と、糸とを、永遠ににらめっこしている。
なんの縁かわたしは役者の知り合いが多いんだけど、その人たちを見て、よく、ああわたしは特に何者にもならなかったなあ、と思う。なりたいと思ったことはあったんだけどなあ。小説、今も書いてるし。なんでそれで食っていきたいと思わなくなったんだったっけ。高校の時少しだけ付き合った人に、「小説家の夢は高校に入る前に諦めた」と話したら「諦めるの遅くない?」と言われたことを時々思い出す。それがきっかけで振ったんだったな。遅かったのかな。早かったとわたしは、今も、たまに思うんだけど。

それでもわたしは今の仕事がそれなりに好きだと思っている。
この間、シルクプリントを入れるのに邪魔だからとツナギのタグを外す作業をした。リッパーで、縫い付けられたタグの糸をひたすら切りながら、この地味な作業も誰かの為になるんだと思ったら、誇らしくて目の奥が熱くなった。わたしがしていることに意味のないことなんてないないんだと思った。誰も知らなくていいや。このツナギを着る人が、わたしが地道にタグを外したこと、知らなくてもいい。その代わり誰にも馬鹿になんてさせないよ。

きっとこれからも、人を羨んで、なにかを始める勇気のなかったことを悔やんで、それでも今こうしている自分もそれはそれで悪くないと、思って生きていくんだと思う。
でも捨てきれていない希望もあるよ。希望っていうか、ここまでくると、野望だな。人生まだ長いからね。遅くなんてなかったって、だから、今も思ってるんだってば。

ちなみにこの曲の一番好きな歌詞がここ。

ちょっと調べた苛性ソーダ
ジョークの意味もわかんないの?
生きてく希望で有り触れてる未来
頭狂ってしまいそうな
日々もなんとか続きそうだ
君に譲ったブルースドライバー
鳴れ

死のうと思ったこと、人生で何回もあるけど、まあそれはみんなそんなもんだと思うけど。毎回ギリギリのところで死ねない理由が思いついてしまう。腹立つくらい。希望、あるじゃーーーん!ってなる。生きてくしか、ねえじゃーーーーん!!!!って。なって、なんとか、25歳になりました。これからも「嘘だよ、冗談だよ」って言っていきたい。死ぬとか死なないとか、大丈夫、冗談だよ。なんとか続きそうだよ。

夏の話どこいった?

暇だからと思って書き始めたら取り留めが無さすぎて最終的にすげえ暗い話で終わってしまった。今日ちょっと暗い題材のお芝居観たんだよね。その影響がめちゃくちゃあるよね。心配してくれているところ悪いけど全然元気だし昼に食べた月見バーガーがマジで美味しかったよ。別に心配してない?しろよ。

まあ、いいや。
次、会ったらさ、どんな夏だったか教えてね。楽しかったことも楽しくなかったことも知りたいよ。わたしのくだらない話をここまで聞いてくれたあなたへ。

気温の変動が激しいから、風邪ひかないでね。
それじゃあね。

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