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SDGsに感動した話

こちらの記事は、前回の「新しい信頼とは」の先に書いていたものです。前回の記事と関連する内容も多く、これに従うなら、世界の基軸が、本当に変わろうとしていることを期待せずにはいられません(無事に着地できるかはわかりませんが)。

持続可能な開発目標SDGs(Sustainable Development Goals)、エス・ディー・ジーズ。2015年に国連で全会一致で可決され、2016年から先進国、途上国、行政、民間の区別なく、取り組みが始まりました。貧困、衛生、教育、ジェンダー、環境、暮らし、資源などの問題や国際協調などの17のゴールと、その下に設定された169のターゲット、これらを2030年までに世界レベルで実現する!という、非常に野心的な内容です。

国連や省庁などの公的機関のWebサイトだけでも大量に出てきます(すでに取り組みを始めた自治体や企業、大学なども)。関連書籍も増えてきたように感じます。果たして、単なるブームで終わるのでしょうか、それとも、現実のものとなるのでしょうか。

さて、SGDsについては、仕事でバズワードくらいのつもりで調べたのですが、その目指す社会像に、私はかなりの衝撃を受けました。

衝撃というのは、SDGsが、この閉塞感に満ちた現代社会に新たな正義をもたらす内容だったからです。これをパラダイムシフトと呼ばずになんと呼ぶ!と、ここしばらく、興奮気味です(だいぶ落ち着いてきました)。

しかし、2015年に国連で採択されてから、縁あって私がその中身に触れるまでに、実に丸4年もかかったわけです。世の中を変えるって本当に大変です(壊すだけなら、時間はかからないようですが)。2030年の実現可能性はともかく、これは間違いなく、これからの社会において、強力な成長エンジンとなるはずです。問題は、我々がこれを自分事として捉えることができるか。

SDGsに則らない事業は存続できない

環境省の「持続可能な開発目標(SDGs)活用ガイド(概要版)」は、とりあえず全体像が見えやすいと思います。ビジネスチャンスといった書き方をしていますが、いずれはSDGsが、ビジネスという言葉をオワコンにしてしまうのではないか、そんな風にも感じます。

ここにやんわりと書かれていることを端的に言うなら、今後、SDGsに則らない事業は存続できなくなるということ。例えば、ある商品が、誰かの犠牲によって成り立っていたり、環境破壊に一役買っていたら、その商品と事業者は、規模の大小を問わず、サプライチェーンから排除される。行きすぎると原理主義的な恐ろしさも感じますが、やるかやらないかではなく、やらないと退場させられる。近頃の「HACCPに沿った衛生管理の制度化」にも近いものを感じます。

これからは、これまでの「量と時間」という価値軸に加えてなのか、代えてなのかは難しいところですが、「公正で公平」であることが価値軸となります。これは非常に大きな価値軸、思想の転換です。

現在の事業者の取り組み状況については、国連グローバル・コンパクトの「SDGs調査レポート」が参考になります。

所有から共有へ

アジェンダにある「我々の社会を変革する」「誰一人として取り残さない」。これらの言葉だけでも強烈です。私がSDGsに対して、まず感じたことは、多くの誤解を含むことを承知で申し上げますと、現在は経済社会であるとするなら、SDGsは福祉社会であるということです。

経済社会では、「個による所有の最大化」を目的としてきました。持つことが正義であり、できることならば独占したい。それが個に安心を与えると信じられてきました。こうした社会は、他者を排除し、必然的にクローズの方向に進みます。一方の福祉社会では、これとは全く逆に、「将来世代を含めた社会による共有とその持続」を目的とします。与えることが正義となる。こうした社会は、オープンの方向に進みます。

例えるなら、お金をたくさん稼いで、家の周りに塀を築いて、警備会社と契約もしてみたけれど、隣人がいつか自分の財産を盗みに来るかもしれないと思うと、ゆっくり眠れない。これが現代社会。塀を作らず、鍵もかけず、いつも隣人と笑顔で挨拶を交わし、困ったときはお互い様で、お米もお醤油も融通し合う。これがSDGsの社会。もはやユートピア。(ん、ユートピア?)

かつて、マルクスやエンゲルスが描いた社会が、現代のテクノロジーパワーを背景に、実現しようとしているのかもしれません。しかし、決定的な違いは、これからの社会には、労働者がいなくなる、あるいは、労働者としての役割が減っていくということです。仕組みとして、社会的な資本は存在しうるかもしれませんが、国や資本家は存在しているのでしょうか。

Society5.0

日本では、国と経団連が、このSDGsと併せて「Society5.0」という、スマート社会の提言も行っています。翻って、SDGsのような動きが出てきたのは、こうしたIoTやAIといったテクノロジーの登場や発展が背景にあると思います。

経団連や国が、本気でこれを目指しているのだとすれば、それぞれの解体をも視野に入れているのでしょうか。労働は機械が行い、労働者はいなくなり、消費者は残る(その時には消費者なんて失礼な呼び方は、消えていて欲しいですが)。貨幣や税金は、存在しているのか。あるいは、その時に、この世界に従来型の国家体制やビジネスが存続していると考えているのか。それとも、何か別の形へ体制や事業のアップデートを考えているのか。なんてことも夢想したくなります。

SDGsの世界では、現在のNPOのような、社会的なテーマをもった活動共同体の事業提案が、民意のブロックチェーンやAIなどによってレーティングされ、資源やインフラの割り当てが行われる。その積み重ねによって、社会の舵が切られていく。例えば、そんな社会が来るのかもしれません。

と個人的には大いに期待する訳であります。


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