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トーストの匂い

 もう古い話だけど、ジャパンタウンの床屋で働いていたSさんとの会話を思い出したので書いてみる。彼は4~5年前に日本から来たと話していた。
 当時の僕はスタンフォード周辺に住んていて、市内のことはよく知らなかったので、市内のレストランや周辺の話を散髪中によくしていた。いつのまにか、話題がサンフランシスコ市内の怖い話になっていて、市内にはそういう有名なところはあるんですか?、とSさん聞いたら、有名とかは詳しくわからないけど、結構お客さんからもよく聞きますよ、そういう話は ・・ああ、自分のはじめに住んだアパートは、なんかやっぱり、そういう類の変なトコでした、という・・

Sさんがスーパーのレント募集の張り紙を見つけて見に行った物件はここ(ジャパンタウン)から少し東に行ったところで、古めで大きめの2階建て一軒家の4部屋、住人はキッチンと2つのバスルームを共同でシェアする物件だった。思えば相場より安かった、部屋も広いし、日当たりがいいバックヤードもある、けど、建物も古いし、学生も住むシェアハウスだから、そんなもんだろう、と思ったという。見に行ったその場で契約して、そこの2階に住み始めたのだけど、しばらくして気付いたことがあった。

 真夜中にふいに目が覚めると・・ トーストのいい匂いがする。
時間を見たら、朝の3時半ほど・・だれか起きて夜食にトースト焼いてるんだろうな、と思った。翌朝起きて階下のキッチンにいくと、そこのテーブルの上に、トーストのバンくずが落ちている・・。

 思えば毎朝、テーブルにパンくずが落ちていたんですよ、とSさんは言った。
なので、毎朝自分がシリアルにミルクを入れて食べて、かたずける時に一緒にテーブルのパンくずも拭いてきれいにすることが日課となっていった。

 ある晩、またトーストの匂いで目が覚めてしまった・・・どうせキッチンに誰かいるなら、水でも飲みに行こうと思って、部屋を出て廊下を右に曲がり、そこの階段を降り始めたら、キッチン方面から、寝間着にガウンを羽織ったおじいさんが階段を上ってきた・・ああ、このおじいさんがお隣さんで、こんな時間にトーストを焼いていたのだな、と思いながらも、どちらとも声をかけることなくすれ違った。Sさんはそのままキッチンに降りて行って明かりを付け、水を飲んで部屋に戻った。

 そんなある日、シェアしてるメンバーで週末にキッチンに集まろうよ、と、住人のひとりである女子学生が提案してきた。
週末の当日、ポトラックの食べ物を持って集まったのは、独身の高齢の女性と、これを企画した20代の学生当人と、自分の3人だった。
おじいさんはこないんだなと思っていたのだが、他の2人と話をしていると、なんか違和感がある。
直接、「もうひとり、おじいさんいますよね?」と聞いたら、「いや、下の階に2人、今は上の階にあなた一人よ」と言われた。
「あれ? 毎朝、トースト焼いてるおじいさんがいますよね?」と言ったら、知らないという・・
 高齢の女性は「いや、私は料理しないし、キッチンは使わないわ」、学生は「トーストは食べない、トースターも使ってない」という。
とにかく、その2人はトーストは作ってないという。
え、じゃあ、誰があのパンくずをテーブルに残してるの? 毎朝掃除してるのに・・? 
 実は、上の階はかなり長い間、2部屋とも空き部屋だった、という話をその場で聞かされたのだ。 自分は夜にトーストの匂いで目が覚めて、キッチンから階段を上がってくるおじいさんを見たんだ、という話をしたら、場の雰囲気が、霧のかかったサンフランシスコ湾のように冷えてしまった。いや自分の見間違えかもしれないけど、と取り繕ったが、そのまま解散となった・・。
 
 Sさんは、かなり恐くなってしまい、また夜にトーストの匂いがしたらどうしよう、もう絶対にいられない、と次の日に大家さんを訪ねて行ったら、
かなりあっさりと、「ああ、匂いがするだけだよ、何もしないよ、大丈夫!」と言い出した。何が大丈夫だ!こんなところにいられない!出ていくから、日割りで家賃計算しろ!返さなければ訴える、ここの話も広めるぞ!とまくしたてて、とにかくお金も取られず、無事に脱出できた、とのこと。
大家が「日本人なら出ないと思ったんだけどな・・」と言ってたとか。

・・とまあ、Sさんから教えてもらったサンフランシスコ市内でひどい目にあった話でした。



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