自動運転社会を夢想する

私はいわゆるペーパードライバーです。20歳の頃に運転免許を取りましたが、どうにも向いていなかったようで、運転中は非常に緊張し、運転席側の窓ガラスは、エアコンをつけてなお、私の吐く息で曇っていました。幸い、今日まで、自分で車を持たずにすむ環境に助けられ、最後に運転してから、20年以上が経ったと思います。今ではエンジンのかけ方すらわかりません。そんな私が待ち望んでいる未来の一つが自動運転社会です。

技術、インフラといった面の課題と、法律や安全の考え方といった面の課題があると思います。特に後者、私たちの負担が減る一方で、事故の責任は誰が取るのか、という問題が大きいのではないかと思います。技術にしても法律、すなわち私たちが望む自動運転社会の姿によって、目指すところが変わってくるはずです。

上記の記事でも、筆者はトロッコ問題などが普及の障害である一方で、

事件や事故が生まれた後に、必要な技術や法律の整備が進んでいくはず

と述べられています。

事故の責任は誰が取るのか

先日、知り合いの方と話した際に、その方は自動運転は普及しないとのお立場でした。ちなみにこの方は仕事でも自動車を運転されている方ですが、自動車やその関連業界の方ではありません。

そこでも話題になったのは「事故の責任は誰がとるのか」でしたが、これは所有者が責任者になるという方針が政府から示されています。

有事に対して保険がカバーする、という点は現在の自動車と変わりません。当然、製造に起因する不具合にはリコールが出されるでしょうし、恐らくは今後、メーカーは事故率の低さを競い、その事故率の低さがブランドの指標になる。さらにはメーカーが率先して自社製の自動運転車に対する保険事業にも乗り出す、あるいは車種や運転システムの事故率の低さで掛け金が変動することになり、どこかの時点で、所有者の負担はそれほど大きくはならずに済むのではないかと思います。

Be a DriverでFun to Driveしたい人たちは

一方で、運転が好きな人たちがいます。この方々の少なからずは、自動運転車には負けない運転技術があると自負されている。これまでにこうした方々に助けられてきた我が身として、非常に言いにくいのですが、例えば、自動車間がネットワークで結ばれ、それぞれの目的地までの全体最適な航行が計算された場合に、時には人間の運転が、その全体最適を乱す要因になるかもしれません。いずれ、公道では人間の運転する車専用のレーンが設けられる、あるいは純粋なスポーツとしてのレース場や運転場が設けられるようになるかもしれません。かつての馬がそうであったように。保険も自動運転車よりも事故率(個人ではなく運転者全体の)が高くなれば、掛け金が高くなる、さらにはステアリング構造をつける分の車体コストも大幅に上がる、という事態も想像に難くありません。

近い将来、家庭で車を購入する際に、運転したいお父さんの趣味と、効率や利便性を優先するそのほかの家族の意見のどちらに軍配があがるのか。いや、所有自体が時代遅れになっているかもしれませんし、メーヴェが一つの移動手段になっているかもしれませんね。(八谷さんすごい!)



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