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こんな本を読んだ 番外 私が本を読む理由

【結論】私が本を読むのは、「知りたい気持ち」「読みたい気持ち」を抑えられないからです。

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私の好きなことば」(⇒こちら)にも書いたように、私が本を読む理由は、「「知りたい気持ち」は止められない」が第一です。

仕事関係や介護の本など、情報を得るために読む本は別として、専門でもない自然科学や歴史・社会科学関係の本を読むのは、何か役に立つことを求めてとはいえないですね。

最新の宇宙論や生命科学はどうなっているのだろうとか、あの時代に人はなぜこのように決断したのだろうかとか。

好奇心といってもいいのですが、それともちょっとちがうような。微妙な差異を説明するのはむずかしいのですが、「好奇心」は解明をもとめる積極的な感情。それに対して「知りたい気持ち」は、必ずしも見返りをもとめない感情。科学者だって、解明できないことがあることはじゅうぶん知っているわけですから。

見返りをもとめない」といえば、それは「」に近いものかも。親の子に対する愛情は、まったく無私のものですよね。なので、「読書愛」とでもいえばいいか(本フェチではありません)。

というわけで、私が本を読むのは、「知りたい気持ち」「読みたい気持ち」を抑えられないから。人格形成に役立つからといった理由ではありません..

なお、小説については、この謎の解明を知りたい、この少年の成長を知りたい、この恋愛の行末を知りたい。そんな気持ちからですかね。
たまにそれらがはっきりしない小説もあるけど、それも小説ということで。

 

話はかわりますが、好奇心が人の本質的な感情である理由は何か。

進化の途上、生まれてまもない人類はか弱い存在であり、外界からの情報を獲得・分析し、来るべき危険にそなえなければ生きていくことができなかった。「知る」ことこそが武器であった。そのなごりではないかと思うのです(学問的な裏付けはありませんが)。

ひるがえって、現代の人々には、都合のよい情報のみをAIが提供し、あるいは権力者によって操作された情報が与えられる。それによって、人は他者への想像力と寛容を失い、自身の生存の基盤さえも弱体化されていく

人の本質的な感情であった好奇心を失い、「知ろう」とすること、「考える」ことをやめてしまった人類に未来はないのではないか、と思うきょうこのごろです。


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読んでいただけただけでうれしいです。